若常陸 恒吉(わかひたち つねきち、1896年4月16日 - 1940年9月22日)は、島根県鹿足郡日原町(現津和野町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は大庭 常吉。身長173cm、体重116kg。昭和年間を通じて唯一の島根県出身の幕内力士であった。最高位は西前頭筆頭(1928年3月場所)。引退後は年寄として後進の指導につとめた。

来歴

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1909年6月場所、出羽海部屋から初土俵をふむ。年若い入門であったので、決して出世は早くなかったが、それでも1917年5月場所に新十両、1922年1月場所には新入幕を果たした。

当時としては巨漢の120kgに近い体格を生かし、右四つからの寄りを得意としたが、幕内では中堅力士としておわってしまった。それでも、1927年10月場所には、横綱西ノ海を破る殊勲の星をあげている。

1931年1月場所で十両に陥落し、その場所全敗して途中休場、そのまま出場せず、3月場所限りで現役を引退した。なお、それ以後、昭和期には島根県出身の幕内力士は出なかった。引退後は年寄秀ノ山を襲名し、出羽海部屋付の年寄として検査役などをつとめた。

主な成績

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  • 幕内在位 23場所
  • 幕内成績 88勝154敗7分
  • 金星:1個(1927年10月場所、横綱西ノ海から)

場所別成績

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若常陸恒吉
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1909年
(明治42年)
x x (前相撲) x
1910年
(明治43年)
新序
0–2 
x 西序ノ口5枚目
0–4
1預
 
x
1911年
(明治44年)
東序二段82枚目
1–4 
x 西序二段84枚目
1–4 
x
1912年
(明治45年)
西序二段71枚目
0–3
2預
 
x 東序二段65枚目
1–3
1分
 
x
1913年
(大正2年)
西序二段57枚目
4–1 
x 東序二段26枚目
2–3 
x
1914年
(大正3年)
西序二段21枚目
3–2 
x 西三段目73枚目
3–2 
x
1915年
(大正4年)
西三段目50枚目
3–2 
x 西三段目26枚目
4–1 
x
1916年
(大正5年)
西幕下58枚目
3–2 
x 西幕下42枚目
2–2
1預
 
x
1917年
(大正6年)
西幕下37枚目
5–0 
x 東十両14枚目
優勝
5–0
x
1918年
(大正7年)
東十両2枚目
4–3 
x 西十両筆頭
2–3
1預
 
x
1919年
(大正8年)
西十両6枚目
3–3 
x 西十両7枚目
3–2 
x
1920年
(大正9年)
西十両6枚目
2–3
1預
 
x 西十両13枚目
3–2 
x
1921年
(大正10年)
東十両8枚目
3–2 
x 東十両4枚目
4–3
1分
 
x
1922年
(大正11年)
東前頭15枚目
5–4
1分
 
x 西前頭4枚目
2–8 
x
1923年
(大正12年)
東前頭11枚目
1–8
1分
 
x 西十両筆頭
3–0 
x
1924年
(大正13年)
西前頭16枚目
4–5
1分
 
x 東前頭12枚目
3–7
1分
 
x
1925年
(大正14年)
東前頭12枚目
4–5
2分
 
x 西前頭14枚目
6–5 
x
1926年
(大正15年)
西前頭5枚目
2–8
1分
 
x 東前頭13枚目
5–6 
x
1927年
(昭和2年)
西前頭7枚目
5–6 
西前頭7枚目
6–5 
西前頭8枚目
4–7 
東前頭3枚目
5–6
1928年
(昭和3年)
東前頭9枚目
5–6 
西前頭筆頭
3–8 
西前頭9枚目
4–7 
西前頭9枚目
2–9 
1929年
(昭和4年)
東前頭11枚目
4–7 
東前頭11枚目
4–7 
東前頭14枚目
6–5 
東前頭14枚目
2–9 
1930年
(昭和5年)
東十両筆頭
7–4 
東十両筆頭
5–6 
東前頭13枚目
3–8 
東前頭13枚目
3–8 
1931年
(昭和6年)
東十両2枚目
0–7–4 
東十両2枚目
引退
0–0–0
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

四股名変遷

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  • 若常陸 常吉(わかひたち つねきち)1909年6月場所 - 1924年1月場所
  • 若常陸 恒吉(- つねきち)1924年5月場所 - 1931年3月場所

年寄在任期間

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  • 秀ノ山 恒吉(ひでのやま つねきち)1931年3月 - 1940年9月

関連項目

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