栄螺堂

歌川広重『名所江戸百景』に描かれた亀戸の「さゞゐ堂」。西大島駅に近い羅漢寺の傍らにあったが、安政地震により倒壊してしまった。

栄螺堂(さざえどう、さざいどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。堂内は螺旋構造の回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。

目次

現存する栄螺堂の例編集

名称 年代 所在地 状態 備考
きゆうしようそうしさんそうとう/旧正宗寺三匝堂(円通三匝堂) 1796年(寛政8年) 07福島県会津若松市 国指定重要文化財 下記項目参照
そうけんしほんとう/曹源寺本堂 1793年(寛政5年)〜
1798年(寛政10年)
10群馬県太田市 群馬県指定重要文化財 棟梁は町田兵部栄清。[1]
ちようせんしさんせい/長禅寺三世堂 1801年(享和元年)再建 08茨城県取手市 茨城県指定建造物 1763年(宝暦13年)建立。[2]
らんていいんささえとう/蘭庭院栄螺堂 1839年(天保10年)頃 02青森県弘前市 弘前市指定有形文化財 町大工秋田屋安五郎の手による。 [3]
ちゆうそんしこんしきとう/總持寺(西新井大師)三匝堂 1884年(明治17年) 再建 13東京都足立区
せいしんいんひやくたいかんおのん/成身院百体観音堂 1911年(明治44年) 再建 11埼玉県本庄市 本庄市指定文化財 1783年(天明3年)建立。1887年(明治20年)消失。[4]
りつしようたいかくすかもおうたいかんのんとう/大正大学すがも鴨台観音堂 2013年(平成25年) 13東京都豊島区 現代の建築例。[5]
ゆめかなうふんふんとう/ 夢かなうぶんぶん堂 2015年(平成27年) 44大分県大分市 [6]

ギャラリー編集

会津さざえ堂編集

 
会津さざえ堂

二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。福島県会津若松市白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ。通称は「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)[7]という(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。

平面六角形の特異な建物である。概ね三層構造といえるが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる。

かつてこの地にあった正宗寺の仏堂として、江戸時代後期の寛政8年(1796年[8]に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである。当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。平面は一辺3.4メートルの六角形で、堂内中央部に6本の通し柱を立てる。側柱(建物外周に立つ柱)も6本の通し柱で、中央柱との間には繋梁を渡す。屋根は銅板葺きとし、正面入口には唐破風造の向拝を設ける。最上部の天井は折上げ鏡天井とする[9]

同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として平成7年(1995年6月27日付けで国の重要文化財に指定された。

なお、二重らせん構造を有する近代以前の建築物としては、世界では他にフランス世界遺産であるシャンボール城ロワール地方)内部の、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計とも伝えられる二重螺旋階段が知られている。これが蘭書に掲載され、めぐりめぐって会津地方まで伝わったのではないかという説もあるが、物証は無く定かではない。

所在地編集

  • 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404 (地図

交通アクセス編集

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集