1960年のテレビ(1960ねんのテレビ)では、1960年昭和35年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

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11月29日、ラジオ東京が社名を「東京放送」(略称:TBS)に変更。
  • これに伴い、表記も「KRテレビ」から「東京テレビ」に変更。翌年からは現在の「TBSテレビ」に変更される。
  • これが契機で翌年、地方にて「ラジオ〇〇」から「〇〇放送」への社名変更が相次ぐ様になる。


9月10日、カラーテレビが実験放送から本放送となり開始。
  • NHKでは東京大阪の総合及び教育テレビにて、民放では日本テレビ、ラジオ東京テレビ(KR-TV、当時、現:TBSテレビ)、読売テレビ朝日放送テレビにて本放送を開始した。
  • 前年12月に郵政省カラーテレビジョン調査会にて決定した米と同じNTSC方式を、この年4月の聴聞会等を経て、6月に正式決定。
  • これを受け本放送開始前の同年7月(実験放送実施中)から、東芝を皮切りに、各社でカラーテレビ受像機の発売を開始。


地方でNHK総合1局・同教育7局、民放で5局(当時米領の沖縄を含む)のテレビ局が開局。
  • NHKでは総合テレビが宮崎で開局、教育テレビが函館(北海道地方初)・室蘭・浜松(中部地方初)・旭川・福島(東北地方初)・仙台・盛岡の7局で開局。
  • 民放では秋田・山形・福井・宮崎の各県で開局。又、当時米領の沖縄で、2局目の琉球放送も開局。


テレビ番組


日本テレビ以外の在京民放が、東京タワーに送信所を移転。在京テレビ全局が出力を増力。

1月17日、KR-TV( → TBS)の送信所が、東京タワーに移転。更に同日これに加え、NHK東京の総合テレビ、フジテレビ日本教育テレビ(NET)が共に、映像50kW、音声12.5kWへと出力を増力した。日本テレビは送信所の移転は行わなかったものの、3月12日に前者と同じ出力へ増力した。5月16日には、NHK教育テレビが送信所を同タワーに移転、同時に出力も他局と同じ出力へ増力した。


番組関係のできごと

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1月
2月
  • 1日 - NHK総合、教養情報番組『生活の知恵』の第127回「トランジスター」[7]にて、ヘリコプター用トランジスターカメラにより機上から銀座の夜景を放送。[1]
  • 19日29日 - NHK総合、同月17日開催された「スコーバレー冬季オリンピック」の模様を、番組『冬季オリンピックだより』として放送。[1]
  • 27日 - NHK東京教育テレビ、この日のカラーテレビ実験放送枠にて、自局初のカラーVTR収録による番組「ミュージカルショー『春夏秋冬』」を放映。[1][8][9]
3月
  • 20日
    • NHK総合
      • クイズ番組『それは私です』を放送。同年7月8日からはレギュラー番組となる( - 1968年3月30日)。[1]
      • 海外取材番組『東南アジアを行く』放送開始( - 5月15日、全10回)。[1]
    • 日本テレビ
  • 22日 - NHK総合、2日前にNHKが招へいして来日した、1950年ノーベル平和賞受賞者で、当時国連事務局次長だったラルフ・バンチの東京・産経ホールでの講演を中継。[1][11]
  • 25日 - NHK教育、この日の『科学の話題』の『「テレビジョン」(4)―光の魔術―(特殊効果)(2)』の回[12]で、「ミラクルシーン(前面投写式カラースライド)」を初使用。[1]
  • 27日 - 関西テレビ、ラジオ局のラジオ関西京都放送[注 1]大阪放送とコラボして、テレビとラジオのコラボによる立体ドラマ『コルトを持った男』を放送。[1][13]
  • 29日 - NHK東京教育テレビ、この日のカラーテレビ実験放送枠にて、自局初のカラー中継車による番組『春の野外舞踊』(東京国立博物館庭園から中継)を放送。[1][14]
4月
  • 4日 - NHK総合、番組改定。土・日曜が全日放送になる。[1]
    • 夜10時台に『きょうのニュース』を新設・放送開始( - 1972年4月2日)。政治・経済・国際問題など幅広く取り上げ、当事者・記者のコメントなどテレビニュース独自の表現を追求。[1]
  • 8日 - NHK総合、レギュラードラマ初のカラー制作『ママと私たち』放送開始( - 1961年3月31日、全48回)[15][16]。NHK総合テレビでの放送は、カラー本放送が開始する同年9月10日以前はモノクロであったが、それまでの期間は、東京教育テレビのカラーテレビ実験放送枠で、2日遅れでカラーで放送していた(初回から第19回放送分まで)[17]
  • 9日 - NHK総合、自然をテーマとした教養ドキュメンタリー番組自然のアルバム』が放送開始( - 1985年3月31日)。[1][18]
  • 10日 - いずれもNHK総合
    • カラー制作のミュージカル・バラエティーショー『パノラマ劇場』放送開始( - 1961年3月26日、全44回)[1][16][19]。これも前述の『ママと私たち』と同様、NHK総合テレビでの放送は、カラー本放送が開始する同年9月10日以前はモノクロであったが、それまでの期間は、東京教育テレビのカラーテレビ実験放送枠で、3日遅れでカラーで放送していた(初回から第21回放送分まで)[20]
    • 1956年直木賞を受賞した南條範夫の書き下ろし時代劇『月下の美剣士』放送開始( - 6月26日、全12回。出演:加藤博司桂小金治南利明 ほか)。しかし、テレビの暴力シーンが青少年の非行につながると問題化したことを受け、同年7月4日にNHKがテレビの娯楽番組から暴力場面を追放する施策を実施した(後述)のに伴い、番組は打ち切られた。[21]
  • 25日 - NHK総合、『海外特派員だより』放送開始( - 1962年3月24日。その後同年4月6日~1969年の4月6日まで、『NHK特派員だより』として放送)。[1]
5月
  • 2日
  • 8日 - 毎日放送にて、公開演芸番組素人名人会』放送開始。2002年3月17日まで40年以上続く長寿番組となる。[27]
  • 24日 - チリ地震による津波が東北・北海道地方の太平洋沿岸で発生したのを受け、NHK総合・民放共に臨時特別編成を実施[1]
    • NHK総合では、14時から臨時特別番組『太平洋沿岸をおそった津波 ~チリ地震津波~』をフィルムニュースを交えて放送[1][28]、17時50分からは同津波関連のニュース特報を[29]、21時半からは特別番組『津波』を放送[30]
    • 民放でも、岩手放送を始め、発生した地域の民放が非常時態勢で報道、特別編成を行い、キー局へニュースを中継した。[1]
6月
  • 312日 - NHK総合、ラジオ第1と共に、ゴールデンタイムの定時番組を大幅に休止し、議会制民主主義擁護で政治キャンペーン特別番組を編成。[1]
    • 同月3~5日には『私はこう思う』、『議会政治のありかた』がラジオ第1と同時に放送。[1]
  • 4日 - フジテレビ、バラエティーショー『東は東』放送開始( -1962年5月26日。司会:滝田裕介富士真奈美 ほか)。[1]
  • 610日 - 同月3日開始のNHKに続き、民放各局も政治キャンペーン番組を放送。[1]
    • 日本テレビはこの期間中、『日本の空白をどうする』を連続5回シリーズで放送。[1]
  • 10~11日 - NHK総合、安保闘争に於いて「ハガチー事件」発生に関連し、ラジオ第1と同時に、『この事態をどうみるか』(10日)[31]、『ハガチー事件の波紋』(11日)[32]の特別番組を放送。[1]
  • 1516日 - 安保闘争で死者を出した国会乱入デモとアイゼンハワー米大統領(当時)の来日延期問題等で、NHK・民放各社が特別編成。[1]
    • NHK総合では16日、朝7時25分から特別番組『国会デモ乱闘事件に思う』が放送[1][33]、16時半からは臨時に『ニュース特報』となり、その中で17時23分に「アイゼンハワー米大統領訪日延期」の臨時ニュースが放送[34]、17時半からは岸信介首相(当時)の記者会見が首相官邸からラジオ第1と同時に生中継され[35]、19時半からは特別番組『アイク(アイゼンハワー大統領のニックネーム)訪日延期をめぐって』[36]が各々放送された。[37]
  • 17日 - NHK、「暴力の排除と議会政治の擁護」に関する新聞7紙の共同宣言に合わせて、「暴力と政治」キャンペーン開始。[1]
    • これを受け総合テレビで、『左右の暴力と議会政治』(ラジオ第1と同時)[38]、『学生運動をめぐって』[39]の特別番組を放送。[1]
  • 23日
    • 日米安保条約の批准書交換と岸首相の引退表明で、NHK・民放各社が特別番組を編成。[1]
    • NET系、米NBCテレビ映画ララミー牧場』放送開始( - 1963年7月11日。出演:ロバート・フラー ほか)[1][40]。解説者には後に同局の『日曜洋画劇場』でも活躍した淀川長治を起用[1]。前年同局で放送を開始した『ローハイド』を凌ぐ大人気番組となり、翌年2月には最高視聴率43.7%を記録[41]、NET初期の看板番組の1つとなった。
7月
8月
9月
10月
11月
12月

その他テレビに関する話題

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開局・放送開始(いずれも、カラー放送は未実施)

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琉球放送テレビ(KSAR-TV)放送開始(6月1日。写真は当時の本社屋)

*は、民放でテレビ開局に伴い、テレビ・ラジオ兼営局となった放送局。

既存局のカラー放送開始(本放送)

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テレビ番組

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テレビドラマ

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NHK
日本テレビ
KRテレビ→TBS
フジテレビ
NETテレビ

子供向けドラマ

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NHK
日本テレビ
KRテレビ→TBS
フジテレビ
NETテレビ

特撮番組

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バラエティ番組など

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ニュース番組

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教育・教養・ドキュメンタリー番組

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特別番組

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  • カラー本放送開始記念番組(全てカラー)
    • 京鹿小娘道成寺(NHK総合) - 9月10日[73][74]
    • 操三番叟(日本テレビ) - 9月10日[73][75]
    • カラー秋祭り(日本テレビ) - 9月10日(読売テレビにもビデオ送りにて同時ネット)[73][74][75]
    • アラスカの顔(日本テレビ) - 9月10日[73][75]
    • プロボクシング「世界フェザー級タイトルマッチ『デビー・ムーア高山一夫』」(放送前月(8月)の29日、後楽園特設リングにて収録)(日本テレビ) - 9月10日[73][75]
    • カラー・ミュージカル「バレーフェスティバル」(ラジオ東京テレビ) - 9月10日[注 9][62][76][73]
    • ユア・カラーショー(読売テレビ) - 12月13日 [注 10][77][78]

既存番組のカラー化

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脚注

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注釈

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  1. ^ 同社は当時ラジオ放送のみ。1969年4月1日からテレビ放送を開始し、テレビ・ラジオ兼営となる。
  2. ^ 5月4日の特別演奏会の模様は、モノクロのキネレコ映像とステレオ音声テープに収録され、2006年にこれらをシンクロさせて作成した映像ソフトがDVDソフトとして発売された[26]
  3. ^ 尚この番組は、1971年10月10日に、NHKの総合テレビの全国番組で一番最後にカラー化された番組で、この番組と同日に『NHKのど自慢』が毎回(それまでは随時)カラー放送になったのを最後に、NHK総合テレビの全国番組の全時間カラー放送化を完了した。[46]
  4. ^ 放送月日について、『「放送史年表 -詳細版- 1960年」(NHK放送文化研究所)』では8月6日(土曜日)とある[1]が、「NHKクロニクル」の過去番組検索では翌日の8月7日(日曜日)であり(出典を参照)、こちらは『日本の素顔』のレギュラー放送日(毎週日曜日)に合致するので、8月7日とする。
  5. ^ ちなみに佐々木と西本は後年、フジテレビ『プロ野球ニュース』でキャスター、解説者それぞれで出演することとなる。
  6. ^ この事件の模様は2インチVTRにて収録されており、生々しい歴史的事件の瞬間であることから、NHKではその模様をビデオテープにて保存している。当時はビデオテープが余りにも高価であり、番組放送終了後は消去して使い回すのが普通であり、報道ニュースでもテレビカメラで撮影してビデオ録画したのは、後でキネレコを使ってフィルムにて保存するのが普通だった。
  7. ^ VTRの同期信号を自動的に基準同期に合わせる装置。
  8. ^ 1967年3月まで放送。1967年4月より東京12チャンネル→テレビ東京へ移行し、2016年12月まで放送された。
  9. ^ 株式会社東京放送が2002年に刊行した「TBS50年史」には、当番組がカラー本放送開始記念番組である旨の記載がある(本編:173~4ページ(モノクロ写真入り)、資料編:332ページ)。しかし、この放送日の新聞朝刊のテレビ欄では、読売新聞が当番組がカラー放送で尚且つ番組紹介記事を僅かに設けていたのに対し、朝日新聞(5ページ)及び毎日新聞の番組表にはカラー表記は一切なく、番組紹介記事もない。
  10. ^ 西日本初のスタジオカラーカメラによる音楽番組。出演は、トリオ・コイサンズ、ハニー・ナイツ、日方誠、ほか。
  11. ^ a b カラーテレビ実験放送期は、通常の総合・教育の番組をカラーで制作した場合は、初めに通常のモノクロで放送した後で、東京の教育テレビでのカラー実験放送枠の時間帯内でカラーで放送した。
  12. ^ この番組の場合、カラー本放送前の同実験放送期に於いては、モノクロ放送の翌日にその実験放送の枠内でカラー放送をしている。

出典

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  32. ^ NHKクロニクル『特別番組「ハガチー事件の波紋」―海外の反響―』アナログ総合 1960年06月11日(土) 午後08:30 〜 午後09:00
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  74. ^ a b 朝日新聞 1960年9月10日 東京版朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄 及び 同日大阪版朝刊 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  75. ^ a b c d 読売新聞 1960年9月2日朝刊 P.5 「カラー本放送 NTVで記念プロ 10日、午後に連続4時間」(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  76. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、173~4頁。 
  77. ^ 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、284頁。NDLJP:12274683/332 
  78. ^ 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、404頁。NDLJP:12274683/457 
  79. ^ 朝日新聞 1960年1月10日 東京版朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  80. ^ 朝日新聞 1960年1月11日 東京版朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  81. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル「美術教室」
  82. ^ a b c d e 朝日新聞 1960年9月8日 東京版朝刊 P.5 ラジオ・テレビ欄記事「カラー番組のご案内」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  83. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル
  84. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年9月12日「私の秘密」
  85. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年9月12日「歌の広場」
  86. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年9月13日「お笑い三人組『低姿勢の巻』」
  87. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年10月03日放送 「バス通り裏(646)」

参考文献

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など