ポール・ピアース

ポール・アンソニー・ピアースPaul Anthony Pierce, 1977年10月13日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元バスケットボール選手。NBAボストン・セルティックスなどで活躍した。

ポール・ピアース
Paul Pierce
Paul Pierce Shooting Basketball.jpg
ボストン・セルティックスでのピアース(2008年)
引退
役職 ESPN解説者
永久欠番 セルティックス  34 
ポジション(現役時) SG/SF(スウィングマン)
背番号(現役時) 34
身長(現役時) 201cm (6 ft 7 in)
体重(現役時) 109kg (240 lb)
ウィングスパン(現役時) 214cm  (7 ft 0 in)
シューズ ナイキ
基本情報
本名 Paul Anthony Pierce
愛称 “THE TRUTH(ザ・トゥルース)”
ラテン文字 Paul Pierce
誕生日 (1977-10-13) 1977年10月13日(42歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州オークランド
出身 カンザス大学
ドラフト 1998年 10位 
選手経歴
1998-2013
2013-2014
2014-2015
2015-2017
ボストン・セルティックス
ブルックリン・ネッツ
ワシントン・ウィザーズ
ロサンゼルス・クリッパーズ
ボストン・セルティックス
受賞歴
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 2002

身長201cm・体重109kg。ポジションはSGSF。高いシュート技術で毎試合大量得点を挙げる、元セルティックスのフランチャイズ・プレイヤー。愛称は「THE TRUTH(ザ・トゥルース)」。愛称の由来は、身体能力に頼った派手なプレイではなく、基本に忠実なプレイスタイルを貫くことから来ている。ちなみに、この愛称を付けたのはシャキール・オニールである。日本語表記では「ポール・ピアス」とも表記される。

略歴編集

 
ボストン・セルティックスでのピアース (2008年)

名門カンザス大学のスターであったピアースはオールアメリカンの1stチームにも選出されドラフトの目玉選手であった。1998年のNBAドラフトで最も嫌いだったというボストン・セルティックスから全体10位指名を受けNBA入りした。このとき上位3位以内は確実とも期待されていたが、本人も驚くほどの遅い指名順位であり、チームメイトでデンバー・ナゲッツから3位で指名されたレイフ・ラフレンツよりも遅い指名順位だった。ピアースがセルティックスを嫌っていた理由は、少年時代から大ファンであったロサンゼルス・レイカーズの当時のライバルチームだったからである。また10位まで順位が落ちてしまった要因として、ドラフト前のピアースに対する評価が高かったことに本人が気分を良くして、「SGではなくSFでプレーしたい」「サクラメントトロントには行きたくない」などと発言したことが、スカウト陣の印象を悪くしたのではないかとされている。それでもピアースは気持ちを切り替え、ルーキーシーズンから、16.5得点、6.4リバウンド.2.4アシストという、高い数字を残し、オールルーキー1stチームに選出された。

その後も迫力あるダンクと、高い成功率を誇るジャンプショットでチームに貢献。ところが3シーズン目の開幕前に、後述の事件により不安がよぎった。ところが驚異的な回復力で約1ヵ月後の開幕戦に復帰。さらには満身創痍ながら初の全82試合に先発出場し周囲を驚かせた。

以降、ピアースはセルティックスの新たなフランチャイズプレーヤーへと成長していく。2002年のプレイオフには、ウォーカーとのコンビでチームをカンファレンスファイナルまで導き、ニュージャージー・ネッツ相手に死闘を演じた。2002,2003年にはオールNBAサードチームに選出された。また、NBAオールスターゲームにも、5回出場している。

 
2008年の優勝パレードに参加するピアース

2003年以降は徐々にチーム成績が低下していき、何度もトレードが噂された。06-07シーズンにはオフに手術した左肘以外の新たなケガで長期欠場、さらにチームが20連敗をするなど、チームは泥沼状態に陥った。

これまでピアースは劣悪なチーム状況の中にいるグッドプレーヤーの典型であったが、チームに対して補強を強く要求したことが功を奏し、チームが改革に乗り出した。リーグ屈指のシューターレイ・アレンに加え、ミネソタ・ティンバーウルブズで同じく苦汁を舐め続けたケビン・ガーネットまでが立て続けにセルティックス入りを果たし、NBAでも屈指のビッグスリーが形成された。2007-08シーズン、協調性を重んじる3人のスターは見事なパフォーマンスを見せ、レギュラーシーズンを全体1位通過すると、プレーオフでも順当に勝ち上がりNBAファイナルに進出。幼少時代から見てきたロサンゼルス・レイカーズとの古豪対決を制し、優勝を果たした。ファイナル第1戦に右膝を捻挫したものの、シリーズを通してチームを支えファイナル6戦で平均21.8得点、4.5リバウンド、6.3アシストの活躍でピアースはファイナルMVPの栄冠に輝いた。

2010年11月4日には、セルティックス史上では3人目となる通算2万得点を達成した。[1]

2013年6月28日、ケビン・ガーネットジェイソン・テリーとともにブルックリン・ネッツに移籍した。

2014年7月17日、ワシントン・ウィザーズへの移籍を発表した。移籍が決まった際に、自身のフェイスブックジョン・ウォールバラク・オバマ大統領などに向けて「D.C.に来たぞ!!」と書き込み、喜びを表した。

2015年7月1日、ロサンゼルス・クリッパーズと3年1000万ドルで契約を結び、初めてアメリカ西海岸でプレーすることになった。しかし、クリッパーズ加入後は衰えが否めず、2015-16シーズンは自己最低の成績に終始し、2016-17シーズン限りでの引退を表明。2017年2月5日のTDガーデンでの古巣ボストン・セルティックス戦では先発で起用され、古巣のセルティックスファンから大歓声を受けた[2]。そして4月30日、プレーオフ1回戦のユタ・ジャズとの第7戦にクリッパーズは91-104で敗れ、遂にピアースの19シーズンにわたる選手生活が終了した[3][4]

2017年7月17日、ボストン・セルティックスと1日契約を結んだ。

2017年8月17日、セルティックスはピアースが着用していた背番号『34』を永久欠番にすると発表した[5][6]

NBAキャリアスタッツ編集

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ    リーグリーダー    優勝シーズン   

レギュラーシーズン編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1998–99 BOS 48 47 34.0 .439 .412 .713 6.4 2.4 1.7 1.0 16.5
1999–2000 73 72 35.4 .442 .343 .798 5.4 3.0 2.1 .8 19.5
2000–01 82 82 38.0 .454 .383 .745 6.4 3.1 1.7 .8 25.3
2001–02 82 82 40.3 .442 .404 .809 6.9 3.2 1.9 1.0 26.1
2002–03 79 79 39.2 .416 .302 .802 7.3 4.4 1.8 .8 25.9
2003–04 80 80 38.7 .402 .299 .819 6.5 5.1 1.6 .7 23.0
2004–05 82 82 36.1 .455 .370 .822 6.6 4.2 1.6 .5 21.6
2005–06 79 79 39.0 .471 .354 .772 6.7 4.7 1.4 .4 26.8
2006–07 47 46 37.0 .439 .389 .796 5.9 4.1 1.0 .3 25.0
2007–08 80 80 35.9 .464 .392 .843 5.1 4.5 1.3 .5 19.6
2008–09 81 81 37.5 .457 .391 .830 5.6 3.6 1.0 .3 20.5
2009–10 71 71 34.0 .472 .414 .852 4.4 3.1 1.2 .4 18.3
2010–11 80 80 34.7 .497 .374 .860 5.4 3.3 1.0 .6 18.9
2011–12 61 61 34.0 .443 .366 .852 5.2 4.5 1.1 .4 19.4
2012–13 77 77 33.4 .436 .380 .787 6.3 4.8 1.1 .4 18.6
2013–14 BKN 75 68 28.0 .451 .373 .826 4.6 2.4 1.1 .4 13.5
2014–15 WAS 73 73 26.2 .447 .389 .781 4.0 2.0 .6 .3 11.9
2015–16 LAC 68 38 18.1 .363 .310 .818 2.7 1.0 .5 .3 6.1
2016–17 25 7 11.1 .400 .349 .769 1.9 .4 .2 .2 3.2
Career 1,343 1,285 34.2 .445 .368 .806 5.6 3.5 1.3 .6 19.7
All-Star 10 0 13.6 .456 .188 .727 2.6 1.8 1.2 .1 9.6

プレーオフ編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2002 BOS 16 16 42.0 .403 .288 .764 8.6 4.1 1.7 1.3 24.6
2003 10 10 44.5 .399 .356 .863 9.0 6.7 2.1 .8 27.1
2004 4 4 40.5 .342 .294 .839 8.8 2.5 1.3 1.0 20.8
2005 7 7 39.6 .505 .259 .868 7.7 4.6 1.9 1.4 22.9
2008 26 26 38.1 .441 .361 .802 5.0 4.6 1.1 .3 19.7
2009 14 14 39.7 .430 .333 .842 5.8 3.1 1.1 .4 21.0
2010 24 24 38.8 .438 .392 .824 6.0 3.4 1.0 .6 18.8
2011 9 9 38.1 .459 .447 .882 5.0 2.8 1.3 .4 20.8
2012 20 20 38.9 .386 .310 .894 6.1 3.1 1.5 .9 18.9
2013 6 6 42.5 .368 .268 .897 5.7 5.3 .8 .5 19.2
2014 BKN 12 12 30.7 .465 .358 .781 4.5 2.0 1.2 .3 13.7
2015 WAS 10 10 29.8 .485 .524 .850 4.2 .9 .6 .7 14.6
2016 LAC 5 1 10.8 .167 .200 .850 1.2 .2 .4 .0 1.2
2017 7 0 14.4 .444 .400 1.000 2.0 .9 .3 .0 3.0
Career 170 159 36.6 .423 .355 .830 5.8 3.4 1.2 .6 18.7

刺傷事件編集

ピアースはデビュー3シーズン目を目前にした2000年9月25日ロサンゼルスナイトクラブにて暴漢に襲われ瀕死の重傷を負うという悲惨な事件に巻き込まれた。その場に居合わせたトニー・バティが救出したものの、ガラスの瓶で頭を殴られ、顔、首、背中など全身11ヶ所を刺されるなどして病院に運ばれ、緊急手術を受けた。肋骨に受けた刺し傷は肺までわずか1インチ足らずのところまで達していたそうである。ところがそのわずか3日後に退院し、驚異的な精神力と回復力で約1ヵ月後の開幕戦に復帰を間に合わせた。さらには満身創痍ながらもチーム唯一の、全82試合に先発出場し周囲を大いに驚かせた。さらにアントワン・ウォーカーを上回る平均25.3得点を挙げチームのリーディングスコアラーに急成長した。

プレイスタイル編集

攻守両面で活躍する、オールラウンダー

高いオフェンス能力を持ち、キャリア通算で1試合平均23.2得点。2005‐06シーズンには、キャリアハイの1試合50得点を挙げる。NBAのスコアラーにしては珍しく、身体能力に頼ったプレーよりも、基本に忠実なプレーで得点を重ねていく。ごく平均的な身体能力ながらも、シュートセレクションの良さや、シュートまでの駆け引きで相手を翻弄する「巧さ」を持つ。SGSFを兼任できる、スウィングマンの典型。フィジカルは強く、幅のある体でファウルをもらい、フリースローを確実に沈めることができる。インサイドで得点するだけでなく、3ポイントシュートも上手く、毎年100本以上決められる能力を携える、高精度なシューターでもある(2001-02シーズンには、210本もの3ポイントシュートを成功させた)。

オフェンスだけでなく、様々な面でチームに貢献する。ピアースのサイズはNBAの中ではごく平均的だが、1試合で7リバウンド、4アシスト近く計算できる総合能力を備える。また、前述の事件などもあり、心身ともに非常にタフな選手として知られる。

その他の雑記編集

アメリカ (NBA) で成功するには「メンタル・トレーニングと一貫性」が不可欠だとピアースは語る。ウィザーズに移籍してから、ジョン・ウォールブラッドリー・ビールといった若手選手たちに、こんなアドバイスを与えていたという。「決断しろ。お前は "Good" になりたいのか、それとも "Great" になりたいのか? もしグレイトになりたいのであれば、気が向いたらだけでなく、毎日やるべきことをやれ」。

カリフォルニア出身のピアースは、幼少の頃はレイカーズのファン。地元カリフォルニアの家族や友人の前でバスケットをするのは夢だったと話しながらもレイカーズではなくクリッパーズ (両チーム共にカリフォルニア・ロサンゼルスが球団本拠) と契約した。長年セルティックスでプレイしていたため、レイカーズ (セルティックスとは往年からのライバル・チーム) でするのは「絶対無理」だったそうである。

受賞歴編集

脚注編集

外部リンク編集