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プロ野球記念本塁打一覧

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プロ野球記念本塁打一覧(プロやきゅうきねんほんるいだいちらん)

以下は日本のプロ野球通算本塁打数が節目となる本数目の本塁打を達成した選手の一覧である。チーム名(達成者所属先、対戦相手)は達成した当時のものである。

号数 達成選手 所属球団 達成年月日 対戦相手 球場 出典
1 藤井勇 大阪タイガース 1936年5月4日 東京セネタース 甲子園 [1]
第1号 岩本義行 松竹ロビンス 1950年3月11日 大洋ホエールズ 下関
第1号 戸倉勝城 毎日オリオンズ 1950年3月11日 西鉄クリッパース 西宮
5000 パ・千頭久米夫 西鉄ライオンズ 1951年9月23日 阪急ブレーブス 後楽園 [2]
10000 パ・渡辺清 阪急ブレーブス 1957年7月19日 近鉄パールス 大阪
15000 セ・河野旭輝 中日ドラゴンズ 1962年8月16日 読売ジャイアンツ 後楽園
20000 パ・井石礼司 東京オリオンズ 1966年7月6日 近鉄バファローズ 東京
25000 セ・高木守道 中日ドラゴンズ 1969年10月11日 広島東洋カープ 中日
30000 パ・基満男 太平洋クラブライオンズ 1973年5月20日 近鉄バファローズ 平和台
35000 セ・池辺巌 阪神タイガース 1976年7月23日 中日ドラゴンズ ナゴヤ
40000 パ・バーニー・ウイリアムス 阪急ブレーブス 1979年6月28日 ロッテオリオンズ 西宮
45000 セ・山本浩二 広島東洋カープ 1982年5月15日 横浜大洋ホエールズ 広島市民  [1]
50000 パ・仲根正広 近鉄バファローズ 1985年4月23日 南海ホークス 藤井寺 [2]
55000 セ・駒田徳広 読売ジャイアンツ 1987年9月7日 横浜大洋ホエールズ 横浜 [1]
60000 パ・広永益隆 福岡ダイエーホークス 1990年9月26日 オリックス・ブレーブス 西宮 [1]
65000 セ・谷繁元信 横浜ベイスターズ 1994年6月19日 阪神タイガース 甲子園 [2]
70000 セ・駒田徳広 横浜ベイスターズ 1997年9月9日 読売ジャイアンツ 東京ドーム [1]
75000 パ・フランク・ボーリック 千葉ロッテマリーンズ 2001年4月20日 大阪近鉄バファローズ 千葉マリン [2]
80000 セ・ロベルト・ペタジーニ 読売ジャイアンツ 2003年9月14日 ヤクルトスワローズ 東京ドーム
85000 パ・ホセ・フェルナンデス 東北楽天ゴールデンイーグルス 2006年8月11日 西武ライオンズ インボイス
90000 パ・ディー・ブラウン 埼玉西武ライオンズ 2010年4月4日 北海道日本ハムファイターズ 札幌ドーム
95000 パ・松田宣浩 福岡ソフトバンクホークス 2014年5月13日 千葉ロッテマリーンズ QVCマリン [3]
100000 パ・クリス・マレーロ オリックス・バファローズ 2017年9月29日 千葉ロッテマリーンズ ZOZOマリン [4]

エピソード編集

  • 日本のプロ野球第1号の藤井はランニング本塁打であるが、オーバーフェンスによる本塁打の第1号は1936年5月22日に開かれた宝塚球場での阪急軍大東京軍の試合においての阪急軍・山下実の本塁打である。
  • またセ・パそれぞれのリーグ第1号本塁打を打った岩本と戸倉は同年にナイターが設けられた後楽園球場でのナイトゲーム本塁打の両リーグそれぞれの第1号も打っているという。
  • 当初1万 - 35000号の記念本塁打についてはそれぞれ別の選手が打っていたことになっていたが、1939年の大阪タイガースの年間チーム総本塁打がそれまで公称された33本ではなく、32本だったことが1976年になってわかり、表にある各選手がそれぞれの記念本塁打を打ったことに訂正された。
  • 広永は通算34本にもかかわらず、上記の60000号の他、パ・リーグ通算30000号、福岡ダイエーホークスへの球団名改称後の公式戦第1号(=開幕戦プロ初打席初本塁打、平成のパ・リーグ第1号でもある)、平和台球場公式戦最終本塁打、史上2人目の両リーグ代打サヨナラ本塁打(=パ・リーグ史上初の代打サヨナラ本塁打、千葉ロッテのプロ野球連敗記録を決定させるサヨナラ本塁打)と、記念本塁打を数多く打っている。

脚注編集