杉本彩

日本のグラビアアイドル、歌手、女優 (1968-)

杉本 彩(すぎもと あや、1968年7月19日 - )は、日本タレントレースクイーン女優グラビアアイドル歌手ダンサー小説家実業家動物愛護活動家[2]作詞家作曲家である。株式会社オフィス彩所属で代表取締役[1]公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長。

すぎもと あや
杉本 彩
プロフィール
別名義 松山 基栄(本名)[1]
愛称 彩様、彩姐さん
生年月日 1968年7月19日
現年齢 55歳
出身地 日本の旗 日本京都府京都市東山区
血液型 AB型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 168 cm / kg
スリーサイズ 88 - 63 - 88 cm
カップサイズ E
靴のサイズ 24.5 cm
活動
デビュー 1986年
ジャンル タレント、女優
モデル内容 ヌード水着
他の活動 ダンサー、小説家、歌手、作詞家、作曲家
事務所 オフィス彩
モデル: テンプレート - カテゴリ
2010年1月、チャレンジ25キャンペーンキックオフ・イベントにて内閣総理大臣鳩山由紀夫らと(杉本は前列左から2人目)

京都市東山区出身。本名は、松山 基栄(まつやま もとえ)[1]。事業活動などに際しては、本名を使用している。

身長168cm、B82cm、W58cm、H86cm(1987年5月、18歳時)[3]

人物 編集

生い立ち 編集

東山区祇園出身で、当時は両親と妹と祖母と暮らしていた[2]京都市立有済小学校[4]京都市立弥栄中学校卒業。京都府立北稜高等学校中退。

幼い頃は祇園に今ほど観光客はおらず、新門前通新橋通などを遊び場にして毎日元気に走り回っていた。子供の頃はおばあちゃん子で、夏場は祖母が仕立てた浴衣を着て祇園祭に訪れるのが楽しみだった[2]。母方の祖父母が着物関係の仕事をしていて母はテーラー、父は洋服の生地を扱うサラリーマンだったが、杉本が中学生の時に父が脱サラして、母もテーラーを辞め小料理屋を始める。

しかし、父が知人の借金の保証人になっていて、その知人が借金を返済しないまま失踪してしまう。悪徳金融業者に借りた借金は、法外な利子で雪だるま式に増えていったという。住んでいた家は差し押さえられ、金融業者の執拗な催促が連日続いた。杉本は両親と共に悪徳金融会社に連れて行かれ、一緒に頭を下げさせられたこともあったという。

杉本は高校受験をひかえていたが、進学費用の捻出もままならないほど杉本家の経済状況はひっ迫し、母親はそんな父親に愛想をつかし新しい恋人に走り、家庭は崩壊する。精神的に追い詰められた杉本は15才の時に刃物で手首を切り、自殺を図るが、母親が早く発見したために一命を取り留めた。高校入学直前に祇園から京都市内に引っ越したが、その後両親は離婚した[2]

家庭内がゴタゴタしたことから「早く自立したい」と強く思うようになり、その後16歳の時にスカウトされた[2]。モデルの仕事を始めたことでほどなくして高校を中退し、勉強は通信教育に変えた[2]。モデルとして必死に働き、17歳の頃に自立できるぐらいの収入が得られたことからアパートで一人暮らしを始めた[注釈 1][注釈 2]

モデルキャンペーンガールなどの経験を重ねる中、彼女の大人びた容姿に興味を持ち話しかけてきた芸能事務所スターダストプロモーションのスカウトにより全国区のデビューを持ちかけられ、芸能界入りが決定した[5]。当時、芸能界は憧れて入ったわけではなく、「自分が自立して生きていくための一番の近道だった」と語っている[6]

1987年に東レキャンペーンガールとしてデビュー[3][7]。日本人離れしたプロポーション[3]、大胆なハイレグ水着を着こなし話題を呼んだ[3]。以後、ダンサー、作家など幅広い分野で活躍。現在は、公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長。動物愛護活動家として、日本の動物福祉の向上を目指している。

興味本位でタバコを吸ってみたことがあったが、おいしいと感じることもなかったため吸わなくなった[8][9]。以来、本人曰く「基本的に」タバコ嫌いで会社の芸能部のスタッフには、給料以外に1万円の“禁煙手当て”を出している。外見から喫煙者に見られることが多く、レストラン等では黙っていても灰皿を出されてしまうと語っている[10]。(なお、彼女の出演した「愛の新世界」や「君といつまでも」などのように、演じる役柄によっては、実際にタバコを吸う場合もある。)。しかし、葉巻はたまに酔った勢いで吸うことがあると、「月刊 杉本彩」のメイキングDVDにて発言している。夫は元々は喫煙者であったが、杉本の説得により禁煙した。

経歴 編集

東京でも当初はモデルとしてデビュー。スタイルの良さから水着ボディコンシャスな服を着用するキャンペーンガールなどに起用される。

19歳当時には『オールナイトフジ』で中村あずさのアシスタント役に抜擢。堂々とした立ち居振る舞いや媚びのないセクシーさから、女性からの支持も多く集めた。また、音楽活動にも活躍の場を広げ、特に学祭出演が多かったことから「学祭の女王」の異名も持った。この頃から、「Sha-La-La」や「愛が知りたい」など自分の歌唱曲の作曲も、自身で行うようになる。

当初は京都から東京に通って仕事をしていたが、その後スケジュールの都合で通うのが難しくなったため、20歳の頃に本格的に上京[2]。上京後から世田谷区桜新町で暮らし始めた[2]

1991年(平成3年)、24歳の時に個人事務所株式会社 オフィス彩を設立。

1993年(平成5年)の『ENFIN』を皮切りにヘアヌード写真集を多数発表。官能小説を執筆したり、団鬼六の代表作『花と蛇』の映画化の主役に抜擢されるなど「エロスの伝道師」を標榜し[11]バラエティ番組の出演も増えた。

「運命に逆らう」という意味をもつスキンケアブランド『アンデスティノ』を立ち上げたが、2010年(平成22年)8月31日、経営陣に加えていた妹との経営方針をめぐる対立により株式会社アンデスティノの取締役及びプロデューサーを退任(詳細は後述)。同年9月、新たなブランド「リベラータ」を設立しプロデューサーに就任。

私生活 編集

  • 1992年(平成4年)にミュージシャン音楽プロデューサー沼田年則結婚したと『新伍&紳助のあぶない話』出演中に明かしたが、後日、別のバラエティー番組で“夫とのセックスレス”を告白、2003年(平成15年)7月24日に離婚[12]
  • 2010年(平成22年)に出版した著書「リベラルライフ」の中で、結婚期間中に当時、うつ病を患っていた実母を引き取り同居していたが、精神的に不安定だった実母の夫に対する暴言がたびたびあり、また杉本自身が売れっ子になったことでの夫婦間の感情が悪化したことなどが、離婚の引き金になったことを明かした。
  • 「リベラルライフ」及びそれに関連する各週刊誌やスポーツ新聞でのインタビューにおいて、その後自身が経営していた化粧品会社「アンデスティノ」の役員となっていた実妹夫婦が同じく同社の幹部の杉本の友人[注釈 3]と経営方針を巡り激しく対立したため、母・妹と絶縁し彼女らへの仕送りを中止し「アンデスティノ」の経営権を妹に譲り自身は退社したいきさつや[注釈 4]、実母と離婚していた実父は既に別の女性と再婚し、実父及び実父の再婚相手とは良好な関係を保っていることも合わせて公表した[13]。なお実父は2020年に他界している[14]
  • 上記の実母・妹夫婦との対立は杉本の再婚後に彼らが女性週刊誌のインタビューに応じた事で再燃し、ブログで再度上記の経緯を説明したのち、「アンデスティノ」が既に倒産したこと、倒産の際に妹が破産管財人とトラブルを起こした事、幼少時より可愛がっていた猫を実母が勝手に捨てるなどの精神的虐待を受けていた事を明かした[15]
  • 2011年(平成23年)4月17日に、「オフィス彩」で副社長を務める一般男性と再婚[16]。2月の時点で結婚を決めていたが、東日本大震災を受けて8月31日に発表し、会見を行った。この再婚を機に、東京でのタレント活動・事務所経営を続けながら、生活の拠点を20年振りに京都市内へ移している[17][18]

エピソード 編集

  • 趣味・特技は社交ダンス。『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』がきっかけで始めて、ハマったという。『ウリナリ芸能人社交ダンス部』などの番組企画で社交ダンスを特訓した際には、バラエティ番組の域を超えて心身ともに徹底的に打ち込んだ。ペアの相手は南原清隆で1級獲得している。練習中激しい転倒などもあり肋骨鼻骨を骨折している[19]。担当のプロデューサーは最終目標の大会に出場しなくても、すでにその準備の映像で十分ドキュメンタリーとして成立することを理由に、杉本の辞退、静養をすすめたが、本人は「一緒に努力してきたチームメイトや南原に申し訳が立たない」と激痛に耐えて、痛み止めを打ちながらついに大会の最後まで踊り通した[19]。番組終了後も続けていると徹子の部屋で語っている。
  • 恵昇院檀家で、本能寺菩提寺である。高祖父はドイツから来た医者であり16分の1ドイツの血が流れている[20]
  • 容姿や外見からサディストに見られやすいが、本人はむしろマゾヒストと語っている[21]
  • 芸能人で唯一尊敬し、影響を受けた人はイタリアの歌手ミルバ[21]
  • 60代70代になる頃には、「愛に溢れた女性でありたい」「将来的には社会に貢献できる仕事をしていきたい」と語っている[21]
  • 大切にしている事は「愛すること」「情熱を傾けること」「許す(赦す)こと」の3つである[21]
  • 方向音痴である(2020年9月9日放送、『ホンマでっか⁉︎TV』より)
  • 詳細な番組名は不明だが、ラジオ番組の初のレギュラーが名古屋の放送局で、初主演ドラマ[注釈 5]愛知県内で制作された作品だった[2]。このため本人は、「(女優、タレントとしての)“杉本彩”の始まりの場所は、名古屋」と位置づけている[2]
  • 和洋、ジャンル問わずとにかく踊ることが大好きで、子供時代はバレエを習っていたり、夏場に隣町の盆踊りを踊るのが特に好きだった[注釈 6]
  • 先述の通り長年桜新町で暮らしたことから、本人は「桜新町は、第二の故郷」と評している[2](ただし2022年現在も居住しているかは不明)。桜新町の住民からは水前寺清子やくみつると並んで「桜新町3大有名人」と称されているという。また、桜新町で毎年4月に開かれる「さくらまつり」では、水前寺によるオンステージが定番だが、過去に一度だけ杉本がアルゼンチンタンゴを披露したことがある[注釈 7]

料理 編集

  • バラエティー番組『愛のエプロン』では料理上手という意外な一面をみせた。料理評論家の服部幸應には「塩梅がいい。料理人になってもよかったんじゃないかと思う。プロでも100人中1人いるかいないか」と評される。
  • 恐怖の食卓』では独特な食生活が暴露され、9人の医師から逆パーフェクト(全員から病を宣告される)されたこともあるが、トークショーでは「たしかに肉が好きだけど、本当はちゃんと野菜も食べてる。テレビ番組ってそんなもんなんです」と発言した。本人曰く、「料理をするようになったのは中学生の頃から」であり、番組のためににわかに仕込んだ腕前ではない。
  • 昔は野菜が大嫌いでほぼ毎日、肉を食べていたが、現在は週に一回程度しか食べなくなった。ただし仕事の都合上、付き合いの席等で肉が出てきた時は感謝し全部いただくと語っている[21]
  • を好んでおり、「どんな料理を食べても、白いご飯を最後に食べないと食事を終えた気持ちになれない」と語ったことがある。自宅拝見のテレビ番組の中で、米は最高ランクのものを取り寄せ、可能な限りその米の産地の水を使い、土鍋で炊いている、という拘りぶりを語った。また小さい頃からの大好物は卵かけご飯であるという。

動物愛護 編集

  • 大の好きであり、20歳の時からボランティアで捨て猫の里親探しをしている。「将来は一軒家で、もっと多くの猫達の面倒をみたい。今、手がけているビジネスでも成功したら、私腹を肥やすのではなく、大好きな動物たちに何らかの形で還元したい」と語っている。
  • 動物愛護(保護)活動のきっかけは、24歳の頃にドラマ撮影所の敷地内でウイルス性の風邪にかかった子猫を見つけ、一時保護したこと[注釈 8]。その後も猫を保護する機会があったが、「これは目の前の命を救うだけではだめだ。問題の根源を解決しないと」ということに気づいた。個人で署名運動やビラ配りを始めたが一人の力に限界を感じ、後に福祉協会Evaを立ち上げることとなった[2]
  • 最近では、東日本大震災の影響により飼い主と離れ離れになった7匹の猫の里親となる[22][23][24]
  • 現在も多くの猫を飼っており、名前は、ベティ(大阪の読売TV前で拾った)、マイケル、月子、ダイちゃん(被災地から保護)[25][26]、アストル、ミルバ、小春、ももじろうの里親になる。
  • 過去には、モモタロウ(以前住んでいたマンションの前で拾った)、たま(二子玉川で拾った)、ドン(北海道で拾った)、ベベ(北海道で拾った)、トム、さくら(岡崎市の動物保護センター「Animo(あにも)」より里親になる。さくらは猫エイズ陽性で小脳障害がある)[27]、アントニオ(近所の人が拾ったのを貰った)、花子(被災地から保護)、コタロウ(被災地から保護した花子が出産した猫)という猫も飼っていた。
    猫の他に保護施設で部屋の隅にいた老犬のパピヨンを引き取って飼っており、「小梅」と名付けている[28]。何時も何かに怯え、犬らしい反応を示さない事から『天才!志村どうぶつ園』で動物と話せる女性・ハイジに小梅が何故、怯えているかを聞いてもらった所、前の飼い主から想像を絶する虐待を受けており、そのトラウマから怯えた性格になったと判明した[29][30]
  • 2012年(平成24年)に、大阪の悪質な繁殖場の崩壊から、レスキューされた5歳のフレンチ・ブルドッグ「きなこ」とロングヘアーチワワ「でんじろう」の里親となる。[31][32]
  • 以前飼っていた猫のうち1匹が心臓病急死し、「もっと出来ることがあったのでは」と後悔したため、現在飼っている猫達には留守中にペットシッター自宅に呼ぶなど、彼らの健康生活のためには手間や投資を惜しまない。
  • 以前に家族で訪れた犬猫専門の動物園環境が劣悪だったことにショックを受け、これが動物愛護により一層傾倒するきっかけとなった[33]
  • 1994年(平成6年)にはフジテレビテレビドラマ裸の大将・イルカに乗った」(関西テレビ制作)で舞台となったみさき公園イルカショートレーナー役を演じ、わずか1日でイルカの背中に乗って水上滑走する「サーフィン」を披露し、当公園のスタッフから驚嘆された(本職のトレーナーでも、1日で習得することは極めて難しい芸であるため)。
  • PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)の反毛皮広告モデルに、無償で出演した。上記にある動物保護に対する情熱をPETAは高く評価、同団体で日本人初のヌードモデルとなった[34][35]
    杉本は「ノーファーや動物愛護は強要するものではなく、本人がどう思うか、どう感じるか、そしてどう動くかだ。」と語っており、毛皮の製造過程を知った2006年(平成18年)から毛皮を着用しなくなり、自身がデザインを手がけるファッションブランドも全てフェイクファーを用いている。
  • 杉本彩が取締役及びプロデューサーを務めている化粧品ブランド「リベラータ」では上記の理由で原料の段階から動物実験は行っていない[36]。またブラシ人工を使用している。
  • 2014年2月に一般財団法人 動物環境・福祉協会「Eva(エヴァ)」を設立[37]
  • 2015年2月26日に公益財団法人 動物環境・福祉協会Evaとして認定される。

出演 編集

映画 編集

Vシネマ 編集

テレビドラマ 編集

NHK 編集

日本テレビ 編集

テレビ朝日 編集

TBS 編集

テレビ東京 編集

フジテレビ 編集

バラエティー・情報番組 編集

ウェブテレビ 編集

ラジオ 編集

CM 編集

PV 編集

イメージビデオ 編集

  • 彩(1988年、クラウンレコード)VHS
  • MERMAID(1988年6月8日、大陸書房)VHS
  • MOON CAT〜危険なささやき〜(1988年9月9日、ケイブンシャ)VHS
  • AYA in The RESORT(1988年12月1日、大陸書房)VHS
  • COOL PLAY(1990年4月21日、JVD)VHS
  • セクシーダイナマイト(1991年4月、パワースポーツ)VHS、LD、DVD
  • Sexy Spy(2006、奥村遊機)DVD *パチンコメーカーの販売促進用非売品

DVD 編集

ゲーム 編集

吹き替え 編集

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

発売日 タイトル 規格品番 発売元
1st 1988年4月21日 Boys CWP-92 クラウンレコード
2nd 1988年12月5日 13日のルナ CWP-98
3rd 1989年4月12日 日曜はだめよ CWP-104
4th 1990年1月21日 B&S ZLS-31
5th 1990年6月5日 うさぎ CRDP-2 日本クラウン
6th 1990年11月5日 ゴージャス CRDP-7
7th 1991年10月21日 輝いてて… BVDR-68 BMGビクター
8th 1992年5月21日 愛が知りたい BVDR-103
9th 1993年1月8日 Le SOIR 〜永遠の別れ〜 BVDR-157

コラボレーション・シングル 編集

発売日 タイトル 規格品番 名義 発売元
1st 1991年9月25日 ナイスチョット PIDL-1032 夜も一生けんめい'S(逸見政孝・杉本彩) パイオニアLDC
2nd 2006年11月22日 逆にそれって愛かもね BVDR-19699 純一&彩 BMGジャパン

アルバム 編集

オリジナルアルバム 編集

発売日 タイトル 規格品番 発売元
1st 1988年07月21日 ZA-501 クラウンレコード
2nd 1988年12月16日 水の中の小さな太陽 ZL-120
3rd 1989年6月21日 灼熱伝説 SHD-1
4th 1990年1月21日 BODY&SOUL CRCP-173
5th 1990年11月21日 Japanese Dream CRCP-20009 日本クラウン
6th 1991年11月6日 私生活 BVCR-63 BMGビクター
7th 1995年7月1日 Femme Fatale COCA-12700 日本コロムビア
8th 2005年4月27日 decadence 杉本彩ヨーロピアン・セレクション VIZP30 ビクターエンタテインメント

ベストアルバム 編集

発売日 タイトル 規格品番 発売元
1st 1991年9月6日 all of me CRCP-20023 日本クラウン
2nd 2004年9月17日 ゴールデン☆ベスト CRCP-20359

音楽映像ソフト 編集

  • BODY&SOUL(a・Live)live at okuma beach-okinawa(1990年4月21日、VHS:大陸書房、LD:日本クラウン)VHS、LD/ライブビデオ
  • JAPANESE DREAM(1991年1月21日、VHS:大陸書房、LD:日本クラウン)VHS、LD/スタジオ・ライブビデオ
  • all of me(1991年9月6日、VHS:大陸書房、LD:日本クラウン)VHS、LD/ベスト・ビデオクリップ&未発表イメージ集
  • 私生活 le Parfume d'AYA(1991年12月4日、BMGビクター)VHS、LD/ミュージックビデオ
  • 第3次反抗期(1993年1月21日、BMGジャパン)VHS、LD/ライブビデオ
  • Voyage(1995年7月1日、日本コロムビア)VHS/ミュージックビデオ

書籍 編集

写真集 編集

  • 海風にGood-Bye(1987年9月)
  • フレッシュスコラ 10(1988年3月)
  • BEAUTIFUL ENERGY 彩(1988年8月)
  • EASY BLUE(1988年9月)
  • Seductive(1989年5月)
  • SEED(1989年12月)
  • ENFIN(1993年4月)
  • ポルノ(2001年2月)
  • Tango Ecstasy(2002年8月24日)
  • 月刊 杉本彩(2003年11月10日)
  • 映画「花と蛇」生写真集(2004年2月)
  • 裸の貴婦人 Femme sensuelle(2004年11月30日)
  • 杉本彩DVD付写真集「妖舞裸身」(2006年3月)

著作 編集

  • AYA もうひとりの私(1998年11月)
  • オーガズム・ライフ(2004年3月)
  • 杉本的、美人図鑑。(2007年2月)
  • 杉本彩の男を虜にする料理(2008年4月)
  • リベラルライフ(2010年10月)
  • ペットと向き合う(2015年)
  • それでも命を買いますか? ~ペットビジネスの闇を支えるのは誰だ~(2016年)

小説 編集

  • インモラル(新潮文庫)
  • 京をんな(新潮文庫)
  • 官能小説家R(徳間文庫)
  • いい男の愛し方
  • 官能小説集『エロティックス』

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 本人は、「この一人暮らしの生活が私のスタート地点」と位置づけている[2]
  2. ^ 上記とは別に「杉本は『母親と母親の恋人が用意してくれた家に住むのは息苦しい』という理由から、生活費を稼ぐために16才の時に家出。高校は一年で中退し、京都でモデルを始めた」とも言われている。
  3. ^ アンデスティノの経営が悪化したため、経営再建のため杉本が招きいれていた人物だった。
  4. ^ 妹との対立が深刻化してきた頃、成功しているとある会社経営者の「親族を経営陣に入れるべきではない」との発言を知ったことも退任の決断の一因であったと同書にて明かしている。
  5. ^ 本人によると本作は渡辺裕之とのダブル主演で、不倫を題材にしたコメディものとのこと。後年の雑誌インタビューで、渡辺裕之について「とても優しくて真面目な方でした。渡辺さんからはこの共演を通じ、多くのことを勉強させていただきました」と回想している
  6. ^ 本人は、「ジャンルは違っても、私の中で“踊りのマインド”は同じなんです。踊ることで心が、魂が喜ぶのです。それを子供の頃からずっと感じています。ただ、成長と共に一番好きな踊りは盆踊りが10代でディスコになり、芸能界デビュー後に社交ダンスへと変わっていきました」とのこと[2]
  7. ^ 数年前に水前寺のスケジュールがどうしても合わず、地元住民から「彩さんにステージをお願いしたい」と直々に指名を受け、出演することになった。本人は後に「地元住民の皆さんから“桜新町仲間”として思ってくださっていたことは嬉しかった」と語っている。ちなみにこのステージを見たやくからは、「桜新町に初めてラテン文化が来た」と感想を述べられたという[2]
  8. ^ この子猫は生まれて間もない野良猫で、可哀想に思って撮影の合間にキャリーケースを買って保護した。病院で猫を診てもらい、数日間自宅で世話をして回復後に里親探しをして無事譲渡した[2]

出典 編集

  1. ^ a b c オフィス彩オフィシャルサイト. “Company Profile”. 2007年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 週刊現代2022年12月24日号「私の地図」第540回・杉本彩p82-84
  3. ^ a b c d 「CM考現学 杉本彩 目に"フレッシュギャル"」『週刊読売』1987年5月10・17日号、読売新聞社、37頁。 
  4. ^ 『さんま&くりぃむの第3回芸能界 マル秘 個人情報グランプリ』2009年7月3日放送
  5. ^ 2009年12月29日放送回『魔女たちの22時』のコーナー「今週の魔法の扉」より
  6. ^ オフィシャルブログ「杉本彩の Beauty ブログ」 (2009年9月24日). “18歳の頃の私”. 2009年10月1日閲覧。
  7. ^ 1987年 杉本彩 過去のキャンペーンガール一覧 - 東レ
  8. ^ https://aya-sugimoto.at.webry.info/200608/article_3.html
  9. ^ https://twishort.com/Lencc
  10. ^ 週刊ポスト 2005年5月20日号 p.200~203
  11. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 熟裸身を堪能する映画ベスト10
  12. ^ ZAKZAK (2003年7月28日). “杉本彩「自由と快楽が人生で大事」”. 2010年6月13日閲覧。
  13. ^ 婦人公論 2011年11月7日号 p.40~43
  14. ^ 杉本彩、離婚・母妹との関係崩壊も駆け抜けた芸能人生「並々ならぬ根性」で生きてきた yahoo!ニュース 週刊女性PRIME
  15. ^ 私の結婚を喜ばない家族たち - オフィシャルブログ「杉本彩の Beauty ブログ」2011年9月6日
  16. ^ “杉本彩、ビジネスパートナーの男性と4月に再婚していた”. ORICON NEWS (オリコン). (2011年8月31日). https://www.oricon.co.jp/news/2001306/full/ 2017年11月2日閲覧。 
  17. ^ オリコン (2012年1月29日). “杉本彩が結婚会見”. 2017年11月4日閲覧。
  18. ^ 文化放送 (2015年10月3日). “なかじましんや土曜の穴「ゲスト杉本彩さん」”. 2017年11月4日閲覧。
  19. ^ a b 婦人公論 2007年4月7日 p.66~69
  20. ^ 週刊文春 2010年5月27日号 p.98~101「新・家の履歴書」
  21. ^ a b c d e 著作「快楽至上主義」第二章 Daily Life
  22. ^ 宮城県へ被災ペットたちを訪ねて5 - 「杉本彩の Beauty ブログ」2011年6月23日
  23. ^ 宮城県へ被災ペットたちを訪ねて6 - 「杉本彩の Beauty ブログ」2011年6月25日
  24. ^ 毎日新聞 2011年7月3日 東京朝刊 (2011年7月3日). “希望新聞:東日本大震災 杉本彩さん、7匹の猫の里親に”. 2011年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月29日閲覧。
  25. ^ 犬と猫と私たち・・・ - 「杉本彩の Beauty ブログ」2011年11月15日
  26. ^ ダイちゃんの幸せ!- 「杉本彩の Beauty ブログ」2012年02月23日
  27. ^ 新しい仲間が!- 「杉本彩の Beauty ブログ」2011年04月14日
  28. ^ 新しい家族! - 「杉本彩の Beauty ブログ」2010年10月09日
  29. ^ 小梅の心の声- 「杉本彩の Beauty ブログ」2011年2月18日
  30. ^ 小梅のその後・・・ - 「杉本彩の Beauty ブログ」2011年2月24日
  31. ^ 新しい家族!きなこ - 「杉本彩の Beauty ブログ」2012年7月20日
  32. ^ 息子がきました~ - 「杉本彩の Beauty ブログ」2012年9月23日
  33. ^ 緑書房刊『猫生活』2010年1月号インタビューより
  34. ^ asahi.com (2008年9月18日). “杉本彩ほぼ全裸モデル「大いに注目して」”. 2009年2月9日閲覧。
  35. ^ AFPBB News (2008年9月17日). “杉本彩「毛皮?裸でいいわ」、 動物愛護でヌードに”. 2009年2月9日閲覧。
  36. ^ 杉本彩オフィシャルブログ「liberata」 (2011年2月19日). “リベラータは、動物実験は致しません。”. 2011年7月29日閲覧。
  37. ^ 杉本彩オフィシャルブログ (2014年3月26日). “【一般財団法人動物環境・福祉協会Evaを設立致しました!”. 2014年3月26日閲覧。
  38. ^ 【無料】極楽とんぼKAKERUTV-♯29エロいい女と体験エロ話対決!フリースタイルY談 - Abemaビデオ”. AbemaTV(アベマTV) (2017年11月30日). 2017年12月9日閲覧。
  39. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第144号、マドラ出版、1991年11月1日、103頁、NDLJP:1853110/53 
  40. ^ 沖縄県のみ沖縄セルラー電話名義。

関連項目 編集

外部リンク 編集