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西村 弥(にしむら わたる、1983年9月8日 - )は、沖縄県南城市出身の元プロ野球選手内野手)、コーチ。

西村 弥
群馬ダイヤモンドペガサス コーチ #88
W nishimura20150305.jpg
さいたま市営浦和球場にて(2015年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県南城市
生年月日 (1983-09-08) 1983年9月8日(36歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 内野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2006年3月25日
最終出場 2015年5月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴編集

沖縄県南城市出身。沖縄尚学高に在学し、1年次の甲子園では控え選手としてベンチ入りした。その後東京情報大に進学し、1年次より遊撃手レギュラーとして活躍。3年次秋にはチーム初のリーグ優勝に貢献した。4年次からは主将としてチームを牽引し、秋のリーグ制覇に導く。

2005年の大学生・社会人ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから5巡目指名を受け入団。東京情報大学野球部創部以来、初のプロ野球選手となる。

プロ入り後編集

2006年
ルーキーながら守備力を買われ一軍で47試合に出場する。打撃.127と低迷したが、守備でチームに貢献した。
2007年
渡辺直人が遊撃のレギュラーに定着したため一軍出場はなかった。7月の二軍戦で右肩亜脱臼を起こし、後半戦はリハビリに費やす。
2008年
高須洋介や渡辺直人の故障により、一時スタメンのチャンスを与えられるが、結果を残せなかった。
2009年
6月3日イースタン・リーグ日本ハム戦で一試合6安打を記録(リーグ最多タイでプロ野球史上3人目)。
2010年
守備要員として1軍に定着し、73試合に出場した。
2011年
先発出場こそなかったものの63試合に出場。一塁手としても起用され、内野全ポジションを守った。3月11日、13時13分に西村の男児が誕生しているが、この1時間半後に東日本大震災が発生。西村の母や祖母達が落下物から妻子を守った[1]
2012年
松井稼頭央が怪我で出遅れ、開幕戦に9番遊撃手としてスタメン出場。途中出場が主で打席数は少なかったものの、打率.289、11安打のうち7本が二塁打と打撃でも結果を残した。
2013年
2012年の秋季キャンプ中に右肩の故障が発生し保存療法でリハビリを行ってきたが患部の状況が改善せず、春季キャンプ直前の1月22日に手術を受けた。全治6カ月。手術の影響もあり前半戦はリハビリに努めシーズン終盤に二軍の試合で復帰したが4試合の出場に留まった。シーズン終了後の11月12日には、育成選手として契約することや、背番号を066に変更することが球団から発表された[2]NPBの球団に所属した選手で、066の背番号を着用したのは、他球団を含めても西村が初めてである。
2014年
3月25日に支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を以前着用していた「66」に戻した[3]
2015年
5月9日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、5月10日に一軍でのシーズン初安打を記録。それ以降は、阿部俊人岩崎達郎が内野の控えにいた影響で出番がなく、打率1.000のまま5月22日に登録抹消された。シーズン終了後の10月26日に、球団から戦力外通告を受けたことを機に現役を引退。

現役引退後編集

2015年11月23日コボスタ宮城で開催されたファン感謝祭で森山周梅津智弘との合同引退セレモニーを実施。同12月19日、楽天球団で運営する「楽天イーグルスアカデミー」のジュニアコーチ着任を発表[4]。その傍らJ SPORTS(楽天球団制作中継)の野球解説者として活動している。2019年11月25日2020年からベースボール・チャレンジ・リーグ群馬ダイヤモンドペガサスのコーチに就任することが発表された[5]

人物・エピソード編集

2011年にはチームの若手でナンバーワンの守備力と評されていた[6]

週刊ベースボール』2012年8月20日号内「道具の流儀seasonⅡ」において、試合中に小坂誠モデルの軟式野球グラブを使用していることを明かした。楽天の先輩であり、内野守備の名手だった小坂誠と酒井忠晴から影響を受けており、硬式野球用グラブとの違いについて「微妙な違いではない。僕にとっては大きな違いなんです。」と述べている。また、使用されている皮革の関係から、野球用具のメーカーをローリングスに統一している。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
2006 楽天 47 67 63 13 8 1 0 0 9 1 0 4 3 0 1 0 0 25 1 .127 .141 .143 .284
2008 9 19 17 1 2 1 0 0 3 3 0 1 1 0 1 0 0 6 0 .118 .167 .176 .343
2009 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2010 73 48 42 14 9 1 1 0 12 3 5 1 3 0 3 0 0 16 0 .214 .267 .286 .552
2011 63 26 23 15 3 0 0 0 3 1 3 1 2 0 1 0 0 4 1 .130 .167 .130 .297
2012 82 42 38 14 11 7 0 0 18 5 0 3 1 1 2 0 0 11 0 .289 .317 .474 .791
2014 17 12 12 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .250 .250 .250 .500
2015 3 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
通算:8年 296 216 197 58 37 10 1 0 49 14 8 10 10 1 8 0 0 66 2 .188 .218 .249 .467

年度別守備成績編集

一塁 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 - 12 16 20 0 2 1.000 - 31 27 66 5 11 .949
2008 - 6 10 9 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ---- 3 3 10 0 1 1.000
2009 - 1 0 0 0 0 ---- - 1 1 0 0 0 1.000
2010 - 2 0 0 0 0 ---- 40 7 11 0 1 1.000 21 11 30 2 3 .953
2011 13 25 0 0 2 1.000 1 0 1 0 0 1.000 25 5 7 0 1 1.000 19 6 14 0 4 1.000
2012 4 7 1 0 0 1.000 19 7 14 0 2 1.000 28 1 14 1 0 .938 29 12 26 3 4 .927
2014 2 4 0 0 1 1.000 11 4 13 0 2 1.000 3 1 0 0 0 1.000 -
2015 - 1 0 1 0 0 1.000 - -
通算 19 36 1 0 3 1.000 53 37 58 0 6 1.000 97 14 32 1 2 .979 104 60 146 10 23 .954

記録編集

背番号編集

  • 66 (2006年 - 2013年、2014年途中 - 2015年)
  • 066 (2014年 - 同年途中)
  • 66 (2020年 - )

脚注編集

  1. ^ この時のエピソードは飛鳥新社刊「ハッピーバースデー、3.11 あの日、被災地で生まれたこどもたちと家族のものがたり」に収録された。なおこの日、西村は遠征で埼玉にいた。
  2. ^ “来季の育成選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2013年11月12日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/3686.html 2013年12月25日閲覧。 
  3. ^ 【西村弥選手&ルーク・ファンミル選手】支配下選手登録に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014年3月25日). 2014年3月26日閲覧。
  4. ^ 新任ジュニアコーチのお知らせ2015年12月19日 東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト
  5. ^ 来季新コーチ決定のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2019年11月25日)
  6. ^ 稼頭央速っ 3拍子健在35歳”. nikkansports.com. 2014年5月19日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集