敵の出方論(てきのでかたろん)とは、1961年以降の日本共産党による「革命平和的か暴力的かは、の出方による」との方針。

「日本共産党はこの理論に基づいて、暴力革命武装闘争を現在も放棄していない」と、日本国政府は主張している。これに対して日本共産党は、「党の正式な機関が、暴力革命や武装闘争を掲げた事は無い」と反論している。

概要編集

第一次世界大戦勃発時に世界の社会主義運動は、暴力革命プロレタリア独裁を掲げる共産主義マルクス・レーニン主義)と、平和革命議会制民主主義などによる社会改革を掲げる修正主義社会民主主義)に分裂した。

第二次世界大戦終結後、1946年に日本共産党はいわゆる平和革命論を主張したが、1950年にコミンフォルムから批判され所感派(主流派)や国際派などに分裂し、更にレッドパージで所感派は、中華人民共和国北京市に脱出(北京機関)、国際派はコミンフォルムによる批判を受けて党に復帰した(再統一)。1951年に所感派の指導で51年綱領と「軍事方針」が採択され、暴力革命不可避論による武装闘争路線(中核自衛隊山村工作隊など)が行われた。

しかし、第25回衆議院議員総選挙において候補者全員が落選してしまい、著しい党勢の衰退を招くことになった。そのため、1955年の第6回全国協議会で、旧国際派が主流派となり、従来の武装闘争路線を放棄した。更に1961年には、1950年から1955年までの分裂や武装闘争路線を、外国の干渉による極左冒険主義と批判して1961年綱領を採択し、51年綱領や武装闘争路線は、分派が勝手に実施したもので、党の正式な機関が決定したものでは無いとした[1]自主独立路線)。

「敵の出方論」は、1961年以降の日本共産党による以下などの主張を指す[2]

革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない。 — 1964年5月21日 第八回党大会「政治報告」[3]
革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義の重要な原則である。 — 宮本顕治 『日本革命の展望』(1967年、新日本新書)
わが党は革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっている。 — 不破哲三『人民的議会主義』(1970年、新日本出版社

また日本共産党綱領の以下記載も、敵の出方論に基づいた記載との解釈もある[2]

民主連合政府の樹立は、国民多数の支持にもとづき、独占資本主義対米従属の体制を代表する支配勢力の妨害や抵抗を打ち破るたたかいを通じて達成できる。対日支配の存続に固執するアメリカの支配勢力の妨害の動きも、もちろん、軽視することはできない。 — 日本共産党 綱領(2020年改訂)[4]

国会で以下の議論が行われた。

敵の出方による、こういうことを共産党が第七回の大会のときにうたったことがあります。(略)それに対してあくまでもこれは暴力革命をやるのだ、こういうようなことをあくまでもあなた方は一つの金科玉条として言っているが、われわれはそんなばかげた解釈はしておりません。
われわれは第一に平和憲法をあくまでも守るのだということを党の最も重要な政策の一つとして掲げている。たとえば、山口二矢あのような暴力をやった(略)、自衛隊クーデター(略)これに対してあくまでも日本の平和と安全を守る、そういう立場からそれに抵抗する権利というものは、人民の権利です。(略)
長官の判断などと言うけれども(略)暴力をやる党だというようなレッテルを張って、そうしてこれを容疑団体として調査の対象にする。 — 岩間正男(日本共産党)、1962年10月31日 第41回国会 参議院 法務委員会[5]
共産党が暴力革命を企図されるという意味で、これは幾つかの判例でございますけれども、昭和26年7年(1951~1952年)にいわば軍事活動から革命に持っていくという活動をされたわけでございます。
そのときから綱領は変わっておりまするけれども、要するに、暴力革命になるのか平和的に移行するのかは、やはり敵の出方による、いわば警察側の出方によると申しますか、もっと広いのかもしれませんが、そういうお考えは終始一貫持っていらっしゃるわけでございます。(略)
今の秩序を暴力によってくつがえすというお考えがかりにあるならば、そういうことについて警察として関心を持って見るということは、これは私は警察の任務として当然のことであると思うのでございます。 — 三輪良雄(政府委員)、1963年6月6日 第43回国会 参議院 法務委員会[6]

なお日本共産党は、「平和革命必然論」と「武力革命唯一論」の両方を誤りとして批判する。

『暴力革命唯一論』者の議論は、民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし、反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた、米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり、解放闘争の方法を誤まらせるものなのである。 — 不破哲三「日本社会党の綱領的路線の問題点」[7](1968年1月、『前衛』、日本共産党中央委員会[8]
現行の綱領では、民族民主統一戦線の政府がどういう過程で樹立され、またどういう過程をへて革命の政府あるいは革命の権力になるかなどについての叙述がくわしい。ここには、平和革命必然論や武力革命唯一論など、さまざまな誤った主張を批判して、綱領路線を確立した論戦の経過も反映している。 — 『日本共産党綱領一部改定についての提案』(1994年5月、 日本共産党)[9]

政府側の主張編集

公安調査庁は以下見解により、1952年より日本共産党を破壊活動防止法に基づく監視対象団体としている。

共産党は、第5回全国協議会(昭和26年〈1951年〉)で採択した「51年綱領」と「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」に基づいて武装闘争の戦術を採用し、各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こしました。
その後、共産党は、武装闘争を唯一とする戦術を自己批判しましたが、革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする「いわゆる敵の出方論」を採用し、暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っています。
こうしたことに鑑み、当庁は、共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています。 — 共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解、公安調査庁[7]

また警察庁も以下見解により、日本共産党は「敵の出方論」により、暴力革命の方針は変更が無いとしている。

(1955年の第7回党大会、1961年の第8回党大会の)両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。(略)
(2004年の第23回党大会での綱領改定にて)マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。 — 警備警察50年(平成16年、警察庁)[10]

2016年平成28年)3月に安倍晋三内閣は、「日本共産党は破壊活動防止法の調査対象である」と、質問主意書の答弁書を閣議決定した[11]。また2020年(令和2年)2月13日、内閣総理大臣安倍晋三は衆議院本会議で、日本維新の会足立康史の質疑に対して「日本共産党は現在においても、暴力革命の方針に変更がないものと認識している」と答弁した[12]

日本共産党側の主張編集

2016年3月に政府による政府答弁書の閣議決定に対して、日本共産党は機関紙「しんぶん赤旗」で以下主張を行った。

日本共産党が、かつての一連の決定で「敵の出方」を警戒する必要性を強調していたのは、反動勢力を政治的に包囲して、あれこれの暴力的策動を未然に防止し、社会進歩の事業を平和的な道で進めるためであって、これをもって「暴力革命」の根拠とするのは、あまりに幼稚なこじつけであり、成り立つものではありません。(略) 「議会の多数を得て社会変革を進める」――これが日本共産党の一貫した方針であり、「暴力革命」など縁もゆかりもないことは、わが党の綱領や方針をまじめに読めばあまりに明瞭なことです。

(略)政府答弁書では、日本共産党が「暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」と述べています。1950年から55年にかけて、徳田球一野坂参三らによって日本共産党中央委員会が解体され党が分裂した時代に、中国に亡命した徳田・野坂派が、旧ソ連や中国の言いなりになって外国仕込みの武装闘争路線を日本に持ち込んだことがあります。しかし、それは党が分裂した時期の一方の側の行動であって、1958年の第7回党大会で党が統一を回復したさいに明確に批判され、きっぱり否定された問題です。(略)日本共産党は、戦前も戦後も党の正規の方針として「暴力革命の方針」をとったことは一度もありません。歴史の事実を歪曲した攻撃は成り立ちません。

(略)今回の政府答弁書は、このような使い古しのデマをもとに、今もなお日本共産党を「破壊活動防止法に基づく調査対象団体」だとしています。(略)天下の公党である日本共産党に対して、「暴力革命」という悪質なデマにもとづいて、不当な監視、スパイ活動を行うことは、憲法の保障する結社の自由にたいする重大な侵害であり、ただちにやめるべきです。 — 『政府の「暴力革命」答弁書は悪質なデマ』(2016年3月24日)日本共産党)[13]

また2020年2月13日、衆議院での安倍晋三首相の発言に対して、機関紙「しんぶん赤旗」で以下主張を行った。

日本共産党が、かつて一連の決定で、「敵の出方」を警戒する必要性を強調していたのは、「共産党が入る政権ができたら自衛隊は従う義務なし」などということを防衛庁の幹部が述べるなどのもとで、国民世論を結集して反動勢力を政治的に包囲してその暴力的策動を未然に防止し、社会変革の平和的な道を保障しようとするためのものであって、これをもって「暴力革命」の「証拠」にするなど、まったく成り立たない話です。(略)
また、不破氏の質問で、石山長官は公安調査庁発足以来36年、共産党を調査しても「破壊活動の証拠」を何一つ見つけられなかったことを認めました。それから31年たっています。
すなわち、67年にわたって不当な調査を公党に対して行いながら、「破壊活動の証拠」なるものを何一つ発見できなかった。(略)「暴力革命」などというのはわが党綱領のどこをどう読んでも、影も形もない、わが党とはまったく無縁な方針だということを重ねて表明しておきたいと思います。 — 『議会で多数を得ての平和的変革こそ日本共産党の一貫した立場 安倍首相の衆院本会議でのデマ攻撃に断固抗議する』(2020年2月) 日本共産党[14]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 「51年綱領」は綱領ではない - しんぶん赤旗
  2. ^ a b 共産党の「敵の出方論」は暴力革命である - 加藤 成一 - アゴラ
  3. ^ 不破哲三「人民的議会主義」(1970年、新日本出版社)p243
  4. ^ 日本共産党 綱領(2020年改訂) - 日本共産党
  5. ^ 国会議事録より
  6. ^ 国会議事録より
  7. ^ a b 共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解 - 公安調査庁
  8. ^ 日本社会党の綱領的路線の問題点--「日本における社会主義への道」批判 - CiNii
  9. ^ 日本共産党綱領一部改定についての提案(1994年5月) - 日本共産党
  10. ^ “暴力革命の方針を堅持する日本共産党(警察庁)”. 警察庁. https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm 2020年4月4日閲覧。 
  11. ^ “「暴力革命の方針継続」として政府が警戒する共産党の「敵の出方論」とは?”. 産経新聞. (2016年3月23日). https://www.sankei.com/politics/news/160323/plt1603230006-n1.html 2016年4月4日閲覧。 
  12. ^ 「共産は現在も暴力革命の方針」首相、衆院本会議で発言 共産「根も葉もない」撤回求める - 毎日新聞
  13. ^ 『政府の「暴力革命」答弁書は悪質なデマ』(2006年3月24日)- 日本共産党
  14. ^ 『議会で多数を得ての平和的変革こそ日本共産党の一貫した立場 安倍首相の衆院本会議でのデマ攻撃に断固抗議する』(2020年2月) - 日本共産党

関連項目編集

外部リンク編集

  • 日本共産党資料館 - ウェイバックマシン(2007年1月2日アーカイブ分) 「党大会関連・中央委員会総会決定」-「第7回党大会」-「綱領問題についての中央委員会の報告(2)」の「九、革命の平和的移行について」 (1957年の文書)