セントラル・リーグ

日本のプロ野球リーグ

セントラル・リーグ: Central League)は、日本プロ野球リーグのひとつ。呼称はセ・リーグ、または

セントラル・リーグ
競技野球
開始年1950年
参加チーム6
日本の旗 日本
前回優勝東京ヤクルトスワローズ(6年ぶり8回目)
最多優勝読売ジャイアンツ(38回)
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
セ・リーグに加盟する各球団本拠地所在地(1978年~)

概要編集

日本におけるプロ野球リーグの一つで、読売ジャイアンツ阪神タイガース中日ドラゴンズ横浜DeNAベイスターズ広島東洋カープ東京ヤクルトスワローズの6球団から構成されている。

読売ジャイアンツ阪神タイガース中日ドラゴンズの3球団は、戦前に誕生し現在に至るまで親会社が変わらずに存在する老舗球団である。

パシフィック・リーグとは異なり、指名打者制(DH制)を採用しておらず、投手を含めた9人のスタメンで構成されているのがセ・リーグの大きな特徴である。

2019年(令和元年)11月11日にJERAとタイトルパートナー(冠スポンサー)契約を締結。契約期間は2020年(令和2年)から3年間。2020年シーズンより、リーグ戦では「JERA セントラル・リーグ」の名称が使用される[1]

沿革編集

誕生編集

1949年昭和24年)、新チーム加盟の是非をめぐり日本野球連盟が分裂し、加盟反対派の読売ジャイアンツ(巨人)、中日ドラゴンズ松竹ロビンスを中心に、大阪タイガース[注 1]、新球団の大洋ホエールズ広島カープ西日本パイレーツを加えた計7球団でセントラル野球連盟(セントラルやきゅうれんめい)が発足。なお、発足当時は小田急電鉄が球団を所有してセ・リーグに加盟して8球団体制とする計画があった[2] が、これは計画倒れに終わり実現しなかった。

袂を分かった賛成派の4球団(阪急ブレーブス南海ホークス大映スターズ東急フライヤーズ)は、3つの新チーム(毎日オリオンズ近鉄パールス西鉄クリッパース)と共に太平洋野球連盟ことパシフィック・リーグ(パ・リーグ)を結成した。

1950年(昭和25年)1月には球団所有が中止・消滅に終わった小田急電鉄と入れ替わる形で国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)も加盟し、当初の計画から違う形となったが、運営初年度から8球団体制となった。なお、初年度である1950年松竹ロビンスがセ・リーグ初代優勝チームとなったが、その年の日本シリーズでは親会社のバックアップで戦力を充実させた毎日オリオンズに敗退した。

1950年代編集

その後1951年から1959年にかけて、水原茂監督率いる読売ジャイアンツの第2次黄金期だった。日本シリーズでも1951年から1953年1955年において、鶴岡一人監督率いる南海ホークスを圧倒し、4度の日本一を決める。しかし、1956年から1958年ではかつて巨人を指揮した三原脩監督率いる西鉄ライオンズに3年連続で敗退。さらに1959年でも杉浦忠擁する南海ホークスに0勝4敗と敗退した。なお、日本シリーズでストレートでの4連勝を決めたのは南海が史上初だった。

1951年1月10日に開催が予定されたセ・リーグ代表者会議を前に、経営危機に直面していた広島と西日本を整理する構想が浮上したが、当日の会議では問題を先送りされた[3] が、結局シーズン開始直前、西日本パイレーツがパ・リーグの西鉄クリッパース(現:埼玉西武ライオンズ)と合併し脱退。1952年シーズン終了後には大洋ホエールズと松竹ロビンスが合併して「大洋松竹ロビンス」を結成し、6球団になる[要出典]

以降、親会社及びチーム名の変更こそあるものの、チーム数そのものの増減は無い。大洋松竹ロビンスが1953年(昭和28年)に下関から大阪へ、さらに1955年(昭和30年)大洋ホエールズに改称して神奈川県川崎市川崎球場へ移転して以降は、各球団の保護地域の変更も無い。同球団は、1978年に横浜市横浜スタジアムへの移転とともに横浜大洋ホエールズに改称しており[注 2]、それ以降、本拠地(球場)所在地の変更も無い。

1954年中日ドラゴンズが球団初のリーグ優勝、その年の日本シリーズでも球団初のパ・リーグ優勝を決めた西鉄ライオンズを破り日本一となった。

1959年6月25日の巨人×阪神戦(後楽園)で、プロ野球史上初めての天覧試合が開催された。1950年代後半から巨人の王貞治長嶋茂雄が球界のスター選手となった。

1960年代~1970年代前半編集

1960年は、前年まで6年連続最下位に喘いでおり、この年に就任した三原脩監督率いる大洋ホエールズが球団初のリーグ優勝。そしてその年の日本シリーズでも西本幸雄監督率いる毎日大映オリオンズ(大毎)を4勝0敗で制した。

巨人は1961年から球団OBの川上哲治が監督に就任。当時の巨人は打撃陣では長嶋茂雄だけが頼りになる存在で、投手陣でも絶対的な存在がいなかった。そのため、川上は『ドジャースの戦法』をチームに導入し、後に「V9」と呼ばれるセ・リーグ9連覇・日本一という前人未到の黄金期を築き上げる。また、1960年代前半にテレビ中継(主に日本テレビ系列など)の普及も相まって、やがて巨人と阪神は爆発的な人気を得ることになる。特に巨人同様読売新聞グループである日本テレビのプロ野球中継は日テレの看板番組でもあり、巨人は爆発的な人気を獲得し、「子供の好きなものといえば『巨人・大鵬・卵焼き』」と言う言葉ができるなど、V9が始まる前から社会現象となっていた。

そんな中、巨人のライバル球団である阪神タイガース1962年1964年にリーグ優勝を果たすも、前者は元巨人の監督だった水原茂監督率いる東映フライヤーズに、後者は南海ホークスに敗れた。なお、1964年の日本シリーズは関西私鉄同士だったこともあり、御堂筋シリーズ』と呼ばれた[注 3]

1965年~1973年(巨人のV9時代)編集

巨人の監督だった川上は、選手個々の実力よりも、『ドジャースの戦法』の導入に代表されるように、他球団に先んじてチームプレーを導入することを優先した。またスタッフでも牧野茂などを招聘。選手においても、王貞治長嶋茂雄という二人のスーパースター(いわゆるON砲)を筆頭に、森昌彦柴田勲黒江透修高田繁土井正三といった名選手や、堀内恒夫高橋一三城之内邦雄といった球史に名を残す投手が揃った。様々なポジションに適した人材が揃っており、1番・2番とクリーンナップで点をとり、あとはその点を守備で徹底して守る、日本における「スモールベースボール」の先駆けである一方、V9の期間中、巨人はセ・リーグ最多チーム得点だった。当時の本拠地だった後楽園球場が狭くて打者有利の球場であった事もあり、V9時代の巨人は攻撃力中心のチームであったと見ることができる。

1970年代後半 V9の終焉、広島の赤ヘル旋風編集

1974年巨人のV9が途絶える。その後、古葉竹識監督率いる広島東洋カープが初優勝を果たすとプロ野球界に赤ヘル旋風を巻き起こす。その後も広島カープの快進撃は止まらず、3度の日本一(1979年1980年1984年)を成し遂げる。

巨人は、V9以降、1975年に球団史上初の最下位という結果になった。 1979年の伊東の秋季キャンプでは『地獄の伊東キャンプ』が行れ、江川卓中畑清松本匡史西本聖角盈男ら後に巨人の主力となる選手もいた。

1978年 ヤクルトスワローズ、球団初のリーグ優勝と日本一編集

1980年代 読売ジャイアンツの復活と東京ドーム開場編集

入団時の混乱から「ヒール」とも言われた江川卓桑田真澄、また若大将こと原辰徳、現役メジャーであったW.クロマティらの活躍により、長嶋茂雄監督解任後のチームの建て直しに成功した藤田元司率いる読売ジャイアンツは、80年代をつうじ全てAクラスという安定感を取り戻し、リーグ優勝も1981198319871989年に達成。とくに1989年は84勝44敗と他者を寄せ付けない圧勝となった。1988年に東京ドームが開場し、のちの5大ドーム時代の先鞭をつけた。

1985年 阪神タイガース、悲願の日本一編集

1985年の阪神タイガースは、R.バース掛布雅之岡田彰布の『バックスクリーン3連発』など、ニューダイナマイト打線と呼ばれる強力打線が活躍し、21年振りのセ・リーグ優勝を達成する。

日本シリーズでは、広岡達朗監督率いる西武ライオンズを破り4勝2敗で球団史上初の日本一に輝いた。

1990年代 ヤクルトの黄金期・阪神暗黒時代、フリーエージェントの導入編集

1990年野村克也ヤクルトの監督に就任した。この年は後にヤクルトの正捕手として活躍する古田敦也1991年には高津臣吾などが入団し、ヤクルトの黄金期を担うことになる。他にも広沢克己飯田哲也池山隆寛荒木大輔川崎憲次郎J.ハウエルなどの活躍もあり、1992年1993年にセ・リーグ連覇を果たす。さらに1993年の日本シリーズでは、5年連続パ・リーグ優勝の西武ライオンズを破り、1978年以来15年ぶり2度目の日本一を果たした。その後も生え抜き選手では石井一久伊藤智仁真中満宮本慎也稲葉篤紀など、移籍選手では吉井理人田畑一也T.オマリーH.ミューレン辻発彦小早川毅彦などがヤクルトで活躍し、野村克也監督時代のヤクルトは、4度のリーグ優勝(1992年1993年1995年1997年)と3度の日本一(1993年1995年1997年)を成し遂げた。1998年シーズンオフに野村克也監督が退任し、翌年の1999年から阪神タイガースの監督に就任する。

一方、その頃の阪神タイガースは昭和末期・平成と2度の暗黒時代に突入する。1987年1991年にかけて、1989年を除いて、4度の最下位を味わう。しかし1992年は、新庄剛志亀山努亀新フィーバー)、T.オマリーなどが活躍し、ヤクルト巨人と優勝争いを繰り広げるが、終盤に失速し、ヤクルトに優勝を明け渡すも、巨人と同率2位と健闘を見せた。しかし、1993年以降は成績も下降し、1995年以降、2年連続の最下位に転落するなど、再び暗黒時代に突入する。1999年にヤクルト前監督の野村克也が阪神の監督に就任するが、1998年から2001年にかけて4年連続最下位となる。

読売ジャイアンツは90年代をつうじ1990年1994年1996年と、黄金期ヤクルトに次ぐ3回の優勝を果たした。中でも1994年の10.8決戦で同率首位の中日を下しての最終戦優勝、1996年のメークドラマ(首位広島に1996/7/6時点で最大11.5ゲーム差をつけられながらも逆転優勝)は国民的な関心を集め、地上波TV視聴率・観客動員も高水準で推移した。また積極的な補強とドラフト戦略の成功により、1990年V2時点の主力(斎藤雅樹桑田真澄槙原寛己の3本柱中心)から、第2期長嶋茂雄政権での主力(松井秀喜上原浩治高橋由伸ら00年代優勝メンバー)への転換にも成功した。この間、落合博満清原和博らのフリーエージェント補強にも成功し、ストーブリーグにおいても話題の中心であり続けた。

1998年 横浜ベイスターズ、38年ぶりのリーグ優勝・日本一編集

1998年の横浜ベイスターズは、5月終了時点では貯金3の3位だった。しかし、6月後半から石井琢朗鈴木尚典R.ローズ駒田徳広らによるマシンガン打線が爆発するようになり、16日から8連勝して首位に立った。その後、オールスター戦を挟んで10連勝、アクシデント続出で失速する巨人とは対照的に首位を固めた。9月4日からの2位中日との直接対決を佐々木主浩の3連投で全勝、大洋ホエールズ以来となる38年ぶり2度目のセ・リーグ優勝を飾った。1998年の日本シリーズは4勝2敗で38年ぶり2度目の日本一を果たした。

2000年代 巨人・阪神・中日の3強時代、横浜暗黒時代編集

この頃のセ・リーグは原辰徳監督率いる読売ジャイアンツ岡田彰布監督率いる阪神タイガース落合博満率いる中日ドラゴンズが熾烈な優勝争いを繰り広げていた。

巨人は00年代前半には前掲の松井・上原・高橋由、及び阿部慎之助高橋尚成仁志敏久二岡智宏清水隆行ら生え抜き選手が非常に強く、逆指名などのドラフト改革を追い風としたチーム強化に成功。また、清原和博・江藤智工藤公康らの移籍組も活躍した。00年代後半は小笠原道大A.ラミレスS.グライシンガー谷佳知イ・スンヨプらの移籍組がMVP級の活躍、さらに坂本勇人亀井善行長野久義内海哲也山口鉄也といった生え抜きスター選手とのベストミックスでV3を達成。00年代をつうじリーグ優勝5回(20002002200720082009)は最多であった[4]

阪神は金本知憲矢野輝弘赤星憲広今岡誠井川慶下柳剛新井貴浩JFK藤川球児J.ウィリアムス久保田智之)・M.マートン城島健司鳥谷敬能見篤史R.メッセンジャーといったスター選手を擁し、星野仙一監督の在任2年間(2002-2003)、岡田彰布監督の在任4年間(2004-2008)でリーグ優勝(20032005)を2度達成した。

中日は山本昌川上憲伸浅尾拓也岩瀬仁紀立浪和義福留孝介中村紀洋T.ウッズ和田一浩谷繁元信アライバコンビ荒木雅博井端弘和)・森野将彦山井大介吉見一起といったスター選手を擁し、落合博満監督の在任8年間(2004-2011)で4度のリーグ優勝(20042006201020112007年にはリーグ2位からの日本一)を達成した。

しかし、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)は森祇晶山下大輔牛島和彦・第2期大矢明彦と政権を継いだが、最下位6度と結果を残せなかった。

また、インターネット社会の到来による娯楽・嗜好の多様化により、巨人戦の視聴率が大きく低下した時期でもあり、巨人戦中継の主体は地上波からBS・CSに移行した。

2003年 阪神タイガースの18年ぶりセ・リーグ優勝編集

2004年 プロ野球再編問題編集

 セ・パ交流戦(2005年より導入)、クライマックスシリーズ(2007年より導入)も参照。

これに先立つ2001年末に横浜ベイスターズは筆頭株主がマルハからTBSに変更となった。(2011年末からはDeNAに変更。)

2010年代 広島3連覇、パリーグとの実力差編集

2012年より読売ジャイアンツの3連覇201220132014)、(2015年のヤクルト優勝を挟んで)2016年より広島東洋カープの3連覇201620172018)、という結果となり、両チームとも2位とのゲーム差を大きく付けた「圧勝」でのV3となった。但しクライマックスシリーズの導入により、リーグ終盤の興行的好調は継続され、実際に2014年には2位、2017年には3位からの日本シリーズ進出が実現した。

2009年1月1日の改定日本プロフェッショナル野球協約発効に伴い、連盟事務局と直下の審判部・記録部はコミッショナー事務局、パシフィック・リーグ事務局と統合され、コミッショナー直属の『セントラル・リーグ運営部』『審判部』『記録部』となり、リーグ会長職は廃止された[5]

2013年より開幕前のイベントとして東京ビッグサイトにて『セ・リーグファンミーティング』を行っている。

2019年11月11日にJERAとタイトルパートナー(冠スポンサー)契約を締結。契約期間は2020年(令和2年)から3年間でリーグ戦では「JERA セントラル・リーグ」の名称が使用される[1]

また、セ・パ交流戦の10年連続負け越し(セの548勝671敗41分)、また2010年代をつうじて日本シリーズにおけるセの優勝が1回のみ(セの19勝38敗2分)に終るなど、セの地盤沈下が語られる事態となった。

2016年~2018年 広島東洋カープ球団史上初の3連覇編集

2016年緒方孝市監督率いる広島東洋カープは25年ぶりのセ・リーグ優勝を達成。200勝を達成した黒田博樹・2000本安打を達成した新井貴浩石原慶幸のベテランと、投手陣は野村祐輔の16勝3敗の快進撃、B.エルドレッド・外国人投手2人目の沢村賞を受賞したK.ジョンソンといった助っ人外国人、生え抜きの「タナキクマル」(田中広輔菊池涼介丸佳浩)、若き大砲の鈴木誠也の若手を組み合わせたベストミックスの優勝であった。

2018年まで、上述の主力組が機能しリーグ戦・交流戦で圧倒的な強さを見せ、球団史上初の3連覇を達成した。(セ・リーグでは巨人以外で初である。)

2020年代~現在編集

2020年から2021年にかけ、新型コロナウィルスの発生に伴い、各球場とも観客動員を大きく減らした運営を強いられた。

2021年 ヤクルト、20年ぶり日本一編集

前年まで2年連続で最下位であったヤクルトは、打撃陣では山田哲人村上宗隆塩見泰隆といった生え抜きや、新外国人のホセ・オスナドミンゴ・サンタナの活躍、投手陣では奥川恭伸高橋奎二の台頭や、リリーフの清水昇スコット・マクガフといった存在により、2021年シーズンの前半戦を3位で終えると、後半戦になると最大7ゲーム差をつけられてた首位阪神とのゲーム差を徐々につめて9月22日に首位に踊り出し10月8日にはマジック11が点灯、そのままマジックは消滅することはなく10月26日の横浜スタジアムでのDeNA戦で勝利した後同日のマジック対象チームだった阪神が中日に敗れた為優勝が決定した。ポストシーズンはクライマックスシリーズで巨人相手に2勝1分で突破、日本シリーズでは同じく2年連続の最下位からリーグ優勝を果たしたオリックスと対戦し、4勝2敗で勝利し前年最下位からの日本一に輝いた。セリーグのチームとしては、元号が令和に変わってからは初の日本一となった。

現存する加盟球団編集

一覧編集

セントラル・リーグの加盟球団
    球団名 保護地域 創設年度 本拠地球場 チームカラー
  読売ジャイアンツ
(Yomiuri Giants)
東京都 1934年 東京ドーム
文京区北緯35度42分21秒 東経139度45分7秒 / 北緯35.70583度 東経139.75194度 / 35.70583; 139.75194 (読売ジャイアンツ(東京ドーム))
  東京ヤクルトスワローズ
(Tokyo Yakult Swallows)
東京都 1950年 明治神宮野球場
新宿区北緯35度40分28.4秒 東経139度43分1.5秒 / 北緯35.674556度 東経139.717083度 / 35.674556; 139.717083 (東京ヤクルトスワローズ(明治神宮野球場))
  横浜DeNAベイスターズ
(Yokohama DeNA BayStars)
神奈川県 1950年 横浜スタジアム
横浜市中区北緯35度26分36.18秒 東経139度38分24.1秒 / 北緯35.4433833度 東経139.640028度 / 35.4433833; 139.640028 (横浜DeNAベイスターズ(横浜スタジアム))
  中日ドラゴンズ
(Chunichi Dragons)
愛知県 1936年 ナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)
名古屋市東区北緯35度11分9.5秒 東経136度56分50.88秒 / 北緯35.185972度 東経136.9474667度 / 35.185972; 136.9474667 (中日ドラゴンズ(ナゴヤドーム))
  阪神タイガース
(Hanshin Tigers)
兵庫県 1935年 阪神甲子園球場
西宮市北緯34度43分16.43秒 東経135度21分41.91秒 / 北緯34.7212306度 東経135.3616417度 / 34.7212306; 135.3616417 (阪神タイガース(阪神甲子園球場))
  広島東洋カープ
(Hiroshima Toyo Carp)
広島県 1950年 広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島
広島市南区北緯34度23分30.76秒 東経132度29分5.03秒 / 北緯34.3918778度 東経132.4847306度 / 34.3918778; 132.4847306 (広島東洋カープ(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島))

※ 球団表記順は野球協約の保護地域表記順

各球団の略年譜編集

球団名・本拠地・親会社の遍歴
球団名 遍歴
読売ジャイアンツ

1934年12月26日大日本東京野球倶楽部として結成
1936年、アメリカ遠征の際に球団名を東京巨人軍に改称
1937年後楽園球場を本拠地とする
1947年読売新聞社が経営に当たり、名称を読売ジャイアンツに改称
1988年後楽園競輪場跡地に開場した東京ドームに本拠地を移転

阪神タイガース

1935年12月10日阪神電気鉄道を親会社として大阪タイガースを結成
1936年阪神甲子園球場を本拠地とする
1940年敵性語である英語の使用禁止を受け、球団名を阪神軍に改称
1946年、球団名を再び大阪タイガースに改称
1961年、球団名を阪神タイガースに改称

中日ドラゴンズ

1936年1月15日新愛知新聞社中日新聞社の前身)を親会社として名古屋軍を結成
1944年、理研工業(旧理化学研究所を母体とする理研コンツェルンの一企業)の傘下に入り、球団名を産業軍に改称
1946年、中部日本新聞社(新愛知新聞社と名古屋新聞社との合併企業)が経営に復帰。球団名を中部日本に改称
1947年、球団名を中部日本ドラゴンズに改称
1948年、球団名を中日ドラゴンズに改称、後楽園球場を本拠地とする
1949年中日スタヂアム(現・ナゴヤ球場)に本拠地を移転
1951年名古屋鉄道が経営参加を表明。球団名を名古屋ドラゴンズに改称
1954年、名古屋鉄道の経営撤退に伴い、球団名を再び中日ドラゴンズに改称
1997年ナゴヤドームに本拠地を移転

東京ヤクルトスワローズ

1950年1月12日鉄道弘済会日本通運、日本交通公社(現・JTB)などを親会社とした国鉄スワローズがセントラル・リーグに加盟。
後楽園球場を本拠地とする
1964年明治神宮野球場に本拠地を移転
1965年、シーズン中に親会社が産業経済新聞社フジテレビジョンニッポン放送文化放送(この4社は直後の1967年、集結してフジサンケイグループとなり、
球団名をサンケイスワローズに改称。後にヤクルト本社も出資に参加
1966年、球団名をサンケイアトムズに改称
1969年、フジサンケイグループとヤクルト本社による共同経営となったことに伴い、球団名をアトムズに改称
1970年、フジサンケイグループの球団株式売却によりヤクルト本社が経営権を持つ。球団名をヤクルトアトムズに改称
1974年、球団名をヤクルトスワローズに改称
2006年、球団名を東京ヤクルトスワローズに改称

横浜DeNAベイスターズ

1949年12月15日大洋漁業(現・マルハニチロ)を親会社としたまるは球団(暫定名)がセントラル・リーグに加盟
1950年、開幕後に球団名を大洋ホエールズに改称、下関市営球場を本拠地とする
1953年松竹ロビンスとの合併に伴い球団名を大洋松竹ロビンスに改称、大阪スタヂアムに本拠地を移転
1954年、球団名を洋松ロビンスに改称
1955年、松竹の経営撤退に伴い、球団名を再び大洋ホエールズに改称、川崎球場に本拠地を移転
1978年、球団名を横浜大洋ホエールズに改称、横浜スタジアムに本拠地を移転
1993年、大洋漁業→マルハへの社名変更に伴い、球団名を横浜ベイスターズに改称
2002年、マルハの球団株式売却により東京放送(現・TBSホールディングス)が経営権を持つ
2011年、東京放送ホールディングスの球団株式売却によりディー・エヌ・エーが経営権を持つ
2012年、球団名を横浜DeNAベイスターズに改称

広島東洋カープ

1949年12月15日に、広島県内の有力企業複数が出資した広島カープがセントラル・リーグに加盟。広島総合球場を本拠地とする
1957年、シーズン中に広島市民球場に本拠地を移転
1968年東洋工業(現・マツダ)が球団筆頭株主となったことに伴い、球団名を広島東洋カープに改称
2009年MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に本拠地を移転

※親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの ※球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記

過去に存在した加盟球団編集

セントラル・リーグの消滅球団と成績
球団名 創設年度 優勝回数 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
松竹ロビンス
Shochiku Robins
(1950年 - 1952年)
1936年 1 372 185 176 11 .512
西日本パイレーツ
Nishinippon Pirates
(1950年)
1950年 0 136 50 83 3 .376
  • 成績はリーグが結成された1950年以降のもの
球団名・本拠地・親会社の遍歴
球団名 遍歴
松竹ロビンス

1936年2月15日國民新聞社東京新聞の前身)を親会社として大東京軍を結成。洲崎球場を本拠地とする
1937年、8月に小林商店(現・ライオン)が経営参加を表明。球団名をライオン軍に改称
1941年、敵性語である英語の使用禁止を受け、球団名を朝日軍に改称
1946年、球団名をパシフィックに改称
1947年、球団名を太陽ロビンスに改称
1948年、球団名を大陽ロビンスに改称。阪急西宮球場に本拠地を移転
1950年松竹が経営参加を表明。球団名を松竹ロビンスに改称。衣笠球場に本拠地を移転
1953年、シーズン開幕前に大洋ホエールズと合併。合併球団名は大洋松竹ロビンスとなる

西日本パイレーツ

1949年12月15日西日本新聞社を親会社とした西日本パイレーツがセントラル・リーグに加盟。平和台野球場を本拠地とする
1951年、シーズン開幕前に西鉄クリッパースと合併しパシフィック・リーグへ移動脱退。合併球団名は西鉄ライオンズとなる

  • 親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの
  • 球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記

試合方式編集

総当り回数編集

1952年フランチャイズホームタウン)制度採用後はホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。

年度 試合数 内訳 備考
リーグ戦 交流戦
1950 140 20×7 -
1951-1952 120 20×6
1953-1962 130 26×5
1963-1965 140 28×5
1966-1996 130 26×5
1997-2000 135 27×5 ※1
2001-2004 140 28×5
2005-2006 146 22×5 6×6
2007-2014 144 24×5 4×6
2015-2019 143 25×5 3×6 ※1、※2
2020 120 24×5 -
2021- 143 25×5 3×6 ※1、※2

※1:1997年 - 2000年と2015年 - 2019年(リーグ間の対戦)は総当りが奇数回となるため、対戦カードのどちらか一方がホームゲームを1試合多く行う形式(前者は14試合、後者は13試合)である。なお1試合増加分のホームチームについては、2年単位で隔年入れ替わりである。

※2:2015年以降のセ・パ交流戦は3回総当たりとなるため、対戦カードごとに隔年でホームチームを入れ替える。

引き分けに関する扱い
  • 引き分け再試合制度実施年:1962年、1966年 - 1968年、1990年 - 2000年
  • 引き分けを0.5勝0.5敗で勝率計算した年:1956年 - 1961年

上記が規定上の対戦回数であるが、諸事情により公式戦を一部中止した年度がある。

  • 1950年:日本シリーズの日程関係のため一部試合を中止。
  • 1951年:広島カープが存続問題から第一節(3月29日 - 4月6日)の参加を見送り。この期間の対広島戦中止。また、同年10月20日より予定されていた日米野球の日程関係のため同月9日でペナントレースを打ち切り。
  • 1953年:読売ジャイアンツがアメリカ遠征のため第一〜第三節途中(3月28日 - 4月9日)まで不参加で、かつ日本シリーズに進出したため、また同年10月17日より開催のアメリカメジャーリーグ遠征チームとの交流試合の日程の都合上、読売ジャイアンツ対国鉄スワローズ戦5試合を残してペナントレースを打ち切り。
  • 2004年:選手会が球団合併凍結などを求めたプロ野球ストライキを9月18日と19日に決行したため、同日に予定されていた全試合を中止。
  • 2020年:新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が約3ヶ月延期となり、シーズン日程を再考。交流戦が中止となるなど一部日程が変更され、当初の143試合から120試合に試合数を削減。

回数・時間制限編集

内容
1950年 - 1951年

シングルの場合は回数・時間制限なし(デーゲームの場合日没まで)。
ダブルヘッダー第1試合は延長戦は原則として12回。ただしナイトゲーム(薄暮開催含む)は9回まで。

1952年 - 1954年5月24日まで

シングル、ダブルヘッダーとも原則として勝敗が決するまで時間・回数無制限。
ナイトゲームは深夜24時を過ぎて次のイニングに入らない。

1954年5月25日 - 同年の閉幕まで

デーゲームで開催のシングルの場合は時間・回数制限なし(日没まで。以後1973年まで同じ)。
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで(回数制限は1962年まで同じ)、ナイトゲームは22:30まで。

1955年 - 1958年

ナイトゲームは22:15まで。

1959年 - 1962年

ナイトゲームは22:30まで(時間制限は1963年も同じ)。

1963年

ダブルヘッダー第1試合は延長13回まで。

1964年 - 1965年

ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。
ナイトゲームは22:15まで(時間制限は1967年まで同じ)。

1966年 - 1967年

ダブルヘッダー第1試合は延長11回まで。

1968年 - 1970年

ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。
ナイトゲームは22:20まで。

1971年

ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。
ナイトゲームは原則として試合開始時刻から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。
ただし、以下の規定がある(時間制限は1973年まで同じ)。
(1):19:00以降開始の場合は経過時間に関わらず22:20を過ぎて次のイニングに入らない。
(2):9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

1972年 - 1973年

ダブルヘッダー第1試合は、延長11回まで。

1974年 - 1982年

ダブルヘッダー第1試合については9回まで(回数制限は1987年まで同じ)。
その他の試合(ダブルヘッダー第2試合含む)は試合開始から3時間を過ぎて次のイニングに入らない。ただし、以下の規定がある。
(1):19:00以降は経過時間にかかわらず22:00を過ぎて次のイニングに入らない。
(2):9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

1983年 - 1987年

ダブルヘッダー第1試合以外は、開始時刻に関わらず試合開始から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。
ただし、9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

1988年 - 1989年

延長12回まで、時間制限なし。
ただし、ダブルヘッダー第1試合については9回までで打ち切り。

1990年 - 2000年

延長15回まで、時間制限なし。引き分けの場合は再試合(降雨コールド時も含む)。

2001年 - 2010年

延長12回まで、時間制限なし。

2011年 - 2012年

延長12回まで[注 4]。ただし、東日本大震災に伴う節電対策として以下の規定がある。
(1):試合開始から3時間30分(雨天等による中断時間も含む)が経過した場合は次のイニングに入らない。
(2):9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。

※ただしクライマックスシリーズでは時限なし。
2013年 - 2019年

延長12回まで、時間制限なし[注 5][6]

2020年

延長10回まで、時間制限なし[注 6]

2021年

延長なし、時間制限なし[注 6]

2022年

延長12回まで、時間制限なし。

順位の決め方編集

  • 2000年以前は勝率順で決めており、勝率が同率でシーズンが終了した場合のみ、プレーオフで優勝を決めることとなっていた。
  • 2001年は例外的に勝ち星の多い順で順位を決定していた。ただし、勝ち星1位と勝率1位のチームが異なった場合は3戦2勝制のプレーオフを行い優勝を決定する。
  • 2002年からは再び勝率順に変更された。ただし、勝率3位以内に勝ち星1位のチームが別にいた場合、3戦2勝制のプレーオフで優勝を決定する。この制度は2006年まで続いた。
    ※以上のようなケースによるプレーオフは2006年まで過去1度もなかった。
  • 2007年からはクライマックスシリーズの導入により、以下の制度となった(クライマックスシリーズの結果にかかわらず、レギュラーシーズンの順位がリーグ確定順位となる)。
    1. レギュラーシーズンの勝率
    2. 1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位
    3. 2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順
    4. 3も同率の場合、前年度順位の上位
    ※2015年度は3チーム以上が勝率で並ぶ場合があるため、その場合でも2チームが同成績で並んだ場合に従って優勝を決める方式となった。
  • 2022年度からは一部改正が施されており、勝率1位球団が複数あった場合、上記の3→4の間に「同一リーグの参加チーム(2022年度:6チームによる25回総当たり125試合)の勝率の高いほうを上位扱い」とするというルールが定められ、これにより順位決定方法は、
    1. レギュラーシーズンの勝率
    2. 1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位
    3. 2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順
    4. 3も同じ場合、同一リーグの参加チーム間における総当たりにおける勝率の高い順
    5. 4も同率の場合、前年度順位の上位

に変更された。(パ・リーグの場合は、1で並んだ場合は、2ではなく、3以下同文の順番である)[7]

結果編集

  • 背景桃色は日本シリーズ制覇。*は左のチームと同率順位
  • 2006年までは優勝チームが日本シリーズに出場。クライマックスシリーズ導入後の2007年以降の日本シリーズ出場チームは太字で示す。
年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1950 松竹 98 35 4 中日 89 44 4 巨人 82 54 4 大阪 70 67 3 大洋 69 68 3 西日本 50 83 3 国鉄 42 94 2 広島 41 96 1
1951 巨人 79 29 6 名古屋 62 48 3 大阪 62 51 3 松竹 53 57 5 国鉄 46 59 2 大洋 40 64 4 広島 32 64 3
1952 巨人 83 37 大阪 79 40 1 名古屋 75 43 2 大洋 58 62 国鉄 50 70 広島 37 80 3 松竹 34 84 2
1953 巨人 87 37 1 大阪 74 56 名古屋 70 57 3 広島 53 75 2 洋松 52 75 1 国鉄 45 79 1
1954 中日 86 40 4 巨人 82 47 1 大阪 71 57 2 広島 56 69 5 国鉄 55 73 2 洋松 32 96 2
1955 巨人 92 37 1 中日 77 52 1 大阪 71 57 2 広島 58 70 2 国鉄 57 71 2 大洋 31 99
1956 巨人 82 44 4 大阪 79 50 1 中日 74 56 国鉄 61 65 4 広島 45 82 3 大洋 43 87
1957 巨人 74 53 3 大阪 73 54 3 中日 70 57 3 国鉄 58 68 4 広島 54 75 1 大洋 52 74 4
1958 巨人 77 52 1 大阪 72 58 中日 66 59 5 国鉄 58 68 4 広島 54 68 8 大洋 51 73 6
1959 巨人 77 48 5 大阪 62 59 9 中日* 64 61 5 国鉄 63 65 2 広島 59 64 7 大洋 49 77 4
1960 大洋 70 56 4 巨人 66 61 3 大阪 64 62 4 広島 62 61 7 中日 63 67 国鉄 54 72 4
1961 巨人 71 53 6 中日 72 56 2 国鉄 67 60 3 阪神 60 67 3 広島 58 67 5 大洋 50 75 5
1962 阪神 75 55 3 大洋 71 59 4 中日 70 60 3 巨人 67 63 4 広島 56 74 4 国鉄 51 79 4
1963 巨人 83 55 2 中日 80 57 3 阪神 69 70 1 国鉄 65 73 2 大洋 59 79 2 広島 58 80 2
1964 阪神 80 56 4 大洋 80 58 2 巨人 71 69 広島 64 73 3 国鉄 61 74 5 中日 57 83
1965 巨人 91 47 2 中日 77 59 4 阪神 71 66 3 大洋 68 70 2 広島 59 77 4 サンケイ 44 91 5
1966 巨人 89 41 4 中日 76 54 2 阪神 64 66 5 広島 57 73 6 大洋 52 78 サンケイ* 52 78 5
1967 巨人 84 46 4 中日 72 58 4 阪神 70 60 6 大洋 59 71 5 サンケイ 58 72 5 広島 47 83 8
1968 巨人 77 53 4 阪神 72 58 3 広島 68 62 4 サンケイ 64 66 4 大洋 59 71 3 中日 50 80 4
1969 巨人 73 51 6 阪神 68 59 3 大洋 61 61 8 中日 59 65 6 アトムズ 58 69 3 広島 56 70 4
1970 巨人 79 47 4 阪神 77 49 4 大洋 69 57 4 広島 62 60 8 中日 55 70 5 ヤクルト 33 92 5
1971 巨人 70 52 8 中日 65 60 5 大洋 61 59 10 広島 63 61 6 阪神 57 64 9 ヤクルト 52 72 6
1972 巨人 74 52 4 阪神 71 56 3 中日 67 59 4 ヤクルト 60 67 3 大洋 57 69 4 広島 49 75 6
1973 巨人 66 60 4 阪神 64 59 7 中日 64 61 5 ヤクルト 62 65 3 大洋 60 64 6 広島 60 67 3
1974 中日 70 49 11 巨人 71 50 9 ヤクルト 60 63 7 阪神 57 64 9 大洋 55 69 6 広島 54 72 4
1975 広島 72 47 11 中日 69 53 8 阪神 68 55 7 ヤクルト 57 64 9 大洋 51 69 10 巨人 47 76 7
1976 巨人 76 45 9 阪神 72 45 13 広島 61 58 11 中日 54 66 10 ヤクルト 52 68 10 大洋 45 78 7
1977 巨人 80 46 4 ヤクルト 62 58 10 中日 64 61 5 阪神 55 63 12 広島 51 67 12 大洋 51 68 11
1978 ヤクルト 68 46 16 巨人 65 49 16 広島 62 50 18 大洋 64 57 9 中日 53 71 6 阪神 41 80 9
1979 広島 67 50 13 大洋 59 54 17 中日 59 57 14 阪神 61 60 9 巨人 58 62 10 ヤクルト 48 69 13
1980 広島 73 44 13 ヤクルト 68 52 10 巨人 61 60 9 大洋 59 62 9 阪神 54 66 10 中日 45 76 9
1981 巨人 73 48 9 広島 67 54 9 阪神 67 58 5 ヤクルト 56 58 16 中日 58 65 7 大洋 42 80 8
1982 中日 64 47 19 巨人 66 50 14 阪神 65 57 8 広島 59 58 13 大洋 53 65 12 ヤクルト 45 75 10
1983 巨人 72 50 8 広島 65 55 10 大洋 61 61 8 阪神 62 63 5 中日 54 69 7 ヤクルト 53 69 8
1984 広島 75 45 10 中日 73 49 8 巨人 67 54 9 阪神 53 69 8 ヤクルト 51 71 8 大洋 46 77 7
1985 阪神 74 49 7 広島 68 57 5 巨人 61 60 9 大洋 57 61 12 中日 56 61 13 ヤクルト 46 74 10
1986 広島 73 46 11 巨人 75 48 7 阪神 60 60 10 大洋 56 69 5 中日 54 67 9 ヤクルト 49 77 4
1987 巨人 76 43 11 中日 68 51 11 広島 65 55 10 ヤクルト 58 64 8 大洋 56 68 6 阪神 41 83 6
1988 中日 79 46 5 巨人 68 59 3 広島 65 62 3 大洋 59 67 4 ヤクルト 58 69 3 阪神 51 77 2
1989 巨人 84 44 2 広島 73 51 6 中日 68 59 3 ヤクルト 55 72 3 阪神 54 75 1 大洋 47 80 3
1990 巨人 88 42 広島 66 64 2 大洋 64 66 3 中日 62 68 1 ヤクルト 58 72 阪神 52 78
1991 広島 74 56 2 中日 71 59 1 ヤクルト 67 63 2 巨人 66 64 大洋 64 66 1 阪神 48 82
1992 ヤクルト 69 61 1 巨人 67 63 阪神* 67 63 2 広島 66 64 大洋 61 69 1 中日 60 70
1993 ヤクルト 80 50 2 中日 73 57 2 巨人 64 66 1 阪神 63 67 2 横浜 57 73 広島 53 77 1
1994 巨人 70 60 中日 69 61 広島 66 64 ヤクルト 62 68 阪神* 62 68 横浜 61 69
1995 ヤクルト 82 48 広島 74 56 1 巨人 72 58 1 横浜 66 64 中日 50 80 阪神 46 84
1996 巨人 77 53 中日 72 58 広島 71 59 ヤクルト 61 69 横浜 55 75 阪神 54 76
1997 ヤクルト 83 52 2 横浜 72 63 広島 66 69 巨人 63 72 阪神 62 73 1 中日 59 76 1
1998 横浜 79 56 1 中日 75 60 1 巨人 73 62 ヤクルト 66 69 広島 60 75 阪神 52 83
1999 中日 81 54 巨人 75 60 横浜 71 64 ヤクルト 66 69 広島 57 78 阪神 55 80
2000 巨人 78 57 中日 70 65 横浜 69 66 1 ヤクルト 66 69 1 広島 65 70 1 阪神 57 78 1
2001 ヤクルト 76 58 6 巨人 75 63 2 横浜 69 67 4 広島 68 65 7 中日 62 74 4 阪神 57 80 3
2002 巨人 86 52 2 ヤクルト 74 62 4 中日 69 66 5 阪神 66 70 4 広島 64 72 4 横浜 49 86 5
2003 阪神 87 51 2 中日 73 66 1 巨人* 71 66 3 ヤクルト 71 66 3 広島 67 71 2 横浜 45 94 1
2004 中日 79 56 3 ヤクルト 72 64 2 巨人 71 64 3 阪神 66 70 2 広島 60 77 1 横浜 59 76 3
2005 阪神 87 54 5 中日 79 66 1 横浜 69 70 7 ヤクルト 71 73 2 巨人 62 80 4 広島 58 84 4
2006 中日 87 54 5 阪神 84 58 4 ヤクルト 70 73 3 巨人 65 79 2 広島 62 79 5 横浜 58 84 4
クライマックスシリーズ開始
2007 巨人 80 63 1 中日 78 64 2 阪神 74 66 4 横浜 71 72 1 広島 60 82 2 ヤクルト 60 84
2008 巨人 84 57 3 阪神 82 59 3 中日 71 68 5 広島 69 70 5 ヤクルト 66 74 4 横浜 48 94 2
2009 巨人 89 46 9 中日 81 62 1 ヤクルト 71 72 1 阪神 67 73 4 広島 65 75 4 横浜 51 93 0
2010 中日 79 62 3 阪神 78 63 3 巨人 79 64 1 ヤクルト 72 68 4 広島 58 84 2 横浜 48 95 1
2011 中日 75 59 10 ヤクルト 70 59 15 巨人 71 62 11 阪神 68 70 6 広島 60 76 8 横浜 47 86 11
2012 巨人 86 43 15 中日 75 53 16 ヤクルト 68 65 11 広島 61 71 12 阪神 55 75 14 DeNA 46 85 13
2013 巨人 84 53 7 阪神 73 67 4 広島 69 72 3 中日 64 77 3 DeNA 64 79 1 ヤクルト 57 83 4
2014 巨人 82 61 1 阪神 75 68 1 広島 74 68 2 中日 67 73 4 DeNA 67 75 2 ヤクルト 60 81 3
2015 ヤクルト 76 65 2 巨人 75 67 1 阪神 70 71 2 広島 69 71 3 中日 62 77 4 DeNA 62 80 1
2016 広島 89 52 2 巨人 71 69 3 DeNA 69 71 3 阪神 64 76 3 ヤクルト 64 78 1 中日 58 82 3
2017 広島 88 51 4 阪神 78 61 4 DeNA 73 65 5 巨人 72 68 3 中日 59 79 5 ヤクルト 45 96 2
2018 広島 82 59 2 ヤクルト 75 66 2 巨人 67 71 5 DeNA 67 74 2 中日 63 78 2 阪神 62 79 2
2019 巨人 77 64 2 DeNA 71 69 3 阪神 69 68 6 広島 70 70 3 中日 68 73 2 ヤクルト 59 82 2
2020 巨人 67 45 8 阪神 60 53 7 中日 60 55 5 DeNA 56 58 6 広島 52 56 12 ヤクルト 41 69 10
2021 ヤクルト 73 52 18 阪神 77 56 10 巨人 61 62 20 広島 63 68 12 中日 55 71 17 DeNA 54 73 16
2022

チーム別成績編集

2021年現在、横浜DeNAベイスターズのみが21世紀にセントラル・リーグ制覇を経験していない。

2021年現在、阪神タイガース横浜DeNAベイスターズ広島東洋カープ21世紀日本シリーズ制覇を経験していない。

2021年現在、令和以降にセントラル・リーグ制覇を経験していないのは阪神タイガース中日ドラゴンズ横浜DeNAベイスターズ広島東洋カープの4球団である。

読売ジャイアンツ平成(1989年)令和(2019年)で最初の年にセントラル・リーグ制覇を経験している。

2021年のシーズン終了時点で、リーグ優勝した年にクライマックスシリーズに敗退した経験がある球団は、読売ジャイアンツ(2回)と広島東洋カープ(1回)である。また、リーグ2位・3位の年にクライマックスシリーズを突破した経験がある球団は、阪神タイガース中日ドラゴンズ横浜DeNAベイスターズ(いずれも1回)であり、このうち中日は日本シリーズも制覇している。

2021年現在、令和(2019-)以降では東京ヤクルトスワローズを除く5球団が日本シリーズ制覇を経験していない。

  • 太文字は日本一。
  • 斜文字はクライマックスシリーズ敗退。
  • ()は1リーグ時代の優勝年を含めた回数。
球団 優勝年 回数
巨人 1951 1952 1953 1955 1956
1957 1958 1959 1961 1963
1965 1966 1967 1968 1969
1970 1971 1972 1973 1976
1977 1981 1983 1987 1989
1990 1994 1996 2000 2002
2007 2008 2009 2012 2013
2014 2019 2020
38回(47回)
広島 1975 1979 1980 1984 1986
1991 2016 2017 2018
9回(9回)
中日 1954 1974 1982 1988 1999
2004 2006 2010 2011
9回(9回)
ヤクルト 1978 1992 1993 1995 1997
2001 2015 2021
8回(8回)
阪神 1962 1964 1985 2003 2005 5回(9回)
DeNA 1960 1998 2回(2回)

人気のセ編集

読売ジャイアンツと阪神タイガースの2球団はセ・パ12球団の中でも最も人気が高い球団であることから「人気のセ」と言われており、現実にセの観客動員数[8] はパのそれ[9] よりも設立以来常に多い状態であった。

巨人・阪神以外の4球団は、その保護地域において(人口動態上)当該球団よりも巨人や阪神のファンが多く分布している場合があること、また親会社の資本力も巨人や阪神に大きく水を開けられていることもあり、観客収入を対巨人戦や対阪神戦に頼る傾向が強い。尚、2020年からの2年間は三大都市での新型コロナウィルス感染拡大の影響と、2010年代の3連覇の影響で人気が高まっていた広島カープが観客動員数1位となっている[10]

また、一部の対戦カードでは対巨人戦や対阪神戦以上の人気カードになることがある(PayPayドームでのソフトバンク対広島戦、北陸地方開催の対中日戦、坊ちゃんスタジアムでの対ヤクルト戦等)。

各球団監督編集

セントラル・リーグ
チーム 監督 生年月日(年齢) 就任年 監督
通算
読売ジャイアンツ 19 原辰徳 (1958-07-22) 1958年7月22日(63歳) 2019年 16年目
阪神タイガース 34 矢野燿大 (1968-12-06) 1968年12月6日(53歳) 2019年 4年目
中日ドラゴンズ 38 立浪和義 (1969-08-19) 1969年8月19日(52歳) 2022年 1年目
横浜DeNAベイスターズ 31 三浦大輔 (1973-12-25) 1973年12月25日(48歳) 2021年 2年目
広島東洋カープ 19 佐々岡真司 (1967-08-26) 1967年8月26日(54歳) 2020年 3年目
東京ヤクルトスワローズ 24 高津臣吾 (1968-11-25) 1968年11月25日(53歳) 2020年 3年目

歴代リーグ代表者編集

リーグ会長編集

リーグ運営部長編集

  • 初代:大越英雄(2009年 - )

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 当初は賛成派だったが巨人戦との兼ね合いで撤回し残留。それがきっかけで、毎日オリオンズは報復として大阪の主力選手だった若林忠志別当薫土井垣武本堂保次呉昌征などを引き抜いた。
  2. ^ 大洋の横浜移転と引換に、パ・リーグ所属のロッテオリオンズ1978年から1991年にかけて川崎球場を本拠地とすることになった。(ジプシー・ロッテを参照。)
  3. ^ その後、2003年にもその年の日本シリーズでもタイガースとホークスのカードとなったが、こちらは1989年から福岡ダイエーホークスとなっており、『山陽新幹線シリーズ』と呼ばれた。
  4. ^ 当初は「延長戦は行わず、9回終了時で打ち切り」としていた。なお、時間制限を設けるのは1987年以来24年ぶり。
  5. ^ ただし、2014年に限り天候不順により日程消化が遅れていたため、9月5日以後シーズン最終日までのダブルヘッダー第1試合については9回までで打ち切り。
  6. ^ a b 新型コロナウイルスの影響に伴う感染防止の特別ルール。

出典編集

  1. ^ a b NPBニュース
  2. ^ 1949年11月27日朝日新聞朝刊
  3. ^ 西日本、廣島の整理問題持越し『朝日新聞』昭和26年1月11日
  4. ^ 原辰徳監督の第2期政権(2006-2015)でカウントすれば、6度のリーグ優勝(200720082009201220132014)を達成している
  5. ^ セ、パ両事務局が廃局 サンケイスポーツ 2008年12月27日付・同日閲覧(リンク先は、インターネット・アーカイブ同日付保存キャッシュ)
  6. ^ セ・リーグのダブルヘッダーについて
  7. ^ セ・リーグ、優勝決定方法変更 リーグ内の対戦勝率も(日本経済新聞)
  8. ^ https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_cl.pdf
  9. ^ https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_pl.pdf
  10. ^ https://npb.jp/statistics/2021/attendance.html

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集