ヌードモデル
ヌードモデル(英: nude model)は、写真や絵画、彫刻の制作などに協力し、裸体での人体モデルをつとめる職業である。
アート・モデル
編集絵画や彫刻、パフォーマンスアートなどの分野では、ヌードモデルが必要とされる場合も多い。この分野ではヌードモデルという直接的な表現は使用せず、「美術モデル」や「アートモデル」という呼び方がされている[1]。
ヌードデッサンは美術学生の鍛錬において重要なプロセスのひとつになることが多く、非常に重要視されている。しかし、各地域の宗教的価値観によっては、環境の確保が極めて困難となる場合もある[2]。
世界のモデル
編集世界のモデルでは、オードリー・マンソン、アリス・プラン(モンパルナスのキキ)、オリーヴ・トーマスらが、特に有名なアートのヌード・モデルである。19世紀のパリでは、数多くのモデルが美術界で活躍していた。ヴィクトリーヌ・ムーランは、いくつかの作品のためにポーズをとった後、エドゥアール・マネのオリンピアのモデルをつとめた[3]。
ジョアンナ・ヒファーナン(1843年頃-1903年)は、アイルランドのアーティストのモデルであり、アメリカの画家ジェームズ・マクニール・ウィスラー、およびフランスの画家ギュスターヴ・クールベとロマンチックなつながりを持ったミューズだった。彼女はウィスラーの「白の交響曲」のモデルであり、クールベの絵画のモデルであるとも噂された。
スザンヌ・ヴァラドンは、ピエール・オーギュスト・ルノワール、アンリ・ロートレックほか複数の有名画家のモデルをつとめた。彼女はルノワールの「風景の中の裸婦」のモデルとして知られている。またヴァラドン自身も画家となり、作品の中にはヌードを題材としたものもある。
ビクトリア朝の絵画様式がイギリスで定着したころ、ライブ・モデル(ヌード)を使った美術研究は、前の世紀よりも制限が厳しくなり、画力のある上級クラスの学生に限定されていった。
日本のモデル
編集東京美術学校が黒田清輝が帰国したのを機に西洋画科を開講するも、日本ではヌードモデルが見つからなかった。校長の岡倉天心が学校の喫茶店の従業員にぼやいた際、彼女が志願したのが、日本で初めてのヌードモデル。彼女は後に日本で最初の公認のモデル斡旋所を谷中に開業した。浅尾丁策によれば、この頃のモデル斡旋業は風俗営業として監督されていたという[4]。
写真モデル
編集世界のモデル
編集世界ではマン・レイやヘルムート・ニュートン[注 1]らがヌード・モデルを使って、アート写真を発表した。ファッション・モデルのケイト・モスやエミリー・ラタコウスキーら、多数の女性がヌードモデルをつとめている。男性雑誌のモデルでは、プレイメイト、ペントハウス・ペット、ハスラーのモデルなどが知られる。
日本のモデル
編集日本の写真業界では単にヌードモデルと言った場合、写真集や雑誌のグラビアなどで、主としてヌード(あるいはヘアヌード)写真を提供するモデルを指す。
1960年代から1970年代にかけてグラビア雑誌が次々創刊し、ピンク映画やポルノ映画に出演するポルノ女優やセクシー女優、アダルトモデルも台頭する。この時代に雑誌でヌードを披露したり、写真集を発表したタレントには、鰐淵晴子[注 2]、加賀まりこ、中村晃子[注 3]、高沢順子[注 4]、カルメン・マキ[注 5]、ハニー・レーヌ、フラワー・メグらがいた。グラビア写真の世界では、平凡パンチやプレイボーイにヌードグラビアが掲載され、篠山紀信らの活動もあり、徐々にヌードモデルをつとめる女性が増加していった。
2000年代からは、アイドルからのヌードモデル転向も増え、その代表例としてグラビアアイドルの小島可奈子や佐藤寛子、染谷有香やモーニング娘。の福田明日香が挙げられる。また、アダルトビデオに出演する開放的な女性が増えたことにより、ヌードモデルとしても活動する例が増加した。
絵画のポーズ集の他、鍼灸や医学書などの解説書には太田八重子[注 6]など、実写の女性モデルも多く使われてきた。かつては当局の規制、取り締まりが厳しく陰毛が写った写真は摘発の対象となっていた。このため、1970年代から1980年代にかけて陰毛のない少女ヌード写真集を出版する出版社も多く、少女ヌードモデルも幾人か出現していた。
日本の主な女性ヌードモデル
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “アーカイブされたコピー”. 2008年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月7日閲覧。
- ^ “裸はイスラム教への冒涜、ヌードモデルを使えないエジプトの美術学校” (日本語). AFPBB News. フランス通信社 (東京都). (2008年6月17日) 2010年12月10日閲覧。
- ^ (美の履歴書:508)「街の歌い手」エドゥアール・マネ 150年経て解けた誤解は朝日新聞 2017年7月11日夕刊
- ^ 裸婦ポーズ集―Let’sダ・ヴィンチ p107