伊田篤史
伊田 篤史(いだ あつし、1994年3月15日 - )は、日本棋院中部総本部所属の囲碁棋士、八段。三重県鈴鹿市出身。馬場滋九段門下。夫人は万波奈穂。
伊田篤史 八段 | |
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名前 | 伊田篤史 |
生年月日 | 1994年3月15日(26歳) |
プロ入り年 | 2009年 |
出身地 | 三重県 |
所属 | 日本棋院中部総本部 |
師匠 | 馬場滋 |
段位 | 八段 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 6 |
七大タイトル | |
本因坊 | 挑戦者 (2014) |
十段 | 1期 (2015) |
来歴編集
アマ五段の父親の影響を受け、双子の弟とともに幼少の頃から囲碁に興じ、伊田は小学3年の時に漫画「ヒカルの碁」を読むようになったのを機にプロ入りを決意した。2004年、鈴鹿市立白子小学校4年で少年少女囲碁大会に出場し、1勝をあげるも富士田明彦に敗れる[1]。2005年同5年で少年少女囲碁大会に出場し、6位入賞[2]。2006年同6年で少年少女囲碁大会に出場し、トーナメント本戦まで勝ち上がるも、後に院生となる3位入賞者に敗れる[3]。同年日本棋院中部総本部の院生となる。2009年、中部枠1名で入段し、中学卒業・高校進学とともにプロ棋士となった。
2012年2月(18歳)、国際戦の第4回BCカード杯予選で、姜儒澤四段、李熙星九段を破り、村川大介七段とともに本戦入り。日本勢のBCカード杯予選突破は史上初。なお、その後の本戦では、64強戦で彭筌七段に勝ち(3月3日)、32強戦で孔傑九段に負ける(3月18日)。
2013年、第69期本因坊戦予選Aで石田篤司九段・植木善大八段に勝利し最終予選進出。最終予選で二十四世本因坊秀芳・三村智保九段そして決勝で趙善津九段に勝利してリーグ入りを果たし、初の三大棋戦リーグ入りとともに、四段から七段に飛付昇段を果たす。七段に飛付昇段した記録では、日本棋院の最低段からの昇段となった(当時。それまでの最年少本因坊リーグ入りは、井山裕太の20歳2か月。これは更新したが、さらに年少の余正麒が同期にリーグ入りしたため、最年少記録の樹立はならず。また飛び級昇段記録も余の三段から七段が、日本のプロ組織全体での最低段記録)。
2014年、第69期本因坊戦リーグで山下敬吾名人・結城聡十段・高尾紳路九段・河野臨九段・余正麒七段に勝利して5勝1敗とし、最終戦の7局目では6連勝の山下敬吾と対戦しこれを降す。6勝1敗で並んだことによりプレーオフとなり、山下を再度降し、挑戦権を獲得。20歳0か月での挑戦者は、本因坊戦史上最年少(それまでの最年少記録はリーグで伊田に土をつけた張栩の21歳)。規定により八段昇段。挑戦手合では、井山裕太本因坊に1勝4敗で敗れてタイトル奪取は成らず。第53期十段戦予選Aで松岡秀樹九段に勝利し最終予選進出。最終予選で清成哲也九段に勝利し本戦進出。本戦では蘇耀国八段・結城聡九段・志田達哉七段に勝利し決勝進出。
2015年2月5日、第53期十段戦挑戦者決定戦で小林覚九段を破る。20歳での十段挑戦権獲得は井山裕太の21歳を抜き最年少記録。第62回NHK杯テレビ囲碁トーナメントで松本武久七段・山田拓自八段・結城聡NHK杯・黄翊祖八段・羽根直樹九段、そして2月16日(収録。放送は3月15日)決勝で一力遼七段に勝利し20歳11か月で優勝。これはNHK杯優勝の史上最年少記録。また、4月22日、第53期十段戦で高尾紳路十段を3勝2敗で破り十段位獲得。自身初の七大タイトルを獲得するとともに、入段から七大タイトル獲得までの年数最短記録を更新した(6年0か月。それまでの最短は柳時熏の6年8か月)。9月、第40期棋聖戦Cリーグで4勝1敗でBリーグ昇格。賞金ランキングで自己最高の4位。
2016年4月の第54期十段戦挑戦手合では、すでに六冠を獲得し七冠独占を目前にしていた井山裕太と対戦。0勝2敗で迎えた第3局で勝利し、井山の七大タイトル挑戦手合連勝記録を18でストップさせたものの、第4局で敗れ、井山の囲碁界史上初の七冠を許した[4]。8月、第41期棋聖戦Bリーグ残留。11月、中部総本部所属棋士の棋戦である第57期王冠戦で羽根直樹王冠に中押し勝ちし、王冠位を奪取した[5]。
2017年8月、第42期棋聖戦Bリーグ6位で降格[6]。11月13日、第58期王冠戦で六浦雄太七段を破り防衛[7]。
2018年2月12日、女流棋士の万波奈穂三段と結婚。11月25日、第59期王冠戦で中野寛也九段を退け防衛、3連覇を果たす。
棋風編集
「厚く戦う」ことを基本とした本格派。
履歴・良績編集
棋譜編集
網走スベリ編集
第69期本因坊戦挑戦手合の第3局(対井山裕太)で、通常はaの小ゲイマスベリのところ、白の伊田は白1と大ゲイマにスベって話題になった。本局が北海道網走市で打たれたため、この手は後に「網走スベリ」と呼ばれるようになった。