時刻表昭和史
『時刻表昭和史』(じこくひょうしょうわし)は、紀行作家の宮脇俊三が1980年6月に発表した随筆。『時刻表2万キロ』『最長片道切符の旅』などとともに、彼の代表作と評価されている。また、宮脇が最も愛着を持っていた作品でもある。
作品は当初、米坂線今泉駅前で玉音放送を聞いた時の話で終結していたが、1997年5月に戦後直後の話が加筆増補され、『増補版 時刻表昭和史』として再発表された。
作品概要編集
この作品は、著者が自分の少年・青年時代の体験をもとに、昭和戦前から戦中にかけての時刻表掲載の鉄道ダイヤ変換の歴史と同時代の歴史をたどったものである。
少年期では、昭和前期のサービス精神にあふれた国鉄(特別急行列車「燕」、「富士」、「櫻」、無追加料金の準急列車など)の様子が、山手線・急行列車に乗るなどの経験を通して説明されている。
作品後半部分になると、日本が太平洋戦争の体制に入り徐々に深刻な情勢になっていく様子が、列車の運転本数削減と、その中での作者の体験などを通して説明されている。
著者の父、宮脇長吉が軍部の専横に反対した自由主義政治家であったことから、父の苦悩や軍人との対立を描くなど、ただの鉄道史に終わっていないのが大きな特徴である。
累計発行部数は15万部(2015年8月時点)[1]。
増補版について編集
増補版では、戦後初期の国鉄が徐々に立ち直っていく様子が、列車本数の増加などをもとにして描かれている。また、戦後の国内情勢が不安定であることもあわせて記されている。戦争後数年を経過して日本が戦争から復興していき、作者が自らの進路を決めようとする中で本書は終わっている。
作者の宮脇は当初、鉄道における終戦は1945年8月15日の玉音放送時ではなく、石炭事情の悪化による1947年の減量ダイヤを経て、改善の兆しを見せた1948年のダイヤ改正の頃ととらえ、そこまで記すつもりであったが、米坂線のところを書いたところでその先を書く意欲が失われたという。しかし先を書きたいという気持ちは残っており、その17年後、一時絶版となっていた『時刻表昭和史』を増補版として再刊する際、念願がかなったと述べている。
構成編集
- 第1章 山手線 ― 昭和8年
- 第2章 特急「燕」「富士」「櫻」 ― 昭和9年
- 第3章 急行5列車下関行 ― 昭和10年
- 第4章 不定期231列車横浜港行 ― 昭和12年
- 二・二六事件の時の電車通学、昭和10年代初期の房総西線(今の内房線)海水浴列車、それに父(宮脇長吉)の洋行(海外旅行)の見送りで盧溝橋事件直後に横浜港へのボート・トレイン(航路接続列車)に乗った時の様子を書く
- 第5章 急行701列車新潟行 ― 昭和12年
- 第6章 御殿場線907列車 ― 昭和14年
- 第7章 急行601列車信越本線経由大阪行 ― 昭和16年
- 第8章 急行1列車稚内桟橋行 ― 昭和17年
- 第9章 第1種急行1列車博多行 ― 昭和19年
- 第10章 上越線701列車 ― 昭和19年
- 第11章 809列車熱海行 ― 昭和20年
- 第12章 上越線723列車 ― 昭和20年
- 第13章 米坂線109列車 ― 昭和20年
増補版で追加された分
- はじめに
- 終戦前後の鉄道の事情について書く
- 第14章 上越線708列車 ― 昭和20年9月
- 終戦直後、夜行列車で東京へ向かったときの様子を書く
- 第15章 弘前駅、一ノ関駅 ― 昭和20年秋
- 第16章 熱海にて ― 昭和21年
- 熱海の家に住む事になり、東京との間を往復したときの様子を書く
- 第17章 松江へ ― 昭和22年8月
- 義兄の赴任していた松江市へ東京から向かうときの様子を書く
- 第18章 東北本線103列車 ― 昭和23年4月
- 大学の友人と、その1人の実家がある東北の三本木へ向かうときの様子を書く
脚注編集
外部リンク編集
- 増補版 時刻表昭和史: 文庫: 宮脇俊三 - 角川書店・角川グループ