クリス・マルケルChris Marker, 1921年7月29日 - 2012年7月29日)は、フランス作家写真家映画監督マルチメディアアーティスト、ドキュメンタリー作家。

Chris Marker
クリス・マルケル
生年月日 (1921-07-29) 1921年7月29日
没年月日 (2012-07-29) 2012年7月29日(91歳没)
出生地 フランスの旗 フランス パリヌイイ=シュル=セーヌ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 映画監督写真家
ジャンル 映画
主な作品
ラ・ジュテ
 
受賞
ヴェネツィア国際映画祭
新人賞
1963年美しき五月
ベルリン国際映画祭
カトリックメディア協議会賞
1983年サン・ソレイユ
その他の賞
英国映画協会
サザーランド杯
1983年サン・ソレイユ
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ラ・ジュテ』(1962年)、『サン・ソレイユ』(1983年)で知られる。

来歴・人物 編集

1921年7月29日、フランス・パリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌに生まれる。本名はクリスチャン=フランソワ・ブッシュ=ヴィルヌーヴChristian-François Bouche-Villeneuve)。

ジャン=ポール・サルトルのもとで、ギー・ドゥボールとともに哲学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスに抵抗したフランスの地下組織マキ (抵抗運動) に参加。この頃からあらゆることをメモしていたことから「マーカー」(Marker)というニックネームが付いたといわれる。その後ユネスコの職員として世界中を飛び回る機会を得る。多くの社会主義国を訪れ、映画作品、雑誌の記事として記録する。

第三次世界大戦後の世界を舞台に、時間と記憶をめぐるSF短編映画『ラ・ジュテ』(1962年)で国際的な評価を得る。通常どおり撮影したフィルムをストップモーション処理したスチル写真のモンタージュで構成され、シンプルかつ効果的なナレーションで語られる。「フォトロマン」と称されるこの作品は、ジャン=リュック・ゴダール監督の『アルファヴィル』(1965年)や『未来展望』(オムニバス『愛すべき女・女たち』の一篇、1967年)、および押井守監督の『紅い眼鏡』(1987年)、『アヴァロン』(2001年)に影響[1]を与え、テリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』(1995年)の原案ともなる。

1966年、製作会社「SLON」(Société de Lancement des Œuvres Nouvelles)を設立、ゴダール、ヨリス・イヴェンスアラン・レネクロード・ルルーシュアニエス・ヴァルダウィリアム・クラインに呼びかけて、オムニバス『ベトナムから遠く離れて』(1967年)を製作、自らも監督する。さらに翌1967年ドゥー県ブザンソンの企業ロディアセタ社の大ストライキに際し、マルケルはゴダールとブリュノ・ミュエルともに「メドヴドキン集団」(Les groupes Medvedkine)を組織した。このグループ名はマルケルがリスペクトするソ連の映画監督アレクサンドル・メドヴドキン1900年 - 1989年)から頂いたもので、ブザンソンや同県ソショーの工場で戦闘的な労働者をフィルムに収めた。『ロディアセタ』(1967年)、『また近いうちに』(1968年)、『闘争階級』(1969年)等の作品を発表、1973年まで同グループでの活動は続いた[2]

1982年、マルケルは『サン・ソレイユ』を完成させる。日本アフリカ、記憶と旅をテーマに、エッセイ、モンタージュ、ドキュメンタリーの断片とフィクション、それに哲学的コメントが混在した作品で、ドキュメンタリーというジャンルの限界を押し広げた。

この作品を通してデジタル技術に興味をもったマルケルは、沖縄での戦闘に関する映画『レベル5』と、ポンピドゥーセンターのためにCD-ROM作品『IMMEMORY ONE』を撮る。

映画監督の人物像を描いた作品に、アンドレイ・タルコフスキーに関する『アンドレイ・アルセニエヴィッチの一日』(2000年)、アレクサンドル・メドヴドキンに関する『アレクサンドルの墓 最後のボルシェヴィキ』(1992年)、黒澤明に関する『A.K. ドキュメント黒澤明』(1985年)がある。

晩年はパリ在住、インタビューは受けず、彼の写真を頼まれると、彼の猫ギヨムの写真を代わりに提供する。

2012年7月29日、パリで死去[3]。91歳没。

フィルモグラフィー 編集

 
ラ・ジュテ』(1962年)

長編 編集

短編 編集

  • La fin du monde, vu[e] par l'ange Gabriel 長さ不明(8ミリ) (1946年)
  • La clé des songes 長さ不明(16ミリ) (1954年)
  • Un fichu métier 長さ不明 (1955年)
  • 北京の日曜日 Dimanche à Pékin (1956年)
  • ラ・ジュテ La Jetée (1962年)
  • もしラクダを4頭持っていたら Si j'avais quatre dromadaires (1966年)
  • シネトラクト Cinétracts (1966年)
  • ブラジルからの報告:拷問 On vous parle du Brésil: torture (1969年)
  • ブラジルからの報告:カルロス・マリゲーラ On vous parle du Brésil: Carlos Marighela (1970年)
  • パリからの報告:言葉は意味を持つ On vous parle de Paris: Maspero, Les Mots ont un sens (1970年)
  • プラハからの報告:アルトゥール・ロンドンの第2公判 On vous parle de Prague : le deuxième procès d'Artur London (1971年)
  • 動き出す列車 Le Train en marche (1971年)
  • 大使館 L'Ambassade (1973年)
  • ジュンコピア Junkiopa (1981年)
  • クリスからクリストへ From Chris to Christo (1985年)
  • ロベルト・マッタ Matta (1985年)
  • トウキョウデイズ Tokyo Days (1986年)
  • ベルリナー・バラード Berliner ballade / Berlin 1990 (1990年)
  • 音楽を聴く猫 Chat écoutant la musique (1990年)
  • チャウセスクの回り道 Détour Ceausescu (1990年)
  • Getting Away With It (1990年)
  • Le Facteur sonne toujours cheval (1992年)
  • Coin fenêtre (1992年)
  • キャンプニュース8 Le 20 heures dans les camps (1993年)
  • スロン・タンゴ SLON Tango (1993年)
  • Petite ceinture (vidéo haiku) 1994年)
  • Tchaika (vidéo haiku) (1994年)
  • Owl Gets in Your Eyes (vidéo haiku) (1994年)
  • ブルー・ヘルメット Casque bleu (1995年)
  • Stephan Hermlin (1997年)
  • エクリプス Éclipse (1999年)
  • Leila attacks (2006年)
  • And You Are Here (2011年)

共作 編集

集団製作 編集

  • ベトナムから遠く離れて Loin du Viêt Nam (1967年)
  • Rhodia 4x8 (1969年)
  • 闘争階級 Classe de lutte (1969年)
  • Die Kamera in der Fabrik (1970年)
  • Puisqu'on vous dit que c'est possible (1973年)
  • 2084年 2084 (1984年)

脚注 編集

  1. ^ 仏語版WikipediaChris Markerの項の記述による。
  2. ^ 「editionsmontparnasse.fr」のLes groupes Medvedkine(仏語)の記述より。
  3. ^ Décès du cinéaste Chris Marker France Info 2012年7月30日閲覧

関連文献 編集

外部リンク 編集