メインメニューを開く

富士屋ホテル(ふじやホテル)とは神奈川県箱根町宮ノ下温泉にある、富士屋ホテル株式会社が経営する、1878年明治11年)創業の老舗ホテルである。現在は国際興業グループに属している。

富士屋ホテル
本館(登録有形文化財)
本館(登録有形文化財)
ホテル概要
正式名称 富士屋ホテル
ホテルチェーン 富士屋ホテルチェーン
設計 山口仙之助(創業者)
山口正造(花御殿)
宮内省内匠寮(菊華荘)
中島健 (造園家)=庭園
運営 富士屋ホテル株式会社
所有者 富士屋ホテル株式会社
前身 藤屋旅館
レストラン数 3軒
部屋数 146室
スイート数 11室
駐車場 117台
開業 1878年7月15日
最寄駅 宮ノ下駅
最寄IC 箱根口インターチェンジ
所在地 〒250-0404
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下359
位置 北緯35度14分39.02秒
東経139度3分32.5秒
座標: 北緯35度14分39.02秒 東経139度3分32.5秒
公式サイト 公式サイト
テンプレートを表示

目次

概要編集

国道1号に面しており、年始の箱根駅伝中継では選手の位置関係を表現する際に使われることもある箱根のランドマーク的な存在。現存する本館は唐破風を取り入れた和洋折衷の木造建築であり、明治の建築様式を現代に伝えている。

創業者である山口仙之助は「外国人の金を取るをもって目的とす」という言葉を残し、「外国人を対象とした本格的なリゾートホテル」をめざしたという。古くは宿泊客に外国人が占める割合が高く、19世紀末に外国人専用ホテルに指定されたほか、戦後しばらくは連合国軍専用であった時期もあったこともあり、日本文化を伝える展示や工夫がされている。

山口仙之助は箱根の発展に力を注ぎ、私費で道路を開いたり水力発電の会社も立ち上げた。3代目の山口正造は乗合バスの運行もはじめた。山口正造はホテルマンの育成にも力を注ぎ、1930年昭和5年)富士屋ホテルトレイニングスクールを立ち上げている。このスクールは山口正造の死により途絶えたが、のちに立教大学観光学科設立によりその意志が引き継がれている。

昭和天皇タイ国王オーストリア皇太子などの皇族王族が宿泊しているほか、ウィンストン・チャーチルヘレン・ケラーチャーリー・チャップリンなど、箱根を訪れる国内外の多くの著名人に愛用されている。また別館にはジョン・レノンオノ・ヨーコが滞留していたこともあり、ホテル内ツアーで宿泊した部屋を見学することができる。

また、第二次世界大戦末期の1945年には、東京への連合国軍機による空襲を避けたドイツ満州国中華民国などの同盟国の大使館員及び武官などの宿舎としても使用された。

様々な出来事を乗り越えながらも19世紀から21世紀に至るまで、ほぼ竣工当時も面影を残しながら営業を続けていたが、2018年3月末から耐震改修工事で一時的に休業、大浴場の設置や客室の改装を行い、2020年春頃を目途に営業を再開する予定である[1]

沿革編集

 
オーストリア皇太子一行。1893年
 
西洋館
 
食堂棟
 
花御殿

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ 富士屋ホテル 耐震補強・改修工事のお知らせ 2018年4月着工:富士屋ホテル
  2. ^ a b c d e f g h i j k 富士屋ホテル株式会社沿革:富士屋ホテル
  3. ^ 富士屋ホテルチェーンホテルヒストリー
  4. ^ 『オーストリア皇太子の日本日記』講談社学術文庫、2005/9/10、p158-160
  5. ^ 同年12月21日、運輸省告示第267号。登録番号は、登録ホ第19号。
  6. ^ 同日、大蔵省告示第1164号
  7. ^ 同年4月2日、官報第11490号「皇室事項」行幸啓予定
  8. ^ 1998年(平成10年)1月8日、文部省告示第7号
  9. ^ 地域活性化のための「近代化産業遺産群33」の公表について:経済産業省

参考文献編集

  • 山口由美 『箱根富士屋ホテル物語(新装版)』トラベルジャーナル2002年平成14年)。
  • 朝日新聞 第2神奈川面『それは港から始まった』2009年2月4日付記事
  • 『社史で見る日本経済史 回顧六十年(山口堅吉 編・富士屋ホテル株式会社刊 1938年)』(解説:砂本文彦)ゆまに書房、2016年

関連項目編集

外部リンク編集