ドミニク・フルバティDominik Hrbatý, 1978年1月4日 - )は、スロバキアブラチスラヴァ出身の男子プロテニス選手。4歳年上の同僚カロル・クチェラと並んで、長年にわたりスロバキアのテニス界をリードしてきた選手である。名前の「ドミニク」(Dominik)からついた“Dominator”(支配者)というニックネームを持っている。ATPツアーでシングルス6勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス14位。身長182cm、体重79kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

ドミニク・フルバティ
Dominik Hrbatý
ドミニク・フルバティ
基本情報
愛称 Dominator (支配者)
国籍 スロバキアの旗 スロバキア
出身地 同・ブラチスラヴァ
生年月日 (1978-01-04) 1978年1月4日(46歳)
身長 182cm
体重 79kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1996年
引退年 2014年
ツアー通算 8勝
シングルス 6勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 509勝529敗
シングルス 359勝318敗
ダブルス 150勝211敗
生涯獲得賞金 $7,070,095
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2001・05)
全仏 ベスト4(1999)
全英 3回戦(2004)
全米 ベスト8(2004)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2000・06)
全仏 3回戦(2000・02・06)
全英 ベスト8(2005)
全米 3回戦(2000)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 準優勝(2005)
ホップマン杯 優勝(2005・09)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 12位(2004年10月18日)
ダブルス 14位(2000年11月13日)

選手経歴 編集

フルバティはスキーでも才能のある選手だったが、11歳の時から本格的にテニスに専念するようになった。1996年にプロ入りし、ATP最優秀新人賞を受賞する。1997年全豪オープン4大大会にデビューし、いきなりピート・サンプラスとの4回戦まで勝ち上がった。19歳になったばかりのフルバティは、当時無敵の王者だったサンプラスに7-6, 3-6, 4-6, 6-3, 4-6とフルセットの激戦の末敗れ、若手の新鋭選手として期待を集め始めた。1998年8月にサンマリノ・CEPUオープンマリアノ・プエルタを決勝で破り、ツアー初優勝を果たす。

フルバティの4大大会自己最高成績は、1999年全仏オープンベスト4進出である。この時フルバティは、2回戦で第1シードのエフゲニー・カフェルニコフを破った試合から快進撃を始め、4回戦でマラト・サフィンを、準々決勝ではマルセロ・リオスと強豪選手を連破して勝ち上がった。初めての準決勝ではアンドレ・アガシと対戦し、アガシがセット・カウント2-1とリードした第4セットの途中で、降雨のため試合が翌日に持ち越される。再開された第4セットでフルバティはアガシの前に力尽き、アガシはこの大会の優勝で宿願のキャリア・グランドスラムを達成した。

その後の成績は、2001年全豪オープン2005年全豪オープン2004年全米オープンベスト8進出がある。全米オープンで8強入りした2004年は、男子テニスツアーでも年間3勝を挙げ、年頭の1月にネクストジェネレーション・アデレード国際ハイネケン・オープンでの2週連続優勝があり、2月後半にオープン13でも優勝を飾った。フルバティはオリンピックのスロバキア代表選手としても、2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪2008年北京五輪の3大会連続で出場した。

デビスカップ2005デビスカップスロバキア代表は決勝に初進出を果たす。12月2日-4日にスロバキアの首都ブラチスラヴァクロアチアとの決勝戦が行われたが、フルバティとカロル・クチェラが主力となったスロバキア代表は、マリオ・アンチッチイワン・リュビチッチのコンビが活躍したクロアチア代表に「2勝3敗」で敗れ、デビスカップ初優勝を逃した。この敗戦を最後に、クチェラが現役を引退する。デビスカップ2006では、スロバキアはワールドグループ1回戦でデビスカップチリ代表に敗退した後、残留をかけたワールドグループ・プレーオフでもベルギーに敗れ、ヨーロッパ・アフリカ・ゾーンに転落した。

2007年全米オープンの後、フルバティは右肘の手術に踏み切り、半年間の戦線離脱を余儀なくされる。これにより、現役最多だった4大大会男子シングルス連続出場記録が「44」で途切れた。(4大大会男子シングルスの連続出場最多記録は、ロジャー・フェデラーの「65大会」である。)2008年ウィンブルドン選手権で、フルバティはセンター・コート開幕戦に出場し、前年優勝のロジャー・フェデラーに3-6, 2-6, 2-6で敗れた。ウィンブルドンのセンター・コート開幕戦には1998年にもピート・サンプラスとの対戦がある。

ダブルスではツアーで8度の決勝進出、2度の優勝がある。そのうちの1勝は2000年ローマ・マスターズであげたものである。同じく2000年スイス・インドアの大会ではフェデラーと組んで準優勝。

フルバティは2010年に現役引退を発表した[1]が、2011年にツアー復帰。ATPチャレンジャーツアーを中心に転戦したが、2014年が最後になっている。

ATPツアー決勝進出結果 編集

シングルス: 13回 (6勝7敗) 編集

大会グレード
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-2)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ (6-5)
サーフェス別タイトル
ハード (4-3)
クレー (2-3)
芝 (0-0)
カーペット (0-1)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1997年9月29日   パレルモ クレー   アルベルト・ベラサテギ 4–6, 2–6
優勝 1. 1998年8月10日   サンマリノ クレー   マリアノ・プエルタ 6–2, 7–5
優勝 2. 1999年4月26日   プラハ クレー   スラバ・ドセデル 6–2, 6–2
準優勝 2. 2000年4月17日   モンテカルロ クレー   セドリック・ピオリーン 4–6, 6–7(3), 6–7(6)
準優勝 3. 2000年11月6日   サンクトペテルブルク ハード (室内)   マラト・サフィン 6–2, 4–6, 4–6
準優勝 4. 2000年11月20日   ブライトン ハード (室内)   ティム・ヘンマン 2–6, 2–6
優勝 3. 2001年1月8日   オークランド ハード   フランシスコ・クラベット 6–4, 2–6, 6–3
準優勝 5. 2003年1月6日   オークランド ハード   グスタボ・クエルテン 3–6, 5–7
優勝 4. 2004年1月5日   アデレード ハード   ミカエル・ロドラ 6–4, 6–0
優勝 5. 2004年1月12日   オークランド ハード   ラファエル・ナダル 4–6, 6–2, 7–5
優勝 6. 2004年2月23日   マルセイユ ハード (室内)   ロビン・セーデリング 4–6, 6–4, 6–4
準優勝 6. 2004年5月17日   カサブランカ クレー   サンティアゴ・ベントゥーラ 3–6, 6–1, 4–6
準優勝 7. 2006年11月5日   パリ カーペット (室内)   ニコライ・ダビデンコ 1–6, 2–6, 2–6

ダブルス: 8回 (2勝6敗) 編集

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1997年7月16日   ウマグ クレー   カロル・クチェラ   ディヌ・ペスカリウ
  ダビデ・サンギネッティ
6–7, 4–6
準優勝 2. 1998年8月9日   アムステルダム クレー   カロル・クチェラ   ヤッコ・エルティン
  ポール・ハーフース
3–6, 2–6
準優勝 3. 2000年3月26日   マイアミ ハード   マルティン・ダム   マーク・ウッドフォード
  トッド・ウッドブリッジ
3–6, 4–6
優勝 1. 2000年5月24日   ローマ クレー   マルティン・ダム   エフゲニー・カフェルニコフ
  ウェイン・フェレイラ
6–4, 4–6, 6–3
準優勝 4. 2000年10月8日   香港 ハード   ダーヴィト・プリノジル   ウェイン・ブラック
  ケビン・ウリエット
1–6, 2–6
準優勝 5. 2000年10月29日   バーゼル カーペット (室内)   ロジャー・フェデラー   ドナルド・ジョンソン
  ピート・ノーバル
6–7(11), 6–4, 6–7(4)
優勝 2. 2001年9月16日   タシュケント ハード   ジュリアン・ブテー   エフゲニー・カフェルニコフ
  ウェイン・フェレイラ
6–4, 3–6, [13–11]
準優勝 6. 2004年10月31日   サンクトペテルブルク カーペット (室内)   ヤロスラフ・レビンスキー   アルノー・クレマン
  ミカエル・ロドラ
3–6, 2–6

4大大会シングルス成績 編集

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 通算成績
全豪オープン 4R 1R 1R 1R QF 4R 1R 3R QF 4R 3R A 2R A 22–12
全仏オープン 1R 3R SF 2R 2R 1R 2R 2R 1R 3R 1R 1R LQ LQ 13–12
ウィンブルドン 1R 1R 1R 2R 1R 1R 1R 3R 2R 1R 1R 1R LQ LQ 4–12
全米オープン 1R 2R 1R 4R 2R 3R 2R QF 4R 1R 1R 1R LQ A 15–12

脚注 編集

外部リンク 編集

受賞
先代
  マーク・フィリプーシス
ATP年間最優秀新人賞
1996
次代
  フリアン・アロンソ