ドラァグクイーン
ドラァグクイーン(英: drag queen)は、女装で行うパフォーマンスの一種。女装パフォーマー[1]。纏った衣装の裾を引き摺る(drag)ことからこう呼ばれる[2]。
概要編集
ドラァグクイーンの起源は、男性の同性愛者が性的指向の違いを超えるための手段として、ドレスやハイヒールなどの派手な衣裳を身にまとい、厚化粧に大仰な態度をすることで、男性が理想像として求める「女性の性」を過剰に演出したことにあるといわれている。
本来はサブカルチャーとしてのゲイ文化の一環として生まれた異性装の一つであるため、ドラァグクイーンには男性の同性愛者や両性愛者が圧倒的に多い。しかし近年では男性の異性愛者や女性がこれを行うこともある。また趣味としてこれを行う者からプロのパフォーマーとして活躍する者まで、ドラァグクイーンの層も厚くなっている。
トランスジェンダー女性(性自認は女性だが、出生時に身体的特徴から性別を男性とされた人)が女物の服を着るのは「女性になる」または「女性として見られる」ことが目的であるのに対し、ドラァグクイーンのそれは「女性のパロディ」あるいは「女性の性表現を遊ぶ」ことを目的としている点が大きく異なる。
ロシアでは2022年にドラァグクイーンも規制する法案の罰則が2年の懲役刑に引き上げられる修正案が可決される[1]。
語源編集
英語の drag が「女装した男性」を意味するようになったのには三つの説がある。
- 演劇界の隠語だとするもの。1870年に初出の記録がある。当時舞台上で女性の役を演じる女優が不足した時は、子役や背の低い若作りの俳優が女装してこれを務めたが、無骨な脚が観客に見えないようにロングスカートを履いた。ところがスカートの履き方に慣れていなかった彼らは裾を床に引きずっても平気な顔をしていた。それが滑稽だったのでこの名がついたというもの。英語の名詞 drag の本来の意味はこの「引きずる」である。これが最も一般に普及している説。
- ドイツ語で「着る」を意味する tragen が、イディッシュ語の trogn となり、これが英語化して drag となったとする説。現代口語英語にはイディッシュ語を経由したドイツ語を源とすることばが多いことを背景とした説だが、変化した際の子音交換が必ずしも音声学の法則に沿っていないところもあり、こじつけだとする見方が一般的。
- 英語の句「dressed as a girl」(女性のように装う)の略語だとする説。英語圏以外で巷間に流布している説だが、これはいわゆる俗説である(正しい英語では「dressed like a girl」という)。
なお drag queen という成語の初出は1941年である。
表記編集
英語の「drag」を片仮名表記するとき、標準的な転記法に則って「ドラッグ」とする場合もあるが、LGBTのメディアでは通常「ドラァグ」という表記をすることが多い。これは drag が drug(ドラッグ、薬。スラングとして違法薬物)に関係あるかのように誤解されないようにするためである。
日本で最初にこの「drag」を「ドラァグ」と表記することを提唱したのは、元『Badi』編集長のマーガレットこと小倉東であると言われている。またこれ以前から独自のドラァグ文化が存在した主に関西方面では、今日でも「ドラッグ」と表記することが多い。
日本におけるドラァグクイーン編集
歴史編集
歌舞伎の女形の伝統がある日本では古くから男性が女装して人前で芸を披露する伝統があった。また畿内では女舞が主体である上方舞の伝統が根ざしており、そうした中からは人間国宝・吉村雄輝のような舞手も出ている。この吉村の一人息子が1969年『薔薇の葬列』で衝撃的なデビューをした ピーターである。ピーターはデビュー後しばらくは女装でさまざまな芸能活動を行ったが、一歩カメラの前を離れると通常は男装または中性装(ただし派手なものだったが)で、しかも自らのセクシュアリティを一切芸の中には持ち込まなかった。この点で途中から常時女装になり同性愛者を公言していた美輪明宏などとは一線を画していた。カルーセル麻紀は、モロッコで性転換手術も受けている。
1980年代、いわゆるバブル全盛時代にクラブやショーパブでドラァグクイーンショーで注目を集めたニューハーフとは一線を画する日出郎がメディアに登場したのもこの頃である。
黎明期編集
ミス・グロリアスは90年代初頭から京都で活動し始めた。同じ頃、東京ではマーガレットこと小倉東がアメリカのゲイ文化としてのドラァグを紹介していた。関東では「Gold」という伝説的クラブでドラァグを行う者が多く現れ始めた。その中にはテクノポップを歌う日出郎やJINCOママやKEIKOママがいてマドンナやユーミンを熱唱した[3]。因みに「Badi」(1998年5月号)「同じゲイなら踊らにゃソンソン」には、「ドラァグ・ショウの誕生はゴールドから」「日本のクラブでのドラァグクイーン文化はミス・ユニバースコンテストから」とあり、ゴールドのフライヤーやミス・ユニバースコンテストの写真が掲載されている。
2000年代以降編集
2000年代後半に入り、マツコ・デラックスや、ミッツ・マングローブが容姿のインパクトに加え、鋭い切れ味を持つご意見番的なオネェ系という存在で娯楽メディアでも大きな立場を担い始めた。女装家という呼称はミッツがメディア向けに言い始めたことがきっかけに広まっていった。
2010年代に入り、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブ、ブルボンヌにナジャ・グランディーバの人気や、かねてからのオネェ系のブームにより、様々なドラァグクイーンが女装家という枠で、主にバラエティ番組を通してメディアへ露出するようになった。その結果、オネェ系のひとつの形としてドラァグクイーンの存在が社会的に認知され始めた。
著名なドラァグクイーン編集
- 日本
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- マーガレット
- シモーヌ深雪[4]
- ヴィヴィアン佐藤
- オナペッツ
- 日出郎
- ナジャ・グランディーバ
- ダイアナ・エクストラバガンザ
- ミッツ・マングローブ
- ブルボンヌ
- エスムラルダ
- マツコ・デラックス
- バブリーナ
- ギャランティーク和恵
- サマンサ・アナンサ
- ドリアン・ロロブリジーダ
- 枝豆順子
- メイリー・ムー
- 肉乃小路ニクヨ
- ちあきホイみ
- バビ江ノビッチ
- Lyra-h Grail
- Lucky Lee
- 塩豆大福
- アイルランド
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- パンティ・ブリス(ローリー・オニール)
- アメリカ
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- ディヴァイン
- チ・チ・ラルー
- ルポール(1960年11月17日生まれ。カリフォルニア州サンディエゴ出身。15歳でジョージア州アトランタに移り住む。アトランタではナイトクラブでパフォーマンスを学び、その後ニューヨークで活動。数々のメディアに露出し、映画やテレビでも活躍する。1993年にはエルトンジョンとのデュエット曲 "Don't Go Breaking My Heart"を発表。多くの日本人ドラァグクイーンに多大な影響を与えた)
- ジョン・エパーソン(伝説のドラァグクイーンと呼ばれるリプシンカことジョン・エパーソンは、30年以上ニューヨークで活動を続けているため、多くのショービス関係者からは“ゴッドブレス・オブ・ショービジネス”とも呼ばれている。日本ではルポールほどメジャーではないが、リプシンカに憧れる日本人ドラァグクイーンは多い)
- ミス・ココ・ペルー(ニューヨーク州シティーアイランド出身。1983年にCardinal Spellman High Schoolを卒業。Adelphi Universityにて芝居を学ぶ。1992年に最初のワンマンショーである「Miss Coco Peru in My Goddamn Cabaret」を発表すると、さまざまなメディアで活躍する。1995年にスペイン出身の大学教授であるRafaelと出逢い、2008年にスペインにて同性婚をする。現在、Los Ángelesに在住)
- ミス・アンダーストゥッド (ニューヨーク州レヴィットタウン出身。1980年代からニューヨーク市を中心に活動。1993年にドラァグクイーン専用のエージェント会社「Screaming Queens Entertainment」を立ち上げ、東海岸を中心に多くのドラァグクイーンのマネジメントを行う)
- マーシャ・P・ジョンソン
- ジア・ガン
- キム・チー
- アリッサ・エドワーズ
- イギリス
- オーストラリア
- オーストリア
- スウェーデン
ドラァグクイーンが登場する作品編集
映画編集
洋画編集
- 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』ヘドウィグ
- 『キンキーブーツ』ローラ
- 『3人のエンジェル』ヴィーダ、ノグジーマ、チチ
- 『バードケージ』スターリナ(アルバート)
- 『ピンク・フラミンゴ』ディヴァイン(本人役)
- 『プリシラ』ベルナデット、ミッチ、フェリシア
- 『フローレス(英語)』ラスティ
- 『RENT』エンジェル
- 『ペダル・ドゥース』アドリアン
- 『ロッキー・ホラー・ショー』
- 『ビクター/ビクトリア』
- 『男として死ぬ』主人公・トーニャ
- 『コニー&カーラ』
- 『ジェイミー』ロコ・シャネル
邦画編集
- 『東京ゴッドファーザーズ』ハナちゃん
- 『DRUG GARDEN』クリスティーヌ・ダイコ、ホッシー、マーガレット
ミュージカル編集
テレビドラマ編集
- 『バナナチップス・ラヴ』(1991年10月 - 12月、フジテレビ)
テレビアニメ編集
楽曲編集
- 尾崎豊の「Freeze Moon」の歌詞。
脚注編集
- ^ a b “迫る反LGBT法に「最悪を覚悟」 今を生きるロシアのドラァグクイーン”. www.afpbb.com. 2022年11月26日閲覧。
- ^ 佐伯順子 『「女装と男装」の文化史』講談社、2009年10月10日、99頁。ISBN 978-4-06-258450-0。 NCID BA91661359。
- ^ Badi1998年5月号P52「同じゲイなら踊らにゃソンソン」。
- ^ “【インタビュー】シモーヌ深雪 シャンソン歌手/ドラァグクイーン その2/6”. 花形文化通信. ワークルーム (2020年7月24日). 2021年5月15日閲覧。
- ^ AFPBB News 2014年5月11日 オーストリア代表の「ひげの女装歌手」が優勝、欧州歌謡祭ユーロビジョン
関連項目編集
外部リンク編集
- Dame-Edna.com: デイム・エドナの公式サイト
- izmir escort : ルポールの公式サイト
- Lypsinka.com: リプシンカの公式サイト
- MissCocoPeru.com: ミス・ココ・ペルーの公式サイト
- Interview with Miss Understood: ミス・アンダーストゥッドの雑誌インタビュー
- LyraCompany: ライラ・カンパニー公式サイト
- 五輪閉会式にドラァグクイーン40人出演(シドニー五輪公式ページより抜粋)