ロータス・56 (Lotus 56) は、ガスタービンエンジンを搭載した四輪駆動のレーシングカー。モーリス・フィリップ英語版によって設計されたロータス・38英語版に代えて、1968年のインディ500英語版に投入された。四輪駆動のコンセプトは1969年のフォーミュラ1カーロータス・63に引き継がれ、ウェッジ形状の車体はロータス・72で成果を収めた。ロータス・56Bはモーリス・フィリップとコーリン・チャップマンが改修を施したマシンで、ゴールドリーフカラーに塗られ1971年のF1レースに数回参加した。

ロータス・56
ロータス・56B
デビッド・ウォーカー(英語版)のドライブする56B、ザントフォールト・サーキット
カテゴリー F1
USAC IndyCar
コンストラクター チーム・ロータス
デザイナー コーリン・チャップマン (テクニカルディレクター)
モーリス・フィリップ英語版 (チーフデザイナー)
先代 72 (F1)
42英語版 (USAC IndyCar)
後継 72 (F1)
64英語版 (USAC IndyCar)
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, インボードコイルスプリング ダンパー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, インボードコイルスプリング ダンパー
エンジン プラット・アンド・ホイットニー ガスタービン ミッドエンジン
トランスミッション ギアボックス、クラッチ無しh[1] 四輪駆動
重量 612kg (USAC IndyCar)
600kg (F1)
燃料 STP英語版 (USAC IndyCar)
シェル (F1)
タイヤ ファイアストン
主要成績
チーム ゴールドリーフ チーム・ロータス (F1)
ワールド・ワイド・レーシング (F1)
ドライバー オーストラリアの旗 デビッド・ウォーカー英語版 (F1)
スウェーデンの旗 レイネ・ウィセル (F1)
ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ (F1)
初戦 1968年のインディ500英語版 (USAC IndyCar)
1971年オランダグランプリ (F1)
出走優勝ポールFラップ
3000
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インディ500 編集

 
ジョー・レオナード英語版のロータス・56、 2011年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード
 
デモ走行するロータス・56

ロータス・56は1967年のSTP-パクストン・ターボカー(「サイレント・サム」)で使用されたST6ガスタービンエンジンの改良型を搭載した。ST6は史上最も人気があった小型航空機用ターボプロップエンジンの一つである。しかし車そのものは葉巻型ではなく空力的に優れた独特のくさび形ボディを導入した全く新しい、より進んだデザインであった。1968年はF1にウィングが導入された初めての年でもあった[2]インディ500の統括団体であるUSACは、吸気量を大幅に削減してガスタービンエンジンの出力を抑える新しいルールを導入した。ロータス・56はサイレント・サムの四輪駆動コンセプトを維持しながら、軽量化と高度な空力特性を備えたボディ、洗練されたサスペンション設計でエンジン出力の低下に対抗した。

ロータスはドイツでのフォーミュラ2レースでジム・クラークを失っていた。マイク・スペンス英語版はインディアナポリスで4台の56の内の1台をテスト中に事故死した。残された3台はグラハム・ヒルジョー・レオナード英語版アート・ポラード英語版の手によってレースに参加し、レオナードはポールポジションを獲得した。前年とは異なり、STP-パクストン・ターボカーがレースで他のクルマを容易に凌駕したのとは異なり、ガスタービンカーは他のトップ候補と比較的均等に調和していた。その要因はガスタービンエンジンではなく空気力学とシャシー設計に起因するものでなければなかった。ヒルの車は110周目にクラッシュし、ポラードの車は188周目に燃料シャフトの破損でリタイアした。一方レオナードはレースをリードしながら、残り数周というところで燃料シャフトトラブルでリタイアした。レースの後間もなく、USACはガスタービン車に追加の制限を課し、それは本質的にレースからガスタービン車を排除することとなった。2年連続のガスタービン車の出走はインディ500に革新をもたらしたが、USACはガスタービン車と四輪駆動車を完全に禁止した。マテルホットウィールの一つとして「ロータス・タービン」のダイキャストカーを生産したのは珍しいことであった。

1971年、ロータス・56はチーム・ロータスからF1世界選手権に投入された。しかしながら燃料補給無しで完走するために必要な大型燃料タンクは過重量となり競争力は無かった。

ロータス・56はレースで勝利することはなかったが、ジム・ホールシャパラル同様にレーシングカーの空力特性の重要性を実証し、その後のオープンホイールカーの典型的な形状を設定した。チャップマンのロータス・72は同じくさび形のノーズを採用し、F1世界選手権で3度のタイトルを獲得した。

フォーミュラ1 編集

コーリン・チャップマンはインディ500とフォーミュラ1の両方を走る単一のデザインの車を持つ計画の一環として、潜在的なF1マシン候補として56を開発したが、車重が重すぎて競争力がなかった。F1用の56は56Bと名付けられ、エマーソン・フィッティパルディは1971年のレース・オブ・チャンピオンズ英語版(ブランズ・ハッチ)とBDRCインターナショナル・トロフィー英語版(シルバーストン)のノンタイトル戦で56Bを試した。ブランズ・ハッチのプラクティスはウェット路面となり、56Bはポールタイムから遠く離されたが、決勝はドライ路面となり、フィッティパルディは34周目にリアサスペンションのトラブルでリタイアとなった。シルバーストンでは第1ヒートで3周を走っただけでサスペンショントラブルのためリタイアとなった。第2ヒートは3位となったが、総合では22位となった。デビッド・ウォーカー英語版オランダグランプリで車を走らせたが、ウェットコンディションの中22番グリッドからスタート、10位まで順位を上げたが5周目にコースアウト、リタイアとなった。フィッティパルディはイタリアグランプリに56Bで再び出場、トップから1周遅れの8位となった。

F1における全成績 編集

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ポイント 順位
1971年 ゴールドリーフ チーム・ロータス
ワールド・ワイド・レーシング
プラット・アンド・ホイットニー
ST6 ガスタービン
F RSA
 
ESP
 
MON
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
0 NC
デビッド・ウォーカー英語版 Ret
レイネ・ウィセル NC
エマーソン・フィッティパルディ 8

ノンタイトル戦における全成績 編集

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8
1971年 ゴールドリーフ チーム・ロータス F ARG ROC QUE SPR INT RIN OUL VIC
エマーソン・フィッティパルディ Ret Ret
レイネ・ウィセル Ret

参照 編集

  1. ^ Lotus 56B - F1technical.net”. 2017年6月11日閲覧。
  2. ^ The PT6 Nation 50th Anniversary”. 2017年6月11日閲覧。

関連項目 編集