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マント事件(マントじけん)は、1912年第一高等学校(一高)に在学していた菊池寛が、友人の身代わりとなって同校を退学となった事件。

事件の発端編集

1912年4月、菊池寛の親しい友人で同級生の佐野文夫は、日本女子大学校に通う倉田艶子(倉田百三の妹)とのデートに、一高のシンボルであるマントを着ていきたいと思ったが、自分のマントは質入れしていたため、他人のものを黙って着て行き、返さずにいた。二日ほど後、佐野と菊池は金に窮してマントを質入れすることにした。しかしそのマントはすでに盗難届が出されていたため、その夜、菊池は寄宿舎の舎監に呼び出された。しかし佐野は不在であり、菊池は親友を守るため、その場は自分が盗んだことにして退出した[1]。その後帰寮した佐野に菊池がマントの件を質すと、佐野は親や親戚に合わせる顔がないと泣き出した[1]

菊池はそのまま自分が罪をかぶることを決意する。菊池は佐野や他の同級生より4歳も年上で親分気質があったことに加え、佐野には同性愛的慕情をいだいていたので、佐野の将来を考えて、自らが犠牲になる道を選んだという。菊池はのちに、この事件をモデルにした作品『青木の出京』の中で、「自分が崇拝する親友を救うことこそ英雄的であると信じ、それに陶酔し、感激していた」とそのときの心情を主人公に語らせている[2]。菊池の同性愛的嗜好と事件の関わりについては、この事件を著作や論文で取り上げた東條文規[3]関口安義[1]からも指摘されている。また、当時大学に進学するに当たって学資の当てがなかったことも、菊池が退学を決意する一因であったと関口安義は記している[1]

退学編集

結局、菊池は抗弁しないまま、退学処分を受け入れて一高を去ることになった、菊池は同級生の長崎太郎に「他言しない」条件で退学の経緯と事件の真相を告げ、長崎は菊池と佐野の救済を求めて校長の新渡戸稲造に相談した[1]。新渡戸からは「私にまかせてもらいたい。適当の処置を講じようから」という返答を得たが、校長を退任することがすでに決まっていたため、後任の校長となった瀬戸虎記にも長崎は事情を説明し、「善処する」という約束を取り付けた[1]。だが、学校側に呼ばれた菊池は前言を翻すことなく、退学することとなる[1]

菊池は長崎の行動を「自分の犠牲を無にした」となじる書簡を何度か出し、佐野が休学・謹慎により山口県に引き上げることになった際には「僕は君の親切を長く痛切に恨む。君は誰よりも怖しい(原文ママ)僕等(引用者注:佐野と菊池)の破壊者であった」と綴った[1]。さらに1912年7月の書簡では、自らのおこないを「少しも恥じるところはない」として、長崎のことを「馬鹿」「ケチな人間」「下らない聖書なんかよして講談本でも読んで常識を養い給え」などと、激しく罵倒した[1]。長崎は菊池が京都帝国大学に在籍していた1914年に面会した際、事件の折の行動に赦しを求めたところ、菊池は「今はもうそんなことは思っていない」と返答したという[1]

その後編集

退学後、困窮を見かねた同級生の成瀬正一の世話で菊池は成瀬家の書生となり、9月に京都帝国大学の英文科へ進学する(当初は選科で、翌年高等学校卒業検定試験に合格してから本科に移る)[1]。菊池は高等学校卒業検定試験合格の際に東京帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)への進学を希望していたが、当時の文科大学長上田萬年の認めるところとならなかったという[3]。卒業後、時事新報社の取材記者となり、『父帰る』を発表して人気作家の仲間入りをする[4]

佐野は父のいる山口に一度帰って謹慎生活を送ったのち一高を遅れて卒業、東京帝国大学の哲学科に進学しながら高校時代から続けていたレーニンフォイエルバッハローザ・ルクセンブルクなどの翻訳を手がけたが、1914年に東京帝大を中退した。

事件から6年後の1918年に、佐野が大連にあった南満州鉄道の調査課図書館に転職する際[1]、日本を離れる前に菊池と久米正雄に遭遇している。これをもとに菊池は同年に『青木の出京』を『中央公論』に発表。その中で、再会時の複雑な心境を綴っているが、同席していた久米は、二人が会ったときに昔どおりの親密な感じに戻ったことに驚いたという。

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 関口安義反骨の教育家 評伝 長崎太郎 II」『都留文科大学研究紀要 第64集』2006年
  2. ^ 『青木の出京』菊池寛 青空文庫
  3. ^ a b 東條文規「菊池寛と図書館と佐野文夫」『図書館という軌跡』、pp.335 - 354[1](初出は『香川県図書館学会会報』)
  4. ^ 「菊池寛・真珠夫人」松岡正剛の千夜千冊

参考文献編集

  • 関口安義『評伝 成瀬正一』日本エディタースクール、1994年

外部リンク編集