リュシアン・ファーヴル

スイスのサッカー選手・監督

リュシアン・ファーヴルLucien Favre1957年11月2日 - )は、スイスサン・パルテルミー出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

リュシアン・ファーヴル
OGCニース監督時代(2018年2月)
名前
ラテン文字 Lucien Favre
基本情報
国籍 スイスの旗 スイス
生年月日 (1957-11-02) 1957年11月2日(66歳)
出身地 サン・バルテルミー
身長 178cm
選手情報
ポジション MF
ユース
1967–1971 スイスの旗 FCウーレン
1972–1976 スイスの旗 FCローザンヌ・スポルト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976–1979 スイスの旗 FCローザンヌ・スポルト 30 (3)
1979–1981 スイスの旗 ヌーシャテル・ザマックス 51 (14)
1981–1983 スイスの旗 セルヴェットFC 59 (28)
1983–1984 フランスの旗 トゥールーズFC 35 (7)
1984–1991 スイスの旗 セルヴェットFC 134 (20)
通算 309 (72)
代表歴
1981–1989 スイスの旗 スイス 24 (1)
監督歴
1993–1994 スイスの旗 FCエシャレン
1996–2000 スイスの旗 イヴァドン・スポルトFC
2000–2002 スイスの旗 セルヴェットFC
2003–2007 スイスの旗 FCチューリッヒ
2007–2009 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン
2011–2015 ドイツの旗 ボルシアMG
2016-2018 フランスの旗 OGCニース
2018-2020 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
2022-2023 フランスの旗 OGCニース
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルシアン・ファブレと表記されることもある。

経歴 編集

選手経歴 編集

選手時代はヌーシャテル・ザマックスセルヴェットFCでプレー。エレガントなテクニックと知性的なゲームメイカーとしてのプレースタイルはミシェル・プラティニと比較された。1985年9月13日セルヴェットFC対ヴェヴェイ・スポルト戦でピエール=アルベール・シャピュイサ(ステファヌ・シャピュイサの父)のファウルにより左膝の半月板、前後十字靭帯を含む複数靭帯断裂の重傷を負った。この行為は審判によってファウルと認められなかったが、その後の民事裁判の末シャピュイサには傷害罪により5000フランケンの罰金刑が言い渡されている。[1]怪我からのカムバック後は、1987年からインテルナツィオナーレ・ミラノから加入したカール・ハインツ・ルンメニゲと共にセルヴェットFCでプレーしている。現役引退は1991年。

指導経歴 編集

1993年、ジュニアチームを指導していたFCエシャレンの監督就任の前にヨハン・クライフが監督を務めるFCバルセロナで15日間の研修をおこなう。オフ・ザ・ボールにおける動き、ショートパスを重要視する指導スタイル、ティキ・タカへの傾倒はこのときの経験に由来している。[2]

イヴァドン・スポルトFC、セルヴェットFCを経て2003年FCチューリッヒの監督に就任。2005年にチームをスイス・カップ優勝へ導く。続く2006年、スーパーリーグ優勝、更に翌年にはリーグ連覇を達成し、2年連続で年間最優秀監督へと選出される。

 
ヘルタ・ベルリン監督時代(2009年)

2007年から3年契約のオファーを受けヘルタ・ベルリンで監督業に従事。2008-09シーズンにはブンデスリーガを4位で終えUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。翌2009-10シーズンはクラブの経営難から選手の引き止め、および補強が思うように行かず,開幕直後から6連敗で最下位まで転落。2009年9月28日、7節目の試合直後に監督を解任された[3]

 
ボルシアMG監督時代(2011年)

2011年2月14日、ミヒャエル・フロンツェック監督解任の翌日からボルシア・メンヒェングラートバッハで監督として指導に当たる[4]。22節終了時点で勝ち点16、ブンデスリーガ最下位のチームを引き継いだが残された12試合で勝ち点20を獲得、入れ替え戦出場権を手に入れるとホーム・アンド・アウェーVfLボーフムに勝利、1部残留を実現させた。

2011-12シーズン開幕戦、バイエルン・ミュンヘン相手のアウェー戦で勝利を収めると第3節には首位を獲得、その後もシーズンを通して上位に食い込んだ。またDFBポカール準決勝にも駒を進めたが、バイエルン・ミュンヘン相手に延長、PK戦の末破れている。前シーズンのメンバーをほとんど入れ替えることなくリーグ戦4位でシーズンを終え、UEFAヨーロッパリーグ出場権をかけたプレーオフへの切符を手に入れた。オリンピック・マルセイユなどのオファーを断り2012年6月にはボルシア・メンヒェングラートバッハとの契約を2015年まで更新し[5]、2014-15シーズンはリーグ3位で終え、チームをUEFAチャンピオンズリーグ出場に導いたが、翌2015-16シーズンは開幕から不振に苦しみ、2015年9月20日に退任した。

2016年5月24日OGCニースの監督に就任した。

2018年5月22日ボルシア・ドルトムントの監督に就任した。契約期間は2020年6月まで[6]。しかし、覇権奪回を期待されながら、2年連続2位で終了。そして2020年12月12日のVfBシュトゥットガルト戦では1-5の大敗を喫し、翌日解任された[7][8]

監督成績 編集

2023年1月7日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
セルヴェット   2000年7月1日 2002年6月30日 83 34 26 23 040.96
チューリッヒ   2003年7月1日 2007年6月1日 169 94 33 42 055.62
ヘルタ・ベルリン   2007年6月1日 2009年9月28日 94 40 20 34 042.55
ボルシアMG   2011年2月14日 2015年9月20日 189 88 49 52 046.56
ニース   2016年5月24日 2018年5月20日 99 42 24 33 042.42
ボルシア・ドルトムント   2018年5月22日 2020年12月13日 110 68 18 24 061.82
ニース   2022年6月27日 2023年1月9日 26 8 9 9 030.77
合計 770 374 179 217 048.57

獲得タイトル 編集

選手時代 編集

セルヴェットFC
個人
  • スイス年間最優秀選手:1回(1982-83)

指導者時代 編集

セルヴェットFC
FCチューリッヒ
ボルシア・ドルトムント
個人
  • スイス・スーパーリーグ最優秀監督:2回(2006、2007)
  • Sport1年間最優秀監督:1回(2011)
  • 契約サッカー選手連盟シーズン最優秀監督:1回(2011-12)
  • キッカー誌選手選出前半戦最優秀監督:1回(2013-14)
  • キッカー誌選手選出シーズン最優秀監督:1回(2014-15)

脚注 編集

  1. ^ Das schlimme Foul an Favre – und seine juristischen Folgen tagesanzeiger.ch 2012年3月8日
  2. ^ Pedant im Dschungel spiegel.de 2011年12月12日
  3. ^ Jetzt ist Preetz gefragt kicker.de 2009年9月29日
  4. ^ Lucien Favre neuer Cheftrainer bei Borussia borussia.de 2011年2月14日
  5. ^ Vertrag mit Lucien Favre verlängert borussia.de 2012年6月4日
  6. ^ Lucien Favre wird Cheftrainer von Borussia Dortmundボルシア・ドルトムント 2018年5月22日
  7. ^ ルシアン・ファブレ監督解任のお知らせ”. ボルシア・ドルトムント (2020年12月13日). 2020年12月14日閲覧。
  8. ^ ドルトムントがファヴレ監督と決別、テルジッチ氏が監督昇格”. キッカー日本語版 (2020年12月13日). 2020年12月14日閲覧。

外部リンク 編集