フランス第二帝政

フランス帝国
Empire Français
フランス第二共和政 1852年 - 1870年 フランス第三共和政
フランスの国旗 フランスの国章
国旗国章
国の標語: Liberté, Égalité, Fraternité
(フランス語: 自由、平等、友愛
国歌: Partant pour la Syrie
フランスの位置
フランス帝国とその植民地
公用語 フランス語
首都 パリ
皇帝
1852年 - 1870年 ナポレオン3世
首相
1852年 - 1869年空位
1869年 - 1870年エミール・オリヴィエ
1870年 - 1870年シャルル・クーザン=モントバンフランス語版英語版
変遷
クーデター 1851年12月2日
ナポレオン3世失脚1870年9月4日
通貨フランス・フラン

フランス第二帝政(フランスだいにていせい、フランス語: Second Empire Français)は、1852年から1870年まで存在した君主政体。ナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)が1851年12月2日クーデターフランス語版英語版によって議会を解散し、新たな憲法を制定した上で国民投票によってフランス皇帝に即位した。

フランスの歴史
フランス国章
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年表

フランス ポータル
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第二共和政期において、とりわけ六月蜂起後に保守・反動化した議会は、幅広い民衆の支持を得ることに失敗していた。こうして反議会に傾いた民衆をルイ=ナポレオン大統領は取り込むことに成功した。クーデターによる議会打倒を経て成立した第二帝政(第二帝国)は、権威主義的・反議会主義的な統治体制である一方、国民投票によって指導者を選出し、幅広い民衆に支持基盤をおいた点で、人民主権的、民主主義的な性格も有していた。

歴史編集

1848年二月革命の後、11月4日の大統領選挙で、ルイ=ナポレオンがナポレオン1世の甥という出自を生かし、労働者や農民の幅広い支持を得て当選した。1852年、国民投票でルイ=ナポレオンの皇帝即位が可決される。同年12月2日、皇帝ナポレオン3世が即位し、第二帝政の始まりとなった。

ナポレオン3世はメキシコ出兵失敗の名誉挽回のため、1870年プロイセンに宣戦したが(普仏戦争)、セダンの戦いで惨敗し[1]、自らがプロイセン軍に捕えられ退位へと追い込まれた。こうして第二帝政の時代は終わった。皇帝不在となったフランスでは第三共和政が誕生する一方、パリでは一時、史上初の労働者による政権パリ・コミューンが樹立された。

政治編集

 
ナポレオン3世

内政編集

第二帝政(第二帝国)は、「権威帝政」期と「自由帝政」期の二つの時期に大別できる。1852年から1860年頃までは権威帝政と呼ばれ、ナポレオン3世のもとで言論・出版の自由などが規制され、権威主義的手法による統治が行われた。こうした状況下でもナポレオン3世が高い支持を得た背景には、第二共和政の混乱を経て強力な指導者の下で政治的安定を求める世論が強かったこと、あいつぐ鉄道敷設・パリ市街改造などが経済発展と雇用創出に貢献したこと、あいつぐ外征の成功によりナポレオン個人の威光が高められたことなどが挙げられる。

しかし1860年代に入ると、イギリスと結んだ自由貿易協定のためイギリスの工業製品が流入し、国内の資本家からの反発を招いた。メキシコ出兵も失敗に終わり、外征を通じた威光高揚にも陰りが見えるようになった。こうした中、権威主義的手法を維持することが困難となり、世論の支持をとりつけるためにも報道の自由を拡大したり、議会への大幅な譲歩をみせるなど、自由主義的な政策へと転換をみせた(「自由帝政期」)。

都市計画編集

フランス革命以降、政府に不満を持つパリ市民の蜂起は政権を揺るがしかねない事態であった。当時のパリは網の目のような路地が多く、市民はバリケードを築いて軍隊の速やかな移動を封じた。その結果、鎮圧のための戦闘が長引くこととなる。これに苦慮したナポレオン3世は、万が一の市民蜂起に備え、セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンにパリの大整備を命じ、街路を広くし、見通しをよくする大幅な都市改造を行わせた。パリの改造計画は軍事面からの意味も持つとされる。現在のパリはこのときにほぼ出来上がった(詳細は「パリ改造」を参照)。

外政編集

ナポレオン3世は1853年に勃発していたクリミア戦争に翌年より介入し、かつてモスクワ遠征でナポレオン1世を返り討ちにしたロシアに対して勝利を収めた。1856年にはパリで講和会議を開催するなど中心的な役割を果たし、帝国内外に彼の威光を知らしめた。かつてのナポレオンがそうであったようにヨーロッパにおけるナショナリズムの擁護者であろうとし、1859年イタリア統一戦争にもサルデーニャ王国を支援して参戦した(ただし、途中でサルデーニャの意向に反しオーストリアと単独講和を行う)。しかし、その理念はヨーロッパ外で適用されるものではなく、インドシナアフリカにおける植民地の拡張に尽力し、アメリカ大陸においてもメキシコ出兵を行った。こうしたあいつぐ外征は、ナポレオン3世の威光を維持する上で必要不可欠であった。しかし、当然ながら外征の失敗は彼の威信をおとしめることにもつながった。また、日本戊辰戦争においては、徳川幕府側を支援した。

日本とフランスの関係編集

第二帝政下、駐日フランス大使ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクール(Gustave Duchesne de Bellecourt, 1859-1864年)によって、1858年10月9日に日仏修好通商条約が締結され、両国の関係が正式に結ばれた。この条約は5つの港(江戸、神戸、長崎、新潟、横浜)の開港とフランスとの貿易取引を定めたものである。1860年2月4日には大使は批准された日仏条約を将軍徳川家茂に手渡している[2]

ナポレオン3世は後に、日本に関するすべての特権をデュシェーヌ・ド・ベルクール(Duchesne de Bellecourt)の後任のレオン・ロッシュ(Léon Roches)に託していた。この頃はまた、幕府が内外の圧力にさらされており、一方では、天皇に向かって徐々に勢力を再結集しつつある尊王攘夷派が、幕府から天皇へと権力の引き渡しを主張し、また一方では、外国の大国が通商貿易の開放を強要していた。そしてフランス帝国以外の国々は尊皇派を支持していた。 こうした背景の下、将軍の信任を勝ち取ったレオン・ロッシュが何世紀にもわたって閉鎖的な文化が受け継がれてきた日本での特権的な地位を手にする事に成功した。ロッシュはフランス帝国の意向に従い、日仏両国の歴史と発展の重要な時期に互いの発展に貢献することになる外交、文化、通商、産業、軍事の関係を確立に努めた。

1865年、フランスと日本を結ぶ直行航路がCompagnie des Messageries Impérialesによって開設された。

1850年代になると、カイコの微粒子病によってフランスの養蚕業は激変し、当時最盛期を迎えていたリヨンの絹産業に大きな痛手を与えた。その事を知った徳川家茂はナポレオン3世に絹の繭を贈った。1865年以降、横浜とリヨンの間で蚕や繭の貿易が発展していきます(日本総領事ルイ・ミシャレ(Louis Michallet)がリヨン・ジャパン・クラブの支援を受けて横浜とリヨンの姉妹都市提携を開始したのもこの時代の流れを反映している出来事である)。5年後にはリヨンは絹貿易では世界一となった[3]。1872年、膨大な外需に対応するため、富岡に最初の絹製糸工場が建設され、フランスが主役となって輸出が行われた。

続いて、将軍はフランスに最初の日本の海軍造船所の建設を委託した。ナポレオン帝国のフランスは、ノウハウと技術を提供する技術者を派遣した。1865年から1876年にかけ、フランソワ・レオンス・ヴェルニー(François Léonce Verny )が横須賀造船所の建設に着手した[4]

将軍徳川家茂はさらに1866年、外部の政策や侵略によって煽られた倒幕派の台頭に対抗するため、フランス軍の派遣を要請して幕府が率いる陸軍の近代化と強化を目論んだ。ナポレオン3世はそれに応じ、日本への武器の販売と砲兵中尉ジュール・ブリュネ(Jules Brunet)らの軍事顧問団到着によってこの依頼が公のものとなった。ブリュネは後に公刊史上「最後の侍」と呼ばれている。こうしてシャルル・シャノワーヌ(Jules Chanoine)大尉の命を受けて幕府陸軍を結成し、フランスをモデルにした軍隊を結成することとなった。

1868年、ナポレオン3世は、幕府の崩壊後は大使のレオン・ロッシュをフランスに呼び戻した。尊皇派を支持したイギリスの大使が日本に残ったのとは対象的である。今日でも日本はこの時代、そして宮本武蔵武道館を通じたナポレオン3世のフランス帝国と徳川幕府の緊密な結びつきに敬意を表しています。武道館の屋根はナポレオン三世の先代がかぶっていた二角帽子を思い起こさせます。

執政者編集

  1. ナポレオン3世(シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト、1852年12月2日 - 1870年9月4日
  2. ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(皇太子のまま執政。別名ナポレオン4世:1870年9月2日 - 1870年9月4日

脚注編集

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参考文献編集

関連書籍編集

  • 『フランス・ブルジョア社会の成立 第二帝政期の研究』 河野健二編、岩波書店京都大学人文科学研究所報告〉、1977年11月。ISBN 978-4-00-001970-5全国書誌番号:78001738
  • 浅井香織 『音楽の「現代」が始まったとき 第二帝政下の音楽家たち』 中央公論社中公新書 938〉、1989年9月。ISBN 978-4-12-100938-8
  • 松井道昭 『フランス第二帝政下のパリ都市改造』 日本経済評論社、1997年3月。ISBN 978-4-8188-0916-1
  • 木下賢一 『第二帝政とパリ民衆の世界 「進歩」と「伝統」のはざまで』 山川出版社〈歴史のフロンティア〉、2000年11月。ISBN 978-4-634-48180-0
  • 鹿島茂 『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』講談社〈講談社学術文庫 2017〉、2010年10月。ISBN 978-4-06-292017-9

関連項目編集

同様に、大統領大総統)が皇帝に即位した例