ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はエストレーリャ、第二姓(母方の姓)はブルゴスです。(Template:スペイン語圏の姓名) |
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ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス(Victor Estrella Burgos , 1980年8月2日 - )は、ドミニカ共和国・サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス出身の元男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス43位、ダブルス135位。身長173cm。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
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![]() ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス | |||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||
国籍 |
![]() | ||||||||||||
出身地 | 同・サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス | ||||||||||||
居住地 | 同・サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス | ||||||||||||
生年月日 | 1980年8月2日(40歳) | ||||||||||||
身長 | 173cm | ||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||
利き手 | 右 | ||||||||||||
バックハンド | 片手打ち | ||||||||||||
ツアー経歴 | |||||||||||||
デビュー年 | 2002年 | ||||||||||||
引退年 | 2019年 | ||||||||||||
ツアー通算 | 3勝 | ||||||||||||
シングルス | 3勝 | ||||||||||||
ダブルス | 0勝 | ||||||||||||
シングルス | 84勝81敗 | ||||||||||||
ダブルス | 37勝46敗 | ||||||||||||
生涯獲得賞金 | 2,163,776 アメリカ合衆国ドル | ||||||||||||
4大大会最高成績・シングルス | |||||||||||||
全豪 | 2回戦(2017) | ||||||||||||
全仏 | 2回戦(2016・17) | ||||||||||||
全英 | 2回戦(2015) | ||||||||||||
全米 | 3回戦(2014) | ||||||||||||
優勝回数 | 3 | ||||||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | |||||||||||||
全豪 | 1回戦(2016、2018) | ||||||||||||
全仏 | 1回戦(2015・17) | ||||||||||||
全英 | 1回戦(2015) | ||||||||||||
全米 | 3回戦(2016) | ||||||||||||
キャリア自己最高ランキング | |||||||||||||
シングルス | 43位(2015年7月13日) | ||||||||||||
ダブルス | 135位(2015年7月13日) | ||||||||||||
獲得メダル | |||||||||||||
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2019年11月17日現在 |
日本語では、"Victor"には「ビクトル」「ビクター」など、"Estrella Burgos"は「エストレーリャ・ブルゴス」「エストレージャ・ブルゴス」「エステラ・ブルゴス」「エストレラ・ブルゴス」などの表記が存在する。
ドミニカ共和国初のATPツアー優勝者であり、シングルスで3勝をあげたが、そのすべてがエクアドル・オープンでのものである。
エクアドル・オープンでは初開催の2015年から3連覇を成し遂げ、16連勝を達成した。
来歴編集
2002年にプロ転向。経済的に行き詰まり一度は引退するも2006年に現役復帰。その後も2012年に右肘の故障で離脱するなど苦しみながらも、地道にランキングを上げ2014年3月に33歳でトップ100入りし、2014年全仏オープンで4大大会初出場を果たす。大会史上最年長デビューとなった2014年全米オープンではグランドスラム初勝利を果たすと、2回戦で17歳年下のボルナ・チョリッチに勝利、3回戦で第5シードのミロシュ・ラオニッチに敗れたものの、3セットともタイブレークに持ち込む善戦を見せた。
2015年エクアドル・オープンでATPツアー初の決勝進出。決勝でフェリシアーノ・ロペスに6–2, 6–7(5), 7–6(5)で勝利し、ツアー初優勝を果たす。34歳6ヶ月でのATPツアー優勝は、ATPがオープン化以降初優勝としては当時の最年長の記録となった[1] (現在の最年長初優勝記録はパオロ・ロレンツィの34歳7ヶ月)。この優勝で48位になり、トップ50入りした。
前回優勝者として迎えた2016年のエクアドル・オープンは2年連続で決勝に進出。決勝でトマス・ベルッチに4–6, 7–6(5), 6–4で勝利し、大会2連覇を果たした。
2017年もエクアドル・オープンの決勝に進出し、決勝でパオロ・ロレンツィに6–7(2), 7–5, 7–6(6)で勝利し、3連覇を果たした。
2018年のエクアドル・オープン2回戦でついに敗れ、世界ランキングもトップ100圏外となってしまった。その後も結果を残せず、年間最終ランキングでは278位まで落ちた。
2019年はチャレンジャーツアーのみ出場したが早期敗退に終わり、10月に故郷・ドミニカ共和国で開催されたサントドミンゴ・オープンで引退。最後の試合となった2回戦で敗れると涙を流し、試合後にはセレモニーが開かれた[2]。
ATPツアー決勝進出結果編集
シングルス: 3回 (3勝0敗)編集
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2015年2月8日 | キト | クレー | フェリシアーノ・ロペス | 6–2, 6–7(5), 7–6(5) |
優勝 | 2. | 2016年2月7日 | キト | クレー | トマス・ベルッチ | 4–6, 7–6(5), 6–4 |
優勝 | 3. | 2017年2月12日 | キト | クレー | パオロ・ロレンツィ | 6–7(2), 7–5, 7–6(6) |
ダブルス: 2回 (0勝2敗)編集
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2015年2月7日 | キト | クレー | ジョアン・ソウザ | ゲロ・クレッチマー アレクサンダー・サチュコ |
5–7, 6–7(3) |
準優勝 | 2. | 2016年4月9日 | ヒューストン | クレー | サンティアゴ・ゴンサレス | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
4–6, 6–3, [10–8] |
4大大会シングルス成績編集
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | P | WG | Z# | PO | G | S | SF-B | NMS | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, P=開催延期
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, SF-B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
大会 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | A | A | A | A | A | A | 1R | 1R | 2R | 1R | A | 1–4 |
全仏オープン | A | LQ | A | LQ | LQ | A | 1R | 1R | 2R | 2R | LQ | A | 2–4 |
ウィンブルドン | A | LQ | A | LQ | A | LQ | 1R | 2R | 1R | 1R | A | A | 1–4 |
全米オープン | LQ | LQ | A | LQ | LQ | LQ | 3R | 1R | 1R | A | LQ | A | 2–3 |
脚注編集
- ^ “テニス=34歳ドミニカ選手、最年長のATPツアー初優勝”. Reuters. (2015年2月10日)
- ^ “Emotional Estrella Burgos Bids Farewell At Home In Santo Domingo”. ATP Tour. 2019年11月16日閲覧。
外部リンク編集
- ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス - ATPツアーのプロフィール (英語)
- ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス - デビスカップのプロフィール (英語)
- ビクトル・エストレーリャ・ブルゴス - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)