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第2次山本内閣

第2次山本内閣(だいにじ やまもとないかく)は、退役海軍大将山本権兵衛が第22代内閣総理大臣に任命され、1923年大正12年)9月2日から1924年(大正13年)1月7日まで続いた日本の内閣である。

第2次山本内閣
Gonbee Yamamoto later years cropped.jpg
内閣総理大臣 第22代 山本権兵衛
成立年月日 1923年大正12年)9月2日
終了年月日 1924年(大正13年)1月7日
与党・支持基盤 挙国一致内閣
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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目次

内閣の顔ぶれ・人事編集

国務大臣編集

1923年(大正12年)9月2日任命[1]。在職日数128日(第1次、2次通算549日)。

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 22 山本権兵衛   退役海軍大将
海兵2期
伯爵
外務大臣兼任
外務大臣 26 山本権兵衛   退役海軍大将
(海兵2期)
伯爵
内閣総理大臣兼任 1923年9月19日免兼[2]
27 伊集院彦吉   外務省
男爵
初入閣
1923年9月19日任[2]
内務大臣 34 後藤新平   貴族院
無所属
茶話会
男爵
大蔵大臣 23 井上準之助   日本銀行[注釈 1] 初入閣
陸軍大臣 16 田中義一   陸軍大将
陸大8期
男爵
海軍大臣 9 財部彪   海軍大将
海兵15期
留任
司法大臣 25 田健治郎   貴族院
無所属
(茶話会)
男爵
農商務大臣兼任 1923年9月6日免兼[3]
26 平沼騏一郎   民間[注釈 2] 初入閣
1923年9月6日任[3]
文部大臣 31 犬養毅   衆議院
革新倶楽部
逓信大臣兼任 1923年9月6日免兼[3]
革新倶楽部総裁
32 岡野敬次郎   貴族院
立憲政友会
交友倶楽部
農商務大臣兼任 1923年9月6日任[3]
農商務大臣 30 田健治郎   貴族院
無所属
(茶話会)
男爵
司法大臣兼任 1923年12月24日免[4]
31 岡野敬次郎   貴族院
立憲政友会
(交友倶楽部)
文部大臣兼任 1923年12月24日任[4]
逓信大臣 27 犬養毅   衆議院
革新倶楽部
文部大臣兼任 革新倶楽部総裁
鉄道大臣 3 山之内一次   貴族院
無所属
初入閣
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

内閣書記官長・法制局長官編集

1923年(大正12年)9月2日任命[1]

職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣書記官長 24 樺山資英   民間[注釈 3]
法制局長官 20 馬場鍈一   貴族院
無所属
研究会
事務引継
1923年9月19日免[注釈 4][2]
21 松本烝治   民間[注釈 5] 1923年9月19日任[2]
  1. 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
  2. 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
  3. 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。

勢力早見表編集

※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。

出身 国務大臣 その他
きそくいん貴族院 3 国務大臣のべ4
しゆうきいん衆議院 1 国務大臣のべ2
くんふ軍部 3 国務大臣のべ4
かんりよう民間 0 法制局長官内閣書記官長
かんりよう官僚 1
8 国務大臣のべ11

内閣の動き編集

1923年(大正12年)8月24日加藤友三郎首相の急逝、同年9月1日関東大震災発生という混乱状態のさなかで組閣された。

関東大震災が発生した9月1日時点で内閣総理大臣不在(宮中席次で第2位であった加藤友三郎内閣外務大臣内田康哉内閣総理大臣臨時代理を務めていた)であった。そこで震災発生直後に摂政宮皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の要請により、内田が震災対策の指揮を執り、加藤(友)内閣で内務大臣を務めていた水野錬太郎赤池濃警視総監が当面の責任者とされた。

同年9月2日午後3時に臨時閣議により、臨時震災救護事務局の設置がとりあえず決まり、摂政宮が山本権兵衛組閣の大命を下した後、親任式等を午後5時に執り行って山本内閣が成立した。11名の閣僚中、錦城学校の卒業生4名(外相伊集院彦吉蔵相井上準之助鉄相山之内一次海相財部彪)及び、旧教員の文相犬養毅の計5名が閣僚に含まれていたことから、「錦城内閣」とも呼ばれていた。山之内一次樺山資英など、薩派により積極的に擁立された内閣でもあった。

1923年(大正12年)12月27日に発生した虎ノ門事件の影響で総辞職した。

脚注編集

外部リンク編集