浜田 文子(はまだ あやこ、1981年2月14日 - )は、メキシコ出身の女子プロレスラー

浜田 文子
Ayako Hamada
浜田 文子 Ayako Hamadaの画像
プロフィール
リングネーム 浜田 文子
本名 アヤコ・バレンティナ・ハマダ・ビジャレアル
ニックネーム 孤高のジャンヌダルク
新世紀の女王
身長 162cm
体重 65kg
誕生日 (1981-02-14) 1981年2月14日(43歳)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
メキシコシティ
トレーナー ネフタリ[1]
ロッキー・サンタナ[1]
アジャ・コング[2]
吉田万里子[3]
グラン浜田[2]
グラン・アパッチェ[3]
デビュー 1998年8月9日
テンプレートを表示

元プロレスラーのグラン浜田を父に持ち、姉のソチ浜田も元プロレスラーである。

所属 編集

略歴 編集

本名はAyako Valentina Hamada Villarreal(アヤコ・バレンティナ・ハマダ・ビヤレアル)スペイン語圏では本人の名前・洗礼名・父親の姓・母親の結婚前の姓の順に表記する。洗礼名の「バレンティナ」は誕生日であるバレンタインデーに由来する)。メキシコシティにて、マリポーサ(空中)殺法で一時代を築いたグラン浜田新日本プロレスやメキシコ・マットで活躍した)の四女として生まれる。

1995年、父の帰国と共に日本に移住し、大日本プロレス道場でネフタリから指導を受けた[1]

1998年、できたばかりの女子プロレス団体アルシオンに入団(当時のライセンスナンバーは14)、デビュー前から写真集やビデオが発売され、またプロレス雑誌の表紙を飾るなどスーパールーキーとして注目された。同年8月9日キャンディー奥津戦でデビュー。大活躍し、1年たらずでアルシオンのチャンピオンとなった。1970年代のチャンピオンマッハ文朱以来のスピード出世と言われる。

1999年8月29日、みちのくプロレス群馬大会で日本人レスラーとして初めて父娘タッグを組む。団体の中心レスラーだったアジャ・コング退団後はライセンスナンバーが1に変更され文字通りエースとなり、年間200試合近くをこなす団体を支えた。

2002年1月13日、アルシオン退団を表明。アルシオン脱退後、フリーとなり主にGAEA JAPANマットに活躍の場を移し活躍。一方で文子を失ったアルシオンは倒産し、2003年に堀田祐美子に買収され、メジャー女子プロレスAtoZとなった。

2003年5月には老舗の全日本女子プロレス横浜アリーナ大会でWWWA世界シングル王座を奪取した。

2004年からはハッスルに「アリシンZ」というリングネームにて参戦していたが、2005年暮れから「ドクロンZ」に改名。

2005年からは悪役レスラーに転向し、凶器を使うなど新たなファイトスタイルを見せている。

新間事務所を離脱後、しばらくフリーだったが2006年10月15日付で伊藤薫プロレス教室に入団し活動。2009年4月8日、アメリカのプロレス団体TNAと契約を交わした。TNAでは「ハマダ」のリングネームで活動、2010年1月4日にはアメージング・コングとのコンビでTNAノックアウト・タッグチーム王座(女子タッグ王座)を獲得するが、3月にコングの退団に伴い返上。7月27日にはテイラー・ワイルドとのコンビで同王座を奪回するが、今度は12月6日付でハマダ自身が解雇され、王座も剥奪されてしまった(パートナーのワイルドも3日後にTNAとの契約を解除し、2011年1月には学業専念を理由にプロレスを引退した)。

TNAから解雇された後はアメリカ合衆国のニュージャージー州を拠点とするJAPW(Jersey All Pro Wrestling)と契約を交わした。

その後、2012年6月1日付でZABUNと専属フリー契約を結び[4]、その後はプロレスリングWAVEを主戦場としていた。

2013年8月9日、浜田文子15周年記念大会「~Aventurera」を新宿FACEで開催した。メインイベントではアジャ・コング&山縣優と組んでAKINOGAMILeon組と対戦し、浜田がAKINOからフォールを奪って元アルシオン対決を制した[5]

2013年10月30日 山縣優とのタッグ(Las aventureras)でWAVE認定タッグ王座に戴冠。

2015年、ZABUN専属制度廃止に伴いプロレスリングWAVE正式所属選手となり、ヘッドコーチも兼任[6]

2016年10月、Las aventurerasで今よりも強くなりたい選手とチームを結成することを明かし、朱崇花下野佐和子米山香織が加入。

不祥事 編集

2018年5月13日、センダイガールズ大阪大会を体調不良を理由に欠場、同15日、覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されていたことが判明[7][8]。『日刊ゲンダイ』によると、関係者に被害妄想に由来した意味不明なメールを送信したことが事件発覚のきっかけであるといい、本人が「試合のプレッシャーから使用した」と供述したと伝えられた[9]。プロレスリングWAVEはその翌日、浜田との契約を解除した[10][11]

その後、同年7月18日に東京地裁懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を受けて記者会見を行い、その席で「プロレスを続けるべきではないと思うし、やめるしかない」と発言し、引退を宣言した[12]山縣優は友として純粋で騙されやすい浜田を守れなかったことを悔いていた[13]

復帰へ 編集

その後は故郷メキシコで生活をしていたが、逮捕から半年ほどでSNSなどでプロレス復帰を仄めかすようになり、1年2ヶ月後の2019年7月にメキシコで復帰[14]

8月3日、メキシコAAAの年間最大のビッグマッチ「トリプレマニアXXVII」に出場した。

得意技 編集

スピンキック
若手時代より使用し続けている技の一つで、フィニッシュ・ホールドとしても多用。
APクロス
キークラッシャー'99と同型。主なフィニッシュ・ホールドとして使用。
APクロスディアマンテ
ハリケーン・ドライバーと同型。
アヤコノクラズム
セカンドロープから仕掛ける変形のアイコノクラズム。
浜ちゃんカッター
セカンドロープから仕掛ける雪崩式ダイヤモンド・カッター。父・グラン浜田から受け継いだ。
ムーンサルトプレス
若手時代より得意としている飛び技の一つ。高く跳び上がる縦回転式を使用。
ラ・ケブラーダ
若手時代より得意としている飛び技の一つ。体重が増加しても難なく使用している。
ラ・アヤキータ
相手の右脚と首を自身の右脚で固定しつつ両手で左腕を締め上げるオリジナル・サブミッション。
ラ・アヤキータ2000
クロスさせた自身の脚で相手のクロスさせた脚をロックして首を引っ張り込んで持ち上げて締め上げるオリジナル・サブミッション。

入場テーマ曲 編集

タイトル歴 編集

出版 編集

写真集
  • ANDROMEDA(1998年、ゲオ)
  • VALENTINA(2004年、双葉社
ビデオ
  • ANDROMEDA in 浜田文子(1998年、東芝EMI)

映画出演 編集

  • 光る-change the life-(2009年)

脚注 編集

  1. ^ a b c WNC後楽園ホール決戦完全ガイド TAJIRI Official Website 2012年7月12日
  2. ^ a b Lethal Women of Wrestling profile”. Lethalwow. 2009年10月13日閲覧。
  3. ^ a b Profile of Ayako Hamada at Bodyslamming.com”. 2007年6月11日閲覧。
  4. ^ “浜田文子と山縣優がZABUNと専属契約”. 日刊スポーツ. (2012年7月2日). https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20120702-976750.html 
  5. ^ “浜田文子同期王者をフォール/15周年興行”. 日刊スポーツ. (2013年8月10日). https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130810-1170926.html 
  6. ^ “ZABUN主催の大会に出場したレスラーの人気投票『ZAN1』2014年のクイーンが決定!ZABUNグループの組閣発表”. バトル・ニュース. (2014年12月29日). http://battle-news.com/?p=4178&page=2 
  7. ^ 浜田文子についての重要なご報告”. プロレスリングWAVE (2018年5月15日). 2019年4月15日閲覧。
  8. ^ “女子プロレスラー・浜田文子が覚醒剤使用で逮捕 所属団体WAVEは契約解除の方針”. 東京スポーツ. (2018年5月15日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/40862 
  9. ^ “覚醒剤に溺れた美女レスラー 逮捕に至った警察官の“直感””. 日刊ゲンダイDIGITAL. (2018年5月17日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/229210 
  10. ^ 浜田文子との契約関係についてのご報告”. プロレスリングWAVE (2018年5月16日). 2019年4月15日閲覧。
  11. ^ 契約解除”. GAMI公式ブログ「元女子プロレスラー「まいどGAMIです」」 (2018年5月16日). 2019年4月15日閲覧。
  12. ^ “浜田文子「やめるしかない」覚せい剤使用判決後”. 日刊スポーツ. (2018年7月19日). https://www.nikkansports.com/battle/news/201807190000203.html 
  13. ^ 『週刊プロレス』第1997巻、2019年2月20日、74頁。 
  14. ^ “浜田文子がメキシコで復帰戦!昨年7月に判決が出てから1年”. プロレスTODAY. (2019年7月25日). https://proresu-today.com/archives/85798/ 2020年5月17日閲覧。 

外部リンク 編集