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民間人閣僚(みんかんじんかくりょう)とは、任命時において国会議員ではない国務大臣を指す。ただし、議員でない軍人が陸海軍大臣たることが制度化されていた大日本帝国憲法下ではこの語はほとんど用いられず、一般的には議院内閣制を明記する日本国憲法施行後に成立した内閣におけるものを指す。なお、衆議院解散などにより任命後に国会議員の身分を失っている国務大臣は民間人閣僚とは呼ばれない。

目次

概説編集

日本国憲法第68条において、「その(国務大臣の)過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」とされている。逆にいえば、半数未満であればその人数には制約がないことになる。現在、閣僚は最大19人任命できるため、9人までは民間人でもよいことになる。

例として、岸内閣藤山愛一郎小泉内閣竹中平蔵など著名人の起用例で、藤山・竹中や川口順子などのちに国会議員に選出された者もいる。

また、竹下内閣高辻正己法務大臣の場合は、直前に発生したリクルート事件で違法性のない政治献金でも大臣辞任に追い込まれるようになり、前任者の長谷川峻もリクルートからの政治献金を受けたことにより法相就任4日で大臣辞任の憂き目に遭い、内閣法制局長官最高裁判所裁判官などを歴任した高辻が起用された。

国会議員たる国務大臣が改選時に落選したり引退しても、任命時に国会議員であった以上は憲法第68条による制限を受けないが、衆院選後の組閣又は内閣改造によって更迭されることが多く、民間人閣僚として在任し続ける例は少ない。

官僚大学教員実業家地方公共団体首長などで、実績のある人物が任命されることが多い。

民間人閣僚の一覧編集

  • ここでは任命時に国会議員経験がない閣僚について記載する。
  • 「※」は大臣在任中に国会議員となったことをしめし、国会議員となった時点で民間人閣僚の期間を終了としている。
  • 前職などに関しては、任命直前についていた職を除き、「前」は職を辞してから大臣任命まで短期間であり、その間主要な職についていない場合、「元」は職を辞してから大臣任命まである程度期間があり、その間、他の職についている場合を示す。
氏名 役職 内閣 期間 前職など
殖田俊吉 行政管理庁長官 吉田内閣 1948年10月15日 - 1948年11月10日 大蔵官僚
法務総裁 吉田内閣 1948年11月1日 - 1950年6月28日
天野貞祐 文部大臣 吉田内閣 1950年5月6日 - 1952年8月27日 第一高等学校校長
木村篤太郎 法務大臣 吉田内閣 1951年12月26日 - 1952年10月30日 検事総長、元司法大臣、東京弁護士会会長
保安庁長官 吉田内閣 1952年10月30日 - 1953年5月21日
向井忠晴 大蔵大臣 吉田内閣 1952年10月30日 - 1953年5月21日 三井物産会長、元三井総元方理事長
一萬田尚登 大蔵大臣 鳩山一郎内閣 1954年12月10日 - 1955年2月27日 日本銀行総裁
高碕達之助 経済審議庁長官 鳩山一郎内閣 1954年12月10日 - 1955年3月19日 東洋製罐会長、前電源開発総裁
藤山愛一郎 外務大臣 岸内閣 1957年7月10日 - 1958年5月22日 日本商工会議所会頭、日本航空初代会長
永井道雄 文部大臣 三木内閣 1974年12月9日 - 1976年12月24日 東京工業大学教授
牛場信彦 対外経済担当大臣 福田赳夫内閣 1977年11月28日 - 1978年12月7日 外務官僚
大来佐武郎 外務大臣 大平内閣 1979年11月9日 - 1980年7月17日 元外務官僚、元経済企画庁官僚、前海外経済協力基金総裁
高辻正己 法務大臣 竹下内閣 1988年12月30日 - 1989年6月3日 内務官僚、元内閣法制局長官、元最高裁判事
高原須美子 経済企画庁長官 海部内閣 1989年8月10日 - 1990年2月28日 経済評論家
三ヶ月章 法務大臣 細川内閣 1993年8月9日 - 1994年4月28日 東京大学名誉教授弁護士
赤松良子 文部大臣 細川内閣 1993年8月9日 - 1994年4月28日 労働官僚
文部大臣 羽田内閣 1994年4月28日 - 1994年6月30日
宮崎勇 経済企画庁長官 村山内閣 1995年8月8日 - 1996年1月11日 経済安定本部官僚、経済評論家
長尾立子 法務大臣 橋本内閣 1996年1月11日 - 1996年11月7日 厚生官僚
堺屋太一 経済企画庁長官 小渕内閣 1998年7月30日 - 2000年4月4日 通産官僚、経済評論家
経済企画庁長官 森内閣 2000年4月5日 - 2000年12月5日
川口順子 環境庁長官 森内閣 2000年7月5日 - 2001年1月5日 元通産官僚、サントリー常務
環境大臣 森内閣 2001年1月6日 - 2001年4月24日
環境大臣 小泉内閣 2001年4月24日 - 2002年2月8日
外務大臣 小泉内閣 2002年2月1日 - 2004年9月27日
遠山敦子 文部科学大臣 小泉内閣 2001年4月26日 - 2003年9月22日 文部官僚
竹中平蔵 経済財政担当大臣 小泉内閣 2001年4月26日 - 2004年7月26日 慶應義塾大学教授
金融担当大臣 小泉内閣 2003年11月19日 - 2004年7月26日
大田弘子 経済財政担当大臣 安倍内閣 2006年9月26日 - 2007年9月26日 政策研究大学院大学教授
福田康夫内閣 2007年9月26日- 2008年8月2日
増田寛也 総務大臣 安倍内閣 2007年8月27日 - 2007年9月26日 建設官僚、前岩手県知事
福田康夫内閣 2007年9月26日 - 2008年9月24日
片山善博 総務大臣 菅内閣 2010年9月17日 - 2011年9月2日 自治官僚、前鳥取県知事
森本敏 防衛大臣 野田内閣 2012年6月4日 - 2012年12月26日 自衛官、元外務官僚、拓殖大学教授

備考編集

  • 佐藤栄作は、国会議員初当選前(官僚であったころ)、第2次吉田内閣で当時国務大臣の充て職ポストではなかった内閣官房長官に任命されたことがある。
  • 1965年7月の任期満了まで参議院議員を2期務めた宮沢喜一衆議院議員への鞍替え出馬予定のため国会議員でなかった時期の1966年12月3日に経済企画庁長官に就任している。翌1967年2月17日に衆院選当選を果たした。
  • 参議院議員の閣僚が改選時に落選したり引退したりするなどしたが次の組閣や内閣改造までに大臣に一定期間留任して形式上民間人閣僚になった事例は、1953年の第4次吉田内閣の林屋亀次郎国務大臣(19日間)、1995年の村山内閣の浜本万三労働大臣(16日間)、1998年の第2次橋本内閣の大木浩環境庁長官(5日間)、2004年の第2次小泉内閣の野沢太三法務大臣(64日間)、2010年の菅内閣の千葉景子法務大臣(49日間)の例がある。
  • 第2次小泉改造内閣農林水産副大臣岩永峯一(衆議院議員)は、2005年8月8日衆議院解散にともない、議員の地位を失いつつも引き続き同副大臣を務めていたが、当該解散に反対して罷免された農林水産大臣島村宜伸に代わり自ら同大臣を兼任していた内閣総理大臣小泉純一郎の後任として、同月11日農林水産大臣に就任し形式上の民間人閣僚となった。岩永は翌9月11日の衆院選で当選した。
  • 歴代の内閣において民間人閣僚の割合が最多なのは第1次小泉内閣のうち2002年1月30日-2月7日の期間。首相を含めた閣僚17人に対し、民間人閣僚は3人(川口順子遠山敦子竹中平蔵)で17.6%(議員任期満了または衆議院解散により途中から形式的に民間人閣僚となった事例は除く)。
  • 「民間人閣僚」とはいっても純然たる民間出身者(民間企業のみでの職歴を持つ者や大学等での研究者など)は少数であり、官僚出身者が目立つことがわかる。野田内閣までに全24人存在する「民間人閣僚」中、中央省庁での官僚経験を持つものは13人と半数を超えている(中央官庁官僚経験者は検事経験がある木村篤太郎や日本銀行出身の一萬田尚登を除く。なお、左記の2名のほか、研究者出身5名、民間企業出身4名となっている)。

関連項目編集