須崎勝彌
経歴編集
父が三菱鉱業に勤め京城支社にいる頃に生まれる。1941年、両親が相次いで亡くなったため郷里の鹿児島県串木野に帰る。1944年に東北大学法学部を卒業。なお、在学中に学徒出陣で出水海軍航空隊に少尉で任官。沖縄戦線に出撃するなどをして茨城県百里海軍航空隊で終戦を迎えた。1947年に新東宝企画部へ入社し、のちに演出部に移る。1952年の大映映画『明日は日曜日』(監督佐伯幸三、主演若尾文子)が脚本家デビュー作であった。1953年に大映東京撮影所と脚本契約。1955年に東宝撮影所と契約。1969年にフリーとなる。日本シナリオ作家協会のシナリオ功労賞(第16回)を受賞[1]。
代表作編集
映画編集
- 1959年 - 「潜水艦イ-57降伏せず」
- 1963年 - 「太平洋の翼」
- 1963年 - 「青島要塞爆撃命令」
- 1965年 - 「太平洋奇跡の作戦 キスカ」
- 1968年 - 「連合艦隊司令長官 山本五十六」
- 1975年 - 「潮騒」
- 1976年 - 「大空のサムライ」
- 1977年 - 「春のおとずれ」
- 1981年 - 「連合艦隊」
テレビドラマ編集
- 1958年 - 「まりっぺ先生」(日本テレビ放送網)
- 1960年 - 「孤愁」(フジテレビジョン)
- 1961年
- 1964年
- 「天下を取る」(日本テレビ放送網)
- 「戦国群盗伝」(フジテレビジョン)
- 1965年 - 「青春とはなんだ」(日本テレビ放送網)
- 1966年 - 「これが青春だ」(日本テレビ放送網)
- 1968年 - 「東京バイパス指令」(日本テレビ放送網/国際放映)
- 1970年 - 「坊っちゃん」(日本テレビ放送網/松竹)
- 1978年 -「特捜最前線」(テレビ朝日 / 東映、1978年1月4日)第40話「初指令・北北東へ急行せよ!」
著編集
- 「カミカゼの真実」(光人社)
- 「真珠湾再考 二階級特進の周辺」(光人社)
- 「蒼天の悲曲 学徒出陣」(光人社)
- 「大地を駈ける青春」(ルック社)
出典・参考文献編集
- 『日本シナリオ史』岩波書店、1989年。ISBN 4000016741。
- 『映像メディア作家人名事典』日外アソシエーツ、1991年。ISBN 4816911111。
外部リンク編集
脚注編集
- ^ シナリオ功労賞の受賞者一覧 日本シナリオ作家協会
- ^ 脚本家の須崎勝弥氏死去 時事通信 2015年1月16日閲覧