御用邸

天皇や皇族の別荘

御用邸(ごようてい)とは、天皇皇后皇太子皇女皇太后別荘である。年に数回、静養を兼ねて避暑や避寒で訪れる。宮内庁の定義では、一定規模の建造物と敷地を有するものを離宮とし、小規模のものを御用邸と称している。

葉山御用邸

御用邸の役割 編集

幕末から明治にかけて天皇家の子供たちの夭折があまりにも多いことから1883年(明治16年)に侍医らが連名で改善案をまとめた上申書を提出し、その中に避暑のための離宮の建設があったことから、箱根離宮とともに日光山内御用邸が建設された[1]。しかし、明治天皇自身は脚気に悩みながらもこれらを一度も利用しなかった[1]

皇后や東宮(嘉仁親王、後の大正天皇)は他の人と同じ施設を同時期に利用することはしないため、明治期は皇女ごとに御用邸が創設されたが、皇女の結婚後は不要となり関東大震災後に廃止された[2]。御用邸内でも一人に一棟の御殿(付属邸)を用意する方法は、嘉仁親王の皇子にも引き継がれ[3]、嘉仁親王の成長に合わせ、避暑・避寒などの医学的な見地による私的生活空間から執務室など公的な機能を加えた小さな皇居へと役割も変わった[4]

御用邸は一見質素に見えつつも、和風建築として最高の材料と技術で造られており、継続的なメンテナンスを行うために、御用邸の周囲にメンテナンス技術を持つ職人が集積していた。葉山町の守谷表具店もそれらの一つで、戦前より葉山御用邸の襖や障子のメンテナンスを担当している[5]

現存する御用邸 編集

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那須御用邸(なすごようてい)
栃木県那須郡那須町北緯37度5分16.7秒 東経140度1分25.2秒 / 北緯37.087972度 東経140.023667度 / 37.087972; 140.023667 (那須御用邸))、1926年大正15年 / 昭和元年) -
主に8月 - 9月に訪れている。
那須湯本温泉近くに位置し、東京ドーム142個分、皇居の6倍近い広大な敷地である[6]
本邸は1926年7月、付属邸は1935年(昭和10年)完成[7]。ご休憩所の嚶鳴(おうめい)亭もある[7]
2008年平成20年)には天皇皇后の意向を受け、初めて秋の時期(10月24日 - 27日)に訪れた。
2011年(平成23年)には、同年3月11日に発生した東日本大震災により、福島県から避難した被災者に対し、風呂などの一部施設を天皇・皇后の意向により開放した[8]
豊かな自然環境を保護しつつ、国民が自然に直接ふれあえる場として活用してはどうかという第125代天皇明仁の意向を受けて、2007年(平成19年)に御用邸敷地の約半分の570ヘクタール宮内庁から環境省に移管され、一般開放に向けて自然環境のモニタリング調査や、フィールドセンター等の施設整備や遊歩道などの整備が進められ、2011年(平成23年)5月22日、天皇陛下御在位20年という節目の機会に日光国立公園那須平成の森として開園した[9]。新型コロナウイルス感染症の流行により那須御用邸での静養は控えられたが2023年8月に4年ぶりに利用された[6]
葉山御用邸(はやまごようてい)
神奈川県三浦郡葉山町北緯35度15分40.7秒 東経139度34分41.4秒 / 北緯35.261306度 東経139.578167度 / 35.261306; 139.578167 (葉山御用邸))、1894年(明治27年) -
主に2月 - 3月に訪れている。大正天皇が崩御した所である。
1894年(明治27年)着工。嘉仁親王は幼小時健康が優れず、侍医のエルヴィン・フォン・ベルツが葉山を保養地として勧めたという[10]1916年(大正5年)公的な建物増設[3]
1926年(大正15年)12月25日大正天皇崩御に伴い、皇太子裕仁親王が践祚した。葉山御用邸に隣接する場所には裕仁親王践祚記念碑が設置されている。
1971年昭和46年)に建物が焼失(葉山御用邸放火事件)したが、1981年(昭和56年)に再建された。
1987年(昭和62年)に付属邸跡地が葉山しおさい公園として開園した[11]。公園内のしおさい博物館には昭和天皇の採集した生物の標本などが展示されている。
葉山は、横須賀港から直接訪れる事が可能だったことから、海軍に属していた東伏見宮依仁親王などが葉山に別邸を建設し、最盛期には御用邸を含めて五家の皇族別邸が立ち並んだ[12]
須崎御用邸(すざきごようてい)
静岡県下田市須崎(北緯34度40分6.9秒 東経138度58分32.1秒 / 北緯34.668583度 東経138.975583度 / 34.668583; 138.975583 (須崎御用邸))、1971年(昭和46年) -
主に7月 - 8月に訪れている。かつての三井財閥別荘の敷地を、日本国政府が買い取り御用邸にした。
邸内にはプライベートビーチがある。

かつて存在した御用邸 編集

1930年(昭和5年)、宮内省は離宮、御用邸の整理計画を策定。名古屋城のほか、武庫離宮、静岡御用邸、熱海御用邸、鎌倉御用邸、小田原御用邸、宮ノ下御用邸の廃止が打ち出された[13]が、実際の廃止時期にはばらつきが出た。

出典 編集

  1. ^ a b 明治16年と同21年の上申書からみた明治天皇皇子女夭折問題深瀬泰旦、日本医史学雑誌 第61巻第2号(2015)
  2. ^ a b c d e f g h 小沢 2008, p. 156.
  3. ^ a b 小沢 2008, p. 157.
  4. ^ a b 小沢 2008, p. 158.
  5. ^ 小沢 2008, p. 163.
  6. ^ a b 天皇ご一家4年ぶり 那須で夏の静養【Q&Aで詳しく】2023年8月21日 19時39分 NHK
  7. ^ a b 那須御用邸「早期建て替えを」老朽化で地元が署名活動 産経新聞 2019年4月19日
  8. ^ asahi.com(朝日新聞社):御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め - 社会
  9. ^ 那須平成の森 開園の経緯
  10. ^ 澤村[2014:20-70]
  11. ^ 日本国内の優れた日本庭園を選出するしおさいランキングの由来となっている
  12. ^ 小沢 2008, p. 168.
  13. ^ 廃止に決定した一離宮、五御用邸『東京日日新聞』昭和5年8月24日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p113 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  14. ^ 小沢 2008, p. 167.
  15. ^ 小沢 2008, p. 156-157.

文献 編集

  • 澤村修治『天皇のレゾート 御用邸をめぐる近代史』2014年 図書新聞 ISBN 978-4-88611-460-0
    • 上記の本は御用邸一般に関しても詳しい。
  • 小沢朝江『明治の皇室建築』吉川弘文館、2008年11月1日。ISBN 978 4-642-05663-2 

関連項目 編集

外部リンク 編集