小野田又蔵

日本の堂宮大工

小野田 又蔵(おのだ またぞう、安政2年2月8日(1855年3月25日) - 1939年昭和14年)6月13日)は、三河国加茂郡明知村(現・愛知県みよし市明知町)出身の堂宮大工棟梁)。

おのだ またぞう

小野田 又蔵
生誕 (1855-03-25) 1855年3月25日
三河国加茂郡明知村(現・愛知県みよし市明知町
死没 (1939-06-13) 1939年6月13日(84歳没)
墓地 西山墓地(みよし市)
記念碑 「小野田又蔵碑」
職業 堂宮大工棟梁
代表作 萬福寺本堂
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明治期から大正期にかけて、愛知県を中心に滋賀県も含めて60か所以上の寺院神社の建築を手掛けた。温和で忍耐強い性格だった[1]

経歴

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出生

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安政2年(1855年)2月8日、三河国加茂郡明知村(現・愛知県みよし市明知町)に生まれた[2]。父は小野田菊蔵であり、又蔵は二男だった[2]

大工修業

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医王寺の「加藤米次郎翁之碑」

18歳だった1873年(明治6年)3月に棟梁の石川貞助(貞蔵)に弟子入りした[2]。石川貞助は知多郡前山村(現・常滑市)出身の堂宮大工であり、三好の石川家に養子に入ったとされる[2]。石川貞助の弟子には小野田又蔵の他に加藤米次郎などもおり、加藤米次郎は三好八幡社などを造営している[2]

1873年(明治6年)から1875年(明治8年)の3年間をかけて、石川貞助は三好八幡社の例祭で用いられる三好上区山車を建造し、小野田又蔵、加藤米次郎、鈴木林吉(後の石川種吉)らの弟子も建造に加わった[3]

棟梁として

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代表作の萬福寺本堂

1879年(明治12年)に石川貞助が死去すると、小野田又蔵は小野田家に戻って独学で棟梁となった[2]。棟梁として初めて手掛けた建築物は、1880年(明治13年)に製作した地元の明知神明宮拝殿であり、1881年(明治14年)には隣村の打越神明社拝殿も製作した[2]。1884年(明治17年)には後の豊田市域での初仕事となる西雲寺鐘楼を請け負った。小野田の棟梁としての経歴の初期には、神社の本殿や拝殿、寺院の山門鐘楼など、比較的小規模な建築物を手掛けていた[2]

1883年(明治16年)4月6日、29歳の時に小野田小吉家に養子に入り、1885年(明治18年)に愛知郡沓掛新田(現・豊明市)から妻をめとった[2]。七男二女を儲けたが、長男・三男・四男の3人は幼年のうちに死去している[2]

1891年(明治24年)頃からは、寺院の本堂など規模の大きな建築物も手掛けるようになり、碧海郡安城町(現・安城市)や刈谷町(現・刈谷市)や知立町(現・知立市)、名古屋市など、それまでの西加茂郡から範囲を拡大させた[2]。1895年(明治28年)に上棟した知立町の萬福寺本堂は「荘厳さ」「美しさ」「精妙さ」が称賛された[4][5]

1901年(明治34年)以後には滋賀県の湖東地域にある彦根市愛知郡愛知川町神崎郡能登川町(現・東近江市)でも計11か所の建築物を手掛けたが、滋賀県でも仕事を行った理由は不明である[2]。愛知県と滋賀県だけでなく岐阜県でも仕事を手掛けたとされるが[6]、岐阜県で手掛けた作品については判明していない[2]

晩年

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「小野田又蔵碑」

1909年(明治42年)6月には故郷の三好町明知小池下(現・みよし市明知町小池下)に石碑「小野田又蔵碑」が建立され、22人の弟子の名前も刻まれた[2]。特定の作品としては知立町の萬福寺のみが石碑に刻まれている[1]。弟子の近藤文三郎は神崎郡栗見荘村(現・東近江市)の北村家に養子に入り、北村金右衛門となっている[2]

1912年(明治45年)以後には造営を手掛けることが減り、主に弟子の育成などに当たった[2]。1939年(昭和14年)6月13日に死去した[2]菩提寺はみよし市明知町の浄久寺であり、墓所は明知町の西山墓地[1]。同年には息子と存命の弟子が石碑前で記念写真を撮影した[1]

死後

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西山墓地にある墓石

棟梁としての初仕事である明知神明宮拝殿は1973年(昭和48年)に解体された。師の石川貞助らとともに建造した三好上区山車は、1981年(昭和56年)10月1日に三好町指定文化財(後にみよし市指定文化財)に指定された[7]

1991年(平成3年)11月、三好町立歴史民俗資料館の開館10周年記念に特別展「堂宮大工 小野田又蔵の世界」が開催された[2]。棟梁として2番目の仕事である打越神明社拝殿(神楽殿)は2001年(平成13年)以後に解体された[8]

作品

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画像 建築年 所在地 建築物 状況
1880年 愛知県みよし市明知町 明知神明宮拝殿 1973年解体
1881年 愛知県みよし市打越町 打越神明社拝殿 2001年以後解体
1884年 愛知県豊田市住吉町 西雲寺鐘楼 1959年倒壊
  1885年 愛知県豊田市竹元町 光恩寺山門
  1888年 愛知県豊田市宮口町 浄覚寺山門
  1888年 愛知県豊田市高岡町 神明宮本殿
1890年 愛知県豊田市手呂町 手呂八幡宮拝殿
1891年 愛知県安城市山崎町 正法寺本堂
1894年 愛知県安城市高木町 貞印寺本堂
  1894年 愛知県名古屋市緑区大高町 明忠院本堂
1894年 愛知県豊田市前林町 願誓寺庫裏
  1895年 愛知県知立市上重原町 萬福寺本堂 登録有形文化財
1895年 愛知県安城市新田町 明眞寺本堂
1897年 愛知県豊田市寺部町 浄土院本堂
1897年 愛知県豊田市平井町 東光院鐘堂門
1897年 愛知県蒲郡市神ノ郷町 西重寺本堂
  1898年 愛知県豊田市鴛鴨町 遍照寺本堂
1899年 愛知県豊田市高岡町 順了寺本堂
1899年 愛知県名古屋市南区星崎 正行寺本堂
1901年 滋賀県東近江市能登川町 明法寺本堂
1901年 滋賀県彦根市田附町 教円寺鐘楼
  1903年 愛知県名古屋市天白区植田 栄久寺本堂
1904年 滋賀県彦根市甲崎町 妙光寺鐘楼
1904年 滋賀県彦根市普光寺町 廣濱神社拝殿
1904年 愛知県豊田市配津町 安隠寺本堂
1904年 愛知県蒲郡市三谷町 光昌寺鐘楼
  1904年 愛知県名古屋市緑区桶狭間 慈雲寺本堂
1905年 愛知県稲沢市下津町 阿弥陀寺本堂
  1905年 愛知県刈谷市今川町 今川八幡宮本殿 龍江寺に移築
1906年 愛知県刈谷市今岡町 洞隣寺本堂 解体
1906年 愛知県岡崎市大門 八剣神社拝殿
  1906年 滋賀県彦根市須越町 光淵寺本堂
1907年 愛知県岡崎市中之郷町 中郷神社拝殿
1908年 滋賀県愛知郡愛知川町 乗蓮寺本堂
1909年 愛知県豊明市沓掛町 慈光寺本堂
  1909年 愛知県刈谷市一ツ木町 西福寺弘法堂
1909年 滋賀県愛知郡愛知川町 東漸寺本堂
  1910年 愛知県豊明市前後町 西雲寺本堂
  1910年 愛知県刈谷市一里山町 密蔵院本堂
  1910年 愛知県豊田市寺部町 随應院鐘堂門
1910年 滋賀県愛知郡愛知川町 妙安寺経堂
1911年 愛知県豊明市栄町 宝福寺本堂
1913年 愛知県豊田市鴛鴨町 若宮八幡宮拝殿
1915年 愛知県豊明市栄町 修静院本堂
  1916年 愛知県愛知郡東郷町 東光寺本堂
1926年 愛知県みよし市莇生町 莇生神社拝殿
不明 滋賀県東近江市能登川町 教勝寺鐘楼
不明 滋賀県東近江市能登川町 西照寺鐘楼
  不明 愛知県刈谷市井ケ谷町 八幡宮拝殿

脚注

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  1. ^ a b c d 『みよしの人物 みよしを彩った人々』三好町立歴史民俗資料館、2008年、pp.28-29
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『堂宮大工 小野田又蔵の世界』三好町立歴史民俗資料館、1991年
  3. ^ 『三好上の山車 調査報告書』三好町立歴史民俗資料館、1987年、pp.8-10
  4. ^ 三好町誌編さん委員会『三好町誌 第三巻』三好町、1998年、pp.589-590
  5. ^ 『明知下区誌』明知下区・明知下区誌編纂委員会、2005年、pp.223-224
  6. ^ 『三好町誌』三好町誌編纂委員会、1962年、p.540
  7. ^ 『三好上の山車 調査報告書』三好町立歴史民俗資料館、1987年、pp.16-17
  8. ^ 打越区誌編さん委員会『打越区誌』打越行政区、2003年、p.263

参考文献

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  • 『堂宮大工 小野田又蔵の世界』三好町立歴史民俗資料館、1991年