1961年アメリカグランプリ
1961年アメリカグランプリ (1961 United States Grand Prix) は、1961年のF1世界選手権第8戦(最終戦)として、1961年10月8日にワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキットで開催された。
レース詳細 | |||
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1961年F1世界選手権全8戦の第8戦 | |||
ワトキンズ・グレン(1956–1970) | |||
日程 | 1961年10月8日 | ||
正式名称 | IV United States Grand Prix | ||
開催地 |
ワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキット アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワトキンズ・グレン | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 3.78 km (2.35 mi) | ||
レース距離 | 100周 378 km (235 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ)、気温:72 °F (22 °C)、風速:8.9マイル毎時 (14.3 km/h)[1] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | クーパー-クライマックス | ||
タイム | 1:17.0 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | |
タイム | 1:18.2 (28周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ロータス-クライマックス | ||
2位 | ポルシェ | ||
3位 | BRM-クライマックス |
F1世界選手権の一戦として3年目を迎えたアメリカGPは、本年からキャメロン・アーゲットシンガーによって創設されたワトキンズ・グレンで通年行われるようになった。シーズン最終戦はイネス・アイルランドが制し、コーリン・チャップマン率いるチーム・ロータスに初勝利をもたらした。アイルランドにとってはF1キャリアで唯一の勝利となった。アイルランドは8番手からスタートし、スターリング・モスのエンジンが壊れてリードを奪い、2位のダン・ガーニーに4.3秒差を付けて優勝した。
レース概要
編集前戦イタリアGPでアメリカ人初のドライバーズチャンピオンを獲得したカリフォルニア州出身のフィル・ヒルにとって、本レースは凱旋レースになるはずだった。しかし、フェラーリは前戦イタリアGPのヴォルフガング・フォン・トリップスの事故死により、フィル・ヒルのドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンの二冠が決定したことで、本レースを欠場した。
ポルシェ2台を除く全車がクライマックスエンジンを使用し、クーパー・ワークスのジャック・ブラバムとロブ・ウォーカー・レーシングチームでロータスをドライブするモスの2台のみ開発途上のFWMV(V型8気筒)を使用することができた。モスは土曜日にFPF(直列4気筒)エンジンで1分18秒2、FWMV(V8)で1分17秒2を記録したが、決勝は古いFPFエンジンで臨むことを決めたため、2列目の3番グリッドでブルース・マクラーレンと並ぶことになった。ブラバムは1分17秒0でポールポジションを獲得した。BRMのグラハム・ヒルがモスとマクラーレンより0秒1速い2位で、ブラバムとフロントローに並ぶことになった。チーム・ロータスはジム・クラークが5位、アイルランドは8位だった。アイルランドは金曜日にステアリングの故障でスピンを喫し、翌日はギアボックスが故障したが、決勝までに修理が施された。多くの北米出身のドライバーがスポット参戦したが、地元ファンの期待に応えられず後方のグリッドに沈んだ。カナダ出身のピーター・ライアンは本レースが唯一のF1出走だったが、ウォルト・ハンスゲン、ロジャー・ペンスキー、ハップ・シャープ、ジム・ホール、ロイド・ルビーを抑えた。ペンスキーのマシンはデュポン・アンチフリーズの明るい黄色に塗られており、これがF1における最初のスポンサーシップとなった。
日曜日の決勝には28,000人(練習走行と予選を含めると60,000人)の観衆が集まり、スポンサーを喜ばせたことで将来のレース開催に弾みを付けた。1コーナーでブラバムがトップに立つが、1周目が終わる前にモスが追い抜いた。以下、アイルランド、グラハム・ヒル、ダン・ガーニー、マステン・グレゴリー、マクラーレンが続いた。3周目、アイルランドがストレートエンドに撒かれていたオイルでスピンして11位に後退するが、10周目に4位まで順位を戻した。レースの約3分の1が経過した34周目、首位ブラバムのV8エンジンが水漏れのため過熱してしまい、ブラバムはモスに首位の座を明け渡し、左エキゾーストから煙が噴き出したところでピットへ入り、水の補給を行いコースへ復帰したものの、過熱のダメージが大きかったためリタイアした。これでモスが首位を独走するが59周目に油圧が低下してリタイアとなり、アイルランドが首位に浮上した。アイルランドを追うグラハム・ヒルはマシンに問題を抱えて順位を落とし、ロイ・サルヴァドーリもエンジントラブルでリタイアとなり、アイルランドが優勝した。地元出身のガーニーが4.3秒差の2位、本レースをもってF1から引退したトニー・ブルックスが3位表彰台を獲得した。
アイルランドにとってはF1キャリア唯一の勝利で、かつチーム・ロータスの最初の勝利であった。そしてアメリカGPで初めて利益を出し、翌年の開催を確実なものとした。モスは翌年4月の開幕前に行われた非選手権レースのグローヴァー・トロフィー(グッドウッド・サーキット)で瀕死の重傷を負い引退したため、これが最後のF1世界選手権レース参戦となった。
エントリーリスト
編集- 追記
結果
編集予選
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 1 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 1:17.0 | — | 1 |
2 | 4 | グラハム・ヒル | BRM-クライマックス | 1:18.1 | + 1.1 | 2 |
3 | 7 | スターリング・モス | ロータス-クライマックス | 1:18.2 | + 1.2 | 3 |
4 | 2 | ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 1:18.2 | + 1.2 | 4 |
5 | 14 | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 1:18.3 | + 1.3 | 5 |
6 | 5 | トニー・ブルックス | BRM-クライマックス | 1:18.3 | + 1.3 | 6 |
7 | 12 | ダン・ガーニー | ポルシェ | 1:18.6 | + 1.6 | 7 |
8 | 15 | イネス・アイルランド | ロータス-クライマックス | 1:18.8 | + 1.8 | 8 |
9 | 18 | ジョン・サーティース | クーパー-クライマックス | 1:18.9 | + 1.9 | 9 |
10 | 11 | ヨアキム・ボニエ | ポルシェ | 1:18.9 | + 1.9 | 10 |
11 | 22 | マステン・グレゴリー | ロータス-クライマックス | 1:19.1 | + 2.1 | 11 |
12 | 19 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-クライマックス | 1:19.2 | + 2.2 | 12 |
13 | 16 | ピーター・ライアン | ロータス-クライマックス | 1:20.0 | + 3.0 | 13 |
14 | 60 | ウォルト・ハンスゲン | クーパー-クライマックス | 1:20.4 | + 3.4 | 14 |
15 | 21 | オリビエ・ジャンドビアン | ロータス-クライマックス | 1:20.5 | + 3.5 | 15 |
16 | 6 | ロジャー・ペンスキー | クーパー-クライマックス | 1:20.6 | + 3.6 | 16 |
17 | 3 | ハップ・シャープ | クーパー-クライマックス | 1:21.0 | + 4.0 | 17 |
18 | 17 | ジム・ホール | ロータス-クライマックス | 1:21.8 | + 4.8 | 18 |
19 | 26 | ロイド・ルビー | ロータス-クライマックス | 1:21.8 | + 4.8 | 19 |
ソース:[3]
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決勝
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
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1 | 15 | イネス・アイルランド | ロータス-クライマックス | 100 | 2:13:45.8 | 8 | 9 |
2 | 12 | ダン・ガーニー | ポルシェ | 100 | + 4.3 | 7 | 6 |
3 | 5 | トニー・ブルックス | BRM-クライマックス | 100 | + 49.0 | 5 | 4 |
4 | 2 | ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 100 | + 58.0 | 4 | 3 |
5 | 4 | グラハム・ヒル | BRM-クライマックス | 99 | + 1 Lap | 2 | 2 |
6 | 11 | ヨアキム・ボニエ | ポルシェ | 98 | + 2 Laps | 10 | 1 |
7 | 14 | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 96 | + 4 Laps | 6 | |
8 | 6 | ロジャー・ペンスキー | クーパー-クライマックス | 96 | + 4 Laps | 16 | |
9 | 16 | ピーター・ライアン | ロータス-クライマックス | 96 | + 4 Laps | 13 | |
10 | 3 | ハップ・シャープ | クーパー-クライマックス | 93 | + 7 Laps | 17 | |
11 | 21 | オリビエ・ジャンドビアン マステン・グレゴリー |
ロータス-クライマックス | 92 | + 8 Laps | 15 | |
Ret | 19 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-クライマックス | 96 | エンジン | 12 | |
Ret | 17 | ジム・ホール | ロータス-クライマックス | 76 | 燃料漏れ | 18 | |
Ret | 26 | ロイド・ルビー | ロータス-クライマックス | 76 | マグネット | 19 | |
Ret | 7 | スターリング・モス | ロータス-クライマックス | 58 | エンジン | 3 | |
Ret | 1 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 57 | オーバーヒート | 1 | |
Ret | 22 | マステン・グレゴリー | ロータス-クライマックス | 23 | ギアボックス | 11 | |
Ret | 60 | ウォルト・ハンスゲン | クーパー-クライマックス | 14 | アクシデント | 14 | |
Ret | 18 | ジョン・サーティース | クーパー-クライマックス | 0 | エンジン | 9 | |
WD | 23 | ケン・マイルス | ロータス-クライマックス | ||||
ソース:[4]
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- ラップリーダー
- 1-5=スターリング・モス、6-15=ジャック・ブラバム、16=モス、17-23=ブラバム、24-25=モス、26-33=ブラバム、34-35=モス、36-38=ブラバム、39-58=モス、59-100=イネス・アイルランド
ランキング
編集
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
編集- ^ “Weather information for the "1961 United States Grand Prix"”. The Old Farmers' Almanac. 2013年6月26日閲覧。
- ^ “USA 1961 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年4月15日閲覧。
- ^ “USA 1961 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年4月15日閲覧。
- ^ “1961 United States Grand Prix”. formula1.com. 22 December 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。20 September 2015閲覧。
参照文献
編集- 林信次『F1全史 1961-1965』ニューズ出版、1997年。ISBN 4-938495-09-0。
- James T. Crow (January, 1962). "U.S. Grand Prix". Road & Track, 68-72.
- Doug Nye (1978). The United States Grand Prix and Grand Prize Races, 1908-1977. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-1263-1
- J.J. O'Malley and Bill Green (1998). Watkins Glen, From Griswold to Gordon: Fifty Years of Competition At the Home of American Road Racing.
外部リンク
編集- STATS F1
- Don Capps. "Rear View Mirror." (Archived 2009-05-04) Atlas F1: Volume 6, Issue 43. Retrieved on April 26, 2009.
前戦 1961年イタリアグランプリ |
FIA F1世界選手権 1961年シーズン |
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前回開催 1960年アメリカグランプリ |
アメリカグランプリ | 次回開催 1962年アメリカグランプリ |