横川駅 (群馬県)
横川駅(よこかわえき)は、群馬県安中市松井田町横川にある東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。信越本線の群馬県側における終着駅となっている[1]。
横川駅 | |
---|---|
![]() 駅舎(2012年10月) | |
よこかわ Yokokawa | |
◄西松井田 (5.8 km) | |
![]() | |
所在地 | 群馬県安中市松井田町横川398番地 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■信越本線 |
キロ程 | 29.7 km(高崎起点) |
電報略号 | ヨコ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
152人/日(降車客含まず) -2021年- |
開業年月日 | 1885年(明治18年)10月15日[1] |
備考 | 業務委託駅 |
横川駅 | |
---|---|
よこかわ Yokokawa | |
(11.2 km) 軽井沢► | |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | 信越本線 |
開業年月日 | 1893年(明治26年)4月1日 |
廃止年月日 | 1997年(平成9年)10月1日 |
備考 | 北陸新幹線開業による並行在来線の経営分離により廃止 |
概要編集
1885年(明治18年)に官設鉄道として開業した当初は終着駅であり[2]、その後、軽井沢駅方面への延伸開業により途中駅となったが、1997年(平成9年)10月の北陸新幹線(長野新幹線)高崎駅 - 長野駅間の先行(部分)開業時に、並行在来線となった信越本線の当駅 - 軽井沢駅間が採算性等を理由に廃止(代替バスへ転換)されたため[3][4]、それ以降再び終着駅となっている[5]。
信越本線の途中駅であった1997年9月以前においては、当駅 - 軽井沢駅間には急勾配(国鉄・JR路線において最急勾配となる最大66.7‰の勾配)が連続する難所の碓氷峠越えの区間があり、当該区間を走行する列車は補助機関車(補機)を連結する必要があった[5]。そのため、当駅ではすべての列車が停車し[注 1]、補助機関車の連結・切り離しが行われ[注 2]、当駅構内には補助機関車や乗務員が所属する横川運転区[注 3]が設置されているなど[6]、信越本線運転上の要衝となっていた。
広島県の山陽本線・可部線横川駅(こちらの読みは「よこがわ」)と区別するため、乗車券には「(信)横川」と印字される[注 4]。
歴史編集
- 1885年(明治18年)10月15日:官設鉄道横川線として、高崎駅 - 当駅間が開業したことに伴い、開設[6][7]。
- 1888年(明治21年)9月5日:碓氷馬車鉄道の当駅 - 軽井沢駅間が開通[8]。
- 1893年(明治26年)4月1日:官設鉄道中山道線として、当駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠区間)が延伸開業[9][2]。延伸区間では当初アプト式ラックレールが採用された[2]。碓氷馬車鉄道が廃止[8]。
- 1901年(明治34年)4月:中山道線 当駅 - 丸山信号所間が複線化。
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、当駅を含む高崎駅 - 新潟駅間が信越線(しんえつせん)と命名される[8]。
- 1912年(明治45年)5月11日:信越線 当駅 - 軽井沢駅間が電化(直流600V・第三軌条方式)[6]。日本初の幹線電化[6]。
- 1914年(大正3年)6月1日:当駅を含む信越線 高崎駅 - 新潟駅間が信越本線(しんえつほんせん)に改称[8]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1962年(昭和37年)7月15日:信越本線 高崎駅 - 当駅間が電化(直流1,500V・架空電車線方式)。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)6月29日:信越本線 松井田駅 - 当駅間が複線化。
- 1966年(昭和41年)7月2日:信越本線 丸山信号場 - 矢ヶ崎信号場間の複線化(旧線の一部を改修して転用。両信号場は同日廃止)に伴い、当駅 - 軽井沢駅間が完全に複線化。
- 1982年(昭和57年)4月1日:貨物の取り扱いを廃止[10]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[10]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR東日本の駅となる[10]。
- 1997年(平成9年)
- 2006年(平成18年)
- 2009年(平成21年)3月14日:ICカード「Suica」の利用が可能となる[14]。東京近郊区間に組み込まれる[14]。
- 2012年(平成24年)2月9日:「もしもし券売機Kaeruくん」営業終了[15]。
駅構造編集
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で[1]、中線を1線持つ構造である。以前は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線が中線を挟む構造で、側線も多数ある広大な構内だったが[6]、1997年10月の当駅 - 軽井沢駅間の廃止後にほとんどが撤去され[注 5]、線路は構内のはずれにコンクリート製の車止めが設置され途切れた状態となっている。
安中駅が管理し、JR東日本ステーションサービスが受託する業務委託駅である。駅舎内部にはタッチパネル式自動券売機、Suica対応自動改札機が設置されている。過去にはみどりの窓口があったが2006年に廃止され、代替の「もしもし券売機Kaeruくん」も2012年に撤去された。
駅舎は木造の古くからのものである。2011年の群馬デスティネーションキャンペーンに合わせて、駅舎のリニューアルおよびバリアフリー化[注 6]が行われた。
のりば編集
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・3 | ■信越本線 | 上り | 磯部・安中・高崎方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
- 一部の列車が3番線を使用するほかは1番線から発車する。
- 3番線ホームはかつて島式ホームであり、3番線反対側の4番線からは軽井沢方面に向かう列車が発車していた[6]。
- 当駅から旧4番線とその外側にある側線(旧5番線)を経由して碓氷峠鉄道文化むらに引き込み線が伸びている。旧4番線の線路は現在は当駅のホーム東端(高崎側)付近で切断されており本線とは繋がっていない。側線となる旧5番線は、高崎側に伸びてそのまま引き上げ線となっており、そこからスイッチバックする形で3番線に接続している。この側線は碓氷峠鉄道文化むらの構内線にも接続されており、鉄道文化むらが所有する車両のJR線への乗り入れも旧5番線を経由して行っている。
構内に留置されていた車両編集
信越本線の当駅 - 軽井沢駅間の廃止後しばらくして、旧丸山信号所付近に留置されていたEF63形電気機関車(2両)と189系電車(長野色・9両編成)が防犯上の理由から[注 7]当駅の旧4番線に移動された[注 8]。その後、2005年末に、EF63形(2両)と189系のうち2両のみ(先頭車1両・中間車1両)が碓氷鉄道文化むら内に再度移動された一方、残った189系電車の7両は2006年1月に解体された[注 9]。
駅弁編集
利用状況編集
JR東日本によると、2021年度(令和3年度)の1日平均乗車人員は152人である[利用客数 1]。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
乗車人員推移 | ||
---|---|---|
年度 | 1日平均 乗車人員 |
出典 |
2000年(平成12年) | 382 | [利用客数 2] |
2001年(平成13年) | 344 | [利用客数 3] |
2002年(平成14年) | 337 | [利用客数 4] |
2003年(平成15年) | 317 | [利用客数 5] |
2004年(平成16年) | 305 | [利用客数 6] |
2005年(平成17年) | 314 | [利用客数 7] |
2006年(平成18年) | 298 | [利用客数 8] |
2007年(平成19年) | 316 | [利用客数 9] |
2008年(平成20年) | 313 | [利用客数 10] |
2009年(平成21年) | 278 | [利用客数 11] |
2010年(平成22年) | 269 | [利用客数 12] |
2011年(平成23年) | 269 | [利用客数 13] |
2012年(平成24年) | 265 | [利用客数 14] |
2013年(平成25年) | 244 | [利用客数 15] |
2014年(平成26年) | 229 | [利用客数 16] |
2015年(平成27年) | 236 | [利用客数 17] |
2016年(平成28年) | 222 | [利用客数 18] |
2017年(平成29年) | 217 | [利用客数 19] |
2018年(平成30年) | 211 | [利用客数 20] |
2019年(令和元年) | 208 | [利用客数 21] |
2020年(令和 | 2年)165 | [利用客数 22] |
2021年(令和 | 3年)152 | [利用客数 1] |
駅周辺編集
駅舎は碓氷川が流れる谷底の左岸(北岸)にある。川の右岸(南岸)は平地がほとんどなく龍駒山という険しい岩山になっている。最寄りの横川集落は信越線に沿うように左岸側に東西に細長く延びており、江戸時代にはここに谷底の細長い地形を活かした関所が設けられていた。これが東海道の箱根関と並び難所とされた中山道の碓氷関(別名は横川関)であり、現在も駅の北西に関所の東門が移築され残っている。
駅の西側で碓氷川と支流の入山川と霧積川の3川が合流している。かつての中山道は霧罪川と碓氷川の間の尾根沿いに峠を目指し、国道18号(通称:旧道)と旧・信越本線は碓氷川の谷沿いに登って峠を目指した。入山川沿いは険しい渓谷であるがこちらで峠を目指すルートも存在し、群馬県道・長野県道92号松井田軽井沢線およびこの県道92号と一部重複する形で1971年に国道18号碓氷バイパスが整備されている。駅周辺の主な集落は駅前及び駅裏手の横川集落(松井田町横川)、駅北西側の坂本集落(松井田町坂本)、東側の五料集落(松井田町五料)など。
- 中山道碓氷関跡
- 国道18号 - 駅の西側から軽井沢町内までは入山川沿いのバイパスと碓氷川・霧積川沿いの現道(旧道)に分かれる。
- 碓氷峠鉄道文化むら[1](旧・横川運転区)
- 荻野屋横川本店
- 群馬県道・長野県道92号松井田軽井沢線
- 群馬県道222号横川停車場線
- 群馬県道224号小根山森林公園線
バス路線編集
駅前のバス停より県境を越えて軽井沢駅までのJRバス関東による路線バス碓氷線が運行されている。これは同駅までの信越本線が廃止された代替によるもので鉄道廃止翌日の1997年(平成9年)10月1日から運行を開始した[17]。バス乗り場は駅改札口を抜けて左手、徒歩1分程度車止の先の所にある。
代替バスは原則として碓氷バイパス経由で運転され鉄道の遺構は見ることが出来ない。特定日には鉄道遺構に沿った旧道経由の臨時便が運転されることがある。横川駅 - めがね橋 - 熊ノ平 - 軽井沢駅の臨時便は愛称「めがねバス」および横川駅 - めがね橋 - 熊ノ平駐車場は愛称「碓氷旧道シャトルバス」と名付けられている[18]。
隣の駅編集
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- ■信越本線
- 臨時快速「SL/EL/DLぐんま よこかわ」発着駅
- 西松井田駅 - 横川駅
かつて存在した路線編集
脚注編集
注釈編集
- ^ 一部の夜行列車(急行『能登』や臨時列車(『ファンタジー舞浜』)など)を除き、基本的にすべての列車が客扱いを行った。
- ^ 軽井沢方面に向かう下り列車は当駅で補助機関車の連結を、反対に軽井沢方面から来た上り列車は当駅で補助機関車の切り離しを行った。なお、この連結・切り離しのために停車した時間を利用して、当駅ホーム上では旅客向けに駅弁(荻野屋の「峠の釜めし」)の販売が行われた。
- ^ 国鉄以前は横川機関区。運転区(機関区)のあった構内は現在、碓氷峠鉄道文化むらとなっている。
- ^ 広島県の横川(よこがわ)駅で発券される切符には「(陽)横川」と印字される。
- ^ 現在でも夜間滞泊運用はある。
- ^ 軽井沢側の線路末端の車止めの後ろを回り込む形で渡り通路が設置され、跨線橋を使わずに1番線と3番線を行き来することが出来るようになった。
- ^ 旧丸山信号所付近に留置中は全く手入れされておらず、錆や塗装の剥がれ・色褪せが目立ち、EF63形の前面貫通扉が盗難に遭うなど荒廃していた。
- ^ この際、車両の回送経路の関係で運行当時とは編成が逆になっており、EF63形が長野方に置かれていた。
- ^ 移動されたEF63形の2両は整備され、碓氷鉄道文化むら内のEF63形体験運転車両として動態保存された。
出典編集
- ^ a b c d e 『週刊 JR全駅・全車両基地』 12号 大宮駅・野辺山駅・川原湯温泉駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年10月28日、21頁。
- ^ a b c d e 小西 純一(信州大学工学部助教授)「碓氷峠の鉄道をめぐる興味」『鉄道ピクトリアル』第47巻第8号、株式会社電気車研究会(鉄道図書刊行会)、1997年8月、10-19頁。
- ^ “参議院本会議”. 5. 第114回国会. (1989-02-15) . "信越本線の横川−軽井沢間、あそこの問題でございますが、維持した場合には年間でもって十億円以上の赤字を生ずるということがJR東日本の意見でございましたので、そういうことで、平成元年度予算編成の際に政府・与党の申し合わせとして、並行在来線横川−軽井沢間については適切な代替交通機関を検討し、その導入を図った上で開業時に廃止することとし、そのため関係者、すなわち運輸省とJR東日本と群馬県と長野県の四者間で協議する、かように決定したわけでございます。"
- ^ “衆議院運輸委員会”. 3. 第114回国会. (1989-05-23) . "急勾配区間の運行のためには特別の経費がかかる、そういった事情もまた別途ございまして、JR東日本の推計によりますと年間十億円以上の赤字が出る、そういうふうに考えられる区間が横川-軽井沢間の区間でございます。それでその横川-軽井沢間の区間につきましてはこれを廃止したいとJR東日本はしております。"
- ^ a b c “信越線碓氷峠104年の歩みに幕 列車は思い出の中へ” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (1997年10月1日)
- ^ a b c d e f 祖田 圭介(鉄道総合技術研究所)「横川駅と軽井沢駅の配線の今昔」『鉄道ピクトリアル』第47巻第8号、株式会社電気車研究会(鉄道図書刊行会)、1997年8月、60-62頁。
- ^ 「広告」『官報』1885年10月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 『日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1』新潮社 2008年7月18日 24頁
- ^ 「横川軽井沢間鉄道運輸営業ヲ開始ス」『公文類聚・第十七編・明治二十六年・第三十四巻・交通一・運輸』(国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧可)
- ^ a b c 石野哲(編) 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、574頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ “信濃路に新風、一番列車 響く万歳、歓迎太鼓” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (1997年10月1日)
- ^ “みどりの窓口リストラ” 朝日新聞 (朝日新聞社): p23. (2006年7月11日 夕刊)
- ^ “JR高崎支社 14駅に新型券売機”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2006年3月17日)
- ^ a b (PDF) 『Suicaをご利用いただけるエリアが広がります。』(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2008年12月22日。 オリジナルの2019年5月3日時点におけるアーカイブ 。2019年8月15日閲覧。
- ^ “Kaeruくんが多機能券売機に変更になります。券売機変更のお知らせ” (PDF). 東日本旅客鉄道高崎支社. p. 3. 2014年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月30日閲覧。
- ^ 『JTB時刻表』2023年3月号、JTBパブリッシング、2023年、572頁。
- ^ “横川-軽井沢 代替バスほぼ満員に” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (1997年10月1日)
- ^ “横川駅~めがね橋~軽井沢駅(愛称:めがねバス) ※運転日限定”. ジェイアールバス関東株式会社. 2016年3月14日閲覧。
- ^ 市内交通機関時刻表 安中市ホームページ 2022年9月5日閲覧
利用状況編集
- ^ a b “各駅の乗車人員(2021年度)”. 東日本旅客鉄道. 2022年8月7日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2000年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2001年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2002年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2003年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2004年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2005年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2006年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2007年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2008年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2009年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2010年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2011年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2012年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2013年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2014年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2015年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2016年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2017年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2018年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年7月9日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2019年度)”. 東日本旅客鉄道. 2020年7月12日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2020年度)”. 東日本旅客鉄道. 2021年7月24日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- 駅の情報(横川駅):JR東日本