スターと飛び出せ歌合戦

スターと飛び出せ歌合戦』(スターととびだせうたがっせん)は、1968年4月1日から1970年6月30日まで日本テレビ系列で放送されていた読売テレビ製作の公開歌謡番組である。当初はモノクロ放送だったが、1968年8月12日又は同月26日からカラー放送を開始した[注釈 1]

スターと飛び出せ歌合戦
ジャンル 歌謡番組
出演者 トニー谷
製作
制作 読売テレビ
放送
映像形式モノクロ放送 → カラー放送(1968年8月12日か26日から[注釈 1]。但し、地方の公開場所や諸事情によってはモノクロ放送(「#当番組のカラー放送について」を参照。)
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
月曜ゴールデンタイム時代
放送期間1968年4月1日 - 1969年12月29日
放送時間月曜 19:30 - 20:00
放送分30分
火曜ゴールデンタイム時代
放送期間1970年1月6日 - 1970年6月30日
放送時間火曜 19:30 - 20:00
放送分30分
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概要

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前番組『アベック歌合戦』をリニューアルした視聴者参加型の歌謡番組で、同様に日本各地の公会堂で公開放送を行っていた。また、引き続きトニー谷が司会を務めていた。

前番組との相違点としては、芸能人とそのファンがペアを組んで参加していたという点が挙げられる。また、ステージへの入場も、ステージ中央に設置された滑り台から入場する方式に変更されたが、歌に入る前のトニーとの「あなたのお名前なんてぇの」という問答は引き続き行われていた。

当初はエヴェレストヂャー(ナショナル魔法瓶工業)とノーシン(荒川長太郎合名会社=現・アラクス)の提供で放送されていたが、1969年10月以降はエヴェレストヂャーの単独提供で放送されていた。

当番組のカラー放送について

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当番組は当初はモノクロ放送だったが、放送開始から4か月余後の1968年8月12日又は26日から、原則として毎回カラー放送を開始した[注釈 1]。しかし、地方の公開収録に於いて、制作協力局がカラー中継車を所有していない場合や、それを所有していても同中継車が他の番組が使用している為に使えない場合は、モノクロ放送となった[注釈 2]。これは、翌1969年開始の日本テレビ系の番組『おくにじまん日本一』や、1970年開始の『全日本歌謡選手権』等でも同様だった。

放送時間

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いずれも日本標準時

  • 月曜 19:30 - 20:00 (1968年4月1日 - 1969年12月29日)
  • 火曜 19:30 - 20:00 (1970年1月6日 - 1970年6月30日)

ネット局

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特記の無い限り全て同時ネット。

最終回

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最終回の収録は、大阪府の堺市民会館で行われた。美川憲一青空千夜・一夜古都清乃らがゲスト出演し、司会のトニーは『アベック歌合戦』の初回で着ていた燕尾服を着て登場した。そして番組の収録後には、読売テレビから約8年間の労いとしてヨーロッパ旅行を贈られた。

この時にトニーは「もう、テレビではソロバンは使わない」と宣言し、レギュラー審査員の一人の川上のぼるにソロバンとソロバンの芸を譲ったが、その後もトニーはテレビに出るたびにソロバン芸をしていたので意味を成さなかった。

参考文献

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 朝日新聞のテレビ欄では、1968年8月12日の大阪版では無印(モノクロ)だが東京版ではカラー表記あり[1]。同月19日は後楽園球場からのプロ野球中継(巨人サンケイ)の為お休み[2]。同月26日は大阪版・東京版共にカラー表記あり[3]
  2. ^ 一例として、前者は1968年10月14日(第29回)の愛知文化講堂(協力:名古屋テレビ放送[4]、後者は1969年4月21日(第50回)の西宮市民会館(読売テレビのみの制作)[5]からの各公開放送がこれに該当する。又、番組が終了する約3カ月前の1970年4月7日放送もモノクロ放送だった[6]

出典

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  1. ^ 朝日新聞 1968年8月12日 大阪版及び東京版 共に朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  2. ^ 朝日新聞 1968年8月19日 大阪版及び東京版 共に朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  3. ^ 朝日新聞 1968年8月26日 大阪版及び東京版 共に朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  4. ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、477頁。NDLJP:11954641/254 
  5. ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、479頁。NDLJP:11954641/255 
  6. ^ 朝日新聞 1970年4月7日 大阪版朝刊 P.11 及び同日東京版P.9 共にテレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  7. ^ 北海道新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  8. ^ a b 秋田魁新報』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  9. ^ 山形新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  10. ^ 福島民報』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  11. ^ a b 『北日本新聞』1969年2月10日付朝刊、テレビ欄。
  12. ^ 信濃毎日新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  13. ^ 山梨日日新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  14. ^ 静岡新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  15. ^ 島根新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  16. ^ a b 山陽新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  17. ^ a b c 愛媛新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  18. ^ 徳島新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄
  19. ^ 『愛媛新聞』1969年11月各日朝刊テレビ欄
  20. ^ 西日本新聞』1969年4月各日朝刊テレビ欄
  21. ^ 熊本日日新聞』1969年11月各日朝刊テレビ欄
  22. ^ 宮崎日日新聞』1968年9月各日朝刊テレビ欄

関連項目

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日本テレビ系列 月曜19:30枠
【1969年10月からエヴェレストヂャー単独提供枠】
前番組 番組名 次番組
アベック歌合戦
(1966年4月 - 1968年3月)
スターと飛び出せ歌合戦
(1968年4月1日 - 1969年12月29日)
サンテ全日本歌謡選手権
(1970年1月5日 - 1972年12月)
日本テレビ系列 火曜19:30枠
【本番組からエヴェレストヂャー単独提供枠】
スターびっくり箱
(1969年8月12日 - 1969年12月30日)
スターと飛び出せ歌合戦
(1970年1月6日 - 1970年6月30日)
やまかんヒット大賞
(1970年7月7日 - 1970年11月10日)