ベイブルース
ベイブルースは、かつて吉本興業に所属していた日本のお笑いコンビ。1988年結成。1994年にメンバーの死去により、活動停止後、2001年に正式に解散。
ベイブルース BAY BLUES | |
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メンバー |
河本栄得 高山知浩(現・高山トモヒロ) |
結成年 | 1988年 |
解散年 | 2001年 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1988年5月 - 1994年10月(メンバーの死去により活動停止) |
出身 | NSC大阪校7期 |
出会い | 大阪市立桜宮高等学校 |
現在の活動状況 | 解散 |
芸種 | 漫才、コント |
ネタ作成者 | 河本栄得 |
同期 |
トゥナイト 雨上がり決死隊 矢部美幸等 |
受賞歴 | |
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メンバー編集
略歴編集
NSCの7期生。共に、大阪市立桜宮高等学校の同級生で、共に硬式野球部出身。野球部の同級生に矢野燿大がいる。同期にはトゥナイト、雨上がり決死隊、矢部美幸(矢部浩之(ナインティナイン)の兄)などがいる。当時はずば抜けた実力を持ちながら、河本の突然の逝去によって解散を余儀なくされた(2001年に正式に解散)伝説の漫才コンビと言われている。
1988年5月、河本が高校卒業後、スイミングスクールに就職していた高山を誘う形で、NSC7期生在学中に「河本・高山」を結成。NSC7期生卒業間近の1989年2月18日には、「昭和63年度 第19回NHK上方漫才コンテスト」(河本・高山名義)本選出場を果たす。1989年4月、NSC卒業に合わせ、「ベイブルース」に改名。コンビ名の由来は野球選手のベーブ・ルースからだが、本人たちが照れから「上田正樹の『悲しい色やね』の歌詞・大阪ベイ(湾)ブルースから取った」ということにしていたため、本来の由来とは表記が異なっている。
デビュー後は、上方お笑い大賞などの数々の新人賞を獲得。また、CDをリリースして歌手デビューをするなど、活動は順調であった(CDが発売されたのは河本の死後)。
しかし、コンビとしての更なる活動が期待された矢先、河本が劇症肝炎のため急逝。高山はピン芸人としての活動を余儀なくされる。その間は「ベイブルース高山」(番組によっては、ベイブルース高山知浩の表記も)と名乗っていた。これは「ベイブルースの存在を忘れてほしくなかった」、「自分が河本の分まで頑張っていきたい」という思いからであった。
その後、高山は和泉修の誘いで、2001年9月18日に「ケツカッチン」を結成。同年11月1日に関西地区で放送された番組の中で、「ベイブルースは本日をもって解散します」とファンに向けて発表した。コンビ結成から12年目のことだった。
評価編集
どちらも芸人としての意識が非常に高い(プロデューサー談)。後輩からは恐がられる部分もあったものの、人柄の良さもあり慕われていた。
芸風は主に漫才で、漫才のクオリティは当時の若手でも群を抜いており、NSCの同期である宮迫博之(雨上がり決死隊)は「同期にベイブルースっていうもの凄い漫才のうまいコンビがおったから、これは勝てないと思って俺らはコント主体でいくことにした」と語っている。また、コントも行うことがあった。
解散後の活動編集
2001年のケツカッチン結成後は、常にベイブルースとして活動することはないが、事実上の解散となった現在でも、不定期でイベントを開催しては復活するなど、活動は続いている。
このイベントには、高山・河本両名と交流のある種浦マサオ (#1 - #2) や清水キョウイチ郎 (#2)が出席。高山と共に、河本の思い出を語った。なお清水は、4日後の11月4日に、肺血栓により逝去、これが最期のイベント出演となった。
2009年10月31日に、高山は「ベイブルース 25歳と364日」を出版、11月29日には没後15年ということで、同期や後輩を集めたイベント「25歳と364日 〜ベイブルースよ、伝説に〜」を開催し、ベイブルースとして最後のコントを披露した。
またこの本は、2011年11月3日に京橋花月にて、後輩のメッセンジャー黒田による演出で「『RUN』〜ベイブルース 25歳と364日〜」として芝居化され、3年後の2014年には映画化もされ、監督を自ら務めた。
2014年8月の『水野真紀の魔法のレストランR』にて、2人を可愛がっていたシルクと高山、そして後輩の矢野・兵動の兵動大樹の3人で、河本がよく通った店を3軒回りながら、高山が河本とのエピソードを回想した。
受賞歴編集
- 1989年 - 第10回 今宮子供えびすマンザイ新人コンクール 福笑い大賞
- 1989年 - 第4回 NHK新人演芸コンクール 優秀賞
- 1990年 - 第25回 上方漫才大賞 新人奨励賞
- 1990年 - 第11回 ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞
- 1990年 - 第20回 NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
- 1991年 - 第20回 上方お笑い大賞 銀賞
- 1995年 - 第30回 上方漫才大賞 審査員特別賞
出演編集
ケツカッチン結成以降の高山の出演状況については、高山トモヒロの項目を参照のこと。
ライブ・イベント編集
- 新・頭一抜群(1994年12月25日・26日)
- キンバラジロー(不定期開催) - ベイブルース高山名義で出演。現在は終了。
- 高山トモヒロ & 種浦マサオの親友きどり #1 - #2(不定期開催)
テレビ番組編集
- 電動くるくる大作戦(1992年 - 1993年、読売テレビ)
- 興味のルツボ 〜ウィークエンドDADADA〜(1994年 - 1998年、CBCテレビ) - 河本急逝後は高山1人で引き続き出演。河本急逝の週には、冒頭で追悼コーナーが設けられた。
- 屋台の目ぇ(1994年、毎日放送) - 月曜担当。
- ビデリンが行く! (1995年 - 1996年、毎日放送) - ベイブルース高山名義で司会を担当。
- スカートの森(テレビ大阪)
- お笑い青田ガリッ! (関西テレビ)
- ハイヒールのどんなんかな予備校(朝日放送)
ラジオ番組編集
- ヤンタンあそびのWA! (1994年 - 1995年、MBSラジオ) - 月曜担当。
- メディアキング電波ファイター(1994年、CBCラジオ) - 金曜担当。
映画・ドラマ編集
- ファンキー・モンキー ティーチャーシリーズ(1991年 - 1994年) - 苗字が同じ学生役で出演。
- 難波金融伝・ミナミの帝王劇場版partII「銭の三 銀次郎VS整理屋」(1993年) - 河本が漫才師役でギャンブルに溺れ、逃げまどう役を好演。
- 二人が喋ってる。(1995年) - 若手芸人役で高山が出演。
CM編集
ディスコグラフィ編集
- 夫婦きどり(1994年11月18日、フォーライフミュージックエンタテイメント) - 現在は廃盤。
- OSAKA (2001年12月19日、フォーライフミュージックエンタテイメント) - 全14曲収録、上記「夫婦きどり」を9曲目に収録。
関連書籍編集
- 2丁目ワチャチャBOOK ぼくらがヨシモトの新兵器だ!! (1993年10月10日、編集 - マンスリーよしもと、出版 - データハウス、ISBN 978-4-88718-177-9) - 2人の特技が書かれている。
- 華 メディア・エンターテインメントの世界(2003年8月20日、著者 - 影山貴彦、出版 - 世界思想社、ISBN 978-4-7907-1005-9) - 第三章に彼らのことが書かれている。
- ベイブルース 25歳と364日(2009年10月31日、著者 - 高山トモヒロ、出版社 - ワニブックス、ISBN 978-4-8470-1882-4)
関連項目編集
- ベーブ・ルース - コンビ名の由来となった野球選手。
- 雨上がり決死隊 - 同期デビューの芸人。
- トゥナイト - 同上。
- 清水キョウイチ郎 - 2人と交流のあった芸人。元・ぴのっきを。
- 種浦マサオ - 2人と交流のあるミュージシャン。
- ぜんじろう - 河本と親しかった芸人。
- 和泉修 - 高山の現在の相方。
- 影山貴彦 - 2人が出演していたラジオ番組のプロデューサー。現在は同志社女子大学学芸学部教授、エッセイスト。
- 非常階段 (お笑いコンビ) - 親しかった芸人。同じようにシルクが相方のミヤコを病気で亡くしておりピンで活動している。
- カンニング (お笑いコンビ) - 同じように竹山隆範が相方の中島忠幸を病気(白血病)で亡くして以降、「カンニング竹山」名義でピンで活動している。