大石神社
大石神社(おおいしじんじゃ)は、赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
赤穂の大石神社編集
赤穂大石神社 | |
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所在地 | 兵庫県赤穂市上仮屋旧城内 |
位置 |
北緯34度44分57秒 東経134度23分19秒 |
主祭神 |
大石内蔵助良雄以下四十七士命、萱野三平 浅野家三代 森家七将 |
社格等 | 旧県社・別表神社 |
創建 | 1900年(明治33年) |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道76番(兵庫11番) |
例祭 | 12月14日(赤穂義士祭) |
地図 |
兵庫県赤穂市にある。赤穂神社と大石神社の合祀により赤穂大石神社として創祀。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。赤穂神社祭神の旧赤穂藩主浅野家・森家祖霊と大石神社祭神の大石良雄ら赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神とする。主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因み、「大願成就」の神徳で信仰を集める。
歴史編集
赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。1900年(明治33年)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工した。1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格された。第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)および、城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に赤穂藩主となった森家の遠祖の七武将(森可成、森可隆、森長可、森成利(蘭丸)、森長隆(坊丸)、森長氏(力丸)、森忠政)を合祀した。
境内編集
本殿、拝殿のほか、境内社として浅野家が藩主だった時代から藩民の崇敬を受けた摂末社が多数ある。宝物展示施設として、赤穂浪士の遺品などを陳列する義士宝物殿、長矩・四十七士らの木像を展示する義士木像奉安殿、大石邸長屋門(国の史跡「大石良雄宅跡」のうち)などがある。
- 神門
- 本殿
- 拝殿
- 境内社合祀殿 - 国助稲荷社、淡嶋社、恵美寿宮、天満宮、山鹿社、八田社、忠魂社
- 義士宝物殿 - 大石内蔵助が所持していた備前長船清光・康光の大小刀、肖像掛軸など義士所縁の品々を展示。
- 義士宝物殿別館 - 浅野家・大石家・森家の宝物を展示。
- 義士木像奉安殿 - 山崎朝雲、平櫛田中ら現代彫刻家による義士の彫像を展示。全49体。
- 大石邸長屋門 - 国指定の史跡。
- 大石邸庭園
- 赤穂義士石造群
文化財編集
国指定史跡編集
- 大石良雄宅跡
祭典・年中行事編集
- 1月15日 - とんど祭
- 4月第2日曜日 - 春の義士祭
- 5月5日 - 大石力餅
- 6月30日 - お田植祭
- 10月日曜日 - 抜穂祭
- 12月14日 - 赤穂義士祭
交通[1]編集
- JR西日本赤穂線 播州赤穂駅より徒歩15分。
- 山陽自動車道 赤穂インターチェンジより自動車で10分。
外部リンク編集
京都の大石神社編集
大石神社 | |
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所在地 | 京都市山科区西野山桜ノ馬場町116 |
位置 |
北緯34度58分12秒 東経135度47分44秒 |
主祭神 | 大石内蔵助良雄 |
社格等 | 旧府社 |
創建 | 1935年(昭和10年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 |
4月14日(春季大祭) 12月14日(義士大祭) |
地図 |
京都市山科区にある。旧社格は府社。良雄(内蔵助)を祀る。社地の付近は、元禄14年(1701年)7月から元禄15年(1702年)9月まで良雄が京都に隠棲し、義挙の議をめぐらしたときに居宅を構えた地である。主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因み、「大願成就」の神徳で信仰を集める。
歴史編集
昭和初期、赤穂浪士を熱心に崇拝していた浪曲師の吉田大和之丞(2代目吉田奈良丸)が、良雄ゆかりの地である岩屋寺の北隣りに神社を創建することを計画した。府・市など関係方面に活動を行った結果、府知事を会長とする大石神社建設会などが設立され、募金によって1935年(昭和10年)に社殿が竣工した。
なお、創立が許可されたのは1933年(昭和8年)12月9日であった。また、1937年(昭和12年)4月には府社に列せられた。
境内編集
- 本殿
- 拝殿
- 義人社 - 摂社。討入のための武器を納入したといわれる天野屋利兵衛を祀る。
- 宝物殿
交通[2]編集
外部リンク編集
- 大石神社(公式サイト)