大阪市立桜宮高等学校
大阪市立桜宮高等学校(おおさかしりつ さくらのみや こうとうがっこう)は、大阪府大阪市都島区にある公立の高等学校。普通科、人間スポーツ科学科、知的障害生徒自立支援コースを設置。源流は大正初期1916年、北区が設置した実業学校(実科女学校)。2022年(令和4年)に大阪府に移管され[1][2]、「大阪府立桜宮高等学校」に改編される。
大阪市立桜宮高等学校 | |
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過去の名称 |
北区実科女学校 大阪市立実科高等女学校 大阪市立桜宮高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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学区 | 大阪府全域 |
校訓 | 知性・敬愛・活力 |
設立年月日 | 1927年(昭和2年)4月 |
創立記念日 | 11月10日 |
創立者 | 北区 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 人間スポーツ科学科 |
学科内専門コース | 知的障がい生徒自立支援コース |
高校コード | 27221D |
所在地 | 〒534-0001 |
![]() 北緯34度43分37.2秒 東経135度31分25.3秒 / 北緯34.727000度 東経135.523694度座標: 北緯34度43分37.2秒 東経135度31分25.3秒 / 北緯34.727000度 東経135.523694度 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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概要編集
校名は、桜の通り抜け (大阪造幣局)行事で著名な地名「桜宮」(北区)に校舎のあった由来だが、1955年(昭和30年)以降は淀川の堤防沿いの毛馬町(都島区)に校地がある。
前身は1927年(昭和2年)4月に設置された大阪市立実科高等女学校(のちに高等女学校へ昇格し桜宮高等女学校に改称)。太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の高校「大阪市立桜宮高等学校」に改編。全日制普通科を設置した。
1980年、大阪府内の公立高校で初となる体育科を併置。1999年(平成11年)にはスポーツ健康科学科も設置されたが、2012年にクラブ活動(部活動)のバスケットボール部での体罰により生徒が自殺。事件の反省を受けて、2014年に体育科とスポーツ健康科学科を廃止(改組)し、人間スポーツ科学科(各学年120名)が新設された。 (事件についてはバスケ部での自殺と体罰の項目を参照)
また、2006年に知的障害生徒自立支援コースを設置。別枠の入学試験を実施して知的障害生徒3名を受け入れている。
なお、創立の年について、学校側は実科高女の設置ではなく、北区による実科女学校(1927年3月末で廃止)が設置された1913年(大正2年)を創設としており、2016年(平成28年)度に創立100周年行事を開いている[3]。
沿革編集
大正天皇即位に合わせ北区の区会が記念事業として実科女学校設立を決定。1914年(大正3年)3月に認可されたが財政難で延期し、1916年4月、第一盈進高等小学校[5][6]を仮校舎として実業学校の「北区実科女学校」が開校した。
1917年に泉布観の払い下げを受け、同地の一角(北区新川崎町)に移転した(現・大阪市北区天満橋1丁目の大阪市立北稜中学校)。
当時の北区は1879年(明治5年)大阪府の直下組織として発足。10年後の大阪市制施行で、そのままの区域と名称で、市の下部組織へ移行したが、現在のような行政区ではなく、選挙で議員を選ぶ独自の「区会(区議会)」を持ち、法人格を有し(明治44年〈1911年〉9月市政改正勅令)、1890年学事通達による学校設置区でもあり、財産区を併せ持った性格の、事実上の法人区として機能していた[7]。このため北区実科女学校は区有財産としての運営される事実上の区立学校だった。
1921年の実業学校令の改正(甲種・乙種の区別を廃止)を受け、北区会は1922年6月28日、家事や裁縫など実用的教科目(実科)の課程を勅令高等女学校令に準拠する教育課程へ拡充。本科の1923年3月以降の卒業生を、高等女学校と同等の専門学校(旧制)に入学できる学力に認められた(文部省告示第81号2月21日付で資格同等を認可[8])。
大阪市会が1927年(昭和2年)2月14日に市直営の実科高等女学校とすることを決定したため、実科女学校は1927年昭和2年3月31日付で廃止(文部省告示第204号4月14日付で廃止を認可[9])となり、新たに4月1日付で大阪市立実科高等女学校が設置された。その後1934年4月1日に名実ともに高等女学校に昇格し、大阪市立桜宮高等女学校へ改称した(文部省告示第145号3月31日付で昇格と改称を認可[10])。
桜宮を離脱、続く移転・移管編集
戦後の1948年(昭和23年)学制改革により「大阪市立桜宮高等学校」へ改編。男女共学となったが、アメリカなど占領軍GHQなどの指示で、校舎を新制の大阪市立都島第二中学校(現:大阪市立桜宮中学校)に転用[11]することになり、大阪市南区西賑町の大阪市立南高等学校内に移転した(現:中央区谷町6丁目)。このため「大阪市立南桜宮高等学校」と併称することもあった。
1950年3月に同居を解き、北区の大阪市立滝川小学校(戦災被害により当時休校中)へ仮移転。1953年8月に新しい校地が都島区毛馬町の淀川の堤防沿い(淀川河川公園の隣接地)に決まり、1955年5月に新校舎第一期工事が完成。同年より3年生が移転し、1957年に全面移転した(現在地)。
大阪府では1900年(明治33年)に府知事・菊池侃二が『大阪府教育十カ年計画』を策定。以降、都心部の中等教育について、府は旧制中学校・高等女学校の普通教育学校を、市は実業学校を設置する「棲み分け」が続いた影響で、戦後に新制の高校を設置する際、運営・移管や学区などを巡る不均衡が、府と市との間で幾度も問題となっていた。
1970年代の生徒急増期、1971年に当選した府知事黒田了一による革新府政が、高校入試で「十五の春は泣かせない」政策[12][13]として、普通科の府立高校を大幅に新設したが、大阪市立の普通科高校は戦後、統廃合あったものの新設されないままだった。
このため1976年に市教育委員会の諮問機関として市高等学校教育審議会を設置。第8次までの答申と前後して様々な改革を進めたが、第1次答申で、大阪では旧制中学や高等女学校からの古さを持つ府立高への人気が高い、と指摘。市立高は「名門と称される伝統を有するものがない」上に「大学進学に不利な立場とされる職業科が3分の2を占め」「高校格差のしわ寄せを受け」ていると述べ、府立高との格差を挽回するため「特色ある普通科づくり」と専門学科の新設によるレベルアップを推奨した[14]。
結果、1980年代後半以降、市立の高校では、普通科系の高校も専門学科を併設する改編の動きが進んだ。長らく普通科のみの設置だった桜宮高校も1980年に大阪府内の公立高校で初めてとなる体育科を併置。1999年(平成11年)にはスポーツ健康科学科も設置された。
年表編集
- 1916年(大正5年) - 4月1日「北区実科女学校」が設置
- 1927年(昭和2年) - 3月31日、廃校[9]。4月1日、新たに「大阪市立実科高等女学校」が設置。10月、実科高女の創立記念日を11月10日と定める[15]
- 1934年 - 4月1日、高等女学校に昇格し「大阪市立桜宮高等女学校」に改称[10]
- 1948年 - 4月1日、学制改革により、新制の高校「大阪市立桜宮高等学校」に改編。大阪市立南高等学校内に移転(2校で同居)
- 1950年 - 大阪市立滝川小学校(北区)内に移転し、独立校舎となる
- 1955年 - 5月12日、新校地に新校舎竣工(都島区の現在地)
- 1957年 - 1月17日、新校舎へ完全移転
- 1980年 - 4月1日、体育科(2クラス)を併置。普通科8クラスとなる[15]
- 1981年 - 6月30日、体育館・室内温水プール増改築竣工
- 1999年(平成11年) - 4月1日、スポーツ健康科学科(1クラス)新設、普通科5クラスとなる[15]
- 2006年 - 4月1日、知的障害生徒自立支援コースを設置
- 2013年 - 1月21日、体育科およびスポーツ健康科学科の入学者選抜(入学試験)中止[16]し、この年は普通科のみの入試となった(ただし体育科とスポーツ健康学科に本来割り当てられている定員の枠はすべて普通科の枠としたため普通科の募集定員はその分増加した)
- 2014年 - 体育科とスポーツ健康科学科を廃止(改組)し、人間スポーツ科学科を新設
- 2016年 - 11月、創立100周年記念式典を挙行[3]
- 2022年(令和4年) - 4月、大阪府に移管され「大阪府立桜宮高等学校」に改編
基礎データ編集
交通アクセス編集
鉄道編集
- Osaka Metro(地下鉄谷町線)都島駅 より北へ約2.3km(徒歩で約30分)
- JR西日本(おおさか東線)城北公園通駅 より北西へ約920m(徒歩で約12分)
バス編集
- 大阪シティバス「大東町」バス停で下車、北へ約600m(徒歩で約8分)
諸活動編集
部活動編集
- 硬式野球部 - 1982年(昭和57年)3月に第54回選抜高等学校野球大会に出場。
- 水泳部 - 中野悟が在学中の1964年東京オリンピック日本代表に選ばれ、1500m自由形に出場。
- バスケットボール部 - 第36回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会、第41回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会に出場(第41回でベスト16)。
- 柔道部 - 高校で始めた立野千代里が全国高等学校柔道選手権大会で3位。
- 女子ソフトボール部 - 2011年(平成23年)インターハイに出場[17]
バスケ部体罰自殺事件及び部活動全般における体罰問題編集
バスケットボール部は体罰を伴った指導をしていた。このため2012年に自殺者を出した。
高校関係者と組織編集
関連団体編集
- 大阪市立桜宮高等学校 同窓会 一葉会 - 同窓会。読み方は「いちようかい」
高校関係者一覧編集
芸能編集
- 荒川美奈子 - 声優、「ひらけ!ポンキッキ」5代目お姉さん
- 磯部公彦(まるむし商店)- 漫才師
- ベイブルース(河本栄得・高山トモヒロ) - 漫才師(共に矢野燿大(輝弘)と同級生)
- 三島ゆかり - タレント
- 森本亮治 - 俳優
- ロングアイランド(松原侑潔・松尾侑治)- お笑いコンビ
スポーツ編集
そのほか関係者編集
脚注編集
- ^ 大阪市立高、22年度に府へ移管 人事・再編を効率化 - 日本経済新聞2019年(令和元年)9月2日
- ^ 大阪市立の全21高校を府へ無償譲渡 令和4年度 - 産経新聞2019年9月2日
- ^ a b “校長あいさつ” (日本語). 大阪市立桜宮高等学校. 2020年11月23日閲覧。
- ^ 大阪市立桜宮高等学校同窓会一葉会「一葉会会報」2020年(令和2年)復刊第33号
- ^ 1886年(明治19年)小学校令公布に伴い、高等科児童を収容の「公立盈進小学校」として「西天満小学校」内に設置。1896年12月菅原町に移転し「盈進高等小学校」と改称。1909年の北の大火で被害に遭ったため、翌1910年に校舎が此花町二丁目・大工町に新築された。
- ^ “(1)「泉州七十九番小学」の所在地・創設時期・現校名・初期の沿革を知りたい。(2)「加賀田学校」は河...”. レファレンス協同データベースlanguage=日本語. 2020年11月23日閲覧。
- ^ 巻 頭 言 - 大阪経済法科大学
- ^ 官報 大正12年(1923年)2月21日第3166号
- ^ a b 官報昭和2年(1927年)4月14日第85号
- ^ a b 官報 昭和9年(1934年)4月11日第2180号
- ^ 桜宮高等女学校時代からの校地は、大阪市立桜宮中学校が退去したのち、1952年10月より大阪市立北稜中学校の校地となっている。
- ^ 十五の春(ジュウゴノハル)とは - コトバンク
- ^ 故黒田さん(元大阪府知事)偲び お別れする会/不破議長、桂米朝さんらがお別れの言葉/参列の2100人が献花 - 日本共産党
- ^ 1997年3月「大阪市立高等学校改革の歴史と展望」 - 神戸大学発達人間学部研究紀要
- ^ a b c “沿革” (日本語). 大阪市立桜宮高等学校. 2020年11月23日閲覧。
- ^ “桜宮高「体育科」入試を中止 「普通科」で実施 大阪市教委決定”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2013年1月21日). 2013年1月22日閲覧。
- ^ “地区大会優勝校インタビュー”. JSコーポレーション (2011年7月). 2015年8月9日閲覧。
参考文献・資料編集
- 大阪市立桜宮高等学校記念誌編集委員会『80年の歩み:大阪市立桜宮高等学校80周年記念誌』、1999年。
- 【大阪協会】指導者の指導対応について 一般財団法人大阪府バスケットボール協会 2013年2月7日
- 「桜宮高校バスケット部体罰事件の真実 ―そして少年は死ぬことに決めた―」 島沢優子 (著) 朝日新聞出版 2014年12月5日 ISBN 4022512229
- 「部活があぶない」島沢優子 (著) 講談社現代新書 2017年6月14日 ISBN 4062884321
- 資料1大阪市立桜宮高等学校における体罰事案について 文部科学省 平成25年1月15日時
- 資料8大阪市立桜宮高校の男子生徒の自殺事案について 文部科学省 平成25年1月18日時
- 外部監察チーム報告書(p1‐p14)、(p15‐p26)、(p27‐p38)(※PDF)平成25年4月30日
関連項目編集
- 実科高等女学校
- 大阪市立東高等学校 - 源流は同じく東区立の実業学校
- 大阪市立高等学校 - 正式な校名が「大阪市立」。同じく改編され「大阪府立いちりつ高校」になる
- 旧制中等教育学校の一覧 (大阪府)
- 大阪府高等学校一覧
- 日本の体育科設置高等学校一覧