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1930年に竣工したクライスラー・ビルディングの最上部尖塔は、ステンレス鋼板で覆われている。世界で初めてビル外装に大量のステンレス鋼を使用した歴史的建造物。

ステンレス鋼とはクロムを含みさびに強いの一種である。ステンレス鋼の歴史(ステンレスこうのれきし)は、ステンレス鋼の必須元素であるクロムの発見にさかのぼる。

1761年、シベリアの鉱山で赤みがかかったオレンジ色の新種の鉱石が発見された。フランスのルイ=ニコラ・ヴォークランがその鉱石を分析し、未知の金属を発見し、クロムと名付けた。その後、1820年代、イギリスのマイケル・ファラデーの合金鋼研究を経て、フランスのピエール・ベルチェがクロム・鉄合金の研究を行った。ベルチェは初のフェロクロムを作製し、作製したクロム鋼は切れ味に優れることなどを報告した。その後もクロム・鉄合金の研究報告は散発するが、19世紀中に現在認められているようなステンレス鋼の発見・実用化には至ることはなかった。

一方で、19世紀後半、金属組織学の成立やテルミット法の発明により、ステンレス鋼誕生の素地は出来上がりつつあった。20世紀に入ると、クロム・鉄合金の基礎研究が深まり、ステンレス鋼の学術的基盤が1900年代には確立した。フランスのレオン・ギレフランス語版が、耐食性については指摘できなかったが、マルテンサイト系フェライト系、およびオーステナイト系ステンレス鋼の組織と組成を体系的に明らかにした。ドイツでは、フィリップ・モンナルツがクロム・鉄合金の研究成果を発表して、クロム・鉄合金の耐食性とその原理について、現在でも通じるような優れた結論を報告した。

1910年代になると、ステンレス鋼が工業的・商業的に発明、実用化された。マルテンサイト系の発明者はイギリスのハリー・ブレアリーとすることが一般的で、オーステナイト系の発明者はドイツのベンノ・シュトラウスドイツ語版エドゥアルト・マウラードイツ語版とすることが一般的である。フェライト系の発明者は特定の人物や組織に定め難い。基本鋼種が発明されたステンレス鋼は、利用拡大と技術的発展を遂げる。

前史編集

金属クロムの発見編集

ステンレス鋼の歴史は、ステンレス鋼の必須元素であるクロムの発見から始まった[1]。1761年、ヨハン・ゴットロープ・レーマンドイツ語版が、赤みがかかったオレンジ色の鉱石をシベリアの鉱山から入手した。彼はサンクトペテルブルクへそれを持ち帰ると、1766年にその鉱石にはが含まれていることを報告した[2]。この鉱石は「シベリアの赤い鉛」と呼ばれるようになり、赤色またはオレンジ色の顔料として重宝された[3][4]。この鉱石は現代では紅鉛鉱として知られ、クロム酸鉛(PbCrO4)で構成されるものであった[3]

1789年ごろ、この「赤い鉛」の分析の依頼が、フランスの化学者ルイ=ニコラ・ヴォークランが働く研究室へやって来た。ヴォークランは、試行の末に木炭還元処理によって未知の金属を「シベリアの赤い鉛」から発見した。1797年、ヴォークランはこの分析成果の第一報を発表し、この未知の金属を「クロム」と名付けた[5]。また、同時期の1798年に、ドイツの化学者マルティン・ハインリヒ・クラプロートが、ヴォークランとは独立に「シベリアの赤い鉛」に含まれるクロムの発見を報告した[6]。しかし、クロムの金属としての利用に関心が持たれることは、当時はあまりなかった[4]

ファラデーからベルチェまで編集

電磁気学の始祖として知られるイギリスの科学者マイケル・ファラデーは、若かった頃には合金鋼の研究を行っており、合金鋼開発黎明期の研究者の一人でもあった[7]。刃物師ジェームス・ストダートからのウーツ鋼の調査依頼をきっかけにして、ファラデーは優れた性質を持つ合金鋼を作る実験を繰り返した。貴金属を含有させることで鋼の性質を改善させるアイデアを思い付いたファラデーは、ニッケル白金ロジウム等との鉄合金を作成し、1820年に研究成果を発表した[8]。その後、ファラデーとストダートは精力的に試験を繰り返した[9]。彼らの研究成果は先駆的で、現在では合金研究の最初とも位置付けられる[10][11]。1820年の研究論文 "Experiments on the alloys of steel, made with a view to its improvement"(参考訳:改良の観点から実施された鋼の合金の研究)は「世界初の合金鋼の研究論文」とも言われる[12]。1820年の論文では、ニッケルが鋼の耐酸化性に効果があることなどを見出している[10]

ファラデーとストダートの研究成果は、フランスの鉱山技師ピエール・ベルチェの関心を引き付けることとなった[13]。1820年のファラデーとストダートの論文はフランス語にも翻訳され、ベルチェに研究のヒントを与えた[14]。ベルチェは、鋼に金属クロムを添加した合金を作ることを思い付いた[1]。まず、ベルチェは、この研究の過程でフェロクロムを初めて生み出した[13]。フェロクロムとは鉄とクロムの合金のことで、現在のステンレス鋼製造における主要原料である[15]。ベルチェはクロム鉱石と鉄鉱石の複合酸化物を木炭中で加熱して還元させて、クロムと鉄の合金、すなわちフェロクロムを作製した[16]。ベルチェが作製したフェロクロムは、クロムを17%から60%含むもので、同時に炭素も多量に含んでおり、淡い灰色の結晶だった[17]。作り出したフェロクロムは、強い酸にも耐性があることがわかった[1]。次に、作り出したフェロクロムをもとに、クロム量1%と1.5%のクロム鋼を作製した[1]。作製したクロム鋼は切れ味に優れることをベルチェは発見し、腐食させて擦るとダマスク模様が現れること、カトラリーの材料に向いていることなどを報告した[18]

ベルチェは、1821年にフェロクロムとクロム鋼の研究成果を発表した。この論文はファラデーの目にも留まり、ファラデーもクロム鋼を作製した。作製したのは1%と3%のクロム鋼で、十分な試験はできなかったが、ファラデーも見事なダマスク模様が現れることを確認した。ファラデーとストダートは、1821年から引き続いた合金鋼の研究成果を発表して、クロム鋼の試作結果もそれに添えられた。しかし、ストダートが1823年に急逝すると、共同研究者を失ったファラデーも1824年を最後に合金鋼の研究から去ることとなる[10]

その後の研究と周辺技術の発展編集

ファラデーらとベルチェの研究の後には、鉄鋼に対するクロム添加の影響の工業的観点から研究した特筆すべきものは、しばらく現れることはなかった[19]。ステンレス鋼誕生までは、ファラデーらとベルチェの研究の後に約90年待つこととなる[20]。ただし、クロムを含む鋼はエッチングしにくいことは当時の研究者たちの間でも認識されていた[19]。20世紀になるまで、以下のようなクロム・鉄合金とステンレス鋼誕生に関わる周辺技術の研究があった。

1838年、R.マレがクロム・鉄合金あるいはクロム鋼が酸化剤に対して高い耐食性があることを報告した[21]。しかしマレは、材料中のクロムは最終的には溶け出してしまい、それらの合金は耐食性がより低い状態となるという結論を示した[22]。おそらくマレは、腐食の電気化学的機構における活性金属の役割と同じと考えたことから、この誤った結論に至ってしまったのではないかと推測される[23]

1863年から1864年にかけて、イギリスのヘンリー・ソルビーは顕微鏡による金属組織の観察を行った[24]。ソルビー以前にも金属を顕微鏡で観察した者はいたが、ソルビーは顕微鏡写真の撮り方、研磨・エッチングの方法を研究して金属組織観察法の一体系を作り上げた[24]。1868年にはロシアのディミトリ・チェルノフロシア語版が、1878年にはドイツのアドルフ・マルテンスが金属組織の研究成果を発表した[24]。こうして花開いた金属組織学は、ステンレス鋼にとっても最重要な技術となった[25]

1872年には、イギリスのジョン・ウッズとジョン・クラークが、耐候性と耐酸性のある鉄合金としてクロム30–35%とタングステン2%を含有する鉄合金の特許を取得した[26]。この特許は、ステンレス鋼の最初の特許ともいわれる[27][26]。ただし、彼らはこの高クロム鉄合金がカトラリーや硬貨や鏡に有用だと指摘したものの、この合金の追加研究は記録は残っていない[28]。この後もイギリスやフランスで、クロム鋼の性質に関する報告がいくつかあり、高クロム鉄合金の耐食性を指摘したものもあった[29]

しかし1892年、高マンガン鋼の発明で知られていたイギリスのロバート・ハドフィールド英語版が、クロムは鋼の耐食性を下げるという報告をした[19]。ハドフィールドが耐食性を試したのは1.18%から9.81%のクロムを含む鉄合金で、50%濃度の硫酸に浸漬させて腐食減量を測定した[19]。その結果は、クロム量が多いほど腐食減量は多くなるというものであった[19]。このような結果になった原因としては、試料の炭素量が高かったこと、高濃度の硫酸を使って耐食性を試したことが推定される[30]。現代のステンレス鋼でも、硫酸に対する耐食性は限られている[31]。高名なハドフィールドの報告の影響は大きく、クロムは耐酸性を低下させるという説が広まってしまい、他の研究者たちの高クロム鋼研究への関心を損なうこととなった[32]

その後1895年、ドイツのハンス・ゴルドシュミット英語版テルミット法を発明し、これによって、炭素をほとんど含まない純度の高いクロムが工業的に生産可能となった[33]。ファラデー、ベルチェ、ハドフィールドなどのこれ以前の研究での試料はいずれも炭素濃度が高く、これが現代的なステンレス鋼作成を阻害していた[34]。ヴォークランが単離して発見したクロムも、木炭還元法により多量の炭素を含んでおり、一部は炭化クロムであった可能性がある[35]。ウッズとクラークが特許を取った高クロム合金を実用化できなかったのも、当時の技術ではクロム濃度を上げるほど炭素濃度が上がってしまうことが原因だったと推定される[27]。1898年には、フランスのA.カルノーとE.グータルが、炭素含有量が多いほどクロム鉄合金の耐食性が落ちることを報告した[33]。ゴルドシュミットのテルミット法によって低炭素クロムの生産が容易になったことで、ステンレス鋼の実現が現実的なものとなった[26]

学術的基盤の確立編集

20世紀になると、学術的知見がさらに確立し、ステンレス鋼の発明の基盤が出来上がった[36]。19世紀末には、有用な特性を持たせることに成功した合金鋼が欧米各国で相次いで誕生していた[37]。この動きは、科学者たちの合金鋼の基礎研究に対する関心を高めた[38]。低炭素クロムを利用して、フランスとドイツの科学者たちが高クロム鋼の基礎研究を始めた[39]

フランスでの基礎研究成果編集

フランスのレオン・ギレフランス語版は、1902年から1906年にかけて精力的に合金鋼の研究を進め、現代におけるステンレス鋼の基本3分類「フェライト系ステンレス鋼」「マルテンサイト系ステンレス鋼」「オーステナイト系ステンレス鋼」に属する組成を体系的に初めて報告した[40]。フェライト系・マルテンサイト系・オーステナイト系とはステンレス鋼を金属組織によって分類したもので、フェライト系がフェライト相を、マルテンサイト系がマルテンサイト相を、オーステナイト系がオーステナイト相を主な金属組織として持つ[41]

ギレはテルミット法で得られるクロムを用いて試料を作製し、クロム含有量を最大 32 % 程度まで、炭素含有量を最大 1 % 程度まで変えた23種類のクロム・鉄合金の研究成果を1904年に発表した[42]。それらの試料の内、5種類の組成は、現在のマルテンサイト系およびフェライト系に分類されるステンレス鋼と共通している[43]。ギレは、試料の熱処理、機械的性質、金属組織について解説し、それらの金属組織がマルテンサイトまたはフェイライトで構成されていることも特定した[44]。その2年後の1906年、ギレは現在のオーステナイト系に相当する試料の研究成果も発表し、その金属組織がオーステナイトであることも特定した[45]。以下に、ギレが研究した試料の組成と、それらの組成に相当する現在の工業規格の鋼種を示す:

レオン・ギレの試料の組成[1]
発表年 組成 (%) 近い組成が定めらている
AISI規格のステンレス鋼種
クロム量 ニッケル量 炭素量
1904 13.60 - 0.142 マルテンサイト系 410
14.52 - 0.382 420
18.65 - 0.905 440C
22.06 - 0.210 フェライト系 442
1906 18.20 5.40 0.268 オーステナイト系 301
20.55 10.60 0.315 304

しかしながら、ギレは自身が作製した高クロム鋼の耐食性に気づくことはなかった[46]。高クロム鋼がピクリン酸でエッチングできないことまでは認めていたが、耐食性について報告することはなかった[19]。それでもなお、ステンレス鋼の基本3分類について、冶金学観点から体系的研究成果を最初に報告したギレの功績は特筆される[47]。金属工学者のカール・ザッフェは、ステンレス鋼発明者の筆頭としてギレの名を挙げる[48]。ハロルド・コブも、フェライト系、マルテンサイト系、およびオーステナイト系ステンレス鋼の最初の発見者にギレの名を挙げ、「ステンレス鋼を冶金学的・力学的観点から最初に詳しく調べた者だと思われる」と述べている[44]

ギレの試料は、1906年、後輩のアルバート・ポートヴァンフランス語版へと引き継がれた[49]。追加の試料と共に、電気抵抗、せん断特性に及ぼす金属組織、添加元素、熱処理の影響を明らかにした[50]。1909年にポートヴァンは研究成果をイギリスで発表し、1911年と1912年にはフランスと米国でも発表した[51]。高クロム鋼の耐食性について、クロム含有量が多いほどエッチングしにくくなり、クロム含有量が多いほどエッチング溶液の温度と浸漬時間を増やす必要があることを指摘した[52]。このように、ポートヴァンは、エッチングしづらくなることには気づいたが、それらの試料が錆びない耐食性までも備えていることには気づかなかった[53]。しかしながら、ポートヴァンの試料の一つにはクロム17.38%、炭素0.12%の組成からなるものがあり、これは現在フェライト系の標準鋼である 430 系そのものであった[54]

ドイツでの基礎研究成果編集

一方、ドイツでは、グスタフ・タンマンドイツ語版が合金の状態図の研究を進めていた。タンマンは、よく使われていた金属20種類について組成を変えながら組み合わせて1900個もの試料を作製して、合金の状態図の全貌を大まかながら明らかにした人物である[55]。1907年、タンマンは初の鉄-クロム系二元状態図を報告した[56]。この状態図は、間違いや不完全な点を含んではいたが、初の鉄-クロム系二元状態図として価値あるものであった[57]

タンマンの鉄-クロム系二元状態図の発表は、アーヘン工科大学ヴィルヘルム・ボルヒャースドイツ語版を触発した[58]。1908年、ボルヒャースは、研究生であったフィリップ・モンナルツに、タンマンの結果の追試と無炭素のクロム・鉄合金の耐酸性と機械的性質の研究を進めさせた[59]。モンナルツは、クロム含有量が3.8&から98.2%までの試料を用意した[58]。炭素量は、現在からの推定で0.03%以下であった[58]。タンマンの結果の追試後、モンナルツは塩酸、硫酸、硝酸、混酸、水道水、大気の環境下で耐食性を試験した[58]

モンナルツの研究成果は、彼の学位論文 "Beitrag zum Studium der Eisen-Chromlegierungen unter besonderer Beriicksichtigung der Saurebestandigkeit"(参考訳:クロム・鉄合金における特に耐酸性に注目した研究への寄与) としてまとめられ、1911年に大学へ提出された[58][60]。この論文でモンナルツは、次のような、現在でも通用する卓越した知見を述べている[61]

  • クロム・鉄合金の耐食性の向上は、不働態現象によって起こること
  • 不働態の強さはクロム含有量に比例すること
  • 不働態は酸化性雰囲気で形成されるが、還元性雰囲気では破壊されること
  • クロム含有量12%以下になると、クロム・鉄合金の耐食性は落ち出し、この現象は硝酸、水、大気中で特に顕著であること
  • 合金中の炭素はクロム炭化物を形成すること
  • 形成されたクロム炭化物は硬さを向上させるが、耐酸性を悪化させること
  • 含有されている炭素は、チタンバナジウムモリブデンタングステンのような炭化物生成元素を少量添加すれば、耐食性を悪化させないように安定化できること
  • モリブデンの添加は、耐食性向上に特に有効であること

モンナルツの研究成果の驚くべき点は、ステンレス鋼自体の発見に留まらず、ステンレス鋼がなぜ耐酸性を持つのかという原理の発見にも及んでいる点である[51]。この画期的な研究成果は、1911年の3月と4月の2回に分けて学術雑誌にも掲載され、大きな反響があった[62]。ハドフィールドから広まった高クロム鋼の耐食性に関する誤解は払拭され、ステンレス鋼の時代の幕開けとなった[63]

発明編集

1900年代の学術的基盤をもとに、1910年代になると、ステンレス鋼が工業的・商業的な観点から発明、実用化され始める[64]。ステンレス鋼は、主に産業界の研究者たちによって研究が進められることとなった[65]

1910年代の初めに、欧米の研究者たちによってステンレス鋼の基本3鋼種フェライト系ステンレス鋼マルテンサイト系ステンレス鋼オーステナイト系ステンレス鋼が確立されるが、誰を「ステンレス鋼の発明者」と呼ぶにふさわしいかは一概には言えない[26][66]。1900年代の研究者たちも含めて、ステンレス鋼には多くの発見者・発明者が居た[66]。あえて発明者の名を一人だけ挙げる場合は、実用的観点からステンレス鋼の利点を明確にした、後述のイギリスのハリー・ブレアリーの名を挙げることが多い[67][26][66]。しかし、いずれにしても、ステンレス鋼の発明は一握りの人物や組織によって為されたものではなく、数多くの研究者たちが蓄積してきた英知と努力の成果である[68]

オーステナイト系の工業的発明編集

 
エッセンにあるシュトラウスの銘板
 
フライベルクにあるマウラーの銘板

オーステナイト系ステンレス鋼の発明者には、ドイツのベンノ・シュトラウスドイツ語版エドゥアルト・マウラードイツ語版の名が第一に挙げられる[69]。1909年頃より、フリート・クルップ(以下、クルップ社)のベンノ・シュトラウスとマウラーはクロム・ニッケル・鉄合金の研究が進めていた[70]。シュトラウスが熱電対用の耐熱合金を研究しており、1910年に3種類の高クロム鋼、2種類の高クロム・ニッケル鋼を作製した[71]。マウラーが、それら鋼種の1つの耐食性に気づいた[72]。追試によって、オーステナイト組織の高クロム・ニッケル鋼が硝酸に対して耐性を持つことが確認されると、その成果をもとに1912年にクルップ社から2つの特許が出願された[73]。その内の1つが、"V2A" と名付けられた、クロム20%・ニッケル7%・炭素0.25%のオーステナイト系ステンレス鋼であった[19]。クルップ社は、この鋼種について1913年にイギリスで特許登録し、後に米国でも特許登録した[74]

一方で、後の1920年代から30年代にかけて、シュトラウスとマウラーの間で、どちらが発明者にふさわしいかについて論争が起きている[75]。そのような経緯もあり、オーステナイト系ステンレス鋼は、クルップ社という会社によってなされたと考える見解もある[76]。金属工学者の遅沢浩一郎は、二人の名ではなく。クルップ社の名をオーステナイト系の発明者として挙げる[19]

マルテンサイト系の工業的発明編集

 
シェフィールドのブラウン・ファース研究所跡地にあるハリー・ブレアリーの記念碑。左がブレアリーの肖像。

マルテンサイト系ステンレス鋼の場合は、その発明者には、イギリスのハリー・ブレアリーの名が第一に挙げられる[77]シェフィールドにあるブラウン・ファース研究所の初代所長であったブレアリーは、ライフル銃で起きていたエロージョンの調査を1912年に受けた[78]。高クロム鋼が有効という考えに至り、1913年に試作し、その試料が優れた耐食性を持つことに気づいた[79]。ブレアリーが作製した試料は、クロム12.8%、炭素0.24%、マンガン0.44%、シリコン0.20% という成分から構成されおり、現在の標準的なマルテンサイト系ステンレス鋼の一つに相当するものであった[80]

ブレアリーは、自分が発見した鋼種はナイフやフォークなどのカトラリーに有用であると考えた[81]。ブレアリーはモズレー商会のアーネスト・スチュアートに協力してもらい、自分が発見した鋼種のナイフを製作して、実際に有用であることを確かめた[82]。ブレアリーは、自分の鋼種を「ラストレススチール (rustless steel)」と呼んでいた[26]。現在の「ステンレス鋼 (stainless steel)」という名称は、スチュアートが「変色しにくい (stain less)」と評し、"stainless steel" と呼んだことに由来する[83][26]。ブラウン・ファース研究所を運営していたトーマス・ファース・アンド・サンズ(以下、ファース社)とステンレス鋼を巡って軋轢が起こったが、協力者を得て、1915年にカナダで、1916年に米国で、ブレアリーの高クロム鋼は特許登録された[84]

一方で、前述のドイツのシュトラウスとマウラーが作製した試料にも、マルテンサイト系の鋼種は含まれていた[85]。1912年にクルップ社が特許出願したもう1つの耐食鋼は、"V1M" と名付けられたクロム 14%・ニッケル2%・炭素0.15% のマルテンサイト系であった[19]。また、後述のアメリカのエルウッド・ヘインズ英語版も、マルテンサイト系の開発において言及されるに値すると評される[86]

フェライト系の工業的発明編集

フェライト系ステンレス鋼の場合、発明者を特定の人物や組織に定めるのは難しい[87]。発明者として挙げられる一人は、前述のフランスのアルバート・ポートヴァンドイツ語版である[88]。彼が1911年に発表した試料の組成は、現在のフェライト系の標準鋼種にほぼ正確に合致する[89]。あるいは、アメリカのクリスチャン・ダンチゼンも発明者として挙げられる[90]。ダンチゼンが1911年から電球リード線用の研究していた鋼種には、ポートヴァンと同じく、現在のフェライト系の標準鋼種に相当するものが存在していた[91]。そして、アメリカのエルウッド・ヘインズ英語版も、発明者として挙げられる[19]。ヘインズは1911年頃からクロム・鉄合金の研究を行い、一回却下された後、1915年に再度特許出願した[92]。彼が特許請求した組成の一種は、クロム含有量15–25%、炭素含有量0.07–0.15%の鋼種であった[93]

1910年代前半、他にも、フェライト系に相当する低炭素高クロム鋼の研究や特許取得を行った人物や組織は複数存在していた。前述のドイツのモンナルツもそれらの一人である。さらに、それらの開発はそれぞれ独立に進められたものであった[94]

利用の拡大と改良鋼種の開発編集

イギリス編集

 
複葉戦闘機ソッピース キャメル。エンジンにステンレス鋼が使用された当時の戦闘機の一つ[95]

ハリー・ブレアリーが発明したステンレス鋼は、ファース社によって1914年より販売され始めた[96]。ファース社は、"Stainless Steel"という名称も商標登録し、ステンレス鋼を売り出した[97]。ただし、そのステンレス鋼の発明にブレアリーの存在が無かったかのようにファース社がステンレス鋼を売り出したため、ブレアリーとファース社の間で争いが起こり、ブレアリーは最終的にブラウン・ファース研究所を去ることとなった。ファース社は、ステンレス鋼がエンジンの排気弁材料として有用だと考え、"FAS" (Firth's Aeroplane Steel) という名で航空機用鋼材として売り出した[98]。1914年から始まった第一次世界大戦の中で、耐熱性の高いステンレス鋼は航空機エンジンの排気弁用として理想的であると注目される[99]。イギリス製戦闘機のRAF B.E.2エアコー DH.2ソッピース キャメルなどで、ステンレス鋼がエンジンに使われた[95]。FASは、1914年には50トン、1915年から1916年の間には1000トンが生産され、1918年まで生産された[100]

前述のブレアリーがスチュアートに造ってもらったナイフは、記念すべき初のステンレス製カトラリーであった[101]。それ以降もスチュアートはステンレス鋼によるナイフ試作を続け、3回目の試作以降はFASを使用している[102]。スチュアートはステンレス鋼の特性に合わせて製造工程を改善し、ステンレス製ナイフの技術が発展した[102]。ファース社は、自社のステンレス鋼をカトラリ-用としても売り出した。、1915年のファース社の広告は、以下のような謳い文句で始まる[103]

FIRTH'S "STAINLESS" STEEL for CUTLERY, etc. NEITHER RUSTS, STAINS NOR TARNISHES.
(参考訳:カトラリーその他に適した、ファース社の"ステンレス"鋼 錆びも汚れも変色も無し)

ただし、1914年初頭の時点でクルップ社がイギリスで特許出願していたため、ファース社は本拠地であるイギリスで特許出願することに慎重だった[104]。その内にステンレス鋼はイギリスで公知のものとなり、ファース社は特許取得の機会を逸した[104]。1915年時点で、イギリスでは、少なくとも7社がステンレス鋼を製造していた[105]。第一次世界大戦明けの1919年からは、ステンレス製カトラリーの定常的な生産がシェフィールドで始まり、ホテルやレストランでステンレス製の食器類が現れ始めた[106]

 
STAYBRITE製カトラリーの広告(1929年)

1923年、ファース・ブレアリー・ステンレス・シンジケート(後述)は、クルップ社とライセンス交換を行い、クルップ社のオーステナイト系ステンレス鋼をイギリスで生産できるようになった。これによって、ファース社のブラウン・ファース研究所でオーステナイト系の研究調査が行われるようになった[107]。ブラウン・ファース研究所では、ブレアリーが去った後、ウィリアム・ハーバート・ハットフィールド英語版が所長に就任していた。ハットフィールドはマウラーの研究成果を再検討して、クロム18%、ニッケル8%の組み合わせが最も経済的にオーステナイト組織を実現できることを見出した。この組成の鋼種は、ファース社から"STAYBRITE"(ステイブライト)という名称で1925年頃から売り出された[108]。低炭素化が進んだフェロクロムを利用し、炭素量は0.2%以下であった[72]。この鋼種は人気を博し、今日に至るまでに、クロム18%、ニッケル8%の「18-8ステンレス鋼」が定着した[109]。18-8ステンレス鋼は、現在のステンレス鋼の中でもおそらく最も利用されている鋼種でもある [110]

ファース社から販売されたステイブライトは、1926年に、インペリアル・ケミカル・インダストリーズが建設したイギリス・ビリンガム英語版のアンモニア合成工場で装置用として採用された[111]。これ以降、18-8ステンレス鋼は化学工場に欠かせないものとなっていった[112]。一方、18-8ステンレス鋼には、冷間成型加工すると著しい加工硬化が起こる特徴がある[113]。これは、成形を行う上ではデメリットとなる[114]。当時、18-8ステンレス鋼を使ったスプーンやフォークの製造時には、加工硬化のために、製造過程で何度も中間焼なましを実施しなければならない手間があったという[115]。このため、ハットフィールドが加工硬化が少ない組成を調査して、1927年にクロム12%・ニッケル12%の鋼種が開発された[116]。ニッケル量を増やすことで加工硬化を小さくすることができ、基本組成12-12は後にEn58Dとしてイギリスで規格化された[114]

ドイツ編集

クルップ社のステンレス鋼V1MとV2Aは、1914年にスウェーデンのマルメで開かれた博覧会で披露された。V1Mは高い弾性限界を持ち、腐食環境下の機械部品などに向いていること、V2Aは湿潤空気中でも錆びが全く起きない耐食性を持ち 硝酸カリウムアンモニアを扱う化学産業などに向いていることが宣伝された[117]。シュトラウスの報告によれば、ステンレス鋼の反響は大きく、ヨーロッパ各国および米国からの引き合いが多数あったという[118]。しかし、第一次世界大戦が始まると、ドイツの軍事利用のためにV1MとV2Aの存在は極秘にされるようになった。V1Mは、ファース社のFASと同じく軍用航空機のエンジンバルブ、大砲閉鎖機といった耐熱機械部品に採用された。V2Aは、火薬の原料となる硝酸の製造プラントに採用された[118]。当時、ハーバー・ボッシュ法がドイツで発明され、埋蔵資源に頼らない硝酸の製造が工業化された頃であったが、この工業化確立にV2Aは早速役立てられることとなった[72]。ハーバー・ボッシュ法を実用化させたBASF社はクルップ社と提携し、1915年までに74トンのV2AがBASF社により購入された[119]。1922年には、クルップ社は、Nichtrostender Stahl の頭字語である"NIROSTA"(ナイロスタ)という名で自分たちのステンレス鋼の商標を取り、ブランド名とした[120]。1924年には、"V2A" も耐酸鋼用として商標登録された[118]

クルップ社(シュトラウスとマウラー)によって発明されたV2Aは、クルップ社自身によって改良型が精力的に生み出された[121]。1922年、耐食性向上を目的とした2つの改良鋼種がクルップ社より特許出願された[122]。1つはを添加した鋼種で、組成はクロム18–24%・ニッケル7–20%・炭素0.1–0.4%・銅2–6%で、"V6A" と名付けられた[123]。もう1つはモリブデンを添加した鋼種で、組成はクロム18–30%・ニッケル4–20%・炭素0.1–0.4%・モリブデン2–4%で、"V4A" と名付けられた[123]。V6Aは高温高圧の亜硫酸に対する用途を、V4Aは塩化アンモニウムに対する用途を狙ったものだった[124]。現在でも、対硫酸性の向上にはモリブデンと銅の添加が有効であることが知られている[125]。特にV4Aは、硫酸に対する優れた防食性が明らかになるにつれ、化学産業用材料として重宝されるようになっていった[126]。さらに1936年、クルップ社は他社に続いて銅とモリブデンを共に添加した鋼種を特許出願した[127]。"V16A"と名付けられたこの鋼種は、さらに広い範囲の濃度・温度の硫酸に対応でき、やはり化学産業用材料として重宝された[128]

 
ベルリンの吸収塔、V2Aを溶接組立して製造(1937年以前撮影)

また、V2Aは当初は主に硝酸プラントで利用されていたが、V2Aを溶接した箇所で著しい腐食がしばしば起き、解決すべき問題となった[128]。この事象は現在ではウェルドディケイ (weld decay) と呼ばれ、粒界腐食の一種である[129][130]。クルップ社および英米各社によってウェルドディケイの原因究明が進められた。クルップ社の調査の結果、溶接熱影響部でCr23C6のクロム炭化物が析出し、選択腐食することが明らかとなった[129]。この現象は基地中の炭素が原因であるため、対策には低炭素化が有効である[112]。これに基づき、1928年、クルップ社はクロム18–25%、ニッケル7–12%および炭素0.07%未満の鋼種を特許出願した[131]。また、この現象には、クロムよりも炭素と結合しやすいチタンニオブなどの元素を添加して、基地中の炭素をチタン炭化物やニオブ炭化物などの形で安定させることが有効である[132]。このような知見に基づき、クルップ社のP.シャフマイスターとE.フードルモントは、チタンまたはバナジウムを添加する鋼種、およびニオブとタンタルを添加する鋼種を発明した[133]。1929年に前者を含む特許が、1930年に後者を含む特許が出願された[133]。1929年のチタン添加型は現在の321系に相当し、1930年のニオブ添加型は現在の347系に相当する[134]

以上のようなクルップ社の一連の研究成果によって、今日でも通用する高耐食型ステンレス鋼の基礎がほぼ確立された[115]。さらに、クルップ社のA.フライは、1926年に耐熱性・耐食性を改善したクロム15–25%・ニッケル15–25%の鋼種を発明した[135]。この鋼種は現在の310系に相当する[136]

米国編集

 
イギリスでのステンレス鋼発明について伝えた、1915年1月31日付ニューヨークタイムズ記事

1915年1月、ニューヨークタイムズが、錆びない鋼すなわちステンレス鋼がイギリスのシェフィールドで発明されたと米国で報じた。この記事が伝えたところによると、当時のステンレス鋼の値段は1ポンド当たりで約26セントで、通常の鋼のおよそ2倍の値段であったという。また、ステンレス鋼の加工費は通常の鋼よりも高くなることを伝えている[137]。ファース社は、アメリカのマッキーズポートに子会社のファース・スターリング・スチール・カンパニー(以下、ファーススターリング社)を構えており、1915年3月から、ファーススターリング社は米国のナイフ製造業者へステンレス鋼の製造販売を開始した[138]

しかし、仲違いしてファース社を離れたブレアリーが米国で1916年に自分のステンレス鋼の特許を取ると、自分たちの米国でのステンレス鋼販売が阻害される心配がファース社に降りかかった[139]。一方のブレアリーも、特許取得協力者が高齢になり、特許権に関するトラブルが起こることを心配するようになっていた[140]。ブレアリーまたはファース社のどちらから提案されたのかは文献によって記述が異なるが、特許権をブレアリーとファース社の間で譲渡・購入する話が持ち上がった[141]。交渉の末、ブレアリーの特許権の半分をファース社が購入し、ファース社の米国でのステンレス鋼販売の利益はブレアリーにも共有されることが決まった[99]。さらに、1916年末に、ブレアリーとファース社でファース・ブレアリー・ステンレス・シンジケートという名の組合を結成し、それぞれが持つ特許のライセンス事業を専門に行わせることにした[140]。ファース・ブレアリー・ステンレス・シンジケートは、1917年に、最初の仕事としてアメリカン・ステンレス・スチール・カンパニー(以下、アメリカンステンレススチール)という特許権保有会社を米国のピッツバーグに設立した[142]

前述のように、米国ではエルウッド・ヘインズ英語版がブレアリーと同種のステンレス鋼を独自に発明しており、この発明は一回却下された後の1915年に特許出願され、1919年に特許登録された[143]。ヘインズの特許出願は、ブレアリーの特許出願よりもわずかに早かったため、査定不服を申し立てた[144]。この係争は、結局、アメリカンステンレススチールがヘインズの特許を取得し、利益を共有することで決着し、1920年代頭には消滅した[145]。アメリカンステンレススチールは、シンジケートとヘインズがアメリカンステンレススチールの主要所有権を持ち、他の米国製鋼会社ともロイヤリティを共有する形となった[146]。さらに後年に他者のステンレス鋼特許を買い取り、1934年には、米国のステンレス鋼生産の大半がアメリカンステンレススチール保有特許のステンレス鋼となるまでに成長した[147]。1934年時点で、アメリカンステンレススチール保有特許のステンレス鋼を造る米国製鋼会社は22社に上る[148]

1916年、米国のミッドベール・スチール英語版のR.H.パッチとR.ファーネスによって開発された高炭素クロム鋼が米国で特許登録された。組成は炭素13.5%、クロム19.5%で、工具鋼を用途として、切れ味と耐食性ともに優れるものであった[149]。この鋼種の特許権はアメリカンステンレススチールによって1919年に買い取られた[150]。後に、この鋼種を元にして現在の高炭素系マルテンサイト系標準鋼種の440系が定まることとなる[149]

一方、クルップ社によって発明されたオーステナイト系ステンレス鋼については、当初は米国ではよく知られず、製造されることはなかった[151]。オーステナイト系の技術情報が最初に伝わったのは、1924年に行われたASTM開催のステンレス鋼に関するシンポジウムであったといわれる[152]。このときに、クルップ社のシュトラウスがV1MとV2Aについて講演し、V2Aの優れた耐食性を解説し、これによってオーステナイト系の重要性が米国に伝わったと推測される[153]。特許については、V2Aの特許はクルップ社によって米国で取得されており、ウォーターブリート英語版にある特許保有子会社のクルップ・ナイロスタ・カンパニーが特許管理していた[74]。1927年に米国のいくつかの製鋼会社が18-8ステンレス鋼を製造し、1928年頃には人気を得始めていた[151]。当時の米国のステンレス鋼総生産量は、1930年の統計によれば、鋳物も含めて約4.7万トンである。18-8ステンレス鋼がその内の約2.8万トンを占めており、18-8ステンレス鋼が市場で高い人気を早くも獲得していたことを示唆している[154]。1934年時点で、クルップ社保有特許の18-8ステンレス鋼を造る米国製鋼会社は14社に上る[155]。ライセンシー各社が造る18-8ステンレス鋼には、"Rezistal"、"Enduro"、"Allegheny Metal"などの独自のブランド名が与えられて売り出された[156]

18-8ステンレス鋼を最初に大量使用した建築物が、1930年に建設されたマンハッタンクライスラー・ビルディングである[157]。建設には約500トンのステンレス鋼が使われた[158]。使われたステンレス鋼はクルップ社特許のもので、米国製鋼会社のクルーシブル・スチール英語版ラドラム・スチール英語版リパブリック・スチール英語版が製造を行った[152]。クルーシブル・スチールとリパブリック・スチールが板材を供給し、ラドラム・スチールが棒材・備品類を供給した[152]。一際目立つ最上部尖塔は、4500枚もの18-8ステンレス鋼板で覆われている[159]。その他にも、建物正面、装飾枠、格子、コーピングなどにステンレス鋼が用いられた[160]

クライスラービル建設にあたって、施主のウォルター・クライスラーはビルの外装を金属で装飾したいという考えがあった[161]。クライスラービルの建築家はウィリアム・バン・アレン英語版で、建設に先立ち、アルミ洋白など6種類の耐食性金属が試験された[162]。当時の18-8ステンレス鋼の米国での価格は1ポンド当たり50セントで比較的高価な材料だったが、錆びや汚れの発生がなく、良好な研磨が可能なことなどから、18-8ステンレス鋼が外装材に選ばれた[152]。アレンはステンレス鋼を採用したことの効用について、以下のように語っている[163]

The use of permanently bright metal was of greatest aid in the carrying of rising lines and the diminishing circular forms in the roof treatment, so as to accentuate the gradual upward swing until it literally dissolve into the sky.
(ビル最頂部の立ち上がっていく外形線と細くなっていく円形構造において、文字通り空に溶けてなくなるまで上に向かって徐々に現れる変化を強調することを、恒久的に輝く金属の使用が最大限に手助けしている。)

クライスラービルは、当時のステンレス鋼の発展を示す最たる好例となった[158]。続く1931年に竣工したエンパイア・ステート・ビルディングでもクルップ社の18-8ステンレス鋼が採用され、建物正面、窓枠などに使われた[156]。使われた量は約300トンで、リパブリック・スチールとアレゲニー・スチール英語版が製造した[156]。クライスラービルとエンパイアステートビルの後、米国ではステンレス鋼を使った建物が流行的に広まっていく[164]

 
ステンレス鋼構造の飛行機バッド パイオニア英語版フランクリン科学博物館に展示
 
ステンレス鋼車体のバッド・ミシュラン製ゴムタイヤ鉄道車両英語版(1933年)

前述のように、18-8ステンレス鋼には著しい加工硬化が起こり、冷間成型加工するにおいては厄介な面があった。一方、米国では、この加工硬化を利用し、オーステナイト系ステンレス鋼の冷間圧延板を構造用部材として活用する発想が生まれた[157]。その代表例が、フィラデルフィアのエドワード・G・バッド・マニュファクチャリング・カンパニー(以下、バッド社)が造ったステンレス鋼製の鉄道車両である。自動車の車体用鋼板などを製造していたバッド社は18-8ステンレス鋼の可能性に目付けた[165]。18-8ステンレス鋼は加工硬化しても十分な延性を持つので、冷間圧延することによって高強度部材を作り出し、薄板軽量構造を実現するアイデアが持ち出された[166]。この鋼種には溶接するとその近辺で耐食性が落ちる欠点があったが、バッド社は数多くの溶接条件を試験して最適な抵抗スポット溶接の方法を確立した[167]。1931年には、構造部材と外板を18-8ステンレス鋼冷間圧延材で構成した飛行機を試作、飛行を成功させた。"Pioneer"(パイオニア英語版)と名付けられたこの飛行機は、世界初のステンレス鋼製飛行機であった[168]。1931年には、フランスのタイヤメーカー・ミシュランより、ミシュラン社が当時設計していたゴムタイヤ走行鉄道車両のミシュリーヌの車体に、バッド社のステンレス鋼製を適用するという打診がバッド社へ舞い込んだ[169]。製造されたバッド・ミシュラン製ゴムタイヤ鉄道車両英語版は最終的な商業的成功を得ることはできなかったが、世界初のステンレス鋼製ゴムタイヤ鉄道車両であった[170]。使用されたステンレス板材は、 アレゲニー・スチールから供給された[171]。 冷間圧延で強度が高められ、引張り強さは約 1030 MPa、降伏点は約 760 MPa であったという[172]

 
ステンレス鋼車体の鉄道車両パイオニア・ゼファー(1935年)

さらに、ステンレス鋼製の魅力的な新型鉄道車両を求めていたシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道とバッド社は1933年に契約し、世界初の鉄輪のステンレス製鉄道車両を生み出す[173]パイオニア・ゼファーと名付けられた車両は、ステンレス鋼製車体の他にもディーゼルエンジンを初の動力とするなど、当時としては革新的な鉄道車両だった[173]。1934年、デンバー・シカゴ間にパイオニア・ゼファーは投入され、最初の運転が行われた[173]。1935年には、メイン・セントラル鉄道英語版ボストン・アンド・メイン鉄道英語版向けに、パイオニア・ゼファーの姉妹機であるフライング・ヤンキー英語版が製造された[174]。使用された鋼板は、現在の302系あるいは301系に相当する材料であった[175]。ゼファーの成功後は、より加工硬化の程度が強い、クロム17%・ニッケル7%の301系の主材料とした[176]。バッド社のステンレス車両の技術は、後に日本、ブラジル、ポルトガル、オーストラリアなどの世界各国へのライセンスを通じて移転され、特許権満了後は世界中でステンレス車両が造られるようになる[177][178]

その他の国編集

欧州で発明されたステンレス鋼は世界各国へ伝わった。日本へは、文献を通じて、1915年頃にステンレス鋼の情報が伝わったとされる[115]。ステンレス鋼に日本で最初に注目したのは海軍であった[179]。横須賀の工廠でステンレス鋼製の排出弁の試作が行われた[115]。1916年の学術論文誌『鐵と鋼』11号の「雑録」にて、次のような速報が掲載された[180][181]

不錆鋼鐵發明 英國にては装甲自動車創造以來の新發明として永久不錆性の鋼鐵發明せられ旣に火砲閉鎖機の一部に應用せられつゝあり製造額の增すと共に遠からす市場に現はるへく現在の時價一封度五十圓なり。
(不錆鋼鉄発明 英国にては、装甲自動車創造以来の新発明として永久不錆性の鋼鉄発明され、既に火砲閉鎖機の一部に応用されつつあり。製造額の増すと共に遠からず市場に現るべく、現在の時価1ポンド50円なり。)
 
竣工後の大阪朝日ビルの外観(1931年)。1階から3階にかけての外壁腰板にステンレス鋼板が使用された。

1916年、呉の海軍工廠の製鋼部で、潜水艦の部品用として13%クロムのステンレス鋼が試作された[182]。1918年からは、エルー式アーク炉を用いて本格的な生産が始まり、艦載砲の回転盤やタービン翼などに用いられた[183]。官営だった八幡製鉄所および海軍指定工場であった日本特殊鋼でも13%クロムステンレス鋼が試作され、1926年末頃には13%クロムステンレス鋼の生産は国内で賄うことができるようになった[184]。18-8ステンレス鋼については、1928年頃からクルップ社よりV2Aの輸入を開始した[185]。当初は輸入に頼っていた18-8ステンレス鋼も1927年頃には八幡製鉄所で製造されるなど、徐々に日本国内で実用化されるようになった[186]。この頃のステンレス鋼民間利用で特に著名なのが、1931年に竣工された大阪朝日ビルで、厚さ 3 mm 幅 1 m のステンレス鋼板が1階から3階にかけての外装材に使用された[182]。他の新機軸も備えたこの建物は、竣工当時には「日本で最もセンセーショナルな建物」と言われた[187]

スイスでは、スイス軍へナイフ納入を行っていたカール・エルズナー英語版が、1921年に自社でのステンレス鋼製ナイフ製造を開始した。それと同時に、エルズナーは母の名 Victoria(ビクトリア)とフランス語 inoxydable の省略でステンレスを意味する inox(イノックス)を合わせ、自社名をVictorinox(ビクトリノックス)へと改名した[188]

 
サンドビック社製の化学産業用ステンレスコイル管(1937年以前撮影)

スウェーデンでは、アーヴェスタ社スウェーデン語版のオーナーがステンレス鋼発明の重要性を認識すると、ステンレス鋼研究に投資し、イギリスからライセンスを購入した[189]。1924年、アーヴェスタ社はスウェーデンで初めてのクロム系ステンレス鋼生産を開始した[190]。さらに、1925年には、サンドビック社によってステンレス鋼のシームレス管が製造された[190]。これは化学産業での需要を狙ってのものだった[191]

残る2つの基本鋼種の発明編集

現在のステンレス鋼は、前述にオーステナイト系、マルテンサイト系、フェライト系にもう2種類を加えた、5つの種類で大別されている。残る2種類がオーステナイト・フェライト系ステンレス鋼(二相ステンレス鋼)と析出硬化系ステンレス鋼で、3つの鋼種から遅れること20年から30年後に実用化された。

オーステナイト・フェライト系の工業的発明編集

1927年、米国のユニオンカーバイドのE.C.ベインとW.E.グリフィスが、オーステナイト相とフェライト相が併存する組成領域を示した鉄・クロム・ニッケル三元系状態図を初めて報告された[192]。これによると、クロム量が23%から30%、かつニッケル量が1.2%から9.7%でオーステナイト・フェライト二相が現れるということであった[193]。しかし、彼らの報告では、その特性に触れることはなかった[193]

1929年または1930年、スウェーデンで二相ステンレス鋼の鋳造品が製造された[192][194]。実用化したのはアーヴェスタ社スウェーデン語版で、炭素量が多かったオーステナイト系ステンレス鋼で起きていた粒界腐食への対策として開発された[193][194]。これがオーステナイト・フェライト系の最初の製造と考えられている[195]。造られた鋼種は2種類で、"453E"と"453S"と名付けられた[193]。453Eの組成は、クロム20%、ニッケル5%で耐熱用として販売された[115]。453Sの組成は、453Eの組成にモリブデン1%が加わったもので、耐食用として販売された[115]。特に453Sが広く利用されたという[192]

また一方、1933年、フランスでジェイコブ・ホルツァー社フランス語版が二相ステンレス鋼を偶然的に造り出し、その鋼種の対粒界腐食性が高いことを発見した[115]。モリブデン入りのオーステナイト系を製造する際に、誤ってクロムを多量に添加してしまったことが発見のきっかけであった[115]。クロム18%、ニッケル9%、モリブデン2.5%を目標にしたが、クロム20%、ニッケル8%、モリブデン2.5%から成る鋼種が出来上がった[192]。ジェイコブ・ホルツァー社は1935年にこの鋼種を特許出願し、1936年に特許登録された[192][196]。さらに、耐食性を上げるために銅を添加した鋼種も1937年に特許出願している[192][197]

アーヴェスタ社の453Sは、サルファイトパルプのパルプ産業などで使われた[194]。フランスでは、"UR50" という二相ステンレス鋼が売り出され、石油精製、食品産業、パルプ産業、製薬業などで利用された[192]。ただし、当時に発明されたオーステナイト・フェライト系鋼種は良好な特性を持ち、一定の活用はなされたものの、溶接部の熱影響部で靭性と耐食性が低下するという欠点があった[198]。この欠点のため、オーステナイト・フェライト系の利用は当面のあいだ狭い範囲に限られることなる[199]

析出硬化系の工業的発明編集

オーステナイト系18-8ステンレス鋼の耐食性を維持したまま強度をさらに高めたいという欲求をもとに、欧米の鉄鋼業各社はそのような課題に取り組んでいた[200]。1930年頃、18-8ステンレス鋼を基にして、析出硬化と耐食性の関係が調べられた[200]。1929年、ルクセンブルクのウィリアム・クロール英語版がクロールは母材にチタンを添加し、チタン炭化物を析出させて強化した鋼種を製作した[201]。ハロルド・コブは著書で、クロールのこの研究を析出硬化系ステンレス鋼の発見として挙げている[201]。1932年には、クルップ社のR.バスムートが18-8ステンレス鋼にボロンを添加したときの析出硬化現象を調査・報告した[202]。それによると、800℃の時効処理でブリネル硬さ450に達する材料が得られたという[202]。また1933年には、イギリスのモンド・ニッケル・カンパニー英語版のL.B.ファイルとD.G.ジョーンズが、オーステナイト系をベースにしてオーステナイト・フェライト二相組織の鋼種を製作し、それを冷間圧延後に低温焼なましすると硬度が上がることを報告した[203]

その後も析出硬化系に相当する鋼種の研究や特許取得はあったが、析出硬化系を最初に実用化したのは米国のカーネギー・イリノイ・スチール英語版である[204]。カーネギー・イリノイ・スチールが製造したのは、クロム17%、ニッケル7%のオーステナイト系ステンレス鋼にチタンとアルミを添加した鋼種で、常温でマルテンサイト組織を持つ種類の析出硬化系鋼種であった[205]。およそ480℃で時効処理することで高強度を得ることができ、引張り強さはおよそ 1400 MPa が得られた[206][200]。この鋼種の特許が取得されたのは1945年および1946年だったが、第二次世界大戦中にも非公表に使用されていたという[205][200]。1946年、カーネギー・イリノイ・スチールの親会社であったUSスチールが "Stainless W" という名で販売開始し、最初の実用析出硬化系鋼種となった[207]

注記編集

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参照文献編集