西村 弥(にしむら わたる、1983年9月8日 - )は、沖縄県南城市出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

西村 弥
さいたま市営浦和球場にて(2015年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県南城市(旧・島尻郡佐敷町
生年月日 (1983-09-08) 1983年9月8日(41歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 内野手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2006年3月25日
最終出場 2015年5月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴

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プロ入り前

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沖縄尚学高等学校では、1年夏に第81回全国高等学校野球選手権大会に控え選手としてベンチ入りした。

高校卒業後は東京情報大学に進学し、1年次より遊撃手レギュラーとして活躍。3年秋にはチーム初のリーグ優勝に貢献した。4年次からは主将としてチームを牽引し、秋のリーグ制覇に導く。

2005年大学生・社会人ドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから5巡目指名を受け入団した。背番号は66。東京情報大学野球部創部以来、初のプロ野球選手となった。

プロ入り後

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2006年は、ルーキーながら守備力を買われ一軍で47試合に出場する。打撃.127と低迷したが、守備でチームに貢献した。

2007年は、渡辺直人が遊撃のレギュラーに定着したため一軍出場はなかった。7月の二軍戦で右肩亜脱臼を起こし、後半戦はリハビリに費やした。

2008年は、高須洋介や渡辺直人の故障により、一時スタメンのチャンスを与えられるが、結果を残せなかった。

2009年は、6月3日のイースタン・リーグ日本ハム戦で一試合6安打を記録(リーグ最多タイでプロ野球史上3人目)。

2010年は、守備要員として一軍に定着し、73試合に出場した。

2011年は、先発出場こそなかったものの63試合に出場。一塁手としても起用され、内野全ポジションを守った。3月11日、13時13分に西村の男児が誕生しているが、この1時間半後に東日本大震災が発生。西村の母や祖母達が落下物から妻子を守った[注 1]

2012年は、松井稼頭央が怪我で出遅れ、開幕戦に9番遊撃手としてスタメン出場[1]。途中出場が主で打席数は少なかったものの、打率.289、11安打のうち7本が二塁打と打撃でも結果を残した[2]

2013年は、2012年の秋季キャンプ中に右肩の故障が発生し保存療法でリハビリを行ってきたが患部の状況が改善せず、春季キャンプ直前の1月22日に手術を受けた。全治6か月。手術の影響もあり前半戦はリハビリに努めシーズン終盤に二軍の試合で復帰したが4試合の出場に留まった。シーズン終了後の11月12日には、育成選手として契約することや、背番号を066に変更することが球団から発表された[3]

2014年は、3月25日に支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を以前着用していた66に戻した[4]

2015年は、5月9日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、5月10日に一軍でのシーズン初安打を記録。それ以降は、阿部俊人岩﨑達郎が内野の控えにいた影響で出番がなく、打率1.000のまま5月22日に登録抹消された。シーズン終了後の10月26日に、球団から戦力外通告を受けたことを機に現役を引退。

現役引退後

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2015年11月23日、コボスタ宮城で開催されたファン感謝祭で森山周梅津智弘との合同引退セレモニーを実施。12月19日、楽天球団で運営する「楽天イーグルスアカデミー」のジュニアコーチ着任を発表[5]。その傍らJ SPORTS(楽天球団制作中継)の野球解説者として活動している。

2019年11月25日、2020年よりベースボール・チャレンジ・リーグ群馬ダイヤモンドペガサスのコーチに就任することが発表された[6]。2シーズン務め、2021年シーズン終了後の11月30日に同年シーズン限りでの退団が発表された[7]

2021年12月22日、2022年より台湾プロ野球(CPBL)楽天モンキーズの守備走塁総合コーチに就任することが発表された[8]

2022年11月12日、楽天モンキーズのコーチを退任し[9]2023年は東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍内野守備走塁コーチを務め[10]、同年限りで退任した。翌2024年からは再び楽天イーグルスアカデミーのコーチを務める[11]

選手としての特徴・人物

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俊足・堅守が武器の内野手[12]。2011年にはチームの若手でナンバーワンの守備力と評されていた[13]

週刊ベースボール』2012年8月20日号内「道具の流儀 seasonII」において、試合中に小坂誠モデルの軟式野球グラブを使用していることを明かした。楽天の先輩であり、内野守備の名手だった小坂誠と酒井忠晴から影響を受けており、硬式野球用グラブとの違いについて「微妙な違いではない。僕にとっては大きな違いなんです。」と述べている。また、使用されている皮革の関係から、野球用具のメーカーをローリングスに統一している。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2006 楽天 47 67 63 13 8 1 0 0 9 1 0 4 3 0 1 0 0 25 1 .127 .141 .143 .284
2008 9 19 17 1 2 1 0 0 3 3 0 1 1 0 1 0 0 6 0 .118 .167 .176 .343
2009 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2010 73 48 42 14 9 1 1 0 12 3 5 1 3 0 3 0 0 16 0 .214 .267 .286 .552
2011 63 26 23 15 3 0 0 0 3 1 3 1 2 0 1 0 0 4 1 .130 .167 .130 .297
2012 82 42 38 14 11 7 0 0 18 5 0 3 1 1 2 0 0 11 0 .289 .317 .474 .791
2014 17 12 12 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .250 .250 .250 .500
2015 3 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
通算:8年 296 216 197 58 37 10 1 0 49 14 8 10 10 1 8 0 0 66 2 .188 .218 .249 .467

年度別守備成績

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一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2006 楽天 - 12 16 20 0 2 1.000 - 31 27 66 5 11 .949
2008 - 6 10 9 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ---- 3 3 10 0 1 1.000
2009 - 1 0 0 0 0 ---- - 1 1 0 0 0 1.000
2010 - 2 0 0 0 0 ---- 40 7 11 0 1 1.000 21 11 30 2 3 .953
2011 13 25 0 0 2 1.000 1 0 1 0 0 1.000 25 5 7 0 1 1.000 19 6 14 0 4 1.000
2012 4 7 1 0 0 1.000 19 7 14 0 2 1.000 28 1 14 1 0 .938 29 12 26 3 4 .927
2014 2 4 0 0 1 1.000 11 4 13 0 2 1.000 3 1 0 0 0 1.000 -
2015 - 1 0 1 0 0 1.000 - -
通算 19 36 1 0 3 1.000 53 37 58 0 6 1.000 97 14 32 1 2 .979 104 60 146 10 23 .954

記録

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初記録

背番号

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  • 66(2006年 - 2013年、2014年3月25日 - 2015年)
  • 066(2014年 - 同年3月24日)
  • 88(2020年)
  • 74(2021年)
  • 81(2022年)
  • 97(2023年)

脚注

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注釈

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  1. ^ この時のエピソードは飛鳥新社刊「ハッピーバースデー、3.11 あの日、被災地で生まれたこどもたちと家族のものがたり」に収録された。なおこの日、西村は遠征で埼玉にいた。

出典

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  1. ^ 2012年3月30日(金)千葉ロッテ vs 楽天イーグルス スコアボード|千葉ロッテマリーンズ”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト. 2022年4月11日閲覧。
  2. ^ 西村 弥 (東北楽天ゴールデンイーグルス) |個人年度別成績 - NPB”. NPB. 2022年4月11日閲覧。
  3. ^ “来季の育成選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. (2013年11月12日). http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/3686.html 2013年12月25日閲覧。 
  4. ^ 【西村弥選手&ルーク・ファンミル選手】支配下選手登録に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014年3月25日). 2014年3月26日閲覧。
  5. ^ 新任ジュニアコーチのお知らせ2015年12月19日 東北楽天ゴールデンイーグルス・オフィシャルサイト
  6. ^ 来季新コーチ決定のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2019年11月25日)
  7. ^ 西村弥野手コーチ退任のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2021年11月30日)2021年12月6日閲覧。
  8. ^ 2022樂天桃猿教練團陣容調整 新聘教練培育戰力” (中国語). 桃園電子報 (2021年12月22日). 2022年5月20日閲覧。
  9. ^ 中職》輸兄弟非常不甘心 西村彌淚別、盼回日職活用台灣經驗”. 自由體育 (2022年11月12日). 2023年2月15日閲覧。(中国語)
  10. ^ 2023コーチングスタッフに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2022年11月12日). 2023年2月15日閲覧。
  11. ^ アカデミーコーチ就任に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2023年11月15日). 2023年11月15日閲覧。
  12. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年3月12日). “元楽天・西村弥さんの長男・輝道くん、3・11生まれの10歳が野球始めました!”. サンスポ. 2024年2月18日閲覧。
  13. ^ 稼頭央速っ 3拍子健在35歳”. 日刊スポーツ (2011年2月8日). 2014年5月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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