喜多見駅
喜多見駅(きたみえき)は、東京都世田谷区喜多見九丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 15。世田谷区最西端の駅である。
喜多見駅 | |
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南口(2021年11月21日) | |
きたみ Kitami | |
◄OH 14 成城学園前 (1.1 km) (1.1 km) 狛江 OH 16► | |
所在地 | 東京都世田谷区喜多見九丁目2-26 |
駅番号 | OH15 |
所属事業者 | 小田急電鉄 |
所属路線 | ■小田原線 |
キロ程 | 12.7 km(新宿起点) |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面4線* |
乗降人員 -統計年度- |
[小田急 1]29,015人/日 -2022年- |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)4月1日 |
備考 | *通過線2線含む |
概要
編集新宿駅から15番目(新宿駅含む)の駅。世田谷区と狛江市の区市境上にあり、駅西側(狛江駅方)3分の1程が同市に跨がっているが、正式な駅所在地は駅事務室・改札がある世田谷区喜多見九丁目とされている。
新宿駅から下り方向で世田谷区内最後の駅である。成城学園前駅 - 当駅間に国分寺崖線が存在するため、以前は急な下りとなっていたが、当駅高架化と成城学園前駅地下化に伴い、現在では線路高低差は緩やかとなっている。
過去に、都心から玉川通り、世田谷通りの地下を通り当駅で小田急線へ乗り入れる地下鉄構想、小田急多摩線を当駅より分岐する構想があったが、いずれも他計画へ振替えられた[注 1]。1997年(平成9年)に高架化工事が完成し、また、1994年(平成6年)に当駅 - 野川間に喜多見検車区が建設された(出入区は成城学園前駅との間で行う)。駅前は2007年(平成19年)に再開発が実施された。
「成城学園前管区成城学園前管内」に属する[1]。
歴史
編集年表
編集- 1927年(昭和2年)4月1日:開設[2]。
- 1937年(昭和12年)9月1日:片瀬江ノ島駅行「直通」の停車駅となる(小田原方面行「直通」は通過)。
- 1948年(昭和23年)9月:桜準急新設、停車駅となる。
- 1951年(昭和26年)4月:準急の停車駅となる。
- 1964年(昭和39年)11月5日:準急の通過駅となる。
- 1989年(平成元年)7月:当駅 - 和泉多摩川駅間複々線化工事着工[3]。
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)3月26日:上下線高架化(上り線は仮設ホームで営業)[4][5]。
- 1996年(平成8年)12月1日:上り線ホームが本設ホームへ移設[4]。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)9月10日:小田急マルシェオープン。
- 2002年(平成14年)12月:世田谷代田駅 - 当駅間立体化完成。
- 2004年(平成16年)12月11日:区間準急新設、停車駅となる[9]。
- 2014年(平成26年)1月:OH 15の駅ナンバリング導入、使用開始[10]。
- 2016年(平成28年)3月26日:区間準急廃止、再度各停のみ停車となる[11]。
- 2018年(平成30年)3月17日:東京メトロ千代田線直通列車(全区間各停)停車開始[12]。同時に準急が緩行線側(ホーム側)を通過するようになる。
駅名の由来
編集地名より名付けられた。「喜多見」と言う地名は、江戸時代以前は「木田見」や「北見」と表記されていたが、徳川家康江戸入城の際に「喜多見」と言う表記となった。元禄年間には喜多見藩が置かれている。
駅構造
編集-
北口(2021年11月)
-
改札口(2021年11月)
-
ホーム(2011年4月)
-
シンボルカラーは明るい灰色
喜多見駅 配線図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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間に通過線を挟んだ相対式ホーム2面4線を有する高架駅。線路・ホームは高架上に、改札口は地上にある。複々線区間にあり、各停は当駅で特急ロマンスカー・快速急行・急行等に追い越される場合がある。
高架化以前は西側にも臨時改札口が存在したが、2013年(平成25年)現在は東側1箇所のみ。屋根はホーム全面を覆っている。線路部分は覆っていない。
世田谷区内の新設高架駅ではデザインが統一されており、各駅ごとに基調色を定め、特徴としている。基調色は旅客上屋の柱などに使用されている。当駅の場合、淡いクリーム色である。また、旅客上屋の形状はアーチ状となっている。これは後に高架化された千歳船橋駅も踏襲している。駅舎両脇の高架下は商業施設として利用されている。
のりば
編集ホーム | 路線 | 方向 | 軌道 | 行先[13] |
---|---|---|---|---|
1 | 小田原線 | 下り | 緩行線 | 小田原・片瀬江ノ島方面 |
通過線 | □小田原線 | 下り | 急行線 | (下り列車通過) |
通過線 | 上り | (上り列車通過) | ||
2 | 小田原線 | 上り | 緩行線 | 新宿・ 千代田線方面 |
※下り東北沢駅 - 登戸駅間、上り向ヶ丘遊園駅 - 東北沢駅間急行線・緩行線は原則として以下の通りに使い分けられている。
- 〔急行線〕
- □特急ロマンスカー・■快速急行・□通勤急行・■急行が使用する。成城学園前駅 - 経堂駅間のみ□通勤準急も使用する。
- 〔緩行線〕
- ■準急・■各停が使用する。□通勤準急も上記以外の区間で使用する。
- 但し、千代田線直通上り■急行は、経堂駅以東で緩行線を使用する。
出入口
編集北口・南口共に段差を気にすることなく移動が可能。
駅構内設備
編集駅舎は1990年代の設計・建築のため、施設は比較的充実している。
旧駅舎
編集駅舎・線路共に地上にあった。駅舎は上りホーム側にあり、下りホームとは跨線橋により連絡されていた。下りホームには臨時改札口があった。
機器
編集施設
編集- トイレ:改札内改札階北口側にある。多目的トイレも併設されている。
- 休憩コーナー:改札内側改札階に2か所ある(旧・喫煙所)。
- 水飲み場:各ホーム1か所ずつある。
- 待合室:各ホーム1か所ずつ、合計2か所ある。2004年(平成16年)秋に新設された。
- エレベーター:改札階と各ホーム階間を連絡する2基がある。
- エスカレーター:改札階と各ホーム階間を連絡し両方向に4基がある。
-
エレベーター上部には四角錐の構造物がある。
-
ベンチは線路と直交している。
商業設備・施設
編集利用状況
編集2022年度(令和4年度)の1日平均乗降人員は29,015人である[小田急 1](小田急線全70駅中36位)。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員[16] |
1日平均 乗車人員[17] |
出典 |
---|---|---|---|
1948年(昭和23年) | [18] 3,699 | ||
1956年(昭和31年) | 3,598 | [* 1] | |
1957年(昭和32年) | 4,019 | [* 2] | |
1958年(昭和33年) | 4,407 | [* 3] | |
1959年(昭和34年) | 4,916 | [* 4] | |
1960年(昭和35年) | 10,746 | 5,417 | [* 5] |
1961年(昭和36年) | 11,992 | 5,940 | [* 6] |
1962年(昭和37年) | 13,473 | 6,753 | [* 7] |
1963年(昭和38年) | 15,416 | 7,754 | [* 8] |
1964年(昭和39年) | 17,467 | 8,797 | [* 9] |
1965年(昭和40年) | 18,605 | 9,361 | [* 10] |
1966年(昭和41年) | 19,132 | 9,521 | [* 11] |
1967年(昭和42年) | 18,842 | 9,346 | [* 12] |
1968年(昭和43年) | 18,836 | 9,203 | [* 13] |
1969年(昭和44年) | 18,600 | 9,318 | [* 14] |
1970年(昭和45年) | 18,655 | 9,520 | [* 15] |
1971年(昭和46年) | 19,551 | 9,896 | [* 16] |
1972年(昭和47年) | 20,741 | 10,480 | [* 17] |
1973年(昭和48年) | 21,503 | 10,869 | [* 18] |
1974年(昭和49年) | 23,475 | 11,743 | [* 19] |
1975年(昭和50年) | 23,910 | 12,050 | [* 20] |
1976年(昭和51年) | 24,643 | 12,366 | [* 21] |
1977年(昭和52年) | 25,038 | 12,588 | [* 22] |
1978年(昭和53年) | 25,228 | 12,773 | [* 23] |
1979年(昭和54年) | 24,942 | 12,649 | [* 24] |
1980年(昭和55年) | 25,078 | 12,687 | [* 25] |
1981年(昭和56年) | 25,492 | 12,934 | [* 26] |
1982年(昭和57年) | 25,600 | 12,986 | [* 27] |
1983年(昭和58年) | 25,526 | 13,064 | [* 28] |
1984年(昭和59年) | 25,977 | 13,274 | [* 29] |
1985年(昭和60年) | 27,660 | 13,677 | [* 30] |
1986年(昭和61年) | 27,874 | 13,782 | [* 31] |
1987年(昭和62年) | 28,132 | 13,860 | [* 32] |
1988年(昭和63年) | 28,613 | 14,203 | [* 33] |
1989年(平成元年) | 28,695 | 14,199 | [* 34] |
1990年(平成 | 2年)27,535 | 14,237 | [* 35] |
1991年(平成 | 3年)27,626 | 14,259 | [* 36] |
1992年(平成 | 4年)27,517 | 14,255 | [* 37] |
1993年(平成 | 5年)27,747 | 14,463 | [* 38] |
1994年(平成 | 6年)27,825 | 14,576 | [* 39] |
1995年(平成 | 7年)27,732 | 14,459 | [* 40] |
1996年(平成 | 8年)27,455 | 14,287 | [* 41] |
1997年(平成 | 9年)27,152 | 14,260 | [* 42] |
1998年(平成10年) | 27,227 | 14,444 | [* 43] |
1999年(平成11年) | 27,691 | 14,796 | [* 44] |
2000年(平成12年) | 27,861 | 14,846 | [* 45] |
2001年(平成13年) | 28,454 | 15,112 | [* 46] |
2002年(平成14年) | 29,352 | 15,574 | [* 47] |
2003年(平成15年) | 30,097 | 15,842 | [* 48] |
2004年(平成16年) | 32,236 | 15,997 | [* 49] |
2005年(平成17年) | 32,367 | 16,052 | [* 50] |
2006年(平成18年) | 32,537 | 16,121 | [* 51] |
2007年(平成19年) | 32,652 | 16,246 | [* 52] |
2008年(平成20年) | 32,415 | 16,118 | [* 53] |
2009年(平成21年) | 32,043 | 15,940 | [* 54] |
2010年(平成22年) | 31,519 | 15,666 | [* 55] |
2011年(平成23年) | 31,185 | 15,516 | [* 56] |
2012年(平成24年) | 31,769 | 15,789 | [* 57] |
2013年(平成25年) | 32,310 | 16,064 | [* 58] |
2014年(平成26年) | 31,963 | 15,923 | [* 59] |
2015年(平成27年) | 32,973 | 16,445 | [* 60] |
2016年(平成28年) | 33,662 | 16,791 | [* 61] |
2017年(平成29年) | 34,306 | 17,118 | [* 62] |
2018年(平成30年) | 34,418 | 17,184 | [* 63] |
2019年(令和元年) | 34,207 | 17,068 | [* 64] |
2020年(令和 | 2年)25,497 | 12,767 | [* 65] |
2021年(令和 | 3年)[小田急 2]26,993 | ||
2022年(令和 | 4年)[小田急 1]29,015 |
駅周辺
編集北口・南口それぞれに駅前広場がある。ロータリーはない。駅東側の高架下にはタクシー乗り場があるが常駐はしていない。
駅両脇の高架下に商業施設小田急マルシェ喜多見がある。出店テナント全店の一覧・詳細は公式サイト「店舗一覧」を参照。
-
北口広場
-
南口広場
-
箱根そばは改札から離れた場所にある。
北口
編集- 警視庁成城警察署 喜多見駅前交番
- 旧カトリック喜多見教会 - 小田急電鉄の前身である小田原急行鉄道の創始者・利光鶴松が建てた聖堂がルーツである。
- 喜多見駅前郵便局
- 電力中央研究所 狛江地区
- ティップネス 喜多見店
- 小田急研修センター
- 小田急電鉄喜多見検車区
- 世田谷区きたみふれあい広場
南口
編集関連施設
編集成城学園前駅 - 当駅間に喜多見電車基地・喜多見総合事務所がある。このため、当駅を発着する電車はここで乗務員交代が行われる場合がある。
バス路線
編集全て小田急バスにより運行される。
北口交番の傍に「喜多見駅」停留所がある。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 藤田雄介(小田急電鉄CSR・広報部)「総説:小田急電鉄」『鉄道ピクトリアル』第70巻第8号(通巻976号)、電気車研究会、2020年8月10日、13頁、ISSN 0040-4047。
- ^ 『小田急五十年史』小田急電鉄、1980年12月、98 - 99頁。doi:10.11501/11956508 。
- ^ 佐藤信之「小田急電鉄連続立体化・複々線化事業を振り返る」『鉄道ピクトリアル』第68巻第6号(通巻946号)、電気車研究会、2018年6月1日、68頁、ISSN 0040-4047。
- ^ a b 編集部「小田急の複々線区間工事前後を見る」『鉄道ピクトリアル』第68巻第6号(通巻946号)、電気車研究会、2018年6月1日、41頁、ISSN 0040-4047。
- ^ “小田急・喜多見-和泉多摩川間 26日から複線高架に”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1995年3月15日)
- ^ “小田急小田原線(成城学園前駅 - 登戸駅間)線増連続立体交差事業 4月27日(日)から喜多見、狛江、和泉多摩川3駅の新駅舎を使用開始 同区間の複々線化工事の完成は平成9年6月を予定しています”. 小田急電鉄. 1997年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月20日閲覧。
- ^ “小田急 連続立交化6月完成 喜多見 - 和泉多摩川 新駅舎27日から使用”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1997年4月18日)
- ^ 寺西知幸「複々線化進展による江ノ島線への波及効果」『鉄道ピクトリアル』第70巻第8号(通巻976号)、電気車研究会、2020年8月10日、217頁、ISSN 0040-4047。
- ^ 『12月11日(土)、小田急線のダイヤ改正を実施 -複々線化区間の延伸、新種別の導入で所要時間が短縮します-』(プレスリリース)小田急電鉄、2004年10月6日。オリジナルの2005年3月8日時点におけるアーカイブ 。2021年5月5日閲覧。
- ^ 『小田急線・箱根登山線・箱根ロープウェイ・箱根海賊船にて 2014年1月から駅ナンバリングを順次導入します! 新宿駅から箱根・芦ノ湖まで通しのナンバリングにより、わかりやすくご利用いただけます』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄 / 箱根登山鉄道、2013年12月24日。オリジナルの2021年5月9日時点におけるアーカイブ 。2021年5月9日閲覧。
- ^ 『2016年3月26日(土)小田急線ダイヤ改正を実施します ロマンスカー停車駅の新設および東京メトロ千代田線直通列車の増発』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2015年12月18日、6頁。オリジナルの2019年6月6日時点におけるアーカイブ 。2020年5月10日閲覧。
- ^ 『代々木上原 - 登戸間の「複々線化」により小田急の通勤が変わる! 2018年3月、新ダイヤでの運行開始 〜ラッシュピーク混雑率150%、町田〜新宿間の最大12分短縮を実現〜 〜快速急行の登戸停車や列車種別の新設で、都心へのアクセス向上〜』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2017年11月1日。オリジナルの2019年4月15日時点におけるアーカイブ 。2020年5月10日閲覧。
- ^ “喜多見駅のご案内 駅立体図”. 小田急電鉄. 2023年6月3日閲覧。
- ^ 世田谷区統計書 - 世田谷区
- ^ 統計情報 - 狛江市
- ^ レポート - 関東交通広告協議会
- ^ 東京都統計年鑑 - 東京都
- ^ Template:URLhttp://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/46,14816,c,html/14816/44-1-1.pdf - 狛江市
- 小田急電鉄の1日平均利用客数
- ^ a b c “鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか”. 小田急電鉄. 2023年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- ^ “鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか”. 小田急電鉄. 2023年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- 東京都統計年鑑
- ^ 昭和31年 (PDF) - 14ページ
- ^ 昭和32年 (PDF) - 14ページ
- ^ 昭和33年 (PDF) - 14ページ
- ^ 昭和34年
- ^ 昭和35年
- ^ 昭和36年
- ^ 昭和37年
- ^ 昭和38年
- ^ 昭和39年
- ^ 昭和40年
- ^ 昭和41年
- ^ 昭和42年
- ^ 昭和43年
- ^ 昭和44年
- ^ 昭和45年
- ^ 昭和46年
- ^ 昭和47年
- ^ 昭和48年
- ^ 昭和49年
- ^ 昭和50年
- ^ 昭和51年
- ^ 昭和52年
- ^ 昭和53年
- ^ 昭和54年
- ^ 昭和55年
- ^ 昭和56年
- ^ 昭和57年
- ^ 昭和58年
- ^ 昭和59年
- ^ 昭和60年
- ^ 昭和61年
- ^ 昭和62年
- ^ 昭和63年
- ^ 平成元年
- ^ 平成2年
- ^ 平成3年
- ^ 平成4年
- ^ 平成5年
- ^ 平成6年
- ^ 平成7年
- ^ 平成8年
- ^ 平成9年
- ^ 平成10年 (PDF)
- ^ 平成11年 (PDF)
- ^ 平成12年
- ^ 平成13年
- ^ 平成14年
- ^ 平成15年
- ^ 平成16年
- ^ 平成17年
- ^ 平成18年
- ^ 平成19年
- ^ 平成20年
- ^ 平成21年
- ^ 平成22年
- ^ 平成23年
- ^ 平成24年
- ^ 平成25年
- ^ 平成26年
- ^ 平成27年
- ^ 平成28年
- ^ 平成29年
- ^ 平成30年
- ^ 平成31年・令和元年
- ^ 令和2年