壱岐市立那賀小学校

長崎県壱岐市にある小学校

壱岐市立那賀小学校(いきしりつ なかしょうがっこう, Iki City Naka Elementary School)は長崎県壱岐市芦辺町中野郷西触にある公立小学校。略称は「那賀小」(なかしょう)。

壱岐市立那賀小学校
地図北緯33度47分16.5秒 東経129度43分11.2秒 / 北緯33.787917度 東経129.719778度 / 33.787917; 129.719778座標: 北緯33度47分16.5秒 東経129度43分11.2秒 / 北緯33.787917度 東経129.719778度 / 33.787917; 129.719778
過去の名称 諸吉学区公立中等中尾小学校
住吉学区尋常中尾小学校
住吉学区簡易中尾小学校
尋常中尾小学校
那賀尋常小学校
那賀尋常高等小学校
那賀村那賀国民学校
那賀村立那賀小学校
芦辺町立那賀小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 壱岐市
併合学校 諸吉小学校湯岳分校
諸吉小学校鬼川分校
設立年月日 1886年(明治19年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002455 ウィキデータを編集
所在地 811-5757
長崎県壱岐市芦辺町中野郷西触174番地
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概要 編集

歴史
1886年明治19年)に開校した「諸吉学区公立中等中尾[1]小学校」を前身とする。2011年平成23年)に創立125年を迎えた。
校歌
作詞は喜々津健寿、作曲は山口憲明によるもの。歌詞は4番まであり、校名は歌詞に登場しない。
校区
校区は芦辺町中野郷(なかのごう)、芦辺町国分(こくぶ)、芦辺町住吉(すみよし)、芦辺町湯岳(ゆたけ)。
中学校区は壱岐市立芦辺中学校[2]

沿革 編集

  • 1886年(明治19年) - 「諸吉学区公立中等中尾[1]小学校」が開校。この年の間に「住吉学区尋常中尾小学校」に改称。
  • 1887年(明治20年) - 「住吉学区簡易中尾中学校」に改称。諸吉小学校(現・壱岐市立田河小学校)の分校であった鬼川分校と湯岳分校を統合。
  • 1890年(明治23年) - 「尋常中尾小学校」に改称。
  • 1893年(明治26年) - 「那賀尋常小学校」に改称。
  • 1900年(明治33年) - この年初めて、訓導(教諭)兼校長となる。(以前は首座であった。)
  • 1901年(明治34年) - 授業料を廃止。
  • 1903年(明治36年) - 中野郷西触深田に校舎を新築し、移転。
  • 1908年(明治41年)4月 - 高等科を併置し、「那賀尋常高等小学校」と改称。
  • 1909年(明治42年) - 学校医制度を創始。(校医嘱託の始まり)
  • 1910年(明治43年) - 国府[3]高等小学校[4]跡に二教室を増築。
 
国府高等小学校跡記念碑
  • 1913年大正2年) - 農業補習学校を併置。
  • 1921年(大正10年) - 農業補習学校を那賀農業補習学校に改称。
  • 1931年昭和6年) - 那賀農業補習学校を青年訓練所認定那賀実業補習学校に改称。
  • 1935年(昭和10年) - 青年訓練所認定那賀実業補習学校を那賀青年学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により「那賀村那賀国民学校」となる。
  • 1943年(昭和18年) - 那賀青年学校を那賀高等実業青年学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)により、「那賀村立那賀小学校」となる。那賀村立那賀中学校を併設。
  • 1948年(昭和23年) - PTAが結成。
  • 1954年(昭和29年) - 週2回のパン給食を開始。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 町村合併[5]により、「芦辺町立那賀小学校」と改称。
  • 1956年(昭和31年) - 田河小学校PTA文化部事業として一日保育園を実施。
  • 1957年(昭和32年)9月1日 - 那賀小学校講堂を利用した那賀幼児園を開始。週2回実施。
  • 1958年(昭和33年) - 那賀幼児園の実施を週2回から週3回とし、小学校の1教室を使用。
  • 1959年(昭和34年) - 学校給食C型を開始。
  • 1960年(昭和35年) - 学校植林を実施。
  • 1962年(昭和37年)
    • 5月1日 - 芦辺町立那賀幼稚園(現・壱岐市立那賀幼稚園)を設置。小学校の2教室を使用。
    • 12月31日 - 小学校のそばに園舎が完成し、那賀幼稚園が移転。
  • 1963年(昭和38年) - 全教室にストーブを設置。岩石園が完成。
  • 1964年(昭和42年) - 特殊学級(現・特別支援学級)を開設。
  • 1969年(昭和44年) - 鉄筋2階建ての新校舎が完成。牛乳給食を開始。
  • 1970年(昭和45年) - 学校園が完成。
  • 1971年(昭和46年) - 運動場を拡張。
  • 1973年(昭和48年) - 教育機器拡充を開始。
  • 1977年(昭和52年) - へき地集会室(体育館)が完成。
  • 2004年(平成16年)3月 - 市町村合併で壱岐市が誕生したことにより、「壱岐市立那賀小学校」(現在名)と改称。
  • 2011年(平成23年)9月 - 壱岐市学校給食センターが勝本町亀石地区に完成したことにより、芦辺地区の各校独自調理方式から、センターからの配送方式に変更。

アクセス 編集

最寄りのバス停

周辺 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 読みは「ちゅうのお」。
  2. ^ 2011年(平成23年)4月に芦辺地区の壱岐市立田河中学校壱岐市立那賀中学校壱岐市立箱崎中学校の中学校3校が規模適正化のため統合され、壱岐市立芦辺中学校が開校した。芦辺中学校は旧田河中学校の校舎を利用している。このため、統合前は小学校の近くに那賀中学校があったが、スクールバスを利用して芦辺中学校に通うこととなった。
  3. ^ 「国分」の別表記。
  4. ^ 国府高等小学校は1893年(明治26年)3月の第十七高等小学校(現長崎県立壱岐高等学校の場所)の閉校に伴い、同年9月に那賀村・田河村・箱崎村・鯨伏村(いさふし)組合立の高等小学校として開校した。この時壱岐島に開校した高等小学校には、国府以外に武生水高等小学校(むしょうず、現・壱岐市郷ノ浦町)、香椎高等小学校(現・壱岐市勝本町)があった。1907年(明治40年)3月に小学校義務教育の年数が4年から6年に延長、尋常小学校に高等科が併置され、尋常高等小学校となったことにより、国府高等小学校は廃止された。なお国府高等小学校は、現・壱岐家畜保健衛生所(壱岐振興局農林水産部衛生課、住所は芦辺町国分本村触1385-1)にあった。衛生所敷地内には、1928年(昭和3年)11月10日に同窓会によって建立された記念碑が現在でも残っている。
  5. ^ 田河町と那賀村が合併し、芦辺町となる。翌1956年(昭和31年)9月30日に箱崎村も編入。
  6. ^ 壱岐交通ウェブサイト
  7. ^ 新焼却施設建設のため、2008年(平成20年)6月末で閉鎖。
  8. ^ くにかたぬし
  9. ^ a b 741年天平13年)、聖武天皇によって国分寺建立のが発せられた当時、壱岐では度重なる天災伝染病飢饉などで大きな損害を受けていたため、新寺建立を断念し、壱岐を治めていた壱岐氏の氏寺を壱岐嶋分寺(国分寺)に提供したと言われている。(「延喜式」巻二一玄蕃(げんば)寮条)また1019年寛仁3年)の刀伊の入寇による壱岐への女真族の襲来が、この国分寺が消滅した原因だと言われている。1738年元文3年)に国分寺の寺号を残すために、移転の上、阿弥陀寺を国分寺に改称し、現在に至る(現在の国分寺の所在地は壱岐市芦辺町中野郷西触725)。

参考文献 編集

関連 編集