大乗非仏説(だいじょうひぶっせつ)は、大乗仏教の経典は釈尊の直説ではなく[1]、後世に成立したものだという説である。

概説編集

「大乗非仏説」は「大乗は仏説に非(あら)ず」と主張する学説である。「大乗非仏説」説、ないし「大乗非釈迦仏説」と呼ぶほうが精確であるが(「仏説」の多義性)、慣用的に「大乗非仏説」と呼ばれる。

もともとは、仏教内部において部派仏教の側から、大乗仏教とは「経典捏造による謗法」や「仏教教義からの逸脱」であるとして、大乗仏教出現以来、現在に至るまで展開されている論説である。

大乗経典は元々の口伝による伝承そのものが存在しないという主張がある。すでに紀元前1世紀頃には、上座部(南方分別説部)が布教されたスリランカにおいてパーリ語経典が貝葉に記録されているが、このスリランカに伝承されたパーリ五部と、シルクロードを経て2世紀半ばから中国で漢訳されはじめた阿含経(漢訳四阿含等)とでは、部派が異なるにもかかわらず教えの内容がほぼ一致している。このともにインド文化圏の周辺域で記録された経典が共通性を持つことに注目し、そして紀元前2世紀~前1世紀にかけてインド仏教聖地で建立された碑文に「五部の精通者」云々の語句が認められることを勘案すれば、大乗仏教運動が起った時点ではすでに諸部派において「釈尊の言い伝え」として承認される経典の範囲が確定していた可能性は高い。

つまり、大乗経典は四部または五部に分類される経典のどこにも場所を持たなかったと考えられるのである。

古代インドでの大乗非仏説論編集

 古代インドで成立した大乗仏典の中には、部派仏教側からの「経典を捏造している」という非難の言葉も記されている。

 例えば、鳩摩羅什訳『法華経』勧持品第十三の偈には、『法華経』を受持する大乗仏教の信者は、将来「大乗非仏説」論者から以下のような誹謗中傷を受けるだろう、という予言の言葉を、次のように載せる。

鳩摩羅什訳『法華経』勧持品第十三の偈の一部
原漢文 書き下し文
而作如是言 而(しか)も是(かく)の如き言を作(な)さん
此諸比丘等 「此(こ)の諸〻(もろもろ)の比丘等(びくら)は
為貧利養故 利養を貧るを為(も)っての故に
説外道論議 外道の論議を説く
自作此経典 自(みずか)ら此の経典を作って
誑惑世間人 世間の人を誑惑(おうわく)す
為求名聞故 名聞(みょうもん)を求むるを為っての故に
分別説是経 分別して是の経を説く」と

 『法華経』サンスクリット原文からの該当部分の翻訳は、

「情けないことに、これらの出家者たちは、仏教以外の外道を信ずるもので、自分たちの詩的才能を誇示している。自分で諸々の経典を作って、利得と称賛を求めて、集会の真ん中でそれを説いている」と、私たちを譏るでありましょう。[2]

である。この「『法華経』の信者は将来〝非仏説〟という誹謗中傷を受けるだろう」という予言は、古代インドの『法華経』編纂者じしんが体験した〝非仏説〟のそしりを、予言の形を借りて記録したものと考える研究者もいる。

大乗仏教内部での部分的非仏説論編集

大乗仏教の内部でも、大乗仏典には「非仏説」の「偽経」や「魔説」も混入している、という「部分的非仏説論」が、古くから存在していた。
4世紀の釈道安は「疑経録」の中で、サンスクリットから翻訳された「真経」と、サンスクリット原典が存在せず中国で「仏説」に擬して撰述された疑いのある「疑経」(疑偽経典)を分けている。
9世紀の仰山慧寂は、『涅槃経』は全文が「仏説」ではなく「魔説」である、と断言して、師である高僧から「今後、きみは誰からも支配されることはないね」と評価された[3]。大乗仏教の中でも、「不立文字」の思想をかかげる禅宗は、文字で書かれた書物を「仏説」とあがめて疑いもなく信じこむ態度を否定してきた。

近世以降の大乗非仏説論編集

近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想との格闘と交流を経て思索を深化し、発展してきたことを、「実際存在する/伝わった経典を証拠に、事実として示す」のが特徴である。

日本では、仏教が江戸時代に寺請け制度で権力の一翼を担い堕落していた幕末において、仏教に批判的な思想家等によって展開された。江戸時代には富永仲基が、経典の全てが釈迦一代において説かれたのではなく、歴史的進展に伴って興った異なる思想や学説が、それ以前のものの上に付加されていった(異部加上)と主張し、釈迦の金口直説と思われるものは原始経典(阿含経)の一部であるとした[1]。その影響を受けた儒学者の服部天游も、同様の観点から大乗非仏説を唱えた[1]

19世紀に仏教が西洋に伝わると、西洋ではアジア人よりも西洋人のほうがブッダをよく把握しているという自負もあって、チベット語仏典や漢訳仏典はまがい物であり上座部経典のパーリ仏典が最勝(その次がサンスクリット仏典)であるという評価がされた[4]

明治以降、ヨーロッパの近代的な学問研究方法が日本に取り入れられ、原典研究も盛んになるに従って、改めて大乗非仏説の論が起こり、仏教学者である姉崎正治が『仏教聖典史論』(1899年)や『現身仏と法身仏』(1904年)、『根本佛教』(1910年)を、村上専精が『仏教統一論』(1901~1905年)や『大乗仏説論批判』(1903年)を著している。また、大乗仏教の学僧である前田慧雲が『大乗仏教史論』(1903年)を、友松円諦が『阿含経』(1921年)を、赤沼智善が『阿含の仏教』(1921年)や『根本仏教の精神』(1923年)を著している。

結果、学界では大乗仏教が前1世紀以降から作成されたものであるとの結論から、大乗非仏説は近代的学問から裏付けられているとされるに至った。文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。

増谷文雄はこうした学問的な成果をもって「第2回の仏教の伝来」とした上で、「阿含経典こそが根本聖典」と述べている[5]

中村元三枝充悳の共著『バウッダ―仏教』(1987年)もまたそうした学問的立場を表明している。ただし2人は「現存の『阿含経』は釈尊の教えを原型どおりに記しているのでは、決してない」[6]つまり阿含経典でさえも釈迦の「金口直説こんくじきせつ」ではない、と釘を刺している。

「仏説」観編集

「仏説」の多義性編集

日本語の「仏説」という言葉にはいろいろな意味があるため、「大乗非仏説」という言い方は不適切であり、「大乗非釈迦仏説」と言い換えるべきである、と指摘する専門家もいる。

市販の国語辞典に載せる「仏説」の意味は「仏の教え。また、仏教の所説」[7]である。大乗経典は「仏教の所説」なので、この意味では間違いなく「仏説」である。
また「仏の教え」は「釈尊の直説」と同義語ではない点にも注意すべきである。そもそも「仏」(ほとけ。ブッダ)は釈尊ただ1人を指す固有名詞ではなく、「仏の悟り」を開いた人を指す普通名詞である。原始仏典でも仏(仏陀)の複数形(buddhā)が登場し、仏(仏陀)は釈迦のみを指す固有名詞ではなく普通名詞であった[8]し、日本語でも「仏」は釈迦1人を指す固有名詞ではなく、さまざまな仏や仏像を指す「諸仏」[9]や「十方諸仏」「三世諸仏」などの言い方も存在する。

中村元三枝充悳も、「仏説」の正しい語義をふまえれば、いわゆる「大乗非仏説」はそもそも成り立たない、と指摘し、以下のように述べる。

(前略)仏(ブッダ)はけっして固有名詞ではなく、したがって単数ではない。(中略)大乗経典もそれぞれの仏がそれぞれに教えを説いており、したがって「大乗は仏説」 にほかならず、「大乗非仏説」 は葬られる。この説はすでに江戸時代末期に真言宗豊山派の戒定その他に見える。[10]

中村と三枝も、大乗経典が文献学的に見て歴史上に実在した釈迦の直説ではないことは認めており、もし歴史上に実在した釈尊を他の諸仏と区別して「釈迦仏」と呼んだうえで「大乗非釈迦仏説」と言い換えるなら万人の納得を得られるだろう、とアドバイスした[11]

なお「大乗非仏説」という学説は、本来なら「大乗非仏説」説ないし「大乗非仏説論」と呼ぶほうが正確であるが、慣用的に「大乗非仏説」と呼ぶ。

本来の仏教編集

植木雅俊は自著のなかで、さまざまな原始仏典を引用し[12]、歴史に実在した人物としての釈迦が主張したこと、いわば「本当の仏説」を復元推定した。

 本来の仏教の目指した最低限のことは、①徹底して平等の思想を説いた。②迷信やドグマを徹底的に否定した。③絶対神に対する約束事としての西洋的倫理観と異なり、人間対人間という現実において倫理を説いた。④「自帰依」「法帰依」として自己と法に基づくことを強調した。⑤釈尊自身が「私は人間である」と語っていたように、仏教は決して人間からかけ離れることのない人間主義であった――などの視点である。

 このような視点から、真作でなくても、この基準を維持し守ろうとするものは切り捨てるべきではない。その場合、「真作ではないが、このようなことを主張しなければならなかった歴史的必然性があった」というように但し書きを付けた上で、その文献を評価すべきである。

 真作か偽作かということにこだわって、真作でないと判断したら一顧だにしないというのは、日本に典型的な「だれが書いたかを見て、何が書かれているかを見ようとしない」ということと本質は同じことである。[13]

植木雅俊によると、釈迦の死後、部派仏教の時代に最有力となった説一切有部の教団は権威主義化し、自分たち男性出家者の利権を守るため、原始仏典の教えを改竄して、釈迦を神格化し、仏弟子から在家と女性を排除するなどの差別を設けた。そのため、本来の仏教に帰ろう、と主張する一派が大乗経典を書いたとされる[14]。    

歴史編集

経典は、ごく最古の経典を除き、冒頭で「このように私は聞いた」(如是我聞=是くの如く我聞けり)と述べ、釈迦の説法を聞き写したという体裁をとっており、現在の上座部仏教圏(スリランカビルマタイラオスカンボジア等)、大乗圏(インドネパールチベットモンゴル中国朝鮮日本ベトナム等)のいずれの伝統教団も、大蔵経 (一切経)として擁する膨大な経典群を、歴史上の釈迦が八十数年の間に説いたものとして扱っている。

大乗仏教圏は、経典に使用する言語により、

  • サンスクリット仏典圏(インド・ネパール)
  • 漢訳仏典圏(中国・朝鮮・日本・ベトナム等)
  • チベット語仏典圏(チベット・モンゴル)

の三つに大別されるが、そのうち、

  • インドでは、大乗思想は発生当初より、説一切有部などの部派から批判され、大乗側からは『大乗荘厳経論』「成宗品」のように大乗非仏説に対する反論も展開された。
  • 中国では、仏教の初伝以来、数世紀にわたり断続的に仏典の請来と翻訳が続いたが、作成年代が異なる経典間に大きな相違がある事実から、仏典群の整理分析にあたっては、いずれの経典に釈尊の真意が存在するか、という方向がとられた。中国の内外に大きな影響を与えた説としては、天台大師智顗による五時八教教相判釈があり、歴史上の釈尊の段階的時期に配置し、その中で『法華経』を最高に位置付けた。智顗の説は、日本の天台宗や、日蓮系の諸宗派にも採用されている。
  • チベットでは、8世紀末から9世紀にかけ、国家事業として仏教の導入に取り組み、この時期にインドで行われた仏教の諸潮流のすべてを、短期間で一挙に導入した。仏典の翻訳にあたっても、サンスクリット語を正確に対訳するためのチベット語の語彙や文法の整備を行った上で取り組んだため、ある経典に対する単一の翻訳、諸経典を通じての、同一概念に対する同一の訳語など、チベットの仏教界は、漢訳仏典と比してきわめて整然とした大蔵経を有することができた。そのため、チベット仏教においては、部分的に矛盾する言説を有する経典群を、いかに合理的に、一つの体系とするか、という観点から仏典研究が取り組まれた。

これらインド外の両仏典圏の伝統教団では、経典が釈迦の直説であることは自明の伝統とされ、疑問や否定の対象とはされてこなかった[注釈 1]

伝統的大乗仏教宗派編集

日本の仏教界では、いずれかの宗派に属する僧侶でもある研究者は、大乗仏典は価値があり自分の信仰の基盤であることを認めた上で、文献学的考証に基づく仏教思想や経典の歴史的展開から導かれる大乗非仏説の主張内容を一定の事実として受け止めており、教団として出される布教文書にまで仏教思想の歴史的発展について記述する例も見られる。この結果、歴史的人物としての釈尊の教え、大乗仏教の教え、その大乗仏教の日本的発展である宗祖(法然親鸞道元日蓮一遍…)の教えを、それぞれどのように扱えばよいのかという課題を抱えている。ただし、一般信徒にとっては、宗祖の教えが信仰の中心になるので、特に仏説(釈尊の教え)か否かという点の相違が意識されることはない。一方、広宣流布を重視する日蓮正宗などでは「破折」として反論を試みている。詳細については本仏も参照。

中国ブータンモンゴル(含む内蒙古ブリヤートトゥバカルムイク)、ネパールなど、他の大乗仏教圏諸国では、大乗非仏説は「信者ではない人々による勝手な営為」として扱われ、信仰をゆるがす問題としては受け取られていない。

インドの口伝の伝統との関係編集

近世以降の大乗非仏説には、宗教に関するインド人の伝統を無視している、との批判がある。 それによれば、「インドでは古来、宗教の聖典は口伝によって伝承し、文字にして残さないという伝統があった。よって、釈迦が大乗仏教を説いていたとしても、釈迦の死の直後に文字に記されなかったことはむしろ当然であり、釈迦の死の直後に記された大乗経典の実物が発見されていないことは大乗仏教が仏説ではないことの根拠にはならない」とするものである。

ただし、この主張は部派仏教の経典は文字によって伝承され、大乗は口伝で伝えられたというものであるが、これは史実と異なる。実際は上座部のパーリ経典の方が口伝で継承されていた。パーリ経典は口伝で重要な暗記をやりやすくするために、反復や韻を踏む内容となっている。また、僧の大集会などで経典を唱える行為はこの暗記の正確さをお互いに確認しあうという役割があった。パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。

一方の大乗経典は口伝伝承を前提としていないため暗記を容易にするような、単純な文を反復するという構成ではなく、その内容も哲学的なものも多く、明らかに文伝を前提とする文章構造になっている。文献学的観点からは文伝を前提としているのが大乗で、口伝を前提としているのが部派仏教である。

口伝伝承されており、その発祥時期も大方は明らかになっている部派仏教の経典に大乗の教えが見られないこと自体が大乗は口伝で伝承されず、発生時期が部派以後であるという文献学の根拠ともなっている。この、成立時期の大きな時間差については、根本分裂前の教団が、後に大乗仏教と呼ぶ部分を理解してもらうために方便として広める必要のある物から順に文字化されただけだという意見もあるが、あくまで大乗擁護を結論として作り上げた推論の域を出ない。

大乗論師の反論編集

中観派の開祖とされる龍樹は、その著書において、たびたび「大乗は仏教にあらず」という主張に対する反論を行なっている。 「宝行王正論」においては、「大乗は徳の器であり、己の利を顧みず、衆生をわが身のように利する」として大乗の思想を称賛し[15]、 釈迦の根本教説を「自利・利他・解脱」とし、六波羅蜜は「利他・自利・解脱」を達成するものであるから仏説であると主張している[16]。 また同書において、大乗を誹謗する者に対しては、忠告を行なっている[15]

大乗仏典は、行者たちが瞑想のなかで出会った仏の教えを記したもの、という主張もなされている[17][18]

近現代の研究者による反論編集

仏典翻訳家大竹晋によると、反論は

  • 「直接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの直説である)
  • 「間接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの準直説である)
  • 「変則的大乗仏説論」(大乗経はほかのブッダの直説である)
  • 「超越的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの真意である)

に分類できるという。一方大竹はそれらはいずれも成功していないと評している[19]

真理ならば仏説であるとする立場編集

井上円了は大乗仏教は釈迦が説いたのではなくとも哲学的に優れているとして大乗仏教を擁護した[4]

そもそも仏教本来の「仏説」観は、近現代の文献学的な「仏説」観とは全く違うものだった、という指摘もある。インド哲学者の中村元は、古代インド人の仏説観は「仏が説いたから真理であるのではなくて、真理であるから仏が説いたはずである」「著者は誰であろうとも、正しいこと、すなわち真理を語ってさえいればよいのである」[20]というものだった、と述べている。

小乗非仏説論編集

仏教思想研究家の植木雅俊は、歴史に実在した釈迦が説いた「原始仏教」は「平等思想や人間中心主義」であったのに、釈迦の死後500年のあいだに〝小乗仏教[21]に改竄されてしまったため、釈迦仏教への原点回帰を主張する人々が大乗仏典を書いた、とする[22]

小乗仏教のほうこそ非仏説であるという見解は、山口瑞鳳「仏陀の所説とその正統--小乗非仏説論」(『成田山仏教研究所紀要 (26)』, pp.59-103, 2003年)、ひろさちや『釈迦』(春秋社、2011年)pp.381-384、ひろさちや『〈法華経〉の真実』(佼成出版社、2016年)pp.23-30、などでも紹介されている。

真の仏説不明論編集

文献学的には、大乗仏教の仏典のみならずパーリ経典の大部分も釈迦の死後数百年にわたり編纂されたものであることが明らかとなっている。最古の経典も釈迦の死後100年以内の編纂とみなされているため、近代の文献学上は原始経典さえも釈迦の言説が明確に記録されているか否か明らかでない。

原始経典に戻っても釈迦の直説を探り出すことは困難であり、原始経典もゴータマ・ブッダの没後に編集されたことなどから、大乗非仏説の主張や論争は現在では下火となっているという[1]

大正新脩大蔵経』に関わった高楠順次郎は、「初めには文字がない時が四百年間もあった。どうせ説かれた通りであろう筈がない。それに偽作もあってこそ本当の思想も分りまた各時代の思想を見ることが出来る、偽作と偽作でないのとを比較区別するということが研究なので、本当の物だけであると研究も何も要らない。それでありますから一切経はまあたくさんあるだけよい、遅い物も早い物も一緒にあるのがよい」と語っている[23]

幻の仏説論編集

中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ[24][要ページ番号]増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」[25][要ページ番号]として、"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。またこれらの学者は釈迦がサーリプッタに説いた教えが大乗の経典に含まれているとは主張していない。

さらに中村元は、著書の中で最初期の仏教が縁起真如を説いていた[要出典]という独自の説を述べている。[26][要ページ番号]上座部、説一切有部が縁起を時間的生起関係からのみ解釈した[要出典]のに対して、最初期の仏教は縁起を存在論的な観点から説いていた[要出典]のであり、縁起に真如を見るという思想は、一切衆生悉有仏性という大乗の教えそのものである、といった主張もなされている。[注釈 2]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 法相宗徳一真言宗を批判した『真言宗未決文』のように、釈迦を教主としない経典の出自を疑ったケースは存在する。
  2. ^ もちろん、このことは大乗経典が全て釈迦の直説であるということを意味するものではない。

出典編集

  1. ^ a b c d 中村元ほか(編) 『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、666-667頁。 
  2. ^ 植木雅俊・訳『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』 (角川ソフィア文庫)p.228
  3. ^ 『潭州潙山靈祐禪師語録』「師問仰山。涅槃經四十卷。多少是佛説。多少是魔説。仰山云。總是魔説。師云。已後無人奈子何。」
  4. ^ a b 。林淳「宗教的知の形成―仏教学を例に―
  5. ^ 増谷文雄「仏陀思想の原初を探る〝古くて新しい〟根本仏教」『日本経済新聞』1980年8月5日付、27頁。
  6. ^ 中村元・三枝充悳『バウッダ[佛教]』(講談社学術文庫、2009年)p.52
  7. ^ 精選版 日本国語大辞典「仏説」の解説 https://kotobank.jp/word/仏説-619313 閲覧日2022年3月28日
  8. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)p.83
  9. ^ コトバンク https://kotobank.jp/word/諸仏-535101
  10. ^ 中村元・三枝充悳『バウッダ[佛教]』(講談社学術文庫、2009年)p.84
  11. ^ 上掲『バウッダ[佛教]』p.84
  12. ^ 原始仏典『サンユッタ・ニカーヤー』第1巻では、弟子が釈迦にむかって「君、ゴータマさんよ」と気さくに呼びかけるのが定型句となっており、釈迦の神格化は見られない (植木雅俊『今を生きるための仏教100話』p.59)。原始仏典『スッタニパータ』第927偈で、釈迦は迷信を否定し、呪法や夢占い、手相や顔相など相の占い、星占い、鳥や動物の声による占い、呪術的な懐妊術や医術を信奉することを仏教徒に禁じた(植木上掲書p.88)。また歴史に実在した釈迦は徹底した平等主義者であり、原始仏典『スッタニパータ』第608偈-第611偈は人間は本質的に平等であると説く(植木上掲書pp.143-144)。釈迦は女性や在家信者も弟子として教えを説いた。原始仏典『テーリー・ガーター』に出てくるアノーパマーという在家の女性は、釈迦の教えを聞いて阿羅漢の一つ手前のステージ「不還果」まで到った (植木上掲書pp.149)。植木雅俊『仏教、本当の教え』(中公新書、2011年)第1章でも、同様の考証が展開されている。
  13. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)pp.340-341
  14. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)pp.172-174
  15. ^ a b 『大乗仏典〈14〉龍樹論集』、中公文庫、中央公論新社、2004年、p.308
  16. ^ 『大乗仏典〈14〉龍樹論集』、中公文庫、中央公論新社、2004年、pp.310-311
  17. ^ 仏教説話大系編集委員会編『仏教説話体系 第40巻 仏陀の教え』鈴木出版、119頁
  18. ^ 末木文美士監修『仏教 雑学3分間ビジュアル図解シリーズ』PHP研究所、60頁
  19. ^ 大乗非仏説をこえて|国書刊行会
  20. ^ 中村元『インド人の思惟方式』pp.188-189
  21. ^ 「小乗仏教」は南伝仏教とイコールではないことに注意。植木雅俊は自著において、部派仏教の時代に最有力だった説一切有部が大乗仏教側から「小乗」という貶称で呼ばれたこと、「小乗」と呼ばれた人たちが自分たちをそのような悪い言葉で呼ぶはずはないこと、「スリランカや、東南アジアの仏教の場合は、小乗仏教と呼ぶのは適当ではなく、上座部仏教、あるいは長老仏教と呼ばれている」とする
  22. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)p.172
  23. ^ 高楠順次郎『東洋文化史における仏教の地位 』(青空文庫)
  24. ^ 『中村元選集 決定版 13 仏弟子の生涯』(春秋社 1991年10月発行)参照。
  25. ^ 『仏教の思想(1)~智慧と慈悲・仏陀』(角川書店)参照。
  26. ^ 『龍樹』(講談社 2002年6月発行)参照。

外部リンク編集