志村明

日本のPAエンジニア

志村 明(しむら あきら、1957年10月22日 - )は、日本のPAエンジニア。株式会社スターテック代表取締役。東京都出身。愛称は「シムシム」

人物 編集

東京都世田谷区深沢で生まれ、父親の仕事の関係で、小学校1年から3年と、6年から中学2年までニューヨークで過ごす。その為、早くから音楽に目覚め、帰国後は小金井市で過ごし、中央大学附属高等学校吹奏楽部に入部しフルートを担当するも、先輩との喧嘩で半年で退部。その後フルートが吹けるということでキング・クリムゾンシカゴをコピーしていたバンドに誘われるが、ベースの空きが出た為、ベーシストに転向。「ハートロード」というバンド名でディープ・パープルのコピーバンドをやっており、当時の三多摩地区では有名な存在であった。

高校卒業後は音楽で身を立てたいと思い、「音楽専門学校かネム音楽院に行きたい」と言ったところ、父親から「それだったら金は出さない。大学だったら金を出してやる」と言われ、そういった学校に一番近そうな学校を志望し、日本大学芸術学部放送学科に入学。大学に通うかたわら、本格的にバンド活動に専念し、ブリティッシュ・ハードロックバンドジューダス・プリーストの日本公演の前座を勤めたこともある。その頃から三鷹市のフィルモア楽器でバイトを始め、PAや来日アーティストのPAの通訳をしていたことからミキサーを志すようになる。 その頃、輸入物のPA機材、DBXのコンプは高額で「そういう機材が国産で作れないかな?」という疑問から、大学3年目のとき、友人たちとインターシティという会社を設立。

PAエンジニアとして鶴岡雅義と東京ロマンチカあのねのねなどを担当するが、当時のPA機材の音に納得できずレコーディング・エンジニアに転身、その後機材の進歩を受けてPAに復帰する。

以来、日本およびアジア各国で活動し、日本を代表するPAエンジニアとして坂本龍一はじめ多くのアーティストから絶大な信頼を得ている。近年ではEXILE氷室京介TM NETWORK宇多田ヒカルMr.Childrenなどを担当している。

小室哲哉とは1年先輩であるが、同じ多摩地区に住んでいたこともあり、幼少時代からの知人。TM NETWORKとして活動を始めた時からは音信不通だったが、1994年の『TN 4001 DAYS GROOVE』開催の際に小室から参加のオファーが来たことで再び距離を縮める。その後の小室の主催するライヴにはほぼ参加していて、彼を中心に開拓した仕事が多い[1]

これまで担当したライブ 編集

外部リンク 編集

脚注 編集

  1. ^ 扶桑社刊 『The File of Relation』より。

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