小田急バス

東京都と神奈川県で路線バスを運行する事業者

小田急バス株式会社(おだきゅうバス、: Odakyu bus Co., Ltd.)は、東京都および神奈川県路線バスを運行する、小田急電鉄グループ(小田急グループ)の会社である。本社は東京都調布市仙川町2丁目19番地5に存在する。

小田急バス株式会社
Odakyu bus Co., Ltd.
OdakyuBus Headquarters.jpg
小田急バス本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 小田急バス
本社所在地 日本の旗 日本
182-8567[1]
東京都調布市仙川町2丁目19番地5[1]
設立 1950年9月1日[1]
業種 陸運業
法人番号 1012401021275
事業内容 一般乗合旅客自動車運送業(乗合バス)
特定旅客自動車運送業
一般貸切旅客自動車運送業(貸切バス)
不動産業
代表者 代表取締役社長 抱山 洋之
資本金 1億円
売上高 153億4900万円(2018年3月31日現在)
純利益 8億1700万円(2019年03月31日時点)[2]
純資産 78億6600万円(2019年03月31日時点)[2]
総資産 248億7300万円(2019年03月31日時点)[2]
従業員数 1,332名(2019年3月31日現在)[1]
主要株主 小田急電鉄 100%
(同社の連結子会社
主要子会社 小田急シティバス株式会社
川崎交通産業株式会社[3]
外部リンク https://www.odakyubus.co.jp/
特記事項:前身の武蔵野乗合自動車株式会社は1932年6月1日設立[1]
指標は2017年3月31日現在。
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子会社として小田急シティバスタクシー事業者の川崎交通産業(小田急バス100%出資)[3]がある。

概要編集

 
小田急バスの車両 調布駅北口にて

主な事業は路線バスの運行である。東京都および神奈川県内に6つの営業所を持ち、一般路線バスの運行にもっとも多くの車両を割いている。その他、空港連絡バスの運行にも参入している。高速バス事業は子会社の小田急シティバスに移管した。

路線バスの運行エリアは、武蔵野市三鷹市調布市狛江市を中心とする東京北多摩南部、東京23区内では世田谷区渋谷区、南多摩地区では稲城市町田市神奈川県内では川崎市北部(多摩区麻生区)および横浜市北部(青葉区)などに及ぶ。主要なターミナル駅は、吉祥寺駅三鷹駅調布駅新百合ヶ丘駅など。近年はコミュニティバスの運行受託にも力を入れており、平成15年10月国土交通省から「国土交通特別大臣賞」を受賞した。[要出典]

バス事業以外に副業として、住宅・オフィスビル・駐車場の賃貸や分譲などを行っている。ガソリンスタンドの営業も行っていたが、2014年10月31日をもって全店が閉店した[注釈 1]。本社は、小田急バスとなった当初は新宿に置かれたが、1990年代に移転し、現在は調布市仙川バスターミナルに隣接した場所にある。本社ビルの1階には同社が運営していたガソリンスタンド跡に入居したENEOSのガソリンスタンドがある。

小田急バスおよび立川バス系の労働組合は、小田急電鉄労働組合などと同様私鉄総連に加入しているが、労使協調路線が多い小田急グループの中では例外的に労働組合の力が強く、春闘や秋闘になるとストライキに突入する場合もある。

なお、元内閣総理大臣羽田孜は、小田急バスに約10年間勤務していた(詳細は羽田孜#小田急バス勤務時代を参照)。

営業エリアについて編集

 
吉祥寺駅前の繁華街を行く小田急バスの車両

後述する歴史のとおり、小田急バスの前身は調布を本拠として設立された「武蔵野乗合自動車」という会社であり、現在の調布市、三鷹市武蔵野市に路線を持つ、小田急電鉄とは全く関係ないバス事業者であった[4][注釈 2]。武蔵野乗合は戦時中も大東急に統合されることなく、戦後も独立系のバス専業事業者として存続していたが、経営難から国際興業の傘下入りした[4]

一方、戦後に大東急から離脱して新発足した小田急電鉄は直営のバス部門を持たなかったため[注釈 3]、小田急電鉄沿線に他社のバス路線が乗り入れるようになっており、東京近郊の沿線でのバス路線開設が宿願となっていた。そのため小田急電鉄が、当時国際興業の傘下であった武蔵野乗合を買収し社名変更して、現在の小田急バスが発足した[4]

このような沿革を持つため、小田急バスは調布市に本社を置き、小田急電鉄沿線ではない調布・三鷹・武蔵野地区に路線基盤を有しているのである[4]

なお小田急グループ全体としては、小田急電鉄沿線に以下の事業者が路線を有している。いずれも大東急離脱後に小田急グループ入りした企業である。その後、小田急電鉄直営による「小田急直系」バス部門として小田急箱根高速バスが誕生している。

歴史編集

武蔵野乗合の創業編集

小田急バスの始まりは昭和初期に遡る。東京赤坂に本社をおいていた安全自動車が吉祥寺 - 野崎 - 調布間の路線を運営していた。しかし当時の北多摩地域はまだ人口も少なく、経営状態は良くなかった。そこに長野県出身の児玉衛一が着目し、五島慶太の助言を受けた上で安全自動車を買収し、1932年(昭和7年)6月1日[1]調布を本拠として武蔵野乗合自動車を設立した[4]

武蔵野乗合自動車の創業当時の路線は、調布 - 三鷹天文台 - 武蔵境と、調布 - 野崎 - 吉祥寺の2路線であった[4][注釈 4]。だが沿線人口が少ないこともあり安全自動車と同様に経営は苦しく、かった。また安全自動車から引き継いだ車両の老朽化による故障にも苦しんだ[4]

1937年(昭和12年)に吉祥寺駅南口へ本社と営業所を移転し、同時に、吉祥寺 - 野崎、武蔵境 - 野崎の2路線を運行開始した[4]

戦時体制に入るにつれて、武蔵野乗合自動車でも戦時輸送が大きな割合を占めていくこととなる。沿線には、中島飛行機富士重工)、日本無線正田製作所日産自動車)などの軍需工場が多数あり、それら工場への従業員輸送を多く担っていた[4]

戦時体制下では陸上交通事業調整法の公布により、バス事業者は極力統合される方向となり、武蔵野乗合自動車が路線を持っていた東京西部地域では、東京急行電鉄(いわゆる大東急)として統合される方針であった。しかし武蔵野乗合自動車は大東急に統合されることはなかった。終戦間近の1944年(昭和19年)には吉祥寺駅周辺が強制疎開の対象地域となり、武蔵野乗合は本社・営業所を野崎に移転。不要不急路線を休止して軍需工場輸送に全力を挙げた[4]

小田急電鉄による買収編集

1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎え、翌1946年に武蔵野乗合では、需要の多い吉祥寺 - 新川間で輸送を再開した。翌1947年には車両購入のため増資したが、当時は燃料事情が厳しくガソリン車の購入が制限されていたため電気バスを採用、戦時中に製造され武蔵野乗合が保有していた「中島式SKS電気バス」(中島飛行機とは無関係)[5]を再生して使用、さらに4台の中古電気バスを購入。これにより、調布 - 三鷹天文台 - 武蔵境と、調布 - 野崎 - 吉祥寺の2路線を復活させたが、当時の電気バスはバッテリー上がりや坂道での故障など問題が多かったため、進駐軍払い下げ車のGMCアンヒビアンバス(軌陸両用バス)改造車6両を投入。運行を行う体制は徐々に整っていくものの、業績悪化は続いていた[4]

1949年(昭和24年)には、東京急行電鉄から東都乗合自動車を買収して乗合バス事業に進出した国際興業から(創業者の小佐野賢治は五島慶太と親交が深かった)、武蔵野乗合自動車に対しても買収の申し入れがあり、同年8月に武蔵野乗合自動車は、国際興業傘下のバス事業者となった。負債などは国際興業が肩代わりしたが、経営状態は相変わらず厳しいものであった[4]

一方、1948年(昭和23年)に東京急行電鉄から分離した小田急電鉄は、大東急離脱時に神奈川中央交通などを傘下としたものの、自社でバス事業を運営していなかったことから同業他社に立ち遅れ、小田急電鉄沿線には他社のバス路線が進出していた。こうした事態を打開すべく小田急電鉄もバス事業に進出を計画するが、戦後復興優先の時代では新規事業の許認可取得は難しく、既存事業者の買収を図ることとなった。バス事業への進出を悲願とする小田急電鉄と、経営難の武蔵野乗合再建よりも自社エリアの事業拡充を考える国際興業の意思が一致したことにより、1950年(昭和25年)8月17日に小田急電鉄は武蔵野乗合自動車を買収、同年9月1日に商号を変更して小田急バスが誕生した。本社も三鷹市野崎から渋谷区の小田急電鉄本社内へ移転した[4]

小田急バスの成立と発展編集

小田急バス発足時の体制は以下の通りであった[4]

  • 本社:東京都渋谷区千駄ヶ谷5丁目862番地(小田急電鉄本社内)
  • 営業所:三鷹営業所(東京都三鷹市野崎)
  • 車両:38両
  • 運行路線:11路線、104km
    • 吉祥寺- 柿生、吉祥寺 - 調布、吉祥寺 - 牟礼、武蔵境 - 野崎、武蔵境 - 東京駅丸の内南口、その他
    武蔵境 - 東京駅丸の内南口は、小田急バス成立直前に開業した路線。都営バス京王帝都電鉄(現:京王電鉄バス)との共同運行[4]

小田急バスとして発足後は、積極的に新車導入を進め、ボンネットバス日野トレーラーバスを導入して旧型車両を代替した。車体の塗装も一新され(現在も安全運転訓練車で見られる旧塗装)、1950年(昭和25年)9月にはシンボルマークとして車体に犬のレリーフが取り付けられた。発足後まもなく世田谷区内に路線を進出、1950年11月には若林営業所を新設し、1951年には同営業所で貸切バス事業も開始した。こうして小田急グループの一員として着実に新生を進め、1953年(昭和28年)には早くも黒字に転換、同年には現行の赤と白の車体色が採用されている[4]

1950年代には路線網も大きく拡充を図り、1950年(昭和25年)には、新宿 - 三軒茶屋(三軒茶屋線)、新川 - 経堂等の運行を開始した。また都心部に進出を図るも、この地域にはすでに東急や京王など同業他社による路線が張り巡らされており、小田急バスが新規路線を開業する余地は少なかったが、東京急行電鉄との交渉の末、渋谷駅 - 成城学園前駅(渋24系統)、千歳烏山駅 - 成城学園前駅(成06系統)の路線譲渡を受けることができた。また国領 - 成城間の免許を取得して渋谷まで路線をつないだ[4]

1950年代後半以降、小田急バスの営業エリアである調布・三鷹・武蔵野市や世田谷区内では急速に宅地化が進み、駅などへの輸送需要が発生し、新設路線や既存路線の延長が相次いだ。この地域での輸送拡充に対応するため、1953年(昭和28年)には野崎にあった三鷹営業所を吉祥寺へ再移転して吉祥寺営業所とし、1959年(昭和34年)には武蔵境営業所、1960年(昭和35年)には狛江営業所を新設した[4]

1960年代には、バス車掌の不足により1961年から武蔵境営業所管内でワンマン運転を開始、近隣他社と同じく1970年代にはワンマン化が完了している。またこの時代にはモータリゼーションの進展とともに渋滞など道路状況の悪化が進み、運行の定時性が失われて乗客減を招いた。特に狭隘路線の多い世田谷区では影響が大きく、また車両制限令に抵触する路線も出たため、都区内の路線については再編が進み、長距離路線の廃止、踏切をまたぐ路線の分断などが行われた[4]

逆に多摩西部と神奈川県内では、郊外のベッドタウン化により好況が続き、大規模団地建設やよみうりランドなどのレジャー施設開業による路線新設が相次いだ。小田急電鉄沿線での路線網拡大のため、1967年(昭和42年)には神奈川県内初の営業所として生田営業所(現:登戸営業所)が開設された。以降、1970年代から1980年代にかけては、小田急電鉄沿線を中心とした神奈川県内(川崎市北部・横浜市北部)および隣接する町田市稲城市での路線網拡大が続くことになる。1983年(昭和58年)には町田営業所を開設、新百合ヶ丘駅以西の路線を生田営業所から移管し、この地域のニュータウン輸送を分担するようになる[4]

コミュニティバス運行受託編集

東京都内においても、主要幹線道路から離れた場所では公共交通機関が不便な地域が残り、高齢化などによる交通弱者の移動手段を確保するためにも、交通不便地域を解消することが地方自治体の一つの課題となっていた。このため、1990年代以降は各地でコミュニティバスの導入が増えており、実際の運行は地域のバス事業者に委託する形を取ることが多い。

小田急バスにおいても、1990年代後半から東京多摩地域および世田谷区内でコミュニティバスの運行受託を開始している[6]1998年(平成10年)の三鷹市「みたかシティバス」運行受託を皮切りに、2000年(平成12年)に武蔵野市「ムーバス」に参入、2001年(平成13年)には世田谷区コミュニティバスに参入した。2002年には稲城市iバス」を単独受託、2003年(平成15年)には調布市ミニバスに参入。2005年には町田市玉ちゃんバス」、2008年には狛江市こまバス」を運行受託している[6]

小田急シティバスの設立編集

東京・神奈川を走る他事業者のバスと同様、時代とともに小田急バスの輸送人員は減少傾向に陥る一方で、労働集約型産業であるバス事業では人件費等の費用は大きく減少せず、抜本的な改善が求められるようになった。1991年(平成3年)より道路運送法で定められた「一般乗合バス事業の管理の受委託」が解禁されており、不採算路線を子会社に委託することにより収支改善を図ることが可能となった。そのため、高速バス事業の移管と、若林営業所管内の都区内路線の運行委託を目的として、2000年(平成12年)2月1日に小田急バス若林営業所内に子会社として小田急シティバスが設立された。

小田急バスは同年8月から、夜行高速バス「ルミナス号」を小田急シティバスに移管した。翌2001年(平成13年)には一般路線の運行委託を開始、同年1月には、下61系統(北沢タウンホール - 駒沢陸橋)、同年5月には渋54系統(梅ヶ丘駅北口 - 渋谷駅)、同年11月には梅01系統、歳22系統(梅ヶ丘駅北口 - 千歳船橋駅・希望ヶ丘団地)、新宿ランド線(新宿駅西口 - よみうりランド)の計4路線を小田急シティバスに運行委託した。

また、2000年(平成12年)以降に実施されたバス事業の規制緩和により都市間ツアーバスの運行が開始され、運賃の低廉化が進んだ。小田急バスが運行する高速バスもこの影響を受けて乗客が減少傾向となった。様々な合理化方策やサービスの改善(女性専用車両の導入)などを行ったものの収支は厳しく、このため2002年(平成14年)[7][8]4月に小田急バスが当時運行していた高速バス全路線(秋田線、広島線、三原線、岐阜線、高知線)を小田急シティバスへ移管した。

年表編集

武蔵野乗合自動車編集

  • 1932年(昭和7年)6月1日 - 安全自動車を買収し、調布を本拠として武蔵野乗合自動車を設立[4][1]
  • 1937年(昭和12年)- 本社・営業所を吉祥寺駅南口へ移転[4]
  • 1944年(昭和19年)- 強制疎開により、本社・営業所を吉祥寺駅南口から三鷹市野崎へ移転[4]
  • 1949年(昭和24年)8月 - 国際興業により買収され、武蔵野乗合自動車は国際興業の傘下となる[4]

小田急バス編集

各営業所(車庫)所在地編集

営業所名後ろの括弧内の英字は営業所を略記する際の記号。

廃止された営業所編集

現行路線編集

空港連絡バス編集

高速バス編集

高速バス路線は小田急シティバスに移管した。詳細は小田急シティバス#高速路線を参照。

路線バス編集

  • 各営業所の項を参照。

コミュニティバス受託編集

小田急シティバス委託路線については、小田急シティバス#コミュニティバスを参照。

乗車券類編集

小田急バスでは、下記の各種乗車券を発行している。詳細は公式サイト「乗車券のご案内」を参照。

IC定期券

PASMO・Suicaのみに搭載可能な全線定期券。2012年5月10日から、紙式定期券を廃止しICカード化した。ただし区間指定・他社共通など、一部の定期券は紙式で残されている。また、紙式定期券の時代は運賃エリアごとに発売されていたが、定期券のICカード化を機に全線定期券に統一された。

1日フリーパス

小田急バス・小田急シティバスの全路線で利用できる一日乗車券(他社の共同運行路線、高速バス・空港連絡バス、一部のコミュニティバスを除く)[17]。PASMO・SuicaにSF残額から差し引く形で付加する。IC定期券同様に上記以外の交通系ICカードには搭載不可。深夜バス乗車時は別途普通運賃相当額を支払って利用する。

ICカード化される以前は、都内乗り継ぎ一日乗車券として、利用範囲が都区内均一運賃エリアに限られていたが、現在では武相運賃エリアや神奈川県内を含め、全ての一般路線で利用が可能となった。以前は紙製と磁気カード式の一日乗車券が存在した。2008年に全営業所でPASMOが導入されるまでは、紙製のスクラッチ式で最初の乗車の際に初乗り券を切り取って利用する方式だった。磁気カード式は各営業所・案内所・バス車内で発売しており、料金機の磁気カードリーダーライターに通して利用する方式となっていたが、発売が2013年3月31日、使用が4月30日をもって終了し、5月1日からは小田急バス営業所・案内所等にて無手数料で払い戻している。

ナイスパス

満65歳以上の高齢者を対象とした特別割引乗車券[18][19]。本券を提示することで小田急バス及び小田急シティバスの一般路線バス全線が1乗車100円で利用できる(深夜バスは倍額)。支払いは現金のみでPASMOなどの乗車カード類は使用できない。高速バスリムジンバスやもともと運賃が100円であるムーバスは利用できない。

同じ小田急グループの神奈川中央交通の「かなちゃん手形[20]とほぼ同様のサービスで、東京都シルバーパスや川崎市・横浜市が発行する敬老乗車証[注釈 5]の利用対象外の乗客も含めて、高齢者の路線バス利用を促進するための事業として行っている。

1箇月・2箇月・6箇月券がある。初回購入時に年齢を証明できる公的身分証明書が必要で、2回目以降の購入は旧券と引き替えとなる。またスタンプカードによるポイントサービスがあり、購入時に有効月数分(1箇月分に付き1個)の捺印がなされ、スタンプが6個たまると次回購入分の有効期間が1箇月分延長される。

みたかシティバス専用乗車券
  • みたかシティバス専用乗換カード[21]
2020年中に発売・利用とも終了予定。詳細は「みたかシティバス#みたかシティバス専用乗換カード」を参照。
  • 三鷹の森ジブリ美術館往復割引乗車券[22]
三鷹の森ジブリ美術館来館者向けの往復割引乗車券。みたかシティバスの特定ルートで利用可能。詳細は「みたかシティバス#運行内容」を参照。

車両編集

車種編集

 
小田急バスのハイブリッド車 武蔵境駅南口にて

一部のコミュニティバス用の小型車と、ハイブリッド車日野自動車製が配置されているが、ほとんどの車種がいすゞ自動車ジェイ・バス)製、または三菱ふそうトラック・バス製である。路線バスの車両は大型車が多いが、一部の営業所には中型車も投入されている。9m大型車、10.5m級中型長尺車の投入はない。

過去の車両では、三菱ふそう・エアロスターにおいては、三菱ふそうバス製造(当時:三菱自動車バス製造)に一本化されるまでは、当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製の車体(エアロスターM)を導入していた。

またいすゞ車においては、純正ボディ(当時:アイ・ケイ・コーチ→いすゞバス製造)以外に、富士重工業架装の車両も導入していた。1990年代まで導入の車両は富士重工ボディのほうが多く、いすゞ・キュービックの純正ボディはノンステップバスとごく一部のツーステップ車に限られていた。富士重工製ボディは大型車は1989年(平成元年)以降は7Eボディを採用したのに対し、中型車は1994年(平成6年)まで6Eボディを採用したが、8Eボディの車両は導入されず、いすゞ・ジャーニーKでは純正ボディの車両を導入した。2000年(平成12年)以降はすべて純正ボディのエルガおよびエルガミオで導入されている。

1999年(平成11年)以降の新車は大部分がノンステップバスとなっており、中でもいすゞ・エルガの占める割合がかなり大きい。特に2007年(平成19年)と2008年(平成20年)の投入車は全車いすゞ製であった。2009年(平成21年)にPKG-MP系(三菱ふそうバス製造架装)ノンステップ車の発売開始により、三菱ふそう製車両の導入が再開されている。

2003年(平成15年)の新車より「小田急グループマテリアルズ仕様」で導入されている。これは小田急グループ内のバス事業者7社で基本的な仕様を統一し、小田急グループマテリアルズが一括して調達することによりコストダウンを図るとともに、短期間で大量の更新が行えるようになっている(同種の事例としては名鉄グループ内のバス事業者向けに名鉄グループ統一仕様があり、名鉄バスのほか岐阜乗合自動車宮城交通などに導入されている)。

2015年(平成27年)3月末時点で、国土交通省「ノンステップバス導入率が高い事業者ベスト30(全国・導入比率順)」の第3位にランクインした[23]

社番編集

小田急バスの社番は2桁の数字とハイフン、1桁の英字記号と3~4桁の数字からなる。 たとえば18-A6106号車を例にとる。

小田急バスの社番
18 - A 6106
納入年 営業所 固有番号
  • 初めの2桁の数字は納入年の西暦下2桁を用いる。
  • 次の英字記号は所属営業所を表す。営業所別の英字記号は以下の通り。
所属営業所別英字記号
A B C D E F
吉祥寺 若林 武蔵境 狛江 登戸 町田
  • Bは小田急シティバス世田谷営業所を含む。
  • Eは2013年6月に生田営業所から登戸営業所に変更された。
  • 次の固有番号は車種や用途などを示す。
    • 1~ 高速路線用(車体表記はNo.xの形になる)
    • 101~ コミュニティバス、特定車
    • 251~ 大型一般路線車(日野製)
    • 301~379 中型一般路線車(いすゞ製)
    • 401~ 教習車(自家用含)
    • 551~ 小型一般路線車(三菱製)
    • 601~ 中型一般路線車(三菱製)
    • 701~ 大型一般路線車(いすゞ製ハイブリッド車)
    • 1001~ 空港路線用
    • 2001~ 昼行高速路線用
    • 3001~ 中型一般路線車(いすゞ製)
    • 6001~ 大型一般路線車(三菱製)
    • 9001~ 大型一般路線車(いすゞ製)

以上の法則から「18-A6106号車」は、吉祥寺営業所所属、xx18年式の三菱製大型一般路線車である。

塗装編集

 
小田急グループ塗装(小田急シティバス)

路線バスのボディーカラーの赤いラインは情熱を表し、白いラインは清潔と忠実をあらわしている。赤いラインの間に白いラインが引いてあるのは、情熱の中にも常に理性があることを意味する。

路線バスのボディカラーは、小田急グループの立川バスと同じ(前面の塗り分けは若干異なる)であるほか、秋田県の羽後交通や北海道のてんてつバスに似ている。ただし羽後交通・てんてつバスはどちらも小田急グループとの資本関係はない。

空港リムジンバスや貸切バスで使用される車両は、神奈川中央交通(および各神奈交バス)を除いて、基本的には小田急グループ各社で共通のデザインが施されており、小田急バスのほか、小田急箱根高速バス箱根登山バス立川バス神奈中観光江ノ電バス東海バスでほぼ同一の塗色となっている。小田急箱根高速バスとは英字の綴りが同じになるが、同社は小文字(odakyu)、小田急バス・小田急シティバスは大文字(ODAKYU)を使っており区別は可能である(ここ数年、江ノ電バスに新製配置される空港リムジンバス、定期観光バス等は独自の塗色となっている。貸切観光バス用車は従来通り)。

また、観光バス・リムジンバス車両と高速バス(小田急シティバス)の一部には、車体に銀色ののレリーフが取り付けられている。この犬のシンボルマークはもとは路線車にも取り付けられていたが、1969年以降は路線車への取り付けは行っていない。なお、この犬マークは小田急バスの登録商標であり、本社ビルの玄関にも取り付けられている。2010年には60周年を記念して路線バスの側面に犬マーク入りの記念ステッカーが貼り出されている。現在は、路線バスの前面左上に、マスコットキャラクター「きゅんた」(#キャラクター参照)のステッカーが貼られて様々な種類のきゅんたがいる。

421号車(日野・リエッセ、元みたかシティバス)と431号車(いすゞ・エルガ)は安全運転訓練車となっており、誤乗防止の観点から、最初期の旧塗装に復刻されている。

装備編集

 
行先表示がフルカラーLEDとなった町田営業所の一般路線バス車両

1995年には、車両のバリアフリー化の一環として、中扉に自動昇降ステップを装着した「ニューステップバス」が導入され、前面や入口付近にニューステップバスであることを示すハートのマークが掲げられた。

路線バス車両の扉は、大型車の一部や中型車の大半を除き、中扉は幅の広い4枚折戸を採用していたが、リフト付きバスと大半のニューステップバスは2枚折戸、初期のノンステップ車はグライドスライドドアを採用した。ノンステップバスがほとんどになった現在は、小型車を除き中扉は引戸になっている。さらに近年では、中扉のブザー音をチャイムに交換するとともに開閉ランプを設置し、既存車両への設置改造も既に行われている。

また1995年頃に、接続する鉄道路線ごとに行先表示の色を区別した、色地の方向幕が試験的に導入されたことがある。しかし、緑色の地に黄色の文字など一部見づらい配色があり不評だったためか、1996年後半以降は行われなくなった[24]。ただし、色地の方向幕はその後も一部車両に残された。

現在では他事業者と同様に、LED式行先表示器の車が主流になっており、ほとんどの車両がLED式行先表示器を装備している。2016年から複数の営業所で、オージ製のフルカラーLED行先表示器が導入開始された。その後すべての営業所にフルカラーLEDの車両が1台以上導入され、系統番号別に色分けした行先表示が可能となっている。また空港路線バスの新型車両にも、フルカラーLED行先表示器が導入されている。

2010年度の導入車両から、スモークガラスを採用した。また同年に一部車両で、吊革の持ち手形状を三角形に変更し、翌2011年度以降の導入車両から本格採用した。

2011年度以降の導入車両から、後輪巻き込み防止カバーを採用した。大阪シティバス(旧・大阪市営バス)や近鉄バスなど、関西の事業者ではしばしば見られるものだが、首都圏では珍しい仕様である。その後、後輪巻き込み防止カバーは廃止されている。

2012年度の導入車両から、フロントバンパー上の青色LEDデイライトLED照明を採用している。

2016年度に入り、運賃箱サクサ製からレシップ製の磁気カード非対応のものに交換された。また車内の停留所名表示器も、従来の3色LEDからレシップ製の液晶表示器に交換され、行先や停留所名などの多言語対応が可能になり、英語中国語簡体字)、朝鮮語ハングル)も表示されるようになった。

経年車の処遇編集

小田急バスでは、1995年頃まで車内外再生工事を行っていた(P-代の大型車まで更新、中型は一部未更新)が、U-代車以降の再生工事は経費節減の絡みで中止された。そのため特にU-代車や初期のKC-代車は、外板に錆が浮いたりと老朽化が著しかった。

近年では車両代替のペースや置き換え時期が比較的早く、全ての車両がノンステップバスになった2017年現在でも、おおむね12年から14年程度のサイクルで経年車の置き換えが行われている。

小田急バスでは、除籍後即座に中古車業者の手に渡ることが多いため[要出典]、北海道から沖縄まで非常に広範囲で元小田急車を見ることができる。代表的な譲渡先として秋田中央交通羽後交通じょうてつ北海道北見バス弘南バス南部バス岩手県交通東海バス日本平自動車大分バス那覇バス新常磐交通等で活躍するほか、海外へも輸出されている。

キャラクター編集

犬マークときゅんた編集

 
きゅんたラッピングバス 新百合ヶ丘駅にて

小田急バスとしての創業時からシンボルマークとして「犬マーク」を制定、バス車体に取り付けるなどして乗客に親しまれてきた。小田急バス本社ビルの入口にも犬マークのレリーフが掲げられている。

2012年9月、新たな犬のマスコットキャラクター「きゅんた」が誕生した。2012年に、従来の犬マーク(レリーフ)のコンセプトを引き継いだ、新たなマスコットキャラクターを制定することになり、愛称募集キャンペーンとして2012年7月23日から8月31日まで募集を行った[25]

2012年9月21日、小田急バス公式ホームページ上でキャラクターの名前が発表され「きゅんた」に決定。同年9月26日には吉祥寺営業所で「きゅんた」ラッピングバスの運行開始、同時に着ぐるみがデビューした。2013年10月1日以降、誕生1周年を記念して他の営業所でもラッピングバスの運行を開始した。

「きゅんた」のデザインコンセプトは、「バスに乗る人とやさしくふれあうキャラクター」。お客さまを待ち、目的地まで安全にご案内するキャラクター。人をあたたかく迎え、やさしく従順に付き添ってくれる犬のイメージでキャラクター化された。小田急バスのナビゲーターとしていろいろな場面で登場し、ゆるキャラグランプリにも参戦している。「きゅんた」の着ぐるみは、2015年11月以降小田急グループ関連のイベントに出没しているが、他社局のイベントでは2014年9月に開催した都営バス主催のイベントで初出演して以降、都営バス主催のイベントではゲストキャラクターとして出演している。

参考文献編集

  • 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 『小田急バス60年史:1950-2010』、2010年。全国書誌番号:21851343 
  • 国際興業株式会社社史編纂室 編 『国際興業五十年史』、1990年。全国書誌番号:90045626 
  • BJエディターズ 『バスジャパンニューハンドブックス 31 小田急バス・立川バス』、2000年8月1日。ISBN 4-7952-7796-6全国書誌番号:20100050 
  • BJエディターズ 『バスジャパンニューハンドブックス R65 小田急バス・立川バス』、2008年9月1日。ISBN 978-4-434-11565-3全国書誌番号:21497225 
  • BJエディターズ『バスジャパンハンドブックシリーズ S98 小田急バス・立川バス』、2018年5月1日。ISBN 978-4-434-24614-2

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 本社ビル併設のほか、世田谷区内や沿線外(小田原花小金井。ただし、どちらも小田急グループのバス路線が付近を走行している)に出店していた。
  2. ^ 路線が調布から矢野口黒川を経て、柿生駅まで達してはいた。
  3. ^ 1948年6月1日の大東急離脱により、神奈川中央乗合自動車(現:神奈川中央交通)と箱根登山鉄道が小田急の傘下となっており、小田急グループ入りは武蔵野乗合自動車より早い。
  4. ^ 前者は現行の狛江北口線(境91系統)の一部、後者は現行の調布線(吉06系統)に相当する。この2路線は小田急バスのルーツであり現在も主要路線である。
  5. ^ 神奈川県では「東京都シルバーパス」のようなとしての敬老乗車証の発行は行っていない。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g 会社概要 - 会社情報 小田急バス公式サイト
  2. ^ a b c 小田急バス株式会社 第129期決算公告
  3. ^ a b 会社概要 川崎交通産業公式サイト
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x BJエディターズ『バスジャパンニューハンドブックス 31 小田急バス・立川バス』、2000年8月1日発行。ISBN 4-7952-7796-6
  5. ^ 森本雅之 稲森真美子(東海大学)「戦前の国産電気自動車」 東海大学森本研究室、東海大学工学部 電気電子工学科 公式サイト、2020年1月18日閲覧。「中島製作所」は1905年(明治38年)創立の大阪の会社で尼崎市に工場があった。1930年(昭和5年)に東邦電力湯浅電池と共同で電気バスを試作、名古屋市電気局が営業運行して試験を行った。
  6. ^ a b BJエディターズ 『バスジャパンニューハンドブックス R65 小田急バス・立川バス』、2008年5月1日発行。ISBN 978-4-434-11565-3
  7. ^ BJエディターズ『バスジャパンハンドブックシリーズ R65 小田急バス・立川バス』、2008年9月1日。ISBN 978-4-434-11565-3
  8. ^ BJエディターズ『バスジャパンハンドブックシリーズ S98 小田急バス・立川バス』、2018年5月1日。ISBN 978-4-434-24614-2
  9. ^ a b c d e f g 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 122.
  10. ^ a b c d e 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 123.
  11. ^ a b 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 124.
  12. ^ a b 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 125.
  13. ^ a b c 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 126.
  14. ^ a b c d e f g h i j 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 127.
  15. ^ 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 129.
  16. ^ 会社情報 - 沿革 小田急シティバス公式サイト
  17. ^ 1日フリーパス|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  18. ^ ナイスパス|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  19. ^ 矢野きくの「無料&格安がいっぱい!! 賢い情報の見分け方」『学研ムック らくらくねんきん暮らし』第4巻、2015年1月、 33頁。
  20. ^ かなちゃん手形 神奈川中央交通
  21. ^ みたかシティバス専用乗換カード|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  22. ^ 三鷹の森ジブリ美術館往復割引乗車券|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  23. ^ ノンステップバス導入率が高い事業者ベスト30 (PDF, 国土交通省)
  24. ^ バスラマ・インターナショナル 37 特集・わかりやすい方向幕とは』ぽると出版、1996年8月25日、8頁。ISBN 4-938677-37-7
  25. ^ マスコットキャラクター愛称募集キャンペーン - 小田急バス

関連項目編集

外部リンク編集