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Japanese gunboat Tsukushi.jpg
艦歴
発注
起工 1879年10月2日[1]
進水 1880年8月11日
竣工 1882年8月
除籍 1906年5月25日雑役船に編入
廃船 1911年12月21日
性能諸元
排水量 常備:1,350t
全長 64.0m
全幅 9.7m
吃水 4.1m
機関 一軸レシプロ蒸気機関、円罐4
2,887馬力
燃料 石炭300t
最大速 16.4kt
兵員 186名
兵装 25口径25.4cm単装砲2門
20口径12cm単装砲4門
17口径76mm単装砲1門
魚雷発射管2門
チリ軍艦としての就役想像図(1883年)

筑紫(つくし)は、大日本帝国海軍巡洋艦で、日本海軍初の帆走設備を全廃した艦である。

目次

艦歴編集

元はチリ海軍が発注した3隻の巡洋艦の内の1隻、「アルトゥーロ・プラット(Arturo Prat)」である。清国海軍超勇級防護巡洋艦「揚威」と「超勇」の2隻は同型の姉妹艦である。

イギリスニューカッスルアームストロング社エルジック工場で起工された。設計はサー・エドワード・リードにより行われた。レンデル式砲艦防護巡洋艦の過渡的な艦であった[1]南米の太平洋戦争での勝利が見えたことなどから、建造途中で契約が解除された[2]。その後も工事が続けられ竣工したものを、日本海軍が1883年6月16日に購入した。

日清戦争日露戦争などに参加したが、1906年雑役船に編入され、1911年に廃船となり売却された。

年譜編集

艦長編集

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 松村正命 少佐:1883年8月16日 - 1886年5月28日
  • 野村貞 中佐:1886年5月28日 - 12月28日
  • 尾形惟善 大佐:1886年12月28日 - 1889年4月17日
  • (心得)森又七郎 少佐:1889年4月17日 - 8月29日
  • 森又七郎 大佐:1889年8月29日 - 1890年5月13日
  • (心得)窪田祐章 少佐:1890年5月13日 - 9月17日
  • 窪田祐章 大佐:1890年9月17日 - 1892年12月5日
  • (心得)三善克己 少佐:1892年12月5日 - 12月21日
  • 三善克己 大佐:1892年12月21日 - 1895年5月11日
  • 井上良智 大佐:1895年5月11日 - 5月25日
  • 向山慎吉 大佐:1895年5月25日 - 9月28日
  • 石井猪太郎 大佐:1896年5月19日 -
  • 大井上久麿 中佐:1897年12月1日 - 1898年10月1日
  • 加藤友三郎 中佐:1898年10月1日 - 1899年6月17日
  • 斎藤孝至 中佐:1899年7月25日 - 9月2日
  • 松枝新一 中佐:1899年11月20日 - 1901年8月30日
  • 横尾純正 中佐:1901年8月30日 - 1902年3月13日
  • 黒水公三郎 中佐:1902年4月11日 - 1903年4月12日
  • 西山保吉 中佐:1904年1月14日 - 1905年3月15日
  • 土山哲三 中佐:1905年3月15日 - 12月12日
  • 上村経吉 中佐:1906年1月25日 - 5月10日

脚注編集

  1. ^ a b Crucero Arturo Prat (1º). - チリ海軍による解説
  2. ^ チリ海軍によれば、80,000ポンドで日本に売却したとだけあり、解約の点については触れていない。

参考資料編集

関連項目編集