舛東欧 旭(ますとうおう あきら、1986年1月23日 - )は、ハンガリー人民共和国ソルノク県(現在のハンガリーヤース・ナジクン・ソルノク県)の県庁所在地のソルノク市出身で、千賀ノ浦部屋(引退時は常盤山部屋)に所属した元大相撲力士。本名はトート・アティッラ (Tóth Attila) [ˈtoːtˈɒtillɒ]。身長186cm、体重168kg、血液型O型。最高位は西幕下8枚目(2019年9月場所)。

舛東欧 旭
基礎情報
四股名 舛東欧 旭
本名 トート・アティッラ
愛称 あきら、アティッラ、アティラ、ガイジン、聖アッティラ[1]
生年月日 (1986-01-23) 1986年1月23日(38歳)
出身 ハンガリーの旗 ハンガリーヤース・ナジクン・ソルノク県
身長 186cm
体重 168kg
BMI 48.56
所属部屋 千賀ノ浦部屋→常盤山部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 西幕下8枚目
生涯戦歴 326勝276敗63休(96場所)
優勝 序ノ口優勝1回
データ
初土俵 2005年1月場所
引退 2021年3月場所
引退後 駐日ハンガリー大使館職員
趣味 パソコン、ゲーム
備考
2021年10月13日現在

史上初の、ハンガリー出身力士である。

来歴 編集

ハンガリー出身。ハンガリー人であるので、日本人同様、姓のトート (Tóth) [ˈtoːt] を先に、名のアティッラ (Attila) [ˈɒtillɒ] を後に表記する。(ハンガリー語では Attila と表記するのが、読みは「アッティラ」ではなく、「アティッラ」と発音する。)アティッラという名前は、ハンガリーではよくある男性の名前で、由来はフン族のアッティラ王の名前である。5歳でレスリングを始め、レスリングの国内大会では何度か優勝をした。13歳で相撲も始め、アマチュア相撲のヨーロッパ大会優勝歴もある。2004年には世界ジュニア相撲選手権大会に出場し、無差別級決勝で澤井(のち大関豪栄道)に敗れるも、2位という好成績を残した。重量級でも3位に入賞している。

この功績を受けて佐渡ヶ嶽部屋に所属していた元床山から、2004年9月場所後に部屋を興すことが決まっていた19代千賀ノ浦(元関脇舛田山)を紹介され、大相撲界に入門。19代千賀ノ浦が千賀ノ浦部屋を創設した後の2005年1月場所に、「舛東欧」の四股名で初土俵を踏む。四股名の下の名前である「旭」は、本名「アティッラ」の当て字である。同期生には豪栄道、栃煌山隠岐の海豊響らがいる。2006年1月場所で三段目2008年9月場所で幕下に昇進。幕下昇進後は幕下と三段目の往復が続いたが、2010年7月場所以降は幕下に定着。しかし2011年1月場所を負傷休場して翌5月技量審査場所は三段目に降格。1場所で幕下に戻ったが、2012年1月場所6番相撲の若三勝(現・照ノ富士)戦で右足首を骨折して再び休場し、そのまま長期休場となってしまった。

2012年11月場所、序ノ口で土俵復帰したが、この場所は7戦全勝の序ノ口優勝としている[2]。序二段に昇格した翌2013年1月場所も1番相撲からの6連勝としていたが、7番相撲で全勝と序二段優勝を懸けて対戦した、十両経験者の阿夢露に敗れ、2場所続けての各段優勝はならなかった。同年5月場所で幕下に復帰。以前同様の成績がしばらく続いたが、2015年3月場所で久々に自己最高位を更新するとその場所を勝ち越しで終えている。2019年7月場所で東幕下25枚目で6勝と大勝ちし、同年9月場所では、33歳で初めて幕下15枚目以内となる西幕下8枚目に番付を上げ、約4年半ぶりに自己最高位を更新したが、3勝4敗と負け越した。

2020年11月26日、所属する千賀ノ浦部屋が師匠の名跡変更で常盤山部屋へ改称されたことに伴い、常盤山部屋所属になった[3]。2021年3月場所限りで現役を引退した[4]

引退後は、日本語を流暢に話すことができ、日本文化に対する理解もあることから、駐日ハンガリー大使館に職員として採用された。2021年10月から勤務しており[5]、駐日ハンガリー大使パラノビチ・ノルバートの公式Twitterで新職員として紹介されている[6]。日本が好きで残りたいと思ったため、手紙と履歴書を出したら「まさかの採用」であったと本人はインタビューで語っている[7]

引退から2年後の2023年6月10日に都内のホテルで断髪式を行った[8]

エピソード 編集

  • 2006年9月場所から、同一門の尾上部屋所属の把瑠都の付け人を務めていた。これは、創設間もない尾上部屋の力士数が少なく、付け人が足りなかったためであり、19代千賀ノ浦の希望もあって実現した[9]

主な成績 編集

  • 通算成績:326勝276敗63休(96場所)
  • 各段優勝:序ノ口優勝1回(2012年11月場所)
舛東欧 旭
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2005年
(平成17年)
(前相撲) 東序ノ口33枚目
6–1 
西序二段61枚目
5–2 
西序二段20枚目
2–4–1 
西序二段53枚目
5–2 
西序二段12枚目
6–1 
2006年
(平成18年)
西三段目50枚目
0–7 
西三段目100枚目
5–2 
東三段目64枚目
4–3 
東三段目45枚目
2–5 
東三段目72枚目
2–5 
東三段目97枚目
3–4 
2007年
(平成19年)
東序二段16枚目
6–1 
西三段目54枚目
6–1 
西三段目3枚目
3–4 
東三段目15枚目
4–3 
西三段目5枚目
2–5 
東三段目29枚目
3–4 
2008年
(平成20年)
西三段目43枚目
2–5 
東三段目61枚目
5–2 
西三段目32枚目
3–4 
西三段目46枚目
6–1 
東幕下57枚目
4–3 
西幕下47枚目
2–5 
2009年
(平成21年)
西三段目9枚目
5–2 
東幕下52枚目
3–4 
西三段目3枚目
2–5 
西三段目30枚目
6–1 
西幕下47枚目
4–3 
東幕下40枚目
2–5 
2010年
(平成22年)
東三段目2枚目
4–3 
東幕下53枚目
3–4 
東三段目3枚目
5–2 
西幕下46枚目
4–3 
西幕下37枚目
4–3 
西幕下28枚目
2–5 
2011年
(平成23年)
東幕下44枚目
1–2–4 
八百長問題
により中止
東三段目12枚目
6–1 
西幕下30枚目
4–3 
西幕下22枚目
1–2–4 
西幕下44枚目
3–4 
2012年
(平成24年)
西幕下52枚目
3–3–1 
西三段目5枚目
休場
0–0–7
東三段目66枚目
休場
0–0–7
西序二段26枚目
休場
0–0–7
西序二段96枚目
休場
0–0–7
東序ノ口14枚目
優勝
7–0
2013年
(平成25年)
東序二段12枚目
6–1 
東三段目49枚目
6–1 
東幕下59枚目
5–2 
西幕下43枚目
5–2 
東幕下27枚目
3–4 
西幕下33枚目
3–4 
2014年
(平成26年)
東幕下43枚目
2–5 
西三段目4枚目
3–4 
西三段目23枚目
4–3 
東三段目12枚目
5–2 
東幕下54枚目
6–1 
東幕下24枚目
3–4 
2015年
(平成27年)
東幕下32枚目
5–2 
東幕下21枚目
4–3 
西幕下16枚目
3–4 
西幕下25枚目
4–3 
東幕下18枚目
2–5 
西幕下39枚目
休場
0–1–6
2016年
(平成28年)
西三段目19枚目
5–2 
西幕下58枚目
3–4 
西三段目12枚目
4–3 
西三段目筆頭
4–3 
東幕下52枚目
5–2 
東幕下37枚目
3–4 
2017年
(平成29年)
西幕下45枚目
4–3 
西幕下35枚目
3–4 
東幕下43枚目
4–3 
東幕下33枚目
1–6 
西三段目筆頭
1–3–3 
東三段目31枚目
4–3 
2018年
(平成30年)
東三段目17枚目
5–2 
西幕下57枚目
4–3 
東幕下48枚目
5–2 
西幕下30枚目
3–3–1 
西幕下36枚目
4–3 
東幕下32枚目
3–4 
2019年
(平成31年
/令和元年)
西幕下41枚目
3–4 
西幕下47枚目
3–4 
西幕下56枚目
6–1 
東幕下25枚目
6–1 
西幕下8枚目
3–4 
西幕下13枚目
2–5 
2020年
(令和2年)
西幕下26枚目
0–1–6 
西三段目2枚目
4–3 
感染症拡大
により中止
東幕下53枚目
5–2 
東幕下30枚目
0–7 
西三段目5枚目
1–4–2 
2021年
(令和3年)
東三段目40枚目
4–3 
東三段目23枚目
引退
0–0–7
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴 編集

  • 舛東欧 旭(ますとうおう あきら) 2005年1月場所 - 2021年3月場所

脚注 編集

  1. ^ コメディ映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』からの引用
  2. ^ 22歳・錦木、7戦全勝で幕下優勝…九州場所13日目 スポーツ報知 2012年11月23日
  3. ^ 千賀ノ浦親方が「常盤山」を継承・襲名 千賀ノ浦部屋は常盤山部屋に変更」『デイリースポーツ』、2020年11月26日。2020年11月26日閲覧。
  4. ^ 華王錦、舛東欧ら幕下以下20人の引退発表」『日刊スポーツ』、2021年3月31日。2021年3月31日閲覧。
  5. ^ 角界唯一のハンガリー出身力士が大使館職員に異色の転身 元幕下の「舛東欧」」『中日スポーツ』、2021年10月13日。2021年10月13日閲覧。
  6. ^ https://twitter.com/hunbassador/status/1450289347882741766”. Twitter. 2021年10月19日閲覧。
  7. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年5月11日). “【ぴいぷる】元力士でハンガリー大使館職員・トート・アティラ 第二の人生で大金星 「日本が好きで、残りたくて」 最初に覚えた言葉は「なぜ?」(1/3ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2022年7月11日閲覧。
  8. ^ 力士から大使館職員に転身の元幕下舛東欧が断髪式「一つの区切りがつきました」【大相撲】”. 中日スポーツ (2023年6月10日). 2023年6月10日閲覧。
  9. ^ “栃東バッタリ 先場所から10連敗、両足のけが響く 大相撲秋場所・3日目”. 朝日新聞. (2006年9月13日) 

関連項目 編集

外部リンク 編集