唯物史観
唯物史観(ゆいぶつしかん)は、「唯物論的歴史観」の略であり[要出典]、史的唯物論(してきゆいぶつろん、独: Historischer Materialismus)と同義である。
概要 編集
19世紀にカール・マルクスの唱えた歴史観である。その内容は「人間社会にも自然と同様に客観的な法則が存在しており、無階級社会から階級社会へ、階級社会から無階級社会へと、生産力の発展に照応して生産関係が移行していく」とする発展史観である。
ヘーゲル哲学の弁証法(矛盾から変化が起こる)を継承しており、人間社会の歴史に適用された唯物弁証法(弁証法的唯物論)とも言える[注 1]。またフォイエルバッハやフランス唯物論者たちから唯物論を継承している。
定式化 編集
マルクスは『経済学批判』の序言で唯物史観を定式化し、これを自らの「導きの糸」と呼んでおり、その内容は以下である。
人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。
このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。
一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。
大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。
考え方 編集
資本主義経済の仕組みを分析したカール・マルクスは「歴史はその発展段階における経済の生産力に照応する生産関係に入り、生産力と生産関係の矛盾により進歩する」という考えに基づいて、唯物史観の概念を発展させた。生産関係とは、共同狩猟と食料の採集であり、封建領主と農奴の関係であり、資本主義段階における労働者と資本家の間に結ばれる契約というような概念である。マルクスは、生産様式、搾取、剰余価値、過剰生産、物神崇拝、資本の本源的蓄積などについて分析することで、19世紀当時の資本主義の論理を厳密に考察したのち、「資本主義はその内在する矛盾から必然的に社会主義革命を引き起こし、次の段階である共産主義に移行する」と考えた。
マルクスやマルクス主義者の理論は歴史の発展過程を以下のように説明する:
- 社会の発展は、その社会のもつ物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされる。
- 社会は、その生産力により必然的に一定の生産関係[注 2]に入る。それは社会にとって最も重要な社会的関係である。
- 生産力が何らかの要因で発展すると、従来の生産関係との間に矛盾が生じ、その矛盾が突き動かす力により生産関係が変化(発展)する。これが階級闘争を生み出し歴史を突き動かす基本的な力であると考える。
- 生産力や生産関係は、個々の人間の意図や意志とは独立して変化する。
- 政治的法律的上部構造は、生産関係を中心とする経済のあり方(土台=下部構造)に規定される。(下部構造が上部構造を規定する)
- 今ある生産関係の形態がもはや生産力の発展を助けず、その足かせとなるとき、革命が起こる。
狩猟採集社会は、経済力と政治力が同じ意味を持つ組織であった。封建社会では、王や貴族たちの政治力は、農奴たちの住む村々の経済力と関係していた。農奴は、完全には分離されていない二つの力、すなわち政治力と経済力に結びつけられており、自由ではなかった。こうしたことを踏まえてマルクスは、「資本主義では経済力と政治力が完全に分離され、政府を通して限定的な関係をもつようになる」と述べた。
批判 編集
唯物史観への批判については、マックス・ヴェーバーや経済学者・政治哲学者マレー・ロスバードなどによるものなど多数ある[1]。
文献資料 編集
基本文献 編集
- 『経済学批判』序言
- 岡崎次郎著。『世界大思想大全集』河出書房、『経済学批判』大月書店国民文庫、『猿が人間になるについての労働の役割』大月書店国民文庫などに収録。
- 『ドイツ・イデオロギー』
- 大月書店国民文庫、岩波文庫、新日本出版社古典選書などなどに収録。
関連文献 編集
- 堺利彦『唯物史觀の立場から』三田書房、1919年8月。
- 三木清『唯物史觀と現代の意識』岩波書店、1928年5月。
- 廣松渉『唯物史観の原像』三一書房〈三一新書737〉、1971年3月。
- 原光雄『唯物史観の原理』青木書店、1960年6月。
- 河上肇『唯物史觀研究』弘文堂書房、1921年8月。
- 岩佐茂『人間の生と唯物史観』青木書店〈青木教養選書〉、1988年12月。ISBN 4250880494
- 武市健人『ニヒリズムと唯物史観』福村書店〈ロゴス新書〉、1947年10月。
- 田山春夫『われらの「社会学」:やさしい唯物史観』くれは書店、1948年6月。
- 服部之総『明治維新史:唯物史觀的研究』大鳳閣書房、1930年4月。
- 富沢賢治『唯物史観と労働運動:マルクス・レーニンの「労働の社会化」論』ミネルヴァ書房、1974年10月。
- 梅本克己『唯物史観と現代』岩波書店〈岩波新書〉、1967年9月。(第2版、1974年6月。ISBN 9784004120087)
- 中村静治『唯物史観と経済学』大月書店、1988年9月。ISBN 4272110608
- 滝村隆一『唯物史観と国家理論』三一書房、1980年5月。
- 影山光夫『唯物史観と変革の論理』こぶし書房、1971年7月。
- 影山光夫『唯物史観と経済学』こぶし書房、1973年6月。
- 淡野安太郎『初期のマルクス:唯物史観の成立過程』勁草書房、1956年11月。
- 潮文社編集部編『マルクス主義:唯物史観のホントとウソ』潮文社〈潮文社新書〉、1976年8月。
脚注 編集
注釈 編集
出典 編集
- ^ Murray Rothabrd (1995), An Austrian Perspective on the History of Economic Thought, Volume 2, Edward Elgar Publishing Ltd, Chapter 12, p.371-385. p.433.