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上信電鉄200形電車(じょうしんでんてつ200がたでんしゃ)は、1964年昭和39年)に登場した上信電鉄通勤形電車である。

上信電鉄200形電車
1次車デハ203と2次車デハ205(2007年 馬庭 - 吉井)
1次車デハ203と2次車デハ205(2007年 馬庭 - 吉井)
基本情報
製造所 東洋工機西武所沢車両工場
製造年 1964年・1969年
製造数 9両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
最高運転速度 85 km/h
設計最高速度 90 km/h
起動加速度 1.8 km/h/s[2](1M1T)
減速度(常用) 3.0 km/h/s[2]
車両定員 デハ200・クハ300共通
1次車:150人(座席60人)[1]
2次車:150人(座席66人)[1]
自重 1次車
デハ:36.0 t[1]
クハ:30.0 t[1]
2次車
デハ:35.5 t[1]
クハ:27.0 t[1]
最大寸法
(長・幅・高)
※共にデハ200
1次車:20,000 ×2,845 ×4,140 mm[1]
2次車:20,000 ×2,854.5 ×4,140 mm[1]
車体 普通鋼
台車 軸箱支持ウイングばね式コイルばね台車
1次車:KD207・KD207A[1][3]
2次車:FS342・FS342T[1][3]
主電動機 直流直巻電動機
1次車:TDK806/4-D[1][3]
2次車:TDK806/4-D1[1][3]
主電動機出力 100 kW[1][3]
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 84:15(5.6)[1][3]
定格速度 1次車:48.0 km/h[1]
2次車:47.0 km/h[1]
制御装置 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
ACF-H4100-574A[3]
制動装置 自動空気ブレーキ
(AMAR)
保安装置 ATS
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目次

概要編集

上信電鉄が当時計画していた日本国有鉄道(国鉄)上越線新前橋駅乗り入れ、および輸送力増強や車両の近代化を目的に自社発注した同社初の全鋼製、カルダン駆動車である[2][4]。1964年と1969年(昭和44年)の2次に渡って、下仁田向きの制御電動車であるデハ200(Mc)が5両、高崎向きの制御車であるクハ300(Tc)が4両の合計9両が導入された。以下1964年製のデハ201-203、クハ301・302を1次車、1969年製のデハ204・205、クハ303・304を2次車として記述する。なお、1次車はデハ3両に対してクハ2両の導入となっているが、これはデハ1両を多客時向けの予備車として、ラッシュ時などに下仁田側に連結して3両編成を組成するためである[2]

車体編集

1次車は国鉄101系電車、2次車は製造元の西武所沢車両工場で同時期に製造されていた西武101系電車に準じた設計とされ、いずれも20m級片側3扉の全鋼製車体であるが、車体外観はそれぞれ異なる[2][5]

前面デザインはいずれも3枚窓であり、前述の通り増結車を下仁田側に連結する関係上、高崎側を向き、車両間の通り抜けをしない前提のために非貫通型とされたクハ300の1次車以外はすべて貫通扉を備えた貫通型デザインとされた。 運転席は、本形式の新製当時上信線では保安システムタブレット閉塞を採用していたために、行き違い駅でのタブレット交換の利便性を図っていずれも進行方向右側に配されている[4]。 灯具類は正面上部中央にシールドビーム2灯式のヘッドライトを、尾灯は腰部に配置する。また運転台窓の上部左右には行先方向幕と種別幕を装備する。 また、低運転台を採用した1次車に対して、2次車は高運転台を採用したために運転台側のみ窓がやや小さくなっているのが特徴である。

屋根部分の構造は1次車は車体側構が屋根にまで回り込む形状の所謂張り上げ屋根、2次車は西武鉄道において清掃効率向上のために同社801系以降採用されていた雨どいを側面上方に配置した構造とされ、いずれも屋根上にはグローブ型ベンチレーターを7個設置した[6]

側面窓は1次車は自社の車体更新車と同様の特徴的な1段上昇式、2次車は西武鉄道の車両に倣った2段上昇式のものを採用した。側面客用ドアは両開き式で、夏季の室内換気および冬季の室内保温を目的として半自動開閉装置を搭載し、扉部分はいずれも室内側にも塗装を施した「塗りドア」だが、トップナンバーであるデハ201とクハ301のみ1970年代の一時期、外側を無塗装としたステンレス製のものが使用されており、外観上の特徴となっていた[2][5]

車体塗装に関しては、1次車は当初クリーム地に窓周りなどにマルーンの帯を巻いた当時の在来車両のものをアレンジした塗装を施されていたが、後述の2次車登場後に同様の「コーラルレッド」地に紺色の帯を施した塗装に変更された

車内編集

座席は1次車・2次車ともオールロングシートだが、1次車では乗務員室直後には座席が設けられなかったのに対して、2次車ではこの場所にも座席が設けられるなどの相違点がある。また、客用ドア3枚の内中間のドア脇には、車掌が車内巡回する際の利便性を図って車掌スイッチが設置された[4]。 その他各車内には7台の扇風機が設置された[6]

主要機器編集

1次車・2次車共基本的には共通である[4]。 また、粘着重量を有効利用するために、主制御器電動発電機空気圧縮機といった主要な機器はデハ200に集中搭載した[2]。このため同形式は当初より片運転台構造ではあるが、電気的には単独で走行することが可能であった。

主制御器は、1台で4基の主電動機を制御する1C4M仕様の東洋電機製造製電動カム軸接触式界磁制御付間接制御ACF-H4100-574Aを搭載する[3][6]発電制動を持たない力行のみの制御で主電動機2個1組を永久直列とし、直並列制御および弱め界磁制御を行う。主幹制御器は、力行のみ3ノッチとした[6]

主電動機には東洋電機製造製の補極付自己通風型直流直巻電動機TDK806/4-D[注釈 1]およびTDK806/4-D1を採用した[1][3]。駆動装置はKD315-Aハスバ歯車一段減速中空軸平行カルダン駆動装置を採用し、歯車比は84:15(5.6)である[6]定格速度は1次車48.0km/h、2次車47.0km/hといずれも通勤通学向けに使用される電車としては高めの数値となっている。

台車はいずれも国鉄DT21形台車の同等品で軸箱支持がウィングばね式コイルばね台車であり、1次車は近畿車輛製のKD207(Mc)・KD207A(Tc)、2次車は住友金属工業製のFS342(Mc)・FS342T(Tc)を採用した。なお、FS342台車は西武鉄道において601系から801系まで採用された機種だが、本形式に採用するにあたって、つば付円筒複列ころ軸受一体圧延車輪の採用などのマイナーチェンジが行われている[7]

常用ブレーキは空制のみで、在来の吊り掛け駆動車と同じく自動空気ブレーキ方式だが、M-23弁を用いたAMAR形を採用した[6]。またブレーキ故障に備えて手ブレーキを装備する[6]

電動発電機は東洋電機製造製TDK362-A(出力5kVA・2相交流100V-60Hz)、空気圧縮機はDH-25形(定格吐出量760L/min)を採用した[6]

変遷編集

 
250形と同様の塗装となったデハ205の増設運転台側(1991年頃上州富岡駅)

1次車と2次車は性能上の差異は殆どないため、共通に運用され1次車と2次車での混結も見られた。 また1981年には実質的な増備車として、両運転台構造、空気バネ台車などの新機軸を盛り込んだ250形が2両導入された。 こうして事実上11両体制となった後は、1000形と共に3両編成での運用を担うことが多くなった。

しかしモータリゼーションの進行に伴う乗客減を受けて運用の弾力化を図るため、デハ204とデハ205は1989年1990年に、廃車になった東武鉄道3000系の部品を譲り受けて両運転台化[注釈 2]された。この改造に際して塗装も250形の新製時と同様の塗装となり、同じく1両での運行も行われるようになった。 1996年にはワンマン運転の開始を前にして、ワンマン化改造が全車に対して行われた。また経営合理化が進むのと同時に塗装省力化も始まり、250形と同様の塗装になっていた前述の2両も含めて全車コーラルレッド1色となった。

現状編集

老朽化が進んでいることに加えクハ303以外が非冷房車であることから、西武鉄道から購入した500形や自社新造車7000形などへの置き換えが進められ、1次車は2013年に全廃された。現時点でも非冷房車は夏季は予備車となり運行する機会は少ない。ブレーキが電気機関車貨車と同じ自動空気ブレーキ方式であるため、デキ1形の牽引するイベント臨時列車の客車役や工事列車としてホキ800形のけん引役に使われる機会がある。また、2004年10月16日ダイヤ改正以降は終日2両編成で運用されている。

1次車編集

  • デハ202・クハ302- 2006年1月31日付けで廃車[8]
  • デハ203- 2013年3月31日付で廃車[9]。廃車後も高崎検車区に留置されていたが、2015年3月に高崎駅の待合室として使用するため、地元の群馬県立高崎産業技術専門校の訓練生たちの手によって車内にテーブルや冷房装置、JRの発生品のリクライニングシートを設置するなどの改装を受け、「電車型待合室 『絲綢之間(シルクのま)』」として高崎駅の側線を利用したスペースにて使用されている。

2次車編集

  • デハ204・クハ304 - デハは上述の通り両運転台化されているが、2004年のダイヤ改正以降はこの2両で編成を組むのが基本である。2005年12月より上信線沿線の富岡市にある富岡製糸場世界遺産に登録することを呼びかけるPR車両となった。コーラルレッドの車体色をそのまま生かした「世界遺産レンガ列車」と称し、下仁田側前面に「明治五年」、側面には「富岡製糸場を世界遺産に」と表記されている。2014年4月に茶色に塗り替えられた際にも側面の文字表記は残されたが、富岡製糸場が世界遺産登録されたことにより、「祝富岡製糸場世界遺産登録」に変更された。
  • デハ205 - 両運転台構造であることから、救援車代用として下仁田に留置されていたり、また2007年から2011年にかけては、補修待ち状態であったデキ1形に代わって事業用に運用されることが多かった。またデハ251やデハ204の検査時などにはクハと連結して営業運行に使用されることもある。1990年代以降塗装はコーラルレッド1色であったが、2010年9月に細い濃紺の帯が追加され登場時の塗装に戻った[10]。しかし2014年の全般検査に際し、500形第1編成などと同様1000形の登場時の塗装をアレンジしたアイボリー地に緑のラインを施した塗装に変更された。
  • クハ303 - 1997年にバスタイプの冷房装置が設置された。それ以降は冷房電源が搭載されている250形デハ251とほぼ固定編成状態(デハ251が検査の際はデハ205と組むことがある)である。2000年より前橋市にある人形等の製造販売会社「人形処かんとう」の広告車になっていたが2014年に解除され、デハ251と同様のアイボリー地に緑のラインを施した塗装に変更されている。2019年に、定期運用から離脱した後は、高崎駅の側線に留置されている。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 「 端子電圧750V、一時間定格出力100kW、定格電流150A、定格回転数1,860rpm(85%界磁) 」[6]
  2. ^ 増設した運転台も右側運転台である。形状は、種別・行先表示の位置から東武6000系電車に近い。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『鉄道ファン』通巻244号 巻末
  2. ^ a b c d e f g 『 電気車の科学(通巻196号)』 p.19
  3. ^ a b c d e f g h i 『鉄道ピクトリアル(通巻418号)』 p.136
  4. ^ a b c d 『鉄道ファン』通巻169号 p.41
  5. ^ a b 『鉄道ファン』通巻169号 p.40
  6. ^ a b c d e f g h i 『 電気車の科学(通巻196号)』 p.20
  7. ^ 『鉄道ピクトリアル(通巻471号)』 p.106
  8. ^ a b 服部 郎宏「その後の関東のローカル私鉄」、『鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション』33号(2016年3月臨時増刊)、鉄道図書刊行会 pp. 7
  9. ^ 鉄道ファン』2014年4月号記事より
  10. ^ 200形が復刻カラーになりました!(上信電鉄ホームページ2010年9月22日)

参考文献編集

  • 飯島 巌・諸河 久「上州名物 カカア天下と上信電鉄」、『鉄道ファン』169号(1975年5月号)、交友社 pp. 34-45
  • 飯島 巌「上信電鉄現有車両主要諸元表」、『鉄道ファン』244号(1981年8月)、交友社 pp. 巻末
  • 東洋工機株式会社「上信電鉄200系電車の概要」、『電気車の科学』17巻8号(1964年8月)、鉄道図書刊行会 pp. 19-20
  • 大島 登志彦「上信電鉄」、『鉄道ピクトリアル』418号(1983年6月臨時増刊)、鉄道図書刊行会 pp. 135-136
  • 鈴木 光雄「住友金属の台車」、『鉄道ピクトリアル』471号(1986年11月)、鉄道図書刊行会 pp. 106