川原 伸司(かわはら しんじ (1950-10-11) 1950年10月11日 - )は、日本の音楽プロデューサー作曲家[2]

川原伸司
別名 平井夏美
羽佐間健二
Paul Wilson
生誕 (1950-10-11) 1950年10月11日(73歳)[1]
出身地 東京都
職業 音楽プロデューサー作曲家

代表作は松田聖子瑠璃色の地球」(平井夏美名義)、井上陽水少年時代」(同。井上と共作。)。

人物・経歴 編集

ビクターレコードを経て、ソニー・ミュージックエンタテインメントのチーフプロデューサーに就き様々なアーティストを手がける。

平井夏美」名義以外に、ビートルズエリナー・リグビー」の歌詞に使われる「Father Mckenzie」をもじった「羽佐間健二」やポール・マッカートニーブライアン・ウィルソンを合わせた「Paul Wilson」名義でも活動している。

1974年にビクターに入社、当初は邦楽宣伝部に在籍し、マイ・ペースの「東京」をヒットさせる。1981年に制作部に異動し、松本伊代のプロジェクトに参加し、3rdシングル「TVの国からキラキラ」のディレクターを担当する。

1981年に松田聖子風立ちぬ」のB面曲「Romance」で作曲家として正式デビュー。大瀧詠一の推薦で作曲を担当したが、当時はまだビクターの社員であったため、所属レコード会社の異なる松田聖子への提供にあたり「平井夏美」の変名を使用している。最初に作曲したのは1978年にディレクターとして担当した杉真理の2ndアルバム『SWINGY』収録の「雨の日のバースデー」(杉と共作)。ビクターの規約でディレクターの作曲が禁じられていた[3]。同様にTHE GOOD-BYE作品も公表はされていないが「Paul Wilson」名義でメンバーと共作であった[3]

作曲家としてビクターに出入りしていた大瀧詠一や松田聖子のプロデューサーであった若松宗雄の縁もあり、1986年CBS・ソニーに移籍。さらに1989年にビクターに戻り、1994年にはソニーに再入社している。その後独立しフリーとなる。

1989年に放送開始したTBS系『筑紫哲也 NEWS23』のジングル制作を担当した井上陽水が、コーラスアレンジを大瀧詠一に依頼した際にヘルプとして参加したことで縁が生まれ、翌1990年に井上と「少年時代」を共作する[3]

大瀧詠一と井上陽水、松田聖子と中森明菜というライバル関係にあった歌手双方の制作に関わった珍しい経歴を持つ。

手がけたアーティスト 編集

作曲家として手がけた曲 編集

映画 編集

著作 編集

  • ジョージ・マーティンになりたくて 〜プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録〜(2022年7月14日、シンコーミュージック)ISBN : 978-4401652181[6]

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ ミラクルグループ・川原 伸司プロフィール作曲家の川原伸司さん「少年時代」は15分でできた
  2. ^ a b c d e f 吉野由樹. “ビートルズブログ アビイ・ロードの歩き方|WEBマガジン e-days「イーデイズ」”. 阪急コミュニケーションズ. 2011年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 午前0時の歌謡祭アーカイブ 川原伸司特集歌謡曲リミテッド
  4. ^ 俺たちのビートルズを熱く語ろう(4)(アサ芸プラス) - エキサイトニュース”. エキサイト. 2013年6月23日閲覧。
  5. ^ ムクロジの木NHK みんなのうた
  6. ^ "音楽プロデューサー・川原伸司氏自伝 松田聖子、井上陽水らヒット曲制作の裏側披露". スポニチAnnex. スポーツニッポン新聞社. 15 July 2022. 2022年7月15日閲覧

外部リンク 編集