拓殖大学第一高等学校
東京都武蔵村山市にある高等学校
(拓殖大学正明中・高等学校から転送)
拓殖大学第一高等学校(たくしょくだいがくだいいちこうとうがっこう)は、東京都武蔵村山市大南にある私立高等学校。設置者は学校法人拓殖大学。通称は「拓一」・「拓大一高」[1]・「TK1」。
拓殖大学第一高等学校 | |
---|---|
北緯35度43分59.8秒 東経139度24分49.3秒 / 北緯35.733278度 東経139.413694度座標: 北緯35度43分59.8秒 東経139度24分49.3秒 / 北緯35.733278度 東経139.413694度 | |
過去の名称 |
紅陵高等学校 紅陵大学正明中・高等学校 拓殖大学正明中・高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人拓殖大学 |
設立年月日 | 1948年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D113322300010 |
高校コード | 13723F |
所在地 | 〒208-0013 |
東京都武蔵村山市大南四丁目64番地5 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 教育方針 - 心身共に健全で、よく勉強し、素直で思いやりある青年を育成する。
- 2コース制 - 難関国公立大学や最難関私立大学を目指す「特進コース」と難関私立大学を目指す「進学コース」がある。「進学コース」は2年次から進路希望に応じた6クラス編成となる。また、成績などに応じてコース間での移動も可能。
- 建学の理念 - 母体である拓殖大学の建学の理念は「積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する教養と品格を具えた有為の人材の育成」である。
沿革
編集- 1948年 - 学制改革により旧制の拓殖大学予科を改編。新制高等学校として紅陵高等学校を東京都小平市に開校。
- 1950年 - 正明中学校・高等学校(平沼騏一郎が設立)を吸収合併。紅陵大学正明中学校・高等学校に改称。
- 1952年 - 拓殖大学正明中学校・高等学校に改称。中学校の生徒募集停止。
- 1960年 - 拓殖大学第一中学校・高等学校と改称(中学校は休校扱い)。
- 1979年 - 中学校を正式に廃止。
- 1982年 - 海外語学研修(カナダ)開始。
- 1987年 - 普通科理外コース設置。
- 1988年 - 中国へ修学旅行開始。
- 2001年 - 海外語学研修(ニュージーランド)開始。
- 2002年 - 文部科学省「豊かな体験活動」推進事業指定校に選出される。
- 2004年 - 武蔵村山市の新校舎に移転(元プリンスホテル硬式野球部練習グラウンド)。普通科に特進コース設置(理外コース募集停止)。
- 2005年 - オーストラリア修学旅行開始。
- 2016年 - ターム留学(オーストラリア)開始。
- 2022年 - 普通コースを進学コースに名称変更。
過去に設置していた学科
編集学校生活
編集- 校則 - 生徒の頭髪については髪染め、ピアスだけでなく、パーマやツーブロックも禁止されている。男子生徒のツーブロックが禁止されている一方で、髪が眉毛や耳にかかることについても禁止されている。女子生徒についても、メイクが禁止されている。また、2022年4月現在でも毎月頭髪検査が行われている。頭髪検査では、頭髪だけでなく、爪の長さや靴下なども検査される。また、頭髪検査で不適切と判断された場合、髪型や爪を整えてから後日再び検査を受ける必要がある。再検査でも不適切と判断された場合、停学処分となることがある。
- 制服 - 生徒の学校での服装は高校指定の制服である。学校の方針により、着崩しなどは禁止されている。
- 拓殖大学校歌[1] - 作詞:宮原民平、作曲:永井建子。校歌は拓殖大学と共通に定めている。
学校行事
編集部活動
編集著名な関係者
編集出身
編集拓殖大学予科の出身者は拓殖大学の人物一覧を参照。
- 水島廣雄 - そごう社長・会長、民法学者
- 鈴木啓正 - プロボクシング・トレーナー
- 宇田東植 - 元プロ野球選手
- 井上洋一 - 元プロ野球選手
- 清水義之 - 元プロ野球選手
- 木村昌広 - 元プロ野球選手
- 林博之 - 元アマチュア野球選手
- 宇梶剛士 - 俳優 ※中退
- 藤ノ川武雄 - 力士
- 小栗山晃市 - 俳優
- 相沢正一郎 - 詩人
- 茂木圭次郎 - 陸上長距離選手
教員
編集アクセス
編集- 西武拝島線・多摩都市モノレール線玉川上水駅 徒歩3分[1]