レアル・サラゴサ

スペインのサッカークラブ

レアル・サラゴサReal Zaragoza, S.A.D. (スペイン語発音: [reˈal θaɾaˈɣoθa]))は、スペインアラゴン州サラゴサに本拠地を置くサッカークラブチーム。2024-25シーズンはセグンダ・ディビシオンに所属している。

レアル・サラゴサ
原語表記 Real Zaragoza, S.A.D.
愛称 Blanquillos (白),
Maños (アラゴン人)
クラブカラー    
   
創設年 1932年
所属リーグ セグンダ・ディビシオン
所属ディビジョン 2部(2024-25
ホームタウン サラゴサ
ホームスタジアム
ラ・ロマレーダ
収容人数 33,608人
代表者 スペインの旗 ホルヘ・マス英語版
監督 スペインの旗 ミゲル・アンヘル・ラミレス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

1932年3月18日に設立され、それ以来ほとんどの期間をプリメーラ・ディビシオン(1部)で過ごしている。ラ・リーガ創設以来の勝ち点を合計したラ・リーガ通算順位表では9位に位置する。プリメーラ・ディビシオンでの優勝経験はないが、コパ・デル・レイでは6度(6位)の優勝回数を誇る。欧州カップ戦ではインターシティーズ・フェアーズカップUEFAカップの前身)、UEFAカップウィナーズカップで1度ずつ優勝している。伝統的にホームゲームでは白いシャツとソックス、藤紫色のパンツを着用し、アウェーゲームでは黒色と黄色のユニフォームを着用する。ホームスタジアムはエスタディオ・デ・ラ・ロマレーダであり、34,596人を収容する。

歴史

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サラゴサ市にはイベリアSCとレアル・サラゴサCDという2つのクラブが存在していた。激しいライバル関係にあった両クラブは1932年に財政難に陥り、「マリア様の奇跡」と呼ばれる合併をして新しいチーム、サラゴサが設立された[1]リーガ・エスパニョーラに参戦していたが、スペイン内戦によって発展を妨げられた。1951年にチーム名をレアル・サラゴサに変更した[1]。1957年9月8日、最初のスタジアムであるトーレロを離れ、現在のスタジアムであるエスタディオ・デ・ラ・ロマレーダに移った。

黄金時代

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1960-61シーズンを始まりとして、レアル・サラゴサは黄金時代に足を踏み入れた。当時のスペインで最も優秀な選手たちの数々がプレーし、ロス・マグニフィコス(Los Magníficos、偉大なチーム)と呼ばれる彼らはいくつものタイトルを獲得した。リーグ優勝こそできなかったが、1960-61シーズンから1968-69シーズンまでの8シーズンは3位、4位、5位、4位、3位、4位、5位、5位とすべて5位以内に入った。1961-62シーズンにはフアン・セミナリオが30試合で25得点を挙げ、ピチーチ賞(得点王)のタイトルを獲得した。

1963-64シーズンにはコパ・デル・レイで初優勝し、同シーズンにはインターシティーズ・フェアーズカップUEFAカップの前身)でも優勝した。攻撃陣にはカナリオエレウテリオ・サントスマルセリーノ・マルティネスフアン・マヌエル・ビジャカルロス・ラペトラなどがおり、守備陣にはセベリーノ・レイハホセ・ルイス・ビオレタなどの名選手がいた。コパ・デル・レイでは1962-63シーズンから4シーズン連続で決勝に進出し、1965-66シーズンには2度目の優勝を飾ったが、次のタイトルは1980年代半ばまで持ち越された。

70年代から20世紀末

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1970年代からの30年間は浮き沈みの激しい時期であった。1970年代初頭には再びリーグ優勝に近付き、1973-74シーズンには3位、1974-75シーズンには2位となったが、最終節に敗れてレアル・マドリードにタイトルを明け渡している。1977-78シーズンにはセグンダ・ディビシオンのプレーも経験したが、1985-86シーズンには3度目のコパ・デル・レイ優勝を果たした。1990-91シーズンは良くないシーズンであり、昇降格プレーオフ圏内でシーズンを終えたが、レアル・ムルシアとのプレーオフはファーストレグが0-0、セカンドレグが5-2となり、プリメーラ・ディビシオン残留を果たした。1992-93シーズンはコパ・デル・レイで準優勝し、1993-94シーズンには4度目の優勝を飾った。

1994-95シーズンのUEFAカップウィナーズカップではフェイエノールトチェルシーFCなどヨーロッパの強豪を撃破し、パリのパルク・デ・プランスで行われた決勝ではアーセナルFCと対戦した。90分を終えて1-1と決着がつかず、延長戦にもつれ込んだが、ハーフウェイラインをわずかに過ぎた場所からナジムが撃ったハーフボレーシュートがデヴィッド・シーマンを超えてネットに突き刺さり、延長終了間際にレアル・サラゴサが優勝を決めた。

21世紀

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2000-01シーズンにはコパ・デル・レイ決勝でセルタ・デ・ビーゴを3-1で破って5度目の優勝を果たした。2001-02シーズンには最下位でセグンダ・ディビシオンに降格したが、1シーズンでプリメーラ・ディビシオンに再昇格を果たした。

2006年5月後半、アガピト・イグレシアスはアルフォンソ・ソランから会長の座を受け継ぎ、スペインやヨーロッパでもっとも強いチームのひとつを作り上げることを約束した。2006年夏には中盤の補強として移籍金1100万ユーロでパブロ・アイマールを獲得した。2006-07シーズンは攻撃サッカーの信奉者であるビクトル・フェルナンデス監督の下、アイマール、アンドレス・ダレッサンドロアルベルト・サパテルエベルトンなどの攻撃陣がアウェーゲームでも攻撃的なサッカーを展開し、ディエゴ・ミリートヨーロッパ・ゴールデンシュー3位となる23得点を挙げた。6位という成績でUEFAカップ出場権を獲得した。

2006-07シーズンからほとんど選手の変更はなかったにもかかわらず、2007-08シーズンはクラブの歴史でもっとも失望の残るシーズンとなった。UEFAカップでは1回戦で敗退し、ダレッサンドロの造反などもあって、2008年を迎える頃にはリーグ戦でも順位を下げた。2008年1月、求心力が低下したビクトル・フェルナンデス監督は解任され、アンデル・ガリターノハビエル・イルレタマノロ・ビジャノバと、1シーズンに3度も監督が代わる混乱ぶりであった。最終節を迎えるまでにアウェーゲームで勝ち点8を獲得したのみで、最終節のRCDマジョルカ戦は勝利が必須だったが、リカルド・オリヴェイラの2得点もおよばず2-3で敗れ、18位でセグンダ・ディビシオン降格となった。

2008年夏には智将マルセリーノ監督を招聘し、チーム編成などに大きな権限を与えたが、アイマール、ペテル・リュクサンマツザレムセルヒオ・ガルシア、D・ミリート、セサル・サンチェスなど攻守に多くの選手がチームを去った。2008-09シーズン開幕から数試合は成績が芳しくなかったが、しり上がりに調子を上げ、後半戦には16戦無敗という記録を作った。ラーヨ・バジェカーノとの最終節を残し、1シーズンでのプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした。

2011-12シーズンは開幕から不調が続き、シーズンの半分近くを最下位で過ごした。一時は降格候補筆頭と見られていたが、残り12試合で8勝1分3敗、勝ち点25を積み上げ、最終的には勝ち点43の16位として残留を果たした。

2011年6月8日、倒産法に基づく法的整理を申請した[2]。2012年6月、アガピトは会長を退任。更に2012-13シーズンは、プリメーラ最下位に終わり、セグンダに降格。以降は下部リーグでの闘いを強いられている。

2019年8月、日本代表香川真司を獲得したことが話題となった。

ライバルと親交

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レアル・サラゴサがダービーマッチとみなしているのはCAオサスナとの対戦である。それぞれ隣り合うアラゴン州ナバーラ州で最も規模の大きなサッカークラブであり、CAオサスナの本拠地であるパンプローナとサラゴサは145kmの距離にあり、両者の対戦の際には多くのサポーターがアウェースタジアムに駆けつける。

SDウエスカとの対戦はアラゴン・ダービーと呼ばれる。仲の良いダービーマッチであるのか、思想が激しくぶつかり合うダービーマッチであるのかは意見が分かれるところであり、もっともな理由で判断が分かれている。両者が同じディビジョンに所属したのはわずか2シーズン(直近は2008-09シーズン)しかないし、試合の外では良好なビジネス関係を築き、過去に多くの選手が両クラブの間で移籍しているからである。

レアル・サラゴサはCDヌマンシアとも良好な関係を築いている。

リザーブチームであるデポルティーボ・アラゴンは現在テルセーラ・ディビシオンに在籍している。

タイトル

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エスタディオ・デ・ラ・ロマレーダ

国内タイトル

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国際タイトル

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過去の成績

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シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1932/33 テルセーラ 1位 ベスト16
1933/34 テルセーラ 1位 ベスト16
1934/35 セグンダ 3位 準々決勝敗退
1935/36 セグンダ 2位 準々決勝敗退
1939/40 プリメーラ 7位 準決勝敗退
1940/41 プリメーラ 11位 3回戦敗退
1941/42 セグンダ 2位 ベスト16
1942/43 プリメーラ 13位 ベスト16
1943/44 セグンダ 6位 ベスト32
1944/45 セグンダ 7位 1回戦敗退
1945/46 セグンダ 10位 1回戦敗退
1946/47 セグンダ 13位 1回戦敗退
1947/48 テルセーラ 3位 3回戦敗退
1948/49 テルセーラ 2位 1回戦敗退
1949/50 セグンダ 4位 2回戦敗退
1950/51 セグンダ 2位
1951/52 プリメーラ 12位 準々決勝敗退
1952/53 プリメーラ 16位
1953/54 セグンダ 9位
1954/55 セグンダ 3位
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1955/56 セグンダ 3位
1956/57 プリメーラ 9位 ベスト16
1957/58 プリメーラ 14位 ベスト16
1958/59 プリメーラ 9位 ベスト16
1959/60 プリメーラ 11位 ベスト32
1960/61 プリメーラ 3位 ベスト16
1961/62 プリメーラ 4位 準決勝敗退
1962/63 プリメーラ 5位 準優勝
1963/64 プリメーラ 4位 優勝
1964/65 プリメーラ 3位 準優勝
1965/66 プリメーラ 4位 優勝
1966/67 プリメーラ 5位 ベスト32
1967/68 プリメーラ 5位 準々決勝敗退
1968/69 プリメーラ 13位 ベスト16
1969/70 プリメーラ 8位 準決勝敗退
1970/71 プリメーラ 16位 ベスト16
1971/72 セグンダ 3位 4回戦敗退
1972/73 プリメーラ 8位 5回戦敗退
1973/74 プリメーラ 3位 準々決勝敗退
1974/75 プリメーラ 2位 準決勝敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1975/76 プリメーラ 14位 準優勝
1976/77 プリメーラ 16位 準々決勝敗退
1977/78 セグンダ 1位 ベスト16
1978/79 プリメーラ 14位 準々決勝敗退
1979/80 プリメーラ 10位 4回戦敗退
1980/81 プリメーラ 14位 1回戦敗退
1981/82 プリメーラ 11位 準々決勝敗退
1982/83 プリメーラ 6位 2回戦敗退
1983/84 プリメーラ 7位 3回戦敗退
1984/85 プリメーラ 10位 準決勝敗退
1985/86 プリメーラ 4位 優勝
1986/87 プリメーラ 5位 ベスト16
1987/88 プリメーラ 11位 ベスト32
1988/89 プリメーラ 5位 ベスト32
1989/90 プリメーラ 9位 準々決勝敗退
1990/91 プリメーラ 17位 ベスト16
1991/92 プリメーラ 6位 5回戦敗退
1992/93 プリメーラ 9位 準優勝
1993/94 プリメーラ 3位 優勝
1994/95 プリメーラ 7位 ベスト16
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1995/96 プリメーラ 13位 準々決勝敗退
1996/97 プリメーラ 14位 3回戦敗退
1997/98 プリメーラ 13位 準決勝敗退
1998/99 プリメーラ 9位 3回戦敗退
1999/00 プリメーラ 4位 ベスト16
2000/01 プリメーラ 17位 優勝
2001/02 プリメーラ 20位 ベスト64
2002/03 セグンダ 2位 ベスト32
2003/04 プリメーラ 12位 優勝
2004/05 プリメーラ 12位 ベスト64
2005/06 プリメーラ 11位 準優勝
2006/07 プリメーラ 6位 準々決勝敗退
2007/08 プリメーラ 18位 ベスト16
2008/09 セグンダ 2位 2回戦敗退
2009/10 プリメーラ 14位 ベスト32
シーズン リーグ コパ・デル・レイ
ディビジョン 順位 備考
2010-11 ラ・リーガ 13位 38 12 9 17 40 53 45 ベスト32
2011-12 16位 38 12 7 19 36 61 43 ベスト32
2012-13 20位 38 9 7 22 37 62 34 降格 ベスト8
2013-14 セグンダ 14位 42 13 14 15 49 53 53 2回戦敗退
2014-15 6位 42 15 16 11 61 58 61 2回戦敗退
2015-16 8位 42 17 13 12 50 44 64 3回戦敗退
2016-17 16位 42 12 14 16 50 52 50 2回戦敗退
2017-18 3位 42 20 11 11 57 44 71 ベスト32
2018-19 15位 42 13 12 17 49 51 51 3回戦敗退
2019-20 3位 42 18 11 13 59 53 65 ベスト16
2020-21 15位 42 13 11 18 37 43 50 2回戦敗退
2021-22 10位 42 12 20 10 39 46 56 ベスト32
2022-23 13位 42 12 17 13 40 39 53 1回戦敗退
2023-24 15位 42 12 15 15 42 42 51 1回戦敗退
2024-25 42 2回戦敗退

各記録

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チーム記録

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最多得点試合

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ディビジョン H & A スコア 試合日 対戦相手
プリメーラ ホーム 8-1 1978-79シーズン第22節 (2月25日) RCDエスパニョール
セグンダ ホーム 8-1 1953-54シーズン第4節 (10月4日) ラシン・フェロル

最多失点試合

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ディビジョン H & A スコア 試合日 対戦相手
プリメーラ アウェイ 10-1 1951-52シーズン第3節 (9月23日) アスレティック・ビルバオ
セグンダ アウェイ 6-0 1944-45シーズン第8節 (11月12日) ラシン・サンタンデール

個人記録

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通算最多出場者

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  • 通算
473試合 -   ホセ・ルイス・ビオレタ
  • リーグ戦
383試合 -   ハビ・アグアド

通算出場試合上位

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記録は公式戦通算。太字は2022-23シーズン開幕時点での在籍選手。記録は2021-22シーズン終了時点。

選手名 出場試合数 在籍期間 備考
1   ホセ・ルイス・ビオレタ 473試合 1961-1977 リスト・オブ・ワン・クラブ・マン
2   ハビ・アグアド 472試合 1990-2003
3   アルベルト・サパテル 392試合 2004-2009, 2016-
4   マノーロ・ゴンサレス 382試合 1966-1977
5   フアン・セニョール 369試合 1981-1990 UEFA EURO 1984準優勝メンバー
  ミゲル・パルデサ 369試合 1985-1986, 1987-1997
  カスコ 369試合 1979-1988
8   サンティアゴ・アラゴン 362試合 1992-2003
9   アンドニ・セドルン 361試合 1984-1996 GK最多
10   セベリーノ・レイハ 347試合 1959-1969 UEFA EURO 1964優勝メンバー

通算最多得点者

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  • 通算
119得点 -   マルセリーノ
  • リーグ戦
92得点 -   ピチ・アロンソ

通算得点上位

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記録は公式戦通算。太字は2022-23シーズン開幕時点での在籍選手。記録は2021-22シーズン終了時点。

選手名 得点数 在籍期間 備考
1   マルセリーノ 119得点 1959-1970 UEFA EURO 1964優勝メンバー
2   ピチ・アロンソ 112得点 1977-1982
3   ホアキン・ムリージョ 108得点 1957-1964
4   ミゲル・パルデサ 97得点 1985-1986, 1987-1997
5   エレウテリオ・サントス 94得点 1963-1971
6   グスタボ・ポジェ 80得点 1990-1997 外国人最多
7   サトゥルニーノ・アルア 77得点 1973-1979
  フランシスコ・イゲラ 77得点 1988-1997
9   ホルヘ・バルダーノ 71得点 1979-1984 1986 FIFAワールドカップ優勝メンバー
10   フアン・マヌエル・ビジャ 70得点 1962-1971

現所属メンバー

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2025年2月18日現在[3]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF   マルコス・ルナ英語版
3 DF   ジャイル・アマドール ( )
4 DF   ダニ・タセンデ英語版
5 DF   エンリケ・クレメンテ
6 MF   ケイディ・バレ
7 FW   マリオ・ソベロン英語版
9 FW   ダニ・ゴメス
10 MF   ラウール・グティ
11 FW   サメド・バジュダル ( )
12 DF   セバスティアン・コーサ英語版
13 GK   ガエタン・プサン英語版
14 MF   フランチョ・セラーノ
No. Pos. 選手名
15 DF   ベルナルド・ヴィタル英語版
16 MF   ケルビン・アリアーガ英語版
17 DF   カルロス・ニエト英語版
19 DF   イバン・カレロ
20 FW   マルコム・アドゥ・アレス ( )
21 MF   トニ・モジャ
22 FW   アルベルト・マリ
23 MF   アヘル・アケチェ
24 DF   ジュイス・ロペス
25 GK   ホアン・フェメニアス
29 FW   パウ・サンス英語版
33 FW   アドリアン・リソ英語版

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
5 DF   エンリケ・クレメンテ (ラス・パルマス)
16 MF   ケルビン・アリアーガ英語版 (パルチザン)
No. Pos. 選手名
20 FW   マルコム・アドゥ・アレス (ビルバオ) ( )
22 FW   アルベルト・マリ (バレンシア)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW   シナン・バクシュ (グールニク・ザブジェ) ( )
-- FW   セルジ・エンリク (ウエスカ)
-- DF   アンドレアス・ボルヘ英語版 (アレンテイロ)
No. Pos. 選手名
-- DF   フアン・セバスティアン・セラーノ (アルコルコン)
-- MF   アルベルト・バケイロ英語版 (CDルーゴ)
-- MF   ゴリ・ガルシア英語版 (UDイビサ)

歴代監督

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歴代所属選手

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エンブレム

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1932年の合併時、エンブレムは赤い盾の中にサラゴサ市の紋章であるレオン王国の獅子がある図案を採用した[1]。1951年、チーム名に「レアル」が加わった事に伴い、盾の上に王冠のデザインが追加され、何度かのマイナーチェンジはあるが基本的にこのエンブレムが使われている[1]

2007年にチーム創立75周年を記念して獅子の絵柄が変更されたがソシオには不評だった。そこで2011年6月からソシオ加入者への人気投票を開始した。9月の締め切り時、総ソシオ23309人中7739人が投票し、6961人が以前のデザインを支持した。そのため暫定的に元のエンブレムに戻す事になったが、シーズン中だったためユニフォームは変更できなかった。ただし投票したソシオ数が少なかったため、2012-13シーズン開幕前まで再投票が行われる事になったが、ここでも旧エンブレムの支持が高い[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e エンブレムの世界 サラゴサ『サッカーマガジン』2012年6月12日号、ベースボール・マガジン社、斉藤健仁、2012年、雑誌23882-6/12, 083頁。
  2. ^ “スペインのプロサッカー「レアル・サラゴサ」が法的整理を申請”. 不景気.com. (2011年6月10日). http://www.fukeiki.com/2011/06/real-zaragoza.html 2011年10月12日閲覧。 
  3. ^ Plantilla”. レアル・サラゴサ. 2025年2月18日閲覧。

外部リンク

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