坂本龍一
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坂本 龍一(さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年1月17日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサー[5]。東京都出身[6]。
坂本 龍一 | |
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基本情報 | |
出生名 | 坂本 龍一[1] |
生誕 | 1952年1月17日(70歳) |
出身地 |
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学歴 | 東京芸術大学大学院修士 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1978年 - |
レーベル |
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共同作業者 |
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公式サイト | sitesakamoto.com |
世界的に活動している日本人ミュージシャン。その音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあるものの、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深い。愛称は「教授」[7]。近年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加している[8][9]。
概要編集
幼いころから作曲を学び、東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始。1970年代後半よりソロやKYLYNバンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ (YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなる。YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックとテクノの融合、ワールドミュージック、ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップス、オペラの作曲およびプロデュース、クラシックやボサノヴァのユニットを結成してのワールドツアー、近年はアンビエントやエレクトロニカの作品を発表するなど、ジャンルを超越して多彩な作品を発表している。
自身の音楽活動のほか、プロデューサーやアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。映画『戦場のメリークリスマス』で映画に俳優として出演し、映画音楽も手掛け、日本人初の英国アカデミー賞の作曲賞を受賞した。1987年公開の『ラストエンペラー』[注 1]では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し[注 2]、同曲でゴールデングローブ賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。1990年、映画『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックを担当しロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞、1991年にゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。
音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には俳優としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、ダウンタウンなどとお笑い番組やバラエティ番組に出演する。
近年は各メディアで環境問題や憲法をはじめとした諸問題に関する運動に積極的に参加・言及しており、2000年代半ばに話題になったPSE問題においても、坂本が中心人物として反対運動を行った。「エコ」や「ロハス」といったキーワードを口にすることが多く、マクロビオティックの実践者でもある。長年喫煙者であったが、針治療を通じて禁煙に成功した[10]。一時期はベジタリアンでもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に挫折している。2008年の9月には作家村上龍との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。
無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している[11]。無類のジャージ嫌いであり、昔よく遊んでた友達がジャージを着ていた日、その瞬間に絶交したことがあるほどで、「僕の前でみんなはかないでね」と発言している[12]。その一方でアルバム「千のナイフ」のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほど、見た目に無頓着だった過去を持つ。このような坂本が当時のミュージシャンに不可欠だったファッションセンスを得るに至ったのは、高橋幸宏の指導によるものである。
坂本は手塚治虫の漫画が好きだと公言しており、特にお気に入りの作品は『火の鳥』と『ブッダ』だという。手塚漫画の女性や動物は滑らかな曲線で描かれており、そこに音楽性と美しさを感じると度々語っている[13]。坂本は手塚るみ子プロデュースの「手塚治虫 その愛した音楽」というCD(内容は手塚が漫画の執筆中に聴いていた音楽を収録したもの)の仕事もしている。手塚プロダクションの「さよならティラノ」というアニメの音楽も担当している。
「教授」「世界のサカモト」とあだ名される。左利き。血液型はB型。現在はアメリカ合衆国ニューヨーク州在住。歌手の坂本美雨はシンガーソングライターの矢野顕子との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女[14]。
来歴編集
幼年期編集
1952年、東京都中野区に生まれた。父は河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次、高橋和巳などを担当した坂本一亀。母・敬子は帽子デザイナーで銀座の宝石商に勤務。母方の祖父下村彌一は実業家で共保生命取締役、東亜国内航空会長などを務め、第五高等学校と京都大学では池田勇人と同級生で生涯の親友として付き合い、池田首相の葬儀に友人代表として弔辞を読んだという[15]。母方の叔父(母の弟)下村由一 (1931 - ) は歴史学者で、千葉大学名誉教授。
通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所だったため、3歳からピアノを習い始める。自由学園幼児生活団に準じた世田谷幼児生活団において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。10歳で東京芸術大学教授の松本民之助に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家はストラヴィンスキーであった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。しかし14歳の頃は「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」と半分信じていて、サインの練習までしていた。人生で最も影響を受けた音楽家も、ドビュッシーとバッハである[16]。
1959年から東京都世田谷区給田に育つ。世田谷区立祖師谷小学校から世田谷区立千歳中学校[注 3]を経て、1970年に東京都立新宿高等学校を卒業[注 4]。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。風月堂などにたむろするフーテンたちに影響を受け、ジャズを聞くようになり、自分でも演奏する。ロックも好きであったが、フォークは大嫌いであった。学生運動にも、のめり込む[注 5]。
1970年東京芸術大学入学[注 6]。大学在学中、民族音楽学研究の泰斗小泉文夫の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想が確かにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家三善晃にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた高橋悠治の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が電子音楽に出会ったのは、そんな大学学部在学中のことである。1974年東京芸術大学の音楽学部作曲科を卒業し、同大学院音響研究科修士課程に進む。1976年修了。修士論文は「坂本龍一 Year Book 1971-1979」のDISC 2にも収録されている「反復と旋」。
デビュー編集
1975年、大学院在学中に新宿ゴールデン街で意気投合したという友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加。スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。翌1976年、竹田賢一と「学習団」という芸術-実践の運動体を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』(土取利行とのコラボレーション)を発表。以降、りりィのバックバンド(バイバイセッションバンド)に所属した後、当時のりりィのマネージャー(現:株式会社365代表)が細野晴臣のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。初期の山下達郎の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、大瀧詠一のアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』などにキーボードとして参加。大貫妙子のLP『SUNSHOWER』『MIGNONNE』『ROMANTIQUE』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。
1978年2月、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO) を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『千のナイフ』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『イエロー・マジック・オーケストラ』を発売、続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的人気を博す。この年、風の旅団の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年にはYMOと並行する形で渡辺香津美、矢野顕子、小原礼、村上秀一、本多俊之らとセッションユニットKYLYNや、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるというコンセプトのカクトウギセッションでの活動を行う。一部の楽曲で第二ピアノを演奏した高橋悠治のLP『新ウィーン楽派ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。参加楽曲シェーンベルク「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。
1979年12月、アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカンフィーリング」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞する[注 7]。
YMOとしての活動の傍ら、1981年よりNHK-FMにて「サウンドストリート」のパーソナリティを務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた[注 8]。パンクバンドTACO(タコ)のオムニバスにな・い・し・ょのエンペラーマジックで参加。同曲をサウンドストリートで放送したが、放送禁止用語が含まれていたため、すぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と並行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、パス・レコードでフリクション、Phewのプロデュースを行っている。YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。この頃、立花ハジメ、沢村満、鈴木さえ子らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。1982年には、RCサクセションの忌野清志郎と組んでシングル『い・け・な・いルージュマジック』をリリース。資生堂'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した[17]。この年、矢野顕子と結婚。
1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』には、大島渚監督の依頼により、ヨノイ大尉役で出演し、デヴィッド・ボウイ、ビートたけしと共演。出演の条件として音楽を担当した。同作は第36回カンヌ国際映画祭に出品され、結果は無冠だったものの、坂本の音楽は高く評価され、英国アカデミー賞 作曲賞を日本人として初めて受賞した。同作品のサウンドトラックからシングルカットされたデヴィッド・シルヴィアンとのシングル「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」は、全英チャート(Music Week)16位を記録した[18]。同年、YMOは「散開」(解散)する。
YMO解散後編集
1984年、矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。1986年には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。翌1987年、映画『ラストエンペラー』公開。坂本は甘粕正彦満映理事長役で俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、蘇聡とともに担当。これによりグラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門、ゴールデングローブ賞 作曲賞、アカデミー作曲賞[注 2]等を日本人として初めて受賞し、以後、映画音楽作家としての地位を確立する。溥儀役のジョン・ローンとは、敵役同士という間柄の役作りのために、撮影中は一言も口を利かなかったという[19]。
1989年、都民文化栄誉章を受章。海外戦略のためヴァージン・レコードに移籍するが、セールス的な成功を収めることはなかった。後にEMIのヴァージン・レコード買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消。
1990年4月からは、音楽の拠点をニューヨークに移す。別の女性と暮らし始め、男児をもうける[20]。
1992年にはバルセロナオリンピック開会式のマスゲームの音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家の鈴木行一が担当)、自らも会場でオーケストラを指揮した。この依頼の当初「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断ったが、プロデューサーPepo Solなど制作側から熱心なオファーがあり最終的には引き受けることになる。契約金は他の出演者とともに1ドルであった[注 9]。このときの楽曲は後に「El Mar Mediterrani」として発表された[注 10]。
1993年、YMO「再生」(再結成)。アルバム『テクノドン』を発表し、6月には東京ドームにて2日間のライブを行う。
1994年には契約地域を分割し、日本ではフォーライフ・レコードに移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域ではエレクトラと契約。個人レーベル「グート」の第一弾作品・アルバム『スウィート・リヴェンジ』を6月に発売する。
1995年、ダウンタウンの変名音楽ユニット「GEISHA GIRLS」に富家哲、テイ・トウワらと参加[21]。以降、彼らとの親交を深め「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではコント「アホアホマン」に出演、大便のシミを付けたパンツで登場するなどアホアホブラザー役でエキセントリックな一面を見せた[22]。
ワーナーへの移籍編集
1998年、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約、日本ではワーナーミュージック・ジャパンに移籍。
1999年、製薬会社三共(現:第一三共ヘルスケア)リゲインのCMに用いられたピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとしては初のオリコンチャート1位を記録した。自身初となるオペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』(以下、LIFE)を公演。この頃には矢野顕子との夫婦仲は実質的に破綻していたとされ、テレビ番組「おしゃれカンケイ」において愛人(ニューヨークで行動を共にしているマネージャー)とその女性との間にいる子供(次男)の存在を認め、長男と坂本美雨に「お父さんにはお母さん(矢野顕子)以外に好きな人がいる」と告げたというエピソードも披露している。「子供は4人」と語り、矢野顕子との結婚前に学生結婚していた女性との間にも子供(長女)がいることも明かしている[注 11]。さらに同番組では、「外国人が持つ日本コンプレックスをくすぐる、嫌いなアーティスト」として喜多郎とCHAGE and ASKAを名前を伏せた形で挙げた[23]。
2001年、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、地雷除去のためのチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を作曲、リリースした。同年にはボサノヴァトリオ「Morelembaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。このトリオとしての活動、および坂本がこれまで自身の音楽にボサノヴァを取り入れてきたことなどが評価され、翌2002年、日本とブラジルの友好に寄与したとして、ブラジル政府より国家勲章を授与される。
2003年には、この年4月にオープンした六本木ヒルズのテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表。小林武史、桜井和寿らと非営利組織「ap bank」を設立。
2006年11月6日、エイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。
2007年3月10日-5月28日、高谷史郎と共に、オペラ「LIFE」をベースにしたインスタレーション作品「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を山口情報芸術センターにて展示。3月10日にはオープニング・コンサートを行った。9月15日-11月4日、東京のNTTインターコミュニケーション・センターでも展示。9月15日には、浅田彰、中沢新一を交えてのアーティスト・トークに加え、オープニング・コンサートを行った。この年は細野晴臣と高橋幸宏との活動が活発になる。2月にキリンラガービールのCMにYMOとして出演。同時に「RYDEEN 79/07」をリリース。5月19日には「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」(HAS)としてチャリティーライブを行う。さらに7月7日には「ライブ・アース」にYMOとして出演。8月22日には「HASYMO(ハシモ)」名義で新曲「RESCUE」をリリース。
2009年7月16日、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与された。
2010年3月12日、芸術分野での優れた業績を評価され、文化庁より芸術選奨「大衆芸能部門」の文部科学大臣賞を授与された。
2012年11月23日、アジア太平洋映画賞国際映画製作者連盟賞を受賞。
2013年2月8日、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「バークレー日本賞」を授与された[24]。オリエンタリズムを感じさせる作風と初期の作品に見られた現代音楽の手法を用いた斬新さ、独特の風貌と知的な発言が固有の存在感を生み、多くのファンを獲得。これまでに映画やCMにも多数出演している。同年、「第70回ヴェネツィア国際映画祭」のコンペティションの審査員を務める。
闘病編集
2014年7月10日、所属事務所エイベックス・ミュージック・クリエイティヴから中咽頭癌であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された[25]。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。
2015年8月2日、映画『母と暮せば』(監督・山田洋次、主演・吉永小百合、2015年12月12日公開)の音楽で仕事復帰[26]。本作で第70回毎日映画コンクール・音楽賞を受賞[27]。
2016年、第25回モンブラン国際文化賞を受賞[28]。
2017年11月4日、自身のドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開される。スティーブン・ノムラ・シブル監督によるもので、第74回ヴェネツィア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門正式出品作品になった[29][30][31]。
2018年、1月27日自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開。2月15日開催の「第68回ベルリン国際映画祭」で、コンペティション部門の審査員6名に選ばれる[32]。
2021年1月21日、2020年6月にニューヨークにてがんの診断を受け、直腸がんおよび転移巣の手術を受けたことを公式サイトで発表した[33][34]。手術は20時間にも及び、発表後も転移した肺の摘出手術など6度に渡る手術が行われた[34]。音楽活動再開に向けて入院治療に専念しつつ、『新潮』2022年7月号より「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始した[34]。
2022年3月26日、東京・サントリーホールで行われた東北復興支援プロジェクト『東北ユースオーケストラ演奏会2022』に登場。『東北ユースオーケストラ』は、東日本大震災を体験した小学生から大学生までの若者で構成され2016年から2019年までに公演を定期的に行っていたが、2020年以降はコロナ禍のためコンサートは中止になっていたため、坂本とともに3年ぶりの公演であった。坂本は新曲『いま時間が傾いて』を初演。坂本がピアノ演奏を行う中で吉永小百合による詩の朗読も行われた[35]。
2022年6月、がんの「ステージ4」であり、両肺に転移したがん摘出手術を昨年10、12月に受けたことなどを明かした[36]。
思想・社会活動編集
政治思想に関しての発言や、社会運動家としての活動も多い。新宿高校時代には学生運動に関わり、塩崎恭久と馬場憲治の3人でバリケード封鎖を決行した。大学時代には武満徹を中傷する過激なビラを配ったこともあった。これについて坂本は、武満は当時音楽界の権力の象徴だったからと、武満の没後語っている。ただ、鈴木邦男との対談[37]では、「若い頃は日本の楽器とかが嫌でそれを使っていた武満さんに反抗心を抱いてしまった」とも語っている。中傷された武満は、逆に坂本に「このビラ撒いたの君?」と語ったという。このことは、同じく鈴木邦男との対談では、30分くらい話し合ったと語り、のちに坂本が何人かでコンサートをやった後、偶然バーで武満と会った時には武満から「ビラのときの子ね。君、いい耳持ってるね。」と言われたという。武満はそのコンサートの観客の中の1人であり、その後は名前を覚えてもらったという。武満はその後、坂本が作曲した「戦場のメリークリスマス」を、高く評価している[38]。さらに坂本によるとニューヨークでも会ったことがあり喫茶店で「いつか一緒に仕事しましょう」と約束したという[39]。坂本は武満の没後、武満が晩年完成を目指していたオペラからインスパイアされた曲「Opus」を作曲する(アルバム『BTTB』所収)。さらには自作のオペラ『LIFE』を完成させるなど、武満のことを意識している。概して、若い頃は退廃的な考えを持っていたようだが、野口晴哉の著書『風邪の効用』やオペラ『LIFE』の製作のための取材等の影響で、健康的、生命的な考えへと変わっていった。作家や思想家など知識人との交流も深く、作品に影響が及ぶこともしばしばである(#関連項目・人物参照)。
小室哲哉とは「クリエイティブな少数派に向けた作風」を追求する坂本と「メジャーでスターになるための方法論」を追求する小室、インターネットでのファンに対するアプローチの方針の違い[注 12]からして、小室曰く「お互い中和しない関係」と称しつつも、「何をどうするかが絶対に違うけど、無いものねだりながらもお互いに無いものを求めている」「誤解されるのを承知で言えばホモセクシャルな感覚を持っていて会うと安心できる」と話している[40]。反面小室は「芸術家であり、その方面では未だに何一つ彼との差は縮まっていない」と賛美と嫉妬を込めた発言をしていて[41]、坂本もいち早くダウンタウンを音楽への道に引き入れる小室の発想力とバイタリティに「横取りしやがって…」と反発心を覚えていた[42]。
1997年ごろから日本における音楽著作権の取り扱いについて、JASRACが独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび文化庁に対して働きかけを行った[43]。MAA(メディア・アーティスト・アソシエイション)設立。1999年制作のオペラ『LIFE』あたりから環境・平和問題に言及することも多くなり、地雷除去活動を支援するためのチャリティーソングとしてGLAY、Mr.Children、DREAMS COME TRUE、DJ KRUSHらを迎えて制作した『ZERO LANDMINE』[44]やアメリカ同時多発テロ事件をきっかけとした論考集『非戦』を発表している。
2004年には音楽評論家高橋健太郎やピーター・バラカンらの呼び掛けに応じて共同声明「私たち音楽関係者は、著作権法改定による輸入CD規制に反対します」に名を連ね、国会で審議されていた音楽レコードの還流防止措置(レコード輸入権)に反対を表明した[45]。
2006年2月には、PSE問題に絡み、松武秀樹、椎名和夫とともに2006年4月に本格的に施行される電気用品安全法(PSE法)に反対する署名を募集[46]。経済産業省がマークなしの販売を条件付きながら認めるなど、一定の成果を得た。同年5月にはShing02、クリスチャン・フェネスらとともに青森県六ヶ所村の核再処理施設に反対し、この問題をアート作品の共有と拡散という手法を使って内外に周知するプロジェクトSTOP ROKKASHOをスタートし、河野太郎、保坂展人らの政治家、小室哲哉らのミュージシャンからも賛同を得ている[47]。
2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運動を始めた。東日本大震災後も原発を批判する旨の意見を度々述べている。
2012年1月11日には、自身が代表を務める森林保全団体 more trees による被災地支援プロジェクト「LIFE311」と、サイバーエージェントのソーシャルゲームピグライフと連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定(3月31日まで)で立ち上げた[48]。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。
憲法9条の改正に強く反対しており、選択的夫婦別姓制度導入にも賛同する。
数多くのチャリティーコンサートを実施、無償での被災地の幼稚園・小・中・高校に対し、楽器関連の復興支援を行うための『こどもの音楽再生基金』、被災地支援参加型プロジェクト『kizunaworld.org』、先述の被災地支援プロジェクト『LIFE311』など、様々な側面から復興支援に尽力した[49]。2012年5月1日、日本財団により、伊勢谷友介、EXILE、加藤登紀子、小林幸子、コロッケ、サンドウィッチマン、杉良太郎、伍代夏子、中村雅俊、はるな愛らと共に「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出され、表彰されている[50]。
2015年には、安倍晋三内閣総理大臣の進める集団自衛権や改憲について、デモにも参加するなど批判している[51]。
2016年、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた[52]。
自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが民主主義でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」といった考えを述べている[53]。
2021年、小山田圭吾が公式サイトを通じ、音楽雑誌に掲載されたインタビュー記事の内容や、同記事をめぐる報道に謝罪の文を寄稿。経緯説明の中で『ROCKIN'ON JAPAN』1994年1月号には事実と違う内容が掲載されていることを説明している(詳細は小山田圭吾を参照)[54]。坂本は「読みながら少し泣けてしまった。なかなかこれほど真摯な文章は書けるものじゃない。よほど自分の心の中を曇りなく隅々まで見ないと」と私見を述べ、「今後どんな音楽が生まれてくるのか、気長に待ってます」とつづった[55]。
音楽活動編集
坂本のピアノ曲集『Avec Piano』に寄せられた解説文の中で音楽評論家の秋山邦晴は「なかなかピアノも巧い」と評している。デビュー作『千のナイフ』では現代音楽家の高橋悠治との連弾を行っている。加藤登紀子が坂本のピアノの演奏技術に感嘆し、それを本人に伝えた際に坂本は「18歳の頃の僕はもっとすごかった」と答えたという。フランツ・リストの難曲ラ・カンパネラを藝大入学以前に、初見で弾きこなしたとも坂本本人は発言している。
音楽を担当した映画『ラストエンペラー』においてアカデミー作曲賞を受賞[注 2]した際には、写真週刊誌フライデーにおいて「この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい」と発言。活動の拠点をアメリカに移したのも「日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む」と雑誌『GOETHE』(幻冬舎)で述べている。
現代音楽への進出は、原田力男の推薦にもかかわらず成功しなかった。現代音楽界を狭い世界と捉え、その中で活動することを嫌ったとの本人コメントがある。社会的成功を確実にした後、神奈川県内のクラシック音楽専用のホールで個展を行い、芸大在学中に作曲した曲を中心に数作品が高橋アキ等によって演奏された。YMO散開後の1984年、『題名のない音楽会』(テレビ朝日)においてオーケストラ曲「反復と旋」が一部割愛ながらも世界初演される。この作品は芸大大学院の修士論文として提出された作品で、未発表のまま芸大に保管されていた。
学生時代にヤニス・クセナキスの作曲法を取り入れようとしたが、数学ができなくて挫折した。太田出版から出された『坂本龍一・音楽史』に、その試行の膨大なメモが掲載されている。
坂本は国内のアンダーグラウンドシーンにも接近した。ニューヨーク帰りの東京のパンクバンドフリクションのファーストアルバムをプロデュース、関西の女性パンクボーカリストPhewのソロデビューシングルでのコラボレーション、山崎春美の音楽プロジェクトTACOへの参加などが挙げられる。しかし、TACOでの過激な楽曲提供はともかく、フリクションのアルバムはメンバー・ファン共に「ライブでの緊張感・硬質感が再現されていない」と不評を買い、Phewも「(坂本は)仕事は速いがセンスは悪い」と評判は芳しくない。国外ではNO NEW YORKで一際存在感を放っていたアート・リンゼイとの親交が有名である。DNAの頃のアートと初めて出会ったときは満足に言葉も交わせず一方的に敵意を向けられていたが、その後坂本が自身のソロアルバムへの参加をオファーしたらあっさり快諾、以後現在まで坂本の活動に欠かせない人物となった。
J-WAVEで2004年に放送された番組『ゆく都市くる都市・新春放談』では、細野晴臣、高橋幸宏との対談で、リズム隊出身の両者に対し、坂本自身はリズムトラックの構成にコンプレックスがあると告白した。対して細野は「教授の作品を聴いて特にリズムが弱いと思ったことは無かった」と語り、少々意外な発言だったようである。
コンサートではほとんど年齢制限を設けたことはなく「0歳児でも入場可」をポリシーとしている。しかし2007年5月12日「坂本龍一プロデュース公演/ロハスクラシック・コンサート2007」の会場となったbunkamuraオーチャードホールでは、子供の泣き声が数か所から上がり、第二部開演前に坂本から「0歳児でもOKというのをポリシーにしていますが、純粋に音楽を楽しみに来ている方もおられるでしょうから、常識的なところで、例えばロビーへ行ってあやすなど臨機応変に対応をしてください」と照れながらのアナウンスがあった。
過去にアニメ監督の高畑勲監督から音楽を頼まれたことがあったが、作った音楽があまりにも暗すぎ、解雇されてしまった[56]。
歌はうまくないと自認している。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)に出演した際、「君に、胸キュン。」を歌ったら浜田雅功にツッコまれてしまったほどである。坂本自身がボーカルを執った楽曲は極めて少ないが『左うでの夢』『ビューティ』『SMOOCHY』のように、あえて坂本のボーカルを前面に押し出して製作されたアルバムもある。「歌はうまさじゃなく声色、ヘタでも自己表現としては音楽の中で最高のもの」という自身の発言がある。
幅広い音楽ジャンルを分析し、自身の作品に反映しているが、カントリー・ミュージックとハワイアンだけはなじめないと発言していた[57][58]が、近年どちらも聴けるようになりハワイアンに関しては「現地に行った際に大好きになった」とのこと。
「今夜はブギー・バック」リリース当時「ハマった」と言ってミュージシャン小沢健二と対談もしている[59]。ZERO-LANDMINE企画時には日本のビジュアル系と称されるアーティストたちとも共演したり、YMOチルドレンのLUNA SEAのSUGIZOのソロ・アルバムにピアノで参加したこともある。クラシックからダウンタウンのプロデュースに至るまで、いずれもジャンルの垣根を越え音楽を聴き、解析し、プロデュースすることのできる自身の才能について「自分は音楽の鉄人だと思う。(発表されている作品には)いろいろなスタイルの音楽がありますが、全部僕のものですから、安心して下さい」と発言している[60]。
若い頃は古典芸能や工芸などの日本の古典的文化を「戦前のナショナリズムの象徴」として否定的に考えていたが、海外移住や年齢を重ねたこともあって、近年はそれらに対しての関心が強くなり、そうした日本の古典的文化を積極的に学ぶようになったという[61]。
出版活動編集
1984年から1989年まで「本本堂」という個人出版社を持ち、自身の著書を中心に、独自の出版活動を行った。1984年に、シリーズ<週刊本>から刊行された『本本堂未刊行図書目録』(朝日出版社)も話題となった。その本で予告されたのは、浅田彰著/井上嗣也装幀『煉獄論あるいはゴダール・スペシャル』、南方熊楠著/井上嗣也装幀『男色と免疫疾患』、赤瀬川原平装幀『糸井重里児童文学全集』、武邑光裕編/細野晴臣装幀『往復書簡 ウィリアム・バロウズ-出口王仁三郎』、中沢新一構成/坂本龍一ピアノ/日比野克彦装幀『グルジェフ体操カセットブック』などの、50冊であった。
本本堂から、実際に刊行された書籍は以下の通り。
「教授」という愛称編集
ディスコグラフィ編集
シングル編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
アルファレコード | ||||
1st | 1980年7月21日 | WAR HEAD | EP | ALR-901 |
2nd | 1981年4月21日 | フロントライン | EP | ALR-730 |
MIDI / SCHOOL | ||||
3rd | 1985年9月5日 | ステッピン・イントゥ・エイジア | EP | MIS-8 |
EP (ピクチャーレーベル) |
MIPS-1 | |||
4th | 1986年3月21日 | G.T. | EP | MIS-11 |
5th | 1987年9月15日 | ビハインド・ザ・マスク | 12インチシングル | MIS-507 |
Maxi | MID-507 | |||
1991年8月21日 | ビハインド・ザ・マスク+3 | Maxi | MDC3-1071 | |
CBS・ソニー / TERRAPIN | ||||
6th | 1987年7月1日 | リスキー | EP | 07SH-1949 |
1987年10月21日 | 12インチシングル | 12AH-2251 | ||
1988年3月5日 | CDV | 24VH-2009 | ||
Virgin | ||||
7th | 1989年7月5日 | アンドゥ#1 | Maxi | VJCP-15554 |
8th | 1990年2月21日 | ユー・ドゥ・ミー | Maxi | VJCP-1404 |
9th | 1990年12月5日 | ウィー・ラヴ・ユー | Maxi | VJCP-1417 |
10th | 1991年10月21日 | サヨナラ | 8cmCD | VJDP10170 |
FOR LIFE / güt | ||||
11th | 1996年8月21日 | 08/21/1996 | Maxi | FLCG-3022 |
タワーレコード / güt bounce | ||||
12th | 1997年1月1日 | El Mar Mediterrani | Maxi | GTBC-0004 |
ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan | ||||
13th | 1999年5月26日 | ウラBTTB | Maxi | WPC6-10022 |
1999年9月12日 | 12インチシングル | WPJ6-10022 | ||
14th | 2000年5月17日 | LOST CHILD | Maxi | WPC6-10085 |
ワーナーミュージック・ジャパン | ||||
15th | 2004年1月21日 | アンダークールド | Maxi | WPCL-70013 |
commmons | ||||
16th | 2008年3月19日 | koko | Maxi | RZCM-45844 |
17th | 2009年4月15日 | nord[注 13] | Maxi | RZC1-46206 |
- | 2014年 | TIMELESS PASSION[注 14] | Maxi |
海外限定シングル編集
- Riot In Lagos(1980年)
- Bamboo Houses / Bambo Music - David Sylvian & Riuichi Sakamoto(1982年) 全英チャート30位[62]
- Life In Japan(1983年)
- Forbidden Colours - David Sylvian & Riuichi Sakamoto(1983年) 全英チャート16位[18]
- Movin' on(1994年)
- love & hate(1994年)
- Anger/Grief(1998年)
- prayer/salvation(1998年)
配信限定シングル編集
- 海の道(2006年)
- aubade(2009年3月7日)
- Ieta(2022年1月19日)
アルバム編集
スタジオ・アルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | ||
---|---|---|---|---|---|
日本コロムビア / Better Days | |||||
1st | 1978年10月25日 | 千のナイフ | LP | YX-7586-ND | |
1980年6月25日 | CT | CTK-7004-ND | |||
CBS・ソニー 坂本龍一&カクトウギセッション 名義 | |||||
2nd | 1979年6月21日 | サマー・ナーヴス | LP | 25AH-507 | |
アルファレコード | |||||
3rd | 1980年9月21日 | B-2ユニット | LP | ALR-28003 | |
CT | ALC-28003 | ||||
4th | 1981年10月5日 | 左うでの夢 | LP | ALR-28025 | |
CT | ALC-28024 | ||||
MIDI / SCHOOL | |||||
5th | 1984年10月24日 | 音楽図鑑 | LP | MIL-1001 | |
CT | MIT-1001 | ||||
2020年3月25日 | LP (完全限定生産盤) |
MHJL-373 | |||
1993年9月21日 | 音楽図鑑完璧盤 | CD | MDCL-1243 | ||
2015年3月25日 | 音楽図鑑 -2015 Edition- | SHM-CD (初回完全限定生産盤) |
MDCL-5034 | ||
6th | 1985年10月5日 | エスペラント | LP | MIL-1007 | |
CT | MIT-1007 | ||||
7th | 1985年10月5日 | 未来派野郎 | LP | MIL-1015 | |
CT | MIT-1015 | ||||
CD | 35MD-1015 | ||||
CBS・ソニー / TERRAPIN | |||||
8th | 1987年7月1日 | ネオ・ジオ | LP | 28AH-2200 | |
CT | 28KH-2220 | ||||
CD | 32DH-700 | ||||
Virgin | |||||
9th | 1989年11月21日 | ビューティ | CD | VJD-32235 | |
CT | VJT-28211 | ||||
10th | 1991年10月21日 | ハートビート | CD | VJCP-30093 | |
FOR LIFE / güt | |||||
11th | 1994年6月17日 | スウィート・リヴェンジ | CD | FLCG-3001 | |
CD (特別仕様完全限定盤) |
FLCG-3002 | ||||
1994年11月18日 | スウィート・リヴェンジ '94年末スペシャル・エディション | CD (特別仕様完全限定) |
FLCG-3005 | ||
12th | 1995年10月20日 | スムーチー | CD | FLCG-3014 | |
CD (特別仕様完全限定盤) |
FLCG-3015 | ||||
13th | 1996年5月17日 | 1996 | CD | FLCG-3020 | |
LP | FLJG-9009 | ||||
14th | 1997年7月2日 | DISCORD | CD | FLCG-3028 | |
ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan | |||||
15th | 1998年11月26日 | BTTB | CD (初回限定盤) |
WPC6-8524 | |
1999年2月24日 | CD (通常盤) |
WPC6-10010 | |||
1999年8月25日 | LP | WPJ6-10010/1 | |||
2018年9月26日 | BTTB -20th Anniversary Edition- | CD | WPCL-12924 | ||
16th | 2002年2月27日 | コミカ | CD | WPC6-10194 | |
17th | 2002年5月15日 | エレファンティズム | CD | WPC6-10211 | |
ワーナーミュージック・ジャパン | |||||
18th | 2004年2月25日 | キャズム | CD | WPCL10072 | |
2004年3月24日 | LP | WQJL-10002 | |||
commmons | |||||
19th | 2009年3月4日 | アウト・オブ・ノイズ | CD (初回限定盤) |
RZCM-46128 | |
CD (通常盤) |
RZCM-46129 | ||||
2009年3月18日 | LP | RR12-88544/5 | |||
20th | 2017年3月29日 | async | CD | RZCM-86314 | |
2017年5月17日 | LP | RZJM-86312/3 |
セルフカバー・アルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
ロンドンレコード | ||||
1st | 1983年12月10日 | コーダ | LP | L25N-1016 |
CT | M25M-1016 | |||
ワーナーミュージック・ジャパン | ||||
2nd | 2004年11月24日 | /04 | CD | WPCL-10136 |
3rd | 2005年9月28日 | /05 | CD | WPCL-10222 |
commmons | ||||
4th | 2012年10月17日 | THREE | CD | RZCM-59189 |
Decca | ||||
- | 2013年 | Three - Deluxe Edition[注 15] | CD+DVD | 481 036-4 |
ミニ・アルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
MIDI / SCHOOL | ||||
1st | 1986年 | オネアミスの翼〈イメージスケッチ〉 | LP | L25N-1016 |
CD | MID-1501 | |||
タワーレコード / güt bounce | ||||
2nd | 1996年10月1日 | Music For Yoji Yamamoto Collection 1995 | CD | GTBC-0001 |
ライヴ・アルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
MIDI / SCHOOL | ||||
1st | 1986年9月21日 | メディア・バーン・ライヴ | LP | MIL-4001/2 |
CD | MID-4001 | |||
Virgin | ||||
2nd | 1988年12月16日 | プレイング・ジ・オーケストラ | CD | VJCP-36040/41 |
FOR LIFE / güt | ||||
3rd | 1995年1月20日 | “スウィート・リヴェンジ”ツアー1994 | CD | FLCG-3008 |
ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan | ||||
4th | 1999年10月27日 | RAW LIFE OSAKA | CD (初回生産限定盤) |
WPC6-10054/5 |
5th | RAW LIFE TOKYO | CD (初回生産限定盤) |
WPC6-10056/7 | |
Sony Classical | ||||
- | 2000年2月8日 | Cinemage[注 16] | CD | SK-60780 |
ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan | ||||
‐ | 2000年2月23日 | AUDIO LIFE | CD | WPC6-10073/4 |
6th | 2001年3月22日 | In The Lobby At G.E.H. In London | CD | WPC6-10124 |
commmons | ||||
7th | 2009年9月23日 | プレイング・ザ・ピアノ2009ジャパン | CD | RZCM-46381/2 |
8th | 2011年12月14日 | playing the piano usa 2010 / korea 2011 - ustream viewers selection - | CD | RZCM-59041 |
9th | 2013年1月30日 | The best of THREE live in Japan & Korea | 音楽配信 | |
10th | 2013年12月11日 | Playing the Orchestra 2013 | CD | RZCM-59475 |
11th | 2015年3月24日 | Playing the Orchestra 2014 | CD | RZCM-59835 |
12th | 2021年12月12日 | Playing the Piano 12122020 | CD | RZCM-77479 |
ベスト・アルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
アルファレコード | ||||
1st | 1982年 | 決定版 坂本龍一 ベストセレクション | CT | ALC-30002 |
1986年2月25日 | CD | 32XA-52 | ||
MIDI / SCHOOL | ||||
2nd | 1989年9月22日 | グルッポ・ムジカーレ | CD | 32MD-1046 |
CT | 30MT-1046 | |||
- | 1990年12月1日 | ryuichi sakamoto collection | CD | MDCZ-1123~30 |
- | 1993年5月21日 | Ryuichi Sakamoto Collection | CD | MDCZ-1215~24 |
1999年6月23日 | CD | MDCZ-1215 | ||
3rd | 1993年6月21日 | グルッポ・ムジカーレII | CD | MDCL-1237 |
4th | 1993年11月21日 | OPERA | CD | MDCL-1261 |
5th | 1993年11月21日 | WORKS OF R.SAKAMOTO/坂本龍一ベスト・セレクション[注 17] | CD | FDCL-30276 |
MESA | ||||
- | 1994年 | Soundbytes[注 16] | CD | R2 79075 |
Virgin | ||||
6th | 1995年6月28日 | ベスト・オブ・坂本龍一サウンドトラックス | CD | VJCP-3110 |
7th | ベスト・オブ・坂本龍一ヴァージン・トラックス | CD | VJCP-3111 | |
FOR LIFE / güt | ||||
8th | 1998年4月22日 | ベリー・ベスト・オブ・グート | CD | FLCG-3035 |
9th | 1999年8月21日 | COMPLETE INDEX OF GÜT | CD | FLCG-3042 |
日本コロムビア | ||||
10th | 1999年9月18日 | 坂本龍一の音楽〜Early Best Songs | CD | COCP-30628 |
FOR LIFE / güt | ||||
11th | 2001年9月27日 | PURE BEST | CD | FLCF-3886 |
ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan | ||||
12th | 2002年10月23日 | US | CD | WPC6-10241/2 |
13th | UF | CD | WPC6-10243 | |
14th | CM/TV | CD | WPC6-10244 | |
MIDI | ||||
15th | 2002年11月20日 | ワークスI - CM | CD | MDCL-1437 |
16th | ワークスII - TV/Inst | CD | MDCL-1438 | |
Sony Classical | ||||
- | 2003年11月11日 | moto.tronic[注 16] | CD+DVD | SNYC93044 |
コロムビアミュージックエンタテインメント / J-room | ||||
17th | 2004年9月22日 | Chronological Collection 1978-1981 [Columbia Years] | CD | COCB-53251/3 |
FOR LIFE / güt | ||||
- | 2012年11月28日 | Complete güt BOX | CD | FLCG-5001 |
リミックス・アルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
アルファレコード | ||||
1st | 1991年11月21日 | イン・ザ・ナインティーズ ザ・マーク・プラッティ・リミックス | CD | ALCA-229 |
Virgin | ||||
2nd | 1992年1月21日 | ハートビート〜リミクシーズ | CD | VJCP-14037 |
FOR LIFE / güt | ||||
3rd | 1994年12月16日 | ハード・リヴェンジ | CD | FLCG-3006 |
4th | 1996年3月21日 | スヌーティー | CD | FLCG-3006 |
5th | 1999年2月24日 | DISCORD gütninja remixes | CD | FLCG-3041 |
ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan | ||||
6th | 1999年9月12日 | LIFE IN PROGRESS | CD | WPC6-10035/6 |
ワーナーミュージック・ジャパン | ||||
7th | 2006年5月24日 | ブリコラージュ | CD | WPCL-10315 |
commmons | ||||
8th | 2017年12月13日 | ASYNC REMODELS | CD | RZCM-86410 |
トリビュートアルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
グリーンエナジー | ||||
1st | 2005年5月10日 | music plans skmt tribute | CD | GECA-1106 |
コンピレーション・アルバム編集
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
commmons | ||||
1st | 2015年1月17日 | Year Book 2005-2014 | CD | RZCM-59752/3 |
2nd | 2016年1月17日 | Year Book 1971-1979 | CD | RZCM-86035/7 |
3rd | 2017年3月29日 | Year Book 1980-1984 | CD | RZCM-86229 |
4th | 2018年2月28日 | Year Book 1985-1989 | CD | RZCM-86486/90 |
タイアップ一覧編集
楽曲 | タイアップ | 収録作品 |
---|---|---|
リスキー | NISSANセドリック・イメージソング | シングル「リスキー」 |
アンドゥ#1 | サッポロ・ドラフト・CF・イメージソング | シングル「アンドゥ#1」 |
1919 | MITSUBISHI携帯電話デジタル・ディーガ/カラー・ディスプレイモニターTV CF SONG | シングル「08/21/1996」 |
El Mar Mediterrani | 1992年バルセロナ・オリンピック開会式“地中海のテーマ” | シングル「El Mar Mediterrani」 |
energy flow | 三共『リゲインEB錠』CM曲 | シングル「ウラBTTB」 |
put your hands up (piano version) | TBS系テレビ『筑紫哲也 NEWS23』テーマソング | |
鉄道員 (piano version) | 映画『鉄道員』主題歌 | |
Ngo | new balance CMテーマ曲 | シングル「アンダークールド」 |
koko | JP日本郵政グループ 郵便事業株式会社『平成二十年用年賀キャンペーン』CMソング | シングル「koko」 |
dancing in the sky | 日本テレビ55周年記念企画『ルノワール+ルノワール展』テーマソング | |
aubade | アサヒ飲料『三ツ矢サイダー』CMソング | 配信限定シングル「aubade」 |
nord | ホクレン CMソング | シングル「nord」 |
Ieta | コンタクトレンズ「CREO」CMソング | 配信限定シングル「Ieta」 |
非売品レコード・CD・ファイル編集
- LEXINGTON QUEEN(六本木「LEXINGTON QUEEN」, 1980年)
- い・け・な・い ルージュマジック(資生堂、1982年)※ B面は「インスツルメンタル(表記通り)」7インチシングル
- LIFE IN JAPAN(日本生命、1983年)※ 12インチシングル(※ 後にVocal版が『音楽図鑑 完璧版』、ベストアルバム「CM/TV」と「Works」シリーズに収録。)
- 空に会おうよ&プロローグ・大地の詩/フェスタ・エリカの夢(国際科学技術博覧会 住友館、1985年)
- 「空にあおうよ」はモモの歌入り。作詞は矢野顕子。7インチシングル(※ 後に「Works」シリーズに収録。)
- COMPUTE, COMPUTE, COMPUTE(京セラ、1987年)
- THE GARDEN(TOKIO KUMAGAI、1989年)
- FLOATING ALONG(日産自動車)
- YOU DO ME (NEC) ※ 音源は市販されたものと同じ。
- THE IMAGE MUSIC(鹿島建設)
- コンピューターおばあちゃん ※ NHK「みんなのうた」のBGMで編曲のみ。
- The Fantasy of Light & Life(Expo '90電力館、1990年)プロデュースのみ。音楽は小久保隆が担当。
- The Heart of Asia(Cathay Pacific、1994年)※「CM/TV」に収録されているテイクはM5のreprise。M1は4:14
- snooty抜粋3曲入りプロモ(1996年)※ 短冊7cmシングル
- COMPLETE INDEX OF GÜT抜粋5曲入りプロモ(1999年)
- GEM(2002年)※ 非売品(2002年に発売されたベストアルバム「US」「UF」「CM/TV」の初回盤のみの特典として、応募券3枚を集め送るともらえた“坂本龍一お宝音源”を収録したCD)
- WORLD CITIZEN - i won't be disappointed(music for J-WAVE、2003年)※ 坂本本人のナレーションと曲紹介から始まるショートヴァージョン。
- ASIENCE(花王、2004年)※ M2のstring quartet ver.は未発表
- +33(ルイ・ヴィトン)※ 後に「/04」に収録された。
- The Land Song(六本木ヒルズ)※後に無償配信された。
- 26-Windb theme rev nobell(2005年)※ nokia8801に添付されているCD-Rに音楽ファイルとして収録。
- wind, cypresses & absinthe(2012年)※「メトロポリタン美術館展」テーマ曲。図録に添付。
- Blu(2014年)※「洋服の青山」CM曲
- Whitescape #1 (2014) ※ 札幌国際芸術祭2014のホームページ用サウンド
- XSOL CM TUNE(2014) ※ 2曲がXSOLのサイトからダウンロードできた。1曲のタイトルは「Urlicht」
- Music for Fashion Museum (2013) ※「ISETAN」リニューアル後の正面入り口のウェルカム曲
- 命の循環 (2014) ※ NHK for SchoolのダンゴムシのBGM
TVなどのサウンド・トラック編集
- アリスの叛乱(演劇、脚本・監督:高取英、1978年)
- YOU (テレビ番組)テーマ曲(NHK教育TVで1982年 - 1987年放送)
- 天外魔境 ZIRIA(1989年)※ メインテーマを含む計3曲を提供
- ピーチ・ボーイ -桃太郎-(Peach Boy - Momotaro -, 1992年)※ 童話「桃太郎」の英語朗読(シガニー・ウィーバー)のバックに流れる音楽を担当
- ワイルド・パームス(Wild Palms, 1992年)※ アメリカのテレビドラマのサウンドトラック。
- ストーカー 逃げきれぬ愛(1997年)
- セガ・ドリームキャストサウンドロゴ(1998年)※ 起動音
- L.O.L(Lack of Love, 2000年)※ ドリームキャストのゲーム「Lack of Love」の音楽。坂本はゲーム自体のプロデュースも行っている。
- ロスト・チャイルド(Lost Child, 2000年)
- 永遠の仔(2000年)※ 2曲に使用
- 変革の世紀(Henkaku No Seiki - Changing Century, 2002年)※ NHKの同名番組のテーマ曲
- 聖剣伝説4(2006年)メインテーマ「Dawn of Mana」
- 不毛地帯(2009年)※ メインテーマ
- 大河ドラマ・八重の桜(2013年)※ オープニングの「メインテーマ」、「八重のテーマ」、「八重の桜 紀行」のみ。
- 朝日放送オープニングテーマ曲(1990年。朝日放送テレビは1990年 - 1998年、朝日放送ラジオは1992年 - 2014年の間使用)
- きょうの猫村さん(2020年、テレビ東京)※ オープニングテーマ「猫村さんのうた」の作曲も担当(作詞:U-zhaan、歌:松重豊)
- 日本沈没2020(Webアニメ、監督:湯浅政明、2020年、Netflix)※ 主題歌「a life」の作曲を担当(作詞、歌:大貫妙子)
映画音楽編集
- 戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr Lawrence, 1983年)- 英国アカデミー賞受賞
- 子猫物語(Adventures of Chatran, 1986年)
- 王立宇宙軍〜オネアミスの翼(Aile De Honneamise - Royal Space Force, 1987年)
- ラストエンペラー(The Last Emperor, 1988年)- 米アカデミー賞[注 2]、LA映画批評家賞、ゴールデングローブ賞、グラミー賞受賞。
- ブラック・レイン(1989年)※ 1曲使用
- 侍女の物語(The Handmaid's tale, 1990年)
- シェルタリング・スカイ(The Sheltering Sky, 1991年)- ゴールデングローブ賞、LA映画批評家賞受賞
- ハイヒール(High Heels, 1991年)
- 嵐が丘(The Wuthering Heights, 1992年)
- リトル・ブッダ(Little Buddha, 1993年)- グラミー賞ノミネート
- ワイルド・サイド(Wild Side, 1995年)
- スネーク・アイズ(Snake Eyes, 1998年)
- 愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像(Love is the Devil - Study for a portrait of Francis Bacon -, 1999年)
- 鉄道員(ぽっぽや)(Poppoya, 1999年)主題歌のみ
- 御法度(Gohatto, 1999年)
- アレクセイと泉(Alexei and the Spring, 2002年)
- ファム・ファタール(Femme Fatale, 2002年)
- デリダ(Derrida, 2003年)
- Life is Journey(2003年)
- Rubios,Los(2003年)
- アップルシード(2004年)※ アルバム『キャズム』収録の「coro」が使用されている。
- トニー滝谷(TONY TAKITANI, 2004年)※ サウンドトラックのリリースは2007年。
- Original Child Bomb(2004年)
- Peach One Day(2004年)※ アルバム『ハートビート』収録の「nuages」が使用されている。
- Zarin(2005年)
- 星になった少年(Shining Boy & Little Randy, 2005年)
- Women Without Men(2008年)- ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞。
- 一命(2011年)
- 新しい靴を買わなくちゃ(2012年)※ コトリンゴとの共作。サントラ14曲中6曲収録。
- 戦場のメリークリスマス-30th Anniversary Edition-(2013年)
- 母と暮せば(2015年)
- レヴェナント: 蘇えりし者(The Revenant, 2016年)[63] - ゴールデングローブ賞ノミネート[64]。
- 怒り(2016年)[65]
- 日本と再生 光と風のギガワット作戦(2017年) - エンディングテーマ
- 米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー(2017年) - テーマ音楽
- STAR SAND-星砂物語-(2018年) - 主題曲
- 天命の城(南漢山城、2018年)
- さよなら、ティラノ(My Tyrano: Together, Forever、2018年[66][67])
- パラダイス・ネクスト(2019年) - テーマ曲
- 米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯(2019年) - テーマ音楽
- Love After Love(2020年)
- MINAMATA-ミナマタ-(2021年)
- 約束の宇宙(Proxima, 2021年4月16日)[68]
- ベケット(Beckett, 2021年)
- アフター・ヤン(After Yang, 2021年)
バンド・ユニット・コラボ活動編集
YMOについてはイエロー・マジック・オーケストラの項を参照。
- ディスアポイントメント・ハテルマ(Disappointment - Hateruma, 土取利行+坂本龍一, 1976年)
- 東京ジョー(Tokyo Joe, 坂本龍一&渡辺香津美, 1978年)
- サマー・ナーヴス(SUMMER NERVES, 坂本龍一&カクトウギ・セッション, 1979年)
- い・け・な・いルージュマジック(忌野清志郎+坂本龍一, 1982年)※ シングル
- エンド・オブ・エイジア(the End of Asia, 坂本龍一+ダンスリー, 1982年)
- アレンジメント(THE ARRANGEMENT, 坂本龍一&ロビン・スコット), 1982年)
- バンブー・ハウス/バンブー・ミュージック(Bamboo Houses/Bamboo Music, デヴィッド・シルヴィアン&リュウイチ・サカモト, 1982年)※ シングル
- 禁じられた色彩(Forbidden Colours, リュウイチ・サカモト&デヴィッド・シルヴィアン, 1983年)※ シングル
- フィールドワーク(Field Work, トーマス・ドルビー&坂本龍一, 1985年)※ シングル,12インチシングル
- ゼロ・ランドマイン(ZERO LANDMINE, N.M.L., 2001年)※ シングル
- カーザ(CASA, モレレンバウム2/サカモト, 2001年)
- ライヴ・イン・トーキョー・2001(LIVE IN TOKYO 2001, モレレンバウム2/サカモト, 2001年)
- ア・デイ・イン・ニューヨーク(A DAY IN NEW YORK, モレレンバウム2/サカモト, 2003年)
- ワールド・シチズン(WORLD CITIZEN - i won't be disappointed, 坂本龍一+デヴィッド・シルヴィアン, 2003年)※ シングル
- vrioon(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2003年)
- insen(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2005年)
- Sala Santa Cecilia(Christian Fennesz+Ryuichi Sakamoto, 2005年)
- revep(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2006年)
- cendre(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2007年3月28日)※ クリスチャン・フェネスとのユニット
- Ocean Fire(WILLITS+SAKAMOTO, 2007年10月17日)※ クリストファー・ウィリッツとのユニット
- Ancient Future(WILLITS+SAKAMOTO, 2012年7月31日)※ クリストファー・ウィリッツとのユニット
- UTAU(2010年11月10日)- 大貫妙子&坂本龍一
- 2枚組は坂本龍一のピアノのみの楽曲が収録。
- flumina(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2011年8月3日)※ クリスチャン・フェネスとのユニット
- Disappearance (Ryuichi Sakamoto + en:Taylor Deupree, 2013年7月10日)
- Snow, Silence, Partially Sunny(Sachiko M + Ryuichi Sakamoto, 2012年12月19日)
- 山口情報芸術センター (YCAM) のみの限定販売。
その他アーティストとのコラボレーション編集
- 「誰も僕の絵を描けないだろう」(友部正人、1975年)
- 「物語のようにふるさとは遠い」(富岡多恵子、1976年)
- 「終曲/うらはら」(Phew、1980年)※ シングル
- 「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」(スネークマンショー、1981年)※ エリック・サティ「ジムノペディ」の演奏を収録。
- 「愛はすべてを赦す」(加藤登紀子、1982年)
- 「な・い・し・ょのエンペラーマジック」(TACO、1983年)※ 山崎春美が率いたユニットとのコラボレーションでアルバム『TACO』に収録
- 「フィールドワーク」(坂本龍一 featuring トーマス・ドルビー、1985年)
- 「ネイヂ・カンドリーナ (Neide Candolina)」、「うつくしいおまえ (Lindeza)」(カエターノ・ヴェローゾ、1991年)※ アルバム『シルクラドー』に収録。
- 「タイナイカイキII」(坂本龍一 / デヴィッド・シルヴィアン、 1992年)※ 海外盤タイトルは「heartbeat」
- 「ASIAN GAMES」(山下洋輔、ビル・ラズウェル、1993年)
- 「二人の果て」(坂本龍一 featuring 今井美樹、1994年)
- 「Sovereign」(アート・リンゼイ、1995年)※ アルバム『曖昧な存在』に収録
- 「VOLTEX OF LOVE」(小室哲哉、1995年)※ アルバム『Avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP』に収録
- 「RETROFIT」(佐藤理、1995年)※ アルバム『EQUAL』に収録
- 「RETROCOGNITION」(佐藤理、1995年)※ アルバム『EQUAL』に収録
- 「A Flower Is Not A Flower」(KENNY WEN、1997年)
- 「ジ・アザー・サイド・オブ・ラヴ」(坂本龍一 featuring Sister M、1997年)
- 「砂の果実」(中谷美紀 with 坂本龍一、1997年)
- 「桜のころ」(甲本ヒロト、What's Love?、DANCE☆MANとのコラボレーション、2002年)
- 「I WANNA BE DOWN」(m-flo loves 坂本龍一、2004年)※ アルバム『ASTROMANTIC』に収録
- 「Asian Flower」(トベタ・バジュン feat. 坂本龍一、2008年)※ アルバム『青い蝶』に収録
- 「死んだ女の子」(元ちとせ)
- 「雪の降るまちを」(手嶌葵)
- 「風追い人」 (ACIDMAN)
- 「A Word I Give」(Goldmund、2015年)※アルバム『Sometimes』に収録。
映像作品編集
- 電子の拓本 ALL STAR VIDEO(現代美術家・ナム・ジュン・パイクとのコラボレーション,1984年)
- Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto (フランス公共放送FR3制作のドキュメンタリー映画, 1985年)
- TV WAR(浅田彰、RADICAL TVとのコラボレーション, 1985年)
- ADELIE PENGUINS (ビデオアーティスト・キット・フィッツジェラルド、ポール・ギャリンとのコラボレーション,1986年)
- ESPERANTO (前衛舞踏家・モリサ・フェンレイとのコラボレーション。アルバムの「エスペラント」はこの作品のサウンドトラック。)
- MEDIA BAHN LIVE(1986年)
- NEOGEO LIVE in NEW YORK(1988年)
- ビューティ・ツアー'90(1991年)
- Sweet revenge Tour 1994(1995年)
- D&Lライブ・アット武道館11・30・95 坂本龍一ツアー95D&L WITH 原田大三郎(映像作家・原田大三郎とのコラボレーション, 1996年)
- Ryuichi Sakamoto Trio World Tour 1996(1996年)
- PLAYING THE ORCHESTRA 1997“f”(1998年)
- MORELENBAUM2 / SAKAMOTO / 3 years (DVDのみの1万枚限定生産。プライベートフォトやビデオを日記風に閲覧できる作品, 2003年)
- PLAYING THE PIANO/05(2006年)
- LIFE - fluid, invisible inaudible...(高谷史郎とのコラボレーション, 2008年)
- utp_ (Alva Notoとのコラボレーション, 2008年)
- watch-ryuichi sakamoto playing the piano 2009 japan(2009年に行われた東京オペラシティ コンサートホールでのライヴ, 2010年)
- UTAU LIVE IN TOKYO 2010 A PROJECT OF TAEKO ONUKI & RYUICHI SAKAMOTO(2010年末に開催された大貫妙子とのツアーの模様, 2011年)
- playing the piano in seoul / korea 2011(2011年韓国からUstreamによる中継を編集したもの, 2012年)
- async surround /坂本龍一 + 高谷史郎(2018年)
この節の加筆が望まれています。 |
書籍編集
単著編集
- 『アヴェクピアノ:戦場のメリークリスマス』思索社、1983年 - カセットブック。アルバム『メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス』の楽譜とピアノソロヴァージョンが収録されたカセットテープがセットとなったもの。後に2曲を加え『コーダ』として再発される。
- 『本本堂未刊行図書目録:書物の地平線』朝日出版社〈週刊本〉、1984年
- 『Seldom-illegal:時には、違法』角川書店、1989年。のち角川文庫、1991年。
- 『N/Y:坂本龍一写真集』田島一成写真、リトルモアブックス、1995年
- 『Decode 20』インプレス、1997年
- 『AFRICA NOTE』code、2000年
- 『BRAZIL BOX』code、2001年
- 『音楽は自由にする』新潮社、2009年 - 坂本の半生をまとめた自叙伝
共著編集
- 『音を視る、時を聴く 哲学講義』大森荘蔵共著 朝日出版社 1982 のちちくま学芸文庫
- 「水牛楽団休業」(浅田彰共編、1984年)
- カセットブック。
- 「長電話」(高橋悠治との共著、本本堂 1984年)
- 「音楽図鑑」(1985年)
- アルバム『音楽図鑑』と同時に発刊した書籍。
- 「EV.Café 超進化論」(村上龍との共著、1985年、講談社)のち文庫
- 『IN★POCKET』に連載された対談集。
- 「音楽機械論」(吉本隆明との共著、 1986年)トレヴィル のちちくま学芸文庫
- 『月刊カドカワ』に連載されたエッセイ。
- 『未来派2009 : La velocita.i rumori.il movimento.』細川周平共編 本本堂 1986
- 「友よ、また逢おう」(村上龍共著、1992年)角川書店 のち文庫
- 「ザ・ゲイシャ・ガールズ・ショウ 炎のおっさんアワー」(Ken&Shoとの共著、1995年、幻冬舎)
- 「モニカ 音楽家の夢・小説家の物語」(村上龍共著、1996年)新潮社 のち文庫
- 「少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話」(天童荒太との共著、2001年)文芸春秋 のち文庫
- 『エンデの警鐘 地域通貨の希望と銀行の未来』河邑厚徳共編著 日本放送出版協会 2002
- 「反定義 新たな想像力へ」(辺見庸との共著、2002年)「小説トリッパー」編集部編 朝日新聞社 のち文庫
- 『Skmt. 2』後藤繁雄共著 NTT出版 2006
- 「Life : fluid,invisible,inaudible…」(高谷史郎共著、浅田彰監修 NTT出版 2007年)
- 「縄文聖地巡礼」(中沢新一との共著、2010年)
- 雑誌「ソトコト」に掲載された縄文文化に関する旅と対談をまとめた記事をさらに追記したもの。
- 「LIFE-TEXT」(高谷史郎との共著、2010年)
- 『いまだから読みたい本-3.11後の日本』坂本龍一+編纂チーム選 小学館 2011
- 『クロニクルFukushima』大友良英著 宇川直宏,遠藤ミチロウ,木村真三,丹治博志・智恵子・宏大,森彰一郎,和合亮一共著 青土社 2011
- 『脱原発社会を創る30人の提言』池澤夏樹,池上彰ほか共著 コモンズ 2011
- 『地球を聴く 3・11後をめぐる対話』竹村真一共著 日本経済新聞出版社 2012
- 『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック』編纂チーム共編 小学館スクウェア 2012
- 『フクシマからはじめる日本の未来』大友良英,金子勝,児玉龍彦共著 アスペクト 2012
- 『村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe』北野宏明,浅田彰,伊藤穰一,竹中直純,赤尾健一,塩崎恭久 述 スペースシャワーブックス 2013
- 『愛国者の憂鬱』鈴木邦男との対談を書籍化したもの。 金曜日 2014
監修・聞き書き等編集
- 「未来派2009」(坂本龍一・細川周平監修、1986年)
- 「気分転換法77」(サワグチ・サイキック・センター著、坂本龍一監修、1987年)
- 「写真集『ラストエンペラー』」(バジル・パオ他写真、坂本龍一編、1988年)
- 「テクノドン」(後藤繁雄編・著、1993年)
- 「skmt」(後藤繁雄著、1999年)
- 「伝説の編集者坂本一亀とその時代」(田邊園子、2003年)
- 「坂本龍一・全仕事」(山下邦彦編、1991年)
- 「坂本龍一・音楽史」(山下邦彦編、1993年)
- 「楕円とガイコツ」(山下邦彦著、2000年)
- 「非戦」坂本龍一+sustainability for peace監修、2002年
- 「エロコト」(編集長:坂本龍一、ソトコト2006年11月号増刊)
- 「ラブコト」(編集長:坂本龍一、ゲストエディター:蝶々、ソトコト2008年8月号増刊)
- 「坂本龍一の音楽」(山下邦彦編著、2008年)
- 「ユリイカ4月臨時増刊号・総特集坂本龍一」(2009年)
- 「2003―飯野賢治対談集」(1999年、ソニーマガジン) ISBN 4-7897-1359-8
- 「小津安二郎 大全」(松浦莞二・宮本明子編著、朝日新聞出版、2019年)インタビュー収録
フォトグラファー編集
出演編集
俳優としての出演作品編集
映画編集
- 「戦場のメリークリスマス」(1983年)
- 「ラストエンペラー」(1987年)※ 日曜洋画劇場版の日本語吹き替えも担当。
- 「New Rose Hotel」(1998年)
CM編集
- 新潮社「新潮文庫」(1981年)
- 日本生命「新・青春の保険『YOU』」(1983年-1984年)
- 味の素AGF「AGFグランデージ」(1984年)
- セイコー「ALBA」(1984年)
- フジテレビ 「秋のフジテレビ しなやか思想」(1985年、おニャン子クラブと共演)
- 京セラ「サムライ」(1987年)
- 協和発酵キリン(旧:協和発酵)「サントネージュワイン」※ 現在は、アサヒビールから販売されている。
- 日産自動車「セドリック」(Y31前期型)(1987年6月-1989年6月)
- サッポロビール
- NEC「C-LIFEフェア」(1990年)
- 東芝「BSアリーナ」(1992年)
- マイカル「ビブレ」(1992年)
- ダイエー「ダイエーのお正月・新春福々市」
- カルピス食品工業「ゆうゆう茶」(1995年)
- アリナミン製薬「アリナミンA錠」(1990年)
- アウディ「A6」(1995年)
- 三菱電機「携帯電話・ディーガ」「アプリコット」(1996年)
- NTT「NTT電話機・ハウディ」
- 「バドワイザー」(1998年)
- 三共(現:第一三共)「リゲインEB錠」(1999年)
- トヨタ自動車「プリウス」
- 「NEW BALANCE」(2004年)
- サントリー「山崎」(2002年)、「ウイスキー統合」(2010年)
- 麒麟麦酒「ラガービール」(2007年)※ YMOとして出演
- JP日本郵政グループ「年賀キャンペーン」(2008年)
- サムスン電子
- 江崎グリコ「ポッキー」(2010年)※ YMOとして出演
- エクソル
- 日産自動車「リーフ」(2012年2月-)
- キリンビバレッジ「ファイア ブラック」(2016年)[69]
ミュージック・ビデオ編集
TV・ラジオ編集
- NHK-FM「サウンドストリート」火曜日(1981年4月7日 - 1986年3月18日、パーソナリティ)
- TOKYO FM「サウンドビジュアート 不思議の国の龍一」(1986年10月5日 - 1987年9月27日、パーソナリティ)
- TOKYO FM「TOSHIBA PREMIA 3」(1990年4月 - 1992年3月、山下達郎・氷室京介と週替わりでパーソナリティを担当)
- J-WAVE「RADIO SAKAMOTO」(奇数月第1日曜 24:02 - 26:02、パーソナリティ)
- J-WAVE「gut on-line」
- フジテレビ「オレたちひょうきん族」(前期の1983年頃、ビートたけしと明石家さんまが共演するタケちゃんマンのコントでゲスト出演していた)
- フジテレビ「ダウンタウンのごっつええ感じ」(アホアホマンのゲスト・アホアホブラザー役)
- フジテレビ「平成教育委員会」
- 毎日放送「Ryu's Barスペシャル21」(ゲスト)
- 日本テレビ「笑い飯の臭い飯〜ザ・監獄漫才〜」(2005年6月)
- NHK「サラリーマンNEO」2007年・年の瀬スペシャル(2007年12月30日、コント「私とNEO」にて本人役で出演)
- NHK「爆笑問題のニッポンの教養」(2009年9月1日)
- NHKEテレ「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」(レギュラー出演)
- BSジャパン開局10周年記念番組 美しい地球の讃歌(2010年5月22日)
- 細野晴臣イエローマジックショー2(2019年1月1日、NHK BS4K/1月2日、NHK BSプレミアム)[70]
コンサート編集
- LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999[71]
- Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2002
脚注編集
注釈編集
- ^ 坂本が書いたピアノスケッチ譜に基づいて、オーケストレーションは川崎絵都夫、上野耕路、野見祐二、渡辺蕗子らが分担した。
- ^ a b c d 外部リンクに映像
- ^ バスケットボール部に所属した。
- ^ 同級生には塩崎恭久、馬場憲治、那須恵理子、野中直子がいる。なお塩崎は年齢では1学年上にあたるが、高校時代に1年間アメリカ留学を経験した上で本来より1学年下の学年に編入したため、結果的に坂本と同級生になった。
- ^ この時の闘争仲間に、塩崎や後に「アクション・カメラマン」になった馬場がいる。
- ^ 坂本が東京都立新宿高等学校一年生の時、坂本の作曲の腕前に関して、高校の先輩の池辺晋一郎から「このままの実力でも(東京芸大に)十分受かる」と太鼓判を押された。芸大受験に失敗した場合は、父の母校である日本大学芸術学部に進むことを考えていた。その理由は「当時の日大全共闘は一番ぶっちぎれていたから」。(「SELDOM - ILLEGAL - 時には、違法」、1989年、角川書店より)
- ^ 受賞のコメントで「売れようとか思ってやったわけではないので、自分のやったことが評価されただけ」と述べたという。
- ^ この番組にテープを送っていたリスナーで後にメジャーデビューしたのが、ジュラン、テイ・トウワ、槇原敬之らであり、ステッピン・イントゥ・エイジアでラップを担当した浅野智子もこの特集がきっかけで、同曲のレコーディングに参加することになった。ここで流された曲の一部が後に「DEMO TAPE-1」としてCD化されている。
- ^ 本人は「日本人が外国人に歌舞伎をお願いするようなものだ」と語っている。
- ^ 高橋幸宏によると「非常に嫌々やっていた」。
- ^ 4人のうち1人(長男)は矢野顕子が前夫である矢野誠との間にもうけた連れ子で、坂本と養子縁組はしていたものの血縁関係はない。なお、矢野との離婚後も養子関係を継続しているかは明らかでない。2015年7月に美雨が女児を出産した際には、この女児が坂本にとっての初孫と報じられている(矢野にとっての初孫は2014年秋に生まれた長男の子供)。
- ^ 坂本はライブの生中継を目指し、小室は音源データの配信を意図していた
- ^ 北海道地区限定リリース
- ^ パークハイアット東京開業20周年記念のCD BOOK
- ^ 海外盤のみのリリース。附属のDVDは日本ツアーの物販のEUツアーのブルーレイディスクと同内容。収録はドイツのHamburg(ハンブルク)とKarlsruhe(カールスルーエ)の2公演から。
- ^ a b c アメリカ盤のみ
- ^ 通販限定
出典編集
- ^ “坂本龍一、咽頭がんで演奏活動休止 創作活動は病床で継続”. スポーツニッポン (2014年7月10日). 2017年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Ankeny, Jason. Ryuichi Sakamoto Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年2月15日閲覧。
- ^ a b “坂本龍一(サカモトリュウイチ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク. 2022年2月15日閲覧。
- ^ “坂本龍一 - プロフィール”. CDJournal. 音楽出版社. 2022年2月15日閲覧。
- ^ 天辰保文 (2016年11月15日). “音楽の可能性に挑戦し続ける先駆者・坂本龍一”. nippon.com. 公益財団法人ニッポンドットコム. 2022年2月15日閲覧。
- ^ ASCII. “全部出し!「ユザーンの川越コンピューター学園」 その10 (1/3)” (日本語). ASCII.jp. 2022年7月1日閲覧。
- ^ Nast, Condé (2021年1月15日). “教授動静 第29回──坂本龍一、コロナ禍での年始年末” (日本語). GQ JAPAN. 2022年6月28日閲覧。
- ^ “一般社団法人more trees” (日本語). 一般社団法人more trees. 2022年6月28日閲覧。
- ^ “坂本龍一さん、国会前で演説 「日本にもまだ希望がある。本当によかった」(全文・動画)” (日本語). ハフポスト (2015年8月30日). 2022年6月28日閲覧。
- ^ 第9回 「禁煙」について言いきる Web Magazine OPENERS - 坂本龍一の「上から」言いきる.... 2008年7月28日
- ^ 2009年3月10日放送TBS「はなまるマーケット」での発言。
- ^ ほぼ日刊イトイ新聞-矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。
- ^ 【坂本龍一、杏などの豪華コメントをご紹介!】RADIO SWITCH特集「HAPPY BIRTHDAY 手塚治虫」
- ^ “矢野顕子&坂本美雨、11年ぶり母娘共演!「伊勢丹」タータン柄に向けた新曲!|シネマトゥデイ” (日本語). シネマトゥデイ. 2022年7月1日閲覧。
- ^ 坂本龍一著 『音楽は自由にする』 新潮社、2009年、23頁
- ^ commmons: schola vol.4 Ravel
- ^ 『戦場のメリークリスマス』でも坂本とデヴィッド・ボウイと抱擁しながらのキスシーンがある
- ^ a b [1] Music Week Forbidden Colours - David Sylvian & Riuichi Sakamoto
- ^ 「夜のヒットスタジオ」より。
- ^ 坂本龍一&矢野顕子 大型カップルの別居・離婚 日刊ゲンダイ、2014年8月13日
- ^ Geisha Girls – The Geisha Girls Show
- ^ 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p52
- ^ 番組内では音声は伏せられたものの「K」と「C&A」と画面には表示し、さらに「K」について司会の古舘伊知郎は「ゲゲゲが付いたら」とヒントを挙げている。
- ^ 坂本龍一さんに「日本賞」取り組み評価 日刊スポーツ2013年2月10日閲覧
- ^ 音楽家 坂本龍一に関するお知らせhttp://www.commmons.com/whatsnew/artists/sakamotoryuichi/201407101307.html
- ^ “坂本龍一、がん療養からの復帰作は山田洋次監督映画”. 日刊スポーツ (2015年8月3日). 2015年8月3日閲覧。
- ^ {{Cite web |url=http://mainichi.jp/articles/20160121/k00/00m/040/131000c |title=毎日映画コンクール 大賞に橋口監督の「恋人たち」 |publisher=毎日新聞 |date=2016-01-21 |accessdate=2016-01-21}}
- ^ “坂本龍一、グラミー賞こだわらず「欲張る気持ちはない」”. ORICON STYLE. (2016年12月21日) 2016年12月22日閲覧。
- ^ Ryuichi Sakamoto CODA』公式サイト
- ^ 『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編(英語版) https://m.youtube.com/watch?v=VSsEsUQO4sQ
- ^ 『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編(日本語版) https://m.youtube.com/watch?v=Goo_LRPrnk8
- ^ “坂本龍一、ベルリン映画祭で審査員!政治的ではなく芸術的な視点で”. シネマトゥデイ. (2018年2月16日) 2018年2月17日閲覧。
- ^ “坂本龍一が直腸がん、手術は成功し入院治療中「もう少しだけ音楽を作りたいと思っています」”. 音楽ナタリー (ナターシャ). (2021年1月21日) 2021年1月21日閲覧。
- ^ a b c ブックバン: 坂本龍一「ステージ4」のガンとの闘病を語る(2022/6/7)
- ^ “がん療養中の坂本龍一、3年ぶりにイベント登場 吉永小百合と平和への祈り「争いがなくなるといいですね」”. ORICON MUSIC (2022年3月26日). 2022年3月27日閲覧。
- ^ “坂本龍一、がんは「ステージ4」 昨年10、12月に摘出手術を受けていた 文芸誌で公表 - 音楽 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2022年6月27日閲覧。
- ^ 「愛国者の憂鬱」 金曜日出版
- ^ 川崎弘二 著・「武満徹の電子音楽
- ^ 坂本龍一、武満徹との50年を振り返る mikiki
- ^ 集英社刊「Bart」1995年10月9日号「BEHIND the MASK 小室哲哉 坂本龍一 対談」pp.16-17より。
- ^ 小室哲哉「ガチで嫉妬したのは坂本龍一と吉田拓郎の2人」より。
- ^ 株式会社スコラ刊「スコラ」1995年10月26日号p.169より。
- ^ A nous, la Liberte!
- ^ TBS50周年特別企画 「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」
- ^ 先見日記 insight diaries
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- ^ [2] Music Week Bamboo Houses / Bambo Music - David Sylvian & Riuichi Sakamoto
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- ^ asahi.com LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999
関連項目編集
外部リンク編集
- sitesakamoto.com - 公式サイト
- ryuichi sakamoto (@ryuichisakamoto) - Twitter(2009年2月 - )
- Ryuichi Sakamoto (@skmtgram) - Instagram
- 坂本龍一 (@ryuichisakamoto) - Facebook
- 坂本龍一 - 新浪微博(簡体字中国語)
- Ryuichi Sakamo - YouTubeチャンネル(2011年11月12日 - )
- 坂本龍一 - Discogs
- 坂本龍一 @ WARNER MUSIC JAPAN OFFICIAL SITE
- 坂本龍一|SonyMusic
- KAB - 事務所公式サイト
- commmons official website
- J-WAVE RADIO SAKAMOTO
- 矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。 - ほぼ日刊イトイ新聞内
- 映画音楽《ラストエンペラー》のオーケストレーター:川崎絵都夫先生へのインタビュー(早稲田大学第二文学部 機関紙記事) - ウェイバックマシン(2011年6月9日アーカイブ分)
- 坂本龍一相談室「上から」言いきる....
- The Last Emperor Wins Original Score: 1988 Oscars - YouTube 坂本龍一「ラストエンペラー」アカデミー作曲賞(受賞スピーチ映像)
- 坂本龍一 - NHK人物録
- 坂本龍一 - Spotify