世界囲碁選手権富士通杯
世界囲碁選手権富士通杯(せかいいごせんしゅけんふじつうはい)は世界各国・地域の代表選手による囲碁の世界一を決める棋戦。1988年にプロ棋士による世界選手権としては最初に開始され、2011年まで毎年1回、計24回開催された。
- 大会賞金
- (1回)優勝1500万円、2位700万円、3位230万円
- (14-15回)優勝2000万円、準優勝700万円、3位400万円、4位200万円、準々決勝戦敗退100万円、2回戦敗退60万円、1回戦敗退30万円
- (16-23回)優勝1500万円、準優勝500万円、3位300万円、4位150万円、準々決勝戦敗退80万円、2回戦敗退48万円、1回戦敗退24万円
- (24回)優勝1500万円、準優勝500万円、3位300万円、4位150万円、準々決勝戦敗退80万円、2回戦敗退45万円、1回戦敗退20万円
世界囲碁選手権富士通杯 | |
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国際 | |
概要 | |
主催 |
読売新聞社 日本棋院 関西棋院 |
後援 | 文部省→文部科学省 |
協賛 | 富士通 |
優勝賞金 | 1500万円 |
持ち時間 | 2時間 |
創設年 | 1988 |
終了年 | 2011 |
記録 |
出場選手
編集日本、中国、韓国、台湾、北米、南米、ヨーロッパなどの各国・地域から選抜されて出場、及び前年の優勝、準優勝、3位の選手がシードされる。日・中・韓・台は所属組織毎に選出、北米はプロ・アマチュア混合の予選で代表を選抜、南米、欧州はアマチュアの選手から選抜される。
第1回には、日本棋院5人、関西棋院2人、中国囲棋協会4人、韓国棋院3人、米国囲碁協会1人、ヨーロッパ囲碁連盟1名の16名が出場。第2回からは、前回の1-3位、日本7、中国5、韓国4、中華台北2、アメリカ、ヨーロッパ、南米各1の24名。
また日本棋院のマイケル・レドモンドが北米代表、タラヌ・カタリンが欧州代表として、韓国棋院の江鋳久が北米代表、スベトラーナ・シックシナが欧州代表として出場したこともある。
ルール
編集日本ルールで実施される。持ち時間は3時間。コミは当初は5目半だったが、第16回より6目半。対戦はトーナメント方式で、決勝戦まですべて1番勝負
過去の優勝者と決勝戦
編集(左が優勝者、カッコ内は3位決定戦)
- 第1回(1988年)武宮正樹(日本) - 林海峰(日本) (聶衛平 - 小林光一)
- 第2回(1989年)武宮正樹(日本) - 林海峰(日本) (曺薫鉉 - 徐奉洙)
- 第3回(1990年)林海峰(日本) - 聶衛平(中国) (小林光一 - 曺薫鉉)
- 第4回(1991年)趙治勲(日本) - 銭宇平(中国)(銭病気による不戦勝) (王立誠 - 小林光一(小林病気による不戦勝))
- 第5回(1992年)大竹英雄(日本) - 王立誠(日本) (劉小光 - 馬暁春)
- 第6回(1993年)劉昌赫(韓国) - 曺薫鉉(韓国) (加藤正夫 - 淡路修三)
- 第7回(1994年)曺薫鉉(韓国) - 劉昌赫(韓国) (林海峰 - 趙治勲)
- 第8回(1995年)馬暁春(中国) - 小林光一(日本) (劉昌赫 - 趙治勲)
- 第9回(1996年)李昌鎬(韓国) - 馬暁春(中国) (小林光一 - 劉小光)
- 第10回(1997年)小林光一(日本) - 王立誠(日本) (馬暁春 - 周鶴洋)
- 第11回(1998年)李昌鎬(韓国) - 常昊(中国) (劉昌赫 - 彦坂直人)
- 第12回(1999年)劉昌赫(韓国) - 馬暁春(中国) (小林覚 - 趙治勲)
- 第13回(2000年)曺薫鉉(韓国) - 常昊(中国) (睦鎮碩 - 小林覚)
- 第14回(2001年)曺薫鉉(韓国) - 崔明勲(韓国) (林海峰 - 周俊勲)
- 第15回(2002年)李世乭(韓国) - 劉昌赫(韓国) (王銘琬 - 李昌鎬)
- 第16回(2003年)李世乭(韓国) - 宋泰坤(韓国) (李昌鎬 - 依田紀基)
- 第17回(2004年)朴永訓(韓国) - 依田紀基(日本) (宋泰坤 - 劉昌赫)
- 第18回(2005年)李世乭(韓国) - 崔哲瀚(韓国) (劉昌赫 - 宋泰坤)
- 第19回(2006年)朴正祥(韓国) - 周鶴洋(中国) (李世乭 - 崔哲瀚)
- 第20回(2007年)朴永訓(韓国) - 李昌鎬(韓国) (依田紀基 - 張栩)
- 第21回(2008年)古力(中国) - 李昌鎬(韓国) (常昊 - 劉星)
- 第22回(2009年)姜東潤(韓国) - 李昌鎬(韓国) (朴永訓 - 常昊)
- 第23回(2010年)孔傑(中国) - 李世乭(韓国) (邱峻 - 朴文尭)
- 第24回(2011年)朴廷桓(韓国)- 邱峻(中国) (井山裕太 - 江維傑)
各回の結果
編集第1回
編集1988年4月2日に1回戦が行われ、2回戦は6月4日、準決勝は7月2日、決勝戦は9月3日に行われた。準決勝での林海峰と聶衛平の対局は、台湾と中国の棋士による、公式の場での初めての対局となった。
1回戦 | 2回戦 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
曺薫鉉(韓国) | × | |||||||||||||
小林光一(日本) | ○ | |||||||||||||
小林光一 | ○ | |||||||||||||
白石裕 | × | |||||||||||||
ユンホー・リム(アメリカ) | × | |||||||||||||
白石裕(日本) | ○ | |||||||||||||
小林光一 | × | |||||||||||||
武宮正樹 | ○ | |||||||||||||
張斗軫(韓国) | × | |||||||||||||
馬暁春(中国) | ○ | |||||||||||||
馬暁春 | × | |||||||||||||
武宮正樹 | ○ | |||||||||||||
武宮正樹(日本) | × | |||||||||||||
曹大元(中国) | ○ | |||||||||||||
武宮正樹 | ○ | |||||||||||||
林海峰 | × | |||||||||||||
趙治勲(日本) | ○ | |||||||||||||
兪斌(中国) | × | |||||||||||||
趙治勲 | × | |||||||||||||
林海峰 | ○ | |||||||||||||
徐奉洙(韓国) | × | |||||||||||||
林海峰(日本) | ○ | |||||||||||||
林海峰 | ○ | |||||||||||||
聶衛平 | × | 3位決定戦 | ||||||||||||
今村俊也(日本) | × | |||||||||||||
加藤正夫(日本) | ○ | |||||||||||||
加藤正夫 | × | 小林光一 | × | |||||||||||
聶衛平 | ○ | 聶衛平 | ○ | |||||||||||
ロナルド・シュレンパー(ヨーロッパ) | × | |||||||||||||
聶衛平(中国) | ○ | |||||||||||||
第2回
編集第2回は、第1回の1-3位の3名、日本7、中国5、韓国4、中華台北2、アメリカ、ヨーロッパ、南米各1の、計24名が参加し、1989年4月1、3日に1、2回戦を行い、6月3日に3回戦、7月1日に準決勝、8月5日に決勝戦が行われた。ヨーロッパは12カ国、南米はブラジル、アルゼンチンの2カ国による予選により出場。アメリカ代表で韓国出身の車敏洙のベスト8進出、13歳の韓国の新鋭李昌鎬の出場などが話題を集めた。決勝は武宮正樹と林海峰の第1回と同じ顔合わせになり、武宮が2連覇を果たした。
1回戦 | 2回戦 | 3回戦 | 準決勝 | 決勝戦 | ||||||||||||||
車敏洙(アメリカ) | ○ | |||||||||||||||||
山城宏(日本) | × | |||||||||||||||||
車敏洙 | ○ | |||||||||||||||||
大平修三(日本) | × | |||||||||||||||||
車敏朱 | × | |||||||||||||||||
曺薫鉉 | ○ | |||||||||||||||||
本田邦久(日本) | × | |||||||||||||||||
曹薫鉉(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
曺薫鉉 | ○ | |||||||||||||||||
小林光一(日本) | × | |||||||||||||||||
曺薫鉉 | × | |||||||||||||||||
武宮正樹 | ○ | |||||||||||||||||
ロナルド・シュレンパー(ヨーロッパ) | × | |||||||||||||||||
銭宇平(中国) | ○ | |||||||||||||||||
銭宇平 | × | |||||||||||||||||
武宮正樹(日本) | ○ | |||||||||||||||||
武宮正樹 | ○ | |||||||||||||||||
劉小光 | × | |||||||||||||||||
劉小光(中国) | ○ | |||||||||||||||||
梁宰豪(韓国) | × | |||||||||||||||||
劉小光 | ○ | |||||||||||||||||
趙治勲(日本) | × | |||||||||||||||||
武宮正樹 | ○ | |||||||||||||||||
林海峰 | × | |||||||||||||||||
陳長清(中華台北) | × | |||||||||||||||||
徐奉洙(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
徐奉洙 | ○ | |||||||||||||||||
加藤正夫(日本) | × | |||||||||||||||||
徐奉洙 | ○ | |||||||||||||||||
王銘琬 | × | |||||||||||||||||
王銘琬(中華台北) | ○ | |||||||||||||||||
李昌鎬(韓国) | × | |||||||||||||||||
王銘琬 | ○ | |||||||||||||||||
聶衛平(中国) | × | |||||||||||||||||
徐奉洙 | × | |||||||||||||||||
林海峰 | ○ | |||||||||||||||||
フェルナンド・アギラール(南米) | × | |||||||||||||||||
梁偉棠(中国) | ○ | |||||||||||||||||
梁偉棠 | × | |||||||||||||||||
林海峰(日本) | ○ | |||||||||||||||||
3位決定戦 | ||||||||||||||||||
林海峰 | ○ | 曺薫鉉 | ○ | |||||||||||||||
馬暁春 | × | 徐奉洙 | × | |||||||||||||||
淡路修三(日本) | ○ | |||||||||||||||||
陳臨新(中国) | × | |||||||||||||||||
淡路修三 | × | |||||||||||||||||
馬暁春(中国) | ○ | |||||||||||||||||
第3回
編集第3回は、日本、中国、韓国、中華台北、アメリカ、ヨーロッパ、南米の、計24名が参加。決勝戦は1990年8月4日に東京プリンスホテルで行われた。決勝では過去2大会で準優勝の林海峰が聶衛平を破って初優勝を果たした。
1回戦 | 2回戦 | 3回戦 | 準決勝 | 決勝戦 | ||||||||||||||
M.マクファディアン(ヨーロッパ) | × | |||||||||||||||||
大竹英雄(日本) | ○ | |||||||||||||||||
大竹英雄 | × | |||||||||||||||||
曺薫鉉(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
曺薫鉉 | ○ | |||||||||||||||||
山城宏 | × | |||||||||||||||||
曹大元(中国) | × | |||||||||||||||||
山城宏(日本) | ○ | |||||||||||||||||
山城宏 | ○ | |||||||||||||||||
徐奉洙(韓国) | × | |||||||||||||||||
曺薫鉉 | × | |||||||||||||||||
聶衛平 | ○ | |||||||||||||||||
江鋳久(中国) | × | |||||||||||||||||
大平修三(日本) | ○ | |||||||||||||||||
大平修三 | × | |||||||||||||||||
聶衛平(中国) | ○ | |||||||||||||||||
聶衛平 | ○ | |||||||||||||||||
車敏洙 | × | |||||||||||||||||
劉昌赫(中国) | × | |||||||||||||||||
趙治勲(日本) | ○ | |||||||||||||||||
趙治勲 | × | |||||||||||||||||
車敏洙(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
聶衛平 | × | |||||||||||||||||
林海峰 | ○ | |||||||||||||||||
張文東(中国) | × | |||||||||||||||||
坂田栄男(日本) | ○ | |||||||||||||||||
坂田栄男 | × | |||||||||||||||||
王立誠(中華台北) | ○ | |||||||||||||||||
王立誠 | × | |||||||||||||||||
林海峰 | ○ | |||||||||||||||||
梁宰豪(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
石田芳夫(日本) | × | |||||||||||||||||
梁宰豪 | × | |||||||||||||||||
林海峰(日本) | ○ | |||||||||||||||||
林海峰 | ○ | |||||||||||||||||
小林光一 | × | |||||||||||||||||
彭景華(中華台北) | × | |||||||||||||||||
李昌鎬(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
李昌鎬 | ○ | |||||||||||||||||
武宮正樹(日本) | × | |||||||||||||||||
3位決定戦 | ||||||||||||||||||
李昌鎬 | × | 曺薫鉉 | × | |||||||||||||||
小林光一 | ○ | 小林光一 | ○ | |||||||||||||||
D.リー(南米) | × | |||||||||||||||||
小林光一(日本) | ○ | |||||||||||||||||
小林光一 | ○ | |||||||||||||||||
汪見虹(中国) | × | |||||||||||||||||
第4回
編集第4回は、日本、中国、韓国、中華台北、アメリカ、ヨーロッパ、南米の、計24名が参加。決勝戦は1991年8月3日に東京プリンスホテルで予定されたが、決勝進出者の銭宇平が病気欠場のため、趙治勲の不戦勝による優勝となった。また同日予定の3位決定戦も、準決勝進出者の小林光一が病気欠場で王立誠の3位が決まった。
1回戦 | 2回戦 | 3回戦 | 準決勝 | 決勝戦 | ||||||||||||||
銭宇平(中国) | ○ | |||||||||||||||||
羽根泰正(日本) | × | |||||||||||||||||
銭宇平 | ○ | |||||||||||||||||
林海峰(日本) | × | |||||||||||||||||
銭宇平 | ○ | |||||||||||||||||
石田芳夫 | × | |||||||||||||||||
曹大元(中国) | × | |||||||||||||||||
石田芳夫(日本) | ○ | |||||||||||||||||
石田芳夫 | ○ | |||||||||||||||||
陳長清(中華台北) | × | |||||||||||||||||
銭宇平 | ○ | |||||||||||||||||
小林光一 | × | |||||||||||||||||
徐奉洙(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
苑田勇一(日本) | × | |||||||||||||||||
徐奉洙 | ○ | |||||||||||||||||
聶衛平(中国) | × | |||||||||||||||||
徐奉洙 | × | |||||||||||||||||
小林光一 | ○ | |||||||||||||||||
陳臨新(中国) | ○ | |||||||||||||||||
山城宏(日本) | × | |||||||||||||||||
陳臨新 | × | |||||||||||||||||
小林光一(日本) | ○ | |||||||||||||||||
銭宇平 | × | |||||||||||||||||
趙治勲 | 不戦勝 | |||||||||||||||||
彭景華(中華台北) | ○ | |||||||||||||||||
S.ワン(南米) | × | |||||||||||||||||
彭景華 | × | |||||||||||||||||
M.レドモンド(アメリカ) | ○ | |||||||||||||||||
M.レドモンド | × | |||||||||||||||||
王立誠 | ○ | |||||||||||||||||
劉小光(中国) | × | |||||||||||||||||
王立誠(日本) | ○ | |||||||||||||||||
王立誠 | ○ | |||||||||||||||||
曺薫鉉(韓国) | × | |||||||||||||||||
王立誠 | × | |||||||||||||||||
趙治勲 | ○ | |||||||||||||||||
馬暁春(中国) | ○ | |||||||||||||||||
武宮正樹(日本) | × | |||||||||||||||||
馬暁春 | ○ | |||||||||||||||||
李昌鎬(韓国) | × | |||||||||||||||||
3位決定戦 | ||||||||||||||||||
馬暁春 | × | 小林光一 | × | |||||||||||||||
趙治勲 | ○ | 王立誠 | 不戦勝 | |||||||||||||||
劉昌赫(韓国) | ○ | |||||||||||||||||
V.ボグダノフ(ヨーロッパ) | × | |||||||||||||||||
劉昌赫 | × | |||||||||||||||||
趙治勲(日本) | ○ | |||||||||||||||||
第5回
編集1992年4月4-6日に日本棋院で1-2回戦、6月6日に富士通関西システムラボラトリで3回戦、7月4日に日本棋院中部総本部で準決勝、8月1日に東京プリンスホテルで決勝戦と3位決定戦が行われた。
- 2回戦 大竹英雄 - M.レドモンド(米国)、聶衛平(中国) - 林海峰、
- 趙治勲(日本) - 兪斌、馬暁春(中国) - 石田芳夫、
- 王立誠(日本) - 徐奉洙、車沢武 - 小林光一(日本)、
- 曺薫鉉(韓国) - 彭景華、劉小光 - 武宮正樹(日本)
- 3回戦 大竹英雄 - 聶衛平、馬暁春 - 趙治勲、王立誠 - 車沢武、劉小光 - 曺薫鉉
- 準決勝 大竹英雄 - 馬曉春、王立誠 - 劉小光
第6回
編集1993年4月3-5日に日本棋院で1-2回戦、6月5日に北京市で3回戦、7月3日に富士通関西システムラボラトリで準決勝、8月7日に日本棋院で決勝戦と3位決定戦が行われた。
- 1回戦 淡路修三(日本) - 張文東(中国)、趙治勲(日本) - M.レドモンド(米国)、
- 劉昌赫(韓国) - 石田芳夫(日本)、林聖賢(中華台北) - S.ワン(南米)、
- 楊暉(中国) - 武宮正樹(日本)、徐奉洙(韓国) - A.ラザレフ(欧州)、
- 梁宰豪(韓国) - 林海峰(日本)、加藤正夫(日本)- 彭景華(中華台北)
- 2回戦 淡路修三 - 馬暁春(中国)、趙治勲 - 聶衛平(中国)、
- 劉昌赫 - 王立誠(日本)、大竹英雄(日本) - 林聖賢、
- 曺薫鉉(韓国) - 楊暉、小林光一(日本) - 徐奉洙、
- 邵煒剛(中国) - 梁宰豪、加藤正夫 - 劉小光(中国)
- 3回戦 淡路修三 - 趙治勲、劉昌赫 - 大竹英雄、曺薫鉉 - 小林光一、加藤正夫 - 邵煒剛
- 準決勝 劉昌赫 - 淡路修三、曺薫鉉 - 加藤正夫
第7回
編集1994年4月2-4日に日本棋院で1-2回戦、6月3日に慶州で3回戦、7月2日に富士通関西システムラボラトリで準決勝、8月6日に日本棋院で決勝戦と3位決定戦が行われた。
- 1回戦 石田芳夫(日本) - 梁宰豪(韓国)、李昌鎬(韓国) - 藤沢秀行(日本)、
- 2回戦 曺薫鉉(韓国) - 石田芳夫、加藤正夫(日本) - 李昌鎬、
- 華学明 - 大竹英雄(日本)、林海峰(日本) - 徐奉洙、
- 張文東(中国) - 陳国興、趙治勲(日本) - 兪斌、
- 劉昌赫(韓国) - 山城宏、小林光一(日本) - M.レドモンド
- 3回戦 曺薫鉉 - 加藤正夫、林海峰 - 華学明、趙治勲 - 張文東、劉昌赫 - 小林光一
- 準決勝 曺薫鉉 - 林海峰、劉昌赫 - 趙治勲
第8回
編集1995年に開催。
- 1回戦 聶衛平(中国) - 依田紀基(日本) 小林覚(日本) - 徐奉洙(韓国)、
- 2回戦 劉昌赫(韓国) - 聶衛平、 小林覚 - 曺薫鉉(韓国)、
- 曹大元(中国) - 車敏洙、小林光一(日本) - 李昌鎬、
- 張文東(中国) - 陳国興、趙治勲(日本) - 兪斌、
- 劉昌赫(韓国) - 山城宏、小林光一(日本) - M.レドモンド
- 3回戦 曺薫鉉 - 加藤正夫、林海峰 - 華学明、趙治勲 - 張文東、劉昌赫 - 小林光一
- 準決勝 曺薫鉉 - 林海峰、劉昌赫 - 趙治勲
第9回
編集1996年に開催。1回戦は4月6日に東京の日本棋院、2回戦は4月8日に茨城県つくば市、3回戦は5月31日に釜山市、準決勝は7月6日に大阪市、決勝戦は8月3日に東京九段会館で行われた。
- 3回戦 李昌鎬 - 王銘琬、小林光一 - 常昊、馬暁春 - 小林覚、劉小光 - 藤沢秀行
- 準決勝 李昌鎬 - 小林光一、馬暁春 - 劉小光
- 決勝戦 李昌鎬 - 馬暁春、3位決定戦 小林光一 - 劉小光
第10回
編集1997年に開催。1回戦は4月12日、2回戦は4月15日にに東京の日本棋院、3回戦は6月7日に中国棋院、準決勝は7月5日に大阪市、決勝戦は8月2日に東京九段会館で行われた。
- 3回戦 小林光一 - 常昊、周鶴洋 - 武宮正樹、王立誠 - 趙治勲、馬暁春 - 林海峰
- 準決勝 小林光一 - 周鶴洋、王立誠 - 馬暁春
- 決勝戦 小林光一 - 王立誠、3位決定戦 馬暁春 - 周鶴洋