東鹿越駅

かつて北海道空知郡南富良野町にあった北海道旅客鉄道の駅
東鹿越信号場から転送)

東鹿越駅(ひがししかごええき)は、北海道空知郡南富良野町字東鹿越にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)根室本線廃駅)である。JR北海道の駅番号T35事務管理コードは▲110406[2]

東鹿越駅
駅舎(2017年8月)
ひがししかごえ
Higashi-Shikagoe
T34 金山 (13.2 km)
(4.0 km) 幾寅 T36
地図
所在地 北海道空知郡南富良野町字東鹿越
北緯43度9分50.23秒 東経142度31分24.25秒 / 北緯43.1639528度 東経142.5234028度 / 43.1639528; 142.5234028座標: 北緯43度9分50.23秒 東経142度31分24.25秒 / 北緯43.1639528度 東経142.5234028度 / 43.1639528; 142.5234028
駅番号 T35
所属事業者
所属路線 根室本線
キロ程 94.8 km(滝川起点)
電報略号 ヒコ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1941年昭和16年)12月29日[1]
廃止年月日 2024年令和6年)4月1日
備考 無人駅
路線廃止に伴う廃駅
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歴史

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1977年の東鹿越駅と石灰鉱山専用線、周囲約1.5km範囲。右上が新得方面。当駅構内は右上方に見える。左下のかなやま湖畔近くに旧線跡が残っている。駅裏の積込設備は王子鉱業(当時)鹿越鉱業所、本線に沿って左下の積込設備へ向かうのが日鉄鉱業東鹿越鉱業所の専用線で、途中にも積込設備を有している。当駅構内の島式ホームの幾寅側が切欠き状に延長されているが、現在では延長部は撤去されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

現在の南富良野町では、幾寅へ鉄道が開通して間もない明治30年代末ごろから、石灰石の採掘が行われており、1908年(明治41年)には現在の東鹿越駅付近で王子製紙(以下、王子)による鉱山経営が始まった[3]。この王子の鉱山から産した石灰石の出荷は、1924年(大正13年)に完成した馬車軌道(のちにガソリン機関車蒸気機関車も使用)によって運搬し、隣駅の鹿越駅から発送していた[3][4]。しかし、1941年昭和16年)の太平洋戦争開戦により、特に製鉄用[注 1]としての石灰石の増産命令が政府から出されたことを受け、同年には石灰石発送のための専用線と、それを分岐する信号場を根室本線上に設置することとなった[4]。これが当駅の起源である東鹿越信号場である。ここで産された石灰石は日本製鐵(初代、現在の日本製鉄の前身のひとつ)輪西製鉄所(現:日鉄北日本製鉄所室蘭地区)で使用され、1943年(昭和18年)には鉱山の経営も王子から日鉄傘下企業の日鉄鉱業に移っている[3]

東鹿越信号場は、その後仮乗降場として旅客の取り扱いも行うようになったが、日鉄鉱業の鉱山開発・発展に伴う乗降人員の増加により、仮乗降場としての取り扱いでは支障をきたすようになり、日鉄鉱業、北海道農材工業[注 2]、地元住民の運動により、1946年(昭和21年)には正規の駅となった[5][4][3]。それに際して日鉄鉱業は、駅舎・ホーム・宿舎を建設し、国鉄に提供している[3]

その後石灰石は、製鉄のほか製糖[注 3]パルプ製造[注 4]向けに発送が続いたが、1997年(平成9年)に釧網本線中斜里駅に隣接したホクレン農業協同組合連合会(以下、ホクレン)中斜里製糖工場向けの貨物列車が終了し、旅客列車のみの発着となった。

2016年(平成28年)には利用客僅少により廃止の検討がされていたが[新聞 1]、同年8月31日に発生した台風10号による被災のため、根室本線は当駅 - 上落合信号場( - 新得駅)間で鉄道運行を休止したことため、当駅は代行バスと列車の乗り継ぎ拠点となったため存続していた[JR北 1]。しかし新得方面はその後も復旧のめどが立つことなく、2024年令和6年)4月1日の富良野駅 - 新得駅間の鉄道営業廃止に伴い当駅は路線と共に廃駅となった[6][JR北 2]

年表

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駅名の由来

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かつての隣駅であった鹿越駅の東方に所在するため。

駅構造

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廃止時点では島式ホーム1面2線と木造駅舎を有する地上駅であった。跨線橋はなく、駅舎とホームは構内踏切で連絡していた。無人駅であった。ホーム上には「石灰石」と書かれた大きな岩がある。

のりば

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番線 路線 方向 行先 備考
1 根室本線 (使用停止中)
2 上り 富良野滝川方面
下り 新得方面 使用停止中

貨物取扱

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JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅(事実上の休止駅)となっていた。

前述したように、当駅の設置理由であった日鉄鉱業東鹿越鉱業所へ続く専用線が接続していたが、1997年(平成9年)3月に釧網本線中斜里駅で接続するホクレン中斜里製糖工場向けの1日1往復(末期の本数)の石灰石輸送列車が廃止されて以降、貨物列車の発着はなく、そのまま2024年(令和6年)4月1日付けで廃駅となった。

利用状況

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旅客

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乗車人員の推移は以下のとおりであった。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1946年(昭和21年) 118,000 (323.3) [4] 年度替わり直前の1946年(昭和21年)3月1日に一般駅化
1955年(昭和30年) 126,000 (345,2)
1992年(平成04年) (68.0) [12] 1日平均乗降客数136人
2012年(平成24年) 1 [JR北 4] 以下、1日平均はJR北海道の同年の特定の平日の調査日の数値
2013年(平成25年) 0
2014年(平成26年) 0
2015年(平成27年) 1
2016年(平成28年) 49 10.2 同年度から東鹿越 - 新得間被災によりバス代行
2017年(平成29年) 57 21.4 [JR北 5]
2018年(平成30年) 44 30.2 [JR北 6]
2019年(令和元年) 45 39.2 [JR北 7]
2020年(令和02年) 45 48.0 [JR北 8]
2021年(令和03年) 38 45.8 [JR北 9]
2022年(令和04年) 24 39.2 [JR北 10]
2023年(令和05年) 41 38.6 [JR北 11] 営業最終年度

貨物

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当駅発の石灰石発送トン数は以下の通りであった。

年度 年間発送トン数(t) 出典 備考
1942年(昭和17年) 105,000 [4] 前年度に専用線を接続する信号場として新設。
1946年(昭和21年) 59,000 年度替わり直前の1946年(昭和21年)3月1日に一般駅化
1955年(昭和30年) 197,000

駅周辺

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設置の経緯からもともと駅前には集落がなく、駅背後の日鉄鉱業鉱業所に附随して住宅街があるのみであった[13]

また、駅と石灰石鉱山は空知川が作り出した谷の中腹に設けられていたが[13]、後年金山ダム建設によって空知川の水位が上昇し、駅前は人造湖のかなやま湖となっている。

このほか、駅から谷を下った空知川のほとりには農村もあったが[13]、かなやま湖に没している。

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
根室本線(当駅廃止時点)
金山駅 - *鹿越仮乗降場 - 東鹿越駅 (T35) - 幾寅駅 (T36)
*:打消線は廃駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 高炉製鉄においては、高炉に鉄鉱石や燃料のコークスと共に石灰石を投入する。これによりシリカやアルミナなどの不純物が石灰石と反応して鉄より先に溶融し分離し、鉄鋼スラグとなる。
  2. ^ 当鉱山の石灰石を用いて当地で炭酸カルシウム肥料を製造し、当駅より発送。
  3. ^ てんさいから絞られた粗糖汁に消石灰を投入し、タンパク質ペクチン等を凝集させ、さらにそこに炭酸ガスを吹き込むことで、炭酸カルシウムを生じさせ、非糖分凝集物を吸着する。
  4. ^ パルプは木材を苛性ソーダを含む液で煮ることで製造される。この際生じる苛性ソーダを含んだ廃液を燃焼処理後に水に溶解させ、生石灰を投入すると、苛性ソーダ溶液と炭酸カルシウムとなり、苛性ソーダを回収することが可能である。

出典

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  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、876頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f 南富良野村史南富良野村役場、1960年5月10日、532-535, 538頁。doi:10.11501/3449181https://dl.ndl.go.jp/pid/3449181/1/315 
  4. ^ a b c d e f g 南富良野村史南富良野村役場、1960年5月10日、574-575頁。doi:10.11501/3449181https://dl.ndl.go.jp/pid/3449181/1/336 
  5. ^ a b 大蔵省印刷局, ed (1946‐02-28). “運輸省告示 第55号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5736). doi:10.11501/2962244. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962244/13. 
  6. ^ a b 北海道旅客鉄道株式会社の鉄道事業の一部を廃止する届出及び本届出に係る公衆の利便の確保に関する意見の聴取について』(PDF)(プレスリリース)国土交通省北海道運輸局、2023年3月31日。オリジナルの2023年3月31日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20230331082840/https://wwwtb.mlit.go.jp/hokkaido/content/000293006.pdf2023年3月31日閲覧 
  7. ^ 鉄道省運輸局 編『貨物営業粁程表 昭和17年5月31日現在』大日本教化図書、1942年、232頁。doi:10.11501/1124899https://dl.ndl.go.jp/pid/1124899/1/128 
  8. ^ a b 『釧路鉄道管理局史』日本国有鉄道釧路鉄道管理局、1972年10月14日、25, 88頁。doi:10.11501/12757877 
  9. ^ 日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 編『札幌工事局七十年史日本国有鉄道札幌工事局、1977年3月、649, 654頁。doi:10.11501/12050108https://dl.ndl.go.jp/pid/12050108 
  10. ^ “日本国有鉄道公示第168号”. 官報. (1982年11月13日) 
  11. ^ a b 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』北海道旅客鉄道株式会社釧路支社、2001年12月25日、129頁。 
  12. ^ 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、110頁。ISBN 4-09-395401-1 
  13. ^ a b c 南富良野村史南富良野村役場、1960年5月10日、741頁。doi:10.11501/3449181https://dl.ndl.go.jp/pid/3449181/1/419 

JR北海道

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  1. ^ a b c 一連の台風による石勝線・根室線の災害復旧の状況について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2016年10月13日。オリジナルの2018年9月5日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20180904165834/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2016/161013-1.pdf2018年9月5日閲覧 
  2. ^ a b 根室線(富良野・新得間)の鉄道事業廃止届の提出について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2023年3月31日。オリジナルの2023年3月31日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20230331082833/https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/230331_KO_Nemuro_Line.pdf2023年3月31日閲覧 
  3. ^ 根室線 東鹿越駅〜新得駅間 バス代行輸送の実施について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年3月22日). 2017年5月16日閲覧。
  4. ^ 駅別乗車人員(2016)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道株式会社. p. 2 (2017年12月8日). 2018年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
  5. ^ 根室線(富良野・新得間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2018年7月2日). 2018年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
  6. ^ 根室線(富良野・新得間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
  7. ^ 根室線(富良野・新得間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人未満の線区(「赤色」「茶色」5線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
  8. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  9. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
  10. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
  11. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。

新聞記事

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  1. ^ a b “東鹿越駅と島ノ下駅を来年3月廃止 JR北海道が意向” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(社会) (北海道新聞社). (2016年7月21日). オリジナルの2016年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160721101155/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0295318.html 2016年7月21日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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