ノート:がいし/過去ログ1

最新のコメント:13 年前 | トピック:概要 | 投稿者:Maddestmagician

大変長い議論となりましたので、#概要を一読してからお読みいただいた方が読みやすくなるかと思われます。

改名提案 編集

キックオフ 編集

平仮名だと他のものと間違いやすいので、碍子に改名(漢字に変更)することを提案したいと思います。例えば、「がいし」と読む言葉は他にも色々とあります。--Tc651 (Hitachi-Train) 2009年11月30日 (月) 11:59 (UTC)修正・追記--Tc651 (Hitachi-Train) 2009年11月30日 (月) 13:41 (UTC)

Unit.1 編集

  • 反対。JISでは「がいし」で統一されています。「がいし」と読む言葉は他に芥子(カラシナ)、外姉、外紙、外史、外資、外使等があるが、これらは通常かな書きしないのだから、混同のおそれもない。--Qurren 2009年11月30日 (月) 15:30 (UTC)
(補足)『電気工学ハンドブック 第6版』ISBN 4886860125 では、かな書きで「がいし」。現代の法令でも「がいし」とかな書きするのが普通のようです[1]。--Qurren 2009年12月1日 (火) 14:43 (UTC)
  •   賛成 リダイレクトで飛んできて,ひらがななので違和感を覚えました.混同云々というよりは,そもそも漢語ですので,かな表記を正記事にたてるべきではないと考えます.特に碍の字がないとinsulatorの意が表せない.JISや法令等は単に漢字制限を墨守しているだけです.--Rambler 2009年12月10日 (木) 15:00 (UTC)
Wikipedia:表記ガイドで「専門用語の漢字・平仮名・片仮名のどれを使うかはその分野の慣習に従います」とあります(Wikipedia:表記ガイド#漢字)。また、「学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます」とあります(Wikipedia:表記ガイド#学術用語)。オンライン学術用語集で「がいし」と「碍子」を検索してみると、ヒットするのは「がいし」のみ。記事名は「がいし」とするのが適切なのです。--Qurren 2009年12月12日 (土) 11:23 (UTC)
WP:JPEは「公式な方針ではありません」し「すべての記事に絶対に適用しなければならないものではありません」.だいたい「碍子」は専門用語なのですか?椅子炬燵と同じレベルだと考えますが.--Rambler 2009年12月12日 (土) 12:05 (UTC)誤記修正--rs1421 2009年12月16日 (水) 11:16 (UTC)
「がいし」を椅子や炬燵と同じくらい一般的な用語だとお思いの方がいるとは驚きです。「がいし」は電気工学分野の専門用語だと思っていました。文部科学省や日本建築学会、土木学会、電気学会、JIS、法令が「がいし」という表記を用いているというのに、あえて「碍子」とするだなんて、まったく理解できない。--Qurren 2009年12月12日 (土) 13:52 (UTC)
いやぁ,Qurrenさんが文部科学省とかJISなんかを持出すので.漢字か仮名かを論議する際に,漢字制限を是としている(いた)組織の用語集で例証したって意味ないでしょ.
そもそも電気学会でも土木学会でも「碍子」と表記する人はいますよ.それに碍子博物館だってありますしね.--Rambler 2009年12月13日 (日) 21:03 (UTC)
確かに「碍子」と表記している論文はありますが、少数派ではありませんか[2]。半々もしくは「碍子」が過半数なら考えを変えていたところですが。--Qurren 2009年12月14日 (月) 10:00 (UTC)
よくよく見たら,Qurrenさんは碍子をがいしと改名したこれをやった方ですね.思い入れがあるみたいだから,これ以上話しても無駄かな.土木学会では「がいし」はないみたいですけどね.
例えば「何でがいしっていうの?」「それは先人がinsulatorを碍子と訳してね.ほら,碍は障碍や無碍というように妨げるという意味だから.絶縁の意を伝えるいい訳語だよね」「じゃあ何で碍子って書かないの?」「それはね,...」っていうやり取り,空しくないですか?--Rambler 2009年12月14日 (月) 14:04 (UTC)
弗素をフッ素としたり、射手座をいて座としたり、動植物をカタカナで書いたりといった慣習が各分野にある。記事名はこれらに従うのが基本。電気工学においても「がいし」を「がいし」とひらがなで書く慣習があるのだから、これに従うことに空しさなど微塵も感じない。--Qurren 2009年12月15日 (火) 09:39 (UTC)
  • 意見が合いませんので、Wikipedia:コメント依頼を提出しました。--Qurren 2009年12月15日 (火) 10:11 (UTC)
  • ci.nii.ac.jp で検索するに、「碍子」402 件、「がいし」 456 件。後者には「しょうがいしゃ」「おねがいします」「うかがいしる」なども含みます。用例数に有意な差があるわけではなさそうです。Wikipedia:記事名の付け方が最重視する「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という観点からすれば、「がいし」よりも「碍子」の方が記事名としては望ましいでしょう。逆に、「碍子」ではいけない理由、特に、「碍子」とすることによって失われるものは何かありますか。--Jms 2009年12月15日 (火) 10:38 (UTC)
  •   コメントWikipediaの表記ガイドに従えば『学術用語集』により「がいし」。より広い一般社会のルールから考えると碍子は常用漢字ではない。有力がいしメーカーがウェブサイトにおいてほとんど「がいし」と表記している[3]。以上のような例から「がいし」と表記するのがごく一般的と判断します。表記はより多くの人に伝わるものを選ぶべきですから「がいし」を支持します。--みや1229 2009年12月15日 (火) 12:12 (UTC)
  •   反対 専門用語は教科書的な文献に合わせておいてほしいと考えます。漢字制限の問題は別の話です。--rs1421 2009年12月16日 (水) 11:13 (UTC)
    • 専門用語の定義を教えてください。国語辞典の類に一切掲載されていない様な語、あるいは、半分位にしか収録されていない語、といったところでしょうか。--Jms 2009年12月16日 (水) 12:49 (UTC)
      • それはさすがにないでしょう。日本語版Wikipediaの専門用語の定義は間違っていると思いますが、通常は「ある分野で使用される概念を表す用語で、その分野で公式に合意されているもの。」というようなものでしょう。国語辞典に掲載されるかどうかは、その分野の人が決めることではないので関係ないと思います。反対の主旨は、当事者が公式に「がいし」としているのなら、それを尊重したいということで、どちらの表記方法を支持するかということではありません。--rs1421 2009年12月16日 (水) 14:47 (UTC)
        • 「専門用語」の話と表記の話が混在している気がしますし、その定義だと JIS 規格がある「電気こたつ」も専門用語ということになるかと思いますが、それはさておき。当用漢字ならびに常用漢字を制定した人も、公用文作成の要領上それに従う JIS も、「当事者」とは言い難いのではないでしょうか。--Jms 2009年12月16日 (水) 17:01 (UTC)
          • 「こたつ」は昔からあったもので、JISの名称になったからといって専門用語にはならないでしょう。「当事者とは言い難い」というのは、表記に関してはJISなどの規格決定者に決定権がないので無視すべきということでしょうか。--rs1421 2009年12月18日 (金) 12:11 (UTC)誤記訂正--rs1421 2009年12月18日 (金) 12:13 (UTC)
            • 碍子は電気こたつ以前からありそうですが。「当事者とは言い難い」というのは、規格決定者に規格外での表記を拘束する排他的権限もその意志もない、という意味です。無視すべきかどうかというはまた別の話です。--Jms 2009年12月18日 (金) 12:53 (UTC)
  •   コメント 個人的には、漢字にしておいてもらえるとありがたいです。もともと漢字制限は、書くときの負担を考えたもののはずですが、情報機器の普及で書く負担はほとんど問題にならなくなりました。一方、読むときは漢字の方が読みやすいので、常用漢字の改定でかなり漢字の種類が増やされる見込みであるように、これからは漢字の使用制限の緩和が進むものと思っています。熟語を漢字で、助詞や助動詞、接続詞などをひらがなで書くことによってすんなり読めるようにするのが日本語の漢字かな混じり文の長所だと思っているので、記事を手書きすることがまずありえないウィキペディアにおいて、あえてその利点を捨てる漢字制限をこれからも維持する必要は無いと思います。もっとも、学術用語としてはかなが正式というのが実際でしょうから、賛否ではなくコメントとしておきたいと思います。今回の常用漢字改訂で、要望の強かった「碍」の字を入れておいてくれれば良かったのですけどね--Tam0031 2009年12月16日 (水) 12:55 (UTC)

CiNii (NII論文情報ナビゲータ) を用いた調査 編集

  •   コメント 既出の碍子賛同者です.碍子かがいしかに関してオンライン学術用語集が根拠の一つとされていますが,そもそもオンライン学術用語集に電気工学はないのにお気づきでしょうか.したがってオンライン学術用語集は本件の論拠としては希薄と考えます.また碍子という表記が学術論文に使用されることは既に例証済みです.なおci.nii.ac.jpをgoogleから検索すると碍子は281件がいしは103件です(12月16日現在).「碍子よりがいしが正しい」「碍子よりがいしが慣習」とまでする論拠には乏しいのではと考えます.--Rambler 2009年12月16日 (水) 15:41 (UTC)
    • おかしいですね。CiNiiで検索してみると、「碍子」402件[4]、「がいし( -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし)」437件[5]。Titleで検索すると「碍子」225件[6]、「がいし(同)」375件[7]。検索エンジンとして公式ではなく、あえてgoogleを用いた理由は何でしょうか。電気学会に限るとTitle「碍子」21件[8]、「がいし」166件[9]。電気学会の『電気工学ハンドブック 第6版』は「がいし」。「がいしが正しい」と言った覚えはないけれど、これでもなお電気の分野には「がいし」と表記する慣習があることに疑問を感じますか。--Qurren 2009年12月16日 (水) 16:21 (UTC)
      • google検索に他意はありません.Qurrenさんの検索方法でも碍子は結構あるじゃないですか.電気・土木分野でがいしと表記する人が多数いることに異論はありませんが,碍子と表記する人も多数存在していることも事実ですよね.
        だいたい,検索するのにいちいち( -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし)としなければならないこと自体,がいしは曖昧だということですので事典の記事名としては変じゃないですか.--Rambler 2009年12月17日 (木) 23:32 (UTC)
        • CiNiiで「碍子」と表記している論文は少数派です。電気学会に限ればその傾向は顕著になります。多数派の「がいし」を採用することに何ら不都合はないはずです。NGワード( -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし)を必要とするのは検索ヒット数の比較をするにあたって数字に公平性を持たせるため、CiNiiの検索の仕様上必要なことでした。無関係の論文までヒットしてしまっては、ヒット数の水増しということになってしまいます。これを根拠に「がいしは曖昧だということ」だなんて、何て強引な話の持って行き方なのでしょう。CiNiiとウィキペディアとでは検索の作りが違います。ウィキペディアの検索窓に「がいし」と入力して「表示」ボタンを押せば、迷うことなく「がいし」の項目に行き着けるではありませんか。--Qurren 2009年12月18日 (金) 09:44 (UTC)
            • 402 件と 437 件では、CiNiiで「碍子」と表記している論文は少数派、とは言えないでしょう。表記ゆらぎの選好度とウィキペディアの記事名の関係を調査してみたことがありますが、2:1 程度の差が分岐点でした。それを援用すれば、402 件と 437 件から「がいし」とは言えません。で、再度問いますが、「碍子」ではいけない理由、特に、「碍子」とすることによって失われるものは何かありますか。--Jms 2009年12月18日 (金) 12:53 (UTC)
          • QurrenさんはRamberが強引とおっしゃいますが,そもそも碍子であった記事をQurrenさんが改名提案なしにがいしと改名したのも結構強引だと思いますよ.またがいしを主張する人はどうか「」で括らずに議論してみてくださいよ.この側面,「熟語を漢字で、助詞や助動詞、接続詞などをひらがなで書くことによってすんなり読めるようにするのが日本語の漢字かな混じり文の長所」というTam0031さんの主張に同意です.繰返しで恐縮ですが碍子はそもそも漢語で宛て字でもないのだし漢字表記が自然でしょう.碍子は止めてインシュレータにしようよという議論ならまだ理解できるんですけど(同意はしませんがね).--Rambler 2009年12月20日 (日) 06:35 (UTC)

脇道 - 専門用語なのか 編集

  コメント 参考までにciniiで「碍子 -日本碍子」212件、「がいし -日本碍子 -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし」は405件。うつ病う蝕ろう者とかはもっと差があるけど。あとようせつとか。もっとも意外と子供だったり。--КОЛЯ 会話 2009年12月18日 (金) 15:44 (UTC)

「碍子 -日本碍子」だと、日本碍子の人が書いたものや、たまたま日本碍子にも言及しているものはすべて排除されますね。「碍子 -がいし -看護」で 363 件、そのうち著者所属に「碍子」を含むものは 48 件。「がいし -碍子 -看護 -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし」で 400 件、「がいし -看護 -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし」だと 436 件。「がいし 碍子 -看護 -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし」だと 37 件 (1件あわない…)。--Jms 2009年12月18日 (金) 16:24 (UTC)
    • 「がいし」は電気分野でしか使われない部材であり、一般の方の多くは「がいし」に触れる機会がないから「がいし」をご存じないと考えていました。だから「がいし」が電気分野の専門用語であると当然のように思っていました。しかし、そうではないとお考えの方もいるようで、面食らっています。ウィキペディアが「碍子」とすることで、多くの文献や教科書、JIS、法令と隔たりが生じてしまいます。その隔たりをあえて設ける必要はないはずです。弗素をフッ素としたり、射手座をいて座としたり、大根をダイコンとしたり、犬をイヌとしたり、鬱病をうつ病とするのは認められるのに、「がいし」は認められないなんて不自然。CiNiiの検索ヒット数で大差がないというなら、思い切って電気学会に限って比較してみてはどうですか。--Qurren 2009年12月19日 (土) 01:17 (UTC)
      • たとえば、第二次世界大戦あたりの物資が不足している時期に、碍子から硫黄を取り出して生活に利用することがあった、などというのは割とよく知られた話だと思います。その意味で、電気分野の専門用語、というのは妥当とは言えないでしょう。「がいし」とすることで「碍子」と表記している文献とは隔たりが生じます。それに対して、JIS、法令、JIS 由来であろう教科書での表記を基準として採用する、という立場は、公用文作成の要領を百科事典にも適用する、という立場であり、それは常用漢字の想定していることではありません。--Jms 2009年12月19日 (土) 04:54 (UTC)
        • 戦時中に資材不足から寺の鐘を供出させられたという話は知っていましたが、がいしから硫黄を取り出していたなんて初耳です。がいしの磁器部分と金属部分とを接合するために使う硫黄を取り出していたということですか[10]。割とよく知られた話なのか非常に疑わしいです。がいし本来の使い方とかけ離れたトリビア的エピソードなど、電気分野の専門用語であることを否定する根拠になりません。--Qurren 2009年12月19日 (土) 13:50 (UTC)
          • ご存知ないからといって、それをもって電気分野だけの専門用語 (定義?) だ、他の人は使わない、ということにはならないでしょう。碍子は詩や俳句など文学のモチーフとしても登場する様です、漢字で。 碍子は電気分野の専門用語である (他では決して使わない)、という主張は、電柱、鉄塔、電線も専門用語だ、というのと同じ様に思えます。たとえば三相交流といった具合に、目に見えない対象を専門用語だというのならまだわからなくはありませんが、碍子製の電球ソケットなぞそれこそ広く使われていましたし (もちろん今でもありますが)。--Jms 2009年12月19日 (土) 14:58 (UTC)
        • 今問題になっていることは記事名に常用漢字外の漢字を使ってよいか否かではなかったはずです。問題は碍子・がいしを項目名として立てる場合に電気工学の専門用語として見なすべきか否かでしょう。或いはどの分野の専門用語・業界用語であるかを中心に考えて記事を考えるかでしょう。ある用語が日常会話や歴史記述に出てきたからといって専門用語でないことにはならないでしょう。肝臓民主主義などは専門用語だと思います。電気こたつも家電業界では業界用語として流通しているはずのもので、もし記事を書くなら家電業界の用語として考えるのを第一に考えるべきものだと思います。なお常用漢字は「一般の社会生活」をも規制しますが「科学,技術,芸術その他の各種専門分野」と固有名詞は規制の対象外です。Wikipedia日本語版はJIS第一第二水準の漢字は原則使えることにしています。例外は同じ文字種の中で字体の相違しかない場合(亜と亞のように)にのみ常用漢字表の字体を使うというわけです。「教科書」は学術専門分野ですから常用漢字の規制は受けません。その学界で独自に基準を決めたり学界の慣習で決まったりするものです。--КОЛЯ 会話 2009年12月19日 (土) 15:24 (UTC)
          • 専門用語であるから「がいし」と表記すべきだ、というのが唯一の論拠であって、その論でゆけば専門用語かどうかという点だけが論点かと思います。そして、専門用語というのは何か、という基準は明確ではありません。肝臓や民主主義が専門用語だ、というのはわたくしにはそうは思えません。新聞に解説なく登場する語は専門用語とは言い難いでしょう。さて、専門用語かどうかという論点はひとまずおくとして、記事の内部の表記で「がいし」と仮名書きするのと「碍子」と漢字書きするのではどちらが読みやすいでしょうか。「がいし」という専門分野での表記に慣れている方には「がいし」で問題ないでしょうが、一般的読者にとっては「碍子」と漢字表記の方が読みやすいかと思います (「碍」が常用漢字でないから読めない、などという論は御勘弁)。もし、文中の表現を「碍子」を主とする様にし、付記として「JIS では仮名書きである」といった主旨の事を述べるとしたら、記事名は「碍子」と「がいし」どちらが望ましいでしょうか。と、Wikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことを見ると、「特に音読みの部分はできるだけ漢字を用いて表現しましょう」とありました。--Jms 2009年12月19日 (土) 22:26 (UTC) 一部修正 --Jms 2009年12月19日 (土) 23:24 (UTC)
          • さらに考えるに。専門用語であるかどうか、専門用語とみなすかどうか、という問題設定自体が問題なのではないでしょうか。ある語について複数の表記 X と Y があり、ある分野ではそのうち X が主として用いられている、その場合、記事名としては X と Y のどちらが適切か、というのがあるべき設問だと思います。ここには、X が専門用語であるかどうか、というのは関係してきません。専門分野で X と書いたり、正式名称が X であっても、世の中一般で Y と書くなら、Y でしょう。たとえばイギリスワンセグはそうした例です。そう考えると結局のところWikipedia:記事名の付け方冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」が効いてきて、X と Y のどちらが曖昧さが低く、より理解しやすいか、という論点になろうかと思います。--Jms 2009年12月19日 (土) 23:24 (UTC)

特許・実用新案公報DBを用いた調査 編集

それはさすがに…。「詳細検索」で、技術用語に「がいし」を含むもの 273 件 (中には「うがいし易い」などというのもありましたが)、「碍子」を含むもの 3019 件でした。両方を含むものは 2 件ありました。--Jms 2009年12月20日 (日) 07:45 (UTC)
      • 改名賛成派の皆さまは「碍子」という表記が、さも一般に広く用いられているような認識をお持ちのようで、「一般的読者にとっては『碍子』と漢字表記の方が読みやすい」と言いますが、果たしてその根拠が何であるかがさっぱり見えてきません。戦時中トリビアの次は、がいしをモチーフとした文学ですか。こういうものは文学的表現上「碍子」とするものであって、学術的知見に基づくものではないでしょう。そもそも、こうしたものが一般的に広く知れ渡っているなんて思えません。電球のソケットにしても、「碍子製」[11]ではなく「磁器製」[12]と言うのが一般的のようです。「ガイシ製」[13]もそこそこ多いですが。Wikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことに「音読みの部分はできるだけ漢字を用いて表現しましょう」とありますが、「できるだけ」と言う言葉が用いられています。だからこそ、ダイコンアンコウうつ病といった記事名が存在しうるのでしょう。また、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことには「よく使われる略称、別名、別表記などは記事名に使うのではなく、正式な記事名へのリダイレクト(転送)ページにしましょう」とあります。自分は「碍子」を「よく使われる別表記」と見なしています。ところで、英語の "insulator" ですが、がいしを含む絶縁体のことですから、「碍子は止めてインシュレータにしよう」という議論には自分も同意しかねます。--Qurren 2009年12月21日 (月) 14:17 (UTC)
        • 専門用語かどうかという点については未だに専門用語の明確な定義が示されていませんし、JIS 規格は正式名称を定めるものではない (JIS ではこう表記する、という事に過ぎない) ので、結局はがいしと碍子どちらが読みやすいか、という問題が残るでしょう。日頃がいしという表記に接していない人々にとって、ひらがなでがいしとかくより、漢字仮名を用いて碍子と書く方が読みやすい (鈎括弧などの助けを借りずとも区別がつく)、というのはよろしいでしょうか。--Jms 2009年12月21日 (月) 14:28 (UTC)
          • それはがいしはだめだがガイシならいいという意味ですか。正直Jmsさんが議論をどう持って行きたいのかよくわかりません。業界の慣習よりもWikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことの「特に音読みの部分はできるだけ漢字を用いて表現しましょう」を優先しましょうというのならまだわかります。--КОЛЯ 会話 2009年12月21日 (月) 15:56 (UTC)
            • ガイシならまだしも (といってもそう表記するのはそう多くはないと思いますが)、がいしでは読みにくい、という事実はあるでしょう。記事名の問題以前に、記事内での表記について、日頃から平仮名表記のがいしに接している人を別にすれば、がいしよりは碍子の方が読みやすいでしょうし、鈎括弧つきの「がいし」よりは碍子の方がやはり読みやすいでしょう。それも踏まえた上で、記事名はどうあるべきかを考える方が議論の道筋がはっきりするのではないか、ということです。専門用語かどうか、JIS 規格がどう表記しているか、といったことよりも、記事の読みやすさを優先すべきであり、その結果自ずと決まることがあるでしょう。--Jms 2009年12月21日 (月) 16:17 (UTC)
              • 私は中立の立場で傍観しておりますが、読み易さで記事名を決める事、その一点には反対いたします。「はんだ」や「めっき」も同様なことを言われるのではと危機感を感じます。--M abe 2009年12月21日 (月) 22:51 (UTC)
                • 記事内での表記と、記事名は分離してお考えください。碍子の場合、記事内での表記を「碍子」主体とし、記事名は「がいし」とする、というのも一つの落としどころとしてはありえるでしょう。その際には当該記事を参照する記事 (いわゆるリンク元) での表記の多寡が考慮の対象となるかと思います。はんだの場合比較的よく見かける「半田」は地名との混同があり得ますし、それに比べ「盤陀」の用例はずっと少ないので、同様の議論は起こりにくいでしょう。ci.nii.ac.jp で検索すると「めっき」6685 件、「鍍金」1091 件ですから、めっきにこの議論が波及することはないでしょう。ちなみに同 ci.nii で「はんだ」3307 件、「ハンダ」338 件、「半田」については人名が多数該当するので調べていませんが、「はんだ付け」519 件「ハンダ付け」104 件に対し「半田付け」29 件なので推して知るべしでしょう。これら検索結果からしても、「がいし」と、「はんだ」や「めっき」とでは事情が異なり、はんだやめっきへの波及は杞憂かと思います。--Jms 2009年12月21日 (月) 23:19 (UTC)
        • Qurrenさんが「半々もしくは「碍子」が過半数なら考えを変えていたところです」とおっしゃっていたので,特許という専門分野として比較的正式と考えられる場で「碍子ががいしよりも広く用いられている」ことを例証してみたのですが,考えは変えないのですかね? Rambler自身の論点は世間での多寡に依っているわけではなく「漢語は漢字で書け,漢語がいやなら別の語を使え」なので,がいしこそ「よく使われる別表記」だと思いますが.
          あと「改名賛成派」とおっしゃいますが正確には「復旧派」かな. Qurrenさんが改名した前に戻すだけですから.--Rambler 2009年12月23日 (水) 13:29 (UTC)

脇道 - トップメーカーの表記法を参考にすること 編集

  • 横やり入れますが、以前この記事を見たことがありますが、ひらがなになっており、違和感を持ちました。そもそも碍子という言葉は碍げるものだから碍子ではないでしょうか。ひらがなの「がい」にそのような意味はありませんので、わかりずらいのではないかと思います。また、正式名称が別であっても、冒頭に書いてあれば十分で、記事名は曖昧さが無い感じのほうが良く感じます。--218.231.109.198 2009年12月23日 (水) 00:16 (UTC)
  • 読みやすさは主観が入りますからそれらの食い違いは埋められないと思います。それより客観的に確認できる事実に基づいて考えた方がよいと思います。おそらく常用漢字表に従って「がいし」トップメーカーの日本ガイシのウェブサイトでは固有名詞以外は「がいし」と表記されています。これが一般的な表記のスタンダードだと考えてよいと思います。--みや1229 2009年12月23日 (水) 15:24 (UTC)
    • それを敷衍すると、市販されるものの一般名についてはトップメーカーのウェブサイトでの表記を採用すべきだという事になりますが、そういう理解でよろしいでしょうか。--Jms 2009年12月23日 (水) 18:04 (UTC)
      • 違います。日本ガイシのウェブサイトの表記状況に基づいた見解しか述べておりません。そもそも、ここは「がいし」についての議論ですのでそれ以外の用語について議論する意図はありません。話題を拡散させるのはご遠慮願います。--みや1229 2009年12月23日 (水) 18:59 (UTC)
        • 碍子について「だけ」そういう基準を採用するのは、それなりの理由が必要でしょう。そうした理由がなければ、かかる基準は採用すべきではないでしょう。--Jms 2009年12月23日 (水) 21:46 (UTC)
          • 日本ガイシは「がいし」のシェア世界一だからその動向は業界標準に強く影響するだろうという判断です。--みや1229 2009年12月24日 (木) 02:33 (UTC)
            • 同様の、しかし明らかに困る例がないかと思って考えているのですが、なかなか見つからないので、メタな議論で。人々の用例の多寡に対してシェアという販売数ないし販売金額の多寡を優先する理由は何でしょうか。--Jms 2009年12月24日 (木) 11:09 (UTC)
              • 業界や学会への影響力が強いという判断です。--みや1229 2009年12月24日 (木) 16:39 (UTC)
                • それならば JIS が「がいし」だから、で十分ですし、またおそらく JIS が「がいし」としていることが日本ガイシが「がいし」を用いている直接的理由でしょう。トップメーカーを持ち出す必要性はありません。--Jms 2009年12月24日 (木) 19:54 (UTC)
                  • 日本ガイシが「がいし」を用いている理由を問われているわけではありません(Jmsさんは人々の用例の多寡に対して・・・と問うたのをお忘れか?)。トップメーカーの使用は社会一般の表記に影響するということです。--みや1229 2009年12月25日 (金) 12:23 (UTC)
                    • 人々の用例の多寡に影響する要因のうち、トップメーカーの表記だけをとりたてて根拠とする理由はない、ということですね。--Jms 2009年12月25日 (金) 16:03 (UTC)
                      • 僕とJmsさんでは意見が異なるということですね。--みや1229 2009年12月25日 (金) 17:26 (UTC)
                        • そうですね。JIS で「がいし」としているから、という理由と、トップメーカーが「がいし」としているから、という理由、どちらがより受け入れ易くまた汎用性があるか、どちらがより根本的か、という点で意見が違うのでしょう。--Jms 2009年12月25日 (金) 17:30 (UTC)

『学術用語集 電気工学編』の例言 編集

『学術用語集 電気工学編』ですが、オンライン化されていませんでしたので、書籍の方(増訂2版)で確認したところ、「がいし」と表記されていました。なお、学術用語集における常用漢字表にない漢字の扱いは以下の通りでした。

7. 常用漢字表にない漢字でも,電気工学用語専門委員会において,学術用語の中で使いたいものとして,次の漢字を選び,用語が適切に表記される場合には,これらの漢字を使って表記した。
(ア)用語にそのまま用いたもの
窩 冶 (2字)
(イ)制定用語ではないが、用語を仮名書きにすると分かりにくい場合に,その漢字を括弧〖 〗に入れて付記したもの
迂 梯 輻 輳 (4字) — 『学術用語集 電気工学編 増訂2版』の「例言」より引用

つまり、「がいし」という表記は電気の分野における学術用語として採用されており、かな書きしたところで曖昧であるとは見なされていません。あなた方の言われる曖昧だという意見は結局、あなた方の主観でしかないということです。「学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます」という表記ガイドに従い、やはり「がいし」とするのが適切なのです。--Qurren 2009年12月24日 (木) 09:42 (UTC)

その論でゆくなら、曖昧でない、というのもまた主観でしかないということになりますね。ひらがなですべてかいたぶんと仮名漢字を適宜織り交ぜた文、どちらが分かり易いかというのは漢字制限という方向性がなかなか受容されないことからも明らかだと思いますし、織り交ぜ具合にこそ妙味があるというのは「熟語を漢字で、助詞や助動詞、接続詞などをひらがなで書くことによってすんなり読めるようにするのが日本語の漢字かな混じり文の長所」という Tam0031さんの御指摘の通りだと思います。表記ガイドは、そこに述べられている通り、「原則として」であり、碍子については原則に従うことが適当とは言えないのではないかというのが用例の多寡から指摘されているわけです。--Jms 2009年12月24日 (木) 11:09 (UTC)
「原則として」は特段の状況がある場合にのみに適用すべきであって、「学術用語集」が採用し、かつ社会一般でも「碍子」が圧倒的に使用されている状況がない以上表記ガイドの原則から外れるべき状況ではないと考えます。--みや1229 2009年12月25日 (金) 17:44 (UTC)
専門用語と言えるかどうかで意見の一致を見ないのですから、学術用語に関する表記の規程を適用するかどうかは自明ではありません。また、既に挙げられている平仮名表記の難点と、「がいし」と「碍子」の用例に大差がないというのは特段の状況にあたり得るでしょう。たとえば日本ガイシはその[一般向け説明]で鈎括弧つきの「がいし」を用いています。当該記事の主たる読者は碍子について全く知らないか、またはより詳しく知りたいが専門書を参照する程ではない、といった層でしょうから、「熟語を漢字で、助詞や助動詞、接続詞などをひらがなで書くことによってすんなり読めるようにするのが日本語の漢字かな混じり文の長所」(Tam0031 20091216T1255Z) を活かして「碍子」とする方が良いでしょう。「碍子」とすることで失われることというのがない (JIS 等では平仮名表記であることを文中で明記すれば足りる) にもかかわらず、日本語のもつ読みやすさを捨ててまで「がいし」とすることはないでしょう。--Jms 2009年12月25日 (金) 22:26 (UTC)
常用漢字表にない漢字=世間一般で用いられない漢字を用いることで、誰でもすんなり読めるようになるなんて、とても考えられませんし、主たる読者を「碍子について全く知らないか、またはより詳しく知りたいが専門書を参照する程ではない」層と見込むなんて勝手もいいとこ。じゃあ、この層が記事を読んでさらなる興味を持ち、いざ電気の教科書を開いたら、彼らは表記の違いをどう受け止めるでしょうか。きっと、違和感を感じるでしょう。もしかしたら、ウィキペディアに少しでも寄せていた信頼を失ってしまうかもしれません。自分はそれを非常に恐れています。--Qurren 2009年12月26日 (土) 01:39 (UTC)
「常用漢字表にない漢字=世間一般で用いられない漢字」という前提は成立しないでしょう。たとえば「岡山」など、常用漢字範囲外だが世間一般で用いられている漢字は少なからず存在します。「碍子」というのが誰でもすんなり読めるとは考えられないなら、かつてそうであった様に冒頭で括弧に読み仮名を入れておけばよいことです。主たる読者の想定は、百科事典の存在意義から考えて妥当だと思います。記事内で JIS ではがいしと表記することが述べられていれば百科事典の項目としては十分であり、電気の教科書との間で違和感を感ずるかどうかは人それぞれでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 01:51 (UTC)

常用漢字表の扱い 編集

もう一言だけいわせていただきます。時々常用漢字基準に物事を考える人もいるのですが、それは間違いです。常用漢字を見ていただければわかりますが、今見直しが図られていますし、最近では、新聞でも常用外の漢字が、使われるようになりました。ですので、常用外だから読みやすい読みづらいは語れません。 また、前のコメントで述べた違和感について補足しておきますと、「広辞苑」(第五版)との不一致です。「広辞苑」には、「碍子」と見出しにありましたので。また、「明鏡国語辞典」にも、「碍子」と書いてあります。こんなもの専門用語集ではないから参考にならないと言われそうですが、一般的ということを考えるには参考になると思います。加えて、この手の話では、現在までの国語政策について書いてある国語国字問題は見ておく価値はあるかもしれません。 。 --218.231.177.10 2009年12月26日 (土) 03:01 (UTC)218.231.109.198と同一人物)

常用漢字表は公的に推奨されているルールですから簡単に逸脱すべきではありません。国語政策うんぬんについては決定してから従えばよい。--みや1229 2009年12月26日 (土) 05:10 (UTC)
常用漢字表前書きをお読みの上での御意見でしょうか。--Jms 2009年12月26日 (土) 05:19 (UTC)
常用・常用外問わず、見出し語の漢字表記が示されるのは広辞苑に限らず普通の国語事典であれば当然のことでしょう。「不一致」の意味がわかりません。新聞では「碍」の字が頻繁に用いられているとでも言うのでしょうか。人名や地名によく用いられる「岡」の字と、せいぜい「碍子」や「障碍」程度にしか用いられない「碍」の字とを同程度に捉えるのは無理があるというもの。学術界標準の「がいし」であれば、それこそ老若男女問わず読めるでしょう。それで読みにくいというなら、本文中に「がいし」という言葉をできるだけ用いないようにします。--Qurren 2009年12月26日 (土) 07:45 (UTC)(修正)--Qurren 2009年12月26日 (土) 08:01 (UTC)
「岡」の字は「常用漢字表にない漢字=世間一般で用いられない漢字」という主張に対する反例であって、「碍」の字と使用頻度が同じであるという主張をしてはおりません。新聞での用字を百科事典の基準とすることが妥当であるという合意は少なくともウィキペディアにおいては存在しないので、新聞用事も単独では基準とはならないでしょう。学術界標準の「がいし」というのは、そうしている学会もあるというだけであって、分野によっては「碍子」も同様に使われており、特許ではむしろ「碍子」の用例の方が多いことも既に示されています。論点は「碍子」という文字が読めるかどうかということではなく、平仮名で「がいし」と一律表記してしまうと折角の「熟語を漢字で、助詞や助動詞、接続詞などをひらがなで書くことによってすんなり読めるようにするのが日本語の漢字かな混じり文の長所」が損なわれるという点で、文字としてではなく文として読みにくいということです。--Jms 2009年12月26日 (土) 08:07 (UTC)
「碍子」という表記が学術界で全く用いられないわけではありませんが、学術界の標準はあくまで「がいし」であることは、『学術用語集』電気工学編・建築学編・土木工学編を見れば明らか。特許申請において「碍子」という表記が多いのは事実だから認めますが、これだけを引き合いに出されても。ウィキペディアと「電気の教科書との間で違和感を感ずるかどうかは人それぞれ」ならば、読みやすいか否かを感じるのも人それぞれということで。大丈夫、読みにくいという意見に配慮して、本文中には「がいし」という言葉をあまり用いないようにするから。--Qurren 2009年12月26日 (土) 08:31 (UTC)
用例の多寡からすれば、仮名表記こそが学術界の標準であるとまでは言えないでしょう。『学術用語集』電気工学編・建築学編・土木工学編にそう書いてあるというのは事実でしょうが。学術文献での用例調査から分かっていることは、電気学会に限定すると「がいし」が優位だが、他分野の学術文献まで含めるとそうはいえない、ということでしょう。「がいし」という言葉を使わない、というよりは、読みにくい場合には「碍子」と表記する方が適切な対応かと思います。たとえば見出しで「懸垂がいし」となっていても、読みにくいとはさほど思いません。一方、「高電圧ががいしに掛かる」や「数十個のがいしを連ねて」というのは「高電圧が碍子に掛かる」や「数十個の碍子を連ねて」と表記する方が読みやすいでしょう。「金属端子をがいしの両端につけ」というのは「を」で始まる表記が現代文では用いられないことから少しはましなのですが、これもやはり「金属端子を碍子の両端につけ」などとする方が読みやすいでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 08:45 (UTC)
本文中においてひらがなでは読みにくいのなら括弧をつければよいだけの話。--みや1229 2009年12月26日 (土) 08:54 (UTC)
それはさすがに一般的スタイルからは逸脱しているのではないでしょうか。Wikipedia:表記ガイド#かぎ括弧では「特に地の文と分けたい言葉」も挙げてはいますが、紛らわしい部分だけ高電圧が「がいし」に掛かるとすると鈎括弧のついていない仮名表記の碍子とは何か違う特別の碍子だと受け取られかねません。かといって、節見出しも含めてすべて「がいし」と鈎括弧つきにするのもおかしなものでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 09:03 (UTC)
それを言い出すと広く使われている「がいし」と「碍子」とは別物なのかと受け取られかねませんよ。そもそもそんなことを議論して結論を出せるほど我々は電気工学の分野について造詣が深いわけではありません。ここは素直に『学術用語集』という公的な標準に従うのがふさわしい対応だと考えます。--みや1229 2009年12月26日 (土) 10:30 (UTC)
なぜでしょう、本文中に鈎括弧つきの「がいし」と鈎括弧なしのがいしが混在していたら、なにか意味があって鈎括弧を用いて区別しているのではないかと受け取られかねないと言っているのであって、仮名表記と漢字表記を比較している訳ではありません。漢字表記と仮名表記の用いられ方は分野によって違う (たとえば、鉄道分野では、JIS では平仮名表記ですが、漢字表記も普通に用いられています) のですから、用例の多寡を考慮せずに『学術用語集』を唯一の拠り所とするのは妥当とは言えないでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 10:48 (UTC)
括弧表記は臨機応変に編集すればよい。かな表記が標準の用語なんていくらでもあるのだから。次に『学術用語集』を唯一の拠り所とはしていませんよ。「がいし」が法令、JISなど公的な文章つまりそれは一般に大きな影響力がある場所でも使用されていることも本改定案を否定する理由になります。逆に「碍子」にはそのような有力な使用例はないでしょう。--みや1229 2009年12月26日 (土) 11:11 (UTC)
どうもこちらの申し上げていることが通じていない様です。臨機応変に括弧表記を用いることが問題だと言っているのです。常用漢字表の前文もお読みいただけていないのではないかと危惧します。特許では「碍子」の使用例の方が多いことは既に指摘されていますし、特許権は国が公的に付与するものです。--Jms 2009年12月26日 (土) 11:30 (UTC)
特許電子図書館初心者向け検索の対象は弁理士が自由に記載できるため公的な使用例とは言えません。--みや1229 2009年12月26日 (土) 11:51 (UTC)
法的権利保護はその記載に基づいて行われます。「碍子」と書かれて「がいし」と書かれていないから権利が保護されないということはありません (たぬき・むじな事件の様にはならない)。みや1229さんの仰る「公的な使用」というのは公用文作成の要領の対象ことではないでしょうか。そこには百科事典は含まれません。--Jms 2009年12月26日 (土) 12:44 (UTC)

漢字表記か仮名表記か 編集

(インデント戻す)いずれにせよ使用例が局所的であり「碍子」が一般に広く使用されている状況は示されていないと判断します。--みや1229 2009年12月26日 (土) 13:28 (UTC)

それは仮名表記についても同様です。漢字表記、仮名表記、いずれの用例数にも全体としては顕著な差がないところが「はんだ」や「めっき」との違いです。--Jms 2009年12月26日 (土) 13:32 (UTC)
漢字表記、仮名表記、いずれの用例数にも全体としては顕著な差がないということは表記ガイドの原則から外れなければいけない状況ではないということです。--みや1229 2009年12月26日 (土) 14:14 (UTC)
それについてはかつて表記ゆらぎの選好度と記事名の関係を調査した結果を既に挙げました。原則を堅持しなければならない場合にはあたらないでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 17:02 (UTC)
表記ガイドの原則を変えるには誰がみても「碍子」の方が多く使用されている状況が必要ですが、そのような調査が必要ならそうではないのでしょう。--みや1229 2009年12月26日 (土) 17:40 (UTC)
特許を別とすれば、漢字表記、平仮名表記いずれも優位とは言い難く、従って原則を適用するのが妥当とは言えないでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 17:56 (UTC)
特許検索で「碍子」の顕著な優位が見られ、cinii論文名検索で「がいし」の多少の優位が見られたということです。なおciniiでは電気工学以外の分野を含めても「がいし」6割強にはなるでしょう。相変わらずJmsさんの論理がわからないのですが、ひらがな表記が顕著に多用されていればひらがなでも我慢するということですか。本当に読みにくいのであれば世間で多用されていようが読みにくさは変わらないですよね。--КОЛЯ 会話 2009年12月26日 (土) 17:45 (UTC)
437 / (437 + 402) = 52%、400 / (400 + 363) = 52.4%、いずれも 6 割に達しません。本当に読みにくいのであれば、ひらがな表記が顕著に多用されることはそもそもないでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 17:56 (UTC)
論文名検索と言っています。なお固有名詞は別に考えるべきだと思います。--КОЛЯ 会話 2009年12月26日 (土) 18:19 (UTC)
本文中で碍子ないし「がいし」への言及があり、かつ、論文名に碍子、「がいし」いずれも登場しない論文もあるので、用例調査を論文名だけによるのは問題があると思います。固有名詞を別扱いするのはもちろんですが、「碍子 -日本碍子」では、碍子について漢字表記で言及し、かつ、日本碍子という文字列が含まれる文献まで排除してしまうので、その割合がどれくらいあるかを検証しないと採用できないでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 21:54 (UTC)
ciniiは多くの論文を収録しているものの理由不明の漏れもありますが、手軽に調べる分には使える範囲でしょう。但し論文名以外の内容本文がヒットする論文は限られ、偏りのおそれが排除できません。数を比較するには危険が残るでしょう。なお論文名検索で「がいし」389件、「碍子」225件ヒットしますが、「がいし」には15件の「ゴミ」が見られ、374件となります。上でQurrenさんの検索結果と一致してますのでだいぶ信頼できる数値かと思います。一方「碍子」にはいくつかの固有名詞が含まれ、「日本碍子」「新韓碍子」「碍子博物館」、それから通称のようですが「碍子試験所」、合わせて18件を除いておくと207件となります。こちらは除外漏れもあるかもしれません。なお「日立碍子型制弧遮断器」は「日立碍子」という会社が確認できませんので、日立で作っている「碍子型制弧遮断器」という普通名詞と判断しました。「がいし」「碍子」両方含まれるものは2件ヒットし、うち「碍子(がいし)」は「碍子」の例と考えるべきであり、「碍子博物館と碍子の歴史-8完-鉄道用がいし,ケ-ブルヘッド用がい管」は両方から除いておくことにすると、「がいし」372件、「碍子」206件、総数578、「がいし」が少なくとも64.3%はヒットしています。もっともciniiには同じ論文がちょっとした表記の違いで複数掲載されていることがよくあります。論文名でソートして見つけるだけ見つけたのが「がいし」49件、「碍子」17件(既に除いたもの以外)です。見落としがあるかと思いますが、ともあれこれらを除くと「がいし」323件、「碍子」189件、総数512件で「がいし」約63.1パーセントとなります。--КОЛЯ 会話 2009年12月27日 (日) 01:40 (UTC)
詳細解説ありがとうございます。明らかに碍子を主題とする論文で 6 割超、碍子に言及している可能性のある論文でも 5 割超が「がいし」表記であり、いずれにせよ「碍子」は半数未満という事からは記事名を「碍子」にすべき、とまでは言えないと思います。下に述べたリンク元数や、JIS が「がいし」としていること、文中の表現と異なり項目名については仮名表記で読みにくいということはないことなどから総合的に判断して、記事名は「がいし」のまま、本文中にある漢字にした方が読みやすい表記は「碍子」に改め、記事冒頭で「JIS や『学術用語集』では「がいし」と表記されるが、本項では読みやすさに配慮して漢字表記も用いる」と断っておくあたりが現実的かと思います。本項では云々は脚注でも構いませんが、JIS では平仮名表記であることは本文中で明示しておく方が良いと思います。--Jms 2009年12月27日 (日) 02:20 (UTC)

碍子の正式名称は飽くまで「碍子」であって、それを大人の事情(文部省だか当用漢字だかの都合)で「がいし」と表記しているだけなのだから記事名が碍子なのは妥当だと考えます。なお、碍子は専門用語ではないでしょう。特定専門分野において用いる「モノ」の名称なだけで、同じ「モノ」を指す時には日常生活でも用いるわけですから。日常生活で用いる場合に一般的な他の呼び方があるのであれば、それは専門用語かも知れませんが。専門分野の話題でのみ有用な意味(=差異)を持つ用語が専門用語です。世界最狂の魔法使いCray-G 2009年12月26日 (土) 15:23 (UTC)

「正式名称は飽くまで『碍子』」について出典を明記してください。--Qurren 2009年12月26日 (土) 15:34 (UTC)
足を揚げたら早速取られてしまいました。確かに出典を探すのは難しいでしょうね、正式名称という言い方は訂正しましょう。ですが、公文書においては大人の事情で「碍子」と表記出来ないから「がいし」と表記しているだけなわけですから、正式名称ではないにせよ「不明な正式名称」に代替するには、少なくとも「がいし」よりは「碍子」の方が妥当だと判断出来ます。まさかこれにまで検証可能性に疑いがあるから出典を出せとか言いませんよね?
世界最狂の魔法使いCray-G 2009年12月28日 (月) 07:24 (UTC)

Wikipedia:記事名の付け方の求めるリンクしやすさの参考になるかと、リンク元での表記を調べてみました。リダイレクト記事は除きましたが、用語一覧記事 2 件 (いずれも平仮名表記) は含まれています。集電装置は記事中では[[碍子]]ですが、見出しでは「碍子 (がいし)」であり、更に詳細は「[[がいし]]」を参照もありましたが、リンクに基づき[[碍子]]としてのみカウントしました。

  • [[碍子]] 13 件
  • [[碍子]] (がいし) 1 件
  • [[がいし|碍子]] 8 件
  • 碍子 ([[がいし]]) 2 件
  • [[がいし]] 26 件
  • 合計 50 件

でした。平仮名表記の割合は単純計算で 26 / 50 = 52%、両方を用いている 1 + 2 = 3 件を別にすると 26 / (26 + 13 + 8) = 55%、両方併記を含めて (26 + 3) / 50 = 58% であり、cinii での検索結果と大差ありませんでした。リンクのしやすさという観点では漢字表記、平仮名表記で特に優劣はないと言えるでしょう。--Jms 2009年12月26日 (土) 23:57 (UTC)

  •   賛成  外資、外史、外紙など、碍子以外にも「がいし」と読む熟語があり、「がいし」は項目名として一意ではありません。常用漢字外だったとしても国語辞典に普通に載っているので、項目名としても「碍子」が良いでしょう。--miya 2009年12月27日 (日) 06:57 (UTC)
  •   賛成  コメント依頼から来ました。私も項目名、本文とも漢字表記を支持します。「碍子」は漢語であって当て字ではない(=正式な記述である)こと、miyaさんがおっしゃるように、ひらがな表記では一意ではないことが主な理由の他に、その方が圧倒的に読みやすくなるという個人的な感想も申し上げておきます。「碍子」が読めない人でも「がいし」からリダイレクトして、本文冒頭で「碍子(がいし)」と読み方を併記しておけば、利用上なんら支障はありません。なお、「JIS や『学術用語集』では「がいし」と表記される」という注釈はあってもよいと思いますが、なぜそのような食い違いがあるのか言う理由がないと、読者に新たな疑問を持たせるのではないかと言う危惧は感じます。--Nazox 2009年12月27日 (日) 07:32 (UTC)
  コメント論点が最初の漢字表記が良いか、かな表記が良いかに戻ってしまっているように思えます。ここで問題にしなければならないのは、電気の分野で標準とされている表記を、Wikipediaの項目名として変更するのが妥当かどうかでしょう。--rs1421 2009年12月27日 (日) 08:50 (UTC)
その観点は微妙に疑問だなあ。「碍」という文字が常用漢字からはずれたことに基づく無理な平仮名化による「がいし」という表記がわかりやすいかどうかが争点でしょう。--Nekosuki600 2009年12月27日 (日) 14:50 (UTC)
読みやすさへの意見は参考にはなりますが主観的であり論点として持ち込むべきではないでしょう。ここは出典により検討すべきであり『学術用語集』に匹敵するものの存在が改名の要件だと思います。--みや1229 2009年12月28日 (月) 00:56 (UTC)
百科事典は読まれてナンボなので、読みやすさが唯一絶対の論点はないとしても、十分考慮すべき論点でしょう。「持ち込むべきではない」ならば、持ち込めないのですから、当然参考にもできません。専門家だけを対象としたプロジェクトではない (むしろ、専門家以外が百科辞典の主たる対象である) のですから、用例の多寡は『学術用語集』に十分匹敵するでしょう。仮名表記と漢字表記が相半ばするという事実は、仮名表記が必ずしも受け入れやすいものではないということでもあります。--Jms 2009年12月28日 (月) 04:30 (UTC) 誤字訂正 --Jms 2009年12月28日 (月) 07:37 (UTC)
私は、現時点で、ひらがな表記、漢字表記両主張ともに、既に一定の合理性のある根拠が提示されていると考えています。つまり、どちらを取っても誤りではない。ただ、表記は統一すべきであるので、どちらを採るかを決めなければならず、こうなったら両者のメリットとデメリットを比較して決めるしかないと考えて、先の発言をするに至りました。百科辞典において、ひらがな表記が漢字表記に優る部分があるとお考えならば、その点をお示しいただければ考慮させていただきます。これ以上根拠自体の合理性を言い合っても、多分、無駄ではないでしょうか。--Nazox 2009年12月28日 (月) 06:47 (UTC)
  コメント 両論併記はするべきというのが大筋の流れと把握します。外から見てましたけど「わかりやすかどうか」じゃなくて「調べる側の利点」を考慮するべきです。そのためのWikipedia:記事名の付け方Wikipedia:表記ガイドでしょう。今回は改名反対よりでコメントさせてもらいます。
学術分野では「がいし」と表記されることが多い点は既に述べられていますし、おまけに「碍子」「がいし」の使い方もほぼ半数であるとJmsさんが調査し公表していますから、Wikipedia:表記ガイド#学術用語をあえて無視して漢字表記へする理由のほうが知りたいです。特殊な事情があるとは思えませんが、いかがなんでしょうか。外史外資の項目へは曖昧さ回避を張っておけば問題もないでしょうし、碍子で検索されることも考慮するなら碍子をがいしへリダイレクトしておけば十分でしょう。また、碍子以外の「がいし」という呼び方をするものは例えば「外資をがいしで検索する」事例が思い浮かびません。ビール麦酒で検索してもばくしゅでは検索しないでしょう。それの担当はウィクショナリーでしょう。--アルトクール 2009年12月28日 (月) 12:00 (UTC)
理由となり得るものを強いて挙げれば、Wikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことの「音読みの部分はできるだけ漢字」、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「専門家よりも一般的な利用者の関心を重視」、Wikipedia:記事名の付け方冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」あたりでしょう。これらと、Wikipedia:表記ガイド#学術用語との軽重に明解な結論が得られるとも思えません。リダイレクトで済む、という点は項目名が漢字でも平仮名でも同様です。どちらがどうこうというのは本文内の記述でどうにでも対応できる範囲の事がほとんどであり、そうしたものを記述の工夫で取り除いてゆくと、冒頭文を「がいし(碍子、がい子)は…」とするか、「碍子 (がいし) は…」とするか、という違いしか残らないのではないでしょうか (実はこれもどうとでもなるのですが)。後者だと括弧内に「がい子」が書けない、というのもやはり本文内での記述次第で対応できるでしょうし…Wikipedia:スタイルマニュアル_(導入部)#導入部の書き方もいわば例示であって、いかにも決め手がありません。なお、「がい子」は ci.nii.ac.jp で 6 件、「がい管」は 27 件ありました。「碍管」は 25 件、誤差の範囲ですがこれまた微妙に漢字の方が少ない…。--Jms 2009年12月28日 (月) 12:56 (UTC)
「調べる側の利点」という視点で言えば、Jmsさんもおっしゃるとおり、ひらがな表記であろうと漢字表記であろうと、リダイレクトで対応して同様の結果を得るようにすることは可能ですので、どちらの表記がより便利であるとは言えません。敢えて言うなら、ひらがな表記の場合は曖昧さ回避を手当てする分手間が増えると言えますが、それは無視するとしても、本文の読み易さこそ「調べる側の利点」を向上させるのではないでしょうか。もうひとつ、根本的な疑問なのですが、「碍子」とは学術用語なんでしょうか。私は「電柱」「電線」と並ぶ、単なる名詞だと思うのですが、この認識は誤っていますか?--Nazox 2009年12月29日 (火) 03:03 (UTC)
学術用語」の定義によるでしょう。広辞苑では学術語を「学術研究上の専門用語。術語。」とし、専門語を「学術・技芸など専門の分野でのみ用いられる語。術語。」と、術語を「学術上で、特に限定された意味で用いる語。学術語。専門語。」としています。碍子という語は学術分野でのみ用いられるわけではありませんし、一般で碍子と言う場合に対して学術上で碍子と言う場合に限定された意味になっているかというと、大きな意味の違いはないと思います。強いて言えば磁器ソケットを非学術的文脈で碍子ソケットと表現することはある (おそらく碍子と同じ素材の、という形容詞的用法) ので、その点では意味が限定されている場合があるとは言えるかもしれませんが、「碍子ソケット」という表現が使われる範囲は極めて限定されていると思います。一方、電柱や電線と同時に見ているにも関わらずそこに碍子があることに気づかない人は少なからず居るのではないかと思います。その意味で、電柱や電線に比べると碍子の知名度は低いとは言えるかもしれません。--Jms 2009年12月29日 (火) 03:42 (UTC)

自然さ、情報量 編集

(コメント)強電や無線分野の専門書に書かれているのであれば不自然さを感じませんが、一般の人が読む文章内に現れると「何を指しているのか文章の先を読まないと理解できない」ので不自然さがあります。Wikipedia内では後者に当たります。--121.102.113.26 2009年12月31日 (木) 02:35 (UTC)

コメント依頼から来ました。「碍子」が適当だと思います。わざわざ情報量の少ない「がいし」を採用することもないでしょう。--StarJumper 2009年12月31日 (木) 08:44 (UTC)
「情報量の少ない」とは?--Qurren 2009年12月31日 (木) 13:13 (UTC)
まず、「がいし」は漢字で「碍子」と書くという情報。また、「碍」はさまたげる、という意があり、「子」は接尾詞で付く言葉の動作をする人、道具の意味があります。つまり、「碍子」からは、さまたげる人、さまたげる物、という情報が読み取れ、この点で「がいし」より情報量が多いと評しました。--StarJumper 2009年12月31日 (木) 15:40 (UTC)
記事名を付けるにあたって、そのような評価基準はありません。そういった考え方は、むしろウィクショナリーの方が適しています。「珪素」という項目があるくらいですから、「碍子」という項目名も受け入れられるでしょう。これに対して、ウィキペディアでは種類・構造・用途など、専門的な内容が主となりますから、「がいし」と表記された教科書など電気の専門書を出典にして述べる以上、記事名もそれに合わせるのが筋と考えています。--Qurren 2010年1月1日 (金) 13:13 (UTC)
「珪素」の方が正しいと思いますけどね。視野を広げて分野を変えてみると「天照大神」なんかは学術文書では「アマテラス」と記載されるのが普通です。だからといって一般には「アマテラス」なんて使用されない訳です。--StarJumper 2010年1月1日 (金) 16:14 (UTC)
◆この場合、正しい、正しくない、という論点に結論は出ないでしょう。ci.nii.ac.jp での掲載誌調査からで分野についてみてみました。論文名「がいし」または「碍子 -日本碍子 -新韓碍子 -碍子博物館 -碍子試験所」で検索して「関連刊行物」を見てみると、前者では電気学会、静電気学会、電気設備学会、電気鉄道、電力関係といったところばかりですが、後者ではそれ以外にも様々な分野の刊行物が登場します。電気学会等では「がいし」優位 (電気学会、静電気学会あわせて「がいし」166 に対し「碍子」21、誌名に「電気」を含むものだと 212:39、同「電力」で 99:19、因みに「NGKレビュー」だと 37:16) だが、それ以外の分野ではそうとは言えない、ということでしょう。特許件数の結果もこのこと、つまり、平仮名表記の浸透は電気電力分野とそれ以外で大きく異なる (単純引き算で電気電力以外の領域では「がいし」372 - (212 + 39 - 70) = 191 (56%)、「碍子」206 - (39 + 19 - 5) = 153 (44%)、逆に電気電力領域では 181 (77%):53 (23%)、 元数はКОЛЯさん調査の重複除去前のもの、括弧内のプラスは電気と電力両方を含む誌名のもの) ことのあらわれでしょう。作る側か使う側かという違いは、書く側か読む側かという違いと類比的ではあるかもしれません。その意味では、電気電力領域では「がいし」の方が優位であるということと、碍子に言及する論文数そのものでいうと電気電力領域 234 件 (40%) に対してそれ以外 344 件 (60%) という数字の兼ね合いをどう考えるかということでしょう。編纂しているのが電気電力事典なら「がいし」でしょうが…。
もう一つの論点として、記事の書き出しの部分があります。記事名を「がいし」とすべき、という方々にとって、記事名は「がいし」とする一方、書き出しを「碍子 (がいし) は…」とWikipedia:スタイルマニュアル_(導入部)#導入部の書き方の例示に合わせることは受け入れ可能でしょうか。それとも、記事中の表記についても漢字表記を説明する部分以外は「がいし」でないと受け入れがたいでしょうか。「ががいし」の類が本文に登場しなければ、読みやすいかどうかという点はだいぶ緩和されるだろうと考えています。--Jms 2010年1月1日 (金) 21:41 (UTC)
書き出しは「がいし(碍子) は…」とします。「ががいし」などは文の構成を工夫して使わないようにします。--Qurren 2010年1月2日 (土) 07:44 (UTC)
出典にあわせる、とういことは、出典とした文献にたまたま碍子と書いてあったらそこだけ碍子にするのでしょうか。それとも、そういう場合も「がいし」とするのでしょうか。引用文の場合にそうすることはあるでしょうが…。--Jms 2010年1月2日 (土) 10:29 (UTC)
本文中の表記は『学術用語集 電気工学編』にならう。ただし、引用部分については被引用文の表記にならう。--Qurren 2010年1月2日 (土) 10:40 (UTC)

脇道 - 資料を参照するということ 編集

(インデント戻し) ということは、出典云々ではなくて、学術用語だから 『学術用語集 電気工学編』に従い「がいし」と表記する、ということですね。で、学術用語であるかどうかについて意見の相違がある、と。現在までの議論ではどちらとも決めがたいというところではないかと思います。紙媒体の既存の百科事典ではどうなっているでしょうか。もし、既存紙媒体百科事典で「がいし」が主であれば、漢字にした方が良いと考えている方にもある程度のご理解を頂けるのではないかと想像します。--Jms 2010年1月2日 (土) 22:21 (UTC)

(コメント)絶縁被覆の信頼性が低かった昭和初期に建てられた建物では屋内にがいしが露出しているものもありました。日常的にそれを眺めて育った人にとって学術用語という感覚は薄いでしょう。また、『窯業工学ハンドブック』や『標準教科セラミックス基礎講座』(加藤誠軌著、内田老鶴圃、ISBN 4753653161)には漢字で碍子と書かれていますから、かな表記が必ずしもあらゆる学術分野で普及しているというわけではありません。一方で、現代における最大のがいしユーザーである電気技術者の間では、JISや『電気工学ハンドブック』に倣ってかな表記が普及しているというのも事実ですね。ちなみに一般的な百科事典では、がいしに限らず項目名をかな、続いて漢字というように表記を揃えているものが多いのであまり参考にはならないと思います。--Ray go 2010年1月3日 (日) 08:21 (UTC)

  賛成 ひらがな表記は悪評のあるゆとり教育の類とされても文句は無く、古くから現在でも漢字表記をされている為。しかも「がいし」の読みは本項目の「碍子」以外にも使用され、区別が付きにくい。--Yavjan 2010年1月7日 (木) 06:42 (UTC)

  • (Jms氏2010年1月2日22:21へのコメント)本件は標準化の問題です。標準化とは規格化により効率化を図るもので、企業内といった狭い範囲で行う場合もありますがWikipediaは開かれたものですので社会一般の標準にあわせるべきとなります。本件の場合、まず常用漢字表に従えば「がいし」であるが、学術分野ではどうなのかということで「学術用語集」を参照したという流れになると思います。結果として双方とも「がいし」を指示していますのでこれが標準となります。さて、紙媒体の既存の百科事典を出典とできるのかですが、これは表記そのものよりも、どのような方針に基づいて(常用漢字表に従わずに)その表記にしたのかという点が判断材料になると思います。それがWikipediaの利用者にとって有意義であれば採用してもよいかもしれません。--みや1229 2010年1月8日 (金) 11:32 (UTC)
学術分野ではどうなのかということで学術文献や特許での用例を参照してもいるわけです。「学術用語集」だけを参照する、という立場が支持されているわけではありませんし、「まず常用漢字表に従えば」という点についても支持されているわけではありません。「紙媒体の既存の百科事典を出典とできるのか」などということは問うておりません。紙媒体の既存の百科事典が仮名表記であれば、それは漢字の方が良いという立場に対する説得材料になるかもしれない、というだけのことです。--Jms 2010年1月8日 (金) 11:44 (UTC)
常用漢字表と「学術用語集」以外は検索の方法によってブレますし、個人が自由に書けるものを含みますから確たる根拠にはなりません。百科事典を参照すべきなら探してきて示してください。それがないとどうとも言えません。--みや1229 2010年1月8日 (金) 12:23 (UTC)
百科事典はまとまった時間がとれる時に調べてきます。が、個人が自由に書けるものを含みますから、というのは、常用漢字表や「学術用語集」は学術分野や特許での用例の多寡に優先する、また学術分野一般でどう表記されているかという点は無視してよい、という意味でしょうか。常用漢字表と「学術用語集」が他のものに常に優先して確たる根拠になる、というのは、漢字制限という経緯を考慮すれば議論の余地のある点かと思いますが。--Jms 2010年1月8日 (金) 12:41 (UTC)

資料紹介 (1) 編集

(コメント)参考になりそうな文献を追加しておきます。『角川日本陶磁大辞典』(矢部良明ほか編、角川書店、2002年、ISBN 4-04-023200-3)には漢字で碍子とあります。辞典ですので表記が統一されているとも考えられますが、「要焼」が「かなめ焼」となっているなど一般的な表記を重視する姿勢がありそうです。もう一点、『セラミック工学ハンドブック第2版応用編』(PP753、日本セラミックス協会編、技報堂出版、2002年、ISBN 4-7655-0032-2)にも漢字で碍子とあります。--Ray go 2010年1月8日 (金) 13:09 (UTC)

百科事典ですが、近所の図書館に置いてあったものの中で、がいし単独で項目があったのは平凡社の『世界大百科事典 (5)』1975年版・『大百科事典 (2)』1984年初版発行・『世界大百科事典 (4)』2007年改訂版発行、それと小学館の『日本大百科全書 (4)』1985年初版発行(かっこ内は巻数)。平凡社は「がいし」、小学館は「碍子」としていました。平凡社は1ページほど割いて解説していたのに対し、小学館は4分の1ページ程度でした。いずれも同音項目はありません。『ブリタニカ国際大百科事典 (3)』(1994年第2版改訂発行)には、がいし単独での項目はありませんでした。--Qurren 2010年1月9日 (土) 13:10 (UTC)
(参考文献追記)『カラー版電気百科事典』(PP552、オーム社編・発行、1982年、ISBN 4-274-02919-0)と『基礎高電圧工学』(PP113、赤﨑正則著、昭晃堂、1980年、ISBN 4-7856-1094-8)はどちらも「がいし」ですね。平凡社と小学館の百科事典は巻頭に原則として常用漢字を使い、例外として慣用表現もありうるとする断り書きがあります。小学館の方にはさらに学術用語集の表現を用いるとも書かれていますが記事中では漢字を使っていますね。--Ray go 2010年1月10日 (日) 07:18 (UTC)

学術用語としての表記を優先すること 編集

  反対 ウィキペディアとしては学術用語としての表記を優先するのだと理解しています。例えば「犬」と「イヌ」では、一般の使用や国語辞書などでは「犬」または「いぬ」ですが、ウィキペディアの記事としてはイヌであり、「犬」や「いぬ」は「イヌ」へのredirectになっています。本件は「学術用語集」に従って「がいし」を記事名とし、「碍子」はそこへのredirectとすべきと考えます。ここで記事名を「碍子」とすべきと主張されている方は「イヌ」も「犬」に改名すべきと主張されるのでしょうか? --アルビレオ 2010年1月11日 (月) 01:35 (UTC)

イヌ」は Canis lupus familiaris ないし Canis familiaris に対応する標準和名であり、当該項目に記載されている概念についての用例の多寡において「碍子/がいし」とは事情が異なるでしょう。なお、本文中では「犬」表記も用いられています。--Jms 2010年1月11日 (月) 02:15 (UTC)
本文中に「碍子」を使うな、という主張はしていません。あくまで記事名だけの話です。なお、確かに「イヌ」は標準和名ですが、一般の使用例では「犬」に比べてはるかに少なく、「いぬ」に比べても少ない単語であり、ウィキペディアの記事名が使用頻度の少ないものになっている例と考えてください。--アルビレオ 2010年1月11日 (月) 03:53 (UTC)
「当該項目に記載されている概念についての用例」と書きました。一般の使用例、とは述べていません。Wikipedia:記事名の付け方#生物名にある、生物分類群についての記事である、ということが前提です。生物分類群に対応しない場合としては、たとえばがあります (本文中での表記に言及したのはこれが念頭にありました)。このあたりは、「碍子/がいし」が学術用語/専門用語か、という論点と関連していると思いますし、生物分類群についてはかなり特殊な例ですので、類比するのには適当ではないと思います。--Jms 2010年1月11日 (月) 04:37 (UTC)
「当該項目に記載されている概念」についての一般の使用例で差がある、と言っているのですが。については、非生物学的側面があるためであって、それこそ「碍子」とは事情が違うでしょう。私の意図は、「ウィキペディアの記事名は使用頻度で決まるものではない」ことの確認であり、「碍子」よりも一般に使用されるイヌなどの例があることの合意が得られれば十分です。--アルビレオ 2010年1月11日 (月) 22:32 (UTC)
「ウィキペディアの記事名は使用頻度で決まるものではない」とまでは言えないでしょう、Wikipedia:記事名の付け方冒頭で求められている事を満足するために使用頻度で決めざるを得ない場合もありますので。--Jms 2010年1月14日 (木) 17:32 (UTC)
ここでは、「ウィキペディアの記事名が使用頻度の高いものになるとは限らない」という意味で「ウィキペディアの記事名は使用頻度で決まるものではない」と言っています。話の流れからお解り頂けると思っていましたが、お解り頂けていないようなので言い直します。なお、ここの流れで「ウィキペディアの記事名が使用頻度の高いものになるとは限らない」と言えないのであれば、「使用頻度で決まる」ことになりますが、それが事実ではないことは今まで述べた通りです。--アルビレオ 2010年1月17日 (日) 00:54 (UTC)
  • しかし「常用漢字ではないからダメ」と言ってる人は、例えば「覚醒剤覚せい剤に改名すべき」と言ってるようなものですよ?だから「記事名に非 常用漢字を使うべきではない」というのは間違いではないだろうか?--110.66.55.169 2010年1月11日 (月) 16:51 (UTC)
(コメント)Ray goさんQurren調査に感謝します。さていくつかの使用例が示されました。
  1. 「碍子」と表記する文献は『角川日本陶磁大辞典』と『セラミック工学ハンドブック第2版応用編』および小学館の百科事典の記事本文(項目名は「がいし」)である。
  2. 「がいし」と表記する文献は『カラー版電気百科事典』と『基礎高電圧工学』および平凡社の百科事典である。
  3. 百科事典の表記規則については平凡社は原則として常用漢字を用いること小学館はさらに学術用語集の表現を用いるとしている。
以上から少なくとも項目名については「がいし」とすることが百科事典におけるスタンダードであり、これにならうべきと考えます。分割は現在の分量ではやらなくてもよいと思います。どのように分けるのかの問題もありますから。--みや1229 2010年1月14日 (木) 14:11 (UTC)1項修正および第2項(がいし事例)追加および意見削除。--みや1229 2010年1月15日 (金) 12:43 (UTC)
みや1229さん、コメント頂きありがとうございます。しかしながら事実誤認があるようですね。もう一度上の議論を読み返してみてください。違った結論に至ることになると思います。--Ray go 2010年1月15日 (金) 11:56 (UTC)
小学館の百科事典は項目名も漢字を使用しているということですね。すみません訂正します。しかし、そうであってもこれらの事例からは漢字表記が一般的であるとは言えないと思います。したがって「碍子」からリダイレクトで転送されることで実用上問題がないこともあるのですから、ここはWikipediaの表記ガイドの原則から逸脱する必要はないと考えます。--みや1229 2010年1月15日 (金) 12:33 (UTC)

  賛成 改名に賛成です。JIS用語を基本に記事名を作成することとなると、ボイラーボイラと表記しなくてはならなくなります。そうすると、一般の人にはボイラボイラーであることがわかりにくくなると思います。また常用漢字でないことを理由にであれば、鉗子なんて記事はかんしでなければならないと思います。wikipediaは百科事典であり専門書ではないので、一般の人が検索しやすくわかりやすい記事名が必要であると思います。なお、無線従事者の国家試験の問題にも碍子(がいし)と書かれているので、がいしが電気工学全般の通例であるとはいえないと思います。国家試験の過去問題無線設備講習用指導書--みや12292010年1月15日 (金) 12:43 ----以上の署名のないコメントは、Vigorous action会話投稿記録)さんが 2010年1月15日 (金) 08:40 (UTC) に投稿したものです(КОЛЯ 会話による付記)。

表記は学術用語集に準じます(Wikipedia:表記ガイド#学術用語)。--Qurren 2010年1月16日 (土) 14:59 (UTC)
学術用語は、原則として、が抜けています。学術用語なのかどうか、また学術用語だとして原則の適用対象から除外すべきなのかどうか、意見がわかれているわけです。更に、記事名についての議論ですので、表記ガイドが無条件に適用されるわけではありません。--Jms 2010年1月16日 (土) 21:36 (UTC)
学術用語集は学術用語を集めたものです。原則として、とあれば従うのが原則です。--Qurren 2010年1月16日 (土) 22:40 (UTC)
「学術用語集は学術用語を集めたもの」というのは、学術用語集に収録されていれば、それは学術用語である、という意味でしょうか。それは、たとえば広辞苑の定義から導かれることとは違うでしょう。「原則として、とあれば従うのが原則です」というのは、あまり意味のある言明ではないと思います。原則に従うべきでない場合があるからこそ原則であり、原則に従うことが適切かどうかという判断が求められているのです。--Jms 2010年1月17日 (日) 11:01 (UTC)
学術用語集という信頼できる情報源に準じない、という特別な主張には特別な証拠が求められるものです。--Qurren 2010年1月17日 (日) 13:26 (UTC)
論理の飛躍があります。学術用語集が碍子の表記に関する唯一絶対の信頼できる情報源である場合に限り、仰っている主張は成立します。実際には、査読を経ているであろう学術文献であっても (しかも電気電力分野の学会によるものであっても) 両方の表記が存在するわけです。学術文献や特許といった用例からすればどちらが多いとも言えない状況で、漢字表記による記事名を用いるメリットと、学術用語集での表記を記事名に用いるメリット、どちらを選ぶのが百科事典として適切か、という事が論点です。たとえば、記事名は漢字にしておいて、冒頭文も (記事名に合わせるため) 漢字で始め、JIS では平仮名表記であることを明記した上で、それ以降の本文中では読みやすさを損なわない限り平仮名表記を用いるやりかたもあります。漢字表記のデメリットとして電気の教科書との表記の違いによりウィキペディアの信頼性が失われ兼ねないことが挙げられていますが、こうしたやりかたでも電気の教科書を開くと戸惑いかねないでしょうか。さすがにそういうことはないと思うのですが。逆に、記事名を平仮名とし、冒頭文を平仮名ではじめてしまうと、JIS では平仮名で表記するという事実の記載が浮いてしまうと思います。--Jms 2010年1月17日 (日) 20:58 (UTC)
「記事名は漢字、冒頭文も漢字、JISは平仮名と明記し、本文中では読みやすさを損なわない限り平仮名」といったローカルルールは利用者を混乱させるだけです。読みにくくならないように気を付けつつ「がいし」で統一すれば解決します。--Qurren 2010年1月18日 (月) 16:19 (UTC)
ローカルルールではありません。どうすれば記事が読みやすくなるか、という話です。(鈎括弧手抜き)「がいし (碍子) とは…器具である。JISでは「がいし」と表記する。」という文章と、「碍子 (がいし) とは…器具である。JISでは「がいし」と表記する。」という文章では後者の方が流れとしてすっきりしているでしょう。「がいし」では分かりにくいという主張に対して本文中では表現の工夫で配慮できますが、項目名としてわかりにくいという点については説得できていません。どうせ漢字表記は一箇所は使うのですから、冒頭文を漢字で始め、記事名もそれにあわせて碍子としておく一方で、本文中では冒頭文以外では「がいし」と表記するならば、「がいし」では分かりにくいという主張に対する回答も用意しつつ、JIS では「がいし」と書くということも読者にうまく伝えられ、諸々の点が解決すると思います。結論の出ない議論をいつまでも続けることが妥当だとは思えません。このやりかたで電気の教科書との表記の違いによりウィキペディアの信頼性が失われ兼ねないとは思えません。--Jms 2010年1月18日 (月) 20:03 (UTC)
「JISでは「がいし」と表記する」という記述は、ウィキペディアとJISとで表記が異なる場合に必要となるものです。--Qurren 2010年1月19日 (火) 09:09 (UTC)
そんなことはないでしょう。ある語について、二つの表記 A と B がある。ある分野では A とすることが決まっている。その場合、ある分野では A と表記する、という知見を述べることは百科事典として妥当なことでしょう。なぜ碍子ではなくがいしとウィキペディアは表記しているのか、疑問に思う人というのもいるのではありませんか。--Jms 2010年1月19日 (火) 11:16 (UTC)
そうした疑問には、表記ガイドのとおりです、とお答えします。このノートページを読めば経緯もわかります。--Qurren 2010年1月19日 (火) 14:11 (UTC)
そうですか…百科事典とは何かという点で考えが違う様ですね。--Jms 2010年1月19日 (火) 16:33 (UTC)
うーん。これってなんかものすごくレベルの低い論争のような気がしてきた。
「原則として」といったタームってけっこう重要で、それがなければ「例外を許さぬ」という強い意思表示になるわけだが、それがついていたら「例外はあってもいいよ」という寛容を示したりするわけで、それは解釈の上ですげえ重要な手がかりになるタームなんすよね。
そこをすっとばして「原則として、とあれば従うのが原則」って、日本語の解釈としてどうなのよ、とか思ってしまいました。「がいし・碍子」の表記問題はとにかくとして、それ以前の問題で対立しているんじゃないのかなぁ、なんて。なんかちがってます?--Nekosuki600 2010年1月17日 (日) 13:48 (UTC)

対象によって使い分ける提案 編集

  •   反対 (詳細あり) 当記事では、電気工学上のがいしに言及するときおよび記事名では「がいし」とし、非専門分野での碍子に言及するときは「碍子」とすべきだと考えます。理由を述べます。
    • 「出典」ということが言われていますが、これは比喩的な表現で、真意は「用語法は信頼できる資料に基づいて決めよう」ということだと理解しています。「がいしはがいしと表記される」とか「碍子は碍子と表記される」ということを記事中に書くための出典の話ではないです。
      各人の好みや主観 (漢字制限への好悪とか仮名書きの是非とか) をいくら戦わせても結論はでませんので、専門分野の用語は信頼できる資料をひとつ定めてそれに則ろう、ということです (どちらの用例が優勢かという調査に基づいて用語法をきめることは、比喩的には「独自研究」であると言えます)。その場合表記ガイドが挙げている資料は『学術用語集』ですので、電気工学におけるがいしは「がいし」という表記ということになります。
    • たとえばイヌの記事の本文を見ると「イヌ」と「犬」がほぼ完全に使い分けられています。つまり、分類学上のカテゴリとしてのイヌは「イヌ」で、一般生活や文化に関わる箇所での犬は「犬」です (混じっているところもあるかもしれませんよ。わたしが書いたんじゃないからね)。前者は専門用語として明確な意味を与えられた「イヌ」を指すためにそう書くべきである一方、後者についてまで学術界で使われている表記に縛られる必要はありませんので通常の漢字仮名交じり文の慣習にあわせるべきです。
    • 記事名は記事の内容を代表しますので、専門分野の用語法が優先され、「がいし」となるべきでしょう。専門分野の解説がない記事というのは考えられません。
    • 補足。ここで述べた意見は当記事だけに関するものです。ほかの記事ではほかの基準が必要かもしれません。--Hatukanezumi 2010年1月17日 (日) 14:10 (UTC)
当記事では、電気工学上のがいしに言及するとき
当記事に於いて「電気工学上のがいしに言及」している箇所は具体的に何処になるとお考えなのでしょうか。
碍子というのは絶縁物の利用の特殊な一形態で、通常ならば絶縁体で伝導体全体を覆う(絶縁被膜)ところを伝導体全体を中空に置くことで、絶縁物を接地箇所(電柱など)のみに節約する際に設置される被膜でない絶縁物です。つまり碍子であれがいしであれ単なる通称名称であり、学術上の分類ではないわけです。このことから明確な定義は無く故に「出典」が見付からず、だが公用文作成の要領に基づいて法令やJIS、その他電気工学系文書でがいしと表記されていることを根拠に「がいしと書くのが専門分野の用語法だ」と主張する者が居て議論が紛糾しているのが現状です。
碍子がイヌのような学術上の分類として存在していれば主張の通りだと考えますが、碍子は学術上の分類ではありません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月2日 (火) 04:19 (UTC)
  コメント んや、言いたいのは「分類」であることではなく、「専門用語として明確な意味を与えられた」ものであることです。電気工学の分野では、形状や大きさや材質の面で世間一般でイメージされる「碍子」とは似ても似つかぬ物体が「がいし」と呼ばれていたりしますが、一定の意味をもっていますね。
また、わたしは「『がいしと書くのが専門分野の用語法だ』ということを認めよう」と言っているのではありません。記事執筆に関するとある方針の「真実であるかどうかではなく、検証可能かどうか」という考えかたを援用して、信頼できる資料を決めてそれに準拠した表記にしたらいいではないか、と主張しているのみです。
ところで、「がいし」または「碍子」という言葉が絶縁物一般の意味で使われることがある (あった) のかどうか、わたしは知りません。
  • 電気工学の分野でそういう用法がなされているのなら、「がいし」の解説にそのことを書き加えればよいでしょう。
  • 電気工学以外の専門分野でそういう用法がなされているのなら、該当する専門分野について先述の電気工学の場合と同じ手続きをとって表記を決定すればよいでしょう。非専門分野については、通常の漢字仮名交じり文の慣習にしたがって表記すればよいでしょう。
この点について、いまのところ実例として挙がっている言葉は「碍子製の電球ソケット」です (実は、わたしはずっと、「碍子ソケット」とは「碍子を取り付けるような場所に取り付けることのできるソケット」つまり「碍子に似た形状のソケット」のことだとおもいこんでいました)
この例については、どうお考えですか。 --Hatukanezumi 2010年2月2日 (火) 11:01 (UTC) 微修正 --Hatukanezumi 2010年2月2日 (火) 11:13 (UTC)
先ず「専門用語として明確な意味を与えられた」に関して、そもそも専門用語なのか否かで議論が紛糾しています。また「専門用語として明確な意味を与えられた」に関して、明確ではなく感覚的なものです。感覚的であるが故に一定の意味を持っていますが、それが明確か否かは議論が分かれるところです。Hatukanezumi氏の言う通り「専門用語」であり且つ「明確な意味」があるのであれば、その出典に基づいてその後に記載の手続きでもって決定し得る話なのですが、そうではないので問題になっています。なので碍子が専門用語であれなかれ、そういう前提に立った方法論の話は全て無意味なのです、何らかの「出典」が出されるなり何なりして合意を得られるまでは。
記事執筆に関するとある方針~~を援用して、信頼できる資料を決めてそれに準拠した表記にしたらいいではないか、と主張しているのみです
恐らく、議論に参加しているほとんどはそうしたいと考えています。ですが、その前提となる合意を得られていないので議論が紛糾しているのです。私自身は「碍子は専門用語ではない派」ですが、専門用語ではないので信頼できる資料など探しようがありません。其処へ「碍子は専門用語派」が信頼できる資料に基づいた独自研究(比喩的な意味で)を論拠に碍子ではなくがいしとするべしと主張しているのです。お互いに出典を出せない(割りに合理的な論拠はある)ので合意に達することが出来ないでいるのです。
碍子製の電球ソケット~~の例については、どうお考えですか
どういう答えを期待されているのかわかりませんが、碍子の碍は「さまたげる」であり子は外見的形状(塊のようになっていて輪でも管でも線でも板でもない)です。特に何か特記性のある例だとも思えないのですが。むしろ逆に、それは専門用語ではないことを示す例なのではないかと思いますし。もしも先に私が書いた「絶縁物の利用の特殊な一形態で~~被膜でない絶縁物」が碍子の「明確な定義」と判断してそれの反例を示すことで「専門用語である」ことを指摘しようとしているのでしたら、私が書いたのは(本項の記載もそうですが)「支持碍子」と呼ばれるものに相当すると思います。つまり碍子にも色々あるのです、専門用語ではないので。そしてその割りに頻繁に用いられるのが特定分野に集中している(日常生活の中で使われることが極めて少ない)所為で「碍子は専門用語派」の主張に正当性を認める余地があり議論が紛糾しているわけです。碍子製ソケットだかがいし製ソケットだかがコンビニで売っていれば話すら始まらない話なのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月2日 (火) 14:46 (UTC)
ああ、理解しました。電気工学で「がいし」と呼ばれているものは明確な意味範疇をもたない、したがって専門用語ではないというのですね。しかしそれなら、世間一般で「碍子」と呼ばれているものは「支持がいし」のことだと特定できるのはなぜでしょう。電気工学分野でのがいしは世間一般の碍子よりも広い (またはやや異なった) 概念を表すというだけのことようにおもいますが。
世間一般の感覚と専門分野の感覚とを区別しないで議論するとおかしなことになります。イヌがネコ目に属することは世間一般の感覚では変 (犬が猫であるはずがない!) ですが、分類学の感覚では変ではありません。
なお、最後の一文だけ意味がわかりませんでした。「ガイシ・ソケット」といった製品ならホームセンターへ行けば売っていますが……。 --Hatukanezumi 2010年2月2日 (火) 21:56 (UTC)
本議論において「がいし」と「碍子」は対等の立場ではありません。用語の表記はWikipediaにおける決めごとに従うのが基本です。これに従えば専門用語であろうとなかろうと「がいし」が制式になります。これに対し特例をもって「碍子」とするには検証可能な根拠(出典)に基づいた合理的な理由が必要なのです。--みや1229 2010年2月3日 (水) 11:50 (UTC)
制式? というのはさておき、そのきめごとの適用範囲かどうかは学術用語かどうかにかかっているのであり、そこで専門用語や学術用語という言葉の意味が問題になっているのですが…。それに、表記ガイドと記事名の付け方はイコールではありません。--Jms 2010年2月3日 (水) 17:35 (UTC)
◆えーとなんだ。常々みや1229さんの考えはよくわからんと思っていたのですがそれはとにかく、この議論に「制式(正式、ではない)」という概念を持ち出してきたところで、その食い違いの端緒がちょっとだけわかったような気がしました。
制式」というのは、Wikipedia的概念定義によれば(そしておれからしてもさほど違和感がない定義としては)「軍隊や警察などの組織が研究・開発・採用する装備(兵器・武器・その他)に付与する識別用の名称や記号」だそうです。それ以外にも鉄道車両や自動車などについても同様の定義があてはまります。つまり、それらは「トップダウン的に正しいか間違っているかが決められる場合に、トップダウン的に正しいものについて、制式と呼べる」ということを意味します。んで、Wikipediaはもともとトップダウン的な考え方に基づいていないので、「Wikipediaにおいて『制式』概念が通用するということはない」という反論で無化できるものと考えます。
Wikipediaは、アメリカ合衆国的な思想の決闘場的な文化を背景として成立しています。しかし個人的決闘技量で勝敗が決するのでは寡頭制とかにつながりかねないんで(そしてそれはアメリカ合衆国的な思想では排除されるべきものなのである)、明示されたその者の知識的検索力で勝負が決まるのですという観点から出展明示だの検証可能性だのというルールが定められているわけです。そこには「制式」という概念が介在する余地がない。あ、頭悪いひとがいたら面倒なので言及しておくのだが、「制式」と「正式」は明確に違う概念です。「正式」ならば、それはトップダウンもボトムアップもある概念で、まぁいろいろあります。
国が制定したものや、公的機関が決めたもの。それは「常用漢字表」やら「学術用語」やらいろいろあるわけですけど、それらはすべてトップダウンなものであり、しかしトップダウンであるがゆえに誰もが従うものとはなっていません。「がいし」と「碍子」の関係なんかその見本みたいなものだ。そういうせめぎあいのところに「上さまが決めたものだから」みたいな視点を持ち込まれても、そんなもんはノイズにしかならないとか思うのでありました。浅い考え休むに似たり、なんてことも思いました。--Nekosuki600 2010年2月3日 (水) 18:05 (UTC)
(Nekosuki600氏への返答)私が使った「制式」とは「標準規格により規定された」ことです。ここでは標準規格とは記事名のつけ方および表記ガイドであり、それらが「常用漢字表」や「学術用語集」を指定しているため「がいし」が「制式」であると表現しました。Nekosuki600氏は「常用漢字表」や「学術用語集」を軽視しているようですがそれらは学識経験者らにより作成されているわけです。学識経験者つまり学問という検証された知識の体系の中にいる人たちが関わっているのです。そのような土台がある「常用漢字表」や「学術用語集」に対し何ら客観的根拠もなく否定する姿勢は百科事典を目指すWikipediaの参加者としては間違った見識だと思います。少なくとも「がいし」という具体的事例について話し合っている場には相応しくない発言だと思います。井戸端でご主張される方がよろしいと思います。--みや1229 2010年2月5日 (金) 11:05 (UTC)
そんなことは言われるまでもなくわかってることですがな(ためいき)。
学術用語集はそれぞれの業界でけっこう食い違っている場合があり「どれかひとつの学術用語集にこう書かれている」「ある特定の年代の学術用語集ではこう書かれている」なんていうのはさほどの権威ではあり得ません。また、「常用漢字表」は、いろいろ多方面の都合があることは理解するんですが(近いところで一番大きな制限はコンピュータのJIS基準に基づく制限だったりしますし、おれの戸籍名の正式表記は普通のコンピュータでは表示できなかったりするんでしみじみ実感しちゃってたりするんですが)、「常用漢字表」そのものはトップダウンなものでありかなり苛烈な批判に晒されているものでもあって、百科全書派の末裔として「お上が決めた常用漢字表に唯諾々と従う」というのは知的怠惰そのものであると断じさせていただこうとおもいます。
別におれは「碍」という字の復権を願うものではありませんが、しかし「碍」という字を排除しようという発想にも同意しません(念のためですが、みや1229さんはおそらくご存知ないことだと思うので書いておくのですが、「碍」という文字をめぐっては全然別の分野でも「この文字を排除したのは間違いだ」という主張があって壮絶な論戦が繰り広げられております)。しかし百科事典はあまねく情報を集積することが望ましいのであり、こういう言葉は「仮名化」がなされる以前に使われていた表現をタイトルとし、仮名化後の表現はリダイレクトとし、その上で本文中で説明を行なうといった方法論がもっとも望ましいものとおれは考えています。みや1299さんと最初に対立したのは「函数・関数」論争だったようにおぼろげに記憶しておりますが、それと同様です。劣化した簡略表現や仮名表現は、情報が削減され劣化しているのです。劣化に気づいていないことを責めようとは思いませんが、でもあなたは劣化した情報に慣らされているからそう思うのだということは改めて指摘しておきたい。--Nekosuki600 2010年2月5日 (金) 14:19 (UTC)
推測ですがNekosuki600氏は標準化の概念を理解できていないように思います。工業部品のように漢字や用語を規格化し全体の最適化を目指すものです。Wikipediaは出典主義ですから広く認められている「常用漢字表」に従うべきであり、現行の表記ガイドもそうなっています。「常用漢字表」の問題はNekosuki600氏が指摘するまでもなくよく言われる話ですがここはその議論の場所ではありません。--みや1229 2010年2月6日 (土) 08:00 (UTC)
標準化というのもボトムアップで行なわれる場合とトップダウンで行なわれる場合があります。ボトムアップで産業的要請に基づいて行なわれる場合というのはまあある種の自然淘汰みたいなもんですが(もちろん比喩的表現です)、トップダウンで行なわれる場合にはしばしば問題と摩擦を引き起こします。また、出典主義であるから常用漢字表に従うべきという論理は存在せず(常用漢字表が限定的に出典として使えるというだけの話だ)、その2つに牽連関係がないため、主張は破綻しています。みやさんはしばらく考えることを休んでみてはどうだろうか。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 12:24 (UTC)
知識は相互に関係し合ってるのでWikipediaが独立して情報発信はできません。情報共有が必要でありそのためには文章のフォーマットが必要になってきます。そのフォーマットは世間の動向に合わせる必要があります。逆にかい離しているとその文章は世間で検証された拠り所の少ない独自研究だと思われます。ここの「Unit.」なる見慣れない言葉による節分けにも同じ感想を持ちました。Nekosuki600さんは「常用漢字表」にご不満のようですが、それについてはどうか適当な場所で提起してください。--みや1229 2010年2月6日 (土) 14:16 (UTC)
あたりまえのことをいかにもすごいことのように言われても困るんですよね。
世間の動向なんてものはそうそう簡単に統一的見解としてまとめられるもんじゃないし、標準化だって簡単にできるものじゃありません。常用漢字表やら特定分野での標準的記法などを口実とできるものでもありません。そのあたりの複雑さを理解しないで特攻されてもノイズにしかなんないと思います。重ねて、しばらく考えることをお休みすることをお勧めします。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 15:57 (UTC)
世間一般で「碍子」と呼ばれているものは「支持がいし」のことだと特定できるのはなぜでしょう
専門分野において「支持碍子」と呼ばれているのではなく、碍子である支持具を製品分類などで「支持碍子」と呼ぶからです。そして碍子ソケットの碍子は支持碍子ではありません。何故ならそれは支持するものではないからであり、その判断には何らの専門的知識や専門的概念を要しません。「電気コタツ」みたいなものです。世間一般で炬燵と呼ばれているものが電気炬燵であると特定出来るからと言って、炬燵が専門用語である/無いの根拠にはならないのと同じように、支持碍子だと特定出来ることが専門用語である/無いの根拠にはなりません。
電気工学分野でのがいしは世間一般の碍子よりも広い (またはやや異なった) 概念を表す
先に書いたように、世間一般で碍子と呼ばれているものは支持碍子である、ということがイコール、世間一般では支持碍子以外のものを碍子とは呼ばない、ではありません。電気工学分野でのがいしと世間一般の碍子は同じものを指します。電気工学分野の人間と、それ以外の分野の(=世間一般の)人間が、それが碍子であるか否かを判断する際には異なった基準を用いません。つまり「これは碍子であるか否か」と問われた時に「世間一般では碍子と呼ばれているが電気工学的には碍子ではない」や、その逆に「世間一般では碍子と呼ばれないが電気工学的には碍子である」といった答えが出されることが無い、ということです。犬を指して猫であるか否かを問われた場合は「世間一般では猫とは呼ばれないが分類学的にはネコである」という答えが出され得る、と貴君は主張していて、それによって碍子が専門用語である可能性を示唆していますが、それは碍子には当てはまりません。
最後の一文だけ意味がわかりませんでした。「ガイシ・ソケット」といった製品ならホームセンターへ行けば売っていますが
コンビニを持ち出したのは「世間一般の認知度」を客観的に示せる例だと考えたからです。一般に目にするところに「がいし製ソケット」という製品が売られていて「碍子」が使われていないのを見ていれば「がいしが一般的用例」と主張しても反対意見は出ないだろう、或いはその逆でもそうだろう、という観点からです。問題は「碍子が専門用語ではない=一般用語である」にも関わらず、一般で実際に使われることがほとんどないことです。それによって「碍子は専門用語である」という主張が成立し得、こうして議論が行なわれるに至っています。でなければ、議論はもっと早期に決着しているでしょうから。なにしろ係る議論は私のような、碍子を一般用語として知っている人間が発起して「碍子は専門用語派」の主張に根強く反対しているから続いているわけですからね。そして一般用語だからわざわざ「専門用語ではない」という出典は無く、また専門分野に於いても一般用語として扱われているので専門用語であると明記された出典は当然無いし、それを示唆する出典すら無い。でも大人の事情で碍の文字を使えないから碍子を「がいし」と書いている場合があるが碍子は「碍子」であり、それを「碍子は専門用語派」が「(専門用語なので)専門分野の記載に合わせて「がいし」を記事名にするべきである」と主張して独断で強行→でも「がいし」では碍子を一般用語として知っている人間には記事名として不適切に見えるので議論を発起→お互いに出典を出せず今に至る。これは「碍子が一般用語であるにも関わらず、一般で実際に使われることがほとんどない」ことで専門用語であると誤解する人間が現れたことに起因しているので「その原因が無かったら(=コンビニで売ってたら)こんな問題は起きていない」と書いた文です。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月4日 (木) 02:45 (UTC)
  コメント (インデント戻す) ウィキペディアの方針やガイドラインは、「きめごとだからしたがわなければならない」というような天下りのものではないです。文言をそのまま墨守すればよいのではなく、書かれている意図を各自が考える必要があります。
表記ガイドの「漢字」の節では、本文で用語の表記を統一することが「望ましい」としています。統一しなければならないとも、まして1種類の表記にしなければならないとも言っていません。各記事の事情にしたがって柔軟に対応していいと読み取れる説明さえあります。
いっぽうで、「学術用語」の節では、学術用語の表記は原則として『学術用語集』に準じるとしながら、事情があればその都度議論するよう促しています。
ガイドラインなどを天下りの規則と考える点では、Jmsさんもみや1229さんも大差ないようにわたしには見えます。そこでわたしが提案したのは、「がいし」または「碍子」が学術用語か一般的な言葉かでもめるくらいなら、記述する内容ごとに表記をそろえたらいいじゃないか、というものです。ご両人は、これでもまだ不満ですか。
最後に個人的な感想を書かせてもらいます。「がいし」が専門用語としての意味を持っていることは間違いないとおもいます。また、当記事に「一般的」な分野での碍子の記述がされることは望み薄だともかんがえます --- なぜなら、「碍子は専門用語ではなく、一般的な言葉だ」という主張の論拠として挙げられた実例は、どちらかというと些末なことばかりだからです。この点において、「がいし」の表記を維持する側の意見にわたしは与します。 --Hatukanezumi 2010年2月3日 (水) 15:30 (UTC)
「ガイドラインなどを天下りの規則と考える点では、Jmsさんも」というのはまったくの誤解であり、「これでもまだ不満ですか」と言われても答えようがありません。記事内で表記をそろえろと述べているわけではありません。どうしても表記を「がいし」で揃えたいなら、漢字では碍子と書くことや、JIS では「がいし」としていること等を書くことを考慮すると、冒頭文の書き出しは漢字にする方が記事としては読みやすく、だとすれば記事名と冒頭だけ碍子とする手もあるでしょう、と、記事名と記事内での表記について区別した上でどこに記事名についての妥協点があり得るのかを探しています。--Jms 2010年2月3日 (水) 17:35 (UTC)
上のように言われたくないのなら、議論の最中にガイドラインのほうを変えようとするようなまねはやめなさいよ。自分の嗜好を他人に受け容れさせるためなら手段を選ばないひとなんだ、とおもわれてもしかたがないとおもうがね。 --Hatukanezumi 2010年2月4日 (木) 11:40 (UTC)
別に言われたくないとも言われたいとも思いません。是々非々。想像はそれぞれのもの。具体的に何をどう解釈したらそうなるのか想像はつきませんが、「自分の嗜好を他人に受け容れさせるためなら手段を選ばないひとなんだ、とおもわれてもしかたがない」と思うひとがいることはわかりました。その発想はまったくありませんでした。新しい視点を教えて頂いてどうもありがとうございます。--Jms 2010年2月4日 (木) 11:47
私はガイドラインが推奨する表記から外れるなら客観的根拠(出典)を示すべきというだけです。ところで各記事の事情にしたがって柔軟に対応していいと読み取れる説明とは表記ガイド#その他原則として同一項目内の表記は統一しますが、ウィキペディア全体での表記の統一には固執しないでください。のことと思いますがこれと表記ガイド#学術用語は昨年改訂され規定が緩やかになりました。でもそれは独自に決めていいという意図ではなかったと思います。そのあたりの経緯はWikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ4。--みや1229 2010年2月4日 (木) 13:00 (UTC)
(コメント)いまさらの感もあるでしょうが、漢字表記を支持するものとして申し上げます。「碍子」をひらかな表記することに、専門用語としてどのような意味があるのでしょうか。どなたかがおっしゃったことの繰り返しになるかもしれませんが、動物名の場合は、カタカナで表記することによって、それが標準和名であることを示すと言う学術的な意図があってのことですが、「碍子」をひらかなで表記するのは、単に常用漢字表に従っているだけのことではないのですか。動物名の表記法を類例として「碍子」をかな表記する正当性の傍証とするのは、適切ではないと考えます。
ところで、「食肉目」の「ネコ目」への変更は、1988年に、文部省(当時)が学会とは無関係に、言わば「勝手に」決めたもの(これもNekosuki600さんのおっしゃる『制式』でしょうか)で、この変更には専門家から多くの批判がありますし、学術図書の中には完全には従わないものもあります。また、「ネコ目」という語が「食肉目」よりも一般に浸透、定着しているようにも思えません。この例から何が言いたいのかと言うと、””表記ガイドにおいて、信頼できる資料として表記の基準に提示されている学術用語集であっても、必ずしも適切な表現が行われているとは限らないと考えている人がおり、更に、表記ガイドは「原則として」と例外を認めているのだから、合理的な理由があるなら表記ガイドに固執するべきではない””、と言う事です。
以上は、「碍子・がいし」が専門用語であるとした上での話ですが、私の結論としては、本項目は、専門用語であろうが無かろうが、漢字で表記するのが妥当だと考えます。但し、実際の表記は、「碍子(がいし)」というように、項目名及び冒頭ではかな表記を併記するのが百科事典としての利便性が増すと考えます。--Nazox 2010年2月4日 (木) 14:59 (UTC)
流石にちょっと引っかかったので言わせて貰いますが、
「碍子は専門用語ではなく、一般的な言葉だ」という主張の論拠として挙げられた実例は、どちらかというと些末なことばかりだからです
主張したのが私なので私の主張に関する感想なのでしょうが、Hatukanezumi氏の「碍子を専門用語として扱う」為の根拠が些末なので反論も些末になってしまっただけです。そもそも、専門用語であるか否か自体が普通なら些末事なので当然なのですがね。そして「~~だから専門用語だと判断出来る」という些末な例への反論に対して反論が些末事だから論点回避されても「専門用語だと判断するのが妥当」な論拠にはなりません。それを「個人的な感想」として記述することで反論を封じ印象操作を試みることは、正常な議論の妨げになるので困ります。むしろ私としては逆に、「碍子/がいしが専門用語である」という主張の論拠が「私はそう思っているから」とか「私は(日常生活で)聞いたことが無いから」とか「専門書や論文で使われているから」以外の論拠が見当たらないことを指摘したいところです。
専門用語であるか一般用語であるかは、該専門分野に従事していない一般の人間が用いない用語である場合、或いは用いるとしても該専門分野に従事しているか否かによって異なる意味が存在する場合に限り「専門用語としての意味」を持っていると言えます。該専門分野に従事していない一般の人間が用いない用語であることは、この項目の遥か上の方で否定されています。なので専門用語であると主張する為には、該専門分野に従事しているか否かによって異なる意味で使われる場合を指摘するしかありません。そしてその指摘とはHatukanezumi氏の言うイヌの例や、会計分野に於ける「資本金(一般用語では元手となる資金や資産のこと/専門用語としては帳簿上の項目として記載される実体の無い数)」のように「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」が存在することを只一つでも例示すれば事足りることです。その「只一つでも例示すれば事足りる」ことを誰もしようとしていません。それが為されれば、その例示された意味の解説が該専門分野の入門書やら教科書やらに載っているはずなので、出典も速やかに探すことが可能になり、議論の早期決着が可能となることでしょう。ですが残念ながら専門用語ではないので「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」は存在しません。なので、それの解説が載っている入門書やら教科書やらも存在しません。一般の人間が用いない用語であるのならなおさら、用語そのものの意味の解説が該専門分野の入門書やら教科書やらに載っているはずですし、載っていなければそれは(読む人が知らないはずの言葉を定義無しに使ってるわけですから)入門書やら教科書やらとして失格、悪書呼ばわりされているはずです。ですが、それが載っている入門書やら教科書やらも存在しません。何故ならば、それは専門用語ではないからです。専門用語ではないので(用語そのものを知らない人の為の「一般用語として」の意味の「簡単な」解説はあっても)専門用語としての意味の解説(←定義レベルの解説のはずです)は存在しないのです。
ということで些末ではない主張を行なってみました。反論して戴けると、議論が正常に進むと思います。なおあらかじめ言っておきますと、「只一つでも例示すれば事足りる」ことをせずに反論を試みる場合は、上記二条件以外に「専門用語としての意味」を持つ条件を例示して戴くか、この項目の遥か上の方で議論されている「該専門分野に従事していない一般の人間も用いる用語である」という主張に反論することになります。いづれにせよ反論があれば、それが既に否定された主張を繰り返すのでない限り、議論が進むことになります。
ちなみに私は反論が無いか、あったとしても「印象操作ではない」とか「碍子を専門用語として扱う為に挙げた根拠は些末ではない」とかだけ反論して肝心なところには触れずに誤魔化すだろうと予想しています。何故ならば、碍子は専門用語ではないからです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月4日 (木) 14:08 (UTC)
あなたの主張が些末だなどと言っていません。具体例として挙げられたもの (「碍子製の電球ソケット」や「碍子から硫黄を取り出した事例」や「短歌で詠まれることがある」など) が些末だと言っています。だって、些末なことでなければちゃんと調べて記事本文に加筆すればいいじゃないですか (と言ったからといって、ろくに調べずに些末な加筆をしないように)。
で、専門用語が一般的な用語と乖離した意味をもたなければならないという意見には賛成できません (「テクニカル・ジャーゴン」などとやや揶揄的に呼ばれる場合はそうですが)。実生活での用法にくらべてより一般化された広い概念をあらわす場合もあれば、より厳密で限定された意味をもつ場合もあります。たとえばはどうでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年2月4日 (木) 14:54 (UTC)
些末か否かに関して私は(印象操作である根拠として以外)問題にしていませんし、日常生活で経験する大半は些末な事なのでそれが些末であることは一般用語である傍証だぐらいに思って居ますので、それが些末であることは私にとって都合の良いことですし些末な加筆も必要が無いのでしません。ご安心を。
たとえば数はどうでしょうか
数は「専門用語」ではありませんが、Hatukanezumi氏の言う通り「専門用語としての意味」を持っています。その「専門用語としての意味」とは「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」であることは既に述べた通りであり、同時にその「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」を持っているのならそれが書かれた該専門分野の書籍が存在するはずだ、と私は主張しています。そして私は実際に、数に関する「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」只一つでも例示して出典まで出すことが可能だと考えています。此処でそれをする意味は(いつまでも納得しないHatukanezumi氏を黙らせる以外に)無いのでしません。私は議論を進めることを望んでいるのであって、Hatukanezumi氏を黙らせることを望んでいるのではないからです。
「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」一般的な用語と乖離した意味と曲解して言い換えて反論しても反論になりません。もしかしたらHatukanezumi氏が自分で何を言っているのか理解していない可能性も有り得ますので念の為に書いておきますと、異なる意味というのは「同一ではない意味」であり、これを乖離した意味と言い換えて「かけ離れた/全く異なる意味」と曲解しています。これによりHatukanezumi氏が改めて異なる意味を持つ用語(此処では「数」)を持ち出し、それが乖離した意味ではないと指摘することで、私の主張が誤っている印象を他の議論参加者に与える印象操作が行なわれています。また同時に、その無意味な指摘に私がこうして反論しそれにまた誰かが反論しとしている間に私が行なった主張とかけ離れた話題に持ち込み、議論を混乱させ有耶無耶にし誤魔化すことで私がした主張への反論をせずに済ませる効果がもたらされています。
実生活での用法にくらべてより一般化された広い概念をあらわす場合もあれば、より厳密で限定された意味をもつ場合もあります
そうです。実生活では使われない「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」があるのです。碍子が専門用語なり何なりであるのならそれがあり、該専門分野の書籍の何処か(探すのがそう難しくない何処か)にそれに関する記載があるはずです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月4日 (木) 17:35 (UTC)
「専門用語」には2つの意味があるとのこと、1「該専門分野に従事していない一般の人間が用いない用語である場合」と、2「用いるとしても該専門分野に従事しているか否かによって異なる意味が存在する場合」、ですね。これまで1の意味でしか論じようとしない発言が多かったので議論が進展に向かいました。ところで日本語学の専門分野で「専門用語」がどう論じられているかというと、『日本語学研究事典』(明治書院、2007)から引っ張ってみます。「一般の人には知られていない(聞いてもわからない)その専門分野に特有の用語だけを専門語とするという見方と、一般に知られているかどうかには関係なく、その専門分野の概念を表すすべての用語を専門語とするという見方とがある」として、後者の例として「アンテナ」「いん石」を挙げています(石井正彦氏執筆)。世界最狂の魔法使いさんの2の意味より更に広義に解釈される立場があるようです。参考まで。--КОЛЯ 会話 2010年2月4日 (木) 21:16 (UTC)
  コメント (感想のみ) わたしはこの節では新参者ですので、「いつまでも納得しない」と言われるのは不本意です。もともと、延々とスレッドが延びつづけるのを見かねてでてきただけなんですが。また、世界最狂の魔法使いCray-Gさんと違った視点から意見を述べている自覚があるだけになおさら、「印象操作」などと決めつけられて意見そのものに注目していただけないことが残念です。
「出典」についてですが、わたしは先に「電気工学の分野では、形状や大きさや材質の面で世間一般でイメージされる『碍子』とは似ても似つかぬ物体が『がいし』と呼ばれていたりします」と述べました。この認識がまちがいであるのなら、わたしの意見は誤認にもとづく無価値なものとみなしていただいてかまいません。まちがいでなかったとすれば、そのことをたしかめるのは容易だとおもいます。
あと、先日のわたしの提案についてひとこと。わたしは「最も正しい表記」にしようと提案しているのではありません。 --Hatukanezumi 2010年2月5日 (金) 13:52 (UTC)
「印象操作」などと決めつけられて意見そのものに注目していただけないことが残念です
決め付けたことには謝罪します。ですが意見そのものには注目し、それに関して記述したつもりで居ます。
わたしは先に「電気工学の分野では、形状や大きさや材質の面で世間一般でイメージされる『碍子』とは似ても似つかぬ物体が『がいし』と呼ばれていたりします」と述べました
何度も繰り返し述べて居りますように、出典は無くても構いませんので例示を御願いします。これまで何度も繰り返し述べているのですが、誰からも出典どころか例示一つ無いのです。
何故例示してくれないのですか? 繰り返し御願いしているにも関わらず今以て例示すらしてくれないのは、善意に取ることをモットーとしているので「専門分野では違う意味を持ってるんだよ。素人乙」以外の解釈をしようとしているので「例示出来ない=存在しない」と解釈せざるを得ないのです。
たった一つでもいいです。長くなっても構いません。御願いします。「世間一般でイメージされる『碍子』ではこうこうこれこれではないので碍子だと思われることは無いが少なくとも~~分野ではこれは碍子と言う」と書いて下さい。そうすれば「それはどう見ても碍子だろ」とか「へー、そんな碍子もあるんだ」とか色々な意見も出て来得ます。そして本当に「碍子とは思えない物」であった場合には、それが碍子と呼ばれている出典を誰かが出せばその時点で全ての議論が終結に向かうのです。そしてそれは本項目に記載され、碍子の項目が充実することになるはずです。
どうか御願い申し上げます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 10:55 (UTC)

「専門用語」と「学術用語」 編集

(インデント戻します)話がかみ合わない理由の一つが見えてきました。専門用語学術用語の混同と、ウィキペディアの専門用語での定義にその一つがありそうです。確かに専門用語の定義では一般に使われる言葉は専門用語ではないことになります。世界最狂の魔法使いCray-Gさんはこの定義に合わないことを持って「碍子は専門用語ではない」と主張されているようです。しかし「がいし」は建築、土木、電気における学術用語であり、「学術用語として」その分野で一般的である「がいし」表示をするべきだと考えます。(私は前に「学術用語として」と書いたのだけどなあ)--アルビレオ 2010年2月4日 (木) 21:51 (UTC)

学術用語というのを学術分野で用いられる用語という意味にとり、さらにそれを学術分野における表記ととるとして、学術用語集が「がいし」であっても「碍子」が同等に用いられている学術分野もあります。たとえば鉄道分野では、電気鉄道に関する JIS では「がいし」なのですが、文献では「碍子」も同様に用いられています。特許申請で用いられている語は技術用語であって学術用語ではない、といった区別をしなければ、特許では「碍子」の方が多いという事実があります。これらからすると「その分野で」というがまず決めにくいですし、「その分野で一般的である」というのが分野によっては「がいし」であるとはいえない (かといって「碍子」であるともいえない) ところに難しさがあります。その意味ではどちらとも決められないのですから、内容の読みやすさから冒頭分は「碍子」ではじめて JIS では「がいし」としていることを明示した上で以降の文中では「がいし」を基本に必要に応じて「碍子」を用い、記事名は冒頭にあわせて「碍子」とするのはどうですか、と提案しています。いまのところ本人以外の賛成ゼロですが。--Jms 2010年2月4日 (木) 23:35 (UTC)
КОЛЯ氏>更に広義に解釈される立場があるようです
なるほど、由来に拠って決定する立場ですか。であれば碍子(明治時代頃に作られた訳語だと思いますが)の語源を調べれば決定可能になりますね。つまり語源において何の専門分野の何という概念を示していたのかと、該解釈に基づくことで専門用語である/無しを主張することが可能になります。その後、その「由来に拠って決定する」ことの妥当性を議論することになるでしょうが、議論は進みますね。
アルビレオ氏>話がかみ合わない~~専門用語と学術用語の混同
学術用語というのがwikipediaの該項目に記載の通りの意味であるのなら、該項目に記載されている「一般の言葉と比較して、定義のはっきりしていることが求められる」ことから、該分野の書籍に定義や注釈や解説やそれを示唆する何かが記載されているはずです。碍子が建築、土木、電気における学術用語であるのなら、建築/土木/電気の分野の書籍に定義や注釈や解説やそれを示唆する何かが記載されているはずです。それを只一つでも例示すれば議論が進みます。つまり、その例示が適切か否かの議論になるわけです。例示するべき何かが無いのは(確かに該分野に於いても使用しているが)一般用語として使用されているだけで学術用語ではないからです。故に、私の主張に関しては専門用語であっても学術用語であっても差異はありません。専門用語と学術用語とを混同したことは悪いと思いますが、その指摘は議論を進展させる効果を持っていません。
Jms氏>いまのところ本人以外の賛成ゼロですが
議論が決着不可となり投票のみによって決定することにでもなったら賛成票を投じますよ。(苦笑)
Jms氏>特許では「碍子」の方が多いという事実
余談になりますが、特許出願書類は「査読」を経ないので信頼性のある情報源か否かに疑問がありますね。それが特許を主張して書式さえ守ってあれば、どんな政治的主張でも宣伝でも愚痴でも小噺でも出願内容に含めることが可能であり、それは全て特許広報に載りますので。時々、面白特許として話題になることがありますよ。今回は出典ではなく単なる参考なので問題無いでしょうけど。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月5日 (金) 00:47 (UTC)
私のコメントについて、「由来」とか「語源」とかいうのは誤解と思います。--КОЛЯ 会話 2010年2月5日 (金) 02:16 (UTC)
では何をどう参考にさせる意図があったのでしょうか。もしも該コメントが、私の提示した条件以外の条件を満たす他に「その通りに明記された出典以外には検証可能性が存在しない条件」に基づいて専門用語なり学術用語なりであるか否かが決定する場合がある、と言う主張であれば、此処で行なわれている議論(専門用語なり学術用語なりであるか否かの議論)のほぼ全てが無駄だと言うことになります。即ち、如何なる議論を行なおうとも「それは専門用語だか学術用語だかである」という主張が常に可能であり、それを検証することは「その通りに明記された出典」を出す以外にありません。無論、私の提示した二条件のいづれかを満たせば検証可能であり「それは専門用語だか学術用語だかである」ことが確認されるわけです。しかし、それは一切行なわずに単に(=検証可能性の無い)主張をするだけ(←現状ではお互いにそうです)では議論になりません。「専門用語としての意味」を持たない「専門用語」なり学術用語なりが存在したと仮定して、それが一般用語ではないことを(由来にも語源にも出典にも拠らずに)どうやって検証するのでしょうか。検証は出来ませんよね。検証出来ないなら出典の提示以外に決着は不可能になります。出典以外にも議論によって検証可能だから議論するのであって、そうでないのなら議論は無駄です。現状(私の見落としでなければ)この頁の遥か上の方で、碍子は一般に用いられる用語であるという議論に対して反論はありませんでしたので「碍子は一般に用いられる用語である」と事実上の推定をしています。ですから、碍子が専門用語なり学術用語なりであると主張することは、碍子が一般用語であり且つ専門用語なり学術用語なりでもあることを主張していることになります。その上、一般用語であり且つ専門用語なり学術用語なりでもあり且つ専門用語なり学術用語なりとして一般用語と全く同等で差異の無い意味で用いられる用語がある、と主張されては、あらゆる一般用語を専門用語なり学術用語なりとして主張することが可能になってしまいます。
せっかくなので言っておきますと、隕石もアンテナも「専門用語としての意味」があります。隕石は「地球外由来」であること。つまり地上から宇宙へ石を持って行って地上に落下させた場合、一般には隕石扱いしても問題無く会話が成立しますが専門用語としては隕石ではありません。アンテナは逆に、専門用語としては東京タワーはアンテナですが、一般にアンテナと言った場合に東京タワーが含まれていることには留意しません。指摘をされれば理解はするでしょうが、例外扱いします。これら「専門用語としての意味」は共に「厳密に言えば」などの前置きを以って話されるものであり、それを聞いた者も「特に」その意味を他人に伝える「必要がある場合に限り」、「厳密に言えば」などの前置きを以って話す内容です。それは専門分野同士の会話やら専門的な話題やらでない時に限られ、また必要が無いなら一般用語としての意味のまま会話を続行するものです。
「由来」でも「語源」でも無く「一般用語であり且つ専門用語なり学術用語なりでもあり且つ専門用語なり学術用語なりとして一般用語と全く同等で差異の無い意味で用いられる用語」の例示があれば、それに関して比較検証することが可能になるでしょう。ですがその例示が問題となっている碍子以外に一切無いのでしたら、そもそものそんな用語が存在するという主張に問題があると考えるのが妥当なのではないでしょうか。
で、問題があるのでこれは「由来」や「語源」を根拠にしたものだろうと判断したのですが、そうではないのなら如何なる意図だったのか説明していただければ助かります。
なお、これを読んでいる方の中で、先の隕石やアンテナのような形で構いませんから碍子の「専門用語としての意味」を例示していただける方がいらっしゃれば、是非御願い致します。例示の時点で出典が無くとも比較検証が可能となり議論が進むことになりますし、何を探せばいいのかがわかれば(他の誰かによって)出典が見付かる可能性も高まることでしょうから。私の主張は飽くまで碍子には「専門用語としての意味」が存在しないことであり、それを根拠にJISだのなんだのが「大人の事情」によってしている表記を用いることは不適切なので項目名を碍子にする方が適切である、ということなのです。碍子に「専門用語としての意味」が存在するのなら、項目名ががいしであることに反対する理由は無いのです。何故ならリダイレクトもされているし、そのことを本文に記載してあれば充分な話なのですから。それこそ、イヌの項目名が犬でないのと同じように。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月5日 (金) 08:01 (UTC)
「その専門分野の概念を表すすべての用語を専門語とするという見方」があるという話を紹介しました。この立場を便宜上「第3の意味」としておきます。この第3の意味の場合では、「一般用語であり、かつ専門語(=専門用語)でもある語」があることになります。まさにこの点を紹介したかったわけです。ここでは一般用語として用いられた場合と意味の差異が大きいか小さいかは問題になりません。しかし意味の差異はおそらくあるだろうと推定されます。通常、専門分野で専門用語として流通している場合、無際限に意味の拡張を起こさせることは慎まれ、しかるべき定義がなされているものです(もちろん、論者によって相違はありえます)。ですから一般用語と比べて意味が限定されて用いられているという推定が働きます。ある語が専門用語(第3の意味)であることは、容易に証明できます。専門の用語集に立項されていたり、論文で定義が述べられていたりすれば専門用語です。--КОЛЯ 会話 2010年2月5日 (金) 10:35 (UTC)
なるほど、つまりそれが専門用語であるか否かはともかく「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」を持っているわけですね? であれば、それは「専門用語としての意味」を持っているのであり、先に私が述べた条件を満たしています。「専門用語」であるか否かは見方の問題かも知れませんが、そういう場合の為に「専門用語としての意味」を持っているという条件を設けました。一般用語として用いられることのない「専門用語」か、一般用語としても用いられるが「専門用語としての意味」を持っているか、のどちらかと私は条件を設け、その後者に該当しているわけです。なので、議論には何も影響はありません。
しかるべき定義がなされているものです(もちろん、論者によって相違はありえます)
それは構いません。私は揚げ足取りをしたいわけではないのです。
ある語が専門用語(第3の意味)であることは、容易に証明できます
そうです。私は何度もそう主張しています。それが「専門用語としての意味」を持っているという条件の存在意義です。それを専門用語と呼ぶことに抵抗がある人も居るかも知れませんが、少なくとも私はそれで充分であり、またそれが(例え証明されなくても)例示がされれば議論が進むのです。私はその「容易に証明できます」と言うそれが全く証明どころか例示さえされていない現状を以って、碍子は専門用語なり学術用語なりではなく排他的に一般用語であると主張しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月5日 (金) 11:23 (UTC)
少なくとも工学分野の学術用語・専門用語はКОЛЯさんの第3の意味で決められています。多分、他の分野でも同様でしょう。--rs1421 2010年2月5日 (金) 12:52 (UTC)
「専門用語」かどうかはともかく、「がいし」が「学術用語集」にあることが「学術用語」であることの証明になっていると思います。もちろん「一般用語」でもあることを否定しているわけではありません。--アルビレオ 2010年2月5日 (金) 13:44 (UTC)
失礼。競合があったようです。警告が出ると聞いていたのですがそれらしいものに気付きませんでしたもので。申し訳無い。
さて、学術用語集に載っているのであれば、其処に「専門分野でのみ使われる一般とは異なる意味」が載っているはずです。2010年2月4日 (木) 14:08 (UTC) に書いた通り、私は専門用語ではないので(用語そのものを知らない人の為の「一般用語として」の意味の「簡単な」解説はあっても)専門用語としての意味の解説(←定義レベルの解説のはずです)は存在しないと主張しています。これが誤っていることが確認出来れば碍子が「専門用語としての意味」を持つ学術用語であることが確認され、私の主張は否定されます。そしてその内容は本文に記載され、本項目をより充実させることになるでしょう。如何にすれば確認出来るでしょうか、或いは引用を御願いすることは出来ますでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月5日 (金) 14:18 (UTC)
手がかりでも無いものかとネット検索で軽く調べてみましたが、学術用語集という題名の書籍が存在し、それには意味は載っていないのですね。つまり「学術用語集に載っているのだから無条件に学術用語である」というのが論拠だったわけですか。で、その学術用語としての意味は誰も知らない(少なくとも議論に参加している中では)ということですね。学術用語集とは通称だと思っていましたし、まさかそれが翻訳時の訳語の対応を統一させる為のものであって意味が載っていないとは想像もしていませんでしたよ。
学術用語集は各分野に於いて発生した訳語の乱発による混乱を収める為の「訳語だけの英和/和英辞典」であって、記載の用語が学術用語であるか否かを定義付けるものには思えないのですが如何なものでしょうか。各分野において和訳英訳の際に必要となる(恐らくは当時の英和/和英辞典にはまだ載っていなかったり、出版社によって異なる訳語が充てられていた)語を列挙しているだけなのですから。その中に含まれている語は無論、一般の英和/和英辞典には載っていないであろう学術用語がほとんどであることは疑い無いですが、そうでない語も含まれているでしょうし、逆に含まれていない学術用語もあると思います。学術用語集は学術用語を定義付ける目的の書籍ではないわけですし、当然にそれを保証しているわけでもないわけですから。流石にそれで「学術用語集に記載されているから学術用語」というのは少々乱暴なのではないかと考えます。SAMURAIやNINJAが英和辞典に載っているから侍も忍者も英語、と主張するのと似たようなものに思えるのです。日本語で示されるものと(英語圏で)英語で示されるものとが異なって初めて「英語である」という主張が成り立ち得るのですから。
いくら文部科学省が出している権威ある書籍だとしても、利便性の為の(学術用語の定義の為ではない)書籍に「名前だけ」記載があること以外に何らの根拠が無いのであれば、流石に「証明」とまでは言えないと思うのです。もしも誰も学術用語だと思っていない用語に関して話をしていて、誰もが学術用語ではないからと真面目に取り合わない場合には、載っていることを示すことで真面目に話をするようになってくれる効果をもたらすことは出来るでしょう。それぐらい権威がある書籍ではあります。ですが、いくら権威があるとはいっても、学術用語であることを定義するわけでもない書籍に名前が載っている以外に一切の根拠が無いのであれば、全員がそれを学術用語であると認めるものでもないでしょう。現に本件議論でも「学術用語集に載っている」という論拠が何度も出ていますが、その度に反論が為されています。それは「証明になっていないから」なのではないでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月5日 (金) 17:31 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさんにお願いですが、もう少しこのノートの内容や、自分で発言されようとしている内容を確認してから書いていただけませんか。学術用語集については、本ノートの最初の方でQurrenさんがオンライン学術用語集に触れていますし、実際に学術用語集を確認すればすぐわかることですが、学術用語集は文部科学省が出しているものではありません。「がいし」が載っている「学術用語集 建築学編」は日本建築学会が出版しています。つまり日本建築学会が「がいし」を建築における学術用語と認めているのです。学術用語が全て学術用語集に載っている保証はないので、「学術用語集にないから学術用語ではない」とは言えませんが、「学術用語集に載ってれば学術用語」といえるでしょう。私の見るところでは、この言明に対して正面から反対されたものはないと思いますが。--アルビレオ 2010年2月6日 (土) 05:38 (UTC)
確認不足には是非も無いですね。私の落ち度です。で、出しているのが文部科学省か日本建築学会なのかは議論に影響は無いので厳密に調べる意味は無いと考えています。無論、私の無知を示唆するところであり正すべきことであることは理解しています。
「学術用語集に載ってれば学術用語」といえるでしょう。私の見るところでは、この言明に対して正面から反対されたものはないと思いますが
先ず正面から反対するには二通りいづれかの反論が必要であり、それは「学術用語集に載っていない」か「学術用語集に非学術用語が載っている」かです。前者は載っていることが確認されました。後者は水掛け論です。となれば、反対するには即ち「学術用語集に非学術用語が載っている」ことを証するための前提となる「学術用語の定義」を確認しなければなりません。そしてその議論が紛糾しています。現在正面から反対している最中なのです。
私はその「専門用語なり学術用語なりの定義」の議論が紛糾している理由を、学術用語集に載ってれば学術用語派が「学術用語集に載ってれば学術用語であるので、学術用語集に載ってれば学術用語である」という態度を取っていることと考えました。そこで譲歩を行い定義ではなく「専門用語なり学術用語なりが必ず具備する性質」を碍子が具備していないことを主張しました。そして、これに対する反論は「該性質を必ずしも具備しない専門用語なり学術用語なりが存在する」ことを「それ自体が何かの議論が紛糾している定義」に拠らずに示すか、「碍子が当該性質を具備している」かのどちらかだと主張しています。どちらの主張に関してもそれへの反論は一切ありません。反論のような投稿はありましたが私の言葉遣いへの指摘であり、全て私の主張に同意するものばかりです。
現在「学術用語集に載ってれば学術用語」という主張に正面から反対している最中に「それに反対されていないから正しい」と言われても困るのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 10:55 (UTC)
「学術用語集は学術用語を集めたものであるので、学術用語集に載っていれば学術用語である」です。実際の学術用語集は不完全なものにしかなりえないので、誤って「学術用語集に非学術用語が載っている」可能性はありますし、「学術用語であるにもかかわらず学術用語集に載っていない」こともあるでしょうが、「本来学術用語集に載っているものは学術用語である」とは言えるし、学術用語の外延的定義としてはそれで十分でしょう。学術用語の外延的定義からはそれに反対している意見はないと思います。世界最狂の魔法使いCray-Gさんの言っている反論というのは、学術用語の内包的定義から「がいし」が学術用語ではないという主張ですが、これは外延的定義に対する正面からの反論ではありません。私は言葉は実際にどう使われているかが重要とする立場なので、「がいし」が学術用語であることは「学術用語集に載っていて、載っていることが間違いではない」ことが言えれば十分だと考えています。補強するならば「がいし」は建築学会が発行している「学術用語集 建築学編」、土木学会が発行している「学術用語集 土木学編」、電化学会が発行している「学術用語集 電気学編」に記載されているので、その三学会が全て間違っていることは実際問題としてありえないと考えています。世界最狂の魔法使いCray-Gさんの主張は三学会が全て間違っていることにつながる主張になるのですが、まだそう主張されますか。--アルビレオ 2010年2月6日 (土) 12:42 (UTC)
学術用語の外延的定義としてはそれで十分でしょう
では(この頁の遥か上の方で)「学術用語集に載っているから学術用語である」との主張が為された時に議論が終結しなかった理由は何故だとお考えなのでしょうか。それでは不充分だからか、以後も反論を続けた全員がいつまでも納得しない困ったちゃんだからか、のどちらかだと思うのですが。
三学会が全て間違っていることにつながる主張になるのですが、まだそう主張されますか
学術用語集に非学術用語は載せないと該三つの学会が全て主張しているのであれば、非学術用語が載っているのが過誤であることが確認され、その過誤を三つの学会の査読が犯したと考えるのは不自然です。ですが無知なる私の知る限りでは、学術用語集に非学術用語は載せないどころか、英訳和訳の際の利便性の為のものだと理解しています。過誤ではなくとも利便性があれば意図的に非学術用語を載せると当然に考えられます。ちなみにオンライン学術用語集で調べた限りでは、土木工学編では「がいし」を含む用語は載っていましたが「がいし」そのものは載っていませんでした。電気学編はオンライン学術用語集に無いのでわかりませんが。ここから、碍子は学術用語ではないが碍子を含む学術用語が存在し、土木工学学会はそれを全て列挙したことで満足し、建築学学会はそれを全て列挙するだけでは満足せずに今後出現する新しい技術用語の為に共通する碍子という非技術用語を含めることで利便性を高めようとした可能性も考えられます。
なお、その権威主義(反対することは三学会が全て間違っていることにつながる主張になる)に凝り固まっている相手に正面から対抗すると権威(この際学会でも文部省でも構いません)に盾突くことだと主張され、非国民扱いする印象操作により意見封殺が行なわれ全発言を無意味化されてしまうので、正面から対抗するにあたっては準備を必要とします。ですが正面に立ってはいるのです、今まで誰も貴方(学術用語集に載っているから学術用語派)に刃を届かせることは出来ませんでしたが。それは「学術用語集に載っているものは学術用語である。何故なら、学術用語集に載っているものは学術用語だからである」という循環論証により正しいと主張し、反論は全て権威論証を用いて封じるつもりでいるので、議論の場に出てこないで無視しているからです。
実際、こうして私が何ら意味のある議論を行ない始めると権威論証を用いて封じにきました。そうです「外延的定義」とやらが循環論証と権威論証に守られているので「内包的定義」だか何だか知りませんが、とにかく武器を用意しているのです。ずっと正面に立っていたのですよ、まだ手ぶらですが。
なお、私の希望は議論の終結であり、その為には詭弁を封じ議論を進められる環境に戻さねばならんのです。その為には循環論証や権威論証や人格攻撃による意見封殺を防がねばならんわけです。とりあえず独断で強行(項目名を変更)し、循環論証を論拠として反対意見は権威論証や人格攻撃、果ては悪魔の証明を求めることで封殺し、誰も居なくなったら「やったもん勝ち」で既成事実を作るという手法はwikipediaの運営方針に沿っているとは思えません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 15:39 (UTC)
誤字訂正をしておきます、揚げ足を取られると困るので。【誤】技術用語【正】学術用語 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 18:13 (UTC)
そうですか。で、そのКОЛЯさんの第3の意味で決められた専門用語であるならば、当のКОЛЯ氏が断言した通り容易に証明できるのですよね? それは私がこれまで何度もしてきた主張です。その証明をしないのは何故ですか。私はぐっと譲歩して例示で構いませんと言っています。それすらしないのは何故ですか。ここで徒に議論とは無関係な「専門用語なり学術用語なりの定義」を確認しようとしているのは何故ですか。私は専門用語か学術用語かすら問題にならないぐらい根本的な主張をしています。なので専門用語の定義そのものはもっと問題ではないのです。
専門用語なり学術用語なりの定義がどうであれ、専門用語なり学術用語なりではない用語が持たない特徴を専門用語なり学術用語なりは持っています。その特徴を例示して欲しいと言っているのです。でないのなら、私の「専門用語なり学術用語なりではない用語が持たない特徴を専門用語なり学術用語なりは持っています」という主張が誤っていると指摘して下さい。「その主張は正しいが専門用語の定義は云々」ということは議論の進行上無意味であり、既に私が 2010年2月4日 (木) 17:35 (UTC) でHatukanezumi氏に指摘したのと同じ議論の混乱をもたらします。「専門用語の定義はかくかくしかじかなのでその主張は誤っている(或いは誤っている可能性がある)」であれば、議論が進行するので大変有意義であり歓迎するところなのですがね。
上記の「専門用語なり学術用語なりではない用語が持たない特徴を専門用語なり学術用語なりは持っているはずだ」以外にも、議論の進行上意味の有る誤謬の指摘が可能であることは既に書きましたが、議論の進行上無意味な茶々が繰り返された為にすっかり流れてしまって確認するのも一苦労な状況になっています。議論を混乱させるのが目的であればまずまずの成果を挙げていることになりますね。そうでないのなら、私の投稿に茶々を入れつつ同じ主張をするのは無意味だと思うのですが如何でしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月5日 (金) 14:03 (UTC)
学術用語集(『学術用語集 電気工学編』文部省・電気学会、1991年、ISBN 4-339-00581-9)の「序」に、学術用語集は学術用語が特定分野に限定されず普遍的に利用されるようにすることを目的とする旨が書かれています。これを以て学術用語としての「がいし」は普遍的用語としての「がいし」と同一のものと見なすことは考えられないでしょうか。--Ray go 2010年2月6日 (土) 12:20 (UTC)
大変興味深い意見を有難う御座居ます。それは、碍子が「わけのわからん俗称やスラング」ではないことを示しています。それと、「普遍的用語」である可能性を示唆しています。その二つは既に合意が得られていると考えます。つまり、碍子は「学術用語派が言う碍子と同一の用語であり且つ普遍的用語(私が言う一般用語)としても用いられる用語」です。なので私は「学術用語として用いられる場合があるのか」を問題にしているのです。
現在「学術用語集に載っているから学術用語である」という主張に反対が為されています。つまり「学術用語集に載っているから学術用語である。碍子は学術用語集に載っている。故に学術用語である。故にwikipediaの慣習に従いがいしとするべきである」という主張に対し「碍子は学術用語集に載っているが学術用語ではない」という主張が為されています。その為に「学術用語の定義」の議論が延々と為されています。途中から専門用語になるなど紆余曲折し終結の兆しが全く見えません。ですが、そもそも曖昧で感覚的な定義とも呼べない定義しかないものを議論するのは無駄なので、私はもっと具体的に「学術用語なり専門用語なりが必ず具備する性質」の例示を御願いしています。
学術用語としての「がいし」は普遍的用語としての「がいし」と同一のものと見なすことは考えられないでしょうか
それは私が言う「学術用語なり専門用語なりが必ず具備する性質」に関して「一般用語と完全に同一の意味しか有しない学術用語なり専門用語なりが存在する」という主張に相当します。私は「それは存在しない」と主張しています。またそれに対する反論を求めています。
考えられないでしょうか? いいえ、考えられます。考えられるからこそ、反論を求めているのです。もしもそれが存在するのであれば、碍子以外にも存在するはずです。なので碍子以外のそれを例示出来るのです。出典までは求めていません。例示だけでいいのです。考えられるからこそ、例示を御願いします。当該関連は 2010年2月5日 (金) 08:01 (UTC) にも書いてありますので、合わせてお読み戴けると幸いです。
私は「聞く耳を持たずに頑固に言い張っている」のではありません。聞きたがっているのです。言って下さい、遠慮せずに。私の主張を繰り返すのではなく。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 13:53 (UTC)
  コメント どこにつけたらいいのやら……。「隕石」の例ですが、そういうものも隕石だと考えるひともいるのかもしれませんね。岩塊か金属塊かわかりませんが、それだけのものを運びあげるのは大変そうですね。宇宙船を離れた「石」はどんな軌跡を描くのだろう……と想像してしばし楽しみました。
で、「アンテナ」の例ですが、東京タワーはアンテナではありません。あれは電波塔です。あの構造物の全体から電波が放射されているわけではないです。また一般的な理解としても、あれは塔でしょう。アンテナだとおもっているひともいるのかもしれませんが、それは単なる誤解です。
さて、ちょっと話を戻してしまいます。申し訳ない。上の議論はそのままお続けください。
わたしの言う一般的な言葉としての碍子とは、碍子引き配線で用いられるようなものです。低圧用途で、空気による絶縁に頼れない部位で用を果たせばよく、ほとんどすべてが磁器製です。工業的に生産されるとは限らず、伝統的な陶芸の方法で手作りされている場合もあります。一般家屋の屋内配線などで必要とされる程度の絶縁性能をもてばよいため、形状も単純です。
がいしの記事で解説されているものは、そういったものだけではありません。送電鉄塔に登ったことがあったり、変電所に勤務していたりでもしないかぎり、目近に見ることはないものもあります。もちろんそんな経験がなくても「遠目に見えるあれもがいしと呼ばれることを知っていた」というひとはいるでしょうが、専門家でなければ身近に接することがないものであることにかわりはありません。
そういうわけで、「がいし」という言葉を学術用語として使いたいという需要はあるはずです。ですから『学術用語集』にも収録されたのでしょう。--Hatukanezumi 2010年2月6日 (土) 12:40 (UTC)
隕石やアンテナの件は、そもそも定義の曖昧な一般用語を用いる専門分野の人間ではない私の例なので、色々と問題があったようです。理解しました。
さて、碍子の「専門用語としての意味」の例示を有難う御座居ます。
申し訳ありませんが、私にはそれが「専門用語としての意味」として「一般用語と異なる意味」だとは全く思えないのです。むしろ逆に、電柱の碍子の方がメジャーだと思います。最近はマンションも増え、屋内配線の碍子の方が目にすることは無いですし、小さいので見かけても存在自体気にならないでしょうから、例示としてはそちらが出てくるかとばかり思っていました。そして、「専門用語としての意味」である根拠が「遠目に見ることはあっても専門家でなければ身近に接することがないもの」だからというのは流石にどうかと思うのです。星もロケットもミサイルも戦車もジェットエンジンも「遠目にみることはあっても専門家でなければ身近に接することがないもの」ですが、一般に使われる意味以外に専門用語としての意味を持っていると思います。
ですが、例示は例示です。出典ではないので私以外の人の意見も参考にし議論が行なわれなければなりません。碍子の項目名を「碍子」にしたい人(=本件提案に賛成票を投じた投じる人)はこれをどう判断するものでしょうか。これが「一般用語とは異なる専門用語なり学術用語なりとしての意味」だと認め、項目名を学術用語集に記載の通り「がいし」のままとして「碍子」にする提案に反対しますでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 13:53 (UTC)
私の2月5日 (金) 10:35の発言をよく理解されていませんね。「第3の意味」では「専門用語と一般用語は排他的ではない」になります。それを勝手に第2の意味と同意味だと解釈なさいました。もし第3の意味が第2の意味と同意だとすれば、世界最狂の魔法使いさんの疑問は容易に氷解します。「アンテナ」「隕石」について考えられたのと同じような「一般人の誤解」を想定すれば済むことです。例示、例示と繰り返されますが、ご自分でお考え下さい。また、同じ主張が繰り返されるようにお感じかもしれませんが、それは既に言われていることをあなたが理解されないからです。逆に私は、あなたがなぜ理解できないのかが理解できません。--КОЛЯ 会話 2010年2月7日 (日) 01:57 (UTC)
申し訳無いです。理解が出来ました。
専門の用語集に立項されていたり、論文で定義が述べられていたりすれば専門用語です。
この専門の用語集として、意味の載っていない学術用語集を想定していたわけですね。何らの意味の載っていない専門の用語集が想定外だったので誤解していました。
さて、その「第3の意味」を適用する立場が存在することは理解しています。その立場(学術用語集に載っているので学術用語である)とそうでない立場(どう見ても一般用語なのに学術用語とかおかしいだろ、そもそも学術用語って何だよ)とで意見対立があり議論が紛糾しているのですから。
その立場を取るならば、即ち椅子は学術用語であり、学術用語なので学術用語集の記載に従いwikipediaに於ける椅子の項目はいすに改名するべきである、という主張を行なうはずです。しかしながら改名強行どころか改名提案すらされていません。それは何故か。それは「その立場」が恣意的な立場だからです。自分勝手な都合に因って学術用語であるとか学術用語ではないとか言い張る立場だからです。そのことに関しては既に 2010年2月5日 (金) 08:01 (UTC) にて書いた通りです。つまり「椅子」が学術用語であるからという理由で改名提案を行なっても全く勝ち目が無いから改名提案を行なわないし当然改名強行などしない。つまり都合が悪いからその「第三の意味」の立場を取らない。だが碍子なら都合が悪くないだろうと思って「第三の意味」の立場を取った、という主張ですね。
善意に解釈しようとして「由来」だの「語源」だのと考えましたが、善意に解釈するべきところではなかったわけですね。
さて、椅子の改名提案が行なわれたならその立場が恣意的でないことを認められるかも知れません。そして椅子の改名提案の議論と同じ議論で以って「学術用語集に載っているので学術用語である」に反論します。もしも万一椅子がいすに改名されることとなったなら、同じ議論で以って碍子への改名提案には賛成出来ないことになります。ですが椅子の改名強行どころか改名提案すら行なわれない事実を以って「学術用語集に載っているので学術用語である。学術用語の項目名は学術用語集の記載に従うことになっている。なので碍子の項目名はがいしであるべきである」という主張(及びその根拠となっている第三の意味を適用する立場)を認めません。それは、既に述べた通り事実や出典と独立して恣意的に行なわれる「検証可能性の無い」主張、即ち「独自研究」であり議論にならないからです。この場合の独自研究というのは即ち情報の合成であり、「学術用語集に載っている」という情報と「学術用語である」とが合成されています。都合が良い時には合成し都合が悪い時には合成しないという「一貫性の無さ」を根拠に情報の合成であると判断します。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 03:49 (UTC)
細かいところですが。電気工学のハンドブックについてはずっと上の方で既に例示がされております。「専門の用語集」にはこれら教科書、ハンドブックの項目や索引項目も含ませたつもりですし、私は論文で定義される場合も挙げております。『学術用語集』も含みますが『学術用語集』だけを想定したわけではありません。正確に理解して下さい。しかもあなたが『学術用語集』をよく知らず、意味の説明があるものと思っていた時点から「誤解」は始まっていましたね。取り繕いはよしてください。「由来」「語源」と解釈されたのも単なる見当違いに過ぎないのでありまして、それを「善意」と綺麗事を言うのもよして下さい。(私がもしも「由来」「語源」による、という主張をしていたのだとしたら、またぞろそうなっていないあらゆる記事に対して改名提案をしていないことを以て「一貫性の無さ」をあげつらわれるのでしょうか???)--КОЛЯ 会話 2010年2月7日 (日) 05:33 (UTC)
取り繕いはよしてください
取り繕いではありませんよ。取り繕いであるというКОЛЯ氏の主張は「私がもしも「由来」「語源」による、という主張をしていたのだとしたら、またぞろそうなっていないあらゆる記事に対して改名提案をしていないことを以て「一貫性の無さ」をあげつらわれるのでしょうか???」に於ける「一貫性の無さをあげつらう」ことを私が行なうつもりであったからと考えたものだと思われます。どうか悪意に取らず、長いですが私の 2010年2月5日 (金) 08:01 (UTC) の記述を良く読んで下さい。以下に簡単に説明を記述しますので、理解の助けにして下さい。
>>で、問題があるのでこれは「由来」や「語源」を根拠にしたものだろうと判断したのですが、そうではないのなら如何なる意図だったのか説明していただければ助かります。
この文の前の二つの段落が、その「一貫性の無さ」が存在し得ることを指摘しているものです。この段階で既に椅子の例は頭にあり、然るべき時に指摘するつもりで居ました。そしてそれ(二つの段落の内容の意味だと解釈したもの)では「一貫性が無い」という問題があるので「由来」や「語源」を根拠にしたものだろうと判断したと書いています。ところがそれは私の誤解であり、私が問題があると断じたそれそのものだと主張しました。なので「然るべき時」問題を指摘したのであり、その問題(=悪意≒ここでは詭弁や独自研究)を持っていると判断しないで善意に取るのがwikipediaでの方針なので、善意に解釈し詭弁や独自研究が入っていないものと考えた結果、「由来」や「語源」に至ったのです。それを他の議論参加者が認めるか否かは知りませんよ。ですが「由来」や「語源」を根拠に学術用語と認めるか否かや、その「由来」や「語源」が本当か否かの議論に移ることが出来ます。其処に恣意が入る余地はありませんので、正常な議論が可能になります。
ですがКОЛЯ氏の主張は(ハンドブックだか何だかを含めても)循環論証であるという問題を抱えていることに変わりはありません。その問題を解消する為に「学術用語ならば一般用語とは異なる学術用語としての意味が載っているはず」だというのを根拠に循環論証を打破しようとしています。例えハンドブックであろうが論文であろうがに椅子が載っていようとも、学術用語ではないのでどんなに調べても「学術用語ならば一般用語とは異なる学術用語としての意味が載っているはず」である「一般用語とは異なる学術用語としての意味」は載っていません。なので椅子は学術用語集に載っているが学術用語ではなく、学術用語ではないので項目名を学術用語集に記載の「いす」ではなく「椅子」とすることに正当性が与えられるのです。
碍子でも同じことが言えると私は主張しています。「学術用語ならば一般用語とは異なる学術用語としての意味が載っているはず」ですから。そしてそれが無いことが「椅子」が「いす」でない根拠なのですから。それが無い碍子も同じように、「碍子」が「がいし」でない正当性があるのだと主張しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 07:44 (UTC)
>取り繕いであるというКОЛЯ氏の主張は [中略] 「一貫性の無さをあげつらう」ことを私が行なうつもりであったからと考えたものだと思われます。<
違います。--КОЛЯ 会話 2010年2月7日 (日) 14:31 (UTC)
そうですか。それは何よりです。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 14:45 (UTC)

定義には、外延的定義と内包的定義があります。「学術用語」の外延的定義と「本来あるべき学術用語集に含まれる語」は同じ意味です。言い換えると「学術用語とは、学術用語をリストアップしたリストに含まれるものである」ということを言っています。これが循環論法だという指摘は、どうすれば学術用語にリストアップする用語かどうかが決められない、と言っているわけですが、それは結局「学術用語」の内包的定義がまずあるべきで、その内包的定義に従って「学術用語」かどうかを判断するべきだ、と言っているのでしょう。一方外延的定義からは、「本来あるべき学術用語集に含まれる語」が「学術用語」であって、実在の「学術用語集」は必ずしも「本来あるべき学術用語集」と一致していないことを抑えておけば「学術用語集に載っている語は学術用語である」は単なるトートロジーであり、自明の事実です。むしろ「本来あるべき学術用語の内包的定義」は「本来あるべき学術用語集に含まれる語と含まれない語が区別できる定義」でなければなりません。しかし自然言語はそもそもあいまいなものであり、例えば広辞苑の学術用語の定義や、ウィキペディアの学術用語の定義は「本来あるべき学術用語の内包的定義」の近似値でしかないと考えるべきです。 世界最狂の魔法使いCray-Gさんは「学術用語の内包的定義」を聞きたがっていますが、私の考えでは「学術用語の内包的定義」はどこまで行っても「本来あるべき学術用語の内包的定義」の近似値にしかならず、実際に「学術用語集」が存在している以上あまり意味がない、です。--アルビレオ 2010年2月7日 (日) 03:23 (UTC)

直前に挿入することとなりましたが、その外延的定義とやらに従って椅子をいすに改名しない理由と同じ理由で改名提案が為され改名賛成の意見が出ています。それに対する「正面から」の反論は改名強行者であるQurren氏による 2009年12月12日 (土) 13:52 (UTC) の「電気工学分野の専門用語だと思っていました」だけですね。そしてその後は改名強行者本人を含めて学術用語集に記載がある前提の上で専門用語なり学術用語なりであるか否かの議論に発展しています。該発展自体がその外延的定義とやら自体を誰も認めていないからこそ行なわれ、今此処に至っているのです。今更外延的定義とやらを云々するのは、議論を最初の数段落まで巻き戻すことであり、議論を混乱させ停滞させるものです。
書名忘れのついでに。「直前に挿入した」内容とは 2010年2月7日 (日) 03:49 (UTC) です。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 04:41 (UTC)
  コメント えーと、なぜ「学術用語」や「専門用語」についての議論がでてきたのか、以前の節も読み返してよく考えてみてください。あなたにとってはどうでもいい論点なのかもしれませんが、論点を提出した側にとっては理を尽くして説明するために必要な点なのです。
また、他の記事での合意形成の事例を参照することは有益ですが、「あっちがそうなのにこっちがそうでないのは不公平だ」といった論拠に用いるのは誠実な議論とは言えません。そういうこともあって、わたしは先日の提案の際、「ここで述べた意見は当記事だけに関するものです」と断りました。当記事の事情に即した議論をお願いします。
今週はアクセスが間遠になります。よい合意に達することを願っています。 --Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC)
「あっちがそうなのにこっちがそうでないのは不公平だ」といった論拠に用いるのは誠実な議論とは言えません。
それが誠実な議論ではないのは「あっち」と「こっち」で事情が異なる別事象なのに関連付けるからです。私の言っていることはそうではありません。つまり詭弁#論点のすりかえに於ける例Aのようなことを言いたいのではありません。なので不公平だとは言っていません。不公平でも何でもありません。それが恣意的であるか、恣意的でないのなら椅子と碍子との間には「異なる事情」があるはずだ、と言っているのです。異なる事情があるのなら言えるはずです。確かに「不公平である」と言えば、如何なる異なる事情があろうとも、その事情が「不公平である」のなら言うことが出来なくなります。私は「不公平である」と言っているのではなく「恣意的である」と言っています。即ち「不公平な事情」であっても言うことは出来ますし、逆に「恣意的な事情」であれば言うことは出来ません。そして私は「恣意的な事情」であることを指摘しています。つまり恣意的であるが故に「独自研究」であると主張しているわけです。反論は、恣意的であっても独自研究ではない根拠か、恣意的ではない事情を説明することで可能です。「不公平であるから俺を逮捕するな」は誠実な議論ではありません。ですが「恣意的であるから独自研究である」は本件に関し誠実な議論であると考えます。なお誤解されることが多いので付け加えておきますと、「恣意的」というのは「気まぐれに、思いつきで、都合良く、客観的な基準無しに」といった意味です。椅子と碍子で異なる事情があるという主張ならば、その客観的基準を説明して下さい、と言っているのです。確かに私が不公平だから云々と主張しているのなら不誠実でしょう。ですが私は客観的基準が無いので恣意的であると判断しています、という私は主張しているのです。それを言っても居ない「不公平」という言葉を付け加え「不公平だから碍子に改名しろ」と主張していると言い換えて、言い換えた「不公平だから碍子に改名しろ」という主張は不誠実であると言われても困るのです。今回の行動は 2010年2月4日 (木) 14:54 (UTC) の際の言い換えと類似した行動なのですが、私の表現はそんなに誤解を受け易い表現なのでしょうか。宜しければ私が「不公平である」と主張した判断した箇所を提示していただければ、今後、私の表現が少しでも誤解を受け難くなるように努力する際の参考にすることが出来るようになります。
なぜ「学術用語」や「専門用語」についての議論がでてきたのか、以前の節も読み返してよく考えてみてください。
そっくりお返し致します。#Unit.1の --Rambler 2009年12月10日 (木) 15:00 (UTC) に於いてJISや法令等で採用されているというだけでは記事名の基準にならない、という主張が為され、対して --Qurren 2009年12月12日 (土) 11:23 (UTC) にて「学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます」とあります、と反論が為されました。この時点で既に学術用語集に記載されていることは推定されています。その上で二つの問題、一つは碍子が「学術用語」であるのか否か、一つは碍子の場合も「原則」に適合するのか否か、がありました。その前者です。
私の主張は現在一つの目的の為に二つの主張が行なわれています。目的とはつまり循環論証の論破です。その為の二つの主張とは、一つは碍子が「学術用語」であるか否かを確認する為の「内包的定義」とやらの確認。一つは今Hatukanezumi氏によって言い換えられて不誠実呼ばわりされた、碍子の場合も「原則」に適合するか否かを確認する為に他の「原則」に適合しない条件を持つ「椅子」との事情の違いの確認です。
わたしは先日の提案の際、「ここで述べた意見は当記事だけに関するものです」と断りました。
該提案を確認させて戴きます。また私の主張も合わせて書きます。
電気工学におけるがいしは「がいし」という表記ということになります
「電気工学における碍子」に関する記事の内容に於いて「がいし」と書かれることには誰も反対していないと思いますし、私も同意します。
前者は専門用語として明確な意味を与えられた「イヌ」を指すためにそう書くべきである
はい、専門用語として明確な意味を与えられた「がいし」を指す為に「がいし」と書かれているのならば反対はしません。
専門分野の解説がない記事というのは考えられません
私も考えられません。
論点を提出した側にとっては理を尽くして説明するために必要な点なのです。
いちいち一つ々々書きました。理を尽くして説明して下さい。私は電気工学の専門知識など全く持ち合わせていない高卒の人間です。私の利用者頁を見ていただければわかるかと思いますが、計算機数学や数学、また投資や会計に関わる知識に関しては一般人よりは専門知識を持っていると考えています。ですがそれらの専門知識を得るにあたって碍子に触れたことは無く、電気工学だか建築学だかに係る専門知識無しに一般用語として碍子に関して知りました。そんな私が何度かその「一般用語としての曖昧な定義」を(内心では誤解を怖れながらも)書いています。なので遠慮無く「違うんだよ!専門分野では~~を碍子って言うんだよ!わかったかド素人!」と言って戴ければ、それは私が知らない知識であり只管感心する以外に無いはずなのです。理を尽くさなくても。
ですが理を尽くして下さるのならば、それは私の知識のような「独自研究」に頼ることなく客観的に確定が可能になります。
なお改めて書きますと、私は当該提案の前提に対し当記事に於いて「電気工学上のがいしに言及」している箇所は具体的に何処になるとお考えなのでしょうかと返しました。意味が伝わらなかったようなので乱暴に書きますが善意に受け取って下さるようあらかじめ御願い致します。そしてこれもあらかじめ御願いしますが、言い換えて言い換えた内容を基準に誠意が無いとかそうは思えないとか言う場合には少し注意して戴ければもう少し話がややこしくならないで済むかなとも思います。では、伝わらなかったであろう意味を強調で書かせていただきます。反対するわけではありませんが、記事本文内に「電気工学上のがいしに言及」している箇所が存在していませんので提案の全てが無意味です。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 07:44 (UTC)(い

(インデント戻します)しばらく「がいしは学術用語である」に対する反論をお待ちしていましたが、世界最狂の魔法使いCray-Gさんからは直接の反論がありません。すくなくとも私が定義について説明した以降、長々と感想はお書きになっていますが、意味の通る反論とは読み取れません。感情的なコメントをするなとは言いませんが、反論するのであれば論点を絞り、感情的な文とは切り離して簡明にコメントしてください。--アルビレオ 2010年2月20日 (土) 00:13 (UTC)

アルビレオ氏が反論を待っている主張とは 2010年2月6日 (土) 12:42 (UTC) で宜しいでしょうか。それに対する私からの反論 2010年2月6日 (土) 15:39 (UTC) 及び 2010年2月6日 (土) 18:13 (UTC) が「意味の通る反論とは読み取れ」なかったものと判断して書かせて戴きます。違う場合はその旨指摘して下さい。短くわかり易く纏める都合上、少々言葉が乱暴になってしまうかも知れませんが善意にとって戴けるよう御願い申し上げます
なお、その後議論は進んでいますので、#椅子と碍子との事情の違いに於ける私の 2010年2月17日 (水) 05:43 (UTC) の投稿を読んで戴ければ、アルビレオ氏が主張する学術用語の外延的定義に関しては私も態度を軟化させたことがお解かり戴けるかと思います。ですが未だに「アルビレオ氏が主張する外延的な学術用語の定義」と「Wikipedia:表記ガイド#学術用語に於ける「原則」に従わなければならない学術用語の定義」とは異なる、と私は主張しています。
学術用語の外延的定義としてはそれで十分でしょう
そのアルビレオ氏が主張する学術用語の外延的定義は、Wikipedia:表記ガイド#学術用語に於ける「原則」に従わなければならない学術用語の定義とは異なる、と私は主張しています。
三学会が全て間違っていることにつながる主張になるのですが、まだそう主張されますか
詭弁(権威論証)を使って論敵を「黙らせよう」とするのはwikipediaの運営方針に沿っているとは思えません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月22日 (月) 07:58 (UTC)
失礼。その後Hatukanezumi氏と「議論」がされていたので見落としていましたがアルビレオ氏が反論を待っている主張とは 2010年2月7日 (日) 03:23 (UTC) だったかも知れません。その後議論が進んでいることも合わせて、改めて書かせて戴きます。
アルビレオ氏 2010年2月7日 (日) 03:23 (UTC) の主旨を、これまでの主張で定義とされていたものは外延的定義のみを指し内包的定義ではないと主張を修正された上で、私の主張に於ける定義は内包的定義であると推測しています。此処まで合意を確認します。
さて、本件改名提案に於ける争点は二点あり、碍子がWikipedia:表記ガイド#学術用語学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じますの「学術用語」であるか否か、学術用語であるならば「原則」に従うべき学術用語か原則外となるべき学術用語か、です。
私の主張は、表記ガイド引用の文頭に於ける「学術用語」の定義が「学術用語の内包的定義に拠っている」と主張していたわけですが、#椅子と碍子との事情の違いの 2010年2月17日 (水) 05:43 (UTC) の投稿に於いて「学術用語の内包的定義に拠って原則外となるべきである」と主張を訂正(後述しますが、むしろ本来の主張です)しています。つまり表記ガイドを「(外延的定義に於ける)学術用語は、原則として(=内包的定義として学術用語と認められないなどの特殊な事情が無い限り)文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます」と解釈しています。もしもアルビレオ氏が今後も 2010年1月11日 (月) 01:35 (UTC) と同じく「(学術用語の外延的定義より)碍子は学術用語である」且つ「(外延的定義に於ける)学術用語は例外無く学術用語集の表記に従うべき」と主張されるのであれば、後者の主張が争点となります。本件の議論を最初から良くお読みになって戴ければ、私を含めた改名賛成派の主張は「学術用語や専門用語」の区分に関し無頓着であることがお解かり戴けるかと思います。それは最初から改名賛成派の争点が後者であり、それを「碍子は学術用語」派(改名反対派の一部)が原則として、とあれば従うのが原則です(Qurren氏 2010年1月16日 (土) 22:40 (UTC))という態度で聞く耳を持たずにいたので「表記ガイドに於ける原則に従うべき学術用語」の定義とは、という議論になって紛糾していたのです。其処へ外延的定義を持ち出して議論を最初の数段落まで巻き戻(2010年2月7日 (日) 04:41 (UTC))されても困るわけです。
以上、アルビレオ氏が新たに持ち出した用語を用いて説明致しました。ご理解戴ければ、「外延的な学術用語の定義」=「表記ガイドに於ける原則に従うべき学術用語の定義」と明に主張するのでない限り、学術用語の外延的定義に関しては特に私との争点は無くなったものと考えます。もしもアルビレオ氏が今後も 2010年1月11日 (月) 01:35 (UTC) と同じ主旨の主張を繰り返したい場合は、他の争点(恐らく原則に関わるものだと思います)を探して戴きたいと思います。念の為に書いておきますと、「イヌ」は学術用語の内包的定義に適合していることから原則に従うべき学術用語と考えられますが、碍子には内包的定義に適合すると思しき点が何一つ見当たらないことから「内包的定義として学術用語と認められないなどの特殊な事情」があるので原則に従うべき学術用語ではないと主張しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月23日 (火) 02:32 (UTC)
『「がいし」は学術用語である。』には合意頂けたということでよいのでしょうか? 私は少なくともこの節ではそれに絞って議論しているつもりであり、『学術用語集に従うべきか、原則の例外とするべきか』については議論していたつもりはありません。
なお、三学会が全て間違っていることにつながる主張になるのですが、まだそう主張されますかを詭弁と読むのは誤読です。この記述は世界最狂の魔法使いCray-Gさんが、「がいしが学術用語集に記載されていることは間違っている」と主張されているかどうかを確認したものであり、そう主張されるのであれば根拠を添えて主張されれば良いだけです。少なくとも私は学会が言っていることであっても、反証できるものであれば反証します。ただし、それなりに認められた学会の主張に反論するのであれば、それなりの根拠が必要でしょう。
もう一点。本来外延的定義と内包的定義は一致しているべきであり、もし不一致であればどちらかの定義が不完全です。もし議論を続けるつもりがおありでしたら、ここで世界最狂の魔法使いCray-Gさんの主張する学術用語の内包的定義を明確にしてください。--アルビレオ 2010年2月27日 (土) 11:59 (UTC)
『「がいし」は学術用語である。』には合意頂けたということでよいのでしょうか
いいえ、残念ながら合意はしていません。単に、碍子が学術用語であるとする「観点」が存在することを認識しただけです。そして「観点」の違いに基づく主張を議論で何とかしようとしても無意味な水掛け論にしかならないことを私は知っています。
なお、三学会が全て~~を詭弁と読むのは誤読です
それは失礼。では言わせて戴きます。長くなりますが、他の質問の答えともなります。
二者択一ならば、三学会が全て間違っていると主張します。学術用語の全ては、将来学術の成果が世に知らしめられて学術ではなく一般教養となり一般用語となる「壮大な使命」を持っています。学術用語集の編纂以前にそうなることが出来た学術用語は学術用語集に記載されることは無く、以後にそうなった学術用語があったとしても記載されたまま削除されることはありません。学術に於いて使用する一般用語は多々ありますが、そのほとんどが載っていないのは「学術用語集の編纂以前にそうなることが出来た」からです。では「一般教養となり一般用語となる」とはどういうことかと言いますと、学術上の意味と当該学術を専門的に学んでいない一般人が知っている意味とが同一になることです。例えば数(Hatukanezumi氏 2010年2月4日 (木) 14:54 (UTC))であれば、自然数整数の範囲に限り「一般教養となり一般用語となる」に至っていますが、数論群論など未だ「一般教養となり一般用語となる」に至っていない意味が存在しています。こういった用語が学術用語であることは問題無いでしょう。ですが「一般教養となり一般用語となる」に至ったならば、それは学術用語ではなくなるわけです。それを「過去に載せたから」という理由で載せ続けることは「運用上の必要性が考えられること」なので決して批難はしませんが「正しいこと」とは言えません。
その一例して椅子が上げられています。現在椅子と呼ばれいてる存在は古来より中国で用いられていたものであり、日本にもわずかながら輸入されその種類によりさまざまな「椅子以外の名称」で呼ばれていました。これが西洋文化の流入と共に大量に輸入されるに至り、さまざまな「椅子以外の名称」の西洋版、という混乱した用語が乱立したことでしょう。その頃はまだ「一般教養となり一般用語となる」に至ってなかったのです。西洋の建築を学び研究する学会でもこれは大いに困ったに違いありません。其処で学んだり研究したりするのに用いられる「まだ一般教養となり一般用語となるに至っていない」椅子を学術用語集に記載することになったわけです。時代が下って現代となり、いまや椅子を知らない者は居なくなりました。つまり「一般教養となり一般用語となる」に至ったわけです。それでも一度記載したから、そのまま記載し続けているのです。これは「運用上の必要性」から仕方が無いことだと考えます。でなければ「過去に記載した全て用語について、それが一般教養となり一般用語となるに至ったか否かを判断しなければならない」からです。その判断自体が難しい上に、それを全ての用語で、など無理に決まっているでしょう常識的に考えて。間違って削除してしまうぐらいなら、載せ続ける方が安全です。なので「それが正しい」とは言いませんが「それを批難するべきである」とも思いません。
学術用語の内包的定義を明確にしてください
特に議論を続けようとは考えていませんが、私の主張を理解して戴く為に書いておきます。「学術の分野に於いて明に定義された、一般に使われる意味とは異なる意味が存在する用語」ですね。一般に使われる意味と完全に同じ意味でしか使われない用語は(古来からなのか達成して学術用語としての性格を失ったのか知りませんが)学術用語ではなく一般用語だと主張しているわけです。
学術用語の定義に関しては水掛け論にしかならなさそうなので、これ以上議論を続けようとは特に考えていません。なので主張を変え、同じ論拠により「百歩譲って学術用語だとしても、一般に使われる意味とは異なる意味が存在しないのならば原則に従わない例外として扱うべきである」と主張しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月27日 (土) 14:28 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさんの主張は、「(1) 一般に使われる用語は一般用語である。(2) また一般用語と学術用語は排他である。(3) 従って一般に使われる用語は学術用語ではない。」ということですね。(1)は同意しますが、(2)に反対します。学術分野で専門的に使われる用語は、それが一般に使われていてもやはり学術用語でしょう。なぜ学術用語が一般に使われてはいけないのでしょうか? なお、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの論旨に従えば、同じように「(1') 学術用語で使われる用語は学術用語である。(2) また一般用語と学術用語は排他である。(3') 従って学術分野で使われる用語は一般用語ではない」という主張も成り立つでしょう。なお、私の主張は「一般用語と学術用語は排他ではなく、共通して使われる用語もある」です。
次に世界最狂の魔法使いCray-Gさんの学術用語の定義に反論します。その定義では「一般に使われる意味とは異なる意味が存在する用語」以外は学術用語ではないことになります。しかしこれは一般的な学術用語の定義と異なっており、範囲をかなり狭めたものです。ウィキペディアの学術用語でも、『用語によっては、一般で使われる場合と意味が違っているものもある。』となっており、『全ての用語が一般で使われる場合と意味が違っている』ではありません。今回の世界最狂の魔法使いCray-Gさんの主張さんを読むと、最初にこれを誤読されたことがすれ違いの発端であったように思います。--アルビレオ 2010年2月27日 (土) 22:14 (UTC)
問題の切り取り方と提示が適当でないのではないかと思いますが…。学術用語集などにある表記と、学術的とは言えない用例も含めた一般的表記とが異なる単一語を考えます。その場合、学術的な意味と一般的な意味が一致しない場合とする場合とが考えられます。一致しない場合のうち、互いに (概ね) 排他的な場合は、学術的な意味合いで用いられる場合と、それ以外の場合では表記が異なりますから、表記によって指示対象を区別できます。この場合には学術的な意味合いを説明している記事について「学術用語集」等に従った記事名としても、Wikipedia:記事名の付け方冒頭文の要請と整合します。一方、学術的な意味と一般的な意味が (概ね) 一致している場合、Wikipedia:記事名の付け方冒頭文の要請を満足するためには「学術用語集」等に従った記事名は採用できません。学術的な意味と一般的な意味が一致しないが排他的ではなく指示対象にそれなりの部分的重なりがある場合には、「学術用語集」等に従った記事名をとるかWikipedia:記事名の付け方冒頭文の要請に従うか、あるいは別記事とするのか、といった議論検討が必要でしょう。検討すべきは用例数において概ね拮抗している「がいし/碍子」をこの三つの場合のいずれとして処理すべきなのかであって、学術用語の定義ではないでしょう。--Jms 2010年2月27日 (土) 23:02 (UTC)
(2) また一般用語と学術用語は排他である
違います。何回言えばご理解戴けるのでしょうか。てっきりアルビレオ氏による 2010年2月5日 (金) 13:44 (UTC) の投稿の段階でご理解戴けているとばかり思っていたのですが。私の 2010年2月5日 (金) 00:47 (UTC) の投稿を読んで戴けてますでしょうか。いくら私が善意に取るつもりで居ても、私の主張から都合のいい部分だけを読んで都合の悪い部分を無視して揚げ足取りをされているのではないかと恐怖を覚えてしまいます。
排他的に学術用語/学術用語であり且つ一般用語/排他的に一般用語、のいづれかです。「排他的に学術用語」とは、一般用語としての用法が見られない状態。「学術用語であり且つ一般用語」とは、一般用語としての用法は存在するがそれとは異なった学術用語としての意味がまだ残っている状態。「排他的に一般用語」とは、学術用語としての意味が一般用語としての意味と完全に一致している状態。あらゆる学術用語と呼び得る用語は発生した瞬間に必ず「排他的に学術用語」であり、その後の学会の努力による普及に伴い徐々に「学術用語であり且つ一般用語である」時期を経ます。この時期は「ほぼ排他的に学術用語だがわずかに一般用語としての用法が見られる」から「わずかに学術用語としての用法が残っているが、ほぼ排他的に一般用語」まであります。そして最終的に「排他的に一般用語」となることが目指されているわけです。これは私が 2010年2月27日 (土) 14:28 (UTC) の投稿で書いた内容の一部です。
なので「学術用語」であるか「一般用語」であるかという論争は、結局のところ「学術用語であり且つ一般用語」であるか「排他的に一般用語」であるかという論争に帰着します。これは私が 2010年2月5日 (金) 00:47 (UTC) の投稿で書いたことです。
今回の世界最狂の魔法使いCray-Gさんの主張さんを読むと、最初にこれを誤読されたことがすれ違いの発端であったように
いいえ、誤読しているのはアルビレオ氏です。私の主張を「誤読」している為に私の主張が理解出来ず、もう少しこのノートの内容や、自分で発言されようとしている内容を確認してから書いていただけませんか(アルビレオ氏 2010年2月6日 (土) 05:38 (UTC))と発言するに至っているわけですね。そして未だに私の主張を理解出来ていないようです。アルビレオ氏に御願いですが、もう少しこのノートの内容や、自分で発言されようとしている内容を確認してから書いていただけませんか。
しかしこれは一般的な学術用語の定義と異なっており
既に 2010年2月6日 (土) 10:55 (UTC) で書きましたが、もう一度言いましょう。現在正面から反対している最中なのですよ。同じことが繰り返されたので言いますと、アルビレオ氏の言う「一般的な学術用語の定義」が争点なので、それが正しいことを根拠に反論を行なうことは詭弁になります。前記詭弁にリンクを張りましたので、お読みになって戴ければ理解がスムーズになるのではないかと思います。ついでながら、もしも議論を続けるつもりならばアルビレオ氏の言う「一般的な学術用語の定義」をはっきりとお聞かせ戴ければ、と思います。
『全ての用語が一般で使われる場合と意味が違っている』ではありません
それはそうです。これまでの議論でも出てきましたが、「意味が違っている」が「意味がかけ離れている」を意味するわけではありません。例えば『現金等』という用語があります。専門用語としては「現金及び小切手、国債又は国債利札」を指しますが、これは明らかに一般用語でも『現金等』と表現して問題ありません。一般用語で『現金等』と表現される全てが「現金及び小切手、国債又は国債利札」なわけではありませんので「厳密に言えば」意味に違いがあるわけですが、一般的用法からそれは「現金等」であり「意味は違っていない」わけです。また、今まさに争点となっているように「完全に同じであってもいい」と主張する立場(=「第3の意味」(КОЛЯ氏 2010年2月5日 (金) 10:35 (UTC))を取る立場)が編集合戦を引き起こすわけですから、出典も無いのに厳密に云々せずに一般人に意味が通る程度に曖昧にしておくことはwikipedia的に適切な選択だと思います。今まさに争点となっていて且つ私が水掛け論になると言っているまさにその問題によってwikipediaの記述は「客観的正答」ではなく「客観的妥当」なのです。だからこそwikipediaに書かれていること自体は参考であり「出典」として使うことが認められていないわけです。
さて繰り返して書きますが、用語によっては、一般で使われる場合と意味が違っているものもあるという記述自体も記述の有無も問題にしていません。「一般の言葉と比較して、定義のはっきりしていることが求められる」という記述を問題(2010年2月5日 (金) 00:47 (UTC))にしています。求められていないならば、それは既に学術用語としての性格を失い「排他的に一般用語」となった「元」学術用語だと私は主張しているのです。碍子は専門用語ではないので(用語そのものを知らない人の為の「一般用語として」の意味の「簡単な」解説はあっても)専門用語としての意味の解説(←定義レベルの解説のはずです)は存在しない(2010年2月4日 (木) 14:08 (UTC))と既に主張し、この「専門用語」が「学術用語」であっても同じこと(2010年2月5日 (金) 00:47 (UTC))だと主張しているのです。一般用語としての簡単な解説レベルの定義に関しては既に 2010年2月2日 (火) 04:19 (UTC) や 2010年2月2日 (火) 14:46 (UTC) で書いています。学術用語なり専門用語なりならば、よりはっきりした定義が手近な文献に書いてあるのではないでしょうか。それが無いことを根拠に「求められていない」と主張しています。蛇足ながら、碍子の一般用語としての定義が形状を含んでいる(2010年2月2日 (火) 14:46 (UTC))ことから、一般用語なので輪なら碍輪、板状なら碍板、管状なら碍管、線状なら碍線、膜状なら碍膜などの「通称」が存在している可能性があり、調べてみたらYahoo!国語辞書で碍管が載っていました。
なお、私は本件改名提案の議論の為に「学術用語の定義」は重要ではないと見て態度を軟化させています。つまり「百歩譲って学術用語だとしても」という条件付で議論が進められています。あまり悪意に取りたくないのですが、もしも万一「ウィキペディアとしては学術用語としての表記を優先する」(アルビレオ氏 2010年1月11日 (月) 01:35 (UTC))のだから「碍子は学術用語である」と「言質」を取りさえすれば議論の余地無く無条件で「がいし」にするべき、と言い張るつもりであるのならそれはそれで私は相応に反論するつもりです。なので、そうでないのならあまり意義のある議論ではないのではないかと思うのですが如何でしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月28日 (日) 03:43 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさん の2010年2月27日 (土) 14:28 (UTC) のご発言で「「一般教養となり一般用語となる」に至ったならば、それは学術用語ではなくなるわけです。 」とおっしゃっているので、「一般用語であれば学術用語ではない」という主張だと判断したのですが、そうではないのですね。了解しました。しかし、一般の人は「「一般教養となり一般用語となる」に至ったならば、それは学術用語ではなくなるわけです。 」と言明されれば「一般用語であれば学術用語ではない」という主張だと思うでしょう。
学術用語の定義についても同じ投稿で「学術の分野に於いて明に定義された、一般に使われる意味とは異なる意味が存在する用語」 と書かれているので、それについて反論しているのであって、「一般の言葉と比較して、定義のはっきりしていることが求められる」 に反論したのではありません。
正直に言って世界最狂の魔法使いCray-Gさんの文章はポイントが絞られずに感想や判り難いレトリックを多用されているため、主張が判り難い文章になっています。そのために私が代わりにポイントを纏めているのです。はっきり言えば、私が2010年2月20日 (土) 00:13 (UTC) に「反論するのであれば論点を絞り、感情的な文とは切り離して簡明にコメントしてください 」と書く前の文をどうこう言うのであれば2010年2月22日 (月) 07:58 (UTC) および2010年2月23日 (火) 02:32 (UTC) にその主張を書くべきだったのであり、「それ以前の投稿で言っている」はまっとうな反論ではありません。--アルビレオ 2010年2月28日 (日) 09:57 (UTC)
なるほど、状況を理解しました。私には今まで、複雑な概念をアルビレオ氏が単純に二分化しようとしているように見えていたのです。その為に、複雑な概念の一部分のみを取り出して反論しているように見えたわけです。「死刑執行人は殺人者だよな?」的な。
ポイントが絞られていないように見えるのですか。それはもしかしたら、アルビレオ氏が「反論する点を探している」だけで「内容を理解しよう」とはしていない所為かも知れません。私達は現在、互いに異なる観点の者同士で議論を交わしています。異なる観点であるということは、同じ語が異なる意味で使われているかも知れないということです。それ故に長い議論の中で、言葉の意味の差異を指摘し合い確認し合いつつ話を進めて最終的な合意形成を目指すわけです。
申し訳ありませんが、私は弁論術など持たない弁論大会に参加したことも無いス素人の一般人なので、総論を無視して揚げ足を取りあげつらい合う勝負に慣れていません。私はアルビレオ氏に「理解」を求めています。理解した結果「反論」があるのなら私にも対応出来ます。また理解が出来なかったことに詳説を求められても対応出来ます。ですが「理解をせずに揚げ足を取る」のであれば対応に困るのです。私の希望はwikipediaが素晴らしい百科事典であることであり、その為の議論を行なうことです。
ところでそろそろ教えて戴きたいと思うのですが、アルビレオ氏の 2010年2月20日 (土) 00:13 (UTC) に於ける「反論を待って」いる主張とは何なのでしょうか。それに関する示唆が何も無い状態でありながらも、想像力を駆使して 2010年2月22日 (月) 07:58 (UTC) 及び 2010年2月23日 (火) 02:32 (UTC) に於いてすでに行なった反論を「アルビレオ氏にも理解出来るであろう表現に書き換えて」書き直しているつもりなのですが、それに対する反論は無く説明を求められたので説明を行なったら揚げ足取りの如く「今その場で書いたことのみが有効」と言われているような気分なのですが。根本的に「~~に対する反論が無いぞ」という指摘をして戴きたいです。もしかして「「反論するのであれば論点を絞り、感情的な文とは切り離して簡明にコメントしてください 」と書く前の文をどうこう言うのであれば」というのは、今までの議論を全て無かったことにして議論を巻き戻し、全てを最初からやり直したいという意味なのでしょうか?
そうでなく「代わりにポイントを纏めている」つもりなのならば、先ずは私の反論を書き直し纏めて「~~という主張だと見たがそれで間違いないか?」と問うてから、「間違いないようなら」と前置きしてからその「~~」に対して反論するべきなのではないでしょうか。さらに言えば、本当に「ポイントが絞られていない」文章なら、纏めるにあたって複数の解釈が可能になるはずです。長くならないようなら両方を書くなり、長くなるようならそのいづれかを問うて回答を得てから反論を書くとかするべきなのではないでしょうか。
互いに観点やら立場やらが違う二人が会話しているのですから、誤解があるのは仕方が無いことだと思います。それを議論によって中立的観点を模索する議論を行ない中立的観点に関する合意を得ることが重要だと思っています。ですがその「誤解上等」な態度は「代わりにポイントを纏めている」ようには見えません。ではどう見えているのかと言えば「(相手の総論を無視して揚げ足取りを行なうかの如く一部分のみを取り出して)自分に都合の良いように曲解した内容を相手の主張だと決め付けている」ように見えるのです。こうした文字だけの遣り取りでは、顔を付き合わせた会話以上に「態度で示す」ことが重要になると思うのですが如何なものでしょうか。
状況改善の為に「決め付けているように見える」原因について話をさせて戴きます。異なる観点から見ればその異なる観点の数だけ「複数の解釈」が存在します。私には私の観点が、アルビレオ氏にはアルビレオ氏の観点が存在するわけです。私の主張は私の観点に基づいて書かれています。それをアルビレオ氏がアルビレオ氏の観点によって書き直したものは、私がした主張とは異なる内容になるわけです。この時点で私には「(相手の総論を無視して揚げ足取りを行なうかの如く一部分のみを取り出して)自分に都合の良いように曲解した内容を相手の主張だと決め付けている」ように見えるのです。そしてそれに反論されても、私の主張とは異なる主張に反論しているだけの話です。もしもアルビレオ氏が「代わりにポイントを纏め」ようと考えるならば、それは「私の観点を推測し私の観点から」書き直さなければならないわけです。この時に私の観点をアルビレオ氏が正確に推測出来ていたならば、スムーズに話が進みます。「アルビレオ氏が正確に推測」する材料として、これまでの議論の中で私が書いたあらゆる投稿内容が使われるはずです。それを読まずに無視して私の観点を推測することなくアルビレオ氏の観点に基づいて書き直すのなら、それは結果として「(相手の総論を無視して揚げ足取りを行なうかの如く一部分のみを取り出して)自分に都合の良いように曲解した内容を相手の主張だと決め付けている」ようにしか見えない内容にしかなりません。無論、論敵の主張をそんな解釈の仕方をしていては(纏めようが纏めまいが)正常な議論になり得ません。反論を行なう前に、相手の主張を確認するところから始めてみては如何でしょうか。議論とは少しづつ合意を形成していくことで論点を整理する行為です。そのことは 2010年2月24日 (水) 20:29 (UTC) でも書いていますので、参考にしてみて戴ければと思います。もしも改名に賛成する方が「学術用語ではあるが原則を適用せずに漢字表記をつかうべき」であれば多数意見を尊重します(アルビレオ氏 2010年2月27日 (土) 22:42 (UTC))というような「合意形成」を「人質」にとって「碍子が学術用語であることを認めさせ」ようとする「脅迫」じみた発言で論敵(具体的には私)の態度を硬化させるようなことをせずに、互いに不要な警戒をする必要無く善意に取って議論を続けられるような環境になることを希望しています。少なくとも私は既に態度を軟化させ「碍子が(百歩譲って)学術用語であるとしても、原則を適用せずに漢字表記をつかうべき学術用語である」と主張を修正しています。その「百歩譲って」を削除させたいようですが、それがwikipediaにどういう有益な効果があるのか想像もつかないので、此処での「学術用語の定義」に関する議論に意義を見出せないでいるのです。悪意に取れば意義を見出せるのですがね。何度か言っていますが、これは基本的に水掛け論にしかなりません。wikipediaは水掛け論を避ける(=中立的観点に基づく)方針を取っています。
何に反論すればいいかの指示も無く反論しろと言われて同じ内容を繰り返して書きました。それを無視されたまま説明を求められてそれも書きました。その説明の総論を無視されそれ以前に書いた内容に触れるのはまっとうな反論ではないと言われ、挙句の果てに反論として詭弁まで使われました。それでもまだ可能な限り善意に解釈して上記の通り書いています。善意に受け取って戴きたく御願い申し上げます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月28日 (日) 14:45 (UTC)

(整理)「学術用語」(専門語、専門用語)の整理をします。

  • A. 語形自体が日常用いられないもの。第1の意味。
  • B. 日常の意味・用法とかけはなれた意味・用法で用いられるもの。第2の意味。
  • C. 日常の意味・用法と同じ意味・用法を多く含むが完全には同じでない意味・用法(外延または内包)を持つもの。
  • D. 日常の意味・用法と完全に同じ意味・用法で用いられるもの。

「第3の意味」すなわち学術分野で用いられる全ての語彙という意味での学術用語は、A+B+Cの範囲に属します。Dの意味の学術用語が存在するかどうかは確かめられていません。存在したとしてもまさしく例外的なものでしょう。そして議論参加者の多くは「碍子(がいし)」をCの領域の語と考えているだろうと思います。Dの領域の語だと主張する人は相当困難な証明を求められます。悪魔の証明です。お勧めできません。そしてWikipedia:表記ガイドで意図されている「学術用語」も当然Dの領域の語は想定外です。なおWikipediaの方針文書全体の解釈には踏み込みません。--КОЛЯ 会話 2010年2月28日 (日) 07:02 (UTC)

A、B、C、D は排他なので、A、B、C のいずれであるとも示されなければ D なのではないかと思いますが…。ある語の、学術用語としての表現を g、その指示対象を G、日常用語としての表現を n、その指示対象を N とするとき、A は g が n 全体の集合の要素でない場合、それ以外の場合は、G と N に共通部分がない場合すなわち B、G と N それぞれいずれかの一部が G と N のいずれか一方にのみ含まれる他方には含まれない場合すなわち C、G と N が同じ集合である場合すなわち D のいずれかであり、ある特定の語 (g, n) について結局は A - D のどれか一つが成立するのではありませんか。G の要素だが N の要素ではない「がいし」、あるいは N の要素だが G の要素ではない「碍子」の存在が問われているのだと理解しています。なお、D が例外だとは思いません。たとえば、公定歩合など、いくらでもあると思います。--Jms 2010年2月28日 (日) 07:28 (UTC) 一部訂正 --Jms 2010年3月1日 (月) 20:45 (UTC)

椅子と碍子との事情の違い 編集

学術用語を「普遍的に客観化されることが望まれる属性を持つ用語」と定義できないでしょうか。学術用語集の序は、そういう定義を暗示しているようにも感じられます。客観化されることが望まれる属性が大勢を占めているのであれば学術用語で記述すべきであり、必ずしも客観化されることが望まれていない属性が大勢を占めるのであれば一般用語で記述すべきではないかと。例えば椅子について語るとき、その強度や重量に終始するのであれば学術用語、その文化的背景やデザインに終始するのであれば一般用語で記述するのが自然だと思います。事情は違いますが湖沼の対比も参考になるかもしれません。がいしの場合については、その耐電圧性能や重量や硬さなどは客観化されることが望まれる属性ですが、色彩や質感などは必ずしも客観化される必要がありません。これらをどのように天秤にかけるかは難しいところかもしれませんが、検討には値するのではないでしょうか。--Ray go 2010年2月7日 (日) 12:56 (UTC)

素晴らしい。勿論検討に値することです。漸く私が求めていた、意味のある議論が行なえる環境になったようです。ですが大変残念なことに、既に多くの議論参加者が詭弁により追放されてしまっています。詭弁によりあらゆる議論が無意味化されてしまい永遠に結論が出せないままで終わらないのだから仕方が無いことです。そしてその検討すべき事項を検討するべく議論を重ねても、また詭弁により無意味化されてしまう可能性がまだ残っています。何故ならまだ、詭弁を弄し議論を混ぜっ返し巻き戻して永遠に終わらせないまま既得権益(項目名が「がいし」である状態)を永遠に確保しようとする人達に、自分達が何をしているのかを理解してもらえたという確証が無いからです。Ray go氏には理解してもらえたようですが、他の方々にも理解してもらえたか否かはまだわかりません。
大変残念なことですが、議論参加者の大半が詭弁を理解し無視し正常な議論を続けられる環境になるまでは、そして新たな参加者が来た時にそのことを伝え正常な議論を維持出来る環境になるまでは、その検討に値することを検討する議論を始めることを躊躇してしまうのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 13:32 (UTC)
私の提案を評価して頂きありがとうございます。ところで、上に挙げた学術用語という言葉の定義について意見のある方はいらっしゃいますか。厳密な定義とは言えないかもしれませんが、学術用語集の序、あるいは含まれている用語の性格と矛盾しないようになっていると思います。意見するにあたって実際に書物をあたる必要があると思いますので、とりあえず1週間程度様子を見ることにしましょうか。--Ray go 2010年2月9日 (火) 13:36 (UTC)
そうですね。それにHatukanezumi氏が 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC) に記載の通り説明を行なって下さるということなので、それを待って参考にしたいと考えています。Hatukanezumi氏が今週はwikipediaに顔を出せないようなので、ご提案の内容は私にも都合が良いです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月9日 (火) 14:32 (UTC)
ええと、なにか説明すると言いましたっけ。というか世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、説明を要求してそれに反論を試みるばかりではなく、自分でも考えてみてはどうかとの趣旨を、再三、複数のかたから言われているとおもいますが。
名月を取てくれろとなく子哉

小林一茶『おらが春』白井一之撰、1852年。 

--Hatukanezumi 2010年2月10日 (水) 12:03 (UTC)
ええと、なにか説明すると言いましたっけ
Hatukanezumi氏による 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC) に記載の「以前の節も読み返してよく考えてみてください。あなたにとってはどうでもいい論点なのかもしれませんが、論点を提出した側にとっては理を尽くして説明するために必要な点なのです」を読み、理を尽くして説明して戴けるものと期待していました。忘れられていたとは大変残念ですが、今思い出してもらっても私は一向に構いません。ただ、出来るなら#「専門用語」と「学術用語」に書いて戴きたいものです。本項目の議論の邪魔になりますから。
自分でも考えてみてはどうか
そっくりお返し致しますよ。本項の議論を最初から百万回音読して全部読み直してよく考えてみては如何でしょうか。私は考えてあります。私は自分が何を言っているのか理解しているのです。そしてRay go氏にも私が何を言っているのか理解して戴けているようです(なので本項目の提案をしたのだと思います)が、残念ながらHatukanezumi氏には理解して戴けていないようですね。私が何を言っているのかに関して説明したいところなのですが、残念なことに言える環境ではないのです、言いたくて仕方が無いのですけれど。あなた方が「誠実な議論を行なう」つもりなら言えるのですが、私の主張に反論出来ないから印象操作や詭弁詭弁詭弁詭弁詭弁を用いて「やっつけ」ようとしているだけの可能性があるので言えないのです。私が私の考えを言うと、あなた方は再び私が既に指摘し反論した主張を(私に対する反論無く)繰り返し、議論を巻き戻し紛糾させ結論が出ないように邪魔を繰り返す恐れがあるからです。あなた方は今此処でこうしているように、議論(学術用語として認め得る要件は何か)が行なわれようとしている場に割り込んで別の議論(学術用語の定義とは何か)を吹っかけ、元の議論(学術用語として認め得る要件は何か)の邪魔をし、議論を(学術用語の定義とは何かに)巻き戻し、既に行なわれた議論を繰り返そうとしています。そうすることで議論(学術用語として認め得る要件は何か)は有耶無耶になり、結論(学術用語として認め得る要件は何か)を出せなくなってしまうのです。それは誠実な議論を行なおうとしている者の態度ではありません。故に、あなた方は単に私を「やっつけ」て黙らせようとしているだけで、議論をしようとは考えていない疑いが残ります。此処で私を「やっつけ」て、「故に自分達の主張は正しい」と詭弁によって「論証」し、今までと同じ議論を繰り返そうとする恐れがあるので、私は私が何を言っているのか説明出来ないのです。なお、本段落にてリンクを貼った「詭弁」は全て「詭弁」の異なるアンカーへのリンクになっていて、全て本件改名提案に係る議論に於いて改名反対派(Hatukanezumi氏を含む)の用いた詭弁です。これだけ何度も詭弁を使われるだけで反論をしてもらえない上に、詭弁を指摘すると「説明を要求してそれに反論を試みるばかりではなく、自分でも考えてみてはどうか」とまで言われるのですから、私が慎重になっていることはご理解戴けるかと思います。
議論が進めば結論が出ます。それは都合の良い結論の場合もあるし、都合の悪い結論の場合もあることでしょう。私は未だ本件改名提案に関し「賛成票を投じていない」ことに注意して下さい。それは、これからの議論に拠って「客観的正当性を認められた方」に投票したいと考えているからです。誠実に議論が行なわれれば、碍子は学術用語と言うべき客観的正当性を認められ、以って本記事の記事名は「がいし」が適切であるという結論が出る「はず」なのです。誠実に議論が行なわれれば、あなた方は積極的に議論を進める重要な原動力となり、専門知識を持たない私のようなド素人に対抗出来るわけが無いのですから。ですが、あなた方が議論を有耶無耶にして改名賛成者を「やっつけ」て「黙らせ」てきたので、未だに「学術用語と言うべき客観的正当性」が認められない状況になってしまっています。このままでは不本意ながら、私は改名提案に賛成票を投じなければなりません。不本意というのはつまり、改名提案に賛成するべき「客観的正当性」が無いにも関わらず、という意味です。#意向調査 (1) 2010年2月7日時点の賛否一覧を見る限り、私が賛成票を投じなくとも既に賛成多数ではありますが。
私の目的は既に 2010年2月6日 (土) 15:39 (UTC) に書いた通り議論の終結であり、その為に改名反対派による詭弁を封じ議論を進められる環境に戻すことです。「自分で考えろ」と言うのは議論ではありませんし、論敵を泣く子になぞらえて俳句を引用することも議論ではありません。以前の節も読み返してよく考えてみてください。あなたにとってはどうでもいい論点なのかもしれませんが、論点を提出した側にとっては理を尽くして説明するために必要な点なのですと言って(--Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))おきながらええと、なにか説明すると言いましたっけと惚けるのも議論ではありません。「異なる」「乖離した」と言い換えて専門用語が一般的な用語と乖離した意味をもたなければならないという意見には賛成できませんと主張すること(--Hatukanezumi 2010年2月4日 (木) 14:54 (UTC))も議論ではありません。「恣意的だ」「不公平だ」と言い換えて不公平だといった論拠に用いるのは誠実な議論とは言えませんと主張すること(--Hatukanezumi 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))も議論ではありません。私はHatukanezumi氏を始めとするあなた方を「やっつけ」ようとしているのではありません。あなた方に誠実な議論を御願いしたいと切に願っているのです。
もしも万が一、議論とは詭弁を用いて論敵を「やっつけ」ることであるとお考えなのであれば、それが間違いであることを理解して戴きたいと切に願います。
【Ray go氏へ】申し訳ありませんが、折角の提案なのにまた有耶無耶にされてしまうかも知れません。議論に参加してもらえるように何とか理解してもらえるべく尽力するつもりですので、手前勝手ながらご容赦を戴きたく御願い申し上げます。またもしかしたら、このまま反論も返信も無いまま放置されることで議論を停滞させられることにもなり兼ねません。なので、返信が無くとも予定通りの様子見期間後には議論(学術用語として認め得る要件は何か)の再開を目指したいと考えていますので宜しく御願い致します。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月11日 (木) 19:31 (UTC)

色々調べてきました。

  • (a) 『日本国語大辞典第二版第三巻』(p.439、日本国語大辞典第二版編集委員会編、小学館、2001年、ISBN 4-09-521003-6)によると、学術用語は「統一して用いられるように選定された述語」とあります。これは学術用語集に記載されている用語は全て学術用語と見なす根拠になると考えられますが如何でしょうか。また、この書物には参考引用文献が2件ありますので、これを以下(b)と(c)に続けます。
  • (b) 碍子が専門分野以外の用語として用いられた例として、北原白秋の『桐の花』(1913年)に、「電柱の白き堤子(ていし、碍子を示している)に・・・」という歌があります。これは『白秋全集6』(p.82、岩波書店、1985年、ISBN 4-00-090946-0)あるいは『北原白秋歌集』(高野公彦編、岩波文庫)にも収められています。白秋はこういう用語を好んで使ったようなので一般的とまで言えるかどうか微妙ですが参考まで。
  • (c) 『逓信史要』(pp.195、宮武勇平編、逓信省、1898年)にがいしの詳細な解説があり、漢字で碍子と書かれています。この文献によると、碍子という言葉は明治初期から使われていたようです。『学術用語集電気工学編』が刊行されたのは1957年ですから、少なくとも歴史的には漢字表記が正統であることを示すものだと思います。
  • (d) 建築分野の学術用語集の拡張版である『建築学用語辞典第2版』(日本建築学会編、岩波書店、1999年、ISBN 4-00-080094-9)には、用語としてかなのがいしに加えて漢字の碍子が条件付きで併記されており、この条件は同書p.8の解説によると「見出し語と異なるがよく用いられる表記」であり、「用語標準化のためには」「用いないことが望ましい」とあります。
  • (e) 学術用語集では、いす(椅子)以外にも、せっこう(石膏)、れんが(煉瓦)、ふるい(篩)などの用語がかな表記になっています。

以上です。--Ray go 2010年2月14日 (日) 12:22 (UTC)

これは学術用語集に記載されている用語は全て学術用語と見なす根拠になると考えられますが
学術用語であるか否かは水掛け論でしかないので学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じますWikipedia:表記ガイド#学術用語)に於ける「原則」を確認する議論が必要だと思います。此処までの議論で既に出されているように、学術用語であるか否か自体は「立場」(КОЛЯ氏 2010年2月4日 (木) 21:16 (UTC))の違いで(=無根拠に)割れるものであることからWikipedia:中立的な観点に基づく合意の形成が難しい為、別立場(=別観点)の各論者を個別に「やっつけ」る(=説得する/教え諭す/諦めさせる/黙らせる)以外になく、現状で議論になっていません。実際、強硬に議論を要求する私に対しては既に書いた通り詭弁等によって説得を試みたり「自分で考えろ」と教え諭そうとしたり、挙句の果ては対話拒否という「無視」の姿勢を取っています。本来ならもっと早期に「原則」を確認する議論に移るものだと思うのですが、学術用語派(≠改名反対派)が一律に「原則として、とあれば従うのが原則です」(Qurren氏 2010年1月16日 (土) 22:40 (UTC))という前提で詭弁による説得や対話拒否を行なうので議論が成り立たないのです。なお「原則として、とあれば従うのが原則です」というのも詭弁(循環論証)です。
もしも「学術用語集に記載されている用語は全て学術用語と看做す」と「原則として、とあれば従うのが原則」とが両立するのならば、そもそも学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じますなどと書かずに「文部科学省が版行した『学術用語集』に記載の語はそれに準じます」と書けば全ての問題は発生すらしないのです。それをわざわざ回りくどい書き方がしてあるのは、wikipediaが「学術用語集に記載されている用語は全て学術用語と看做す」立場では無いか、或いは「原則として、とあれば従うのが原則」という立場では無いかの少なくともどちらか一方だからです。なので前者を認めれば後者が、後者を認めれば前者が偽になります。それを無視して詭弁を使ったり同じ主張を繰り返したりして両方を同時に(=後者を当然の前提として)認めさせるように議論参加者を個別に「やっつけ」て(=説得して/教え諭して/諦めさせて/黙らせて)いるから、いつまで経っても議論が進まず、終結の兆しが見えなかったわけです。
私がこれまで主張したかったのは、実は「学術用語集に記載されている用語は全て学術用語であっても構わないが、学術用語としての意味が存在しないのならそれは「原則」から外れるべきものなのではないか」なのですが、学術用語派が「原則として、とあれば従うのが原則」という立場を取りその点に関しては事実上の対話拒否を行なっているので、先ず「学術用語としての意味が存在しないのならそれは学術用語ではないのではないか」と主張することで「原則」から外れる条件である「学術用語としての意味が存在するか否か」の議論を行なおうとしたのです。これならば学術用語派が「対話拒否しない」だろうと目論んだからです。お陰でずいぶんと強硬な立場を取らなければなりませんでしたが結局、学術用語派は詭弁を弄する以外に反論することが出来ないまま無視するという「対話拒否」に入り、残念ながらこれ以上の議論の進展は望めなくなってしまいました。なので私は、私の本来の「学術用語集に記載されている用語は全て学術用語であっても構わないが、学術用語としての意味が存在しないのならそれは「原則」から外れるべきものなのではないか」を主張する段階に入ります。その為の最初の指摘は「原則として、とあれば従うのが原則です」というのは詭弁(循環論証)である、ということになります。
ですので、これ以上「学術用語であるか否か」の説得材料を提示する手間を掛けて戴かなくても構いません。説得は議論ではありませんし、実際問題として学術用語であるか否かは水掛け論でしかないので。似たような水掛け論になるものには符牒や新語、俗語、スラング等がありますね。これらは全てその通りに書かれた出典以外には「私はそう思っているから」とか「私は(日常生活で)聞いたことが無いから」とか「何処其処で使われているから」とかしか論拠の無い類のもので、個別に「やっつけ」合って最後まで立ってた方の意見が通る(或いは安易に投票で決めようとする)といった流れになり易いものです。
『学術用語集電気工学編』が刊行されたのは1957年ですから、少なくとも歴史的には漢字表記が正統であることを示すものだと思います
常用漢字の最初の施行は1923年のようですから、1898年当時には碍子をがいしと常用する合理的理由は無かったと推定するのは妥当だと私も思います。ただ該点に関して私は既に「出典を明記してください」(Qurren氏 2009年12月26日 (土) 15:34 (UTC))と言われているので、「出典」ではないからという理由で認めてもらえないおそれもあります。
いす(椅子)以外にも、せっこう(石膏)、れんが(煉瓦)、ふるい(篩)など
あと漢字平仮名ではないですが、ボイラ(ボイラー)も挙がっています。これら「原則」から外れている語と比較検討するなどして、碍子が「原則」に従うべきか「原則」から外れるべきかの議論が進むことを希望します。そしてその議論に於いては、碍子が学術用語であるか否かは問題では無いので「碍子は学術用語である」という無意味な主張を繰り返したり、また「原則に従うのが原則」という詭弁を繰り返したりすることはコミュニティを消耗させることに繋がり、厳に慎まれるべきことだと考えています。既に充分に消耗しているような気もしますが。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月17日 (水) 05:43 (UTC)
コメントを頂きありがとうございます。「学術用語集に記載されているものは学術用語である」という定義が正しいか否かについては『日本国語大辞典』を読んで頂ければ結論は出るでしょう。出典に基づいた議論であれば双方とも同じ視点に立てますから水掛け論にはなりにくいと思います。--Ray go 2010年2月18日 (木) 11:47 (UTC)
本件改名提案に賛成の意を表明したのですね。水掛け論にするのも可能かとは思いますが、本件改名提案に関する議論では双方陣営で合意が成立してるので大丈夫でしょう。陣営と言っても、反論もせず対話もせずでは議論にならないですが。なお、お節介ながら#意向調査 (1) 2010年2月7日時点の賛否一覧のRay go氏の位置を修正しておきました。
さて、困ったことに同論支持者同士では議論になりません。改名反対派ではあとHatukanezumi氏が何かコメントをなさるそうなので、それを待ちたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月18日 (木) 12:45 (UTC)
Ray goさんが紹介した資料や、下でわたしが紹介した資料のうち、せめて2、3冊は手に取ってご覧になってはいかがでしょう。最近のものについては、大きい書店や図書館にいけば簡単に手に入りますよ。
それもしないで、なにかコメントがあると長たらしい空文でページを占領するというのでは、議論とはいえません。それで相手を根負けさせたところで、あなたの望む結論は得られないでしょう。
現在、多くのひとが発言を控えているのは、あなたと話しても無駄だとおもっているからかもしれませんよ。ああ、こういうことを書くとまたこのあとに長い長い長い文章が……。 --Hatukanezumi 2010年2月18日 (木) 14:55 (UTC)
私はこれまで幾つかの主張や反論をしてきましたが、それに対してHatukanezumi氏からの詭弁でない反論がありません。それどころか「理を尽くして説明するために必要」(Hatukanezumi氏 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))というから返答したのに、Hatukanezumi氏にとって都合が悪い内容だったからって「ええと、なにか説明すると言いましたっけ 」(Hatukanezumi氏 2010年2月10日 (水) 12:03 (UTC))と惚けられる有様です。挙句の果てに相手の主張を空文呼ばわりするのであれば、根拠ぐらい書いたらどうでしょう。私はイチイチ書いていますよ、議論ですから。それを反論するどころか無根拠に空文呼ばわりするのは誠実な議論とは言えません(Hatukanezumi氏 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))よね。誠実どころか議論になってません。
せめて2、3冊は手に取ってご覧になってはいかがでしょう
「これこれの資料に何々と書いてある」と言えばそれに基づいて話が進むのですよ、議論なんですから。そりゃ「資料自体」を疑っている場合や「資料にそう書いてある」という主張を疑っている場合なら提示された資料を調べて反論する材料にするでしょうがね。ですが議論なので、沢山出してきても意味は無いのです。議論ではなく説得ならば意味がある場合もありますよ、それだけの数を集めた熱意を認めるとか、それだけの数の第三者の意見があるなら仕方が無いとか、提示された資料を全部調査するのが嫌だから同意するとか。ですがそれは議論ではありません。Hatukanezumi氏は今議論ではなく私を説得しようとしているだけです。それも私の話を聞かずに無論反論もせずに、只管同じ事を繰り返すだけで。
それもしないで~~議論とはいえません
資料を根拠としていて、その資料を疑っていないのに何故に読む必要があるのでしょうか。其処に前提知識が書いてあって、それを勉強してからじゃないと議論が出来ないということでしょうか。もう少し議論というものに関して勉強した方が良いのではないかと考えます。議論なので私が「議論に関して」書くのが正当なのですが、読みもせずに空文呼ばわりされるだけなので此処には書きません。勉強して下さい。説得する為に議論を行なうことはありますが、「議論すること」が「説得すること」なわけではないのですよ。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月18日 (木) 15:54 (UTC)
あのー。じゃあわたしやほかのひとは、いちいちあなたのために「ここには『…………』と書いてある」と引用して示してあげなければいけないのですか。どこに書いてあるかは示しているのですから、自分で読んではどうでしょうか (せめて国語辞典だけでも……全部読めなんて言っていませんし)。そういうこともしないで誰々の議論は詭弁だの、こっちの主張はいいだの、外形的な批評をくりかえすというのは、あまりにみっともないです。議論に足る相手ではないと他人から見られてもしかたがありません。あなたの文章を「長たらしい空文」と評するゆえんです。 --Hatukanezumi 2010年2月18日 (木) 23:11 (UTC)
また読みもしないで空文呼ばわりされるのかも知れませんが、誠意を尽くして書きました。ご理解を戴きたく、疑問質問があれば遠慮無く御願い致します。また他の改名反対論者にも理解して戴きたいことなので、この場を借りてになりますが疑問質問に応えたいと思っています。
あのー。じゃあわたしやほかのひとは、いちいちあなたのために「ここには『…………』と書いてある」と引用して示してあげなければいけないのですか
その「書いてある内容」を論拠にするなら当然じゃないですか。論拠も無しに何を主張するつもりなのですか。以前の節も読み返して(Hatukanezumi氏 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))みて戴ければ、みんなそうしていることが理解出来ることと思います。当然「引用」ではなく要約や主旨や総論だったり、「~~である」「何故だ」「~~にそう書いてある」という流れの場合もあるわけですが。そしてその「書いてある内容」に基づいて議論を進めるわけです。或いは、その提示された「書いてある内容」の真偽(実際に書いてある内容を歪曲したものを論拠として提示しているか否かや、文献に信頼性があるか否か等)を議論することになるわけです。後者の場合には論敵である私が提示された文献を読む意味があるかも知れません。ですが論敵である私が、主張者であるHatukanezumi氏は事実を歪曲するような卑劣漢ではないし無意味な文献を提示する愚か者でもない、と(まだ)信じているので文献そのものを読む意味は無いのです。
そして後述しますが、読んだ万人が納得のいく「客観的な結論」を求めるのが議論なのであなたのためにではなく、その後読むであろう第三者である全員のためにです。Hatukanezumi氏は議論をしておらず私一人を説得しているのであなたのためにだと感じるのでしょうけれどね。
誰々の議論は詭弁だの~~外形的な批評をくりかえすというのは
外形的も何も、議論に於いて詭弁は許されない行為です。詭弁を用いられた主張や反論は詭弁を用いないように訂正されなければ議論の意味がありません。勝負ではなく飽くまで議論なので「詭弁を用いたから反則負け」みたいなことはありませんが、訂正は必要です。詭弁を指摘されたら詭弁を用いないように主張や反論を訂正するか、もしくは「それは詭弁ではない」ことを示す為の反論(そこからまた別の議論となり、詭弁ではないことが示されたら元の議論に戻る)が必要になるのです。議論に於ける詭弁は「嘘」に相当します。嘘だとわかった時点で、その文言の内容などどうでもいい話になります。同じように詭弁が使われている時点で、その文言の内容などどうでもいい話になってしまうのです。
議論とは論敵を説得することではありません。騙すことでも丸め込むことでもありません。読んだ万人が納得のいく「客観的な結論」を求めて行なうのが議論です。それはいづれか一方の主張そのままその通りかも知れませんし、どちらも想像さえしていなかった結論かも知れません。「客観的な結論」が目的なので、誰でも横槍を入れることが出来ますし、それに対して反論しなければなりません。なので正常な議論では同じ話を繰り返す必要はないのです、誰かが混ぜっ返したりしない限り。ただ、過去に終わった議論(≒合意が得られた内容)の途中に不備(詭弁等)が発覚した場合は其処から議論がやり直しになることはあります。ですが発覚した不備に関しての議論なので、全く同じ事を繰り返すことはありません。その不備によって一旦は得られた結論(≒合意)が無かったことになる場合は、その結論に基づいた議論が全て無かったことになってしまうので、似たようなことを繰り返すことは有り得ます。でも「同じこと」ではないはずです。
なので文献を読んだ人には通じる、読んでいない人には通じない、というのは議論ではないのです。
議論に関して、ご理解を戴けましたでしょうか。議論をしていると、その中で小さな議論が発生します。その小さな議論が終結しwikipediaで言うところの合意が得られたら、その小さな議論を発生させた元の議論に戻って続きを行なうことになります。その小さな議論を途中で放棄されると元の議論を続けることが出来なくなり、元の議論と同じ議論がまた発生し、また同じことを繰り返すことになるのです。これが説得の場合は違います。説得の見込みが無いと判断したらそれまでの話は一旦打ち切り、改めて別の方向や視点から話を始めて説得を試みるのが有効です。しかしそれは個々人別々に説得するだけなので、別の人にはまた別に同じことを繰り返さなくてはなりません。それは議論ではなく説得だからです。説得なのでHatukanezumi氏は「発言の意を汲んで協調的な話し合いをするのではなく、揚げ足取りのように詭弁を指摘するばかり」の私に苛立ちを感じ、議論に足る相手ではないと判断しているのです。ですがそれは「議論」ではなく「説得」なので、説得に応じる相手ではないと判断しているだけです。意を汲んだり何が協調的かを判断したりするのは個人的主観的な行為なので、意を汲んだ結果や強調的な話し合いの結果から導き出された結論は「客観的な結論」では有り得ず、その所為で「別の人」が同じような議論を出して同じ事を繰り返さなければならない「説得」になってしまうのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月19日 (金) 06:27 (UTC)

学術用語としての採用歴 編集

『学術用語集』およびそれの前身となる資料について「がいし」(碍子) が掲載されているかどうか調べてきました。次のものです (戦後の資料は刊本、戦前の資料は龍渓書舎刊『近代日本学術用語集成』の影印によりました)。

  • [工学協会:1894] 『工学字彙』工学協会、1894年。 

電気工学

  • [日本電気工芸委員会:1925] 桑島正夫 (編)『電気工学述語集』(第2回増補)日本電気工芸委員会、1925年。 
  • [電気学会:1957] 文部省『学術用語集 電気工学編』学術奨励審議会学術用語文科審議会電気用語専門部会・電気学会電気用語標準特別委員会、電気学会、1957年。 
  • [電気学会:1979] 文部省『学術用語集 電気工学編』学術奨励審議会学術用語文科審議会電気用語専門部会・学術審議会学術用語分科会電気工学用語専門部会(増訂版)、電気学会、1979年。 
  • [電気学会:1991] 文部省『学術用語集 電気工学編』第11期学術審議会学術用語分科会・同電気工学用語専門委員会・電気工学用語標準化委員会(増訂2版)、電気学会、1991年。 

建築学

  • [建築学会:1919] 建築学会 (編纂)『英和建築語彙』丸善、1919年。 
  • [日本建築学会:1955] 文部省『学術用語集 建築学編』学術奨励審議会学術用語文科審議会建築用語専門部会、日本建築学会、1955年。 
  • [日本建築学会:1990] 文部省『学術用語集 建築学編』第11期学術審議会学術用語分科会・同建築学用語専門委員会・日本建築学会学術用語標準化委員会(増訂版)、日本建築学会、1990年。 

化学

  • [櫻井・高松:1900] 櫻井錠二・高松豊吉 (共編)『本稿化学語彙』内田老鶴圃、1900年。 
  • [小林・大澤:1917] 大澤忠光『和英化学工業語彙』小林盈一閲、啓成社、東京、1917年。 
  • [文部省:1955] 文部省『学術用語集 化学編』学術奨励審議会学術用語文科審議会化学用語専門部会(訂正20版)、南江堂、1967年(原著1955年)。 
  • [文部省:1974] 文部省『学術用語集 化学編』学術審議会学術用語分科会化学用語専門委員会・日本化学会研究委員会標準化専門委員会化学用語小委員会(増訂版)、日本化学会、1974年。 
  • [日本化学会:1986] 文部省・日本化学会『学術用語集 化学編』学術審議会学術用語分科会・同化学用語専門委員会・日本化学会研究委員会標準化専門委員会化学用語小委員会(増訂2版)、日本化学会、1986年。 

内容は後日。 --Hatukanezumi 2010年2月14日 (日) 13:27 (UTC)

ちょっと私生活が忙しいもんで、文献集めだけで力つきてますが、週末にでもちゃんとコメントします。
  • 戦前の資料については国立国会図書館近代デジタルライブラリーにも一部収録されているだろうとおもいます (版はちがうかもしれない)。各書の序文を読むと、学術用語 (「術語」という表現も見られます) がどんなものだと考えられてきたのかがわかって、興味深いです。
  • 『学術用語集』については、版によって前書きなどの解説に違いがあります。電気工学編では、増補版の [電気学会:1979] が一番詳しいです。また、増補2版の [電気学会:1991] には年表「電気工学の学術用語制定の経過」という年表が載っています。
  • 化学編にも「がいし」が収録されていることを発見しました (日本科学協会『学術用語集集成』による)。ただ、化学分野での受容はやや遅れたようです。[櫻井・高松:1900]には見えず (1918年の第3版にも見えず)、[小林・大澤:1917] には見えます。[文部省:1955] では「ガイシ」が見えます。建築分野でも、電気工学分野からこの用語を取り入れた形跡があります。
ではまたのちほど。 --Hatukanezumi 2010年2月17日 (水) 11:03 (UTC)
続き。
  • [建築学会:1919] および [日本建築学会:1955] には収録ありません。[日本建築学会:1990] には「がいし」および「がいし引き工事」が現れます。
以上に挙げたもの以外は、戦前のものには「碍子」、戦後のものには「がいし」が見えます。つまり、「碍子」または「がいし」が学術用語と認められていた (いる) ことは確かと言えます。
さて、[工学協会:1894] での「Insulator 碍子。絶縁体」(p. 127) (漢字は新字体にあらためた。以下同じ) 以来、電気工学分野ではinsulatorに対応する日本語には「がいし」と「絶縁物(体)」という別々の意味があるとされています。建築学や化学では、「碍子」/「がいし」のみを挙げていたりもします (「絶縁物」は「insulating material」のように熟語とするなど)。ここには、用語と意味をなるべく一対一に対応したものに近づけようとする意図が見えます。
本題。一般用語との関係について。[工学協会:1894]「緒言」p. iでは、「欧米ノ学術一タヒ我邦ニ入リシヨリ〔…〕其訳語ノ如キ未タ曽テ一定セルモノアラス〔…〕故ニ訳語ヲ一定シテ学術ノ進歩ヲ幇助スルハ方今学士ノ一義務〔…〕」とし、術語集を編む目的が学術上使用される用語の統一にあることを明らかにしています。その後のどの書籍でもいいですから序文や解説を見れば、「専門用語としての電気工学に関する学術用語の整理・統一」([電気学会:1979]「主査の言葉」p. 15) といった表現がかならずあります。学術用語集の類に収録される語はそういうものだということです。
また、学術用語は専門家の集団が統一・整理するものではありますが、このことは学術用語が一般用語と別の語彙に属するということを意味しません。用語の不足を満たすために訳語の統一が急務であった時代の [日本電気工芸委員会:1925] でさえも、初版から訳語選定の方針のひとつに「可成通俗ノ語ヲ採用シ難解ナル漢字ヲ避クルヿ〔コト〕」を挙げていますし (同書「緒言」p. 1)、[電気学会:1957] は最終原案をまとめた時点で世論調査を行っています (同書「主査のことば」p. 10。[電気学会:1979]に再録)。[電気学会:1991]「序文」p. 1では「難解で多様な学術用語を整理統一し、平易簡明なものにすることは、学術の進歩とその正しい普及にとって極めて重要であり〔…〕」と書き出しています。
まとめると、
  • 学術用語集は学術用語の統一・整理をめざすもので、用語法をきめる場合のひとつのよりどころとなりえます。
  • 学術用語は専門家 (の集団) が合意してきまりますが、それは一般の用語法とかけはなれた意味や用法を帯びるものではありません。むしろ、学術の成果を一般に普及する目的で定められるものと言えます。
なお、JISの用語編についての議論がありましたが、これも専門家の集団が選定したことで信頼性をもつものであり、情報源とすることに問題はないとおもいます。JIS (日本工業規格) は該当分野や関連分野の専門家から成るワーキンググループによって選定され、一定期間ごとにみなおしも行われるというふうに、上に挙げた学術用語集と同じ方法で制定されています。また、公定の規程・規格でありながら、制定や改訂に際してはかならず公開レビューを受けるという、一般社会に開かれた基準でもあります。JISが信頼できる情報源として『学術用語集』より劣るということはないとおもいます。ただしJISは工学分野に限定されますから、人文科学分野も包含する『学術用語集』とくらべると一般性が低いとは言えるでしょう。 --Hatukanezumi 2010年2月25日 (木) 19:41 (UTC)
その主張は#対象によって使い分ける提案に於ける私の反論(2010年2月2日 (火) 04:19 (UTC))から始まり 2010年2月6日 (土) 10:55 (UTC) で放置されている議論の中でHatukanezumi氏が主張していた内容と変わりが無いように見えるのですが。
学術用語が一般用語と別の語彙に属するということを意味しません
「学術用語が一般用語と別の語彙に属する」の意味が曖昧です。先ず「学術用語」及び「一般用語」というのがそれぞれ語彙という集合として用いられているのかその要素(=単語)として用いられているのか、が明確ではありません。さらに(これは無いだろうとは思いますが)最後の「語彙」が単に直前の「一般用語」が語彙として用いられていることを示しているだけなのか、或いは両者を要素として何か別の集合としての語彙なのか(語彙を特定の集合として用いる場合は集合を限定する表現が必要です)が不明瞭です。さらにそれを否定しているので、さらに意味が曖昧になっています。後者の意味で学術用語=要素、一般用語=要素、語彙=集合とみた場合は、学術用語としての碍子も一般用語としての碍子も日本語の語彙に属する、という反証によって該否定文が正しいことが証明されるという無意味な内容を示す文になってしまいます。
なので常識的に文法上近い位置で関連付けて、学術用語=要素としての単語、一般用語=一般用語の語彙、として解釈した場合は、
「学術用語とされる全ての単語は絶対に一般用語の語彙に属しない」という解釈は必ずしも正しくない
一般用語の語彙に属する学術用語が存在する可能性を示唆する内容です。これまでの議論の中で根拠として使われ、否定どころか反論一つ無く合意を得ているわけですから、今更わざわざ複雑な表現に書き換えてまで主張すべき内容とも思えません。「議論上無意味な内容をさもそれらしく難解で複雑な表現にして印象操作を行い議論を巻き戻して混乱させようとしている」と悪意に取ることも出来るのですが、此処は善意に取って「これまでの発言内容からHatukanezumi氏は議論に不慣れのようだから、複雑な概念を正確に表現するのが難しかったのかも知れない」と判断して「解釈可能な他の意味」を探すことにします。(←また取り繕いだの綺麗事だの言われて印象操作で議論を混乱されるのも嫌なので先に言っておきます)
他の意味を探す為にもう少し遠いところまで関連付けて、学術用語=学術用語の語彙、一般用語=一般用語の語彙、として解釈した場合は、
「学術用語の集合と一般用語の集合は同値関係ではない」という解釈は必ずしも正しくない
全ての学術用語は一つ残らず一般用語であり且つ全ての一般用語は一つ残らず学術用語である、という可能性を示唆する内容です。私はこの可能性を根拠に学術用語であると主張することは検証可能性を持たないことから恣意的と断じ(2010年2月5日 (金) 08:01 (UTC))、合意形成の為には何らかの検証可能性のある根拠が必要だと主張しています。また同じ理由で「学術用語であるか否かは水掛け論でしかない」ことから、学術用語であるか否かではなく、Wikipedia:表記ガイド#学術用語に於ける「原則」が適用されるべきか否かの議論をするべき(2010年2月17日 (水) 05:43 (UTC))だと考えています。
それは一般の用語法とかけはなれた意味や用法を帯びるものではありません
過去に言い換えられて揚げ足取りじみた反論をされ(Hatukanezumi氏 2010年2月4日 (木) 14:54 (UTC))て私からも反論した(2010年2月4日 (木) 17:35 (UTC))経緯を考慮してあらかじめ言っておきますが、「かけはなれた意味や用法」が意味する内容は「完全に同じではない意味や用法」が意味する内容とは違いがあり(前者は後者の真部分集合)、それをさらに否定することで言葉から受ける印象以上に意味の違いが出てきます。「かけはなれた意味や用法」を持たない学術用語は多々あると思いますが、「完全に同じではない意味や用法」すら持たない学術用語は(もしあるとするならば)学術用語としてかなり例外的だと思います。例外的な学術用語まで他の学術用語と同じ扱いをすることは不適切だと考え、例外的な学術用語ならば原則の適用外とするべきだと考えます。碍子がそうであると主張するのなら、碍子は「(学術用語でないか、百歩譲って学術用語であるとしても)原則の適用外とするべき例外的な学術用語である」と考えます。このことに関しては既に 2010年2月17日 (水) 05:43 (UTC) 及び 2010年2月23日 (火) 02:32 (UTC) にて書いた通りです。
他にも突っ込みたいところがあるのですが、どうせまた空文呼ばわりして読まないのだろうし、故に反論も無く放置されるのだろうから、とりあえずは特に重要な争点となりそうな点だけにしておきます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月26日 (金) 07:10 (UTC)
おっしゃっている「例外的な学術用語」とはどんなものでしょうか。「碍子」または「がいし」がそうだと言いたいのでしたら、その理由を示すべきです。理由が述べられないのなら、それは単にあなたが「そう言えれば自分の主張を認めてもらえるのになあ」と考えている願望にすぎません。
わたしは、「碍子」または「がいし」が学術用語として用いられてきたことを示そうとしました。また、学術用語がどんなものであるのかについて調べた結果の概略を述べました。それらのことにはなんらコメントせず --- つまり、当ノートでの議論のテーマに焦点をあわせず --- 一般論のみを展開する文章は、空文としか言いようがありません。
議論のテーマそのものについて言うべきことを持たないのなら、黙っていなさい。ここはウィキペディアです。あなたの弁論術の腕試しの場ではありません。 --Hatukanezumi 2010年2月26日 (金) 20:14 (UTC)
理由が述べられないのなら、それは単にあなたが「そう言えれば自分の主張を認めてもらえるのになあ」と考えている願望にすぎません。
私は本件改名提案の議論の中で何度となく繰り返し書いていますよ。Hatukanezumi氏が論敵である私の話を聞かないで自分の主張を述べるだけだからわかっていないだけです。論敵に「以前の節も読み返してよく考えてみてください」(Hatukanezumi氏 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))とか言う前に自分がそうしてみては如何でしょうか。自分がしもしないことを相手に要求することや、私とHatukanezumi氏の議論の間で何度も書いた上にわざわざ要約して#賛否一覧にまで書いてある私の主張を無視して「理由も述べずに」と言うことが、Hatukanezumi氏のおっしゃる「誠実な議論」(Hatukanezumi氏 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))なのでしょうか。
議論のテーマそのものについて言うべきことを持たないのなら、黙っていなさい。ここはウィキペディアです。あなたの弁論術の腕試しの場ではありません。
相手の話を聞かずに読まずに反論もせずに無視して詭弁を使ったり印象操作をしたり同じ主張を繰り返すだけなら黙っていなさい。ここはwikipediaであり、今はwikipediaをより良い百科事典にする為に議論をしているところです。弁論術の有無に関わらず参加することを歓迎します。ですが議論を行なう気も無く邪魔をするだけだというのなら話は別です。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月27日 (土) 08:28 (UTC)

Unit.23 編集

  コメント コメント依頼から来ました。改名に賛成しようかと思いましたが、Hatukanezumiさんのコメントを見ると・・・・慎重に考える必要があるかもしれません。具体的にいえば、それは記事分割を前向きに考える必要があるということです。--ヴェンデルマン 2010年1月30日 (土) 10:19 (UTC)

割り込んで長々と発言して申し訳なかったですね。うえのようなわけで、記事分割を検討する必要性はいまのところ薄いとおもっています。 --Hatukanezumi 2010年2月3日 (水) 15:30 (UTC)
  •   賛成 使用例に5倍10倍も差があるならまだしも上に挙げられた数値ではそれほどの差を見出せないですし、そもそも改名される際に改名提案が行われていないのも問題があります。なお、改名理由として要約欄に「JIS C 3803「がいし及びブッシング用語」による表記」と書かれてますわな。ここでの「ブッシング」って碍子とセットになってるので多分こーゆーのを指してるんだろうなと考えましたが、私(ずっと昔に電気科卒^^;)が知っていた「ブッシング」ってこんなのだけだったりするんですよ。現実社会での「用語」なんてその程度に曖昧なもんです :) --KAMUI 2010年2月4日 (木) 12:43 (UTC)
  •   賛成  現時点で提示されている参考出典等から、漢字の碍子への改名を支持することを表明しておきます。先に挙げた出典(b)(c)より、碍子という言葉は歴史的に正統な表現で一般用語として浸透しており、記事名として十分に妥当性があるものと考えます。一方で碍子(がいし)には学術用語としての側面もあり、Wikipedia:表記ガイド#学術用語でも用語集に従うべきとありますが、本件については原則外あるいは特殊事情として取り扱うべきだと思います。碍子が一般用語として浸透していることに加えて、学術用語集の選定方針には他の用語と紛らわしくないという条件が示されており、用語を利用する実情に応じて常用漢字表にない漢字を選定することも許容しています。電力や材料部品の分野に限られた専門用語としてであればかな表記でも問題ありませんが、経済学や植物学をも包含するウィキペディアにおいて紛らわしくない用語を選ぶとすれば漢字表記を採用するのが自然であり、これは学術用語集の選定方針にも適うものでしょう。--Ray go 2010年2月18日 (木) 11:47 (UTC)
    • なぜ出典(b)(c)だけをもって「碍子という言葉は一般用語として浸透している」と言えるのでしょうか。--Qurren 2010年2月24日 (水) 14:49 (UTC)
      • 自分がどういう理由で改名をしたのかについてじっくり考えたのがいいんでないすか。少なくとも「なぜ出典(b)(c)だけをもって『碍子という言葉は一般用語として浸透している』と言えるのでしょうか」なんていうまぜっかえしレベルの反論をいまさらあんたから聞きたいとは思わないわ。あんたの美学が危険に晒されているんだ、もうちょっと真面目にやれ。--Nekosuki600 2010年2月24日 (水) 15:54 (UTC)
先ず(b)で、詩人である(つまり電気工学の専門家でも何でもない)北原白秋が(おそらくは電気工学の専門家でも何でもない)読者にみせる為の作品で用いていることから、一般に存在が知られていたと推測することは自然な推測だと思います。ただ出典名称が『白秋全集6』となっていることから、全集として一括りにされてしまったが発表当時には電気工学の専門家向けの作品集に載っていたなど、電気工学の専門家向けの作品だった可能性も考えられます。ですが現状提示された情報だけでは「電気工学の専門家に向けた作品だった」と主張する方が不自然です。またそれががいしでも碍子でもなく「堤子」と書かれていることは、現在では碍子と呼ばれているinsulatorの呼称が、学会等に統制される以前から急速に無規制に流通していた(だからこそ学術用語集に載るに至った)傍証であるとも考えられます。その急速無規制に流通した理由として、少数の専門家が限られた数の教授や教科書から学ぶのみならず多数の一般人が一般用語として使っていた(=一般用語として浸透していた)からではないかと推測することもそれ程不自然ではないと思います。
次に(c)では逓信省、つまり郵便や通信を管轄する中央官庁が(恐らくは国民の知識水準向上の為に)発行した公文書『逓信史要』(逓信の歴史の紹介)に詳説付きで載っているというのですから、電気工学の専門家以外の一般人が目にした可能性もあったことでしょう。その目にした一般人というのは知識人と呼ばれる人達だけだったのかも知れませんが、それら知識人が電気工学の専門家以外の一般人が目にするであろう書籍や新聞等に(衒学よろしく)書くことで、一般人が目にした機会は(それほど多くはなかったかも知れませんが)あったと考えるのも不自然ではないでしょう。現在でも六法全書を読んだことの無い人でも法律用語(時効とか確信犯とか)を知っているわけですし。無論、出典である『逓信史要』が逓信の専門家以外には目に付かない場所に保管されていたとか、間接的にさえ一般人の目に触れることは無かったとかいう可能性も充分に考えられます。ですが現状提示された情報だけで(どちらにせよ)一方であり他方ではないと判断することは難しく、少なくとも一般用語として浸透していた可能性を示唆する情況証拠であり、一般用語として浸透していなかった論拠にはなりそうもありません。
どちらも反論の余地が残る判断であり「独自研究」の域を出ませんので、充分な数の出典を検証したり充分に論証が行われたりすれば判断が変わる可能性もあると思います。ですが恐らくRay go氏は、とりあえずのところはこれで満足した(≒面倒臭くなった)ので「他の多くの人の意見を読んでもそんな雰囲気だし、不自然じゃないと判断出来る出典(=情況証拠)が複数あったわけだし、とりあえずは(=特に反論が無いなら)一般用語として浸透していたと判断していいだろう」と考えたのでしょう。無論「そうと限ったものでもない」わけですが、「そうとは限らない」ことは「そうではない」ことの理由にはなりませんから、Ray go氏は(充分な数の出典を検証したわけでも充分に論証が行われたわけでもないが)それが妥当とみて「そうだ」と判断したのだと思います。妥当だと判断したから「言える」(=主張した)わけです。Qurren氏も同じように考えて改名提案をせずに独断で改名を強行したのですから、そうおかしな話ではないと考えます。少なくともRay go氏は独断で改名を強行するわけでもなく単に主張しているだけなのですから。
当人ではない私でもこの程度には推測出来たことから、Qurren氏もきっと同様に推測したに相違無いと考えます。失礼ながら、もしも前記判断に「反論の余地がある」ことを指摘するつもりで疑問を挟んだのであれば、該指摘は飽くまで「そうとは限らない」ことを示すだけで「そうではない」ことを示すわけではない(単に「反論の余地がある」だけでは「反論」にならない)ことを忘れないで戴きたいと思います。逆に、単に「反論の余地がある」ことを指摘するだけではなく、判断が明確に誤りである(=不自然であり妥当ではない)ことを(論拠を以って)指摘するのであれば「反論」になりますし、その論拠に出典があるのならお願いさえしたいところです。
一般的な議論では、両論者によって反論し合うことで少しづつ客観的な(部分的)合意を得て主張を修正しつつ争点を整理し、最終的に(この世の全てに「客観的な正答」があるわけではないので)互いの主張が「反論の余地はあるが反論する論拠が無い」主張になるまで続けられます。つまり「反論」が無い限り「反論の余地がある」ことはそれ程重要な問題ではない(=ある意味当然な)のです。もしも「客観的な正答」がある場合には反論の余地無く(当然反論も無く)その「正答」に合意する(しなかったら単なるわがままです)ことになります。ですが「客観的な正答」が無い(本件改名提案のような)場合には、互いの主張は「客観的な(部分的)合意」が得られる毎に少しづつ修正され、最終的に「〜〜は〜〜なので反論の余地がある。私には反論そのものは出来ないが、同意も出来ない」という主張で終わることになります。そしてその後、議論によって得られた合意点に基づいて「協議により妥協点を探し」たり、「説得により各個撃破」したり、或いは「投票により力ずくで」解決することになるのです。
議論とは論敵を説得することでも論破することでも揚げ足取りすることでも同じ主張を繰り返すことでもありません。互いに反論し合うことで客観的に合意できる点を探し、主張を修正しながら争点を整理していくことです。最終的に「客観的に合意出来る点は全て合意」したにも関わらず「反論の余地はあるが反論そのものは出来ず、かと言って合意も出来ない」争点が残ることになるまで議論を「煮詰めて」こそ、協議や説得や投票が意味を持つのです。
【Nekosuki600氏へ】気持ちはわかりますが、礼儀を忘れず、冷静に、個人攻撃はしないようにしましょう。せっかく「自分が何をしでかしてしまったのか」を対話によって理解してもらえるチャンスなわけですから、また対話拒否されて聞く耳持たない硬化した態度を取られてしまってはもったいないです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月24日 (水) 20:29 (UTC)
(b)は1913年の作品、(c)は1898年の出版ですからどちらも現代用語の資料としては古すぎると思います。--みや1229 2010年2月25日 (木) 13:25 (UTC)
そんな「現代至上主義」を主張されてもなぁ。百科事典てのは歴史・記録を残して行くべきものでもあるわけでね、ほんっとためいき出ちゃうけどな。--Nekosuki600 2010年2月25日 (木) 13:34 (UTC)
「出典(b)(c)より、碍子という言葉は歴史的に正統な表現で」とあるように、歴史的資料として出されているので古いことは問題ではない(と言うかむしろ当然)です。また歴史的に碍子の存在が一般に知られていたことを示す資料としても、古い方がより適切です。該歴史的正統性に異を唱えるのであれ、それが現代に至るまでにどう事情が変わったのかを主張するのであれ、「歴史的資料が古いこと」は何の関係もありません。もしも関係があると主張しているつもりなのでしたら、「歴史的資料が古い」ことによって「どんな理由」で「どんな問題」が発生するので「関係がある」のか(つまり論拠)を「第三者にも理解出来る」ように説明する必要があると思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月25日 (木) 14:22 (UTC)
「学術用語集」などにおいて碍子がかな表記となったのは常用漢字表に従ったものと考えてよいでしょう。そしてWikipediaも記事名の付け方表記ガイドにおいてそれを踏襲しています。そのような状況でもあえて漢字表記をするならば当用漢字制定以降の時代において「碍子」が広く使用されている典拠を示す必要があります。それに対して1898年などはそのような漢字制限はないため資料にはならないということです。なお(b)が「がいし」が一般用語であることの資料ならばその発表時期は問題とは思いません。--みや1229 2010年2月26日 (金) 15:15 (UTC)
そのような状況でもあえて漢字表記をするならば当用漢字制定以降の時代において「碍子」が広く使用されている典拠を示す必要があります
なるほど。その点に関しては、本件改名提案の議論に於いて初期の頃に出てきたものでは不満足なのでしょうか。論文だか特許だかから検索し、「碍子」と「がいし」がいづれも有意な差が無い程度に「広く使用されている」ことが示されているようです。私は当該根拠を調べたわけではないのでナンですが、オンラインで調べられる程度の情報ですから比較的最近のものだと思われます。それが提示された当時は「いづれも支配的とまでは言えない」ということで議論の終結には至りませんでしたが、少なくとも「広く使用されている」と判断することは可能かと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月27日 (土) 08:28 (UTC)
そもそも本件は用語標準化の問題であり使用例の多寡の問題ではありません。しかもそれが有意な差が無いならそのことを根拠に改名を検討する必要はないでしょう。--みや1229 2010年3月4日 (木) 17:08 (UTC)
用語標準化の問題であり使用例の多寡の問題ではありません、という捉え方において、「記事名の付け方」冒頭文で最優先とされている事柄との整合性はどうなるのでしょうか。有意な差がないから用例の多寡では決まらない、というのはわかるのですが、「記事名の付け方」冒頭文に従えば『学術用語集』によるべき、というセンスでの用語標準化の問題とは言えないと思うのですが…それとも、「記事名の付け方」冒頭文に従うというより広い意味で用語標準化と仰っているのでしょうか。--Jms 2010年3月4日 (木) 17:41 (UTC)
そもそも本件は用語標準化の問題であり
いやいやいやいや。その用語標準化の問題に基づいて「がいし」に改名されただけで、それの差し戻し(再改名)の提案なので逆に用語標準化の問題に対し異を唱えているわけです。用語標準化の問題では明にありません。
本件改名提案賛成派の意見としては、「用語標準化の問題としてがいしに改名されたが、そもそも達成されているわけでもない用語標準化に従うのはおかしい」と主張しているのであり、その根拠の一つとして有意な差が無い程度に広く使用されていることが提示されているわけです。有意な差があり一方が支配的であるのなら他方は抵抗の余地が極めて少ないわけですが、有意な差が無い所為で今現在意見が割れているわけですよ。つまり、「wikipediaは政府だか学会だかが主導する用語標準化の動きに追従しがいしにするべきである」という主張と、「wikipediaは百科事典であり何らの権威の主導する標準化に従わなければならないわけではないので(その他の根拠を以って)碍子にするべきである」という主張とで。
ものすごい乱暴な言い方をしますと、「用語標準化の問題」の話は既に終わっているわけです。※善意に取って下さいね
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 00:54 (UTC)
あ、ま、確かに。どうもキツい表現申し訳なかった>Qurren さん
おれ的にはなんですな。「今の情報を調べる」上では、現代のインターネットはそこそこ役立つと思ってます。しかし「ちょっと前の情報を調べる」上では、現代のインターネットはほとんど全くもって役立たないものであり、その落差に愕然としているわけです。まあ広まらないだろうけど、おれは「BI(Before Internet)」という歴史区分を提案してたりしますね(=^_^;=)。「Before ComputerNetwork」と「After ComputerNetwork」との間にはさほどの落差がなかったような気がするのだが、「Before Internet(After ComputerNetwork 年代を含む)」と「After Internet」との間にはかなりの落差があるような気がします。
この「碍子/がいし の表記問題」は、実はそのあたりまで行き着く話なんじゃないかなあという気がしているんですよね。「BIをあまり知らない年代の感覚」については、せめてそのことを自覚した上で論を組み立ててほしいとか思っているわけです。自分にとって当たり前であることを前提とするんだったら、そんなもんは智でもなんでもないだろうみたいな感じでしょうか。--Nekosuki600 2010年2月25日 (木) 13:41 (UTC)
Qurrenさん、私の意見を気にかけて頂きありがとうございます。出典(b)(c)は代表的なもので、これだけを以て判断したわけではありません。私は他にもいくつか出典を提示しているわけですから、そのぐらいは察して欲しかったですね。あるいは出典(b)(c)「等」と書いた方が良かったでしょうか。そこまで気が回りませんでした。ところでQurrenさんは私の提示した出典類は全て読まれたのでしょうか? 読まれたのであればもう少し的を射た質問ができるはずだと思うのですが。あるいは遠慮されているのでしょうか。質問が漠然としているので的確な回答となるかどうかわかりませんが補足の意味も込めて説明しておきます。白秋の歌集『桐の花』を読めばそれが一般人に向けて書かれたものであるのは明らかですね。「電柱の白き堤子に・・・」は冬の静かに雨が降る情景を歌にしたもので、素人ならうっかり碍子という言葉をそのまま使ってしまうところでしょう。ところがそうするとガギグゲゴが重なってしまいせっかくの静かな情景が台無しになってしまう。そこで碍子を堤子に見立てているわけです。堤子は字面が似ていますし、「ひさげ」ではなく「ていし」と読ませれば語感も似ています。形も何となく似ていますから、まさにぴったりの比喩なんですね。で、それが比喩として成立する前提として多くの読者が「堤子? ああ、碍子のことか」と納得できなければならないわけです。白秋を読んだことがある人がどれだけいるかを考えれば碍子を一般用語とする一つの根拠にはなるでしょう。他にもありますが長くなりそうなのでこの辺で。--Ray go 2010年2月25日 (木) 14:51 (UTC)
そもそも「提子」を知らなかった私は赤っ恥を掻いてしまいました。なるほど酒器の一つですか。提(さげる)子ではなく堤(つつみ)子だと見たので、てっきり碍子の別訳語かと思い込んでました。碍子が碍(さまたげる)(塊り)のように、堤子は堤(堤防のように溢れ出るのを防ぐ役目の)(塊り)だとばかり……(><;)
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月25日 (木) 15:32 (UTC)
何か違和感があると思っていましたが、ひさげは子ではなく子でしたね。申し訳ありません。訂正します。--Ray go 2010年2月25日 (木) 16:18 (UTC)
北原白秋著『抒情歌集 桐の花』東雲堂書店、1916年四版発行を確認したところ、提子ではなく「堤子」とあり、振り仮名は「ていし」でした。『白秋全集 6』(1985年)でも同じです。それがどうして『日本国語大辞典』(2001年)や『現代日本文學体系 26 北原白秋・石川啄木集』(1972年)で「碍子」となったのかは分かりません。--Qurren 2010年2月27日 (土) 10:07 (UTC)
Qurrenさん、白秋の歌について調べて頂きありがとうございます。私のメモミスかと思いましたが「堤子」で合っているようですね。誤字なのか当て字なのかわかりませんが文脈等から提子を指すことは間違いないと思います。『現代日本文學体系』の方はわかりませんが『日本国語大辞典』は用例として記載する都合で碍子に直したのでしょう。電気工学以外の分野でも使われる用語という点についてはご理解頂けたでしょうか。他にも碍子と記載されている書物等を読んだ記憶はあるのですが、書名等をメモしていないのですぐには提示できません。追々調べてから紹介しようとは思っています。--Ray go 2010年2月28日 (日) 11:11 (UTC)
  1. 提子に例えたのだが北原白秋が字を間違えた/出版時に誤植があった
  2. 碍子の別名として堤子という語があった(その後学術用語集等の学会の努力により別名である堤子が主要な文献から消えた)
こうなると「提子に例えた」という出典でも見付からない限り1の推測には無理がありますね。Ray go氏の「提子に例えた」ものだと言うのが個人的解釈ならば仕方が無いですが、そうでないのなら何か出典か何か出せますでしょうか。
それに2の方は私の推測なのですが、これは基本的に検証不能ですね。ましてやそれが「提子に例えた」ものなのであれば推測自体が崩壊していますから。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月27日 (土) 14:28 (UTC)
(追記) 例えば『台所用具の近代史』(pp.212、古島敏雄、有斐閣、1996年、ISBN 4-641-07586-7)にも漢字で「碍子」と書かれていますね。最近色々な書物を調べてみて思うのですが、かなの「がいし」は電気技術者POVと言えるのではないでしょうか。以前挙げた陶磁器業界の書物は技術者向けでさえ「碍子」でしょう。逆に、技術者以外を対象とした書物で、かなの「がいし」が使われている例はないのでしょうか?--Ray go 2010年2月26日 (金) 21:39 (UTC)
「ガイシ・ソケット」といった製品ならホームセンターへ行けば売っています(Hatukanezumi氏 2010年2月2日 (火) 21:56 (UTC))だそうですね。
また本件改名提案の議論の初期の頃に、「碍子」と「がいし」がいづれも支配的でない程度に使用されていることが示されています。論文でもそうらしいので、電気技術者POVですら無視出来ない程度に「碍子」が使用されているようです。それが提示された当時は「いづれも支配的でない」ということで議論の終結には至りませんでしたが、参考になるのではないでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月27日 (土) 08:28 (UTC)
いずれも支配的でないなら、「碍子」に改名する理由としては不足なのでは。もっとも、電気の教科書や法令、JISに限れば「がいし」が支配的ですが。--Qurren 2010年2月27日 (土) 10:07 (UTC)
「いずれも支配的でない」ということからは、「碍子」から「がいし」に改名する理由についても同じことが言えましょう。いずれの用例も卓越しているとは言えない状況では、記事名を「がいし」とする理由としては JIS や学術用語集が「がいし」だから、という事しかないでしょうし、それとWikipedia:記事名の付け方の冒頭で述べられている「まずなによりも」との兼ね合いは微妙なところでしょう。記事名が「がいし」で困る理由は、冒頭文や JIS への言及との関係においてすでに述べました。本文中では適宜平仮名表記を用いるという前提で、なおかつ記事名が「碍子」では困る理由はありますか? --Jms 2010年2月27日 (土) 10:42 (UTC)
逆に記事名を「がいし」とし、冒頭文を『がいし(碍子、がい子)は、...器具。学術用語集やJISでは「がいし」であるが、「碍子」も広く使用される。』としてはどうですか? 『本文中では適宜平仮名表記を用い、記事名は「碍子」』でも『本文中に適宜漢字表記を用い、記事名は「がいし」』でも同じようなものだと思います。その場合、学術用語集を理由として記事名を「がいし」とする方がマシではないでしょうか。--アルビレオ 2010年2月27日 (土) 12:31 (UTC)
アルビレオさんの提案に同調します。--Qurren 2010年2月27日 (土) 13:11 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方冒頭には「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」とあります。「がいし」と「碍子」のどちらが曖昧さが少ないかは明らかでしょう。理解しやすさについては同程度ないし「碍子」の方がやや理解しやすいでしょう。記事名についてはWikipedia:記事名の付け方を優先させるべきです、たとえWikipedia:記事名の付け方が表記ガイドを参照しているにしても。また、事実として JIS や学術用語集では「がいし」であることを述べるにとどめる方が、「広く使用される」と曖昧なことを書かずに済むので良いでしょう。--Jms 2010年2月27日 (土) 13:59 (UTC)
◆いずれも支配的でないのならば、同音異義語が多く存在する「がいし」表記よりは、意味が一意的に定まる「碍子」とした上で、記事中で「がいし」という読みを補う方が、結果として伝えうる情報量が多くなるのではないかと考えます。また、もともといずれも支配的でないにもかかわらず合意形成を経ずして独断での改名が行なわれたことについての問題点がさらに強く指摘されたものと受け止めるべきではないかとも思います。
いずれも支配的でないのならば、現時点で「改名に賛成」が50%をはるかに越えて75%に至っていることを鑑みて、「碍子」に移動した上で関連表記の整備を行なうということが望ましいように思います。従いまして、アルビレオさんのご提案には同意できません。--Nekosuki600 2010年2月27日 (土) 13:22 (UTC)
  1. 「同音異義語が多い」については、「碍子」以外の「がいし」はひらがな表記されることがほとんどないので賛成しません。
  2. 「碍子の方が意味が一意的に定まる」、には同意します。ただしこの理由で改名するにはまだ弱いと思います。
  3. 「独断での改名」については、私としてはすでに記事名が「がいし」となってからこの議論に参加しているので重視しませんが、問題視される方々がいらっしゃることは理解します。
  4. 最後に「現時点で改名に賛成が50%をはるかに越える」についてはおっしゃる通りではありますが、多くの方は「がいしが学術用語か否か」の議論が収束する前に賛否を表明されているようです。改名に賛成する方が「学術用語ではあるが原則を適用せずに漢字表記をつかうべき」であれば多数意見を尊重します。
--アルビレオ 2010年2月27日 (土) 22:42 (UTC)
支配的だから改名しよう、と主張しているわけではないので「いづれも支配的でない」ことは改名の理由を棄却しません。とりあえず私の主張に限れば、碍子は一般用語(→学術用語なのかも知れないけれど学術用語としての意味を持っていないのだから、原則から外れて一般用語扱いするべき)なので、常用漢字に縛られたJISや学術用語集の表記に従うのではなく、一般に流通し歴史的正統性のある漢字表記に従うべきだ、ということです。
その争点として学術用語か一般用語かの議論がここまで長々と行なわれているわけです。一般用語として碍子を知った人にとっては「学術用語集やJISにそう書いてあるから」というだけの理由で学術用語だと主張するのはあまりにも独善的に見えるわけです。長い歴史の中で「碍子」として浸透しているからこそ(常用漢字表を墨守している/しなければならないJIS等以外では)「がいし」と比較してすら「いづれも支配的でない」ぐらいの頻度で使用されている、という主張なわけです。そうでないなら、半世紀以上昔から教科書でもJISでも学術用語集でも統一的に「がいし」と書いているのだから、どう考えても漢字表記すら知らずに「がいし」と書く人の方が圧倒的大多数になるはずだと思うのですが如何でしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月27日 (土) 14:28 (UTC)
「学術用語集やJIS(さらに法令や電気工学ハンドブックなどの教科書)にそう書いてあるから」というだけで、と言いますが、これらの背後には国や電気学会、出版社といった信頼に足るものが存在しているのです。それでも独善的に見えますか。--Qurren 2010年2月28日 (日) 13:35 (UTC)
それが「信頼に足る情報源」であることは合意します。ですが、一般用語としてしか碍子を知らず、Qurren氏の主張により初めて学術用語と考える立場の人間がこの世に存在すると知った人達にとっては、「信頼に足る情報源」があるので「学術用語であると認めることもやぶさかではない」けれども「少数の専門家の意見」が一方的に(≒常識を無視して)押し通そうとされているように見えるわけです。この場合の「常識を無視して」とは「一般用語として碍子が使われている事実を無視して」という意味であり、決して「Qurren氏その他の改名反対派が非常識極まりない変人である」とか何とか批難しているわけではありません。誤解の無いように書き直しますと、「一般用語として碍子が使われている事実を無視して」一方的に「少数の専門家の意見」を押し通そうとしているように見えるわけです。これが「独善的に見える」という意味です。別の乱暴な言い方をしますと「信頼に足る情報源があるんだから、どれだけ沢山の無知無能なパンピーが何を知っていようが考慮に値せず」ぐらいに言えば、独善的なイメージが伝わるでしょうか。
無論、Qurren氏が「沢山の無知無能なパンピー」扱いしようと考えていると思っているわけではありませんが、物理的にはそれと同じ扱いを受けているのでそういった印象が拭えないわけです。これは観点の違いであり、Qurren氏の観点からは決してそうは思えないことでしょう。それらの異なる観点の持ち主が議論を行ない、中立的な観点を模索することでwikipediaが素晴らしい百科事典となり得るわけです。
Qurren氏がその中立的な観点を探すべくもう一度本件改名提案の議論を最初から読み直してみたならば、もしかしたら今までとは違ったものが見えてくるかも知れません。その結果意見が変わるか変わらないかはわかりませんが、今までとは違った何かを見て戴ければ、また議論の方向も変わってくるのではないかと思います。そしてその上で議論を続けることで、より良い結論に辿り着けることを祈っています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月28日 (日) 15:21 (UTC)
  コメント なんか話がループしていますな。
「一般的な用語」かどうかを論じても結論はでないでしょう。たとえば文学作品に現れるから一般的な用語だというのなら、かんらん岩は宮沢賢治『虔十公園林』[14]など多数の作品にあらわれるから一般的な用語、もしくは学術用語だが一般に広く使われる用語、となりますか。そういった理由から「橄欖岩」と表記すべきだと主張するのだとすれば、たいていの学術用語は一般的な用語、または例外的な学術用語だから、同じ扱いをすべきだということになるでしょうね。
それもそのはずで、の節で述べたように、明治以来、近代科学の用語を整理・統一する企ての当初から、なるべく平易簡明な語法や表記が選ばれてきている。学術用語が一般社会で広く使われているのは、当然なんです。
そして (『学術用語集』の最近の版を読んだひとはわかっているでしょうけど) 1969年の「学術用語審査基準」ではこうした流れをくむものとして漢字制限の方針も含んでいる (もちろんそれだけではない)。
当然ですが、すべての学者がこれに従っているわけではないし、各学界での慣習には異なるところもあるかもしれない。しかし、そういった事例を細々挙げてもやっぱり結論はでないとおもう。だってそもそも、わたしたちウィキペディアの執筆者には、どれが正しい表記であるか判断するだけの知見は期待されていない。「僕は専門家で、知見を持っている」というひとも執筆者のなかにはいるかもしれないけど、持たないひとも広く受け容れている以上、だれかの知見が特にすぐれているという保証はできない。結局、外部の専門家によって定められた基準を採用するしかないのです。それが先日わたしの提案したことでした。
「碍子」専用の主張の論拠として上記以外に残っているものには、「漢字制限によって日本語の表記が不自由、不明確になっている」と匂わせることで仮名書きを否定するものがありますが、ほとんどの記事 (当記事も) は常用漢字表外の漢字を (固有名詞を除いては) 使わずに立派に執筆できているのですから、あまり意味のない主張だと考えます。わたしだって、記事以外では自分の趣味を通すことはあるよ (「思う」をかならずひらくとかね)。でも人さまに見せる記事では、大勢に従うほうがいいにきまっています。
ほかに残っている論拠としては、「仮名書きだと識別しにくい」という意見がありますね。残っているのはこれくらいでしょうか。
--Hatukanezumi 2010年3月1日 (月) 13:42 (UTC)「当記事も」を追加。 --Hatukanezumi 2010年3月1日 (月) 14:12 (UTC)
おれ思うに、「おもう」を仮名に開いていいのは四宮和夫先生だけなんですよ(ふっ)。そんなもんは表現の自由だからいちいち言わないけど、すんげえ不愉快に思ってるってことだけは書いておこうかと。--Nekosuki600 2010年3月1日 (月) 13:49 (UTC)
わたしたちウィキペディアの執筆者には、どれが正しい表記であるか判断するだけの知見は期待されていない
期待も何も、ウィキペディアンは正しいか否かを判断してはいけないのですよ。中立的な観点で編集する努力をするだけです。人間完璧ではありませんから、書いたものが中立的な観点である保証は無いわけです。しかしその努力を続けていれば、やがて他のウィキペディアンが他の観点から「中立的な観点である努力をしつつ」編集し、それをまた他のウィキペディアンが……と繰り返しているうちに漸近的に中立的な観点での記述が達成されるわけです。正しいとか正しくないとかはwikipediaの理念に於いては全く問題ではありませんし、ウィキペディアンは正しいとか正しくないとかに基づいて行動をしてはならないのです。それが中立的な観点であるか否かが重要であり、中立的な観点であることを担保する為に検証可能性が重視されるのです。検証可能性のみに従うことは、検証可能性が重視される根拠である中立的な観点に反します。
結局、外部の専門家によって定められた基準を採用するしかない
そういう「観点」があることは認めます。ですが前述の通り、それこそがwikipediaの目指す「中立的な観点」である、という主張には賛成しません。では私の「観点」がwikipediaの目指す「中立的な観点」であるのかと言えば、それも違います。それは私の「観点」であり「中立的な観点」ではないからです。なので、こうした「異なる観点」の持ち主同士が対話や議論によって(少なくとも当事者それぞれの観点から見て)「中立的な観点」に関して合意を行なうことを繰り返し、少しづつwikipediaの目指す(理想的な意味での)「中立的な観点」に近づけていこうとしているわけです。
他の「観点」の持ち主を説得や投票などで「やっつけ」て特定の「観点」に統一しようとすることはwikipediaの理念に反しています。敵対する他の「観点」の持ち主を「やっつけ」る為に「議論」を行なうのではありません。他の「観点」に関して互いに理解し「中立的な観点」に関する合意を得る為に「議論」を行なうのです。相手の話に聞く耳を持たないのは「議論」の放棄であり、他の「観点」に関する理解の放棄であるだけでなく他の「観点」の持ち主が当該「観点」を理解することを阻害することです。それは相互理解し協力して合意し得る「中立的な観点」を模索することで、wikipediaを素晴らしい百科事典にするべく努力している多くのウィキペディアンにとって、とても悲しいことなのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月1日 (月) 15:00 (UTC)
◆「対象によって使い分ける」というのは、記事内の表記のことであって、記事名のことではないでしょう。もし記事名について「対象によって使い分ける」なら、それは記事の分割ですから。「対象によって使い分ける」で記事名について Hatukanezumi さんが述べているのは「記事名は記事の内容を代表しますので、専門分野の用語法が優先され」ということですが、これは結局のところ「対象によって使い分ける」かどうかによらない提案ではないでしょうか。改名理由となり得るものはこれくらいでしょう。必要に応じて適宜書き分けるとした上でもなお、見出しとして、Wikipedia:記事名の付け方冒頭文、Wikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことなどに従ってより曖昧さの少ない漢字表記をとるのか、Wikipedia:表記ガイド#学術用語に従って平仮名表記をとるのか、という点で平行線が続いています。記事名だけはWikipedia:記事名の付け方冒頭文を優先して漢字にしておいて、本文中では冒頭文等を除いて基本的に本文中で平仮名表記としいうので何が問題なのか未だに改名に反対している方から説明がありまえせんが、もしかするとWikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことから「記事名に使われないなら正式名称ではない」と考えてしまって「碍子」に反対しているのではないかと想像してます。記事名なのですから、結局はWikipedia:記事名の付け方冒頭文で決まると思うのですが…。--Jms 2010年3月1日 (月) 20:45 (UTC)

  コメント今のところ出された出典からはたとえ一般用語としても現在「碍子」の方が広く使用されているとまでは言えないからアルビレオさんの提案が現実的だと思います。節分け名については主観が入るので避けた方がよいと思います。ただ、Unit.という見慣れない単語を外すことには賛成します。--みや1229 2010年3月1日 (月) 15:27 (UTC)

記事名というのは記事に読者を導くためのものであり、より曖昧さが少ないことが求められるのはWikipedia:記事名の付け方冒頭文にある通りです。「碍子の方が意味が一意的に定まる」のですから、Wikipedia:記事名の付け方冒頭文に従えば「記事名は」碍子とすべきであって、記事名をについて学術用語集を理由として記事名を「がいし」とする方がマシということはないでしょう。記事名はさておき、記事内では学術用語 (対象分野?) について「がいし」を用いることで、名より実をとってわかりやすい記事とすべきだと思いますが…。--Jms 2010年3月1日 (月) 20:45 (UTC)
WP:NCは意味が曖昧でないことしか求めていないとおもいます。人間が読むもので、機械に読ませるわけじゃないんですから、テキストデータとしての一意性まで求められてはいないでしょう (一般に自然言語ではそんなこと不可能ですし)。そういう観点からは、「がいし」は意味の一意性を持っています。
脇道。上節でデータベース検索の結果比較が議論になったとき、検索式に除外項があることをもって「がいし」は曖昧だという印象をもったひともいるようですが、サーチャーが扱うような本格的なデータベースでは検索式の調整に注意を払うのは当たり前のことです。本格的なデータベースでは検索式の正確性が検索結果の正確性をきめるし、同じ検索式での検索には再現性があります。思いついた言葉で検索してみて結果を目視で取捨選択しなければならないとか、検索するたびに結果が変わるとかいうネット上の全文検索サービスとはちがうのです。脇道おわり。
また「がいし」でなく「碍子」表記を採るとすればそれなりの根拠となる資料が必要だとおもいます。学術用語の表記にならうとすれば悩む必要はありません。--Hatukanezumi 2010年3月2日 (火) 13:00 (UTC)
例えば「いす」ではなく「椅子」表記を採るために特に根拠資料が必要とは思えないのですが、「碍子」であれば『逓信史要』で十分なのではないのでしょうか。--Ray go 2010年3月2日 (火) 13:28 (UTC)
「『逓信史要』で十分」ってそりゃないよー……わたしはなんのために半日図書館にこもって調べたのか……。その結果、戦前は「碍子」、戦後は「がいし」になっていることは、わたしも知っています。明治時代の表記に合わせようという話にはならんでしょうに。--Hatukanezumi 2010年3月2日 (火) 13:41 (UTC)
返答を頂きありがとうございます。古い文献も捨てたものではないと思いますよ。それはさておき。物事の名称を変更すると定着するのに相応の時間がかかるものです。一瞬で定着するものもありますが、年月を経ないと定着しないものもありますし、中には全く定着しないものもありますよね。自治体の合併や名称変更などは事前の根回しがありますから一瞬で定着する例ということになりましょうか。権威があるからといって必ずしも一般に普及するわけでもありません。ウィキペディアにおいては名称の普及するタイミングを見計らうことが重要なポイントだと思うのですがどうでしょうか。出典を元に改名するにしても、その名称が現実として一般に普及していることを確認してから改名を実施するのが事実追認メディアである百科事典のあるべき姿勢ではないかと。学術用語集は「それに記載されることによって後に一般に普及する可能性が高い」という観点で尊重すべきと思いますが、それ以上のものではないはずです。専門家に従うべきという理由で、いまだに日常的に「E電」という用語を使っているわけではありませんよね? --Ray go 2010年3月4日 (木) 21:04 (UTC)
応答を見落としていました。すみません。一般論としては、ウィキペディアで新語や新語法を使うことには慎重であるべきだとおもいます。
今回の「碍子」/「がいし」は別に新語ではありませんし、表記についても『学術用語集』のそれが一定の標準とみなされていることが確からしいです (法令やJIS以外に、電気学会、日本建築学会、日本化学会が編纂した各分野の用語辞典で採用されている表記であることも確認しています)。
「定着」したかどうかをどうやって判断するのかは難しいですよね。専門家による「碍子」と「がいし」の利用頻度調査なんてものはおそらくないでしょうから、ここで議論しても水掛け論になってしまいます。
あと「E電」は愛称で、商標名に類するものなんじゃないでしょうか。それが消費者に受け容れられずそのうちうやむやになったという話題は特筆に値しますが、ここでの議論とは関係ないでしょう。 --Hatukanezumi 2010年3月7日 (日) 02:49 (UTC)
それなりの根拠、というのは、「がいし」が「碍子」の読みであり、項目がいしの内容が「碍子」のことである、というので十分であり、前者は国語辞典の類を調べれば明らか、後者についてはいわゆるアップルパイでしょう。「がいし」と「碍子」、いずれの見出し文字列がより曖昧さが低いか (可能な指示対象の集合が小さいか) というのも、国語辞典を調べれば明かです。明治時代の表記かどうかということは論点ではありません。--Jms 2010年3月2日 (火) 14:17 (UTC)
「『がいし』が『碍子』の読み」であるという理解は、「漢字による表記が正式表記である」という意見の表明にすぎないわけですから、採ることはできませんね。なぜわたしが議論の場で「おもう」と書くかといえば、たかが個人の主観で思ったことに重々しい意味をもたせたくないからです。確実だと考えることには「考える」と書きます。アップルパイの例は (米国で出生して一般的な生活をしている者なら、という限定があって)「だれでも作りかたや食しかたを知っているからそんなあたりまえのことに出典はいらない」という例として挙げられるもので、これまでの議論に適用できません。
国語辞典にしたがうというのならそれでもけっこうです。しかし、その場合はすべての記事に対してその原則が適用できるかどうか吟味すべきでしょう。とりあえず従来のガイドラインからあまり逸脱しない (つまり、ほかの記事との整合性がとれることを期待できる) 範囲で、当記事での合意を得ようとすれば、どうすべきでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年3月2日 (火) 15:32 (UTC)
「漢字による表記が正式表記である」という意見の表明にすぎない
碍子の読みががいしであり、これは「がいし」と同一である。碍子が指す内容と「がいし」が指す内容は同一である。以上の二条件から「がいし」が碍子の読みでないと結論付けるのは強引に過ぎるのではないでしょうか。つまり正式か否かとは別に、両方の表記があるという事実の再確認でしか無いと思うわけです。
またアップルパイに関しては、前述の二条件の後者である「碍子が指す内容と「がいし」が指す内容は同一である」の出典の必要性の問題でしょう。これに関しては、同一であるという前提の下に此処まで議論が進んでいる(一応私が異なる定義を出せと強硬に主張していましたが)わけですから、今更「これまでの議論に適用できません」というのは流石におかしいと思います。無論、私が異なる定義を出せと強硬に主張していた段階まで議論を巻き戻すべきだという主張なら理解出来るのですが。
国語辞典にしたがうというのならそれでもけっこう
いやいやいやいや。Hatukanezumi氏は「碍子の読みはがいしではない」と主張したいわけではないのでしょう? 「碍子の読みはがいしではない」と主張しているが百歩譲って「碍子の読みはがいしかも知れない」という付帯条件なのでは無いのでしょう?
国語辞典は「碍子の読みはがいしである」ことの根拠であり、アップルパイに関しては「碍子が指す内容と「がいし」が指す内容は同一である」の根拠です。国語辞典に従った新しい記事名の付け方を創造しよう、という話ではありませんよ?
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月2日 (火) 16:34 (UTC)
◆「『がいし』が『碍子』の読み」であるという理解を「漢字による表記が正式表記である」という意見の表明であると考えるのは、「漢字による表記が正式表記である」と考える人の考え方です。「がいし」が「碍子」の読みである、ということは、「碍子」が (ここで問題としている) 「がいし」の漢字解釈である、ということと対称であって、どちらが正式かという価値規範とは独立です。アップルパイのこの文脈での意味は、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの指摘の通りであり、日本語話者の大多数が、ここで議論している「がいし」と「碍子」の指示対象は同じである (厳密に同じであるかどうかは別途議論されているが、現時点で当該記事の記述対象である「がいし」ではあるが「碍子」でないもの、またはその逆の存在は示されていない)、ということを知っている、という意味です。国語辞典に従うべきだ、と言っているのではありません。ガイドラインの範囲でどうするのが良いかは既に述べていることの繰り返しになりますので改めて述べることはしません。--Jms 2010年3月2日 (火) 18:08 (UTC) 敬称補 --Jms 2010年3月3日 (水) 19:06 (UTC)
アップルパイの例については了解しました。
で、「読み」なんですが、『学術用語集』の「和英の部」では読みを訓令式ローマ字で示し、その読みかたをする用語、そして用語に対応する外国語を挙げています。だから「gaisi がいし insulator」([電気学会:1979] p. 51。太字は原文ママ) と書いてあれば「gaisi」が読みで「がいし」が用語の表記ですね。
「国語辞典にしたがうというのならそれでもけっこうです」と言いましたが、実は、けっこうだとは少しもおもっていません。国語辞典は用語集でないだけではなく、用字のよりどころになりえないと考えるからです。で、この「用字」についての議論は節を変えたいとおもいます。とりあえず節は作ったけど続きはまた明日以降。 --Hatukanezumi 2010年3月3日 (水) 13:57 (UTC)
今度は「用字」ですか。国語辞典が用字の拠り所ではないことは基本同意です。そして、国語辞典が用字の拠り所であると主張している人は現在誰も居ません
ついでなので大辞林第二版によれば「ようじ 【用字】文章の中で、ある言葉を表すのに用いる文字。また、文字の使い方。」となっています。つまりWikipedia:表記ガイド#学術用語では用字という意味で「原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます」となっていて、今現在それに関して、つまり碍子に於いても「『学術用語集』に準じ」るべきか否か、そうでないならどうすべきかを議論しているわけですね。
今現在の議論は、碍子に関する「wikipediaに於ける用字」の議論であり、その論拠として用語(学術用語であるか否か)の議論が行なわれていただけです。今更「wikipediaに於ける用字」から「用字」へと議論を一般的な方向へと展開する意味は無いと思うのですが。それは碍子のみならず、現在wikipediaに存在する他の記事の記事名の付け方にまで影響を及ぼす危険な主張に成り得るのですが、大丈夫なのでしょうか?
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月3日 (水) 15:00 (UTC)
◆和英という機能からすれば見出し語をローマ字で表記する事に何の不思議もないのですが、ひとまず『学術用語集』の和英の部を根拠に「がいしの読みは gaisi である」という主張が成立するとしましょう。仮にそうだとして、それは「碍子の読みはがいしである」ということや、「現在議論している意味でのがいしの漢字表記は碍子である」ということを、如何に否定するのでしょうか。『学術用語集』で「がいし」と表記されている、という事実、表記ガイドが『学術用語集』に従うとしている事実、「がいし」と「碍子」の用例の多寡とその分布、それらを踏まえた上で、記事名の付け方に従った見出し語たる記事名としては何が適切か、という議論をしているはずですが。--Jms 2010年3月3日 (水) 19:06 (UTC)
読んでいるだろうとおもって言わなかったのですが、『学術用語集』の「例言」の冒頭で「読み方」だと言っていますよ。続きは下の節で。 --Hatukanezumi 2010年3月4日 (木) 14:56 (UTC)
どうもありがとうございます、読んでいません。本棚のどこかにあるはずなので探しているのですが、使わないので未だにみつかりません。(用字の話ではないのでここで続けます) いう個人的事情はさておき、『学術用語集』が「がいし」の読み方を「gaisi」としているから、「碍子」を「がいし」と読むのは表記ガイド的には誤りで、「碍子」は「gaisi」と読むべきであり、仮に冒頭文を漢字で始めた場合にWikipedia:スタイルマニュアル_(導入部)に従って冒頭文括弧内に読みを入れるとしたら、「碍子 (gaisi) は云々」とすべきである、ということを含意する主張をなさっている、という理解でよろしいでしょうか。それとも、Wikipedia:表記ガイド#読み仮名も含め求められているのは読み仮名であって、読みローマ字は読み仮名ではないからそこまでの事は述べていない、ということなのでしょうか。「読み方」と「読み」というのは違うし、読みをローマ字で表記するか平仮名で表記するかという問題でもあろうかと思いますが…。さらにわからないのは、『学術用語集』が「がいし」の「読み方」を gaisi であるとしているという事実が、「記事名の付け方」冒頭文とどの様な関係にあるのか、ということです。--Jms 2010年3月4日 (木) 17:41 (UTC)
~~と考えるのは、「漢字による表記が正式表記である」と考える人の考え方です
当て字の可能性も有り得るので、漢字と平仮名との表記法があるという主張だけでは「漢字による表記が正式表記である」という主張になりませんものね。
ですが、もしかしたら「がいしが碍子の読み」であることと「碍子の読みががいし」であることとの間には、「白馬が馬でない」ような違いがあると解釈することが可能なのかも知れません。私は特に疑問も持たずに「碍子の読みががいし」と書いてしまいましたが、Jms氏は「がいしが碍子の読み」と書いています。私は特に考えなく両者を同一と考えていました(しJms氏の投稿を見る限り誤解ではないようです)が、Hatukanezumi氏はそれらの違いから「漢字による表記が正式表記である」という意見の表明だと解釈した可能性が考えられます。だとすれば、誤解が解けたことでHatukanezumi氏の意見が 2010年3月2日 (火) 15:32 (UTC) の内容と変わった可能性がありますね。Hatukanezumi氏の投稿を待ちたいところです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月3日 (水) 13:47 (UTC)
その「悩む必要はありません」という思考停止的な態度がいただけないわけですよ。記事名の付け方表記ガイドも「守るべき」法ではなく「考慮すべき」ガイドラインなわけです。その「考慮すべき」なのを考慮せずに思考停止的な態度を取るのは問題なのではないかと。
そもそも五本の柱の最後の柱にあるようにwikipediaには確固としたルールは無いわけですから、様々な事情を考慮した結果ならともかくも、何も考えずに何か(それが外部の指標であれwikipediaのガイドラインであれ)に従うというのはwikipediaらしくないように思えてしまうのです。
まぁ、私とて本音を言えば「がいし」が「碍子」の読みであり、項目がいしの内容が「碍子」のことであるという時点で、常用漢字を墨守しないwikipediaで議論の余地が残るとは思えないのですがね。うっかり「碍子が正式名称」などと口走った所為で出典を出せと言われてしまいましたが。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月2日 (火) 15:06 (UTC)

◆例えば電気以外の分野で「がいし」と書かれている書物を探してみてはいかがでしょうか。かくいう私もそういう書物を探しているのですが残念ながら見つかっていません。「碍子」は見つかるのですが。あるいは探し方が悪いのかもしれませんし、手分けした方が効率的ではないかと。そういえば宮沢賢治は『春と修羅1』の「グランド電柱」という詩で碍子という用語を使っているのですが、彼は理学の専門家としての一面を持っていますからさすがに一般用語の例として挙げるのは不適切ということになるでしょうね。同じ理由で寺田寅彦もだめでしょう。--Ray go 2010年3月2日 (火) 13:28 (UTC)

資料紹介 (2) 編集

◆『天文月報1995年6月号』に『学術用語集天文学編』の書評が掲載されているのですが、その中で学術用語集の役割を疑問視する意見が書かれていますので参考まで。電気工学編にもこういう例がないかどうか探してみる価値はありそうですね。--Ray go 2010年3月6日 (土) 05:56 (UTC)

それはもしかしてコレでしょうか。興味深い話ではありますが、表記ガイドの検討として別途考慮すべき話ではないかと思います。--Jms 2010年3月6日 (土) 08:39 (UTC)
陶磁器関係の文献ですが、『窯業の事典』(浜野健也・川村資三・田中愛造・中川善兵衛編集、朝倉書店発行、1997年初版第2刷発行)の中で、がいしの製造工程についての詳しい記述がありました。表記はひらがなで「がいし」でした。陶磁器業界でも文献によって表記に揺れがあるようです。--Qurren 2010年3月6日 (土) 13:23 (UTC)
文献を紹介頂きありがとうございます。焼き物関係でもかな表記されている書物があるということは考えを改めなければいけないかもしれませんね。後で調べておきます。私の調べたところでは『セラミックス辞典』(窯業協会編、丸善、1986年、ISBN 4-621-03041-8)の解説文に漢字で碍子とあることを確認していますのでついでに紹介しておきます。--Ray go 2010年3月8日 (月) 13:18 (UTC)

『窯業の事典』を調べてみたところ確かにかなで「がいし」とありました。この書物にはJISを参照している箇所があり、それに合わせたようですね。電気POVというのは言い過ぎのようです。ついでに他の書物も調べてみましたので追記しておきます。

がいし表記
  • 社団法人建築設備技術者協会編 『建築設備設計マニュアル3電気設備編』 p.135、技術書院、1997年、ISBN 4-7654-3148-7
  • 高橋雄造 『百万人の電気技術史』 工業調査会、2006年、ISBN 4-7693-1258-X
碍子表記
  • 日本セラミックス協会編 『セラミックス用語集』 p.165、丸善、2000年、ISBN 4-621-04708-6
  • 宮地英敏 『近代日本の陶磁器業』 名古屋大学出版会、2008年、ISBN 978-4-8158-0602-6
  • 橋爪紳也、西村陽、都市と電化研究会 『にっぽん電化史』 p.134、日本電気協会新聞部、2005年、ISBN 4-902553-17-1
  • 佐賀新聞社・佐賀県大百科事典編集委員会編 『佐賀県大百科事典』 pp.23、佐賀新聞社、1983年
  • 土方巽 『普及版土方巽全集1』 p.168、河出書房新社、2005年、ISBN 4-309-26844-7

『建築設備・・』は法令に関わる文章表現ですね。セラミックス協会(窯業協会)関係の書物は十把一絡げの扱いでも良さそう。『佐賀県・・』は有田焼の解説文にありました。以上、私が調べた範囲での使用頻度や使われる文脈等からすれば、やはり漢字の碍子を使うのが本道ではないかと思います。分割は論外。せっかく調べたので本文に少し加筆しておきます。とりあえず表記は原著に合わせておきますね。--Ray go 2010年3月13日 (土) 13:18 (UTC)

がいし
  • 電気学会編集発行『電気学会大学講座 送電工学 改訂版』2002年。ISBN 488686130X
  • 石井彰三監修、新井芳明・有冨正憲・岡本裕正・粉川昌巳・菅谷光雄編『電力技術 新訂版』実教出版、2002年。
  • 東北電力30年史編集委員会編『東北電力株式会社30年のあゆみ』東北電力、1981年。
  • 北陸電力30年史編集委員会編『北陸電力30年史』北陸電力、1982年。
  • 北陸地方電気事業百年史編纂委員会編『北陸地方電気事業百年史』北陸電力、1998年。
  • 中国地方電気事業史編集委員会編『中国地方電気事業史』中国電力、1974年。
  • 四国電力株式会社社長室編『四国電力20年のあゆみ』四国電力、1972年。
  • 山口梅太郎・関根泰次・都甲泰正編『ビジュアル版 日本の技術100年 第1巻 資源 エネルギー』筑摩書房、1991年。
碍子
  • 東京電力編『関東の電気事業と東京電力 電気事業の創始から東京電力50年への軌跡』東京電力、2002年。

陶磁器関連の文献が多く紹介されたので、今度は電気関係を紹介します。--Qurren 2010年3月14日 (日) 02:57 (UTC)追記--Qurren 2010年3月14日 (日) 02:58 (UTC)

参考文献を追加します。

  • 高津学、広木守雄編 『ファインセラミックス用語集』 p.183、紀伊國屋書店、1994年、ISBN 4-314-10061-3
  • 日本産業技術史学会編 『日本産業技術史事典』 p.88(石村眞一著)、p.95(水野信太郎著)、思文閣出版、2007年、ISBN 978-4-7842-1345-0

いずれも碍子と表記しています。--Ray go 2010年3月31日 (水) 13:04 (UTC)

「用語」と「用字」 編集

「goo辞書」(『大辞林』第2版にもとづく) では、見出しと表記を「がいし 【▼碍子】」のように挙げています[15]。ここでの「がいし」は見出しです (凡例にそう書いてあります)。表記はすみパーレンで囲まれているもので、「見出し語に当てられる漢字を中心とする標準的な書き表し方」(凡例を参照) を示したとしています。つまり、漢字を当てるとしたら「碍」と「子」という字を当てるのが標準的であると言っているにすぎません。常用漢字表外字 (▼を付した字) をどうあつかうかについて基準を示してはいませんし、仮名書きする場合の方式も示唆しません。国語辞典は「碍子」が優位だとも劣位だとも言っていないし、「がい子」や「がいし」といった表記を認めるとも認めないとも言っていないわけです。「『がいし』は読みで、『碍子』とすべて漢字で書くのが正式」といった主張は、主観的なものです。

新聞社などが発行している用字用語辞典の類は、用語の統一を図るとともに用字の基準も示します。『学術用語集』のような術語集もおなじ目的をもっています。たとえば、単に漢字制限に従うのなら「がい子」でよいはずですが、このような表記を排除する用字基準をもっている用語集もあります。「学術用語審査基準」(『学術用語集』の各版に収録) は用字についての基準を学術用語に即して定めており、細則5.4.2では「一部分を仮名書きにすると、誤読のおそれがあるときは、全体を仮名書きにする。」として「油といし」(油と石) と「がいし」(がい子) の例を挙げています。

用語の統一 (これまでの議論では「標準化」といういいかたをしたかたもいますが) を図ることは、百科事典の記事を読みやすくするうえで大事でしょう。そしてそれは用字の統一をも含みます (同じ用語がいろいろな表記をされていたのでは統一になりませんものね)。ここでも以前述べたことを繰り返しますが、外部の信頼できる資料が用字の基準や具体的な表記を示しているのであれば、基本的にはそれに従っておけばよいとおもいます。 --Hatukanezumi 2010年3月4日 (木) 14:40 (UTC)

「『がいし』は読みで、『碍子』とすべて漢字で書くのが正式」といった主張は、主観的なもの、という主張のうち、「『碍子』とすべて漢字で書くのが正式」というのが主張である、というのはわかるのですが、「『がいし』は読み」という部分については、「碍子」を「がいし」と読む、「がいこ」とも読み得ない訳ではないが大部分の日本語話者は「がいし」と読む、という意味ではアップルパイではないでしょうか。前半も含めて主張だという主張だとしたら、その主張は「で」によるレトリックなのではないかと思います。--Jms 2010年3月4日 (木) 17:41 (UTC)
この節では読みの話はしていません。用字の話をしています。もちろん、用字の基準自体には上記の細則 (1) のように「耳で聞いて紛れることがない」といった点を含むものもありますが、それも用字を決定するためです。そして、ここで具体的に提案されている基準は『学術用語集』が採用している「学術用語審査基準」の用字基準です。
Jmsさんは、せっかく『学術用語集』を持っているのに参照して検討しないで表記を決めたいようですから、まずガイドラインのノートなりで議論してガイドラインなどを変更する合意を得てはどうでしょうか。特定の記事を利用して自分の主張の証拠を作り出そうとすることもまた、不適切ですし、それではいつまでたっても合意に至るはずがありません。 --Hatukanezumi 2010年3月5日 (金) 01:01 (UTC)
本件改名提案そのものからして用字の話であって、今までwikipediaに於ける用字に関する議論をしていて、wikipediaに於ける用字の議論の中で別途合意を得ておくべき点として読みの議論をしていた最中に、脈絡も無く節を分けて用字そのものの議論を始めて「この節では読みの話はしていません」と主張するということは、本件改名提案に関する議論とは無関係な議論であるか或いは現在進行中の議論を無視して本件改名提案に関する議論を巻き戻して最初からやり直そうとしているように見受けられます。
議論の中で別途合意を得ておくべき点を議論している最中に、それを途中放棄して他の議論を始めるようではいつまでたっても合意に至るはずがありませんし、wikipediaに於ける用字に問題があると考えるならまずガイドラインのノートなりで議論してガイドラインなどを変更する合意を得てはどうでしょうか。ここはwikipediaに於ける用字に関するHatukanezumi氏の不満を演説する場所ではありませんよ。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 05:01 (UTC)
(横から失礼)ぐだぐだ議論が続くなかでHatukanezumi氏の説明で用字が論点だということが明確になった気がします。またそれについて『学術用語集』というWikipediaの現在のガイドラインが指定している文献を拠り所に判断を述べているのも筋が通っている。だから、「wikipediaに於ける用字に問題があると考えるのなら」という批判はおかしい。--114.144.121.11 2010年3月5日 (金) 08:10 (UTC)
はい。それだけで「wikipediaに於ける用字に問題があると考え」ていると判断したわけではありません。これまでで、碍子の用字がその「wikipediaが指定している文献」の一つである学術用語集に従うべきであるか否かに関する議論が行なわれてきました。そしてそれはまだ継続中であり、合意は得られていません。
そんな中で不意に議論を中断して用字に関して主張を始め、その中で「外部の信頼できる資料が用字の基準や具体的な表記を示しているのであれば、基本的にはそれに従っておけばよいとおもいます」と主張しているのです。
wikipediaのガイドラインでは確かに、学術用語は原則として学術用語集に従う、となっています。碍子が学術用語か否かはともかく、学術用語だとしても原則から外れる語であるということで大体の(=必ずしも納得しているわけではなくともしぶしぶと)合意が得られつつあります。
で、碍子がその原則外であるという主張に反論するのではなく、用字は学術用語集等に従うべき(=碍子は学術用語集に従いがいし)である、と主張しているわけですから、これがwikipediaに於ける用字(ガイドライン)に問題があると考えるのでなければ何だという主張だとお思いなのでしょうか。私には想像が付きません。
結局のところ「碍子が学術用語かとか原則外であるかとかは関係無く学術用語集に従え」と主張しているわけで、これは現在のガイドラインの示す内容とは明に異なります。
もしもガイドラインに意義を唱えているわけではないと主張する場合、それは基本的にはという部分がガイドラインに於ける「原則として」に対応しているのであり、それは即ち現在進行中の議論そのものに帰着します。つまり、わざわざ別に節を立てて新しく議論を始める意味は無いわけです、もしもガイドラインに異を唱えているのでないのなら。同じ内容の議論が今までに行なわれてきたわけであり、このまま議論を続けていっても今現在進行中の議論が繰り返されるだけですからね。
今現在進行中の議論が繰り返さないようにするには、争点として「歴史的正統性」だとか「広範囲で使われている」だとかとは別に「何らかの資料に基づいて決めるべき」という主張になります。これはガイドラインの方針とは異なります。異なるというのは、ガイドラインでは「個別に」そして「原則的に」、「何らかの資料に基づいて決めるべき」とは書いていますが、「全てに」とか「例外無く」とかではない、という意味です。
もしも基本的にという語を以って「全てに」とか「例外無く」とかではない、と言うのであれば、それはガイドラインに於ける「原則」と同じ意味であり、今現在の議論がまさにそれに関して行なわれているのです。なので主張自体に意味がなくなってしまいます。
で、善意に取って意味の無い主張をしているのではない、と判断しました。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 09:11 (UTC)
「学術用語だとしても原則から外れる語であるということで大体の合意が得られつつあります。」そんな合意には至っているとは思えません。だいいち合意に必要な出典もないですし。まさかネット検索のヒット数や明治の文献も含めてそのようにおっしゃるのではないでしょうね。--114.144.121.11 2010年3月5日 (金) 09:25 (UTC)
(追記)Hatukanezumi氏は戦後の文献には「がいし」が多いという外部資料を示して『学術用語集』と同じ状況であることを説明しています。そうじゃないと主張するなら世界最狂の魔法使いCray-Gさんは客観的資料を具体的に示して欲しい。そうじゃないといくら長文を書いても意味がないと思います。--114.144.121.11 2010年3月5日 (金) 10:01 (UTC)
そんな合意には至っているとは思えません
合意が得られたとは言っていませんよ。ただ、譲歩する姿勢を見せている人が居ます。そうでない人も居ます。
だいいち合意に必要な出典もないですし
合意に「出典が必要」なわけではないですよ。出典があろうが無かろうが合意は合意です。そりゃ出典があればいつまでも納得しない人でさえ「黙らせ」ることだって出来るでしょうがね。でもそれは「黙らせ」ただけの「形式的な合意」です。
そうじゃないと主張するなら
だから他人の主張を書き換えて捻じ曲げないで下さいよ。論敵の主張を書き換えて印象操作するなんてHatukanezumi氏ぐらいのものかと思っていましたよ。以前にHatukanezumi氏にも言いましたが、議論に参加するつもりなら論敵の主張ぐらい読んで欲しいですね。私の主張は長くて「れとりっく」とやらに富んでいて読み難いらしいですが。読まずに参加しても構いませんが、読んでないのなら読んでいないことを自覚し、間違っている可能性を考慮して「決め付け」た物言いは避けた方が賢明だと思うのですが如何でしょうか。
まさかネット検索のヒット数や~~
で、「用語」と「用字」に関する議論をする気が無いのなら他の適切な節で御願いしますよ。以前にHatukanezumi氏にも言いましたが、他の議論に割り込んで別の議論を吹っかけるのは、議論を混乱させ有耶無耶にし結論を出せなくなる要因となってしまいます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 11:11 (UTC)
「この節では読みの話はしていません」なら、「『がいし』は読みで」などと書くべきではないでしょう。「Jmsさんは、せっかく『学術用語集』を持っているのに参照して検討しないで表記を決めたいようです」ずいぶんなレトリックですね。『学術用語集』に「がいし」とあることに疑いを持っていなくとも、改めて参照する必要があるのでしょうか。また「まずガイドラインのノートなりで議論してガイドラインなどを変更する合意を得」る必要はないでしょう、表記ガイドにあることを否定しているわけでもなければ、「記事名の付け方」に新しい基準を導入しようとしているわけでもありませんから。「特定の記事を利用して自分の主張の証拠を作り出そうとする」というのは、もしわたくしの行為を指しているなら、具体的にどのことでしょうか。「それではいつまでたっても合意に至るはずがありません」そうですね、記事名の話をしているのに、「記事名の付け方」冒頭文を全く無視して表記の話をしていたのでは、記事名についてはまとまらないでしょう。--Jms 2010年3月5日 (金) 16:21 (UTC)
  コメント まず基本的な認識について。急ぐひとは次の段落は飛ばしていいです。
<飛ばしていい>Jmsさんなら理解しておられるとおもいますが、「出典」というのは「事実の証拠」とはちょっとちがいます。「表記を信頼できる資料に基づいて決める」というときはいわば「表記の出典」を求めているわけですが、「どこそこでは『がいし』〔または『碍子』〕と書いてある」という事実をいくら集めても充分ではありません。それは「事実の証拠」にとどまります。#学術用語としての採用歴で、わたしは単にたくさんの証拠をならべたわけではありません。歴史的に、専門家の集団によって学術用語を選定する (そのための基準を合意する) 作業が持続的に行われてきており、その過程でがいしに対しても「碍子」または「がいし」という特定の用字が決定されてきたことが示されている、そういうことがわかる資料を挙げているのです。『学術用語集』を読んだかたはお気づきとおもいますが、わたしが戦前の資料として挙げたものは、同用語集の解説などで先行する業績として言及されているものです。戦前の「碍子」と戦後の「がいし」は、いわば一貫しているのです。資料の一貫性が理解されるとき、逆にこれらの資料ひとつひとつが「表記の出典」であることが理解されます。</飛ばしていい>
本題。WP:NC冒頭文の件ですが、一般論として「まず何よりも」と言っているのですから、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」が実際にどんなものであるのかは、WP:NC本文や、WP:JPEなどほかのガイドラインも参照して検討しなければなりません。
字面そのものの曖昧さは、先日述べたとおり、自然言語を用いるかぎり避けられませんから、ガイドラインが言っているのはそんなことではないと考えます。一貫した用字による記載をすることで曖昧さをなくし、理解しやすくすることをめざすべきでしょう。そして、WP:JPE#学術用語では「学術用語は、原則として文部科学省が版行した『学術用語集』に準じます。」としています。これは「『学術用語集』に載っているかどうかで判断する」ということではなく、「同用語集の用字用語の基準に準じた表記を選ぶ」ということでしょう。多くの用語に対しては、両者は同じことになりますが。 --Hatukanezumi 2010年3月6日 (土) 01:48 (UTC) 微修正 --Hatukanezumi 2010年3月6日 (土) 01:55 (UTC)
いつの間にか議論が途中から分割されていたので。
字面そのものの曖昧さは、先日述べたとおり、自然言語を用いるかぎり避けられませんから、ガイドラインが言っているのはそんなことではないと考えます
オール・オア・ナッシングの考え方ですか。それは「完全に避けることは出来ない。だからそんなものは目指していない」ということであり、詭弁です。「完全に避けることは出来ない。だが最善を尽くせ」の可能性が存在するからです。故に「ガイドラインが言っているのはそんなことではない」という主張は、客観的根拠を失います。
ちなみに、「完全に避けることは出来ない。だが最善を尽く」し努力を続けるからこそ、wikipediaが「素晴らしい百科事典」になることが出来るのだと私は考えています。なので「ガイドラインが言っているのはそんなことではない」という主張には徹底的に反対します。
一貫した用字による記載
凡例じゃないんですから、百科事典の中で独善的に項目名を一貫させても「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」にはなるとは言い切れません。Hatukanezumi氏が「碍子は学術用語である」と主張していることと考え合わせれば確かに、学術分野だか専門分野だかの人間にとっては学術用語集の用字が「最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」なのかも知れません。ですがその「学術分野だか専門分野だかの人間」は「日本語話者の大多数」ではないわけですから、「学術分野だか専門分野だかの人間」以外にとっても学術用語集の用字が「最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である根拠にはなりません。
「『学術用語集』に載っているかどうかで判断する」ということではなく、「同用語集の用字用語の基準に準じた表記を選ぶ」ということ
両者の違いを詳しく説明してもらいたいところですね。「学術用語集の用字用語の基準」の一つに常用漢字表があり、それ以外の基準に関しては「碍子」と「がいし」に差はありません。「椅子」と「いす」もそうです。一方で「ボイラー」と「ボイラ」は前述の基準である常用漢字表に於いては差はありませんが、別の「学術用語集の用字用語の基準」に於いて差がある例です。本件改名提案の議論の最初の方で常用漢字表に関する議論が為されていて、wikipediaでは常用漢字表を墨守することはない(常用漢字表は「がいし」を肯定する理由にはならない=他の基準が必要)ということで特に反論は無いようです。
常用漢字表に従って表外の漢字を開くことは、常用漢字表を墨守しないwikipediaに於ける「一貫した用字による記載」に背きます。wikipediaに於ける「一貫した用字による記載」に背く以上一貫性を無くすに足る根拠が必要であり、一般人が使う意味とは異なる意味を持つ特殊な用語である「学術用語」であることが一貫性を無くすに足る根拠の一つとしてガイドラインで示されています。故に今まで、碍子が学術用語であるか否かの議論がされてきたわけです。
現在のところ、Hatukanezumi氏の主張はwikipedia全体での一貫した用字による記載に異を唱えているだけです。確かにHatukanezumi氏が言った通り特定の記事を利用して自分の主張の証拠を作り出そうとすること不適切ですし、それではいつまでたっても合意に至るはずがありません(Hatukanezumi氏 2010年3月5日 (金) 01:01 (UTC))ね。続きは既に 2010年3月5日 (金) 05:01 (UTC) に書いてありますので再掲しません。
多くの用語に対しては、両者は同じことになりますが
また同じ話を繰り返したいようですね。以前に為された議論を無視して同じ内容の議論を何度も何度も繰り返そうとするのでは、何時までも合意が得られないのは当然ですね。
そしてまたその「多くの用語」と「碍子」との違いは何かの話になるのでしょう。そして比較検討するべく他の用語(=椅子とか)の話を持ち出すと、「あっちがそうなのにこっちがそうでないのは不公平だ」といった論拠に用いるのは誠実な議論とは言えません(Hatukanezumi氏 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))とか言い出すのでしょう。そしてまたさらに議論を一般的な方向へと展開(2010年3月3日 (水) 15:00 (UTC))し、また同じ話を繰り返そうとするのでしょう。次はどう一般化するのか想像も付きませんね。「百科事典とは」とか「日本語とは」とか言い出すとしたら危険な主張(2010年3月3日 (水) 15:00 (UTC))過ぎて滑稽になりますから、流石にそれは無いでしょうし。
と思っていたら、いつの間にか議論の続きが#記事名の役割とかいう節に分割されていました。またしても碍子とは関係無い方向に議論を持ち込もうとしていますね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月9日 (火) 10:33 (UTC)

記事名の役割 編集

節分けさせていただきました。 --Hatukanezumi 2010年3月6日 (土) 03:01 (UTC)

「用語」と「用字」のセクションでする話なのか、疑問を持ちつつ。WP:NC冒頭文の意味するところは、記事名にとって最も重要なのはより的確に記事にたどりつける/記事をを選びだせるものを使うことだ、ということでしょう。用例の多寡やその分野分布を検討すると仮名表記と漢字表記の用例に有意な差がないという状況で、「がいし」という文字列の可能な指示対象より「碍子」という文字列の可能な指示対象の集合の方が当該記事の外延に近い (一致していると考えてよい)、ということと、『学術用語集』で用いられている、ということのいずれが、的確に記事にたどりつく上でより効いてくるか、という点が問題になっていると理解しています。言い方を変えれば、漢字表記による (可能な指示対象の限定という意味での) 曖昧さの少なさと、『学術用語集』ないし「学術用語である」という背景知識を必要とする「一貫した用字による記載」という曖昧さの少なさ、どちらが日本語話者の大多数にとってより的確な記事選択に役立つか、という事が検討されるべきことです。一般論として「字面そのものの曖昧さ」が不可避であるにしても、全ての場合で不可避という訳ではありませんし、『学術用語集』の意味での「がいし」であって「碍子」ではないものの存在が示されていない以上 (そして「戦前の『碍子』と戦後の『がいし』は、いわば一貫している」ならばなおのこと)、「碍子」について少なくともウィキペディアが利用される今日的文脈における「字面そのものの曖昧さ」を考える必要性はないでしょう。なお、ここでの検討対象は記事にたどりつくための記事名であって、記事内での表記がどうあるべきかは別のことですし、「がいし」と「碍子」のどちらが正式かという議論とも関係ありません。--Jms 2010年3月6日 (土) 02:47 (UTC)

  コメント 要約欄に書かれていた言葉を節名に使わせてもらいました。で、記事名にとって「記事にたどりつける/記事を選びだせる」ことが最も重要だとはおもいません。
まず、新聞記事での例示。“悩むウィキペディア 少ない管理人 芸能系ばかり人気”. 朝日新聞. (2010年3月4日). http://www.asahi.com/digital/internet/TKY201003030157.html 2010年3月6日18:17 (JST)閲覧。 これ、本文では「管理者」を使っているのに、記事のタイトルでは「管理人」を使っています。タイトルをつけたひとはどっちでも同じだとおもったのかもしれませんが、変ですよね。
記事名は記事の標題、つまり、記事の一部です。ある記事を表示なり印刷なりしたときに、標題と本文で表記がくいちがっているのはおかしいでしょう。
つぎに、既存の辞典/事典の例を述べます。こういったものでも記事や事項の検索性を高める工夫がされてきました。インデクスの付与です。用語集、辞典、小項目主義の事典などでは、発音や綴りによって見出し語を配列することでインデクスとします (字典にもさまざまなインデクス法があります)。さらに、事典では索引によって、用語やキーワードから事項 (一般に複数) にたどりつけるようにしてあります。オンラインデータベースでは、カテゴリやフリーワードインデクスによる検索が可能になります。そして、これらのいずれでも、インデクシングの利便のために見出し語、親字、事項の表記を変えるなどということはしません
ウィキペディアでは、リダイレクトや曖昧さ回避ページによって異表記 (碍子) で記事を参照でき、カテゴリやソートキーを記事に付与でき、フリーワードでの検索もでき、ほかの記事からリンクで記事を参照できます。記事名ががいしであったからといって記事の探索が困難になるとはおもえません。仮にそうでも、そのために標題の表記を変えるというのは本末転倒かとおもいます。 --Hatukanezumi 2010年3月6日 (土) 09:41 (UTC)
「標題と本文で表記がくいちがっているのはおかしい」については、たとえば、日本放送協会を御参照ください。表題が「碍子」で、本文では (JIS や『学術用語集』に言及した上で) 主として「がいし」でも問題はないでしょう。要は記事の書き方次第です。但し、スタイル上の制約としては、記事名と冒頭分の主たる語が一致している方が望ましいでしょう。リダイレクトが冊子体のクロスインデクスよりも使いやすいのはウィキペディアの特徴ですが、「がいし」から「碍子」にリダイレクトしていても同じことでしょう。記事名が直接効いてくるのはカテゴリでの表示と、リンクのしやすさ (これは「記事名の付け方」二条件目) です (後者はパイプも使えます、もちろん)。リンク元については既に検討済みで、文献での用例同様、有意な差はありませんでした。カテゴリ内での表示としては、Category:電力設備では「がいし」の方が望ましいが、Category:器具では「碍子」の方が望ましい、ということもあり得るでしょう。未だにわからないのは、記事名を「碍子」とする方が望ましいという声が少なからず (多数決風に聞こえるのがアレですが 4 倍近く) ある中で、記事名「碍子」、冒頭分書き出し「碍子 (がいし)」、本文内で JIS に言及、以降「学術用語」としての参照は「がいし」という構成で決定的に困ることがあるのか、ということです。結局のところ、記事名を「碍子」とすると「がいし」が正しくない表現であるかの様に (「記事名の付け方」が正式名称を求めていることの裏返しで) 思えてしまう、それしかないのではありませんか。この議論が延々続いているがために、Qurren さんも本文中の「のがいしが」「ががいしに」「ががいしを」といった表現について工夫するにもできずにいるのではいかと想像しています。--Jms 2010年3月6日 (土) 10:47 (UTC)
  コメント そもそも「がいし(碍子、がい子)は、……」という現行の書き出しがなぜ読みにくいと言われているのか、わたしはわからないんですね。すっきりしたものじゃないかと。逆にJmsさんの提案だと、すでに指摘があるように、記事名を「碍子」としながら本文の記述は温存することによって、本質的でない用語法についての解説がごちゃごちゃ続くことになる可能性があります。
日本放送協会の場合は冒頭で略称の解説をしています (この記事の場合、略称がNHKであること自体は有益な情報です) から、念を入れたければ「以下の解説でもHNKと記す」とでも断ればいいんじゃないでしょうか。当記事とは事情がちがうでしょう。
話を戻しますが、上で述べたこと (記事名に工夫をしなくても記事の検索性は確保できている) は単なる机上論ではなく、現実にウィキペディア検索では「がいし」「碍子」いずれで検索しても目的の記事に到達できますし、ウィキペディアの情報をインデクス化している大手ウェブ検索サービスでも同様です。あえて「碍子」に改名しなければ得られない利便性というものが、わたしには見出せません。それでも改名すべきだというのであれば、現在の記事名を推す意見と同程度に説得力のある論拠や資料が必要でしょう。
しばらく議論を読み返しています。以前の議論のまとめなど投稿できればとおもいます。 --Hatukanezumi 2010年3月6日 (土) 14:03 (UTC)
指摘されている読みにくさは冒頭文についてではありません。「わたくしは」という話になるので書いてはいませんが、「のがいしが」「ががいしに」「ががいしを」といった部分について、わたくしは、形態素解析に相当する段階を経ないと正しく解釈できません (具体的には「えっと」と読み直す感じを想像してください)。「の碍子が」「が碍子に」「が碍子を」であれば、そうした解析をすることなく見ただけで理解できます。これは、わたくしが漢字仮名交じり文を視覚的に処理しているからではないかと思いますが、他の方もそうなさっているかどうかはわからないので敢えて書きませんでした。その意味で平仮名表記だと読みにくいのですが、これらは用いない様に工夫されるとのことです。「本質的でない用語法についての解説がごちゃごちゃ続くことになる可能性」というのは、具体的にはどういうことでしょうか。加える様に提案しているのは「JIS では『がいし』と表記する」という主旨の文ですが。記事日本放送協会において、「日本放送協会」と「NHK」の指示対象は同一です。略称かどうか、『学術用語集』に収録されている表記はどれか、という点を除外して指示対象の等価性に着目すればすれば、「碍子」と現在の記事がいしにおける「がいし」と同様の関係です。「NHK」を記事名とすると日本発条との曖昧さが生じるという点でも類似性はあるかもしれません。「碍子」に改名することで得られる利便性は、この議論が終息し、「のがいしが」「ががいしに」「ががいしを」といった表現についての工夫が約束通り実施されることです。「現在の記事名を推す意見と同程度に説得力のある」というのは、どちらにも同程度の説得力しかないが故に議論が長引いているのですから、既に達成されておりましょう。諸々検討すると、結局のところ、「表記ガイドに従い『学術用語集』にある表記を記事名でも用いる」と「記事名の付け方冒頭文に従い指示対象のより明確な文字列である漢字表記を記事名とする」という論点しか残っていないでしょう。「のがいしが」「ががいしに」「ががいしを」の類は用いない様に工夫するとのことですので、既に論点ではないと考えています (具体的にどうするのかは未だに想像がつきませんが、できるのでしょう)。--Jms 2010年3月6日 (土) 17:21 (UTC)
決め手がないのならガイドラインに従うしかないのです。なお、Jmsさんの言う「記事名の付け方冒頭文に従い指示対象のより明確な文字列である漢字表記を記事名とする」という内容はガイドラインに存在しませんので却下されるべきでしょう。--60.254.224.142 2010年3月6日 (土) 17:53 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を、「がいし」という文字列と「碍子」という文字列の比較に適用すると、「指示対象のより明確な文字列である漢字表記を記事名とする」となると思います。ここで前提としているのは、「日本語話者の大多数にとって」「碍子」を「がいし」と読むということは困難ではない (あるいは、見出し語であって読みは本文でわかればよいという考え方もあり得る) ということであり、「碍子」の指示対象は「がいし」の可能な指示対象の真部分集合であるので「碍子」の方が曖昧さが低い (指示対象がより明確)、「碍子」と「がいし」の理解しやすさについては同等か前者がやや優る、という点については既に述べています。ここで議論しているのは記事名であり、Wikipedia:記事名の付け方こそが記事名についてのガイドラインであり、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」は同ガイドラインが「まず何よりも」として求めていることです。ですので、記事名についてガイドラインに従うなら「碍子」でしょう。しかしこのことは、記事内での表記を「碍子」に統一しなければならないということは意味しません。--Jms 2010年3月6日 (土) 18:35 (UTC)
現時点の論点が「表記ガイドに従い『学術用語集』にある表記を記事名でも用いる」か、「指示対象のより明確な文字列である漢字表記を記事名とする」かであることに同意し、さらに「漢字表記の方が曖昧さが少ない」ことに同意します。その上で枝葉末節になりますが、「記事名の付け方冒頭文に従い」には議論の余地があることを指摘します。たしかにWikipedia:記事名の付け方冒頭には「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」とありますが、同時に「一般的な指針」の最初の項が「正式な名称を使うこと」であり、むしろ「記事名の付け方」を根拠にするのであれば「正式な名称として『学術用語集』にある表記を使うべき」という論点が成り立ちます。あえてアナロジーで言えば、憲法の前文と本文の関係であり、冒頭の文は憲法の前文にあたるのであって具体的な内容は本文に従うべき、ではないでしょうか? (そうしないと一般に漢字で表記される科以下の生物の記事名をカタカナにする根拠がなくなると思います。)--アルビレオ 2010年3月7日 (日) 01:04 (UTC)
記事名の付け方冒頭文が正式名称に優先する場合として、ワンセグイギリスがあります。記事名の付け方における正式名称の位置づけについては、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ7#正式名称と曖昧さ回避のかねあいに指摘があります。生物の分類群名については、標準和名を片仮名表記する慣習 (新聞などを参照) によるものであって、『学術用語集』的なセンスで学会等が標準和名を「正式」化している訳ではありません (日本爬虫両棲類学会などの例外あり)。--Jms 2010年3月7日 (日) 01:22 (UTC)
私もアルビレオさんのように読みます。以下いろいろ補足。Wikipedia:記事名の付け方というガイドラインに「特に音読みの部分はできるだけ漢字を用いて表現しましょう。」という一文は存在します。但し平仮名で始まる記事名を避ける規定は存在しません。なお生物の名前を片仮名表記するのは内閣告示当用漢字表にある規定が習慣化されたものです。--КОЛЯ 会話 2010年3月7日 (日) 02:27 (UTC)
アルビレオ氏の言う「正式な名称として『学術用語集』にある表記を使うべき」が成り立つ根拠としては、やはり「碍子が学術用語である」というのが必要だと思うのです。つまり「碍子の正式名称は何か」というのが争点なのではないでしょうか。私は(百歩譲って学術用語だとしても例外的に)歴史的正統性(とやら)のある「碍子」が正式名称だと考えています。
アルビレオ氏>そうしないと一般に漢字で表記される科以下の生物の記事名をカタカナにする根拠がなくなると思います
その「科以下の生物」に関する「学術用語としての意味」が本文に書いてあれば、学術用語として学術用語集に従うべき根拠があると思います。Jms氏が言っているのは、「ありとあらゆる語に関して学術用語集に載っていれば学術用語集に従うべき」ではない、という主張なだけで、イコール「学術用語集に載っている語には学術用語集に従うべき語と従うべきではない語が存在する」という主張です。
決して、ありとあらゆる語に関して「学術用語集に載っていても学術用語集に従うべきではない」という主張ではありません。なので「一般に漢字で表記される科以下の生物の記事名をカタカナにする根拠がなくなる」ことはありません。
КОЛЯ氏>私もアルビレオさんのように読みます
前記の通り誤読だと考えるのですが如何でしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月7日 (日) 06:07 (UTC)
読み直してみたらややこしかったので簡潔に書き直してみます。
Jms氏の主張は「学術用語集に記載されている語に関して、学術用語集に記載の表記を記事名にするのが適切な語と、学術用語集に記載の表記を記事名にするのが適切ではない語が存在する」と主張しているのであり、仮にその主張が正しかったとしても「一般に漢字で表記される科以下の生物の記事名をカタカナにする根拠がなくなる」ことはありません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月7日 (日) 09:54 (UTC)
補足。がいしと碍子について、「正式な名称を使うこと」を根拠とするのは議論を困難にするだけなので避けるべきだと思います。仮に「がいし」が「正式な名称」だとしたら、「碍子」は俗称なのでしょうか。その逆はどうでしょうか。いずれも困難な議論ではないかと思いますし、記事名として採用されないと正式な名称ではなくなってしまうのだ、という発想がこの議論を長引かせているのではないかと危惧します (記事名が「がいし」でなくなると致命的に困るのは何か、というのはこの点も問うています)。論点は正式名称が何かということにあるのではなく、『学術用語集』や JIS は「がいし」と表記するという事実があって、その一方で「碍子」の方が指示対象が明確だという指摘がある、用例的には有意な差があるとまでは言えない、では記事名はどうしたらよいか、ということでしょう。その意味ではWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの最後の文がどれくらい効いてくるか、というところかとも思います。--Jms 2010年3月7日 (日) 22:57 (UTC)
  コメント えーと。また議論が発散しつつあるようですが。とりあえず、当節のもともとの意見について結論をまとめましょうよ。
  • Jmsさんは、「記事名の役割は第一に、記事を見つけやすくすることだ」(Hatukanezumiによる要約) と主張されていたとおもいますが、この意見を維持されますか、されませんか。
  • また、上のほうの発言では本文の表記をも問題にしておられるように読めますが、そうであれば、記事名だけを取り出して表記を論じるべきではないということになります。今後も記事名の付け方を第一の根拠として論じるべきだと考えますか、考えませんか。
  • あと、ウィキペディアのガイドラインや方針文書は法令ではないのですから、文章の文字面を追って論じても結論はでないとおもいます。文書の文言を振りかざすのではなく、記事にとってどうするのがよいと考えるのかについてのご自分の意見を述べていただけないでしょうか。
たとえば、わたしはWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの最後の文を、衒学趣味を戒める文章として読みました。Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ10#英語版より「一般的な名称を使う」の節を移入する提案の2月4日のコメントで述べたsyzygyとoppositionの関係のようなものです。いっぽう「碍子」と「がいし」に用語としてのちがいはなく、単に用字の違いがあるだけです。考えようによっては、使われる場面がきわめて限られる[16]「碍」という字を強いて使うことのほうが、「編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を」という考えかたに反するとも言えそうです。これは例示なんでコメントはいらないからね。
まあとにかく、議論にはひとつひとつ決着をつけていきましょうよ。 --Hatukanezumi 2010年3月10日 (水) 14:49 (UTC)
議論を一般的な方向に展開させて大上段に構えるから議論が発散して論点が不明瞭になりループするのだと思いますよ。また私のことは無視するのだろうとは思いますが、書いておきますね。
  • 私は「記事名の役割は第一に、他の記事と識別し易いことだ」と考えています。なので一意性に最大限配慮すべきかと。
  • 本件改名提案は改名の提案なので、記事名の付け方を第一の根拠として論じることに賛成します。
  • 最後のは書くと嫌味たらしくなるのであえて書きません。
これは例示なんでコメントはいらないからね
そうやって自分の意見だけを残して論敵の意見を封じようとする姿勢がうんたらかんたら
平仮名表記に変えられた表記は識別が難しい[17]上に(主に「漢字による表記が正式表記である」と考える著者によって)常用漢字表外の字を用いた表記が分野を問わず広範囲に散見されてしまうので、常用漢字表や学術用語集にこだわる方が「一般的な利用者の関心を」という考え方に反すると思うのですがね。無論、障碍→障害のような書き換えが充分に浸透しているのに「常用漢字表にこだわるのは不適切だから歴史的正統性のある障碍の方がうんたらかんたら」と改名提案を主張するのは百科事典的にどうかと思いますが。(いや最近「碍」の字を常用漢字表に戻す運動が再燃しているらしくて……)
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月10日 (水) 15:41 (UTC)
◆「記事にとってどうするのがよいと考えるのかについてのご自分の意見を述べていただけないでしょうか」などと、斜体にしてまで言われるのは心外です。それについてはすでに繰り返し述べていますし、それを繰り返させるから議論が発散しているかの様に見えるのです。「記事名の役割は第一に、記事を見つけやすくすることだ」です。見つけやすくする、というのは、記事が述べる概念に適切に対応している、ということを含みます。その意味で、記事内容に適切に対応しているべきことはもちろんです。また、見つけやすくする、は、他のものと区別しやすい、ということを含意します。記事内での表記は記事名とは別に考えるべき場合がある (そうする方が読みやすいならば) ので、記事名について議論しているのなら、「記事名だけを取り出して表記を論じるべきではない」は必ずしも正しくありません。今回の件については、諸々の条件を勘案するに、「記事名の付け方」冒頭文にしたがって決める以外にないと考えています。「今後も記事名の付け方を第一の根拠として論じるべきだと考えますか」の、今後という指示対象が明確でないので、その問いに直接お答えすることはできません。この記事に限って、ならば、「記事名の付け方」を根拠とすることになるでしょう。例示なのでコメント不要とのことですが、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの最後の文は、衒学趣味を戒める意味は含みますが、それだけではありません。学術用語にあるから「がいし」なのだ、というのは、「専門家よりも一般的な利用者の関心を重視」とは必ずしも言えませんし、それはある意味で衒学趣味でもあるでしょう。その点では、JIS X 0208 に含まれる文字かどうかは一つの目安になると思います。
繰り返しになりますが、念のためわたくしの意見を書いておきます。記事名は「碍子」としてこの議論はとりあえず納める。冒頭文は「碍子」で始める。冒頭で JIS 及び学術用語集では平仮名表記であることを述べる。以降、基本的に平仮名表記で言及する。「ががいしを」の類について表現を改める。表現を改めてもなお平仮名では読みにくい場合には、漢字使用も含めて文が読みやすくなるよう更にに工夫する。(ここからは今まで述べてはいませんが)「がいし」の、電力関連分野以外も含めた学術文献での用例が 2/3、望むらくは 3/4 を越えたら、再度記事名を「がいし」とすることについて検討する。以上です。--Jms 2010年3月10日 (水) 19:05 (UTC)
「学術用語の表現を優先する」か、「曖昧さの少ない表現を優先する」かは、一般論としては記事の内容が学術用語としての記述になっているか、一般に使われる用語としての記述になっているか、によって決めるべきではないかと思います。また、それは必ずしもどちらかを選ばなければないないものではなく、人間ヒトが分かれているように、学術用語としての記事と一般用語としての記事を分ける、という解もありそうです。
本記事については、現時点で分割するほどの量ではないので、当面は「学術用語の表現を優先する」か、「曖昧さの少ない表現を優先する」かを論じて決めておき、今後記述が増えたところで記事を分割することを含めて検討する、というのが落とし所かと思います。
ちょっと脱線になりますが、前に参考として挙げたイヌの記事については、生物学面に絞った記事としての「イヌ」と、主に社会的な面を記述する「犬」に分ければ良いかと思いました。--アルビレオ 2010年3月12日 (金) 22:32 (UTC)

学術用語集に「この書物は正式な名称を規定します」という文言は書かれているのでしょうか? 私の記憶ではそういう表現はなかったように思うのですが、私の読み方が足りないのかもしれませんし、もし書かれているのであれば指摘をお願いします。そもそも「正式な名称」というのは最初の命名者が特定できる固有名詞や商品名などでなければ厳密には規定できないのではないでしょうか。記事名の付け方に「正式な名称」とあるのはそういうケースに限定されるのではないかと。--Ray go 2010年3月8日 (月) 13:18 (UTC)

「正式な名称がなにか」はここの議論の本質には係わっていませんが、一応コメントします。ただし、これ以上議論するのであればここではなくWikipedia‐ノート:記事名の付け方でした方が良いと思います。
直接「この書物は正式な名称を規定します」という文言は書かれていませんが、オンライン学術用語集には「各学問分野で学術用語の標準化が進められており,その成果は,各分野の『学術用語集』として刊行されています」とあります。実際に刊行されている学術用語集を見ても同様の文言(実際には各『学術用語集』を纏めた学会の名前が入っています)があります。つまり学術用語集に載っている用語は「標準化された学術用語」ということになります。後は「正式な名称」とは何か、の解釈になりますが、私は『「標準化された学術用語」は正式な名称である』と考えています。実際に様々な記事で「正式な名称がなにか」について議論になっているのですが、学術用語を正式な名称ではないと言っている議論は見た覚えがありません。--アルビレオ 2010年3月13日 (土) 12:40 (UTC)
見た憶えは無いって、このページで議論されていますよね。少なくとも議論参加者の一人である私の主張(2009年12月26日 (土) 15:23 (UTC))は最初からそうなわけで。
「正式な名称とは何か」の議論をここでするのが不適切だというのは同意なのでする気は無いですが、その意味で学会は「用語標準化を目指す一派」でしかなく、正式も制式も決める立場には無いと思っています。
詭弁を使って観点の統一を図ろうとしないで下さい。中立的な観点を目指しましょう。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月14日 (日) 04:29 (UTC)
Maddestmagicianさん
今後、反対者の意見を「詭弁」などと決めつけることを繰り返すのであれば、あなたに対する投稿ブロック依頼を提出するつもりであることを注意しておきます。記事の加筆もろくにせず、ノートの議論でもなんら有益な観点をもたらさず、議論を喧嘩かなにかと間違えているひとには、ウィキペディアから離れていただいたほうがよいと考えるからです。 --Hatukanezumi 2010年3月14日 (日) 11:00 (UTC)
決め付けって………誤謬と書けということでしょうかね。これだけ何度も繰り返された上に指摘しても無視された上に指摘に批判までされているのに誤謬と言うには流石に無理があるでしょう。
あなたに対する投稿ブロック依頼を提出するつもり
そうですか。これからは投稿ブロック依頼の項目に出されてないかチェックするようにしますよ。
議論を喧嘩かなにかと間違えて
いやいやいやいや、何をおっしゃいますか。そっくりお返し致しますよ。特にHatukanezumi氏のその「相手の話を無視」したり「議論を途中で放棄して別の議論を展開」したりして「何とかして議論に勝とう」とする姿勢は直していただきたいです。是非。
wikipediaに於ける中立的な観点の為に異なる観点の持ち主が互いに相手の観点を理解し、両者にとって中立的な観点だと如何になるかを模索する為に議論を行なうのです。無論勝ち負けではありませんし、自分の観点に基づいた主張を押し通す為でもありません。
議論は第三者が検証可能です。ですが詭弁を使われると検証が難しくなるのです。それはHatukanezumi氏の言う弁論術(Hatukanezumi氏 2010年2月26日 (金) 20:14 (UTC))とやらを持たない第三者や議論参加者が混乱してしまうからです。印象操作もそうです。Hatukanezumi氏の言う弁論術とやらが何かは知りませんが、とにかく術を使って議論を混乱させるのをやめて下さい。それはwikipediaにとって不利益なことです。
私の観点に基づいた主張は既にしました。以前にも書いた通り、後は正常に議論が進む環境に戻れば満足です。私は投稿ブロックで論敵を「やっつけ」るとか好きじゃないので脅迫はしません。只管正常な議論が行なえるようにHatukanezumi氏に姿勢を改めてもらえるよう御願いするばかりです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月14日 (日) 14:03 (UTC)
コメントを頂きありがとうございます。学術用語集に「正式」という言葉は使われていないということですね。私も再度調べてみましたがやはり見つかりませんでした。ということは、本件についてWikipedia:記事名の付け方に照らすと、解釈の本質的な対立が起きない判断基準は「音読みの部分はできるだけ漢字を・・・」だけ、ということになりますね。--Ray go 2010年3月15日 (月) 11:51 (UTC)
  コメント 「学術用語の表現を優先する」か、「曖昧さの少ない表現を優先する」か、が争点になっていることに同意します。そのうえで、両者の立場についてわたしの印象を述べます。
  • 後者は、「『碍子』は「がいし」より曖昧でない」という直感的な事実に基づく立場です。字面について判断するならそのとおりでしょう。そのため、この立場に立つ人々は、直感的にわかることにそれ以上の説明はいらない、と考えているふしがあります。直感を論理的に説明しようとするとしばしば間違います (たとえば「がいし」が読みであることは国語辞典を見ればすぐわかる、という主張など) が、間違っていても自分の主張にさして影響はないと考えています。直感ですから。
  • 前者は、自分の直感よりも典拠のある事実を優先しようとするという立場です。特に理工系の分野では、直感に頼るとときに間違った結論を得ます。この立場に立つ人々は、「現在は『碍子』ではなく『がいし』という表記を選ぶという規準が存在するから、そちらを選ぼう」と考えます。この規準が歴史的に専門家の間で合意されてきたということが客観的に説明できる、という事実を重視するからです。その表記が正式かどうかは大して重視しませんし、自分の好みも重視しません。まず標準になるものを探して、それに準拠しようとします。
こんなところで、あってますでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年3月14日 (日) 11:00 (UTC)
印象について「あってますでしょうか」というのは、なにを問うているのかよくわかりませんが…。「がいし」が読みであることは国語辞典を見ればすぐわかる、という主張、はどこが誤りなのでしょうか。「碍子」の一般的な読みを平仮名で表記すれば「がいし」となるでしょうし、そのことは国語辞典で「碍子」について他の読みが挙げられていないことからわかると思いますが。「がいし」が「碍子」の読みである、ということに、ある特定の立場を読み込んでいませんか。漢字「碍子」の読みを平仮名で表記すると「がいし」である、という以上の意味を含む場合も含まない場合もあり、後者については誤りとは言えないのではないかと思います。なお、この議論では語とその表記を区別して行なう必要があるのですが、それを一々明記するのは煩雑にすぎますし、一般の語法から離れてしまうのでかならずしも明記してはきませんでした。たとえば、この議論での、「碍子」が「がいし」より曖昧さが少ない、という主張は、文字列「碍子」の可能な指示対象の集合が文字列「がいし」の可能な指示対象の集合の部分集合である、ないし、より小さい集合である、ということしか意味していません。語、すなわち、文字列などの表現と指示対象たる概念が結びついたものとしては、(碍子の意味での)「がいし」も「碍子」も同じ語であり、どちらがより曖昧かということは (少なくとも今回の場合には) ないといって良いでしょう。つまり、見出しには「曖昧さの少ない表現を優先する」というのは、見出し文字列としてはより指示対象の明確な方が望ましい、というだけのことです。文字列と語を区別した上で、文字列「碍子」が文字列「がいし」より指示対象の曖昧さが少ない、というのは、直感的というよりはむしろ論理的だと思います。一方、語「碍子」が (碍子の意味での) 語「がいし」より曖昧さが少ない、という主張は、端的に誤りでしょう。なお、この件と、「ががいしを」の類が読みにくい、というのはまた別の話です。--Jms 2010年3月14日 (日) 11:56 (UTC)
自分の考えはHatukanezumiさんの言われるところの「学術用語の表現を優先する」立場そのものです。理解していただいて何よりです。--Qurren 2010年3月15日 (月) 12:48 (UTC)
お互いの立場(観点)はお互いに理解出来ていると思いますよ。問題は、観点と争点の違いがわかっていない人が新たに争点をぶち上げては反論もせずに放置しまた新たに争点をぶち上げてを繰り返しているので、同じ話が繰り返されるだけで議論が先に進まないことです。
重要なのは「学術用語としての表現を優先」する観点から見ても「曖昧さの少ない表現を優先」する観点から見ても(そして私の観点から見ても)中立的だと判断される結論、即ち合意を得ることです。
決してどの観点が正しいかを論争することではないのですが、それをわかっていない人に議論を混乱させられてしまっているだけです。ことが記事名という「両方を併記出来ない」ものであることから「採用された方の観点は正しい観点で他方は誤った観点」ということになるとでもおもっているのでしょうかね。
お互いの立場のみならずお互いの考え方までを理解し合うことで双方が同じ「中立的な観点」を構築出来るのに、相手を理解しようとせずに論争への勝利だけを目指されたのでは、どちらも中立的な観点を構築出来ないままです。
早くお互いにお互いの観点の考え方を理解する為の議論になることを希望しています。自分の観点を繰り返し主張するばかりの「議論」ではなく。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月15日 (月) 13:45 (UTC)
  コメント Jmsさん、同じ主張を何度も繰り返さなくて結構です。議論が読みにくくなるだけです。
最後にひとつ、Jmsさんに質問します。Jmsさんの主張に従って改名をした場合、なにが、またどういったことが変わるのでしょうか。記事名が変わるほかに、です。 --Hatukanezumi 2010年3月18日 (木) 09:27 (UTC)
記事内の表記を適切に保ちつつ、「がいし」という記事名が曖昧だ、という指摘に対する一定の回答を用意できます。また、この議論が終結することにより、「ががいしを」の類の修正が進み記事がより読みやすくなると期待しています (というのは既に書いたのでこれも繰り返しですが)。--Jms 2010年3月18日 (木) 10:08 (UTC)

解決 編集

上のJmsさんの指摘にしたがい、copyeditレベルの修正を加えました[18]ずっと上のほうの節で、書き方の工夫について述べているかたがありましたので、修正の参考にさせていただきました。まあがいしの記事を読もうと思っているひとが「がいし」という表記を見つけにくいという主張にはやや疑問を感じますが、読みやすいにこしたことはありません。

編集についての批判はお受けしかねます。特に、改名をもっとも強く主張していたJmsさんには、率直に言って批判する資格がないと考えます。数ヶ月にわたる議論の最中、さまざまなひとが資料を調べ、その成果の一部は記事の拡充に役立てられてもきました。ところがJmsさんは資料を探すことを怠り、ますます観念論に走り、記事の内容と無関係に改名をすべきだしそれはできると主張し、できるものならやってみろと挑発さえし、自分ではなにひとつ記事の中身に役立つことをしなかったのですから。

「『がいし』という記事名が曖昧だ、という指摘に対する一定の回答」とは白々しい。それをいちばん強く言っていたのはあなたです。あなたの注文どおり書きかえてあげました。あなたへのこれが回答です。まだ不満があるなら自己負担でなんとかしてください。これ以上論陣をはりたければ、あなたの行動を対象にしたコメント依頼などもでていますから、そちらでどうぞ。

実は、Jmsさんが記事本文にも手を加えてくれることをひそかに望んでいたのですが、もうしびれがきれました。議論は終わりにしましょう。そして、ノートでは記事のなかみの話をすることにしましょう。以下#終了提案に続く。 --Hatukanezumi 2010年3月18日 (木) 13:32 (UTC)

記事名の決定に強く影響する資料調査は概ね昨年のうちに済んでいると考えています。記事名が決まらない時点で本文の「ががいしを」の類の修正をしたのでは批判もあるかと思い、またその一方、完全に除けるとも思えないので手をだしませんでした。「『がいし』という記事名が曖昧だ、という指摘に対する一定の回答」とは白々しい、というご指摘は、議論をお読みいただいていない故ではないかと思います。「がいし」とすべきとする主張も「碍子」とすべきと主張もそれぞれ一理ある一方、どちらか一方を選ぶのは難しいという主旨はすでに述べていますし、その状況を打開する妥協案として記事名は「碍子」とするが本文中は基本的に「がいし」という提案をしていたのです。--Jms 2010年3月18日 (木) 17:33 (UTC)
検索による使用数の検証は、合意に達する材料になりませんでした。書誌的な調査はその後も続いています。前者だけを「記事名の決定に強く影響する資料調査」と考えるのは、Jmsさんの牽強付会です。
このほかにも、Jmsさんには、自分の立論に関係ない観点を無視して議論をすすめようとする傾向が顕著です。たとえば、なぜ記事本文での使用について検討しないのか説明しません。「どちらか一方を選ぶのは難しい」ことから記事名だけを「碍子」とするという論理は飛躍しています --- 本文は変えないことの理由が抜けています。
Jmsさんにとっては、記事名が自分の考えどおりに変われば満足なのでしょう。だれだって自分の意見が通ることを望むものですから。しかし、他人の観点を理解しようとしないのなら、議論は永久に平行線です。
それでわたしは逆に、Jmsさんの提案だとなにが変わるのか、とたずねました。なにか有益な効果が期待できるとかなら (当記事にかぎらず、また記事名のみに限らず)、そのことをめぐって議論ができるからです。答えは、いままでの主張の繰り返しだけでした。
表記法というのは、単純な規則で決定できればよいというものでは必ずしもありません。表記は、表記される事物と切り離せないのです。Jmsさんは結局のところ、「曖昧でないことが良い」という自分の観点に固執するだけで、記事にとってなにが適切な表記であるかを言えませんでした (あるいは、考えていても言いたくなかったのか)。
記事にとって益にもならないことで、延々と議論してもしかたがないです。論理を純化することで他人を説得しようとするのではなく、他人の観点も加味した提案を練り直して、議論を積み上げていく努力をしてはどうですか。 --Hatukanezumi 2010年3月19日 (金) 11:01 (UTC)
「検索による使用数の検証は、合意に達する材料になりませんでした」というのは正しくその通りで、使用例の多寡では決まらないことが示されたと考えています。書誌的な調査はあまり影響しないと考えています、「がいし」と「碍子」どちらが正統かといった問題ではないと思っていますので。JIS や『学術用語集』が平仮名表記としているというのは紛れもない事実です。本文は変えないことの理由は、JIS や『学術用語集』が平仮名表記としており、その事に言及した上で平仮名表記を用いれば言われている違和感への説明となると考えているからです。なぜ記事本文での使用について検討しないのかは、すでに述べました。記事名と違って、一つに決めない工夫の余地がいくらでもあるからです。「Jmsさんにとっては、記事名が自分の考えどおりに変われば満足なのでしょう」というのは、まったくの読み間違いです。「だれだって自分の意見が通ることを望むものですから」いいえ。むしろ、記事名だけ「碍子」とすることで何が失われるのか、それを知りたいと思っています。記事名が「がいし」であることに対する違和感というのは理解できますが、かといって、記事名を「碍子」とすべきと言いきれるだけの説得力があるとは思えませんし、それが更に記事内の JIS に従った表記を漢字に改めろという主張になるとしたら同意できません。「しかし、他人の観点を理解しようとしないのなら、議論は永久に平行線です」これはそのままお返します、おそらく「どっちもどっち」でしょうから、返した半分がさらにわたくし返ってくることを受け入れた上で。「記事にとってなにが適切な表記であるかを言えませんでした」というのも、これまでのわたくしの主張をご理解いただけていない故の言明だと思います。「記事にとってなにが適切な表記であるか」ということは、記事名として何が適切かということと、常にリンクしているわけではありません。--Jms 2010年3月19日 (金) 12:01 (UTC)
本文でも表記は統一すべきですよ。そうじゃないと読みにくくてしょうがない。だからわたしが「#対象によって使い分ける提案」のときも、当記事に限定した案としたのです (現在では考えが変わっていて、がいしではむしろ使い分ける必要なんかないと考えています、が書く機会を逸した)。
「書誌的な調査はあまり影響しない」というのはJmsさんの考えです。検索による検証よりも合理的、客観的に検証できると考えるひとが確実にいるのですし (むしろ、ウィキペディアの方針にかなうと考えるひとさえいます)、そういう人々の自分と異なる観点を、自動的に却下するような思考の習慣は、やめるべきです。
記事名だけ変えることについては、おかしいと感じるひとは多いでしょう (たぶん、「碍子」表記を支持するひとの中にも)。記事名は記事の一部であり本文と一体なのだから、両者の表記を同時に論じるべきだと考えるのです。わたしもその立場です。Jmsさんの立論は、記事名を記事から切り離してまるで単なるラベルかなにかのように扱っているように見え、到底賛成できません。
で結局、Jmsさんは反問するだけで問いに答えてはいません。記事名の表記を変えることで、いったい何が変わるのでしょうか。特にないのなら、--- 繰り返しになりますが、記事にとって益にもならないことで、延々と議論してもしかたがないです。他人の観点もよく吟味して、自分の提案を練り直してから、あらためて議論の場に問うべきではないでしょうか。
さて、すぐに返事をいただいても、多分堂々めぐりになるだけです。ちょっと時間をかけて、ご自分で考えてみてください。 --Hatukanezumi 2010年3月19日 (金) 15:48 (UTC)
「ちょっと時間をかけて、ご自分で考えてみてください」とのことでしたので、週末を通して考えてみました。しかし、「ご自分で考えてみてください」に対置されるであろう「他人の頭で考える」というのをどうやればよいのか、それが一体どういう状況なのか想像できず、あらためて「ご自分で考えてみて」はできませんでした (「みて」という位ですから、わたくしが自分で考えていないという事実があり、かつ、Hatukanezumi さんは何らかの方法でそれをお知りになったということだと思うので、「自分で考える」以外の考え方を Hatukanezumi さんはご存知で、それと「自分で考える」との識別方法をご存知なのだろうと思いますが、わたくしには想像すらできませんでした。コメントアウトでも結構のですので、ノウハウを伝授していただければ幸いです)。ですので、以前と同じ考えです。さて、この節の前提となる編集によって解決とお考えだと想像しますが、もしそうだとすると、わたくしが申し上げていることはご理解いただけていないということになるのではないかと思います (同意するかどうか以前の、理解されているかどうかという話)。わたくしは、そうした、記事内容の工夫をした上でなお残るものがあるか、あるとすれば、それだけを漢字にすることで失われることがあるか、というのを問うています。「記事名を記事から切り離してまるで単なるラベルかなにかのように扱っているように見え、到底賛成できません」というのがそれに対する回答なのかもしれませんが、たとえば (法律にある正式名称と略称といういらぬ慣性があるので例に出したくはないのですが) 日本放送協会における「日本放送協会」と「NHK」の様に、違和感を与えないであろう場合もあります。「Jmsさんは反問するだけで問いに答えてはいません」とのことですが、そもそも、「失われることがあるか」という問いにどなたからもお答えいただいていない状態ですので、その指摘はあたらないのではないかと思います。「あらためて議論の場に問うべき」というご意見に関しては、論点はむしろ昨年末あたりの段階で出尽くしているのではないかと考えているとお答えします。また、「検索による検証よりも合理的、客観的に検証できる」という点については、それが一体何を検証していて、記事名を「がいし」とすべきか「碍子」とすべきかという点にどう関わってくるのかというのが示せていないとわたくしは考えています。--Jms 2010年3月23日 (火) 10:29 (UTC)
前半は、「反問するだけで問いに答えてはいません」からつながる件ですね。後半について答えます。
まず、Jmsさんに提案なのですが、主張の根拠として例を挙げるのなら、常に複数の例を挙げることを検討してはどうでしょうか。対論の相手がひとつの例だけを見たときより、あなたの主張に対する解釈のぶれが減らせるとおもいます。「事実の証拠」を探しているわけではないので。
さて、すでに述べたことですが、「日本放送協会」と「NHK」は同等ではありません。後者は前者の略称です。そして、「NHK」である (よくある英語頭字語ではない) ということは有益な情報ですから、そのことについて記事に解説があるのは理解できます (つまり、この解説は自己言及ではなく、記事の一部であるということ)。特に問題はありません。念を入れたければ「以下本文でもNHKと記す」とでも断ればいいでしょう。
いっぼう、「碍子」と表記される事物と「がいし」と表記される事物が同等である (このふたつの表記は戦前戦後を通じて同じものを指す用語である) こと、また、どちらの表記も各時代の標準化の産物であることは、これまでの議論でほぼ合意されているとおもいます。同等であるのに記事名と本文で表記を変えるのならば解説が必要ですが、「JISではそうしている」「○○ではこうしている」といった解説では十分ではありません --- 記事名と本文で表記が異なる理由を説明していないからです。結局、「記事のノートでそう決めたから」というふうに説明するしかないのではないでしょうか。それは自己言及です。
検索による検証と書誌的な検証の件については、必要そうならまたコメントします。
で、もうひとつ提案なんですが、発言をやめなくてもいいですが、すこしペースダウンしませんか。ほかのひとが議論に入り込めなくなっているとおもいます。 --Hatukanezumi 2010年3月23日 (火) 23:25 (UTC)
もう何処から突っ込めばいいのやら……
「日本放送協会」と「NHK」は同等ではありません。後者は前者の略称です。そして、「NHK」である (よくある英語頭字語ではない) ということは有益な情報ですから、そのことについて記事に解説があるのは理解できます (つまり、この解説は自己言及ではなく、記事の一部であるということ)。特に問題はありません。念を入れたければ「以下本文でもNHKと記す」とでも断ればいいでしょう。
「がいし」と「碍子」は同等ではありません。後者は前者の歴史的呼称です。そして、「碍子」である(過去に学術用語集にて標準化され、その後学術用語集が改訂された)ということは有益な情報ですから、そのことについて記事に解説があるのは理解できます(つまり、この解説は自己言及ではなく、記事の一部であるということ)。特に問題はありません。念を入れたければ「以下本文でも碍子と記す」とでも断ればいいでしょう。
NHKの例と碍子の例との間に争点となり得るような差異が見当たりません。どの差異が問題だとHatukanezumiは考えているのかお聞かせ戴きたく思います。
いっぼう、「碍子」と表記される事物と「がいし」と表記される事物が同等である
「日本放送協会」と表記される事物と「NHK」と表記される事物が同等であるのと同じように同等です。そして「日本放送協会」と「NHK」が同等ではないのと同じように同等ではありません。言い換えることで違う結論を出して、その違いを論拠にしていますね。これも詭弁なのですが。
同等であるのに記事名と本文で表記を変えるのならば解説が必要ですが~~理由を説明していないからです
碍子の表記に関して歴史的事情がある記述は情報量を持っている(=有益な情報である)わけですから、がいしと碍子の両方の表記に関してはむしろ積極的に解説を書くべき内容でしょう。記事のノートで云々は関係ありません。それをあたかもノートの内容の問題であるかのように印象操作するのはやめて下さい
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月24日 (水) 01:54 (UTC)
おーい。Maddestmagicianさん、まさかこのままフェードアウトする気じゃないでしょうね。それじゃこの議論とおんなじだよ。
自分の知識だけで加筆しようとすると、いきづまってしまうのはわかったでしょう? 記事に加筆するためには、調べものが必要です。でも、がいしを表す言葉の歴史なら、記事の出典と、いままでノートででた資料を読めば、かなりのことが書けます。調べものの初期の段階、つまり、「どんな資料があるか見つけだす手間」は省けるんです。
書いてみてください。うまくいかなくても、だれかが手伝ってくれるよ。でも、書く気がないのに上のようなことを言っているのなら --- 二度と出てくるな。ウィキペディアは読むだけにしとけ。 --Hatukanezumi 2010年3月27日 (土) 14:29 (UTC)
別にフェードアウトする気なんかないですよ。チャットじゃないんですから性急にならないように。少し落ち着いては如何でしょうか。
書く気がないのに上のようなことを言っているのなら --- 二度と出てくるな。
またですか。書かないよりは書く方がよりwikipediaに貢献するでしょうが、書かない者に発言権が無いというわけではありません。wikipediaを勘違いしてますね。私は私の専門分野に関して書きますし、その他の記事でも加筆出来るならしますし、落穂拾いもします。ですが、自分の主張を通す為に何か書こうとか、そういうWikipedia:腕ずくで解決しようとしないに反する行動はしません。挑発しても無駄です。
私は最初から碍子の記事本文に何か書こうと思っているのではありません。コメント依頼の合意形成を見て来て改名提案に対して自分の意見を書いた上で、詭弁を用いて議論を紛糾させることでwikipediaを私物化しようとしている人に対抗しているだけです。改名提案に対する私の主張は既にしました。正常に議論が進むなら、私の主張に質問反問が無いのなら特に書くことはありません。ですがwikipediaの用字法に異論があり個別の記事でその証拠を作る為に議論を紛糾させて既得権益を確保しようというのなら、それはwikipediaの全ての指針の基礎である五大原則「五本の柱」の一つである「中立的な観点」に違反しています。違反を正当化する為に記事に加筆を行ない、加筆を行なうから自分に発言権があり加筆を行なわない他者に発言権が無いと主張するのなら、その主張はWikipedia:腕ずくで解決しようとしないにも反しています。
Hatukanezumi氏は何度も何度も繰り返して主張していますが、既に書いた通り私(及び多くの改名賛成者)は記事名ががいしであることに正当性があることを認めています。問題は、「記事名ががいしであることに正当性がある」ことがイコール「記事名が碍子であることに正当性が無い」ことを意味していないことです。「記事名ががいしであること」にも「記事名が碍子であること」にも、どちらも正当性があるのです。残念ながらこれらは記事名という特性上二者択一なので、どちらかを選ばなければなりません。議論することで合意形成を行い、どちらかが選ばれることになるのです。Hatukanezumi氏は、その議論を混乱させています。「記事名ががいしであることに正当性がある」ことを何度も何度も繰り返し主張し、あたかも「記事名ががいしであることに正当性がある」ことがイコール「記事名が碍子であることに正当性が無い」ことを意味しているかのように詭弁を用いて印象操作を行なうことで。Hatukanezumi氏がそれに対する反問に応えるならもう少し事態は変わってくるのでしょうが、惚けたり無視したり形骸的な批判をするだけでHatukanezumi氏は反問に答えないので、Hatukanezumi氏が手を変え品を変えいつまでも納得せずに同じ主張を繰り返す度に、論敵も同じ反論を繰り返すだけになってしまっています。
そういう手法(弁論術の一つなのでしょうか?)を用いて中立的な観点を拒絶し自らの観点を押し通すことは、wikipediaを私物化する行為です。加筆するしないに関わらず、wikipediaの私物化に抵抗するのは当然の話です。wikipediaが私物化されることなく百科事典として成長してこそ「素晴らしい百科事典」となることが出来るのですから。それはwikipediaに於いて「議論の余地の無い」大原則です。wikipediaに貢献する気があるのなら、wikipediaの全ての指針の基礎である五大原則「五本の柱」ぐらい読んでみることをお勧めしますよ。
あまり酷いようだと(というか既に酷いので)#いったん「碍子」に戻して改めて改名提案をしてもらうってのはどうだろう・その2のような、「記事名ががいしであるというのはwikipediaの私物化によるもので単なるガイドライン違反なので、記事名ががいしである正当性は無い」とかいう暴論さえ出てくることになってしまいます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月29日 (月) 09:06 (UTC)

  報告 「世界最狂の魔法使いCray-G」こと利用者:Maddestmagicianさんに対する投稿ブロック依頼を提出しました。 --Hatukanezumi 2010年3月29日 (月) 12:25 (UTC)

お疲れ様です。何がHatukanezumi氏を其処まで(=論敵を投稿ブロック依頼するまで)記事名をがいしにするよう駆り立てているのかわかりませんが、私も何時投稿ブロックされるかわからない身なので今後突然再反論に再々反論することが出来なくなるかも知れません。その際には「まさかこのままフェードアウトする気じゃないでしょうね」とか何とか言わないで下さいね。
それと書き込めるうちに言っておきますが、何の為に例示したのかわからないその議論でもHatukanezumi氏は弁論技術を使っても無駄だと指摘されてますね。本件改名提案でも#対象によって使い分ける提案で出てきていきなり多重尋問を用い(Hatukanezumi氏 2010年1月17日 (日) 14:10 (UTC))ることから始まり、その後も私の主張を都合の良い意味に書き直してそれに反論(詭弁#ストローマン)したり詭弁#論点回避したりした挙句、論点を提出した側にとっては理を尽くして説明するために必要な点なのです(Hatukanezumi氏 2010年2月7日 (日) 05:00 (UTC))と言うので前に書いたのと同じ反論をわざわざ繰り返したらええと、なにか説明すると言いましたっけ(Hatukanezumi氏 2010年2月10日 (水) 12:03 (UTC))と惚ける始末です。挙句の果てには#「用語」と「用字」外部の信頼できる資料が用字の基準や具体的な表記を示しているのであれば、基本的にはそれに従っておけばよいとおもいます詭弁#論点回避した上で議論を最初(原則に従い学術用語集に記載の記事名にすべきか否か)まで完全に巻き戻しを図るに至っています。
そういう議論を混乱させることを一々指摘しやめてくれと言えば外形的な批評(Hatukanezumi氏 2010年2月18日 (木) 23:11 (UTC))と言って空文呼ばわりして無視し、ついには黙っていなさい。ここはウィキペディアです。あなたの弁論術の腕試しの場ではありません(Hatukanezumi氏 2010年2月26日 (金) 20:14 (UTC))とまで言われ、最後には投稿ブロック依頼が為されるに至ったものです。
弁論術なのか何なのか知りませんが、術を使って議論を混乱させたところで合意を得るには至りません。コミュニティーを消耗させ論敵が黙るのを待っているのでないなら、詭弁を使ったり議論を巻き戻したりして議論を混乱させるのをやめて下さい。それでは議論は進みませんし、終結することもありません。そりゃ議論を全てうっちゃって#終了提案をするような無茶が通れば終結もするでしょうが、そんな無茶が通るまでコミュニティーを消耗させるのはやめて下さい。合意形成の為に必要となる相互理解の為に議論をするのです。論敵を論破して自論を押し通す為ではありません。
以上、書き込める間に書いておきました。細かく書くことも出来ますが、それは一々指摘してあるので私とHatukanezumi氏とのこのページに於ける遣り取りを見ていただいた方がわかり易いし、改めて全部書くのは無駄だと思いますので。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月29日 (月) 15:59 (UTC)

いったん「碍子」に戻して改めて改名提案をしてもらうってのはどうだろう 編集

  解決済み以前の改名について事前提案の要否が議論となったが、その改名の実施に対してこれまで異議は出ていなかったことも指摘された。現在改名についての新たな議論が進んでいるため、かつての改名に対する差し戻しは求めない。

根本的に、改名提案がないままに強行された「碍子→がいし」の改名が最初の問題行動として指弾されるべきものであったような気がする。いったん「碍子」に戻した上で改めて「がいしへの改名提案」を出してもらうというのが筋じゃないだろうか。まあもちろん、「がいしへの改名」は合意されないだろうけれども、少なくとも「勝手に改名をしてそれを既得権益とする」という手段はフェアなものではなく、是認されるべきものでも座視していいものでもないような気がする。当該改名を強行した者(そして「碍子」への改名提案に強行に反対している者)は、まず反省をすべきだろう。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 16:01 (UTC)

  反対 「がいし」表記には一定の正当性があり、だからこそ他記事でも用いられているのだと推察する。だいたい、改名には常に合意形成が必要だときまったものでもない。グラゴール文字からグラゴル文字への改名を実施したがだれにも文句を言われなかったし。 --Hatukanezumi 2010年2月6日 (土) 16:10 (UTC)
常に合意形成をする必要はないが、結果として反対意見がある程度以上でた場合には「合意形成をせずに改名しても良いという自らの判断は間違っていた」と考えてもらうべきでしょう。「結果オーライ」は認めざるを得ないが、移動したことにより項目名に関する議論が巻き起こったら、それは独断で行ってはならない移動であったということです。賭けに負けたら、賭けに負けたことは潔く認めた上で、ジャニスでも聞きながらひとねいりすればいい。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 16:19 (UTC)
じゃあなんで「碍子」にすべきだという結論だけが採用されねばならないのですか。ウィキでチャットする気はないのでこれでおわり。 --Hatukanezumi 2010年2月6日 (土) 16:22 (UTC)
じゃあなんで「がいしにする」という何の合意もない結論が尊重されねばならんのでしょーか。既得権益って便利だよねえ(ふっ)。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 16:45 (UTC)
  コメント しようとおもったがやめた。チャットになっとるやないか!>>自分 --Hatukanezumi 2010年2月6日 (土) 16:52 (UTC)
Hatukanezumiさんは言行不一致なひとだと認識しました。そもそもこの提案は「無理やり戻す」ことを狙ったものではないわけだが、そのあたりが全然見えていないわけね(ふっふっ)。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 16:54 (UTC)
  反対 「がいし」への改名は記事名のつけ方表記ガイドに沿ったものであり正当性がある。いまはその逆方向への改名だから合意形成が必要なのです。--みや1229 2010年2月6日 (土) 16:40 (UTC)
その正当性について疑問が提示されているわけですが、まあ、そういうややこしいことってわからないひとにはわかんないんですよね。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 16:45 (UTC)
みや1229さんの意見はともかくとして、ここまで議論がすすんでいるのに改名の正当性とかを問題にするのはナンセンスだとおもう。で、ほんとにやめ。迷惑だから、この節。 --Hatukanezumi 2010年2月6日 (土) 16:52 (UTC)
  反対 相手がフェアでない手段を用いたからこちらもフェアではない手段を用いて良いという論法に賛成は出来ません。
改名提案がないままに強行された「碍子→がいし」の改名が最初の問題行動として指弾されるべきもの
それが問題行動であるという意見には反対しませんが、そもそも立頁自体が何らの提案無しに強行されるものであり、根本的に項目名が「碍子」であったこと自体が単なる「既得権益」でしかありません。なのだから、改名提案という正当な手段以外の手段でその「既得権益」を取り戻そうというのもまた問題行動でしかありません。既得権益の奪い合いは単なる編集合戦と同義であり、改名された直後に戻すのを強行したというのならともかく、議論が進んで勝てそうも無いから難癖付けて既得権益を奪って有利になろうというのはwikipediaの方針に沿っていません。ましてやそれを自分の責任に於いて実行するのではなく、提案して味方を増やして誰かにやらせて責任逃れをしようというNekosuki600氏の姿勢の方が糾弾に値する大きな問題だと考えます。強く反対致します。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 17:34 (UTC)
うん。おれはやんないよ。Qurrenさん以外の誰かにやらせようとも思ってない。Qurrenさんが反省をして、いったん自発的に戻して、それから改めて改名提案をして議論するというのがいちばん美しい解決策だと思うが、まあ、そんなばら色の未来はないだろう。ただ、これに懲りてQurrenさんが無謀な改名を今後やらなくなってくれれば、それでいいんじゃないかと。Qurrenさんからこの節にコメントがあるなんてことはないだろうけど(と挑発してみる)。
おれも改名提案なき改名なんかフツーにやってるわけですよ。でも、やる前にシミュレーションはしてみるし、やった後にも結果として賛同を得られたかどうかをしばらく経過観察してフォローするくらいのことはやります。自分の、合議なき改名を絶対視するような姿勢は評価できんのです。ということをきっちり言っておきたいわけさ。--Nekosuki600 2010年2月6日 (土) 18:47 (UTC)
Qurren氏が単に「絶対視」しているわけでもないと思うのですが。彼には彼なりの根拠があり、それを正しいと主張しています。そして現状、その主張に対する有意な反論が出されていないだけです。氏は本件の原因となっている「やり逃げ」の下手人ではありますが、氏は氏の考える「当然に正しい行動」を行なったのです。恐らくはシュミレーションでも「有意な反論」は出ないという結果だったことでしょう。それに関して私の 2010年2月6日 (土) 15:39 (UTC) の投稿(と、それが最後となっている一連の遣り取り)をお読み戴ければ確信して戴けるものと思います。実際にはそれどころか、2009年12月12日 (土) 13:52 (UTC) の投稿を読む限り反対意見一つ存在しないと思っていたようです。
なお、もしも本件改名提案に賛成ならば、私の 2010年2月6日 (土) 13:53 (UTC) の投稿に意見を戴きたく御願い申し上げます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月6日 (土) 19:34 (UTC)
改名について「必ず合議を行い合意を形成してから行なえ」という立場を、おれは取りません。独断でやっても別段問題視されない場合というのはあり得ます。具体的には「ほにゃらら(映画)」を「ほにゃらら (映画)」に移動するとか、明らかに誤字であるとか、そういうやつですね。
ただ、明らかに対立する価値観があるケースなどもあり、そういうのは合意形成を行なう方が安全でしょう。どの程度の対立があるかによって、どの程度の合意形成を行なうべきかが定まってくるものと思います。
本件について、Qurren氏がシミュレーションを行い「有意な反論は出ない」と結論して、合意形成を省略しての移動を行なったのならば、その判断は明らかに間違っていたということは言える。こういうのは結果論からフィードバックして軌道修正をしていくしかないものかもしれません。しかし本件議論を通じて、改名が正しいかどうかということよりも、あらかじめじっくりと合意形成をせずに独断で行なったことについては十分な反省の手がかりとなり得るものと考えます。--Nekosuki600 2010年2月7日 (日) 08:59 (UTC)
私は本件に関し、Qurren氏の判断が間違っていたとは思っていないのです。むしろ逆に、ページの編集は大胆にの精神に基づき褒められてもおかしくない行動だと考えることさえ可能だと思うのです。氏は「配慮」も「注意」も行い「大胆に」編集したのですから。
今此処で「単に」氏を糾弾することは氏を無意味に萎縮させ、この正しい精神を育成し今後も継続していくことを阻害してしまうのではないかと危惧します。何が正しく何が誤っていたのかを適切に指摘することこそが、wikipediaの将来の為だと考えます。
氏の判断が間違っていたのではなく、氏は知らなかったのです。碍子を椅子や炬燵と同じくらい一般的な用語だと思っている人が存在することを。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 13:32 (UTC)
あんたの方がおれよりキツいことを言ってはいないか(=^_^;=)。
てゆーか・・・おれの「間違っていた」っていうのよりも「知らなかった」よりというのは、糾弾としてキツいんじゃないかと思いました。おれもまあ知らなかったんじゃないかとは思ったんだが。
んでえーと。おれ的には、大昔に死んだ父親がそちら方面の技術者だったため、実家の書庫には古い電気関係の参考書類がけっこうあったはずで、「碍子」と表記された技術書や論文は発掘できるんじゃないかと思っています。このあたり歴史的な表記変遷ともからむもので、あんまし「今はこういう表記をする流派があるからそれが正しい」みたいな見解をふりまわされたら困るなあと思っています。なので、その程度の知見から大胆に編集されたらかなわんとも思ってます(これは別に技術系だけじゃなくて人文系なんかでも普通にあることで、たとえば地名表記なんかもっとすさまじいんであった。「春日部」と「粕壁」なんかわりと有名だし、しかも今でも「粕壁」は地名としては残っていたりする。近いところでは「大坂城 v.s. 大阪城」の戦い、なんてもんもあり、これは大坂城派の見解が通った)。
いずれにせよ、「大胆であること」って、背景知識や洞察が欠けていたら蛮勇にしかなんないわけで、それを学んでもらえればいいのじゃないだろうかと。なお、そういうわけで、「ご本人がいったん戻した上で改めて改名提案をする」というのは、いやがらせじゃなくて、名誉や信頼性の回復のための具体的な手段の提示だったんですよ。それができるんだったら、おれだってその勇気と自分の知見を冷静に評価できる卓越した能力に対して敬意を表するにやぶさかではない。--Nekosuki600 2010年2月7日 (日) 14:54 (UTC)--Nekosuki600 2010年2月7日 (日) 14:58 (UTC)(重大な語表記を修正。打ち消し線で直した。)
ご本人は、多分帰ってこないでしょう。ついでに、改名提案者も。--2010年2月7日 (日) 15:25 Rs1421
それはそれでいいんじゃないの。ときどき考えるのを止めてゆっくり休むとか、Wikipediaから離れて別のことをやってみるとか、そういう時間をとるのは悪いこっちゃないと思うんだ。おれはいちいちウィキブレイク宣言なんかしないけどしばらく見もしないことはあるし(そういうときにぐぐってWikipediaが出てくると無性に腹が立ったりするわけだが(=^_^;=))、そのくらいに執着しないスタンスでいる方がいいと思うんだ。
ただ、改名提案者の方はしばらくしたら帰ってくる方に73カノッサ。--Nekosuki600 2010年2月7日 (日) 15:31 (UTC)
途中で間違ってクリックしたら競合した。いや、メジャーな分野ならそれもかまわないけど、過疎地帯の工学分野じゃ2年くらい有意な編集がないのがざらにあるのでね。たとえば位相とか(放置状態であると某所でご指摘された方、申し訳ない。本人はすっかり忘れておりました。)--rs1421 2010年2月7日 (日) 15:59 (UTC)
あんたの方がおれよりキツいことを言ってはいないか(=^_^;=)。
だから糾弾するものではないと小一時間(ry
将来のwikipediaを背負って立つ有望な専門知識保有者なのですから、きちんと教育しなければならないでしょう。未来のwikipediaの発展の為に。
教育とは体罰ではありません。罰を与えることが教育なのではありません。何が正しいかを教えることが教育です。自分が何をしてしまったのかを教え、それが如何なる理由により不適切であり、如何にすれば正しくなるかを教え、理解させ反省させることです。その為に必要な罰があればそれを与えることは正当ですが、今回の件で糾弾して改名復帰を強制させることは必要な罰だとは思えないのです。この教育論に関して議論を行なう気はありません。異見を表明して戴ければ個人的には喜ばしく思いますが、此処はそうするには不適切な場ですから。
とにあれ、私がNekosuki600氏よりも「キツいこと」を言っていたとしても、それは私が糾弾し改名復帰を強制させる(≒厳しい罰を与える)ことに同意していることを意味していないことさえ理解して戴ければ結構です。
なお、それが名誉や信頼性の回復のための具体的な手段であることには強く同意します。ですがここはwikipediaであり、地上の論理が完全に同一に通用する場ではありません。強行した改名を復帰させるという提案の通りの名誉や信頼性の回復のための手段以外にも、名誉や信頼性を回復する手段があるのです。それを糾弾に拠って改名復帰を強制させるというのは、改名強行者の「他の手段を選択する自由」を奪うことであり、必要以上の萎縮を与える「重罰」に相当するものと考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 16:28 (UTC)
おれは「これが唯一無二の名誉回復・信頼性回復の手段だ」なんて言ってないぜ。「ワンオヴゼムの名誉回復・信頼性回復の手段として提案した」だけだぜ。
おれの仕事じゃないからおれは考えていませんけど、他にも手段はあるだろうし、おれが思ってもいないようなすごい方法で名誉回復・信頼性回復をしてくれてもいいんだし、その切り口によってはおれは「ははーっ、まいりました」とか言って平身低頭しちゃうかもしれないんだぜ。ある意味、そういう手法を思いついて実現してくれれば、これが戦いであるんだったら(おれとしては戦ってるつもりはないんだが)、おれに対する最大級の効果的な反撃になるかもしらん。ここで他の手段を明示できれば、それは更にたいしたもんだと思う。
おれとしてはさぁ。それなりに反撃の余地を残しつつ(そしてその反撃の余地を、どっしょーもない馬鹿はとにかくとしてある程度以上賢いひとにはわかるように明示しつつ)、丁寧に対話をしているつもりだ。安易に攻撃的になるのは否定しつつ、しかし無駄に寛容になることも避けつつ、うまく会話を成立させて軟着陸店を探そうぜ。
現時点でおれに言えることは、そこらへんまでです。あとはこう、見解対立者との、誠実な真剣勝負をじっくりやっていくのがいいのじゃないんだろうかとか思うのでありました。--Nekosuki600 2010年2月7日 (日) 16:49 (UTC)
同じ主張ばかり繰り返すのがさすがに億劫に感じ始めたので、しばらく様子を見ていましたが、思いのほか激しい議論の膨らみに驚き、復帰する機会を逸していました。皆さんから意見を頂き、自分が電気専攻ゆえ、一般の認識(例えば、がいしが一般に用いられる言葉であるとか)を感じ取る感覚がマヒしているのだと思いました。それは重く受け止め、今後の参考といたします。2年前の改名はJISという信頼できる情報源に基づきながらも独断にて行いましたので、それが問題ある行動であったと見なされるのであれば、どうぞ差し戻して頂いて結構です。なお、「がいし」とするべきという考えは変わりませんので、進んで「碍子」に戻すつもりはありません。--Qurren 2010年2月7日 (日) 17:14 (UTC)
ご理解を戴けていることを喜ばしく思います。勝手ながら#椅子と碍子との事情の違いに於いて、同じ議論を繰り返さないで碍子かがいしかのどちらが適切かに関する議論が可能な状況になりつつあります。こちらであれば、記事本文への専門内容の記載など、がいしが適切であると誰の目にも明らかとなり得る条件が出されることになり、同じ主張ばかり繰り返すことは無くなるものと思います。出来れば検証不可能な基準で決定しようとする無駄な議論ではなく、そちらの議論にも参加して戴けないものでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 17:36 (UTC)
わたしは、「JISで使用されている名称が学術用語で書かれている。」とは思っていません。したがって、"2年前の改名はJISという信頼できる情報源・・・。"と言うところは納得できません。なお、「学術用語」を常用漢字しか使わないようにと考えた文部科学省の問題であり、表記ガイドにある特殊な事情に該当するとも思えます。前回にリンクを張ったんですが専門家を養成する(無線従事者の)国家試験の問題でも「碍子(がいし)」と表記されている為個人の考えでは少なくとも無線工学では「碍子」が専門用語であるように感じます。私だったらがいしをリダイレクトで作成するにとどめ改名はしていないと思います。なお、国立情報学研究所による学術用語対訳/類語オンライン辞書によると「碍子」も「がいし」も両方結果表示されるため、「がいし」と表記しないといけないとは限らないと思います。--Vigorous action (会話/履歴) 2010年2月8日 (月) 04:38 (UTC)
JISが信頼出来る「学術用語を定義する情報源」であると言っているのではないと思います。つまり碍子が学術用語であるか否かはともかく、JISが信頼出来る情報源である、ということだと思います。日本中の業界に影響を与える為の情報なので査読も極めて厳しいでしょうから、信頼出来ると判断するのは妥当ではないでしょうか。少なくとも、国家試験の問題よりも厳しい査読や校正が行なわれているはずです。
そして碍子かがいしかの問題に関しては、それ用の節で主張を御願いします。此処はwikipediaであり、改名強行者を「やっつけ」ることが重要な場ではありません。万人(少なくとも大多数)が理解し納得出来るように議論を行なうことで決定される場です。その議論の場から離れた個別の場所(それも別の議論の場)で改名強行者を「やっつけ」ようとするのはご遠慮いただきたく御願い申し上げます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月8日 (月) 05:38 (UTC)
当方は、べつに改名を行なった方を「やっつけ」ようなどと思っておりません。この節にもって来たのは、利用者:Qurren氏の2010年2月7日 (日) 17:14 (UTC)におけるコメントに対してのコメントだからです。JISが信頼出来る「学術用語を定義する情報源」として改名を行なったように私にはうつります。(世界最狂の魔法使いCray-GさんのおっしゃるようにJISは査読された国内工業の基準となるものではあるのですが・・・。)だから、一度仕切りなおしした方が良いように感じています。--Vigorous action (会話/履歴) 2010年2月8日 (月) 08:42 (UTC)
もしも仕切り直す(強行された改名を元に戻す)ことに正当性があると思っているのなら「Vigorous action氏の責任で」元に戻すことを強行することが出来ます。無論正当性が無かった場合には議論に勝てないから強行した無法者の汚名を被ることになります。汚名を被るのが嫌だから、正当性は無いが「難癖」を付けて「他人」にやらせて責任逃れをしようという姿勢は、私が既に本項目の 2010年2月6日 (土) 17:34 (UTC) に書いた通りwikipediaの方針に沿っていません。
碍子の項目名が碍子であるべきなら、現在提起されている改名提案にて改名(=碍子に戻す)が決定するはずであり、改名は為されます。がいしであるべきなら改名は為されません。議論を行ないましょう。議論によって合意を形成し、堂々と改名しましょう。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月8日 (月) 09:43 (UTC)
あなたに言われるまでもなく私の責任で改名することができるのは知っていますし、方法もしってます。安易な改名は議論を紛糾させるだけなので私は行いません。なぜなら現時点で改名提案がなされており、合意に至っていないからです。今回の仕切りなおしたほうがいいというのは、今回紛糾している中の発端に「合意なき改名」があるように感じたのでまずその部分をなくして、一から仕切りなおしたほうが少しはわだかまりが消えるのでは??と感じたからです。議論を行うつもりがなければ、あなたの言うように要約欄に「合意なき改名」と書いて改名していますよ。あなたのコメントこそ、wikipediaのガイドラインに沿ってないようにも感じます。--Vigorous action (会話/履歴) 2010年2月8日 (月) 12:01 (UTC)
であれば本節に賛成のコメントを入れることが適切であり、改名強行者であるQurren氏に「返信」する意味は無いと思うのですが。本節に賛成票を投じ理由として「改名強行の理由がJISが信頼出来る「学術用語を定義する情報源」であるからと主張しているがそうとは思えない為」などと書けばいいのです。「私の反対票」の議論に割り込んで別の議論を吹っかけるのは不適切です。それは議論を混乱させ有耶無耶にし、紛糾する要因となってしまいます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月8日 (月) 12:32 (UTC)
今回については「反省を形にあらわすことは拒否する」との回答をいただきました。
今後については、その反省を形にあらわし、こういった「別分野や一般社会の常識をないがしろにした独断による改名」はおやめいただければと思います。改名者として戻した上で改めて改名提案をするというわかりやすい反省の形ではありませんので、いろいろ難しいとは思いますが、ご健闘を祈ります。--Nekosuki600 2010年2月9日 (火) 13:05 (UTC)
私は「ウィキペディアン全員が持つべき理想」としてNekosuki600氏が要求しているものよりも「よりキツい理想を抱く」ことを求めています。その非現実的な理想を実現させることは求めていません。理想を抱き、それを実現する為の努力さえしていれば。それは何らの単一の行動では検証不可能であるので、私は何らの「単一の行動」を求めていません。
対するNekosuki600氏はどうやら、「改名強行者個人の人格」として私が要求しているものよりも「理想をより実現している人物である」ことを求めているように思えます。なので「実現している」ことを証することを求めています。名誉回復・信頼性回復を行なうことによって。そしてそれは検証可能な何がしかの「単一の行動」が存在するので、Nekosuki600氏は検証可能な何らかの「単一の行動」を求めています。
見解の相違は其処から発生していると考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月7日 (日) 17:36 (UTC)
なんか「キツさ」の理解が違っているように思うんだが、枝葉なので反論はしません。認識が重なっていないということの確認のみ。--Nekosuki600 2010年2月9日 (火) 13:05 (UTC)
◆追伸。
おれの「要求水準」は、そこそこ高くて、まあ今回の専門馬鹿的改名あたりは問答無用で却下が相当だとか思ってます。ただ、それと「キツい表現」とは別論だろうと思ったんでした。しかしまあ、改名者からのご返答に基づくと、「間違っていたのではなく、知らなかったのだ」というCray-Gさんの理解が正しいような気もしてきましたねえ。なんていうのこう、「間違うことより、知らないことを意識していないことの方が、より重大なことなのだ」というあたりで話をおさめることができれば、と。
おれ的には、今回は徒労に終わりましたが、表現は穏やかにしかし主張はキーンに、というつっこみの方が、妥協が成立する可能性は高いような気がしています。そういうわけで今回はその心遣いは不発に終わってしまったのですけどねえ・・・(ためいき)。--Nekosuki600 2010年2月9日 (火) 13:52 (UTC)

(インデント戻す)「本件に関しては改名提案を行うべきであったことを確認するが2年以上異議が出されず既に新たな改名議論が進んでいるため差し戻しはしない。」あたりをまとめとして本節を終わらせるべきと思います。Qurren氏の責任については当時他の編集者からも異議が出されていないので問題にする必要はないと考えます。--みや1229 2010年2月8日 (月) 11:52 (UTC)追記--みや1229 2010年2月8日 (月) 12:12 (UTC)

本節終了に賛成します。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年2月8日 (月) 12:32 (UTC)
ああ、ま、独断による改名者の判断が示されましたので、おれも終了していいと思いますよ。予想はしていましたが、正直なところ予想の範囲で最悪の結果だったと思うし、ここで節を閉じるのは改名者にとって不幸なことではないかと思いますが(しかし「節のみ終了」って技術的に無理だし、今後とも改名者に対して方向転換する余地は残しておいてあげるべきだとも思いますが)。--Nekosuki600 2010年2月9日 (火) 13:05 (UTC)

終了提案 編集

長いわりにまとまりの乏しい議論でしたが、議論が続いていると加筆しにくい、記事の内容を話し合いたくてもできない、という不満をお持ちのかたもあるでしょう。本改名提案についての議論の終了を提案します。議論終結の条件は次のとおり。

  • 議論の結論は出しません。つまり、改名はしません。
  • 今後あらたな改名提案が提出されることを妨げません。ただし、今回の議論を踏まえた提案であることが望まれます。

以下に賛否の小節とコメントの小節を設けます。両者を分けるのは、またも議論が発散してしまうのを防ぐためです。2、3週間程度賛否を募り、その結果、終了への賛否がきわめて拮抗した状態でないかぎり、終了とします。

以上、賛否表明およびコメントの程、よろしくお願いいたします。

終了提案への賛否 編集

コメント 編集

  • #解決で述べたとおり、議論すべき課題がすでに存在しないと考えていますので、本改名提案の議論終結に賛成します。 --Hatukanezumi 2010年3月18日 (木) 13:32 (UTC)
  • これで終了するんじゃ「がいしゴリ押し派のゴネ得」じゃないすか。冗談じゃない。 --Nekosuki600 2010年3月18日 (木) 13:36 (UTC)
  • 以下の賛否一覧にあるようにこの議論に参加して賛成又は、賛成よりのコメントを投じている者の方が、改名反対派より明らかに多数居ることから議論の終了を提案するなら改名で終了させるべき。各自の意見に変更があった場合、自ら賛否一覧の欄も変更されているでしょうから。--Vigorous action (会話/履歴) 2010年3月18日 (木) 14:25 (UTC)
  • 論点回避されたことで途中放棄されている議題があることから、議論すべき議題は残っていると考えています。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月18日 (木) 19:12 (UTC)
  • 議論参加者の多数意見を完全に無視した、あまりに牽強付会にして我田引水に過ぎる提案だと思います。Hatukanezumiさんにはクールダウンされるよう努力をお願いしたいと思います(別にウィキブレイクを勧めているわけではありません。単に落ち着いてくださいと言う意味です)。--Nazox 2010年3月20日 (土) 02:55 (UTC)

終了提案の無効動議 編集

コメント依頼の方に「議論が膠着している」という主旨での依頼が出ていましたが、おれが見た限りでは「少数の納得していない人ががんばっているだけ」であり、膠着状態にあるようには見えません。納得しなければ過半数を大幅に割り込んだ少数派であっても現状維持を狙えるというのは、極めて不健全であると思います。また、この「議論にうんざりしている人々を取り込んで『がいし』で決着させよう」とする提案は、「がいし派」としては上手な提案だろうとは思うものの、それころ力技、相手の疲弊を狙って自らの意見を通そうとするものであるといわざるを得ません。よって、この終了提案そのものの無効動議を提出します。

個人的には、「これまでの議論を踏まえて、改めて『がいし』『碍子』のどちらを選ぶかを投票して決着をつけよう」という提案ならば、賛成したかもしれません。しかしながら、「それでは『碍子』に改名されてしまうだろう」という危機感があっての政治的な枠組みを伴う提案なのだろうと思います。それは、政治的活動に経験が深いひとからしたら当然の発想なのかもしれないが、かようなバイアスをかけての終結提案は、極めて不公正なものであると、おれは思います。フェアであることは、重要なことであるはずだ。--Nekosuki600 2010年3月18日 (木) 13:54 (UTC)

  • 無効(依頼者票)--Nekosuki600 2010年3月18日 (木) 13:55 (UTC)
  • 無効世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月18日 (木) 19:12 (UTC)
  • 無効--Vigorous action (会話/履歴) 2010年3月19日 (金) 02:25 (UTC)
  •   コメント ええとね。コメントを下さるのは歓迎します。でもね。
    「動議」を審議するためには、まず動議提出に異議がないかを諮り、つぎに提出された動議の審議をすることを採決し、審議することになった場合は審議して、最後に動議の目的となる提案を採決します (このうち、動議取り上げの採決についてはストローポールが認められることが多いでしょう。ウィキペディアではそれしかしようがありませんが)。ですがそもそも、動議を出せるためには、議案の処理や採決に関する議事運営規則が定まっていなければなりません。ウィキペディアにそんなものはありません。今回の賛否表明だって、単なる意向調査以上の意味はありません。
    自分の意見を「動議」と称するのは自由ですが、議論の過程をいたずらに複雑にすること (議論撹乱) はおやめください。 --Hatukanezumi 2010年3月19日 (金) 03:47 (UTC)
他人がわざわざ節を分け書いた内容を書き換えて繋げ意味を変えて、変わった意味に対して批判する方が議論撹乱です。他人の投稿内容を書き換えて意味を変えないで下さい。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月19日 (金) 05:36 (UTC)
  •   コメント自身の個人的意見をもって「解決」なる節を設け、意向調査という名目で「終了提案」を立ち上げ、Vigorous actionさんが上で意見を付けた後に以前の賛否の上部に(あたかも既成事実であるかのように)「この賛否は過去のものである」と表記するという提案者の姿勢は批判されても仕方ないものと思います。この無効動議は終了提案への賛否とは別の、このような提案の仕方に対する意見表明であり、議論撹乱ではないと考えます。--HANSON 2010年3月19日 (金) 05:02 (UTC)
  •   コメントもう充分に議論は尽くされたが合意がなされないので、最後の手段として投票を行って、その結果に従うことで終了しましょう、という提案なら賛成したと思います。--Nazox 2010年3月20日 (土) 03:07 (UTC)

もうこれ雪玉終了でいいよね 編集

この終結提案だけど、もう雪玉終了でいいよね。提案された線で話が終わるなんてことはあり得ないと思うし。数日くらい待って有意な反論がなければ、終了で決めましょう。--Nekosuki600 2010年3月20日 (土) 15:25 (UTC)

今の今までWikipedia:雪玉条項の内容の意味がイマヒトツわからなかったのですが、今回の件で非常に良くわかりましたよ。なるほど主張を通すためにルールを悪用したりして混乱を招くような人が過去にも居たのですね。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月21日 (日) 08:19 (UTC)
  コメント Nekosuki600さん
下の意向調査の時点の当ノートって、こんなふう[19]なんですが。その後も議論は続いているのですよ。
あなたがその間やったことといえば、▼2年前の改名を持ち出してきて実施者に「反省」を迫ったこと、▼そして今回、終了提案に対して反対したこと、それだけです。その間の議論に対して、あなたは意見を述べていない (もちろん、記事に加筆するわけでもない) のに、ただただ改名に固執するだけ。
そういう自分のふるまいを、みっともないと思わないのか。あなたはいったい、ウィキペディアに何しに来ているんですか
わたしは、当ノートの議論が現在合意に達しているなんて考えていない。その原因のひとつは、あなたのように議論そのものに資する意見をもたないくせに、他人の言動をあげつらい、やっつけることで勝とうとするだけのひとがいるからだとおもうのね。そんな「議論」にかかずらわっているより、記事に加筆するほうが楽しいし役に立つ。
あなたのようなひとと話し合う気はない。あなたの好みの「合意」を得たければ勝手にやってください。それで記事がよくなると思うのなら、ぜひどうぞ。 --Hatukanezumi 2010年3月21日 (日) 10:24 (UTC)
  賛成 端から見ていてHatukanezumiさんの議論進行(終結提案の部分からね)が極めて無茶苦茶であるものだと強く感じます。本題に意見を差し挟むかまだ見守っている段階ですが、それ以前にこの件は雪玉と見なして良いと思います。 --Springtide 2010年3月23日 (火) 07:33 (UTC)

終了には一票の賛成もないままに、無効動議には一票の反対もないままに、一週間以上が経過いたしましたので、終了提案は却下されたものと決します。今後は、こういう無理な議事進行を行なうことがないよう、終了提案者には強く自重を求めたいと思います。--Nekosuki600 2010年3月29日 (月) 17:00 (UTC)

記事分割の提案 編集

現時点でほぼ「学術用語として『がいし』表記」と「曖昧さのすくない『碍子』表記」で論議されていますが、考えてみると「がいし」と「碍子」の両方を独立した記事とすることが可能です。実際にヒトは別の記事になっています。 使われ方を見ても、電気分野、建築分野、土木分野では(ちょうど学術用語集で「がいし」が使われている分野です)ではひらがなの「がいし」表記が多く、一方で過去の文献などでは「碍子」表記が多いようです。 これらを考慮すると、電気分野、建築分野、土木分野について記述する記事「がいし」と、それ以外の一般分野および歴史について記述する記事「碍子」に分割することで問題が解決すると考えます。--アルビレオ 2010年3月19日 (金) 22:03 (UTC)

参考まで。
  • 明石博高『防雷鍼略説』(1873年) 〔明治文化研究会編『明治文化全集』日本評論社1967年に収載〕では「防雷瓷」として現在のピンがいしとほとんど同じ形状のがいしが図説されているそうです (電気学会『がいし』1983年、p. 12)。
  • 1874年の「電信条例」(政府が電信事業を行うことの最初の根拠法) では「陶器」となっているそうです (日本碍子株式会社社史編纂委員会『五十年史資料』1970年、年2)。
  • 1875年の法令などでは「碍子」が見られるようになるということで (同前)、「碍子」という用語が作られたのはこのころと思われます。
さてところで、#対象によって使い分ける提案から意見を変えました。
  • 「がいし」と「碍子」の書き分けには意味がないと考えます。
「いぬ」や「ひと」は、西洋科学技術の日本への移入よりはるか以前から存在していた概念、言葉です。ですから、「犬」「いぬ」「狗」「戌」は、学術用語としての「イヌ」が指す概念とは違うものごとをも指すことがあります (干支の戌など)。「ひと」も同様です。「イヌとがいしの事情のちがい」という節でも立てようかとおもっていたのですが(笑)。
対してがいしは、電信が日本で実用されることになって初めて必要になり、作られた用語であると断定してよいでしょう。もともとが科学技術用語で、現在もそうです。漢字制限の採用によって「がいし」表記が選ばれたからといって、概念に変化があるわけではありません。
不毛な議論を終わらせるために記事分割を提案するということなら、理解はできます。ただし上のような理由から、分割は困難ではないかとおもいます。
余談。カテゴリページで「がいし」と「碍子」を掲出し分けたいのなら、現在リダイレクトページになっている碍子にもカテゴリづけをすればいいんじゃないでしょうか。もっとも、これはこれで論議の種になりそうですが。 --Hatukanezumi 2010年3月19日 (金) 23:38 (UTC)
分割に反対です。根拠としては、
  1. 分割した両者が完全に同じものを指している点。人とヒトの例では、一般に識別される「人」と学術的な分類に於ける「ヒト」とで(乖離したとまではいかないが充分に)異なるものを指していますので分割も妥当と考えられますが、碍子の場合は完全に一致しています。このあたりはむしろ犬とイヌのような関係に近いと言うか、犬とイヌ以上に人とヒトの関係から離れているのでと思います。
  2. 碍子そのものに関して記述の絶対量が偏るのではないかと思われる点。結局のところ同じものを指しているので一方にばかり編集がなされ、他方にはほとんど加筆が為されないという状況になると思われます。このあたりは哲学哲学史が似たような状況に陥っていて、統合提案が出されています。
  3. 最近また「碍」の文字を常用漢字に採用する提案が為されているようですが、万が一採用になれば学術用語集も碍子と表記するだろうし以後の出版物も残らず碍子と表記することでしょう。そうなった場合に「がいし」の記事はどうするお考えなのでしょうか。同じものを指しているのだから曖昧も何も無いので曖昧さ回避ってわけにもいかないでしょうし、まさか「記事名が同じになったから統合する」とか言い出すのでしょうか。
れとりっくとやら無しに言うと「碍子とがいしが結局のところ(どころか完全に)同じものを指しているのに、記事名にがいしを採用させたいから分割しようとか利用者のことを考えてないだろ」ってことです。
Hatukanezumi氏>不毛な議論を終わらせるために記事分割を提案するということなら、理解はできます
気持ちはわかりますが同意は出来ませんね。議論を強引に終わらせるだけの為に分割を行なうとか百科事典として正しい方向性ではありません。議論を不毛な方向に発展させようとする人がそれをやめてくれれば、もう少し「不毛じゃなくなる」と思うのですがね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月20日 (土) 06:07 (UTC)
余談への注。「不毛な論争」とか「リダイレクトにもカテゴリづけ」とかは、アルビレオさんがそう考えているだろうというつもりで言ったんじゃないですから、お気になさらないでください。単におもいだしただけです。
余談2。香蘭社が1877年の第1回内国勧業博覧会に出品したがいしは「インスレツト」という呼称で記されています (中山成基『有田窯業の流れとその足おと——香蘭社百年の歩み』香蘭社1980年、pp. 38f)。「碍子」は工部省あたりで作られた官製の用語で、このころはまだ生産現場には浸透していなかったのかもしれませんね。まったくの余談でした。 --Hatukanezumi 2010年3月20日 (土) 15:52 (UTC) 書誌補記、訂正。--Hatukanezumi 2010年3月20日 (土) 15:55 (UTC)
記事の分割提案に賛成します。電力設備としての記事(概ね電気・電力・建築・土木分野、その歴史的な解説を含む)とその他一般分野の記事への分割が妥当だと思います。
分割を前提として各々の記事名について合意を形成していく方が、不毛な議論を長引かせるより建設的ではないでしょうか。
どちらかの記事の内容があまりに希薄になってしまい、記事の再統合や一方の消滅となる可能性もあるとは思いますが、多くの人にとって有意義な記事は自然に内容が充実し、そうでない記事は消えていくというのは、まさにウィキペディア的なことですので、可能性を論じるより実際にやってみて結果を尊重するという姿勢が良いのではないでしょうか。--122.29.251.114 2010年4月1日 (木) 18:17 (UTC)
連続になってしまいますが具体的な分割案がなければ、議論が空疎な抽象論に陥ってしまうと思いますので、叩き台としてもう少し具体的な私案を書いてみます。
1.電力・電信設備としての記事
主に電気・電力・電信・土木・建築・セラミック分野について記載。
2.電力・電信設備以外の観点からの記事
鑑賞物・レトロなインテリアとしての記事。
俳句・短歌・小説など文学の立場から(風景の一部として)の記事。
(セラミックでない)陶業・ガラス・木材業界から見た記事。
このような分割でどうでしょうか。そして、1・2を比較すると明らかに現在の記事は1の説明だけが多くバランスを失していると言えますので、ウィキペデキアの記事の分割の要件に該当します。
また、「ヒト・人」と「がいし・碍子」の違いについて述べ、分割に反対している方がいるようですが、(違う処を見つけ出そうとすれば、違う処があるのは当然のこと)記事の分割ガイドラインとは全く無関係で、主張に論理性がありません。
一方の記事のスタブ化の懸念ですが、がいしは電気電力関係だけの用語ではないと、これだけ力説している方々がいらっしゃるのですから、その他の分野の記事のスタブ化は杞憂であると信じています。また、当用漢字に関する推測も記事分割議論と無関係です。--122.29.251.114 2010年4月1日 (木) 20:51 (UTC)
JIS C 3803 や『学術用語集』の意味での「がいし」であって碍子ではないもの、碍子だが JIS C 3803 や『学術用語集』の意味での「がいし」ではないもの、いずれの存在も示されておらず、これらは単一概念の異なる表記だと考えるべきでしょう。分割すべきほどの記述量があるのなら別ですが、そうでない以上、単一概念についての記事を複数の記事とすべきではないと思います。内容によって表記を書き分ける必要があるなら、の様なやりかたもあります。--Jms 2010年4月1日 (木) 22:45 (UTC)
例え不毛な議論が繰り返されようとも、表記のゆれの議論を解決する方便として記事を分割することには反対です。なぜならば、それによってそれぞれが異なる概念であるかのような誤った認識を読者に与える可能性が生じるからです。ここはあくまでもリダイレクトで対処するべきです。また、異なる表記のそれぞれが指すものが共に独立して解説できるほど別の物であれば、記事分割の上曖昧さ回避とする可能性も考慮されて良いかとは思いますが、おおむね同一の概念で、相違点が限定的・局所的に過ぎぬものであれば、一つの記事に包括する方が、百科事典としては望ましい姿であると思います。--Nazox 2010年4月2日 (金) 14:54 (UTC)

いったん「碍子」に戻して改めて改名提案をしてもらうってのはどうだろう・その2 編集

既にNekosuki600さんによってほぼ同じ提案がなされていますが、半ば強引に「解決済み」とされてしまいましたので、敢えて蒸し返します。これだけ議論を重ねても意見の一致が見られずに紛糾し続けることから、「Qurrenさんによる議論を経ない改名編集は、拙速にして不適切であった」という理由で、この編集を無効として、2007年9月16日以前の表記に差し戻す事を提案します。つまり、ひらかな表記を主張するにしろ、あるいはこれまでの議論で提案された漢字・ひらかな併記を主張するにしろ、新たに改名提案を出していただく事になります。 Nekosuki600さんの先のご提案は、私には概ね合理的に思えましたが、Qurrenさんの手による差し戻しを前提とされたこと、相手を茶化すような態度(「ふっ」というような)をとらずにもっと真摯に説得していただけていれば良かったのになあということの、二つの点が残念に思います(お気持ちは理解できるのですが)。--Nazox 2010年3月27日 (土) 06:35 (UTC)

  コメント 現時点での再改名には反対します。
  1. 「がいし」がいいとおもっているひとは、「がいし」が正しいからそうしようと考えるのではないとおもうのね (わたしもそうだが)。自分で判断すべきではないから外部の資料にしたがうし、そのことでほかの記事とのあいだで質の平準化が期待できる。だから、特定の記事に対してやった編集に対して「反省しろ」だの「やーいやーいもの知らず」だの (そこまでは言ってないか^^;) 言われても、当惑するだけです。
  2. 「漢字を使うことを考えないのは知的怠惰だ」といった主張に対しては、その言葉をそっくりお返ししたい。グーグルさんに聞けば次のような論考はすぐみつかるのに、それさえも探してもいないことがまるわかりだ。小川創生 (2008年3月30日). “「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか”. @檸檬の家. 2010年3月27日閲覧。またそういうひとは、電気学会は1880年代に結成されて以来科学技術用語の標準化をリードしたし、戦後の学術用語の標準化にも大きく関与している、という事実などどうでもいいのだろう。
    余談。上のウェブページでは資料の年代として1891年までさかのぼっていますが、わたしが記事に出典として挙げた1875年からの『電信頭報告書』でも、ひとつの文書のなかに「障碍」「障礙」「障害」が混在しており、使い分けているようにも見えないです。「障碍」が戦後漢字政策によって「障害」に書きかえられただなんて、都市伝説ですね。
  3. 「読みやすくしたい」という意見があることは理解できます。であれば、ガイドラインの文言を切り取ってきて無定見に振り回すような議論のしかたは、やめてほしい (この意見のひとみんながそうだとは、もちろんおもわないけど)。ガイドラインは法律でも、ルールでもない。「いままでのみんなの経験から見て、こうするといいみたいだよ」という知恵を集めたものでしかない。それなのにあんな議論のしかたをしたら、混迷するにきまっている。
3者に対するわたしの見かた。
  1. のひとは、いま、あまり言い足すことはないとおもうんです。立場がちがっても主張をくみ取ったうえでの反論になら答えるでしょうけど、説明しようとすると攻撃されるのなら議論をやめるでしょう。
  2. の意見は、もういらないです。
  3. のひとは、観念的にではなく記事の内容に即して意見を言うべきじゃないかとおもう。記事本文がよくなることが大事なんでしょう?
意見。記事の加筆も進んでますし、改名が緊急を要するものともおもえませんし、議論を再開するにしても、しばらく時間をおいたほうがいいんじゃないかな (2年とか(笑)まあそこまでいかなくても、数箇月)。
一番いやな展開は、ノートの議論が記事に伝染して、「『がいし』と『碍子』の表記のどっちを多くするか」といった陣取り合戦 --- 編集合戦になることです。それだけは避けたい。 --Hatukanezumi 2010年3月27日 (土) 13:44 (UTC) 「障碍」と「障害」が逆だった(^^;) --Hatukanezumi 2010年3月27日 (土) 13:51 (UTC)
  コメント 再改名は提案しておりません。あくまでも差し戻しの提案です。
ここまで紛糾し続ける以上、先の合意を得ない改名が(表記ガイドに従っていたとは言え)不適切な編集であったことを、もういいかげん認めるべきです。そして、この議論の最も中立的な落としどころは、不適切な編集を現状維持するのではなく、元の状態から改めて改名提案をして合意を得ることだと考えます。その上で、ひらがな表記が適切であるとコミュニティの合意が得られれば、現状と同じ状態になるのです。繰り返しますが、再改名ではなく、差し戻しなのです。そしてこれは、コミュニティの合意を得るための手段なのです。この理屈がご理解いただけませんか。--Nazox 2010年3月27日 (土) 23:47 (UTC)
  コメント 紛糾はしてないとおもうよ。gdgdにはなってるがね。
議論をうまくすすめられていないのは、議論に参加しているひとみんなの責任でしょ。記事名のせいじゃないです。まして、現在の記事名にした行動に原因があるなんていうのはおかしい。
仮に「現在の記事名が『碍子』で、それを『がいし』に再改名しよう」という意見だったとしてみてください。議論が現在のような状況なら、「2年前に『碍子』にしたのが不適切だったから『がいし』に戻そう」なんていう提案に乗れますか。
とにかく、なにか提案するにしても、しばらく時間をおいたほうがいいんじゃないかな。 --Hatukanezumi 2010年3月28日 (日) 00:55 (UTC)
  コメント以前の改名が不適切なやり方であったことはすでに確認しています。しかし、同時にその後今回まで異議が出されていなかったことも確認しています。それは、改名がコミュニティにより追認されたとみなせるのです。したがって差し戻しの必要性はありません。--みや1229 2010年3月28日 (日) 03:46 (UTC)
  コメント差し戻したところで、解決になるでしょうか。もう一度似たような議論を繰り返すことになります。無駄です。--КОЛЯ 会話 2010年3月28日 (日) 05:19 (UTC)
  反対 みや1229氏の言う通り、記事名ががいしである正当性があることは二年間の放置という形で事実上の追認がされていると思います。なので「記事名をがいしに改名したやり方が不適切であった」ことに基づいて「記事名ががいしである正当性が無い」ことを示すのは無理があると考えます。議論が紛糾しているのは単に「記事名ががいしである正当性がある」ことと「記事名が碍子である正当性が無い」こととの区別がついていない人が議論を混乱させているだけであり、係る人が「記事名が碍子であることにも正当性がある」ことを認めた上で「記事名ががいしであることの正当性」を主張する議論を続けてくれればもう少しマシな状態になるはずです。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月29日 (月) 06:58 (UTC)
  コメント やっぱり互いに納得した上で決めるのが筋なのではないでしょうか。--Ray go 2010年3月29日 (月) 12:26 (UTC)
賛成
いやまあ第一次提案者としてとりあえず賛成しておきます。なんていうか、もうここまでこじれたら両者が納得する結論なんてあり得ないのじゃないでしょうか。とことん話をそらしてでも収束させまいとする人すら出てきているのだし。
理由はいろいろ考えられます。「多数決の結果としてとりあえず戻す」でも「差し戻して改めて改名提案を出してもらう」でも、どちらでもいいです。前者(多数決の結果)なら、「あくまでがいし派」の人でも「多数派に押し切られたにすぎない」と思って不条理を我慢することができるのじゃないだろうかみたいに思ったりします。--Nekosuki600 2010年3月29日 (月) 15:49 (UTC)

水入りできた気はしますが… 編集

成り行きで議論を見守るような状態になっていたのですが、議論が止まった感なのでちょっと間に入ってお聞きします。皆様議論を再開されますか?一時は加熱による個人批判の応酬となった状況も今は落ち着いたのではないかと考えています。ただ、中には先鋭化しすぎた動きもありましたので、再開するにあたり各々「論点は一回整理」「今の論点では平行線なので他の論点をみんなで探してみる」「調停者入れてみよう」「今回だけは外して欲しい利用者がいる」とか色々お考えがあると思います。再開するかどうかレベルでまた衝突が起きたらさすがに悲しすぎますので、皆様が迷惑と感じない範囲で進行協力させていただければ幸いです。--Springtide 2010年4月8日 (木) 13:08 (UTC)

議論再開を望みます。とは言え、此処まで混迷した状態でそのまま再開するわけにもいきませんので、とりあえず現状に関するまとめに挑戦してみます。まとめ方が偏っている可能性は多分にありますが、何も無いままではナンだと思い、叩き台にでもなればと。
2007年9月16日 (日) 00:22 (UTC) Qurren氏が提案無く独断で碍子からがいしへ改名。
その二年以上後の 2009年11月30日 (月) 11:59 (UTC) に碍子への改名提案され、以後
がいし(改名反対)
  • 専門用語学術用語として、ガイドラインに従い該分野の習慣に習うべき
  • 常用漢字表に従うべき
  • がいしと表記するのがごく一般的
  • 教科書的な文献に合わせておいてほしい
碍子(改名賛成)
  • がいしだと紛らわしい/違和感を覚える
  • 碍子の方が曖昧さが無く読み易い
  • 常用漢字表を墨守する必要は無い
  • もともと漢字なのだから漢字であるべき
  • そもそも碍子は専門用語学術用語なのか?
という各々の主張から使用例の多寡を論じての終結が試みられるが、論文等の学術分野に限ってさえ、いづれも支配的ではないことから終結には至らず。やがて#対象によって使い分ける提案以後、碍子が専門用語/学術用語であるか否かの議論となる。
学術用語
学術用語集に載っている語は全て学術用語
一般用語
学術用語としての意味を持たないので排他的に一般用語
この議論に於いて、排他的に一般用語と強硬に主張する世界最狂の魔法使いCray-Gが出した争点に対し「学術用語の定義」を争点とされ議論が迷走したことから、「学術用語としての意味を持たないので排他的に一般用語であり、百歩譲って学術用語だとしても、原則を適用せずに一般用語扱いするべき例外的な学術用語である」と態度を軟化。
以後、#椅子と碍子との事情の違いに於いて例外性の検証が行われるかと思いきや、文献探し合戦とも言うべき出典探しの様相を呈する。係る出典探しにより記事への加筆が促進された。しかし出典を読まない/記事への加筆が無い議論参加者を批難する声が出る他、
  • そもそも改名提案も無しに強引に改名したのが問題なので、とりあえず「碍子」に戻して「碍子→がいし」の改名提案からやり直すべき
  • がいしは碍子の読みではない
  • 外部の信頼できる資料が用字の基準や具体的な表記を示しているのであれば、基本的にはそれに従っておけばよい(実質的な議論の巻き戻し)
  • 記事をがいしと碍子に分割してはどうか
と混迷を極め、果ては互いに投稿ブロック依頼や利用者コメント依頼をするに至り、両依頼の対象となった両者が発言を控えたことで「議論が止まった感」となっている。
上記まとめは、多分に私こと世界最狂の魔法使いCray-Gの視点に偏っています。他の方(議論参加者に限らず)からの修正すべき点の忌憚無き指摘を戴きたくお願い申し上げます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年4月11日 (日) 18:01 (UTC)
  コメント1か月以上反応がないのは改名のニーズがないからだと思います。学術用語集したがっており常用漢字表にも逆らわず、(リダイレクトで)実用的に問題がないのであれば変える理由はないということ。逆にいえば執筆者にはこのような用語標準に逆らわずに問題のない文章を書く努力が必要だと思います。--みや1229 2010年5月21日 (金) 15:14 (UTC)
再開希望が一名あるのだから Springtide さんからいずれ動きがあるだろうと思いつつ、その前にこれまでの議論にかかわっていた人がまとめを出したり意見を述べたりしてしまうと折角のお申し出をスポイルしてしまうことになりはしないかと困惑しつつ静観しております。まずはこれまでの議論にかかわっていない方のまとめを待つべきだと思います。たとえそのまとめが「反応なく議論継続不要」だったとしても。--Jms 2010年5月22日 (土) 00:07 (UTC)
賛否表明を無下にするわけにもいかないと思いますので、現時点で結論を急ぐなら改名すべきでしょう。多数決が常に正しいというわけではありませんが、少なくとも議論によって賛否を覆せなかったという点は認めざるを得ないのではないでしょうか。--Ray go 2010年5月22日 (土) 11:40 (UTC)
無下にすべきでない賛否表明とは、ここでいう#意向調査 (1) 2010年2月7日時点の賛否一覧のことでしょうか。数の力をもって改名提案を押し通したいとの意向が見え見えです。到底賛同できるものではありません。--Qurren 2010年5月23日 (日) 01:39 (UTC) (追記)少々言い過ぎました。合意形成叶わず現状維持という結論でもよいのではないか、という話です。--Qurren 2010年5月23日 (日) 09:22 (UTC)
ちょっと一点だけ気になりましたのでコメント入れます。少なくともQurrenさんに関しては今回の議論から撤退されることを薦めます。理由は単純で「今回の問題の起点」となっているからです。議論そのものについては…完全に停滞してしまっていましたが、改名賛成・反対それぞれの立場から意見が出だしましたので進めたいところですが、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」としての観点はどうなのでしょうか。「がいしという表記だと他の意味が生じる」など曖昧模糊とするのでしょうか?もしそうであれば記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください。を適用して改名すべきでしょうし、そうでなければ改名の必要に至らないかと思います。--Springtide 2010年5月25日 (火) 03:00 (UTC)
逆に、Qurren氏こそ積極的に議論に参加する義務だか責任だかがあるのではないかと思うのですが。議論から撤退したのでは、やはり「無責任に」独断で改名を強行した(=単なるヤり逃げ)という誹りを免れ得ないように思えます。
議論から撤退するならするで「独断で改名を強行」したことへの何らかの責任を果たすべきだと考えます。そして私は、その「何らかの責任」を果たしてもらう方向性はwikipediaにとって前向きな方向性ではないと考えていて、既に反対意見を二回表明(一回目二回目)しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年5月27日 (木) 01:19 (UTC)
Jmsさんのコメントに追随して、わたしからこの件について当ノートで意見表明しないことを表明します (記事編集はするかもしれません)。理由はUser talk:Hatukanezumi#コメント依頼のお知らせでも読んでください。ていうかこれ記事の内容に関係ないだろ……というコメントは控えようね、自分。 --Hatukanezumi 2010年5月25日 (火) 15:48 (UTC)
  • papamaruchan22ともうします。金融界から自動車関連企業に出向した者です。企業では、「がいし」と「碍子」どちらも気にせず使用しているのが現状です。ただ、電力業界の方々が使用している公式表記が平仮名表記であるのなら正式文書ではそれを使うのが本来の姿であると思います。とまれ、ここウィキペディアではどうかといえば、ウィキペディアの一般的な指針の「 正式な名称を使うこと」には 「記事名は基本的には日本語での正式名称を使用します。」とありますよね。それでここまで膠着状態になっていることに鑑み、基本方針の原点に立ち返り、IP122.29.251.114様のコメントのように電力業界の正式名が「がいし」であることでもあり、それで賛否両陣営の皆さまとの間で現状の「がいし」で水入り(一時土俵を下りて休む)できないものだろうかとご提案する次第です。また「水入り」ということは「現状保存」のままということでもありますしね。papamaruchan22 2010年5月28日 (金) 14:29 (UTC)
電力業界だか何だかの特定少数の業界に於いてはがいしが公式表記である点には同意しますし、また正式名称を記事名とすることが基本的な方針であることにも同意します。ですが問題は、該特定少数業界という非中立的な観点に従うことがwikipediaの五大原則五本の柱の一つ中立的な観点(NPOV)に沿っているのか、ということだと思うのですが。碍子という表記は当て字等ではなく歴史的正統性があること、そして該特定少数業界以外に於いては碍子がいしいづれも特に支配的ではないことを鑑みれば、少なくともこうして意見表明された該特定少数業界以外の観点があるにも関わらずそれを無視して該特定少数業界の公式表記を(記事名とするべき)正式名称として扱うことは、NPOV違反になる可能性を孕んでいると思うわけです。
確かに、該特定少数業界の公式表記を(記事名とするべき)正式名称として扱うことが適切なのかも知れません。ですが、それが適切だと主張する側は今まで、単に聞く耳を持たず論争に勝利しようとするばかりで、中立的な観点を構築するべき合意形成が出来ない状態にあります。なので該特定少数業界以外の観点に立っている我々(少なくとも私)は、該特定少数業界の公式表記を(記事名とするべき)正式名称として扱うことが適切であると考える根拠を得られていません。
現状況のままの水入り(一時土俵を降りて休む)は、中立的な観点を構築するべく対話を試みられたら聞く耳を持たず不毛な議論を繰り返し紛糾させてコミュニティーを消耗させることで観点の偏った記述を認めさせる手法を確立させる(=悪しき前例を増やす)ことに繋がるのではないかと危惧します。これまでの議論をサブページ化するなどし、きちんと両者合意の出来る現状のまとめを作成して改めて改名提案が為されていることを明記し、(チャットの如き勢いで返信して遅いと煽るのではなく)ゆっくりとでも議論が進むようにしたいと考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月8日 (火) 03:48 (UTC)
  • Cray-Gさんの上記のまとめは非凡であるし敬意を表しますが、あのねぇ電力という基幹産業を{特定少数業界}とする認識で非中立的観点だと最初からから断ずると論点がずてしまうのかと思います。「該特定少数業界以外」とは何を指しているのかよくわからないし、どの業界の見方なのかなぁと私なんかは素朴に思う訳です。とにかく、長々と続くこと自体もコミュニティーを消耗させることなんですよね。最近の新聞報道でも「碍」の採用は棚上げに成ったようです。そんなこともありまして賛否両陣営の皆さまとの間で現状の「がいし」で水入りというか(一時土俵を下りて休む)「現状保存」のまま解決できないものだろうか提案したんですがね。それぞれが聴く耳を持たないとか自分の方が中立的だとかいいあって「賛否がっぷり四つの膠着」よりもこのままのほうが消耗しないのではないかと思ったのだけなんですがね。どうしても決着しなければ、というのなら是非もないことですがね、、。papamaruchan22 2010年6月8日 (火) 14:59 (UTC)
電力という基幹産業を{特定少数業界}とする認識で非中立的観点だと最初からから断ずる
私の観点からは「そうである」ということです。また「私の観点」が偏った『非中立的観点』だと認識しているからこそ、議論を欲しているわけです。wikipediaでは非中立的な観点のウィキペディアンを排斥するのではなく、非中立的な観点のウィキペディアン同士が対話により合意を形成することで、中立的な観点で記述された素晴らしい百科事典となることを目指している(=中立的な観点を持つ絶対者は存在しないと仮定されている)わけですから、互いに『非中立的観点』であることは当然の大前提だと思っているのですが。つまり、『電力という基幹産業の業界であろうとも、関連こそすれ所属者の少ない一業界でしかないので特定少数業界』とする観点と『電力は基幹産業の業界なので圧倒的大多数が関連する支配業界であり特定少数業界とは言えない』とする観点という、互いに非中立的な観点だということです。
論点がずてしまうのかと思います
私の解釈は逆ですね。先ずは観点の相違を認識し、互いの観点への相互理解が必要だと考えます。自己の観点に固執するあまり、相手の観点への配慮を無視した論理展開を行なおうとすることが『論点がずれ』たように感じられる原因ではないかと。
どの業界の見方なのかなぁと
全個人が何処かの業界に所属しないとならないわけでもないでしょう。明確な応えが欲しいということであれば応えるにもやぶさかではありませんが、争点と関わるとも思えないので無駄に長くなるだけだと考え、今回は割愛します。明確な応えが欲しいということであればその旨明記して下さい。
長々と続くこと自体もコミュニティーを消耗させることなんですよね
私の言い方が悪かったのか、「水入り」に対する観点が異なるのかわかりませんが、コミュニティーの消耗を避ける「水入り」の提案のつもりだったのですが私の意図とは異なった解釈をされているように思えます。
少なくとも私はこれまで「結論が出るまでは記事名をどうこうすることに反対」を主張しています。そして『賛否がっぷり四つの膠着』である「このまま」よりは両陣営で納得の行く纏めを作って「水を入れて仕切り直す」ことを提案したつもりです。
単なる誤解ならいいのですが、もしも前記私の案に反対なされているようでしたら、争点は『纏めを作ることで議論の継続の余地を残すこと』の賛否なのではないかと考えます。善意にとって穿った見方をすれば『これまでの議論参加者(の中の少なくとも何名か)は迷惑だからもう参加させないようにしたい』という意味なのかも知れません。その場合は、纏めるにあたって特にそれを明記するという提案は如何でしょう。該特記されているユーザーは本件改名提案の議論に於いて、特定の手順に従った形――例えば、他の議論参加者から会話ページにて明示的に要求された時に限り且つ会話ページにて応答し要求者がそれをこのページに『引用』する等――でしか参加しないように合意を得るとか。
とにあれ、本件改名提案を「無かったことにする」ような形での『水入り』に反対したつもりです。ついでに、この長い々々議論をこのまま此処に残しておくこともまた、好ましいことだとは思っていません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月9日 (水) 08:06 (UTC)
  • <コメント>そうですねぇ、外から覘いていて今ここで発言していろいろすみません。今までのCray-G様はじめ皆さまの御苦労に感謝してます。さて、それにしても電力業界が特定少数業界との認識で、且つ特定の人の中の少なくとも何名かは迷惑だからもう参加させないようにしたいとか、その人を明記するという解決策は現実にどうなんだろうかと私にはよく理解できませんでした。ともあれ、本件改名提案を「無かったことにする」ような形での『水入り』に反対なさっているのはわかります、このままでも記録はのこります、だけどこれだけ混沌としてしまった議論を纏めるにあたっては、真に中立な行司役が必要だと思いますね。また多大な時間とエネルギーがいるし、かと言ってそれだけのエネルギーは少なくとも私は持ち合わせない。このまま水入りが一番楽かなぁ、どうしても白黒付けるのなら是非もないことです。で、Cray-G様に期待して注文をつけたりしました。これにて私は失礼します。papamaruchan22 2010年6月11日 (金) 00:28 (UTC)
期待して注文をつけたりしました
何を期待されていたのか理解出来ませんでした。理解力が無くて申し訳無い。
真に中立な行司役が必要
もしもジミー・ウェールズウィキメディア財団が委任する誰かのような権限者以外に)そんな絶対者が居るのであれば、私もそう願いたいものです。前にも書きましたが、私はそんな絶対者は居ないと考えていますし、居ないという仮定のもとでwikipediaが運用されているのだと考えています。無いものねだりをするのではなく、無いなら無いなりに努力するべきなのではないかと考えています。
このまま水入りが一番楽かなぁ
諦めるのが一番楽ではありますね。義務とか責任とか全て放り投げるのは、恒に魅力的な選択肢です。
どうしても白黒付けるのなら
何でしょう。私が「どうしても白黒付け」たがっているように印象付けようとしているように感じるのは、私の僻みかでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月13日 (日) 03:46 (UTC)
※僻みじゃないでしょう。深く考えすぎでしょぅ。さて、papamaruchan22です。これにて失礼といってからまたででくるのは間が抜けてますがCray-Gさんが議論再開を望んで、此処まで混迷した状態でそのまま再開するわけにもいかないのでとりあえず現状に関するまとめに挑戦したんでしょう?。まとめ方が偏っている可能性は多分にありますとの仰せです。これはあなた様の言葉です。私はそれに対して偏っているのではないか、つまり電力業界は基幹産業だよ少数業界じゃないですよと素朴に思ってることを述べただけなんだけどね。それからこれも感じていることなんですけれど、ほかの人の発言をいちいち細かく区切って反論を入れておられるのはご注意レベルを超えるかなり重大なエチケット違反のような気がします、ただ、どの部分の指摘なのか明確になって読みやすい側面はありますがね。真の行司役といったので誤解があるかもしれませんが、世界最狂の魔法使いCray-G さんがまとめるお立場に自ら名乗りを上げておられるので、そうであるからには、出来ればいままでのスタンスを抜きにして、ニュートラルな立場のほうがまとまりやすいと思い種々コメントしました。私はここらで水入りにしたらいいと思いますがね。議論の再開を望むことは決着をつける迄続くということなんだよね。だからどうしても白黒つけたいのなら是非もない=仕方ないね、と申しあげました。papamaruchan22 2010年6月14日 (月) 10:54 (UTC)
ほかの人の発言をいちいち細かく区切って反論を~~重大なエチケット違反のような
前後関係を把握し易くする為の表現措置であって、前後関係を都合良く無視した「言葉面だけの反論」(≒揚げ足取り)をしているわけではないので、その「エチケット違反」とは全く異なります。
これはあなた様の言葉です。私はそれに対して~~
えーと、何か勘違いされているようですが、私は『まとめるお立場に自ら名乗りを上げて』いる(=「俺様が纏めてやるぜ」)のではなく、『皆で協力して纏めを作るにあたっての叩き台』を作っただけ(=「大体こんな感じだと思ってるんだけど、どうよ?」)のつもりです。今までの経験上、「纏めに挑戦してみた」と表現するのが最も和やかに応答(=訂正提案)が得られたのでそのように表現しただけで。
ニュートラルな立場のほうがまとまりやすいと思い
多分誰もがそう思うと思いますし、私もそう思っています。で、アテも無くその『ニュートラルな立場』の誰かが現れるのを涎を垂らして待っているよりは、「先ず隗より始めよ」の精神に基づいて(ニュートラルではない立場の私が)纏め(の叩き台)を作ってみたわけです。対話により(=他の人があーだこーだイチャモンを付けることで)両陣営で合意の取れた纏めになることを期待していました。
さて、私はWikipedia:善意にとるに従っているので、papamaruchan22氏の言いたいことが全般的にイマヒトツ飲み込めません。papamaruchan22氏は下記のいづれに近い主旨なのでしょうか。故意的に誤解したり言質を取ったり揚げ足を取るのが目的ではないので「誤解を恐れながらもあえて応える」ので構いませんし、また無理に応えなくても構いません。私は単に相互理解をしたいだけであり、papamaruchan22氏と「言葉面だけの議論」のような不毛な労力を払いたくないだけなのです。
「議論を読んでみて纏めた内容は不適切と判断した。だが、だからと言って不適切な点を指摘して応答したり、増してや自分が纏め直したりする(対案を出す)気は全く無い。なので諦めて、黙って涎を垂らしてろ!」
これは「俺はやる気は無い、だからお前もやる気を出すな」ということですね。実際、そう言う人が多々居ることを知っています。
「こんな長ったらしい下らない議論全部を読む気は無いし、纏めが適切か否かとか考える気も無い。だがこういった場合には中立的な立場の誰かが介入しないと纏まらないものと相場が決まってるんだ。無駄なことをせずに、黙って涎を垂らしてろ!」
これは「他力本願 (誤用)」ですね。差別主義は有用な主義ですが、努力を否定する姿勢はいただけないと考えています。
「こんな長ったらしい下らない議論全部を読む気は無いし、纏めが適切か否かとか考える気も無い。とにかく現状を維持して議論を停止し、改名提案を却下しろ!」
念の為に入れておきましたが、これをどう「善意」にとれるのか私には思い付きません。逆に、もしも「記事名を碍子にした上で」と言われれば私は「立場上(記事名は碍子が適切と主張している立場上)議論を続けられなくなってしまう」わけですが、そうだとしてもやはり「どう善意にとれるのか」私にはわかりません。
一応、最後のは「念の為」なので、前二者のいづれかだと思います。また此処まで、これまでの議論参加者からの纏めに対する意見表明が全く無い現状もまた同様なのだろうと推測しています。黙ってろとまでは言わないが、という差はあるにせよ。
これまでの議論参加者が誰も纏めることに興味が無い(=意見表明する気が無い≒同意も訂正要求も異見も何も無い)ようなので、「無かったことにする」ような形での水入りも止む無しなのでしょうかね。私独りでWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに反する気は無いですし、増してやSpringtide氏を悲しませたいわけでもないですから。
只それでも、この長ったらしい議論は《隠す》なりサブページ化するなりするべきだと考えます。ノートページがノートページとして機能しなくなりますから。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月15日 (火) 07:19 (UTC)
  • あのね、善意もなにもほかの人の発言をいちいち細かく区切って反論すること自体がそれこそ言葉だけの議論になりやすいんだけとなぁ。で、「黙って涎を垂らしてろ!とか。改名提案を却下しろ!」云々少々きつい言葉で例示いただいてますが喩えにしても、これまでの議論参加者からの纏めに対する意見表明がますます出にくくなると存じます。ここまで来てしまうともはや改名のニーズがないのではないのかなぁと考えております。常用漢字表との整合性にもあえて抵触しないし、もし私がここで記事を加筆する上でもこのままで一向に不都合がないですのでね。追伸。事後のサブページ化は必要かとは思いますけれど。papamaruchan22 2010年6月15日 (火) 10:44 (UTC)
長らくこのやり方を使っていますが、言葉だけの議論になったことはほとんど無いですね。相手が言葉だけの議論を求めている場合はともかく。
改名のニーズに関しては、そもそもニーズ(=要望)と考える方が御菓子いのではないでしょうか。誰かの要望に沿って書かれる百科事典ではないわけですから。現記事名がwikipediaにふさわしいか否かに疑問が提示(=改名提案)され、その疑問の答えを出すべく議論が行なわれ紛糾し現状に至っているのであって。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月16日 (水) 05:35 (UTC)
「これまでの議論参加者が誰も纏めることに興味が無い(=意見表明する気が無い≒同意も訂正要求も異見も何も無い)ようなので」と判断されるのは心外です。意見表明が適切であると考えるかどうかと、興味の有無は別です。わたくしがどういう立場で何を述べているのか、経緯の色眼鏡でそれすら適切に判断されていない恐れがあるので、ゆきがかりに無縁な方に期待しています。それがうまくゆかないなら、議論に参加した人達で互選という手もあるでしょう。--Jms 2010年6月15日 (火) 10:11 (UTC)
意見表明が適切であると考えるかどうかと、興味の有無は別
言われて見れば確かに。なるほど、対話により両陣営で合意の取れた纏めを作るのは最終手段だ的な考えですか。前の投稿を見て、Springtide氏に全面委任を希望しているのかと誤解していました。
ただ私見なのですが、Springtide氏にはそれほど積極的に介入する(≒調停する)気は無いのではないかと考えます。話し合いがこじれたり御菓子くなったりしそうになったら冷静になるよう促す程度には介入するが、飽くまで議論参加者同士で話し合う問題である、と認識しているのではないかと。
もしもSpringtide氏の積極的な介入を求めるのであれば、「調停者入れてみよう」という意見表明(と他者の同意)が必要なのではないかと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月16日 (水) 05:35 (UTC)
「対話により両陣営で合意の取れた纏めを作るのは最終手段だ的な考えですか」というのがどこから導かれるのかわかりませんが、どちらかの立場であることを明確にしている方が議論を導くのは難しい状況でしょう、互選で調停役を選べるなら別ですが。Springtide さんの投稿がしばらくないのは、単に時間がとれないだけかもしれません。そうした事情を考慮せずに結論を出そうとするのは、どちらの立場にせよこの件に関して強い興味を持っているわけで、逆の言い方をすればその人にはより中立でない可能性があるということです。極端な話、「がいし」でも「碍子」でもどちらでもよい、と思っている位の人の方が中立性という点では望ましいかもしれません。そういう意味で議論に関わっていない人の方が望ましいと述べました。わたくしは「いずれも決め手を欠くので落としどころを探そう」という立場なのですが、落としどころとして記事名と冒頭文だけ「碍子」という提案をしてしまったので、表面的に「碍子」推進の立場だと解釈なさっている方がいらっしゃるだろうと考えています。記事名と冒頭文だけ「碍子」ではいけない致命的理由があるか、という問いに対する回答をいただけていないので、わたくしにとってはそこで話は止まっています。おそらく回答はないのでしょうから、それ以上の議論進行は難しいと考えています。しかし、しがらみのない方が参入することで解決の道は見えるかもしれません。--Jms 2010年6月16日 (水) 18:26 (UTC)
~~というのがどこから導かれるのかわかりませんが
あぁ、「対話により」と言うのはつまり「調停役無しに」という意味です。私は調停役を買って出ているわけではありませんので。
極端な話、「がいし」でも「碍子」でもどちらでも~~
Jms氏も私と同様の、Hatukanezumi氏の言に於ける『勝ち馬に乗ろうとする』立場なわけですね。逆に「自分の意見を絶対視」している人とは議論にならないので、Jms氏の立場は適正だと思います。
しかし、しがらみのない方が参入することで
今回の水入りとしては、下記のいづれかになると思います。
  1. このまま議論継続(=とりあえず水は入った)
  2. 此処までの議論をサブページ化して纏めと入れ替え、改めて議論を開始する(=議論のみに水を入れる=改名提案は継続)
  3. 此処までの議論をサブページ化して纏めと入れ替え、議論を停止する(=改名提案に水を入れる=改名提案を却下して過去の議論として遺すのみ)
  4. 此処までの議論をサブページ化するのみ(=長くなったからサブページへ追放し、継続したい香具師はそこで勝手に騒いでてもらう)
私は2が適切だと考えていて、その為に纏めを作るべきだと考えています。そしてそれは「しがらみの無い調停役」が参入しなくても可能だと考えています。
ついでに言うと、より以上に良い解決の道があるのならそれは唯一「碍子がいしいづれが適切か決着し合意が得られること」であり、それを得るには議論を継続するより他に無いと考えています。なので、継続される議論に「しがらみの無い調停役」が参入する意欲を得易い2が最善の選択肢と考えています。なにしろ、「しがらみの無い人」にとってはそれこそ、此処までこじれている中に入っていく「しがらみ(=義理)」は無いわけですからね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月17日 (木) 03:21 (UTC)

(インデント戻し) 『勝ち馬に乗ろうとする』立場、などと言われるのはまたまた心外です、勝敗で考えていないので。大事なのは、どのやりかたがより伝わる情報が多く、より読みやすいかということだと考えています。その基準をして勝敗を論ずることは可能でしょうが、そうした捉え方、表現がプラスになるとは思いません。挙げられたオプションのどれを選ぶかは、形式論と後の見通しの問題でしょう。まとめを作成するのは容易ではないと思います、まとめる人のバイアスを本人もまわりも適切に評価できるとは限りません。逆に、まとめができた時点で、議論の結論は見えると思います。まとめられたにもかかわらず結論で紛糾するなら、それは「いつまでも納得しない」というやつでしょう。--Jms 2010年6月17日 (木) 11:27 (UTC)

『勝ち馬に乗ろうとする』立場、などと言われるのはまたまた心外です
私も心外でした。ですが、勝敗で考えている人(=勝利にこだわっている人)にはそう思えるようです。
逆に、まとめができた時点で、議論の結論は見える
そうでしょうか。だとすれば私が挑戦したまとめは「まとめになっていない」か、或いはそれによって「議論の結論が見える」かのいづれかだと考えられますね。そして「議論の結論が見える」ようにまとめたつもりは無いので、「まとめになっていない」と判断されているのでしょう。
私は、「結論」とは独立した「まとめ」が可能だと考えています。もしもそれが私だけのユニークな考えならば、多くの方が「まとめを作ること=結論を出すこと」と考えているのでしょうから、私の提案する「議論継続の為にまとめを作る」という行為は無意味だと判断するのも仕方がありませんね。また現時点でその「結論を出す」ことが「絶対的中立者による裁定を仰ぐ」以外には見込みが無いと判断するのも無理からぬことです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月21日 (月) 03:57 (UTC)
経緯をある観点からまとめたもの、ではあるとは思いますが、バイアスなく論点をまとめたものかと言われると、判断が難しいところでしょう。論点をまとめることと結論は一般には異なりますが、今回の件については、論点をまとめられた時点、つまり、議論に参加した人たちがそれぞれの思い入れを客体化できた時点で結論が見えると思っています (というのにはもちろんわたくしなりのバイアスがかかっているわけです)。結論が見える、ということと、結論を出すということは違いますし、論点をまとめることで議論の継続が容易になる場合ももちろんあります。--Jms 2010年6月21日 (月) 08:48 (UTC)
バイアスなく論点をまとめたものかと言われると、判断が難しいところでしょう
はい、私も同感です。なので他の観点の方との対話により「互いに自己の観点から見て問題の無い」まとめに出来れば、と思っていました。
それぞれの思い入れを客体化できた時点で結論が見える
各論のいづれかが一方的に問題がある(≒誤っている、不条理である)場合には、論点が整理されることで結論が見えてくると思いますが、本件に関してはそうではないと私は考えています。それは各論それぞれに正当性のある(そして相反しない)理由があるからです。両方共に正当性があるので、一方の正当性を主張するのみでは意味が無い(←同じ議論の繰り返しでしかない)し、かと言って他方の正当性を否定することも出来ない(←やろうとすれば強引な印象操作や詭弁にならざるを得ない)状況になっています。
その状況の中で、いづれを選択することがwikipediaの理念に沿っていてwikipediaの未来の為になることなのか、という議論を行なうべきなわけですが、現状ではその議論以前の状態(自己の正当性を主張し他方の正当性を否定する状態)で紛糾してしまっています。
なので、現状でまとめを行なってもまだ「結論が見えてくる」状態ではないと認識しています。せいぜい、各論者の主張の根拠(とそれへの反論)が列挙される程度でしょう。本件議論の争点は一つではないのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月21日 (月) 10:05 (UTC)
見えているもの、見てしまっているもの、といった違いだという気がしますが…最後の一文の様なお考えなら、まとめたところで結論は見えないでしょう。言い方をかえれば、記事がいしやウィキペディアへのかかわり方が、「自己の正当性を主張し他方の正当性を否定する状態」にあるということなのではないかと思います。誰か一人でもその状態にある間は、合意は難しいでしょう (どちらがどう、という意味ではなく、一般論として)。--Jms 2010年6月21日 (月) 10:22 (UTC)
誰か一人でもその状態にある間は、合意は難しいでしょう
そうなのですよね。争点が一つでいづれか一方に問題がある場合には争点に関する議論のみで問題が露見するので何とかなる話なのですが、本件ではそうではないので難しいと思います。また全員が「その状態」でなくなったとしてもなお、合意は難しい問題です。感情的な問題で紛糾しているのではなく観点の相違の問題なので「単にしがらみがない」だけの人では「絶対的中立者」になれない問題でもあるわけで。
だからこそ「議論参加者で協力して各々が合意出来るまとめ」を作ることで(ゆっくりでもいいから)議論が続く状態にすることを希望しているのです。中立的な観点の模索の為に。
観点の相違の問題だからこそ、改名反対派が「投票による数の暴力」を認めない<1>ように、改名賛成派も「勝手に改名をしてそれを既得権益とする」ことを認めない<1><2>わけです。まぁ、「投票による数の暴力」で勝てそうになったら「多数派の意見を認めるべき」とか言い始めるのかもわかりませんし、或いは既得権益を得たらその上に胡坐を掻き始めるのかも知れませんけれどね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月22日 (火) 03:00 (UTC)
あのねぇ正直のところIP122.29.251.114さんの言うとおり電力業界の「がいし」がのままにしておくのがいいとおもいます。議論が続く状態にしておきたいとMaddestmagicianさんが継続を望んでも他の皆さんがそれを望まないので参入しないのだからどうしようもないんだよね。なんかむなしくなってきませんかねぇ。前にも言いましたがね、この期に及んでは記事を書く側としてはどちらでもあまり差し障りはないような気がしてるんです。既得権益とかしがらみとか言っても記事を執筆する方にとっては迷惑な話としか受け取れないのですがね。どうしても続けたいというなら是非もないのですがpapamaruchan22 2010年6月22日 (火) 13:47 (UTC)

意見の整理を試みます。異論反論等あれば遠慮無く。

Springtide氏から「議論を再開するにあたり、議論参加者の迷惑とならない範囲で進行に協力したい」と申し出がありました。

  • 【議論再開】 各陣営の話し合いにより双方の視点から見て納得の行く《まとめ》を作ってから、改めて議論を再開するべき。--世界最狂の魔法使いCray-G
  • 【議論終了+提案却下】 改名の必要性が存在しないので現状維持。--みや1229
  • 【様子見】 先ずはSpringtide氏による《まとめ》を静かに待ち、各員は意見を控えるべき。話はその《まとめ》を見てから。--Jms
  • 【様子見】 但し、もしも【議論終了】なら、賛否表明に基づき改名が妥当。--Ray go
  • 【様子見】 但し、もしも【議論終了】なら、合意形成叶わず現状維持が妥当。--Qurren
  • 【棄権】 意見表明しないことを表明。--Hatukanezumi
  • 【議論終了+提案却下】 議論が膠着状態になったので現状維持。--papamaruchan22

ただ私見ながら、Springtide氏本人の弁に拠れば「議論を再開するか等、進行のみ差し出がましく立ち入らせていただきます」だそうですから、現状で「調停役として積極的に介入する意思は無い」ものと思われます。なのでこのまま【様子見】をしていても、Springtide氏が調停役として積極的に介入することの無いまま放置される可能性もありますので、調停役が必要と思う方はその旨を明言する必要があるのではないかと愚考します。 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年7月1日 (木) 03:45 (UTC)

本日、利用者:Hatukanezumi氏により、過去ログ化がなされましたが現状ではこの議論は終結していないため、差し戻しを行いました。終了するのであれば、きちんと提案等の合意を経て行うべきと考えます。終了していない案件の過去ログ化はおやめください。--Vigorous actionTalk/History2010年8月1日 (日) 02:27 (UTC)
門外漢ですが、自動車のプラグの説明とかじゃ今でも普通に「碍子」ってなってますよ。[20]学術用語とは言えないんじゃないっすか?とりあえず、「碍子」派に一票。--以上の署名のないコメントは、Type64r会話投稿記録)さんが 2010年8月9日 (月) 20:45 (UTC) に投稿したものです(Qurrenによる付記)。
がいし製造において有力なメーカーである日本ガイシは「がいし」という表記を用いています。日本ガイシの製品情報#脇道 - トップメーカーの表記法を参考にすることを参照してください。--Qurren 2010年8月9日 (月) 21:55 (UTC)
Qurrenさま、署名付記忘れ訂正ありがとうございます。
当方が指摘したのは電機業界で使用される「がいし」ではなく、「がいし」を使用した製品であり一般人に最もなじみのあるスパークプラグについてです。日本ガイシ(商号:日本碍子株式会社 NGK INSULATORS, LTD. こっちが法律上の正式名でしょ?)から分かれた日本特殊陶業株式会社(NGK SPARK PLUG CO., LTD.)では、一般向けのスパークプラグの説明には「がいし」ではなく「碍子」を使用しています。[21]。「がいし」は電力業界のみで使われる言葉ではないし、学術用語でもないでしょう。自動車関連のブログがメインになってる「みんから」でも「碍子」表記は一般的にに使われてます。[22]--Type64r 2010年8月9日 (月) 23:13 (UTC)
お示し頂いたNGKのサイトでは「絶縁体(碍子)」となっています。他のページを見ると、NGKとしては「碍子」よりも「絶縁体」の方を努めて用いるようにしているようです[23] [24] [25] [26] [27] [28]点火プラグは「がいしを使用した製品であり一般人に最もなじみのある」とのお考えに根拠はありますか。なお、みんカラでの利用調査結果ですが、みんカラはSNS……会員個人個人のブログの集合体と考えれば、信頼できる情報源というには足りないようですので、参考までにとどめておきます。--Qurren 2010年8月10日 (火) 03:16 (UTC)
「最もなじみのある~」とかみんからの結果をウィキペディアに掲載しろと言っているのではありません。単純に「碍子」が一般用語として使われている事実を示したまでです。NGKがスパークプラグの説明に「がいし」ではなく「碍子」を使っていることも事実です。学術用語ならば、車好きの兄ちゃんが使うこともないでしょ?--Type64r 2010年8月10日 (火) 07:00 (UTC)
正直のところ「最もなじみのある~」って重要な論点なのですがね、、学術用語でもいろいろにつかわれたりしてね。それはそうと、スパークプラグだけでは決められないし、さてこの際、漢字表記が多いとかどちらが正しいかをここではじめると混乱に拍車がかかりそうです、「碍子」と「がいし」の問題はかなり論点が微妙なんですType64rさんが一般用語としての「碍子」の情報提供にここに訪れていただいた点は感謝します。が、このノートの最初から熟読してからTPOを考えれば、このタイミングにこの場所に「碍子」って書いてあるよって単に述べただけでは、まして単純に「碍子」が一般用語として使われている事実をお示し頂いただけではこの長い議論に影響がでないかもしれません。もちろん善意の情報提供だとは理解してますがここのセクションでは水入りにしようか、議論をつづけようかまとめをどうするかを論議してます。場違いの感が否めません。※追伸。電力業界のIP122.29.251.114さんは業界では「がいし」が正当と教育されたといってます。ただ使われ方はかなりファジーな面もあり「碍子」も多用されてるとも仄聞します。この期に及んでは記事を書く側としてはどちらでもあまり差し障りはないような気がしてますし、記事を執筆する方にとっては迷惑な話としか受け取れないのですがね。それで今のところType64rさんの事実の一般用語としての「碍子」の情報提供はそれはそれで参考になるかもしれませんが、一方「がいし」を使用する例も多く両用状態ですのでどちらを題名にするか決め手になり得てないのが現状です。いろいろどうもです。papamaruchan22 2010年8月10日 (火) 09:52 (UTC)

過去ログ化のご提案 編集

上記の動きに対応しての提案です。Cray-Gさんによる意見の整理の提示ありましてからもどなたの参入もありませんでした。そうこうしているうちに過去ログ化と差し戻しがありました。又関連してブロック依頼がありました。Cray-Gさんも以前おっしゃってますが、つまり『この長い議論は《隠す》なりサブページ化するなりするべきだ』と、さらに続けて『ノートページがノートページとして機能しなくなる』と言う事も。 上記Hatukanezumiさんの過去ログ化は、それを受けて行われたんでしょうかねぇしかしながらまぁ、唐突の感は否めなかったので今回のVigorous actionさんのアクションがあったと思います。終了するのであれば、きちんと提案等の合意を経て行うべきであるというのはまさにそのとおりですが、それさえままならないのが現状でした。で、いつまでも停滞してます。さらに言えば積極的に調停役として介入する人はおいそれとは現れないと思います。あまりに長い議論であったし、ノートを読んでそれぞれの意見を咀嚼するのに多大な労力を要するし、対立が先鋭化している中で両陣営を満足させる案を見出し提示するのはほぼ不可能に近いのかなぁと、その知識も調整能力もない私は痛感しています、そこでですが、いつまでもここに晒しておいて置くのもいかがなものかと思いますし、かといって公平に皆が満足するようなまとめの対案も在りません。ここで改めて過去ログ化をご提案申しあげます。※{追伸}過去ログ化する上でブロック依頼の結論はどうあれ、それとの連動は事柄を複雑にするだけですので考慮しておりません。papamaruchan22 2010年8月9日 (月) 13:32 (UTC)

調停のお申し出のあとご本人のウィキペディアでの活動がぱったり止んでいるため、さてどうしたものかと考えておりました。ノートページとして使いにくいということが主眼である一方、過去ログ化に抵抗がある様なら、サブページ化 (実際には単なるノートページの改名、「ノート:がいし/改名提案」といった具合に) するのも手かと思います。--Jms 2010年8月9日 (月) 21:49 (UTC)
過去ログ化に抵抗があるならこだわりません。それもいいでしょうね。ただ単なる改名=実際には単なるノートページの改名、「ノート:がいし/改名提案」となるとそこからまた延々と続きが始ると、かないませんからやはり過去ログ化がいいのかなと思ったりしてます。現にすぐ上の方で今でも議論に参入する気配がみえたりして。papamaruchan22 2010年8月9日 (月) 22:19 (UTC)
議論きちんと終わった感じがしない、結論が出た様には見えない、というのが今回の議論の困ったところの一つであり、その状況での過去ログ化となると、議論を (形式上?) 終結させるための過去ログ化と見られてしまうという側面があるかと思います。ノートの使い勝手のために議論を終わらせたいならまとめをすべきでしょうし、まとめが難しいなら、議論自体はオープンのままサブページ化して分離するのが落としどころとしては妥当ではないでしょうか。「そこからまた延々と続きが始ると、かないません」というのは具体的にどういう点においてでしょうか。気にしなければ特に困ることはないと思うのですが…。--Jms 2010年8月9日 (月) 22:41 (UTC)
それはねぇ、気にしなければ特に困ることはないのはそうでしょうけどね、議論自体はオープンのままサブページ化して分離する案は悪くはないのですが現にループ状に続きが、、また始まりそうな気配でないでしょうか。今と何にも変わらないのでは私なんかはスパイラルに陥ってしまいそうです。ここらで過去ログ化というのは、(しかし過去ログにしただけで議論の完全な終わりでもない。)確かに形式上議論を終結させるためと見られかねません、それでもいいと思ってます。「ノート:がいし/改名提案」としてサブページにしておくとそこでも又延々と始まりそうですよね。それはそれで「かないません=かんべんしてよ」となったわけです。まとめも難しい状況のなかで改名の根本議論も停滞気味で、まとめ案もなかなか示せない現状では過去ログ化に大きな抵抗がなければ実施しておけばいいと思います。もちろん賛同なければ次の方策を探ることになるでしょうね。その時はサブページ化もいい案だと思います。過去ログ化の提案は斯様な考えでお示ししたわけです。papamaruchan22 2010年8月10日 (火) 01:19 (UTC)
『過去ログ化』と一口に言っても、『議論の終結に伴う過去ログ化』と『継続中の議論の一部を過去ログ化』とがあるわけです。つまり、
  1. 本ノート頁を改名してサブページ化し、そのまま議論を継続。ノートにはサブページで改名提案が為されていることを告知。(議論の続きはサブページで)
  2. 此処までの内容を過去ログとしてサブページに追い出す。現在の改名提案は継続。(議論の続きはノートページで)
  3. 現在の改名提案は議論混迷として未決のまま終結させて過去ログ化。改名提案は(望むなら)改めて再提案。(議論は新規にノートページで)
という三通りのパターンがあるわけです。それが『《隠す》なりサブページ化するなり』と複数形態がある表現だったわけですが。
これらを十把一絡げに議論/強行しようとするから、話がややこしくなるのではないかと。
余談ながら、Hatukanezumi氏には強行の件に関してWikipedia:説明責任があると考えますので、議論参加を望むのですが。説明責任を果たす気が無いのなら行動を控えるべきだと考えます。
公平に皆が満足するようなまとめの対案も在りません
まとめの対案も何も、まとめの内容に関して検討するのは時期尚早と意見自体が出ていない状態なのですが。その表現は「まとめの内容に不満を表明されている(にも関わらず対案が無い)」ような印象を与える、不適切な表現なのではないかと考えます。世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月10日 (火) 04:31 (UTC)
Cray-Gさん適切なパターン表示どうもありがとうございます。私といたしましては第3案を最初想定しました。現状ではまとめの内容に関して検討するのは時期尚早として意見が出ないのかもしれないし、もうまとめようにもぐだぐだでまとまらないとして意見自体が出ていない状態かもしれませんね。意見の不活発なのは両方の要因だと思ってます。私は皆さんが満足できるようなまとめ方はなかなか出来そうにナイと悲観的に考えてます。過去ログ化一つとってもみなさんいろいろ御意見があります。そこで極めて単純に、賛同が得られればですが、改名提案は議論混迷として未決のまま終結させて過去ログ化がベストと思っております。papamaruchan22 2010年8月10日 (火) 07:54 (UTC)
結局のところ、議論を終結させたいが為の過去ログ化提案だと理解しました。現状でまとめようとする意見はあるのですし、また、答えられていない問いもあるのですから、少なくとも論点と事実のまとめをしてからの方が適切だと思います。結論は出ないにしても、論点と事実のまとめは可能でしょうし、今後役立つこともあるでしょう。--Jms 2010年8月10日 (火) 09:12 (UTC)
そうです。Cray-Gさんのいうところの第三案。現在の改名提案は議論混迷として未決のまま終結させて過去ログ化でいいのかと思ってます。その場合改名提案は(望むなら)改めて再提案でよろしいかと。私は皆さんが満足できるようなまとめ方はなかなか出来そうにナイと悲観的に考えてるので過去ログ化で終了がよろしいと思ってます。ただ、それはそれで前にも申しあげたように格別なこだわりもないので纏まりがつけばサブページも一案だと思います。ただ「ノート:がいし/改名提案」としてサブページにしておくとそこでも又延々と始まりそうですよね。それがないならいいですけどね。あくまで議論を終結させたいのが私の本筋なので。papamaruchan22 2010年8月10日 (火) 10:19 (UTC)
結局のところ、議論を終結させたいが為の~~
提案者の本意が何であれ、何らかの形で「この長ったらしい議論」をノートページから《隠す》ことは必要かと思います。でないと、本当に「ノートページがノートページとして機能しなくなります」からね。また如何なる形で《隠す》にせよ、それが「改名反対者による力尽くでの提案却下」にならないように「改名提案があったこと及び未決であること」を隠さないことが必須かと考えています。
今後役立つこともあるでしょう
そうですね。特に「未決として議論終結」となれば当然、事後に改めて同様の改名提案をする人も出てくるでしょうし、その際の議論参加者が過去の議論(=本件議論)を理解する助けになると思います。
【papamaruchan22氏へ】他人の署名を書き換えるなら、せめて推奨のフォーマットにして頂けませんか。私が私なりの理由で非推奨のフォーマットを用いていることに関しては私は説明出来ますが、papamaruchan22氏によって書き換えられた非推奨のフォーマットにしている理由に関しては私には説明出来ないのですから。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月10日 (火) 10:08 (UTC)
それは失礼しました。世界最狂の魔法使いCray-Gさんの最狂ってとこがどうも気になってたんですけどただ深い意味で置き換えしたわけではありません。謹んで陳謝します。papamaruchan22 2010年8月10日 (火) 10:27 (UTC)
謝罪など必要ありません。wikipediaで共同作業をしているのですから、もう少し他人のことも考えて下さい。Papamaruchan22氏は上で「私の投稿の上に割り込んで」投稿しているわけですが、例えばこういった行為がどういう影響をもたらすのか、つまりPapamaruchan22氏が望んだ『影響』が他者(具体的には私)の書き込みに関して如何なる『影響』を及ぼすのか、ということに関する《考え》が足りないのではないか、という指摘をしているのです。その《考え》の「足りなさ」が深い意味も無く気軽に他人の投稿内容を書き換える=名誉を傷付けるという行動に至らせ、そしてまた、該件に限らず何時か何処かで意識しないまま気軽に問題行動を起こす原因となってしまうことを危惧しているのです。例えば、三通りものパターンがあるはずの内の一つしか念頭に置かずに提案や議論を始めてしまうなど。
もしかしたら理解が難しいかも知れませんのでわかり易く乱暴な書き方をしますと、「自分が当然そうだと思って行なおうとしていることが単なる独善(≒意見の押し付け/自分勝手)ではないか否かを、今以上に周囲の人のことを考えてから行動して下さい」と言っているのです。
怒っているわけではありません。今後留意して頂けるよう望んでいるのです。誤解の無いように御願い申し上げます。(※どちらかというと、慇懃無礼な「形式だけの謝罪」をされたことで怒りに火が点いたって感じですね)
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月10日 (火) 11:44 (UTC)
まぁそうおっしゃらず。陳謝が慇懃無礼な「形式だけの謝罪」って事はないですねそれだけは申しあげておきます。世界最狂の魔法使いCray-Gさんが名前を大切にしていることはわかりました。前から私が略称を使ってましたのでその意味もこめて陳謝しますと言ったんですがね。気になさってたならその時率直に言ってくださればなを良かったのかと、でもそれはこちらの論理ですけどね。それから時間的ラグですけれど投稿途中で席を立ったのでインデントレベルそのままに続けたのが正直なところです。papamaruchan22 2010年8月10日 (火) 12:31 (UTC)
って事はないですね
厳しい表現をしてしまったことは自覚していますが、私が「名前を大切にしている」わけではないことを全くご理解頂けないままの謝罪であることを指して「形式だけ」と表現しています。
「Cray-G」という略称を使われたことに関しては気にするどころか、むしろ歓迎さえしています。私の名前は、文中にあるには長いですから。最小で「G」と略されても(通じるならば)全く気にしません。最近、このことを利用者ページに書いておいた方が良いのではないかと考えているぐらいです。
先に指摘したことを、繰り返してもっとわかり易く書かないと理解出来ないのでしょうか。だとしたら、私的事情により今は時間が無いので明日改めて書かせて頂きます。短いながらもウィキブレイクだと思って頭を冷やしつつ。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月10日 (火) 13:24 (UTC)
あぁ今のうちに言っておきますが「Cray-G」という略称を使われたことに関しては気にするどころか、歓迎するとのことならば「謝罪」とはなんなのでしょうかね。わたしが今後留意をするときはどんな名前でよべばいいか迷います。気にしてないのならどうして頭を冷やすんでしょうかね。ここでの本題は過去ログの話ですが世界最狂の魔法使いCray-Gさんがの名前の置き換えの問題をお尋ねでしたので返答した次第です。私のあなたの名前に対する理解度がどうあるかはこちらの頭の悪さ加減次第ですので私的都合により拝聴を辞退させていただきます。これは本題からはずれたまったく場外バトル的話題に成りますので。papamaruchan22 2010年8月10日 (火) 15:23 (UTC)
頭を冷やしてみれば此処で書くべき内容ではありませんでした。papamaruchan22氏の会話ページでするべき話ではありますが、人の文章を読まない人に話しても無駄ですので、この話は此処までということで。皆様お騒がせ致しました。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月11日 (水) 14:53 (UTC)
(インデント戻す)
さて、現状では下記四通りの選択肢があります。
  1. 現在の改名提案は議論混迷として未決のまま終結させて過去ログ化。改名提案は(望むなら)改めて再提案。(議論は終了、再提案されれば新規にノートページで)
  2. 此処までの内容を過去ログとしてサブページに追い出す。現在の改名提案は継続。(議論の続きはノートページで)
  3. 本ノート頁を改名してサブページ化し、そのまま議論を継続。ノートにはサブページで改名提案が為されていることを告知。(議論の続きはサブページで)
  4. 現状のまま議論を継続。
提案者ことpapamaruchan22氏は1.を提案したわけですが、皆様の意見は如何でしょうか。
私は2.が最善、3.が次善の選択肢だと考えます。また2.に於いては、ノートページから過去ログ化されたページへのリンク部分、乃至は過去ログ化されたページの先頭部分に、過去ログ化されたページの内容の纏めを置くことで新規の議論参加者の負担を軽減することが必要だと考えています。
また4.に関しては、現状で議論そのものが停滞状態にあること、及びノートページがノートページとして機能しなくなることから強く反対であり、可能な限り速やかに1~3のいづれかを選択し実行するべきだと考えます。そして1.に関しては、事実上「改名反対者による力尽くでの提案却下」となることから、基本的に反対です。しかしながら、4.の状況が長く続くよりは1.の方がマシだと考えていますので、このまま議論が紛糾/停滞するようなら譲歩するつもりであります。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月11日 (水) 14:55 (UTC)
選択肢 3b. 本ノート頁を改名してサブページ化、まとめ作業のみをサブページで継続。まとめ作業が終わるまでは当該サブページにTemplate:Archivesを付与しない、という条件が満たされるなら、サブページ名は「過去ログ1」なども可。を提案します。選択肢番号は 5. でも結構です。事実上「改名反対者による力尽くでの提案却下」、というのは理解できますが、議論が途中で止まったというのも形式的な事実ではあります。ただ、調停の申し出によって議論が止まった側面もあるので、微妙なところもあると思っています。--Jms 2010年8月11日 (水) 16:45 (UTC)
Cray-G氏の弁によると提案者ことpapamaruchan22です。どうしてことなんでしょうか。さて、Cray-Gさんによる意見の整理の提示ありましてからもどなたの意見表明参入もなく、その後ブロック騒ぎとかあってそれではなんともならないので、局面の打開策として正式に過去ログ化の提案をしました、停滞し切って、さらにブロックもあって整理しきれないので、善意に基づき正当な手順で提案しました。それが提案者こと○○氏云々のことばです。Cray-Gさんによる上記のおいかぶせ提案が有りました、それ自体ご自分の意見を前に出しながらの提案です、提案者のpapamaruchan22を提案者こととまるであたかも本物の提案者はほかにいると言いたいのでしょうかね。このCray-Gさん的ご提案には返答出来ませんし乗れません。私の皆さんに求める選択肢は過去ログ化に賛成か反対かです、その是非の結果に基ずいて後で色々いくらでも議論が足りないと思ったら新たに提案修正はできます、大いにやったらいいでしょう。いささかうんざりしてます。記事を編集する側にとってはこの論争は不毛だと思います。papamaruchan22 2010年8月11日 (水) 17:59 (UTC)
現時点での過去ログ化には反対です。--Jms 2010年8月11日 (水) 18:14 (UTC)
まとめ作業のみをサブページで継続
改名提案の議論そのものはどのような扱いになるとお考えでしょうか。つまり終結か継続か、或いは特に考えていない(ので纏め作業中に皆で考える)か、のいづれかかと思いますが。
ただ、その『サブページ名は「過去ログ1」なども可』というのがHatukanezumi氏による過去ログ化のような状態をイメージしているのであれば、一時的にノートページから改名提案が消えるわけですから、そのまま議論終結→過去ログ化という流れが自然かと思います。サブページは、過去ログ化に向けた残務処理中、といったイメージでしょうかね。
ちなみに私は2.乃至は3.に於いて、改名提案の節自体は残したまま節の内部に過去の議論へのリンクがあり、その直前直後かサブページの先頭に纏めがある、という形をイメージしています。
【papamaruchan22氏へ】本節提案者は飽くまでpapamaruchan22氏であり、私は「本来の提案者であるpapamaruchan22氏の提案が議論中に発展した」のを整理しただけのつもりだからです。私が整理したものが元来の提案と排他的だとお考えであれば、私が整理した内容に基づいて話をする場合はpapamaruchan22氏の提案そのものは無視されていると認識することでしょう。もしもpapamaruchan22氏の元来の提案は私が整理した内容に於ける1.である、という私の認識が誤っていないのであれば、1.以外を支持する全ての意見(例えば私の意見)過去ログ化に反対であると認識して宜しいかと思います。(まさか「私の節なんだから許可無く整理するな!」と主張しているとは思っていませんが、もし万一そうなのであれば、おっしゃって戴ければ新たに節を建てて提案し直します)
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月11日 (水) 19:26 (UTC)
議論の一ヶ月の中断の結果改名提案テンプレートが除去され、誰もそれにカウンターアクションを起こすことなく数ヶ月経過していますので、改名提案自体は手続き上失効していると考えるべきでしょう。一方、議論自体は終わってはいないものの継続しているとも言い難い、と考えています。サブページ化提案は (いずれは必要になるであろう) 過去ログ化に向けた残務処理という位置づけが適切かと。なお、サブページへのリンクが改名提案という題のセクションの中にあっても良いでしょう。ページ移動によるサブページ化ですので、議論部分の除去による過去ログ化とは異なると考えています。--Jms 2010年8月11日 (水) 22:29 (UTC)
改名提案自体は手続き上失効している
なるほど。そうすると、
5. 現在の改名提案は失効として未決のまま終結させ、本ノート頁を改名してサブページ化。その後サブページにて纏め作成の為の議論を継続し、纏め完成後にサブページを過去ログ化(=過去ログテンプレート貼付)。(議論は終了、望むなら再提案し新規にノートページで)
といった感じで宜しいでしょうか?
だとするとノートページに於ける対処としては、サブページ状態の時用の作業中であることを示す一時的な表示が必要になりますね。過去ログ化された後は普通に過去ログ用の対処がされるわけですが、作業中は「過去ログ」ではなく編集可能な状態なのですから。或いはJms氏の言う通り、ノートページの方では普通に過去ログ用の対処を行い、未来の過去ログとなるサブページの先頭(作業後に過去ログテンプレートが貼られる予定の場所)に作業中であることを表示する方が色々とややこしくなくて済むでしょうかね。
とりあえず上記のあたりまで方針の合意が取れれば、5.の採択決定後に揉めるような事も無く即実行が可能になると思うのですが。つまり細かい文言は書き直せば済む程度の問題にしかならないだろう、という意味で。
私は作業中を示す一時的な表示(改名提案)がある方が適切かとは思いますが、この長ったらしい議論を《隠す》ことは急務であると考えているので、改名反対者からの速やかな合意を得る為の譲歩として、ノートページ側だけは過去ログとしての表示にしてしまうことに反対しないつもりです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月11日 (水) 23:24 (UTC)
(インデント戻します。)世界最狂の魔法使いCray-G さんの整理に対して私が許可するとかしないとかのレベルの話ではないでしょう。以前も今度も複雑化してしまってるので議論が展開せず停滞するんです。私のスタンスは個人的考えはありますが、ここウィキでは記事を書く上では碍子でもがいしでもどちらでもいいと思ってます。私としてはここに参加する皆さんが議論にのりやすいように考慮し、過去ログ化のご提案をしました。Jmsさん の仰せによれば改名提案自体は手続き上失効していると考えるべきとの事、であればなおの事こと過去ログ化は必要と考えられます。議論自体はオープンのままサブページ化して分離する、とかのいろいろ工夫はその後でしてください。今までの議論を見るにお二方はその優秀さゆえに先行しすぎて、ほかの方々が参入しずらいらいと思います。現時点で過去ログ化反対ということは、まとめの段階でどなたもカウンターアクションを起こさなかった経験則から言ってもなにも前と変わらない恐れがあるんです。もういちど言います。ここに長い議論を晒しておいて置くのもいかがなものかと思いますし、かといってまとめの対案にも反応が在りませんでした。単に過去ログ化の可否をお尋ねしてるのであって方法論は次のステップです。ブロック依頼の議論の中ではHatukanezumiさんの過去ログ化についていろいろ言及があります、あちらの結論もなかなか出てません。一週間ぐらい静かに見守るのもいいかと思ってます。papamaruchan22 2010年8月12日 (木) 02:52 (UTC)誤植抹消2010年8月12日 (木) 03:47 (UTC)
いわゆる過去ログ化にはいくつかの方法がありますが、どの手法を想定していますか。まとめの段階で誰もカウンターアクション (何に対する?) を起こしていないというのはわたくしの認識とは異なります。わたくしは、せっかくの調停のお申し出をスポイルしない事を意図して発言を控えておりました (その旨は既に述べています)。調停を申し出られた方のこのノートでの投稿パターンから考えて、三箇月程度は待ってみよう、それを越えたら次の段階、と考えていたところです。--Jms 2010年8月12日 (木) 05:13 (UTC)
◆先ず、件のブロック依頼で出ている意見、特にブロック依頼の依頼者であるVigorous action氏の意見を含めてさえ、「過去ログ化すること自体」に反対している人は誰も居ません。ブロック依頼で問題にされているのは「過去ログ化という合法的手段を利用した議論撹乱(=力尽くでの提案却下)」であるか否かです。
次に、サブページ化と過去ログ化は異なる概念です。さらに過去ログ化には複数のパターンがあります。それをいづれかはっきりさせずに一口に「過去ログ化」と表記して無条件の是非を問えば、其処で示された「過去ログ化」がどの過去ログ化なのか、あるいは過去ログ化ではないサブページ化のことなのかがわかりません。なので話が喰い違ったり噛み合わなかったりします。これが、先に書いた「これらを十把一絡げに議論/強行しようとするから、話がややこしくなる」の意味です。過去ログ化することには賛成でも、手前勝手な意味を付けて恣意的な解釈をする相手に対しては慎重に答えざるを得ません。つまり賛成出来ないわけです、真面目に議論している人(=「何でもいいからとにかく早く終わらせようぜ」と思っている人以外の人)は。
結局のところ、過去ログ化乃至はサブページ化することに関して誰も反対していませんが、それは条件付きなのです。
上記にも関わらずpapamaruchan22氏が提案する「過去ログ化」に賛成すれば、Hatukanezumi氏がやった行為への支持を表明したと解釈することが可能になります。そしてHatukanezumi氏と同じように過去ログ化し、「今度は合意を得て過去ログ化したのだから、碍子派はもう何もするな。したら合意違反だ」と言えるようになるのです。これまで本ノート頁にてその論法(恣意的解釈により異なる意味で反論し論敵の意見を封殺する話法)を使われて消耗させられてきた碍子派としては、今回も似たようなことをやられるかも知れないと慎重にならざるを得ません。
故に、papamaruchan22氏の提案を整理しないで議論を進めることは、過去ログ化を希望する碍子派からさえ反対を得ることになります。そして今度は逆に「過去ログ化に対する反対意見が出された」という事実が残ることになってしまうのです。それは過去ログ化を阻害し、今までと何も変わらないままになる恐れがあるんです
経験則から言ってもなにも前と変わらない恐れがあるんです
以前は議論継続を希望する私の意見と「議論が有耶無耶になったまま終結=纏め反対=やがて纏め無しに普通に過去ログ化」という意見以外に、「調停者が介入する気配があったから介入を期待して様子見」という意見が多数ありました。ですが現在調停者が介入する気配は無く、そしてHatukanezumi氏の過去ログ化強行の件もあり、暢気に様子見しては居られない状況となっています。なので、以前は様子見していた議論参加者が参入してくる可能性が期待出来ます。
前とは状況が違うのです。たった一度の経験を経験則とは言いません。
方法論は次のステップです
方法論が問題となって議論が停滞しているのです。それ以前のステップは既に通り過ぎています。全員が、本件改名提案の議論をこのまま本ノート頁に置いておくわけにはいかないと考えています。奴隷制のように。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月12日 (木) 05:52 (UTC)
  • どうしてpapamaruchan22が提案する「過去ログ化」に賛成すれば、Hatukanezumi氏がやった行為への支持を表明したことになるのでしょうか。「合意を得て過去ログ化したのだから、碍子派はもう何もするな。したら合意違反だ」との解釈になるのですか。もしもpapamaruchan22の提案にのればなどど仮定の話をしてまで、この期におよんで碍子派もがいし派もないじゃないんですか。対立を煽るのではまとまる話もまとまりません。ネガティブキャンペインは不要でしょう。「過去ログ化は問題ない」これはあなたの言葉です。方法が問題なんでしょう?私は一旦過去ログ化したあとでいくらでも再開するなりなんなりしてくださいといってるのですが。議論をここにさらしておくことを避けようとしたいのです。もちろん現状でまとめようとする意見はあるし、また、答えられていない問いもあるのですがそれにしては停滞が長い。で、論点と事実のまとめのCray-Gさんの呼びかけもうまくいかなかった。一旦過去ログ化で閉めましょう。議論続けたい人は、又それから始めからやってもらいましょうよ。とにかくここでの2~3人の議論だけではどうにもなりません。漢字派ひらがな派とか言っていたのではなおのこと進まないだろうね。papamaruchan22 2010年8月13日 (金) 12:53 (UTC)
どうして~~なるのですか
「Hatukanezumi氏がやった行為」が過去ログ化だからです。なので、過去ログ化に同意を表明するということはイコール「Hatukanezumi氏がやった行為」に同意を表明することになります。
Hatukanezumi氏は合意を得ずに過去ログ化を行いました。なのでVigorous action氏が過敏に反応し(Hatukanezumi氏の過去の行動を鑑みて)議論撹乱であると判断しました。なのでリバートを行い、さらには(堪忍袋の緒が切れて)ブロック依頼の提出にまで至っています。Vigorous action氏が斯様にも過敏に反応したのはHatukanezumi氏の行動に瑕疵があったからであり、瑕疵とは即ち合意を得なかったことです。
papamaruchan22氏は対して、合意を得てから過去ログ化を行おうと提案しています。即ち、合意を得てから「Hatukanezumi氏がやった行為」を行おうと提案しているわけです。これに賛意を表明することは即ち(合意を得なかったという点以外は)「Hatukanezumi氏がやった行為」に賛意を表明することです。
papamaruchan22氏は議論自体はオープンのままサブページ化して分離する、とかのいろいろ工夫はその後でしてください( 2010年8月12日 (木) 02:52 (UTC) )と発言されましたね。このことから事態を正確に把握出来ていないと考えたのであえて申し上げますが、過去ログ化された後は編集を禁止されるので「サブページ化して分離する」ことは出来なくなります。逆に、サブページ化してから後にそれを過去ログ化することは合法です。
言い換えると、現状のまま過去ログ化することは議論の強制終了であり、改名反対派(がいし派/ひらがな派)の行為(つまり、さんざん議論撹乱した挙句の対話拒否により議論の進行を喰い止めている)を追認することになるわけです。
その現状に於いては、議論を晒しておくことを避けること(過去ログ化を含めたサブページ化だか何だか)が必要であることと、「現状のまま過去ログ化」することとは別の次元です。なので、「現状のまま過去ログ化」に反対ではあっても「議論を晒しておくことを避けること」には賛成という事態が現れます。
議論をここにさらしておくことを避けようとしたいのです
であれば、「現状のまま過去ログ化」=「さんざん議論撹乱した挙句に対話拒否して議論を強制終了することの追認」をしようと呼びかけるのではなく、打開策に関して呼びかけるべきでしょう。打開策を得るべく提案を整理した私を批難している場合ではないはずです。
その矛盾した行動(議論を晒しておくことを避けるのが目的だと言いながら、別の問題を持ち込み新たに議論を紛糾させようとしていること)が、「さんざん議論撹乱した挙句に対話拒否して議論を強制終了すること」を追認させることを目的とした行動に見えるのです。
即ち、このまま議論を紛糾させ「議論を晒しておくことを避ける」ことさえ出来なくし、その原因が私を始めとする改名賛成派(碍子派/漢字派)にあるように見せ掛けようとしているわけです。その意図が無くとも事実上。
【予防線】papamaruchan22氏が「本当に」議論を晒しておくことを避けるのが目的であるならば、少なくともJms氏の( 2010年8月12日 (木) 05:13 (UTC) )の質問に答えるべきであり、そして今後「現状のまま過去ログ化」に拘ること無く対話(=議論参加)を行って戴けるはずです。もしも「現状のまま過去ログ化」=「さんざん議論撹乱した挙句に対話拒否して議論を強制終了することの追認」が目的であるならば、対話拒否かもしくは関係の無いこと(例えば私の言葉遣いだとか表現方法だとか)を一所懸命に批難し、「議論を晒しておくことを避ける」為の議論を行おうとしなくなることでしょう。或いは既に書いたように、「議論を晒したままにしておくこと」が如何に問題であるかを力説することで、「議論を晒しておくことを避ける」ことが出来ないのが「現状のまま過去ログ化に反対する者の責任」であるかのように印象付けようとすることでしょう。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月14日 (土) 21:42 (UTC)
「『Hatukanezumi氏がやった行為』が過去ログ化だから、過去ログ化に同意を表明するということはイコール『Hatukanezumi氏がやった行為』に同意を表明することになります。」なんて何処を読んでそんな解釈になるのかなぁ。どうしてそのようにとるのか変な話だね。彼の過去ログ化は皆の同意を得ないでやったので問題にされているんだよ。ブロック依頼の文章をもう一度読んでみようよ。いつまでたってもあなたは賛成派の立場からしかまとめとか過去ログ化を進めようとしてるわけなんですかかねぇ。私なんかは単純に考えていて、記事を書くには賛成反対どちらでもいいと思ってます。こんなときはニュートラルな立場で進めないとね。私が皆さんに過去ログ化していいかの提案をしてるのは、単に過去ログ化の可否をお尋ねしてるのであって方法論は次のステップですと何度も言いました。予防線とか言って相手の仮定の対応を自分の予想をしてまであまり議論を膨らませないことだね。誰もあなたの責任とか、とやかく言うつもりもないし、言ってもないけどなぁ。上のセクションで水入りだよねとか、もう雪玉でいいよねとなったときに議論継続を望んだのは私ではないし、何回も言いたかないけどとにかく一旦過去ログ化で閉めましょう。あなたが議論続けたかったら、又始めからやってよ。これではだれもここに来ない。ここでは賛否の意見を広く求めなくてはいけませんね。一応このへんで様子見にします。papamaruchan22 2010年8月15日 (日) 08:50 (UTC)
皆の同意を得ないでやったので問題にされているんだよ
違いますよ。Vigorous action氏は「合意(=皆の同意)が得られないことを知りながら過去ログ化した」から「議論撹乱を目的とした行為である」と主張しているのですよ。で、「議論撹乱と断定可能な程に合意が必須な状況ではなかった=合意無しに過去ログ化したのは不適切な行為ではない」のではないかとの意見からブロックへの反対意見が出されているわけです。Vigorous action氏は、Hatukanezumi氏がこれまで何度も指摘を受けながら何らの反省もせず行動の改善も行なっていないことからブロック依頼したにも関わらず、Hatukanezumi氏が行なった過去ログ化が「不適切な行為と糾弾する程ではない」という見解があるので「スピード違反を拠所にした揚げ足取り」呼ばわりまでされて「あちらの結論もなかなか出てません」な状況になっているのです。Vigorous action氏にしてみれば、本筋を離れた枝葉末節なところを指摘されての反対意見にさぞや口惜しい思いをしていることでしょうね。
Vigorous action氏が此処まで過敏に反応したのは、もしもHatukanezumi氏がpapamaruchan22氏のように過去ログ化に先立って提案を行なっていたら、Vigorous action氏は過去ログ化に同意しなかったからです。そしてもしもHatukanezumi氏が、私が整理したように整理し「方法論とやら」を検討し互いに合意出来る妥協点を探す努力をしたならば、Vigorous action氏にも同意する余地があったからです。
ありとあらゆる過去ログ化に反対しているのではなく、ある特定の過去ログ化方法に対して反対しているのです。Vigorous action氏にせよ、Jms氏にせよ、私にせよ。
その「ある特定の過去ログ化方法」というのが、「過去ログ化」と注釈無しに言った場合の「過去ログ化方法」(=Hatukanezumi氏が行なった過去ログ化)だから「そんな解釈」になるのです。
いつまでたってもあなたは賛成派の立場からしかまとめとか過去ログ化を進めようとしてるわけなんですかかねぇ。
逆にpapamaruchan22氏はいつまでたっても「合意(=皆の同意)が得られない過去ログ化」をしつこく繰り返すばかりですね。「議論撹乱」とまで言われた「過去ログ化」をしつこく繰り返し、「方法論」を検討し互いに合意出来る妥協点を探す努力を放棄するのでしょうかねぇ。そんなやり方では合意を得るのは難しいと思いますよ。
もう雪玉でいいよねとなったときに議論継続を望んだのは私ではない
蛇足かなとは思うのですが、「もう雪玉でいいよね」と言われた提案にpapamaruchan22氏は来た当初から賛意を示し続け、ついには本節で再提案し今まで議論してきたと私は認識しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月16日 (月) 04:44 (UTC)

インデント戻す。  コメント*それはちがうね。自己の都合で対話相手の文章をコマ切れにしての議論は意見を曲げてしまうことがあります。「上のセクションで水入りだよねとか、もう雪玉でいいよね」となったときに議論継続を望んだのは私ではなく世界最狂の魔法使いCray-Gさんです。私がここに来たのはずっと後なので直接その議論にはかかわってません。私が提案したのは、終了するのであればきちんと過去ログ化提案をし合意を経て行うべきと考え、過去ログ化の合意を求めてここに提案する事態となりました。議論の停滞は避けなければならないと思ってはじめたことなんだよ。Cray-Gさんは 賛成のスタンスに軸足をおいてのとりまとめを行おうとして今まで誰も乗ってこなかったんでしょう?「方法論」を検討し互いに合意出来る妥協点を探す努力は後でといってるのに。また、私は記事を書く上では碍子でもがいしでもどちらでもいいと言ってます。あなたの{軸足を漢字派}においたスタンスでは、誰もここに出てこないよと思います。私が「過去ログ化」をしつこく言ってると感ずるのはあなたの主観ですから論評しませんが過去ログ化の提案ですからあなたの質問に答えて終始一貫してまず、過去ログ化ありきだろうねといってます。終了するのであれば、きちんと終了提案等の合意を経て行うべきと考えます。過去ログ化するならその合意をしてからと思って提案をはじめたことなんだよ。この「過去ログ化」ひとつとってもスタンスのちがいを持ち出してきてわやわやぐだぐだとなるのに「方法論」を検討し始めたら漢字とひらがなを持ち出したらまとまらないと思うよ。過去ログ化に「特定の過去ログ」とそうでない「過去ログ」があるのでしょうか、それはありません。ただ「さらに議論をしてまとめなんかして過去ログ化したい」場合と「もういいからとりあえず過去ログ化して方法論は後にしましょう」というのと2種類だけなんだと思います。つまり「時期尚早」と「議論は尽くした」という2つだけなんだろうと思うわけです。総称議論が錯綜して来ると私みたいな老兵は去るのみと思ってしまうけれども、ウィキにとってそれもいいことではないので対話を続けてます。当初この提案時にはあちらは考慮しないつもりだったけど、此処に及んでは原点に立ち返りブロック依頼の結論の動向も斟酌せねばなりませんね。気になります。とにかく、いつまでも長い議論をここにに晒しておいていい物でもありません。papamaruchan22 2010年8月16日 (月) 08:29 (UTC)

  • 蛇足ですけど。もしかして基本的に過去ログ化の考え方に違いがあるのでないかと思ってお話します。ウィキペディアではノートページが大きくなりすぎた時に、議論を過去ログ(アーカイブ)化します。肥大したノートページは見にくいのは言うまでもないし、過去の終わった議論も含まれていることが多く(此処では過去ではないですが)あります。インターネットの接続環境があまりよくない利用者にとっては、この場所ではもう過去ページ化しないと大きくて重いページはかなり不都合です。議論の最中はそれまでの議論を見渡せることが大切ですので避けるとされてます。この議論の途中ということで反対されているのかと思いますが、これについては、可能であれば議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することが推奨されております。で、一ヶ月間途絶えて議論が落ち着いていたので、過去ログ化についてはあちらでもHatukanezumiさんの行為に対してそんなに目くじら立てなくてもという意見があります。ただ唐突に行ったのが問題とされているのですね。papamaruchan22 2010年8月16日 (月) 09:04 (UTC)
~~となったときに議論継続を望んだのは私ではなく
私は「papamaruchan22氏が雪玉されたHatukanezumi氏の提案を再提案」しているのだと指摘しているのです。その事実をpapamaruchan22氏が認識しているのなら、その件に関して私から言いたいことは特にありません。
私は記事を書く上では碍子でもがいしでもどちらでもいいと言ってます
papamaruchan22氏はこれまでの議論を読んでないので知らないのでしょうが、私も以前からどちらでもいいと言っています。碍子にもがいしにも正当性があり、いづれも間違っていません。だからこそ、いづれがよりwikipediaにとってあるべきかに関して議論により合意を得なければならない問題だと認識しているのであり、それ故に力尽くでの解決に反対しています。私は、力尽くでの解決であれば結論が碍子だろうががいしだろうが関係無く反対します。
過去ログ化に「特定の過去ログ」とそうでない「過去ログ」があるのでしょうか、それはありません
過去ログ化を行なう場合、ノートページ全体の過去ログ化(=wikipediaで一般的に言う過去ログ化=Hatukanezumi氏が行なった過去ログ化=papamaruchan22氏の提案する過去ログ化)と、節の内部/一部の過去ログ化(継続中の議論が長くなった場合に行なう過去ログ化)の少なくとも二種類があります。また「いつまでも長い議論をここにに晒して」おくことを避けるには他にサブページ化するという方法もあります。
蛇足ですけど~~
過去ログ化する「理由」に関しては全く以って同意します。私は既に、同じ理由で過去ログ化やサブページ化を行なうべきであると主張していて、現在のところその主張に対して(条件付賛成はありますが)反対意見は皆無です。
papamaruchan22氏も私の主張に反対ではなく、そのうち特にノートページ全体の過去ログ化(=wikipediaで一般的に言う過去ログ化=Hatukanezumi氏が行なった過去ログ化)を本節にて提案しています。
ですが「現在は改名反対派による反論を待っている状態である」と考えている議論参加者(改名賛成派/碍子派/漢字派)にとってみれば、現状は「改名反対派が対話拒否を行なっている所為で停滞している」のであり、その「故意に作られた停滞」を根拠にした「規定の手順の行使」は「ルールの悪用による力尽く」でしかないのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月16日 (月) 12:22 (UTC)
まず持って私の提案は力ずくではありません。世界最狂の魔法使いCray-Gさんが以前からどちらでもいいと言っていて、碍子にもがいしにも正当性がありいづれも間違っていないんですよね、であれば、両方とも自説を述べそれぞれが正当性をのべていますから「改名反対派が対話拒否を行なっている所為で停滞している」とは言えません。間違いではない両方の主張ががっぷりとぶつかってしまっているから停滞するんですよ。まとめができないのはどちらか片方の陣営によって「故意に作られた停滞」だと言う結論は導きだされません。「規定の手順の行使」が「ルールの悪用による力尽く」だとも一概にはいえません。それが悪用であるというのはあなたの判断です。あなたが判断する必要はないのです。過去ログ化はひとつの手続きです。あなたによる二つめの分類つまり『特別の過去ログ化(継続中の議論が長くなった場合に行なう過去ログ化)』(特別の過去ログ化と普通の過去ログ化という分け方自体に同意して例示をしたわけではありませんが、その分類もあなた独特の分類ですけどね)というのは「過去ログ化」のなかの一部分です。したがって全体の過去ログ化に包含されます。議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することは推奨されております。papamaruchan22 2010年8月16日 (月) 13:45 (UTC)
~~とも一概にはいえません
相手の発言の一部を切り出すのは構いませんが、相手の発言の一部を切り出して意味を変え、変わった意味に基づいて反論しないで下さい。そういうことをするのがご注意レベルを超えるかなり重大なエチケット違反なのですよ。それが如何なるエチケット違反なのかに関しては、既に本ノート頁で同じような行為に及んだHatukanezumi氏に対する私の2010年2月4日 (木) 17:35 (UTC)の発言の中で説明しています。
私は『「規定の手順の行使」を行なえば誰もが「ルールの悪用による力尽く」と判断する』と主張しているのではありません。「対話拒否を行ない故意に議論を停滞させている」と判断している者から見ると「規定通りの手順で過去ログ化が為されることで、改名賛成派(碍子派/漢字派)の意見を無視することを狙っている」ように見えると主張しているのです。つまり「力尽くだという見方もある」ので「規定通りだから由し」とは一概には言えないと主張しているのです。それを「力尽くだとは一概にはいえません」と私の主張を繰り返されても議論になりません。
私の主張は、「規定通りだから由し」と「力尽くだ」との二通りの見解があり、papamaruchan22氏は「規定通りだから由し」との見解に立って主張していますが、「力尽くだ」との見解に立つ者も居る事実を考慮して戴かないと議論が無駄に紛糾するだけですよ、ということです。
我々(少なくともJms氏と私)は、papamaruchan22氏と互いに歩み寄り幸福な合意に達することを願っています。ですがpapamaruchan22氏が強硬に自説の主張を繰り返すのみなので、歩み寄ろうにも譲歩すら出来ない状況なのです。
私の提案は力ずくではありません
どんなに慇懃でも手順通りでも、反対者を無視した内容を提案するなら「力尽く」を提案していることになります。況してや、反対者の意見に耳を貸さずに自説の主張を繰り返すのは普通に「力尽く」と呼ばれます。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないが理解の助けになるかも知れません。
両方とも自説を述べ~~言えないと思います
いいえ。がいしの正当性に反論が出されていて、改名反対派(がいし派/ひらがな派)はそれに対する再反論を行なっていません。そして<偏った観点>再反論どころか以後議論の巻き戻しや人格攻撃、議論の拡散などを行い、コミュニティーを消耗させた挙句に対話拒否により</偏った観点>現状に至っています。残念ながら現状は、がいしである正当性を認め難い状況になっているのです。
私はこの状況を憂い、がいし派からきちんと再反論が行なわれて欲しいと望んでいます。そして出来るなら、日本政府の方針と一致した結論(つまりがいし)になって欲しいと考えています。wikipediaの理念に反することなく。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月16日 (月) 16:06 (UTC)
ここでは過去ログ化の提案をしてるのです。がいしと碍子どちらの話は過去ログ化してからどうぞ。それでねCray-Gさんがいし派が議論の巻き戻しや人格攻撃、議論の拡散などを行い、コミュニティーを消耗させた挙句に対話拒否により現状に至っている、さらに「がいし」である正当性を認め難い状況になっているとのことですが、それはあなた独自の見解になるよね。さらにどちらでも良いといいながら、日本政府の方針と一致した結論(つまりがいし)になって欲しいと考えています、という立場だったらニュートラルな視点で過去ログ化をすすめられるのではないのでしょうかねぇ。あなたが現状を憂いて、がいし派からきちんと再反論が行なわれて欲しいと望んでいらっしゃっても現実は再反論もなく停滞してます、言いたいことがあっても両方とも疲れてしまったんです。だから停滞が一ヶ月以上もしたので改めて過去ログ化を規定どおりに行うために提案してます。どんなに慇懃でも手順通りでも、反対者を無視した内容を提案するなら「力尽く」であるというのはいい過ぎです。その規定については先達は過去ログ化のフォームをしめしてくれているのです。「力ずく」とは強引に力で思うがままを実行することですよね、ここでの過去ログ化の提案をしているのであっては思うが侭をしてません、ここでこうしてお話をさせていただいていること自体力ずくでないのです。重ねて申し上げますがこの場所ではもう過去ページ化しないと大きくて重いページはかなり不都合です。議論の最中はそれまでの議論を見渡せることが大切ですので避けるとされてます。この議論の途中ということとやり方で反対されているのかと思いますが、これについては、可能であれば議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することが推奨されております、方法は問うておりません。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないという条項は織り込み済みの話です。で、一ヶ月間途絶えて議論が落ち着いて来ましたので今がころあいだと思って過去ログ化について提案したのです。あなた様のまとめがうまく行ったのならこの提案しなくてすんだのです。どうすれば過去ログ化できるかと思うだけなんですけれどね。いつまでも論議してもCray-Gさんが過去ログ化自体反対でないのだからあなたのおもうままにやって見てもいいんだよ。提案者は私だけれど過去ログ化は誰でも出来ることだし。papamaruchan22 2010年8月17日 (火) 04:59 (UTC)
言葉を尽くしてきたつもりですが、理解して戴けなかったのは残念です。提案内容の是非に関する理解を得ることを諦め、(今後の対話や状況の変化によって意見が変わるかも知れませんが)現時点で私は本節に於ける過去ログ化提案に反対であることを表明します。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月17日 (火) 06:59 (UTC)
過去ログ化の考え方の違いがあるようですね。本節に於けるもなにも、そもそもノートページが大きくなりすぎた時に、議論を過去ログ(アーカイブ)化します。ここは大きくなりすぎてどうにもなりません。アーカイブですからノートの発言を改変せずそのまま過去送りします。ただ議論の最中はそれまでの議論を見渡せることが大切ですので避けるとされてるだけです、これについては、可能であれば議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することが推奨されております。過去ログ化の方法で賛否を問うているのではありません。papamaruchan22 2010年8月17日 (火) 09:56 (UTC)
サイズの問題なら、サブページ化という手法もあります。過去ログ化、つまり、議論を過去のものとして一切の編集を禁ずることは、ノートページが大きくなりすぎた時の唯一無二の対処方法ではありません。手法を限定しない「過去ログ化」を求めることで、サイズ問題の解決がむしろ遠のいているのは事実です。まとめがなされていないことについて複数の解釈が成り立つこと、わたくしが三箇月を一つの目処と考えていたことは既に述べました。また、現状での (手法を指定しない) 「過去ログ化」に反対であることも既に述べました。それでもなお手法を指定しない「過去ログ化」が必要でしょうか。--Jms 2010年8月17日 (火) 10:24 (UTC)
そうですねぇ。今実施を提案してるのですから現状での過去ログ化になります。ノートページの議論はおのおの皆さんの言葉を編集しないと思います。三箇月を一つの目処というのはあくまで相手待ちでその期間の根拠が不確実でJmsさんらしくないと思ってます。会話ページについてはきちんと「過去ログ」をつくることは必須ではありません。が、過去の議論を追いやすくするために推奨されています。サブページ化にはこだわりはありません。いずれにしてもアーカイブはノートでの皆さんの言葉を改変することでもまとめることでもないしね。そのまま過去ログ化がベストと思っております。papamaruchan22 2010年8月17日 (火) 12:47 (UTC)
三箇月の根拠は説明しました。安全係数 2 というのは実社会での生活においてそう珍しいことではないでしょう。再度述べますが、「過去の議論を追いやすくするために」サブページ化してそこでまとめを作り、その上でTemplate:Archiveを用いるべきでしょう。ノートページから分離することについては異論がなく、現時点で打ち切るための「過去ログ化」についてはこれだけ強い反対がある状況で、現状での過去ログ化を主張し続けることは、このノートの肥大化に寄与することこそあれ、目的となさっているノートページからの分離はなかなか実現できないのではありませんか。ノートページからの分離と過去ログ化を分けて考えることはできませんか。--Jms 2010年8月17日 (火) 19:11 (UTC)

(インデントもどす)いろいろご足労すみません。過去ログ化そのものの必要性は周知の事実なのでどなたも反対してません。過去ログの方式でもめているとの認識です。私の過去ログ化の主張はノートページから分離ではなくてノートページの過去ログ化そのものです。分けて考えておりません。次にJmsさんの三箇月の根拠は読んでます、調停候補者の投稿パターンが3ヶ月ぐらいの間隔が空く時があるので、当該者は5月に最後の投稿があった事から8月に又訪問してくれだろうというのは、それは相手次第なので、不確実要素のほうが強いでしょう。安全係数2とか安全率の安全管理の話はウィキのノートではそぐいません。次に過去ログ化ではサブページを使うのはもっとも多い方法ですから今回も過去ログ化したいページに「過去ログ1」の表題をつけておく事になるでしょう。さらに「現時点で打ち切るための「過去ログ化」」という表現が私にはよく理解できませんでした、過去ログ化は単にアーカイブに過ぎないのです。テンプレートで{{Archives|ノート:がいし}}のように設定すると、現在議論を行っているページへ誘導できます。決して議論の終了を意味しません。つぎにまとめの話をします。過去ログに際してはまとめ(リファクタリング)をする場合はこんなに議論百出・百家争鳴明ぐだぐたしたノートの場合まとめは容易ではないと考えます。必ずしも全員の支持を得られるとは限りません。議論をまとめることそのものに不満を持つ人がいます、そのページをまとめられない事態になってます。ですからまとめてしまわないで、「ノート:がいし/過去ログ」として直接手を加えずにおいて、まとめのページははあとでゆっくり別にするといいでしょう。いろいろ意見ありがとうございました。自分の過去ログに関するウィキの認識のおさらいで述べてた側面もありますので長くくどくなりました事をお許しください。。papamaruchan22 2010年8月18日 (水) 12:05 (UTC)

もしかしたら私の用語法に問題がありpapamaruchan22氏に誤解を与えたことで議論が紛糾している可能性に思い至ったので言わせて戴きます。私が言っていた「纏め」は、リファクタリングとして議論を上書きするものではなく、議論には「直接手を加えずに」冒頭に追記するレジュメ(要約概要)のつもりでした。
該レジュメは既に#水入りできた気はしますが…で提案した通り極めて短いものを想定しています。なのでレジュメ用に別ページを用意するよりも、本ノート頁から過去ログへの誘導部分(←改名提案節を残し議論継続の場合)乃至は過去ログの節冒頭(←議論を終結し改名提案却下の場合)に追記する方が利便性が高く適切だと考えています。そして、もしも過去ログの節冒頭に追記する(=議論を終結し改名提案を却下する)ことになった場合、レジュメ完成前にアーカイブ化されると追記出来なくなるので難渋を示しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月18日 (水) 14:08 (UTC)
◆話がかみ合っていない様です。過去ログの方式で揉めているのではなく、過去ログ化という言葉で何を意味しているのかを問われており、方式はその端的な現れに過ぎません。調停を申し出た方の投稿パターンに関する下りは誤読です。一ヶ月半くらい間があくことがあるから、ざっとその倍の三箇月位まって動きがなければアクションを起こそうと考えていた、ということであり、それを安全係数 2 と書きました。それについて、「ウィキのノートではそぐいません」というのは理解しかねます。議論のまとめを容易でないと思うかどうかは人それぞれですし、わたくしが述べているのは事実と論点のまとめであって、議論の経緯をまとめることではありません。「議論をまとめることそのものに不満を持つ人」というのは具体的にどなたのことでしょうか、また、どういう点が不満なのでしょうか。「そのページをまとめられない事態になってます」というのが認識の違いであることは既に述べました。まとめずに「ノート:がいし/過去ログ」として保管し、まとめのページははあとでゆっくり別にする、というのでは、まとめページが過去ログが分離していて不便という点と、Archives テンプレートの貼り付けタイミングが違うことを別にすれば、わたくしが述べていることと同じでしょう。--Jms 2010年8月18日 (水) 19:24 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-G様了解しました。いつまでも続くのは本意とするところではありません#水入りできた気はしますが…で提案頂いたたレジュメを利用し議論には「直接手を加えずに」冒頭に追記する概要であれば私は異存ありません。それから前にも言いましたが、テンプレートで{{Archives|ノート:がいし}}のように設定しておくことにより現在議論を行っているページへ誘導できますので、議論の終結とか却下とか結論を出さなくてもいいと存じます。従いまして再度申し上げれば提案頂いたたレジュメを完成として利用すれば追記とかの心配もないでしょうね。2010年8月19日 (木) 03:22 (UTC)
Jms 様、安全係数は基本となる分母部分が確定してないとダメです。投稿間隔が不確定なものに係数は付与できないというのが私の考えです。まとめについてもう少しお話します。まとめ方は一般的なやり方で行っても必ずしも全員の参加者から支持されるとは限りません、不特定の方々が参加しているのですから、それが具体的に誰かなんて想定してません。そのまとめ方がどんなものかはチェックするにはまとめる前の個々の議論へリンクを張っておきます、オリジナルとの対比によって理解もできる事でしょう。さらに、「ノートがいし:過去ログ1」には手を加えない代わりに「過去ログ1まとめ」という別ページができてる訳ですから短いまとめを読みたい人も、オリジナルの発言を見たい人も都合がいいわけです。ノートですからあくまで議論のまとめです。議論の中に論点とか事実があるんです。私の理解不足があるかもしれませんが テンプレートの貼り付けタイミングが違うことを別にすれば、あなたが述べていること同じ、との考えならいつまでも待つ必要もないわけで、誰が過去ログに着手しようと一向に私はこだわりはないのです。papamaruchan22 2010年8月19日 (木) 03:22 (UTC)
議論の終結とか却下とか結論を出さなくても
過去ログ化の場合、継続している議論の過去ログ化か終結した議論の過去ログ化かで色々と違いがあります。そのあたりの合意が取れていないと、また混乱を招く可能性があるのではないかと危惧します。
提案頂いたたレジュメを完成として
該レジュメに、今回の過去ログの件も書き加えた方がいいかと思っています。そうすれば、もし議論継続の形で過去ログ化された時でも、議論終結を希望する方々がレジュメのみで「自分達の意見が強引に/軽々に無視されたわけではない」ことを理解出来るでしょうからね。
(前略)

と混迷を極め、果ては互いに投稿ブロック依頼利用者コメント依頼をするに至り、両依頼の対象となった両者が発言を控えたことで「議論が止まった感」となった。(#水入りできた気はしますが…

それを機に過去ログ化が行なわれたが、この過去ログ化を改名反対者による継続中議論の強引な終結=議論撹乱行為であるとしてリバート、投稿ブロック依頼が提出される。その後、改めて#過去ログ化のご提案にて合意を得て過去ログ化された。

《過去ログへのリンク》

議論継続の場合に過去ログへのリンクとして加えられる際には、ページ内リンクを全て過去ログの当該節へのリンクに張り直し、また(議論継続であれ終結であれ)過去ログの節の先頭に加えられる場合には《過去ログへのリンク》を除去し、ページ先頭に通常通り過去ログテンプレートを貼り付けることを想定しています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月19日 (木) 07:24 (UTC)
ごくろうさまです。この案で私は良いと思います。papamaruchan22 2010年8月19日 (木) 08:16 (UTC)
◆齟齬があっては困るので、具体的手順を確認させてください。
  1. 当該ノートページを「ノート:がいし/過去ログ1」に移動改名。この時点で Archives テンプレートは用いない。ページ内リンク修正。
  2. 移動後のノートページ (移動時点ではリダイレクト) に「ノート:がいし/過去ログ1」へのリンクを設置 (必要に応じ「ノート:がいし/過去ログ1」より一部転記…改名提案以外の部分を想定)。
  3. 「ノート:がいし/過去ログ1」でまとめを作成 ()、ページ冒頭 (TOC の前) に。
  4. まとめができた時点、あるいは、まとめ作業が一定期間中断したら、「ノート:がいし/過去ログ1」に Archives テンプレートを追加。
この手順で不都合がありましょうか。--Jms 2010年8月19日 (木) 09:38 (UTC)
◆不都合は特に無いですが、かつて過去ログ化に対しリバートという過敏な反応をしたVigorous action氏の意見がまだ出ていないところが気になります。
私としては、今までレジュメに異論が全く出ていないことから特段の反対意見はないものと看做して、
  1. 改名提案節の直下にレジュメ挿入
  2. テンプレを貼り付けて保存(過去ログ化前半)
  3. 過去の版(2.)を過去ログとして、改名提案節のレジュメを修正し、レジュメ以降#改名提案: 進行の事務連絡まで含めて)を除去(過去ログ化後半)
  4. 改名提案が手続き上失効している旨をレジュメ直下に追記
という手順を考えています。
現状で本節議論参加者が極一部に限られていて充分な合意が得られているとは言えない点や、議論に参加せずに行動だけする過去の議論参加者が賛成反対両陣営に居る点、そして本節議論自体に気付いていないかつての議論参加者が居る可能性を鑑みて、議論終結を前提としながらも万一の場合に備えてよほど強固に終結反対する人が(リバートとかの過去ログ化自体に反対するような強硬な態度を取らずとも)意見(議論終結ムードに対する反意とか、レジュメ内容に対する異論とか)を述べる場を残しておく方向性です。可能性は低いとは思いますが色々と言いたいことがある議論不参加の人が居るかも知れませんので。
そのまましばらく放置しておいて、ある程度したら終了テンプレを貼るのが最もトラブルが少ないかと考えました。過去ログ化後に終了提案するという案も考えたのですが、また論争勃発して似たような議論が繰り返されるのも何なので、この程度が妥当かと。
もしもJms氏がレジュメに対する異論をお持ちなのであれば(前提としている「特段の反対意見はない」という推定が明に成り立ちませんので)即引っ込めるつもりです。レジュメに特に異論が無いようであれば、考慮して戴ければと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月19日 (木) 11:10 (UTC)
Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ5の過去ログ化の際には、Archives テンプレート貼り付けは最後でした。「過去ログ」という名称になってから実際に過去ログとなるまで一ヶ月半、過去ログ化ための作業にも約二週間かかっています。レジュメに関しては、当時は調停を申し出た方に任せる方が良いと考えていたため、詳細な検討をしていません。議論の経緯ではなく、論点を抽出してまとめる方が良いと考えています。また、論点とは別に、ウィキペディア外の事実 (JIS ではこう、用例調査はこう) は事実として別途まとめておくべきだと思います。という訳で、異論なしという訳ではありません (かといって、橋にも棒にもという訳でもないでしょう、おそらく)。検討するとすれば、この過去ログ化の議論が落ち着いてからになると思います。--Jms 2010年8月19日 (木) 14:12 (UTC)
なるほど、事実の纏めまで作るとなると確かに揉めそうですね。そういうことなら引っ込めます。私は、後から読む人が「読む気になる」程度の概要(詳細に関しては議論本体を参照してもらう)で充分と考えていたので其処までは考えていませんでした。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月19日 (木) 15:38 (UTC)
ウィキペディア外の事実ですし、既に挙げられているものだけを想定していますので、揉めるとは思えません。「読む気になる」程度の概要という点については同意見です。--Jms 2010年8月19日 (木) 16:12 (UTC)
私の取り越し苦労かも知れません、私がレジュメを作った時になるべく文句が出ないようにと心配して記載を工夫したものですから。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月19日 (木) 16:53 (UTC)

二週間経ちますが、どうしましょう。--Jms 2010年9月5日 (日) 19:40 (UTC)

私の方からは特に何も。先に提示して戴いた手順で進めて戴いて問題無いと考えます。むしろ逆に、「まとめを作成」する人が居なくて作業が進まないんじゃないかと心配になってしまうぐらい問題無いと考えています。私のこの杞憂に係わる対案は既に述べた通りですので再録しません。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月6日 (月) 09:58 (UTC)
私の方からは今回の提案に対して合議の上で有ればなんら異論をはさむつもりが無い事をお伝えしておきます。--Vigorous actionTalk/History2010年9月6日 (月) 10:11 (UTC)

私は、項目名は漢字でもひらがなのいずれでも、一定の合理性があり、よいと思って見てきましたが、はっきり言ってここまでくると"邪魔"ですね。移動させたいのならば、過去ログ化して議論をやり直すべきでしょう。なお、2年前の移動を持ち出したり過去ログ化が1週間に何時間足りないとか言って荒らし呼ばわりするのには賛同できません。こういう事例(参考)を思い出します。--Paperones 2010年9月11日 (土) 02:42 (UTC)

議論の進展があるならともかく、先の見えない待ち状態が続いているだけですからね。このままだと、そのうち私の方がブチ切れて私の提案した手順で過去ログ化してしまうと思います。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月13日 (月) 07:18 (UTC)
Papamaruchan22 さんのログインがしばらくないのが悩ましいところですが、近々、移動による過去ログ化準備作業をしますので、しばしお待ちを。--Jms 2010年9月13日 (月) 09:55 (UTC)

改名提案の付帯議論・論点整理用 編集

常用漢字との関係 編集

平仮名および漢字の使用件数との関係 編集

その他 編集

意向調査 (1) 2010年2月7日時点の賛否一覧 編集

注記
この意向調査は、おおむね2010年2月7日時点の議論の状況を反映しています。それ以降の議論を反映した結果ではないこと、また議論参加者に変動があることにご注意ください。 --Hatukanezumi 2010年3月19日 (金) 03:28 (UTC) 注記
注記の注釈
上記の「注記」に関しては、少なくとも2名から、異議が申し立てられています。以下の投票状況は、議論の現状を反映したものであるという意見もあるということにご留意下さい。--Nekosuki600 2010年3月19日 (金) 10:25 (UTC)

賛成 編集

  1. --Hitachi-Train
  2. --Rambler
  3. --miya
  4. --Nazox
  5. --Yavjan
  6. --Vigorous action
  7. --ZERBERUS
  8. --KAMUI
  9. --Yavjan
  10. --Jms (但し文中での平仮名表記を妨げない形で妥結すべき)
  11. --Nekosuki600 2010年2月7日 (日) 09:05 (UTC)
  12. --Ray go 2010年2月18日 (木) 11:47 (UTC)

賛成よりコメント 編集

  1. --StarJumper
  2. --Tam0031
  3. --特別:投稿記録/218.231.109.198同一人物特別:投稿記録/218.231.177.10
  4. --世界最狂の魔法使いCray-G (碍子に学術用語としての意味が存在しないのならばWikipedia:表記ガイド#学術用語の原則から外れて一般用語と同じ扱いにするべき)

反対 編集

  1. --Qurren
  2. --rs1421
  3. --アルビレオ
  4. --Hatukanezumi

反対寄りコメント 編集

  1. --みや1229

コメント 編集

  1. --КОЛЯ
  2. --特別:投稿記録/121.102.113.26
  3. --M abe
  4. --特別:投稿記録/110.66.12.109
  5. --ヴェンデルマン

改名提案: 進行の事務連絡 編集

  報告 以前の議論のまとめを書いてみようかとおもったのですが、どうにも見通しが悪いので節名を振りました (従来の「Unit」表示もアンカーとして残してありますので、[[#……]] リンクで参照可能です)。本来は一人の人間が後付けでやることではありませんから不十分かとおもいますが。
今後は、論点を意識して節分けなどしていただくようお願いします (何度も同じ主張を繰り返すかたや、異なる話題をそのまま最下部に追加するかたもいて、議論がしばしば巻き戻されることが見受けられます)。 --Hatukanezumi 2010年3月7日 (日) 13:18 (UTC)

改名案件とは関係なく 編集

改名提案後もずいぶんと加筆され記事がよくなって来ているとは感じますが、記事を閲覧者の立場で読むとひらがなが続いてwordの区切りが解りにくいです。改名するしないに関係なくひらがなの「がいし」の部分を他のひらがな部分と分ける為に"がいし"・「がいし」・『がいし』・がいしなど単語の区切りが分かるように記載する事って問題がありますか?漢字で碍子なら分ける必要もなく解るのですが、現状のままだとちょっと読みにくく感じます。

例)ポリマー製がいしも陶器製がいしも現在使われているが、日本国内では陶器製がいしがよく使用されている。

  • ポリマー製「がいし」も陶器製「がいし」も現在使われているが、日本国内では陶器製「がいし」がよく使用されている。
  • ポリマー製『がいし』も陶器製『がいし』も現在使われているが、日本国内では陶器製『がいし』がよく使用されている。
  • ポリマー製"がいし"も陶器製"がいし"も現在使われているが、日本国内では陶器製"がいし"がよく使用されている。
  • ポリマー製がいしも陶器製がいしも現在使われているが、日本国内では陶器製がいしがよく使用されている。

などのいずれかの方法を取る事で記事が読みやすくなるように感じます。ご意見ください。また他の解決策が有ればその方法でもかまわないです。--Vigorous action (会話/履歴) 2010年3月25日 (木) 08:50 (UTC)

「日本国内では磁器製のものがよく使用されるが、一部ではガラスあるいはポリマー製のものも使用される。」が良いと思います。--Qurren 2010年3月25日 (木) 09:26 (UTC)
  コメント 「……」などでくくると、言葉をことさらとりたてているようで、違和感があります。'''……'''は、適宜使えばいいとおもいます。ただ、全部を太字にするわけにはいきませんねえ。
で、当記事はもともと、がいしについての記事なので、「がいし」という言葉が連呼されているような箇所をみつけたら、Qurrenさんの案のようにするほうがいいのじゃないかとおもいます。それでも読み取りにくい部分は残るかもしれませんが、そこは記事本文の文章に即してケースバイケースで解決策を探ればよいかと。 --Hatukanezumi 2010年3月25日 (木) 15:27 (UTC)
  コメント当方、電力業界の末に席を置くものですが、コメント依頼がありましたので一寸。
この業界の新人はJISやIEEEの規格の教育を受けますがその中で、がいしは古くは”碍子”と漢字で書いたが、現在は”がいし”と書くのが公式と習います。
そのため、公式な書類を書く場合には、がいし表記を用いるように心がけてはいますが実際は、結構いい加減で、がいし・碍子の表記はかなり揺れがあるのが現実です。非公式な社内文書では、碍子と書いてしまう方が多いぐらいかもしれません。がいしor碍子などどっちでも良い、大して気にしていないというのが正直なところです。おそらく業務上がいしと接している業界の他の方たちも、似たようなものでしょう。
そのような事情もありおそらく日常、がいしor碍子とは全く関わりのないであろう方々が、がいしor碍子で熱い議論を交わしていらっしゃるのは、極めて新鮮な驚きでした。(何かの運動と関係があるのでしょうか?)
また蛇足ですが、特許に限り特異的に”碍子”表記が多いのは、実際にクレームを書いているのは門外漢ではる特許部門や弁理士先生であることと、古い検索システムでもHitしやすいようにという特許特有の事情によるものでしょう。一寸ネットで検索したら私が新人の頃、がいし表記が正と教えてくれたAさんの特許にも碍子と表記してあったのには笑いました。
長くなりましたが、がいし表記が正。記事名の議論とは別と思いますがこれが電力業界での標準だと思います。
また、記事の中程の懸垂がいし画像はどう見ても耐張がいし連(装置)で、画像の説明として不適当です。--122.29.251.114 2010年4月1日 (木) 19:13 (UTC)
  コメント電力業界内のエピソードを面白く拝読しました。そして、その理由については言及されてらっしゃいませんでしたが、電力業界ではひらがな表記を公式とするらしいことは了解いたしました。さて、お話に登場するAさんが、業務上ではひらかな表記を正としながらも、特許申請の際には業界とは異なる常識を使い分けてらっしゃるように、状況に応じて柔軟に対処することは、誰もが普段から当たり前に行うことであります。翻ってウィキペディアですが、ここでは果たしてどの規格、標準、仕様、常識に従って対処することが妥当だとお考えか、ご意見をお聞かせください。但し、私は記事の分割には賛成できません(理由は本ノートの当該箇所にて述べます)。--以上の署名のないコメントは、Nazox会話/Whois)さんが 2010年4月2日 (土) 23:56(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。

概要 編集

大変長い議論となったことから、まとめが作られました。まとめ案として議論の粗筋と、事実と論点の抽出の二案が提出され議論となり、まとまりませんでした。

以下、二案のまとめ及びそれへの異論反論です。

事実と論点の抽出 編集

  • ウィキペディア外の事実
    • JIS C 3803 ならびに『学術用語集』電気工学編・建築学編・土木工学編では「がいし」
    • NII論文情報ナビゲータでの検索結果
      • 論文名検索をし、重複等を除くと 「がいし」323件、「碍子」189件、総数512件、「がいし」は約63パーセント 詳細
      • 全文対象に単純検索すると「がいし」437件、「碍子」402件、「がいし」は約52パーセント
      • 電気学会の論文名に限ると「がいし」166件、「碍子」21件、「がいし」は約89パーセント
      • 「碍子 -日本碍子」212件、「がいし -日本碍子 -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし」405件、「碍子 -がいし -看護」で363 件、そのうち著者所属に「碍子」を含むもの 48 件。「がいし -碍子 -看護 -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし」 400 件、「がいし -看護 -おねがいし -がいしゃ -仲たがいし -うかがいし -生きがいし」 436 件
    • 「がいし」を用いている成書
      • 『世界大百科事典 (5)』1975年版、『大百科事典 (2)』1984年初版発行、『世界大百科事典 (4)』2007年改訂版発行
      • オーム社編『カラー版電気百科事典』オーム社、1982年 ISBN 4-274-02919-0
      • 赤﨑正則『基礎高電圧工学』昭晃堂、1980年 ISBN 4-7856-1094-8
      • 浜野健也・川村資三・田中愛造・中川善兵衛編集『窯業の事典』朝倉書店、1997年初版第2刷
      • 社団法人建築設備技術者協会編『建築設備設計マニュアル3電気設備編』技術書院、1997年 ISBN 4-7654-3148-7
      • 高橋雄造 『百万人の電気技術史』 工業調査会、2006年 ISBN 4-7693-1258-X
      • 電気学会編集発行『電気学会大学講座 送電工学 改訂版』2002年 ISBN 488686130X
      • 石井彰三監修、新井芳明・有冨正憲・岡本裕正・粉川昌巳・菅谷光雄編『電力技術 新訂版』実教出版、2002年
      • 東北電力30年史編集委員会編『東北電力株式会社30年のあゆみ』東北電力、1981年
      • 北陸電力30年史編集委員会編『北陸電力30年史』北陸電力、1982年
      • 北陸地方電気事業百年史編纂委員会編『北陸地方電気事業百年史』北陸電力、1998年
      • 中国地方電気事業史編集委員会編『中国地方電気事業史』中国電力、1974年
      • 四国電力株式会社社長室編『四国電力20年のあゆみ』四国電力、1972年
      • 山口梅太郎・関根泰次・都甲泰正編『ビジュアル版 日本の技術100年 第1巻 資源 エネルギー』筑摩書房、1991年
    • 「碍子」を用いている成書
      • 矢部良明ほか編『角川日本陶磁大辞典』角川書店、2002年 ISBN 4-04-023200-3
      • 日本セラミックス協会編『セラミック工学ハンドブック第2版応用編』技報堂出版、2002年 ISBN 4-7655-0032-2
      • 『日本大百科全書 (4)』1985年初版発行
      • 窯業協会編『セラミックス辞典』丸善、1986年 ISBN 4-621-03041-8
      • 日本セラミックス協会編『セラミックス用語集』丸善、2000年 ISBN 4-621-04708-6
      • 宮地英敏『近代日本の陶磁器業』 名古屋大学出版会、2008年 ISBN 978-4-8158-0602-6
      • 橋爪紳也、西村陽、都市と電化研究会『にっぽん電化史』日本電気協会新聞部、2005年 ISBN 4-902553-17-1
      • 佐賀新聞社・佐賀県大百科事典編集委員会編『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年
      • 土方巽『普及版土方巽全集1』河出書房新社、2005年 ISBN 4-309-26844-7
      • 東京電力編『関東の電気事業と東京電力 電気事業の創始から東京電力50年への軌跡』東京電力、2002年
      • 高津学、広木守雄編『ファインセラミックス用語集』紀伊國屋書店、1994年 ISBN 4-314-10061-3
      • 日本産業技術史学会編『日本産業技術史事典』 p.88(石村眞一)、p.95(水野信太郎)思文閣出版、2007年 ISBN 978-4-7842-1345-0
  • ウィキペディア内の事実
    • リンク元数
      • 碍子 13 件
      • 碍子 (がいし) 1 件
      • 碍子 8 件
      • 碍子 (がいし) 2 件
      • がいし 26 件
      • 合計 50 件、「がいし」約52パーセント、併記を含めると58パーセント
    • 表記ゆらぎの選好度と記事名との関係を調べると、2/3 が記事名を選ぶ一つの目安
    • 2007年9月16日 (日) 00:22 (UTC) 碍子からがいしへ改名 (改名提案手続きなし)
    • その二年以上後の 2009年11月30日 (月) 11:59 (UTC) に碍子への改名提案
  • 「がいし」とすべきだとする意見
    • 専門用語学術用語として、ガイドラインに従い当該分野の習慣に習うべき
    • 常用漢字表に従うべき
    • がいしと表記するのがごく一般的
    • 教科書的な文献に合わせておいてほしい
  • 「碍子」とすべきだとする意見
    • がいしだと紛らわしい/違和感を覚える
    • 碍子の方が曖昧さが無く読み易い
    • 常用漢字表を墨守する必要は無い
    • もともと漢字なのだから漢字であるべき
  • その他の意見
    • そもそも碍子は専門用語学術用語なのか?
      • 学術用語:学術用語集に載っている語は全て学術用語
      • 一般用語:学術用語としての意味を持たないので排他的に一般用語
    • がいしは碍子の読みではない
    • 記事をがいしと碍子に分割してはどうか
    • 記事名を「碍子」、本文では冒頭を除き「がいし」として困ることがあるのか
    • どちらにすべきとも言い難い。強いて挙げればWikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことの「音読みの部分はできるだけ漢字」、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「専門家よりも一般的な利用者の関心を重視」、Wikipedia:記事名の付け方冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」などがある。

議論の粗筋 編集

2007年9月16日 (日) 00:22 (UTC) Qurren氏が提案無く独断で碍子からがいしへ改名。

その二年以上後の 2009年11月30日 (月) 11:59 (UTC) に碍子への改名提案され、以後

がいし(改名反対)
  • 専門用語学術用語として、ガイドラインに従い該分野の習慣に習うべき
  • 常用漢字表に従うべき
  • がいしと表記するのがごく一般的
  • 教科書的な文献に合わせておいてほしい
碍子(改名賛成)
  • がいしだと紛らわしい/違和感を覚える
  • 碍子の方が曖昧さが無く読み易い
  • 常用漢字表を墨守する必要は無い
  • もともと漢字なのだから漢字であるべき
  • そもそも碍子は専門用語学術用語なのか?

という各々の主張から使用例の多寡を論じての終結が試みられるが、論文等の学術分野に限ってさえ、いづれも支配的ではないことから終結には至らず。やがて#対象によって使い分ける提案以後、碍子が専門用語/学術用語であるか否かの議論となる。

学術用語
学術用語集に載っている語は全て学術用語
一般用語
学術用語としての意味を持たないので排他的に一般用語

この議論に於いて、排他的に一般用語と強硬に主張する世界最狂の魔法使いCray-Gが出した争点に対し「学術用語の定義」を争点とされ議論が迷走したことから、「学術用語としての意味を持たないので排他的に一般用語であり、百歩譲って学術用語だとしても、原則を適用せずに一般用語扱いするべき例外的な学術用語である」と態度を軟化。

以後、#椅子と碍子との事情の違いに於いて例外性の検証が行われるかと思いきや、文献探し合戦とも言うべき出典探しの様相を呈する。係る出典探しにより記事への加筆が促進された。しかし出典を読まない/記事への加筆が無い議論参加者を批難する声が出る他、

  • そもそも改名提案も無しに強引に改名したのが問題なので、とりあえず「碍子」に戻して「碍子→がいし」の改名提案からやり直すべき
  • がいしは碍子の読みではない
  • 外部の信頼できる資料が用字の基準や具体的な表記を示しているのであれば、基本的にはそれに従っておけばよい(実質的な議論の巻き戻し)
  • 記事をがいしと碍子に分割してはどうか

と混迷を極め、果ては互いに投稿ブロック依頼利用者コメント依頼をするに至り、両依頼の対象となった両者が発言を控えたことで「議論が止まった感」となった。(#水入りできた気はしますが…

それを機に過去ログ化が行なわれたが、この過去ログ化を改名反対者による継続中議論の強引な終結=議論撹乱行為であるとしてリバート、投稿ブロック依頼が提出される。

その後、改めて#過去ログ化のご提案にて合意を得て過去ログ化され、このまとめが作成された。

議論の粗筋への反論 編集

  • これは粗筋ではなく、偏った観点からの批判である。まとめとして提供するべきものではない。
    • 問題行動は双方の論者が行なっていて且つそれを双方とも記載している。批判というのは不当であり、何らかの思い込みに影響された評価なのではないか。
      • 批判に見える人が居るということは即ち観点非依存ではないという事実を示している。故にまとめとして提供するべきものではない。
  • 枝葉の議論である「碍子が専門用語/学術用語であるか否かの議論」のみ大きく取り上げ、他の重要な議論を軽く扱っていて不適切である。
  • 大げさな表現や主観的な表現による印象操作がされている。

作業用スペース 編集

事実と論点の抽出お疲れ様です。何処に書けばいいのかわからず提案も議論も出来なかったので、勝手ながら組み替えました。特に強硬な意志の元に行なったわけではないので、意見でも編集でもお気軽に御願い致します。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月30日 (木) 23:53 (UTC)

論点があれば、議論の経緯は不要だと思うのですが、議論の経緯も必要ですか。議論の経緯を中立に描くのは結構難しいと思いますが…。論点の抽出については、本当は改名賛成論を改名反対側が、改名反対論を改名賛成側がそれぞれまず抽出し、相互検証という段取りをとれればよいと思っていました。--Jms 2010年10月1日 (金) 13:46 (UTC)
本体の議論を読み易くすることが主眼だと思いますので、経緯も必要だと考えています。私も中立的に書くのが容易だとは思っていないので意見を求めました。誰も意見を出してくれませんでしたが。
論点が全て一つ残らず明瞭且つ誤解無い形で出されていれば、経緯どころか議論本文さえ無くても構わないと思います。ですが例えば「碍子が椅子や炬燵と同レベル」か否かなどは載っていませんし、その前後の各主張反論再反論を全て載せるとか非現実的です。「論点はこれです」と書いておいきながら、実は議論本文を読まなければわからない「論点」が多数存在することは拙いのではないかと。
私はいづれの立場に立つにせよ、論点の抽出を諦めざるを得ませんでした。確かにサイズは数分の一になりそうな見込みでしたが、特に論理構成が誤っている主張や反論(特に論点回避)は短くすることが難しく、如何にも見当違いなことを言っていることが露骨にわかるようにしか出来なかったからです。さして短くなるわけでもないのに労力をかけてオリジナル性の失われた難解な結果を残すぐらいなら、難解な一次資料の方がオリジナル性がある分だけマシだと思えたわけです。
で、私は解決として「そもそも全部を要約することを目的とせず、最初から議論本文を読んでもらうことを前提として、議論本文を読む際に予め知っておくことで読むのが楽になるあらすじを提供すること」を選択しました。
いづれにせよ、コミュニティーを消耗され尽くした後なのです。生き残った者に出来る範囲で最善の結果を残すべきかと考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月1日 (金) 14:29 (UTC)
要約なのですから、全ての論点である必要はなく、主要な論点だけ挙げれば十分でしょう。論理構成が誤っている主張や論点回避は要約に含めないのが親切というものです。お書きになったあらすじはまとめというよりは批判だと思います。そうなってしまうのは理解できなくはありませんが、だからこそ、今回の件であらすじを提供し得るのは議論に参加しなかった人だけだと思います。--Jms 2010年10月1日 (金) 17:14 (UTC)
本件議論に於ける主要な争点は一つしかなく、「碍子は学術用語(専門用語)である」か否かです。本来なら論点は「いづれがwikipediaでの記事名のつけ方の方針に沿っているか」であるべき(そして碍子派はそれを論じようとしていた)ところなのですが、極少数を除くがいし派は最終的に「碍子は学術用語である」からと本来の(碍子派が主張する)論点に関する議論を避けて同じ議論を繰り返させてきました。それは現実の話であって批判とか何とかではありませんし、しかもそれらの事実はまとめには書いていません
私が本来の論点に近い争点である「百歩譲って学術用語だとしても一般用語として広まった例外である」か否かを出して以降は露骨で酷い状態ですが、それに対してさえ私はいづれかの派閥を批判するようなことは一切書いていません。その後の問題行動はがいし派碍子派双方を取り上げましたし、またそれらをいづれが行ったかは無論のこと、ほのめかすようなことすら書いていません
これが批判に見えるというのは不当であり、何らかの思い込みに影響された評価なのではないかと考えます。私は、よほどシンプルな議論でもない限り議論の概要に粗筋は必須だと考えているので、粗筋不要論なら勉強になりますし聞きたいと思います。ですが、思い込みによる不当な評価に基づいて「使い物にならん」と言われても困るのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月2日 (土) 02:04 (UTC)
争点と論点は違います。「一つしかない」ものが何であるかという認識がわたくしとは異なることはわかりました。批判だとは思わない、というのも承りました。しかし、批判と受け取る人がいることは事実です。つまり、観点非依存ではないということです。そして、そうした観点依存性は、事実としてのまとめの受容を困難にすることがあります。まとめである以上、事実についてすら取捨選択しなければなりませんし、そこに何らかの基準が存在するのは確かですが、事実をつなげて粗筋を提示することは、そうした基準の観点依存性を高めることはあっても低めることはないでしょう。事実をある特定のやりかたでつなげることは、情報の合成と同じ効果を持ち得ます。--Jms 2010年10月2日 (土) 03:21 (UTC)
はい、争点と論点は異なります。本件議論では争点はひとつでありながら、山程の論点が出されています。その山程ある論点を抽出し切れていないことが認識出来る形であればJms氏の案も受け入れられるかと思います。より「議論を見る気にさせる」ようにする必要はあるかと思いますが。
批判と受け取る人がいることは事実
私は批判と受け取ることは不当だと主張しています。批判と受け取った人が居ることを無視することは論外としても、根拠無く全てを認めるものではありません。
事実をある特定のやりかたでつなげることは~~
あまりこういうことを言いたくはないのですが、その点ではJms氏の「抽出」はもっと酷いと思うのですが。「抽出」と言いながら実際には「抽出」出来ていないわけですから。そもそも百科事典にせよ要約にせよ、編纂する以上必ず「情報の合成と同じ効果を持ち得ます」ので、「情報の合成と同じ効果」を持ち得ること自体は問題無いと考えます。
なお、wikipedia外の事実を「最初」に「単に並べる」意味がわかりません。その事実の羅列から何らかの情報が得られるのならともかく、それらの事実は主張の根拠として使われているものであり何らの主張を含んでいません。言い換えるならば、主張によって意味を与えられるのであって、事実そのものは無意味です。「情報の合成」と話を合わせるなら、事実そのものは一次資料であって、主張は二次資料です。そしてまとめが三次資料(百科事典と同じ)になります。いきなり一次資料の内容を書かれても三次資料として不適切であり、それを最初に持ってくることは「読む気を失くす」効果しか無いと思うのです。
とにあれ重要なのは、それを各観点から見て中立的であると合意出来る内容にすることではないでしょうか。私の書いた「粗筋」に問題があると考えるのであれば、指摘して戴きたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月2日 (土) 18:43 (UTC)
どうやら「まとめ」に対する考え方、なにがまとめとして提示されるべきか、が大きく異なる様です。この状況で議論を続けるよりは、まとめをあきらめて移動処理直後の状態として「過去ログ」にしてしまうべきだと思いますが、如何でしょう。残念ではありますが。何をもってまとめとするかの合意がない状況では、粗筋の問題点を指摘しても無駄なので現時点では行ないません。--Jms 2010年10月2日 (土) 20:34 (UTC)
であれば、まとめとして何を提示すべきかを話し合い、合意の努力をすることが本筋かと思うのですが。とは言え、やる気の無い者に強いることは出来ませんし、独りで話し合いが出来るわけでもありません。その提案では、私に拒否権がありませんね。ご自由に。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月3日 (日) 00:21 (UTC)
「やる気がない」訳ではありません (やる気がないのなら残念などとは書かない)。このページでこの調子で議論が続くことについては批判もあり、やる場がない、という認識です。まとめに挙げられていることが事実かどうかというチェックは比較的単純ですが、あるストーリーについて合意を形成するのはそれなりの手間がかかると考えています。また、それができる位なら本来の議論もまとめられたことでしょう。ですので、事実だけに限定するならまとめはできるだろうと考えていますが、粗筋もまとめに含めるなら、それは行なわれた議論と同程度の労力を要するおそれがあり、そうなるとまとめとしての意味がないと考えています。そういう泥沼に陥らないことを保証できる (たとえば締切りを作る、上限を決める、その上で合意が形成されることなくその期限なり上限なりに達した際の落としどころをあらかじめ決めておく) ならば、まとめはいかにあるべきかの議論は可能でしょう。--Jms 2010年10月3日 (日) 00:35 (UTC)
ふうむ、なるほど。一つには「此処で行なうことは不適切」と指摘を受けていること、一つには「作業に必要となる時間及び作業量」が膨大になると見積もっていることで「実現困難であると判断して妥協策を提案」したのであって「実現意欲が無い故に議論放棄」したのではない、というわけですね。理解しました。
私は認識が異なります。一つには「此処で行なうことは不適切」とは考えていませんし、一つには「作業に必要となる時間及び作業量」に関してはもう少し様子を見たいところだと考えていますので。前者はノート:がいし#過去ログにも書いた通り、如何なる議論を経てそういう「結果」が出たのかを残すこともまた重要かと思うので。また後者は、何しろまだJms氏から何らの具体的な意見を聞いていないので、私には「作業に必要となる時間及び作業量」の見積もりが全く出来ていません。そして#水入りできた気はしますが…で約一ヶ月無視され反応も無かった上に、以後も「批判である」との指摘を全く受けていないと認識していることから、私は該見積もりは恐らく小さいものと想定しています。
なお、少なくとも提案の「まとめをあきらめて移動処理直後の状態として「過去ログ」にしてしまうべき」に関しては、受け入れる余地はあるつもりです。これは希望なのですが、頁頭に追加した部分と#議論の流れの内容の除去(項目自体は残して除去理由と差し替え)のみとし、この議論自体は残して欲しいと思います。でないと、「過去ログ化で揉めたのに何も無し?」と後から読んだ人が混乱するのではないかと「私が気にする」からです。そしてJms氏の「まとめ」に関しては(有意性に疑問を感じるものの唯一の「まとめ」として提示するのでないのであれば)特に問題のある内容ではない(と言うか参照用にあった方が良い類のもの)と考えていますので、内容を除去することは希望しません。無論、私の「まとめ」も除去することを希望しているわけではありませんが、Jms氏から批判を受けている状態なので、今されているこれらの議論を残すように譲歩を求めるにあたっての、私からの譲歩のつもりです。私は今、落としどころを決められそうか否かを見積もる時間を見積もろうとしています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月5日 (火) 06:32 (UTC)
まとめ案が二つ出ましたが、まとまりませんでした、というまとめはアリです。事実が重要と考える人と、経緯が重要と考える人。それぞれ存在するというのもまた事実でしょう。それぞれのまとめに、「このまとめには以下の異論が出されています」と書いておくもの手かと。--Jms 2010年10月5日 (火) 20:44 (UTC)
私は、「経緯」を先に把握したいと考えている人に対して速やかに「経緯」に辿り着けることを知らせられる状況を維持することを強く希望しています。なのでその「落としどころ案」に私は全く異論がありません。とりあえず「落としどころ案」に沿った形に書き換えました。また、先走って#議論の粗筋に関する議論用スペースを設けました。この状態から、Jms氏が適切と考え満足出来る任意のところまでいった時点で打ち切って戴いて構いません。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月6日 (水) 02:58 (UTC)
御本人としては適切だとお考えなのでしょうから難しいだろうとは思いますが、経緯の記述を淡々と事実を述べるだけにしてみては如何でしょう。たとえば、「態度を軟化」で終わっている文の主語の省略は、話者による主語の省略だと思います。主語の省略によって、話者がその主体であること、その主体の観点からの記述であることを暗喩していると思います。そうした暗黙の観点を含んでしまっている記述を一つ一つ丁寧に (できればローカルに) 除去してゆけば、淡々と事実を述べた記述にできるのではないかと思います。そうした上で、事実の配列の順序に事実としての論点を列挙したもの以上の意味があるなら、それはそれで経緯のまとめとしての価値はあるでしょう。次節で述べるのが適切か迷いましたが、ややメタな議論なのでここに書きました。--Jms 2010年10月6日 (水) 10:36 (UTC)
メタではないです。小説作品を書いてるんじゃあるまいし、議論とは議論の積み重ねによって成り立つものです。他所でこそこそ根回しするのは議論ではありません。第三者が後から見て検証したり判断したりすることが出来るからこそ議論が議論である意味があるのであって云々。
このまま此処に反論を書くと議論として不適切(=他所でこそこそ根回しすること)になってしまいますので、反論は#議論の粗筋に関する議論用スペースで行ないます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月6日 (水) 12:29 (UTC)

議論の粗筋に関する議論用スペース 編集

ここで#議論の粗筋に関して議論し、合意が得られれば#議論の粗筋へ適用、得られなければ#議論の粗筋への反論に記載、という形で進めたいと考えます。或いは、先に#議論の粗筋への反論に記載してからここで議論を始める方が合理的かもわかりません。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月6日 (水) 02:58 (UTC)

Jms氏からの指摘がありました。反論させて戴きます。
「省略された主語は必ず話者が主体である」わけではなく、指摘部分に関しては文中に存在している「排他的に一般用語と強硬に主張する世界最狂の魔法使いCray-G」です。これが「話者」と同一であることを「知っている」Jms氏が「話者が暗喩されている」と思い込んだことで「暗黙の観点」が含まれていると不当に判断し、それによって他の箇所も「暗黙の観点」が含まれていると思い込んで不当に判断しているのではないでしょうか。想定読者が「話者」と「排他的に一般用語と強硬に主張する世界最狂の魔法使いCray-G」とが同一であることを知っている前提であればともかく、本件粗筋はそうではありません。想定読者は該文に関し「主語の省略」によって「話者がその主体である」と思い込むことは普通ありません。文章をなるべく長ったらしくせず且つ「態度を軟化」の主語を推定し易くなっていて且つ、当該「シーン」に於ける問題行動者が誰かはっきり認識し易いはずです。冷静に読み直してみて戴けるよう強く御願い申し上げます。
問題行動者の所為で「学術用語の定義が争点となり議論が迷走した」ので問題行動者が「態度を軟化」したのです。この「シーン」では私こと世界最狂の魔法使いCray-Gが問題行動者であり、それが私であるか否かに関わらず問題行動者の問題行動が変化したことを知らせることは重要だと「私は」考えています。
当該箇所に於いて私が自身の名前を出したのは、議論本体で問題行動者を追跡し易くする為です。他に名前を出したのは最初の改名に触れた際にQurren氏のみであり、同じ理由です。これは最初の改名強行は頁中に無く探すのが楽ではない割りに改名強行者であるQurren氏は初期の議論に於ける重要な役割(通りすがりが思い込みで言っているのではなく改名強行に対する説明責任を果たそうとしている)を担っているので、初期議論に於ける改名反対者であるQurren氏と改名強行者とを関連付けられるようにする為です。
冷静に読み直してみて戴いた上で、これからこれを読むであろう大多数は「態度を軟化」の主語を話者と認識するに相違無く、また大多数はそれに同意するに相違無いとお考えになるようであれば、私はJms氏が求めているような訂正を実現する為に必須となる能力を根本的に私が持ち合わせていないと判断せざるを得ず、以って除去も止む無しと結論するより他にありません。
他にも細かいこと(不要論関連とか)は色々ありますが、何より根本的な問題に関して。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月6日 (水) 12:29 (UTC)
中立であるべきまとめにおいて、強硬に主張する、態度を軟化、といった表現が許されるのは、その対象が話者本人である場合でしょう。そうでなければ、それは中立な表現とは言えないのではないかと思います。「がいし」が学術用語 (専門用語) かどうか、という議論はむしろ枝葉の議論であるとわたくしは考えていますし、かかる点に関する粗筋について、不当だの冷静に読めだのと言われてまで議論する価値があるとは思えません。これだけ長引いて結論が出なかった議論のまとめとして重要なのは事実と主たる論点の概要であって、経緯はどうしても記述する必要があるなら最低限にすべきですし、その経緯にしても大げさな表現や主観的な表現は避けるべきでしょう。ましてや枝葉かどうか判断のわかれる点についてだけ取り出して経緯をまとめるのは不適切だと思います。問題行動云々はそれこそ議論と直接関係のない経緯だと思います。--Jms 2010年10月6日 (水) 15:34 (UTC)
指摘点は二点。強硬や軟化が「非中立的表現」であること、及び件の議論が「枝葉の議論」であると意見が分かれていること。総論は「やっぱり粗筋は議論参加者以外の人でないと難しいよね」。言いたいこと(=総論)はわかりました。色々と反論したくなるような文言はありますが、枝葉なので主題に集中します。
Jms氏の言う「議論参加者以外の人」であるべきという要件は、単に「意見を異にする他の議論参加者を手っ取り早く黙らせる」為の要求にしか見えません。つまり「これが中立的な意見なんだから黙れよ」と言う為の要件であり、「非中立的表現を用いている」という意見を封殺をしたい、という主張です。確かにJms氏は係る粗筋に関し、議論そのものに匹敵する長さの議論になり得ると見積もっているとのことなので、それを避ける保証として手っ取り早い意見封殺の手段を求めるのもわからなくはありません。ですが、例えJms氏自身の意見も封殺されるので公平であるにしても、意見封殺は公正ではないと考えます。
総論以外の点に関しては、私が提供したいものが、今後現れると目される「想定読者」の興味を引き議論本体に目を通す気にさせる「つかみ」や「あおり」の類であることと、Jms氏が考える「理想のまとめ」との差異に起因しているものと考えます。その「理想のまとめ」に「つかみ」が含まれることに関する私とJms氏との温度差は、もしかしたら前の節でも書いた「議論というもの」に対する見方の違いに起因しているのかも知れません。
「つかみ」に於ける表現方法や取捨選択によっては、何らかの不当な先入観を与える表現や、観点によっては重要である箇所が軽く扱われる(最悪記載されない)など、特定の観点にとって許容範囲を超えて不利益となる場合が考えられます。何しろ(努力したにせよ)私の偏った観点に基づいているわけですから。そして人間完璧ではありませんので、それは議論参加者以外の人であっても同じと考えます。『「つかみ」ではこれこれこうこう書いてあるが、議論本文を読めばわかってもらえる』という程度と、『「つかみ」でこれこれこうこう書いてある所為で、議論本文を読んでも先入観から誤解を与える』という程度では、深刻さが異なります。異論を受け付け修正する意欲はあります、何がどのように不当な先入観を与えるのか、重要と考える何が軽く扱われているのかを指摘してもらえれば
逆に私が無意味と考えるのは、それのみによって議論の結論が出せるわけでもないのに、「想定読者」が議論本体に目を通す気を殺ぐ「まとめ」です。想定読者は、議論本体に目を通して初めて判断が可能になります。それを「何だかわからんが揉めた挙句に結論が出なかったのね」と想定読者の興味を失わせる「まとめ」は、無意味どころかある種害悪でさえあると考えます。Jms氏の事実の抽出はその意味で、議論本体を読んでいる最中に参照するには素晴らしい資料ですが、議論本体を読む前には無意味です。また論点の抽出は議論を読む前に知っておけば心構えが出来て読むのが楽になるかも知れませんが、特段に議論本体を読む気にさせるものでは無いにも関わらず議論本体を読まずに済ませられるだけの内容ではありません。よほど熱心に議論本体を読む気がある人、例えば何としてでも改名すべしと考え再提案をしようとしている人には良いかも知れません。ですが、例えばその再提案の議論を見て気軽に参加しようかなと思った人の大半は今回の議論を読むことを諦めることになるでしょう。そして今回と同じ議論を繰り返し議論を混ぜっ返し、議論参加者を消耗させることになるわけです。私はその「読むことを諦める」人を減らすことが今回提供するものの「重要な意義」の一つであると考えています。
改名提案の議論の中で私は度々「わかり易くする為に乱暴な表現」をしています。「乱暴な表現」は観点が偏っていて不正確ではありますが、「わかり易く」なります。わかり易過ぎて、感情的になっている人に対しては油を注ぐ場合があるのが難点ですが。対して「厳密で正確な大人しい表現」は残念ながら、大抵の場合は長く、そして難解です。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月6日 (水) 22:19 (UTC)

こうしてまた議論が始まったのでは、過去ログ化しようとする意味がありません。ノートのまとめとしては、ノートに事実に関する有用な情報 (出典や、ウィキペディア内外での用例用法など) が分散しているならまとまって提供された方が便利ですし、論点も分散しているよりは整理してまとめて提示される方が便利でしょう。こうした「事実のまとめ」に加え、「経緯のまとめ」が提供されるならそれはそれで便利でしょうが、その経緯のまとめ具合の価値依存性の問題があり、そこに意見の相違があるとまとめるために長い議論が必要になります。どれくらい長くなるかはもちろん意見の相違がどれくらい深いかに依存します。もしこのままこの調子で議論を続けるなら、そもそもの過去ログ化で意図されていたことの範疇を越えると思います。事実が事実としてまとめてまず提示されるなら、粗筋がその後に続いていても問題はないでしょう、粗筋が妥当かどうかは事実を参照して判断すればよいのですから。わたくしとしては事実、論点のまとめが事実の記述として妥当かどうかという方が気になるところです。--Jms 2010年10月6日 (水) 23:24 (UTC)

議論になるのは、Jms氏が単に相互理解を拒絶する投稿しかしていないからではないでしょうか。結局のところ、既に書いた通りにしかならないのではないでしょうか。独りで話し合いが出来るわけではありませんし、やる気の無い者に強いることは出来ないわけです。口先だけで「やる気がある」と言われても意味はありません。相手の話を無視して自分の主張を繰り返し、自分に都合の良い結果(事実と論点の抽出を除去させない)だけを求める態度は、「やる気がある」のではなく「除去されたくない」態度です。
事実、論点のまとめが事実の記述として妥当かどうか
私は既に「妥当ではない」旨を表明しましたし、その根拠も書きました。これ以上私に何を求めているのでしょうか。もしも私に「如何にすれば妥当になるか修正すべき点」を求めているのであれば、私が過去にそれに挑戦し達成出来ず諦めたことも既に書きました。
論点のまとめは、妥当であれば議論全体を読まずに済む為に大変有用です。ですが妥当でないなら、議論全体を読まずに誤解を与えるか、結局議論全体を読まなければならない為に無意味です。
私は論点のまとめを諦め「まとめだけ読んで済ませる気だった人を議論全体を読む気にさせる」ことを目標として粗筋にまとめたので、「粗筋で用いる論点のまとめっぽいものは大雑把な雰囲気を掴める程度の精度で充分」と判断し、明らかに妥当ではない不充分な論点のまとめを用いました。まとめとしての妥当性よりも、粗筋で先入観を与えないことを優先したものです。
Jms氏の論点のまとめは、私が「粗筋で先入観を与えないことを妥当性よりも優先」した「明らかに妥当ではない不充分な論点のまとめ」をベースにほとんど改変されていないものであり、結果として「明らかに妥当ではない不充分な論点のまとめ」から脱却できていないものと判断しています。また「その論点が出された経緯/根拠/理由」が全く無いことから、議論全体が多種多様な論点が無秩序に出されている「単に各員が言いたいことを言っているだけ」の議論でも何でもない言い争いと区別が付きません。そういった無秩序な言い争いは議論全体を読む意義を推測する根拠は無く、単に無視するのが最善の策であり当然に議論全体を読む意欲を失わせます。妥当ならば議論全体を読む必要は無いのでそれでも構わないのですが、妥当でないのなら問題です。
それでもなお「議論全体を読む気にさせる粗筋」が共にあるのなら何とかなるかと考えますが、私の話を聞いていないのであれば私にはこれ以上何も出来ません。「議論全体を読む気にさせる手法を全て除去」することを求められても、単に粗筋の存在意義が失われるだけです。
とりあえず「落としどころ」としてJms氏のまとめを除去しない形で(少なくとも現在の議論参加者である我々二人の)合意が取れているので、私はこれ以上同じ話を繰り返す状況を何とかしたいのですが。今回の内容は、これまでにも既に書いた内容ばかりです。私は何か、Jms氏の言う内容を取り違えているのでしょうか?
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月7日 (木) 01:43 (UTC)
要約欄に「私は何か、Jms氏の言う内容を取り違えているのでしょうか?」とありました。要約欄に反応するのが良いことかどうかは微妙なのですが、端的な問いなのでお答えします。内容を取り違えていらっしゃるかどうかはわかりませんが、内容が伝わっているという印象は持ちません。「事実、論点のまとめが事実の記述として妥当かどうか」への反応からすると、取り違えていらっしゃるのかもしれません。わたくしは個別事実の個別記述が事実の記述として妥当か、反事実的なことを述べていないかということを言っているのであって、妥当ではないなら、反事実的でなくなる様に個別記述を修正すればよいことです。まとめは二つ提案されましたが、まとまりませんでした、という案を出しているのにもかかわらず、相手の話を無視して自分の主張を繰り返し、自分に都合の良い結果(事実と論点の抽出を除去させない)だけを求める態度は、「やる気がある」のではなく「除去されたくない」態度などと言われることからすると、内容を取り違えていらっしゃるかのかもしれません。問題点は二つのまとめが提示される順序ですか。粗筋は何よりも先に、ウィキペディア外部の事実よりも先に提示されるべきだ、という点が譲れないのでしょうか。--Jms 2010年10月7日 (木) 14:39 (UTC)
内容が伝わっている印象を得られていないとのこと。どうやらお互い様のようです。
「妥当」であるか否かの基準が大きく異なるようです。例の乱暴な言い方では、私から見たJms氏の言う「妥当」は、「嘘さえ吐かなければ騙して良い」という考え方に基づいて「嘘であるか否か」を求めているように見えます。その例えのまま今の記述を言い換えると「騙しているか否かは聞いていない」と言われたことになります。Jms氏が「騙そうとしている」と主張しているわけではありません。言いたいことは伝わっているでしょうか。
順序の問題としては、「必ず粗筋が先に来ること」を求めているわけではありません。現在の状況で充分であり、「事実」を読む前に「粗筋も存在すること」を知ることが出来且つ、任意の時点で(具体的には事実を読もうとして途中で読む気を失くした時点で)「事実」より先に「粗筋」を読もうと発想すること(そしてそれを実行すること)を可能にすることです。
なので可読性を損なうのでない限り、「粗筋」に「汚染されている可能性の警告」があっても問題にはしません。Jms氏が満足するかと考えて派手なのを自ら貼りました。先の例で言えば、「相手の利益になるのであれば嘘を吐いてもノー問題」という考え方です。この例で言う「相手の利益」とは「議論全体を読む気にさせること」に相当しています。「相手」である想定読者は過去の議論を知りに来たのですから、それをより良く知る議論全体の読破は「利益」だろう、ということです。私はこの「嘘」を「脚色」だと考えています。私が気にするのは、それが「脚色」の範疇を超えて「先入観による誤読の誘発」や「万一粗筋だけ読んで終了した人に不公平な内容の認識を与える」ようなことがあるか否かです。
そして「嘘を吐いているように見える」というJms氏からの指摘に対してこれまで、「大事なのは相手の利益だろ?」と「如何に利益になるかの説明」や「これが脚色の範疇である説明」をしてきました。それが伝わっている印象を得られなかった為に私は何度も繰り返してきたのですが、それはどうやら根本的な判断基準の違いに起因していることを私は漸く理解出来ました。
要約欄に反応するのが良いことかどうかは微妙なのですが
本文に書いてある同じ文に反応したわけではないとわざわざ明記しているのは、何らかの意図があるのでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月7日 (木) 20:10 (UTC)
「嘘を吐いているように見える」というJms氏からの指摘などした覚えはありませんが…脚色なのでしょうか。もしそうだとしたら、その脚色なるものは、コミュニケーションの妨げにこそなれ、相互理解に資するものではない場合もありましょう。要約欄の件は、同じ文でも背景次第で効果が異なるということです。まとめ案が二つ登場してからの議論量が 39 キロバイトあります。うまくゆかなかった議論のまとめの段階で内容に踏み込んだ議論をすべきではないと (それをするとまた同じ議論を繰り返す事になりかねないから) とわたくしは考えており、今回はその意味でそうした踏み込んだ議論の場がないと考えています。まとめに意図的な脚色は不要、ないし、あるべきものではないとも思います。特に不調だった議論の総括的なまとめの場合は、努めて抑制的であるべきでしょう。両方のまとめを併記すれば十分でしょう、その際、「議論の粗筋」よりは「学術用語をめぐる議論の粗筋」とする方が適当だと思います。中立性に関する注意書きはまとめにはそぐわないと思います。--Jms 2010年10月7日 (木) 22:01 (UTC)
「嘘を吐いているように見える」というJms氏からの指摘などした覚えは~~~~
Jms氏が揚げ足取りする気満々なのでしたら、私の文章は今の何倍もの分量になりますし、書くのにも読むのにも大変な労力と時間を要します。それを避ける為の「例え」なのですが、緻密厳密な表現以外は受け入れる気はない、ということなのでしょうか。きちんと読んで建設的な方向で反応してもらえるのならその労力を割くことも考えられますが、要約と文章全体の総括文とが同じであることに気付かない(文意ではなく些末な単語の存在により影響を受けている)ぐらい文章全体の意味を理解しない程度にしか読まない(=文意を無視した揚げ足取りなら出来る程度にしか理解しない)相手に対して概念の説明が出来るような詩人でも天才でもない自覚があるので、その意欲が湧きません。
うまくゆかなかった議論のまとめの段階で~~とわたくしは考えており
それは杞憂であると私は考えていて且つその根拠も説明出来るのですが、その説明には「ある特定の概念」を必要とすることから、上記理由によってその説明の為に言葉を費やすことが無駄であることを認識しました。
まとめに意図的な脚色は~~とする方が適当だと思います
Jms氏が考える「まとめ」ではそうなのでしょう。ですが私が提供しようとしている「もの」ではそうではありません。Jms氏が考える「まとめ」は私が考える「まとめ」とは異なるようですが、Jms氏が考える「まとめ」に関する説明がほとんど無いので、私はJms氏が考える「まとめ」が何かをほとんど理解することが出来ません。また私が提供しようとしている「もの」が「何」であるかを私は何度も繰り返し説明してきましたが、Jms氏は理解しようとしていないようにしか見えません。つまり、現在は相互理解が不可能な状況なのです。相互理解の無い「議論」は揚げ足を取り合いながら同じことを繰り返す水掛け論であり、只の言い争いでしかなく無駄です。
中立性に関する注意書きはまとめにはそぐわないと思います
そぐわない理由は、Jms氏の考える「まとめ」と私が提供しようとしている「もの」との差異をJms氏が理解しようとせず、Jms氏の考える「まとめ」にはそぐわないことだけを認識し、私が提供しようとしている「もの」に沿うか否かを考えないからではないかと私は考えます。以下、これまで何度も繰り返してきた説明が繰り返されるので略。
>>私は何か、Jms氏の言う内容を取り違えているのでしょうか?
私が「何」を取り違えていたのかを認識しました。結果としてはこの投稿の冒頭の通りです。私がJms氏の言う内容を何も取り違えていなかったことには安堵しました、何の慰めにもなりませんが。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月7日 (木) 23:51 (UTC)

まとめとあらすじ、要旨と惹句。これらは連続的な場合もある一方で、その両極の違いは埋まるものでもなければ、議論してどうこうするものでもないと思います。この対比に類似した根本的相違が二つの「まとめ」案にはあると思います。今回の場合、あらすじをまとめること、すなわち議論の内容に踏み込んだ総括は更なる議論を必要とし、本論と同じ議論の繰り返しになりかねないという判断に立てば、あらすじの修正自体には協力できませんし (議論する場がない、ということ)、また提案されているあらすじが全体のまとめとしては妥当でないという立場からも、あらすじの修正自体には協力できません (内容上の問題)。本論と同じ議論の繰り返しになりかねないかどうかという議論は、結局のところ議論のメタな延長であり、よほど簡潔にその危惧のないことが示されない限り、まとめの議論をコンパクトにしようとする立場には受け入れられないでしょう (このあたりはキャッチ=22的と言える状況かもしれない)。同様に、事実だけを提示する事がまとめとして不適切だという立場に立てば、事実摘示として妥当かどうかという点で事実列挙のまとめ案への協力も難しいでしょう。しかし、そのことは、互いに他方の提示自体を拒絶するということを必ずしも意味しません。要旨と惹句が両立する様に、両方の「まとめ」を並列して示すこともまた可能でしょう。提案されている粗筋が「議論の粗筋」ではなく「学術用語をめぐる議論の粗筋」ないし「学術用語を中心とした議論の粗筋」として提示されるなら、両立は可能だと思います。それで十分ではありませんか? 何か致命的な問題がありますか? --Jms 2010年10月8日 (金) 23:07 (UTC)

問題があると主張し始めた(そして今もしている)のはJms氏であると私は認識しています。私は以前から言っている通り、この私の書き込みに対してJms氏が「ではこのままテンプレを貼ってしまいましょう」と言ってテンプレを貼って決定でも特段の問題は無いと考えています。
Jms氏は現在のところ、一方的に要求(粗筋の書き直し乃至は表題変更)を行なうが協力(相互理解の努力)はしない、と表明しています。話し合いは不要、要求を呑む or die というわけですね。Jms氏が要求を呑ませることを目的としている限り、一つでも私に納得や理解の及ばない何かがあれば(Jms氏は私に対する命令権が無いので)私に要求を呑ませることが出来ない=平行線となるでしょう。そうなればJms氏は(要求を呑ませることを目的としているので)例え本論と同じ議論の繰り返しにしてでも議論を続けなければ目的を達成出来ないことになるでしょう。
対する私は、既に目的が達せられた状態です。具体的な提案や修正指示がありその理由を私が納得出来れば、粗筋に盛り込んだところで問題は何もありません。なのでJms氏が満足出来るまで議論は続くかも知れませんが、私の方から議論を続ける理由は特にありません。具体的な提案や修正指示その理由が納得出来なかった場合には、疑問質問や納得出来ない理由、再提案などするかも知れませんが、それは単に無視するよりは良い結果につながると信じてやっているだけであって、単に無視したところで「私には」何らの問題はありません。つまり「議論を続ける」ことは「必要ではない」のです。
以上より私からは、「本論と同じ議論の繰り返しになりかねないかどうか」はJms氏の胸先三寸で決まることであり且つ、Jms氏は「本論と同じ議論の繰り返し」にしてでも議論を続ける気である、故に「本論と同じ議論の繰り返しになる確率は極めて高い」と予測します。
一応、両者の「まとめ」に関する違いに対して私なりの表現もありますが、それ自体は無意味なのでやめておきます。「まとめ」を「惹句」程度にしか認識出来ていないのであれば、説明の為に必要となる言葉が多過ぎますので。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月11日 (月) 08:58 (UTC)
通じないことはよくわかりました。要点のみ質問します。
  1. 節見出しを「議論の粗筋」から「学術用語をめぐる議論の粗筋」とすることは受け入れ可能ですか?
  2. テンプレート (風) のものは必須ですか? あらすじと同等以上の優先度でしょうか?
質問は以上です。--Jms 2010年10月11日 (月) 09:20 (UTC) -typo --Jms 2010年10月11日 (月) 19:24 (UTC)
(1)問答無用で、というのであれば想到強硬に反発することでしょう。Jms氏の観点に基づいた理由や根拠の説明があれば、表題変更を受け入れるより先に内容更新を私は目指します。「学術用語をめぐる議論以外の議論の粗筋」があるのでない限り、結果として受け入れ難いです。そして無論のこと、「学術用語をめぐる議論以外の議論の粗筋」を見た瞬間に私はそれを元に内容更新を目指します、結果として諦めるかも知れませんが。
(2)頁頭のArchivesテンプレートの直下に来ると考えられる「大変長い議論となりましたので~~」の部分のことであれば、粗筋以上の優先度と考えて戴いて結構です。目次が長すぎるので。如何なる論文でも最初に「まとめ」があるものであり、それは最後にある「まとめ」とは異なるものです。ですが最初にあるべき「まとめ」自体に議論があるのであればそれは時系列的にも最後にあるべきであり、ですが最初にあるべきものなので最初にそれを読む方法を知らしむべきと考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月11日 (月) 10:14 (UTC)
学術用語をめぐる議論が全体を通じて主たる論点であるかどうかという事について異論がある以上 (その検証は議論全体に及ぶのでしません、なお分量の話ではありませんので念のため)、学術用語をめぐる議論についての粗筋であることを明示するならば受け入れ可能ですが (学術用語をめぐる議論が主たる論点であるという立場ならそう明示しても問題ない筈)、議論全体を通じてのあらすじであるかの様な印象を与える表現を用いるならば、その妥当性を検証する必要があるでしょう。しかし、その検証には議論全体に及ぶ評価が必要になるので今回のまとめ作業の想定外だと考えています。学術用語をめぐる議論が主たる論点であると考えているにもかかわらず、学術用語をめぐる議論についての粗筋と表現することを受け入れられないという論理構造はわたくしには理解できません。冒頭のまとめはあきらめましょう。テンプレート風というのは、「この粗筋は非中立的で」云々の事です。かかることを表示するなら内容を修正すべきでしょうし、修正しないなら表示すべきではないとわたくしは考えます。以上。--Jms 2010年10月11日 (月) 10:32 (UTC)
私は議論全体の粗筋を提供しているつもりです。「異論」の「論」をJms氏が説明してくれれば考慮の余地はありますが、何も無ければ無理ってものです。学術用語をめぐる議論は議論全体の中での転機であり、起承転結で言えば「転」に相当する部分です。無ければ粗筋全体の意味が通らなくなります。それ自体は「部分」ですが、「全体」を表現するにあたって要する「部分」なのであって「部分自体」の表現ではありません。桃太郎の粗筋を書けば「桃太郎が鬼が島へ行く」部分を書くことになると思いますが、「桃太郎の粗筋」は決して「鬼が島への旅路の粗筋」ではありません。例に出すなら犬猿雉の方が適切かと思いますが、必要な言葉が増える上に伝わらないと要らん議論になるので敢えて鬼が島の方で。
非中立云々のテンプレートに関しては、特段の価値を感じていません。#議論の粗筋への反論への速やかなる移動方法の提示と、異論が出されている事実に対しわかり易く且つ粗筋を読もうとする際に邪魔にならない方策の一つとして、Jms氏の充分な満足を得られるかと過剰反応しただけです。読み終わってから反論があることに気付くようだと、反論を見る前に既に印象や先入観が形成されてしまうことから、Jms氏が気にするのではないかと考えただけです。除去の方向で全く問題はありません。#議論の粗筋への反論にしても同様です。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月11日 (月) 12:22 (UTC)
異論については既に述べました。学術用語かどうかという議論が分量において最も多いのは (おそらく) 事実ですが、Wikipedia:記事名の付け方に対応した議論の構造からすれば枝葉でしょう。その意味で転機というのは言い得て妙かもしれませんが、議論の要約の主要な部分たり得ないと思います。--Jms 2010年10月11日 (月) 15:12 (UTC)
枝葉だと思うこと(=「異論」)は聞きましたが、根拠(=「論」)は聞いていません。考えてみれば、私側の「論」(=枝葉ではない理由)を述べ理解してもらった後でない限り「異論」の「論」の言い様が無いのですよね。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月12日 (火) 07:09 (UTC)
ああ、「ではこのままテンプレを貼ってしまいましょう」の「テンプレ」というのはTemplate:Archivesの事でしたか。つまり現状で議論打ち切りで良いと。「合意の努力をすることが本筋」と仰り、また毎回長々とお書きになるので議論をなさりたい様に思え、真意を計りかねていましたが、わかりました。Template:Calm talk は残しておいた方がいいですかね。--Jms 2010年10月11日 (月) 19:24 (UTC)
打ち切りで良いです、「喜んで」ではないですが私に拒否権はありませんので。Template:Calm talkに関しては特に意見は無いです。過去ログだから残す正当性もあることですし、嫌味たらしく残すのもいいんじゃないですかね。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月12日 (火) 07:09 (UTC)
「喜んで」ではないですが、というのが続いたのでは打ち切りに同意したのかどうか判断しかねます。行為についての単純な回答をお願いします。打ち切りますか、続けますか。--Jms 2010年10月12日 (火) 18:00 (UTC)
打ち切りに同意します。十日も前から打ち切りに同意していますし、一週間前にはいつ打ち切られてもいいように準備をしました。
ただ少し気になったので確認します。「私は打ち切りに同意します」が、「私は打ち切りを要求します」ではありません。私が打ち切りに同意したことを以って「私の要求によって」とか「私が対話拒否したから」とかの曲解をするのでないのであれば、「私は打ち切りに同意します」の文言をその通りに受け取って下さい。議論を続行可能な状況になれば(或いはなる見込みがあるのであれば)続行を希望しますが、可能な状況に無いので打ち切りに同意します
以上明言しましたので、Jms氏が打ち切りに同意したか否か判断しかねるのは、Jms氏が前述した曲解をしようと考えている場合のみです。Jms氏が前述した曲解をしようと考えていない場合には「打ち切りに同意した」と明に判断出来ます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月12日 (火) 19:12 (UTC)

(インデント戻し) 「Jms氏が打ち切りに同意したか否か判断しかねるのは、Jms氏が前述した曲解をしようと考えている場合のみです」となぜ言えるのか分からないので、仰っていることをわたくしが理解できていない可能性があり、それゆえ判断しかねてしまっています。わたくしは

  1. 世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、可能であれば、ないし、見込みがあれば、議論の続行を希望している。
  2. 世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、議論を続行可能な状況に無いと判断した。
  3. それゆえ、世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、議論打ち切りに消極的に同意する。

と仰っていると理解しました。また、その一方で、打ち切りへの同意をもって、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが打ち切りを要求した、ないし、対話を拒否した、と判断されることを危惧している、ということもわかりました。なぜ、同意ということでそう判断されることを危惧なさるのかはわかりませんが、それを合理的に説明しようとするならば、打ち切りに同意しなければ打ち切られることはなかったのだから、打ち切りに同意することこそが打ち切り要求ないし対話拒否なのだ、という論理構造を想定しているのだろう、という推測は可能だと思います。そう考えると、「議論を続行可能な状況に無いと判断」した、というのは、同様の構造により議論打ち切りに積極的にコミットしてしまうことになり、合理的でない様にわたくしには思えます。すると、打ち切りに同意しているのかどうか、わからなくなってしまいます。これが「前述した曲解をしようと考えている場合」に相当する、ということなのでしょうか。べつにわたくしは「曲解をしようと考えている」わけではなく、単に世界最狂の魔法使いCray-Gさんのお書きになる文章が、御本人の意図しない解釈をされるということではないかと思いますが…解釈する側に問題があるのか、文章に問題があるのか、あるいは双方に問題があるのかは別として。

わたくしは、議論の続行自体 (というか、むしろ仕切り直し) は可能だと考えています。但し、そのためには議論のフレームについて合意し、また議論の進め方を工夫する必要があると考えています。その分メタな議論が必要になるので、どれくらいコンパクトにそうした議論を済ませるかという技量にもかかわってきます。行為についての単純な回答をお願いしても、それ以外のことの方が分量的に多く記述され、かつ、そのことで混乱を招く様では、技量という点で要件を満たしてないかもしれません。これは、どちらが、ということではなく、おそらく双方とも、と考えています。自制した、淡々とした議論が可能かどうか、というのが、議論を続行できるかどうかにかかっているかと思います。また、仮に続行できたとして、この議論は時間のかかる議論だと予想しています。下手をすると記事名についての議論より長くかかるかもしれません。その意味では、議論の続行は可能ではあるが現実的ではない、とも言えるかもしれません。

あらためて問いましょう。議論を続行しますか、打ち切りますか。今回の問いは「打ち切りに同意するか」ではありません。--Jms 2010年10月13日 (水) 21:06 (UTC)

やっと私にも理解出来る「言葉」で返答を戴けて嬉しいです。返答は「議論を続行」です。
合理的でない様にわたくしには思えます
はい、合理的ではありません。私が危惧していたのは、私に合理的でないことを「させる」ことで詭弁を用いる弁論術です。この場合議論続行を希望すると、Jms氏は議論打ち切りを提案しているので「いつまでも納得しないで議論を引き伸ばし合意形成を阻害する」行為とJms氏が主張出来ます。議論打ち切りを希望すると、Jms氏には議論続行の意欲があるのに「積極的にコミットして云々の論理構造に基づき打ち切り要求ないし対話拒否」とJms氏が主張出来ます。
この件に関しては、Jms氏は「議論続行の意欲」があり且つ「議論打ち切りを提案」している状況だったので、Jms氏は恣意的にどちらにでも解釈出来る状況に在りました。日常会話で二者択一を迫るのは想到強い要求です。それは、日常会話は常に言葉が足りず曖昧な余地を残したまま進めるものだからです。議論では充分に言葉を尽くし曖昧な余地を残さないように進めるので、二者択一が日常会話より頻繁に使われます。
私は今回、議論にしてはJms氏の言葉が足りないと考えました。何故足りるように言葉を尽くさないのかはわかりませんでしたが、それが意図的に行なわれているのだとすれば前述した術を使おうとしている可能性が考えられたので警戒していたのです。二者択一を迫られた場合の、過去の経験から学習したものです。
口の悪い言い方をさせてもらいますと、Jms氏に高いところから「要望を言え。俺様が判断を下して良きに計らってやろう」と言われて有り難い温情を拝し奉っているような状態だったわけです。高いところに居る人達は、下々の者共に細かい事情を説明したり理解を求めたりせずに一方的に言うだけですからね。
曲解をしようと考えている場合のみです」となぜ言えるのか分からない
単純に言うとJms氏が私の態度によって、決めかねているJms氏自身の意見である議論続行/打ち切りを確定しようと考えていたからです。それが私の言う「曲解」です。同じ「曲解」をされたくないJms氏はだから「判断しかね」て、私が「打ち切りに同意」したあともこうして結論を出さずにぐだぐだと話を続けてきたわけです。前回の投稿で私が印象操作を用いた強い態度「曲解をしようと考えている場合のみです」に出たので、仕方が無くそうして「理解を求める投稿」をしてもらえました。以って私はJms氏の言いたいことを理解出来、話が進むこととなりました。
技量という点で~~おそらく双方とも
恐らくJms氏には前述した「態度」の点で問題があり、また私の方には「Jms氏が想定するメタな議論」に係わる知識が足りないのでしょう。私は議論だの弁論術だのの係わる専門教育を特別に受けたことがありませんので。
ただ、Jms氏の言う「フレーム」なるものに関しては私の専門であるプログラミング分野に於いて類似する概念や手法として構造化オブジェクト指向設計法に基づいたソフトウェアフレームワークがあり、出来たものを使わせる(=終わった議論を読ませる)のは楽でも、その概念を知らない人(=私)にゼロから作らせる(=議論をさせる)のが非現実的な手間であることは知っています。なので、Jms氏の予想は一般的に言って妥当だろうと考えています。
そして同時に、論理的構造にこだわるあまり20文字で済むところを数百行かけてプログラムを組むのに似た非効率性があるのではないかと疑っています。この件に於ける構造は上位から、
  1. まとめとは何か
  2. まとめが満たすべき要件は何か
  3. まとめの記載が中立的観点に沿っているか否か
の直線的で簡素な三段階だと考えています。私の認識では、これはメタとか何とか大上段に構える必要も何も無い、極めて自然でシンプルであり、構造と言うことすら馬鹿馬鹿しいぐらいあらゆる会話や議論や概念に存在する当然以前の当たり前の構造だと考えています。なのでメタだとか分離だとか何とか、現実を無視した理想論で天才気分の有頂天にでもなってるのかと……何しろプログラマー業界には沢山居るのですよ、そういう輩が現実に。或いはだからこそ、「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」がそういう「段階の異なる議論」だということを理解してもらえないのかも知れません。
但し、そのためには議論のフレームについて合意し、また議論の進め方を工夫する必要があると
私は既に満足が得られる状態を合意によって確保していて、3.を確定させ質の向上を求めています。なので私には議論を継続する「必要性」はありません(が、可能なら継続したいと考えています)。またJms氏はどうやら2.に関し不満がある(=継続する必要性がある)模様です。そして私はその不満の原因は1.の不一致にあると予想しています。なので私は1.に関して理解を求めましたが、Jms氏によって2.の不一致を理由に議論打ち切り/全除去を提案されました。
私の認識ではその後、Jms氏はJms氏の考える2.に対し私が「一方的に」一致させるように求めるのみで、それ以外の話(1.に関する私からの相互理解の要求)を聞かずに無視しているように見えています。「合意」云々で言うと、私からの「合意」の要求にJms氏が無反応で聞かなかったことにしているように見えているわけです。いちいち明確に「合意」を得ようとしていたわけではない(「合意」を得る話し合い自体は私から見てもメタ)ですが。
改名提案議論でも言いましたが、議論とは論争でも説得でも意見の押し付けでもありません。相互理解の為に争点を整理する手法です。
私は今、メタな議論とやらにかかる時間がどの程度かを見積もる時間を見積もろうとしています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月14日 (木) 02:00 (UTC)
意図がわからないので確認させてください。議論を継続する必要性はないが、可能であれば議論を継続したい、というのは、必要のない議論をしたい、という意味になってしまいますが、それで間違いありませんか。可能なら継続したい、というのは、他者から議論の要望があって、かつ、議論が可能なら、議論に応ずるにやぶさかではない、といったことの省略ではありませんか。Defend のための反論ではなく、間違いないかどうかの確認だけをお願いします。細かいことだとお考えかもしれませんが、もし省略だとしたら、そうしたところを省略せずに書くことを、相手に関する憶測や感想を刺激的な言葉で饒舌に語るよりも優先していただければと思います。そうした饒舌さは、話を進める障害になりこそすれ、合意に資するところはないと考えています (その手の饒舌さに一々反応していたら議論が無駄に長くなるだけなので無視してきましたが、あえて書きました。この点について反論無用に願います)。意見と長めの反論ではなく、質問と回答ないし短い説明がまず必要だと考えています。--Jms 2010年10月14日 (木) 18:57 (UTC)
間違いありませんし、省略ではありません。確かに私には説明責任があるので「議論に応ずるにやぶさかではない」ですが、それとは別の問題です。
  1. 私は現在の「粗筋」で問題は無いと考えています。なので「議論の必要は無い」です。
  2. ですが、Jms氏から異論を出されました。なので「他者から議論の要望」があります。
  3. 私は現在の「粗筋」で問題は無いと考えていますので、議論の要望があったことに驚き、そしてその異論は不当ではないかと疑っています。
  4. ですが万一不当ではなかった場合には、きっとより良い「粗筋」を提供することが出来ることになるでしょう。なので「議論を継続したい」です。
  5. 但し、もしも「議論が可能」ならば、ですが。
今後の議論により3.の疑いが確定したら、「議論打切」を希望することになります。今までは5.が満たされていなかったので「議論打切」に同意していました。
「議論の必要が無い」というのは、私が「現状維持派」か「保守派」であることを示しています。逆にJms氏は変更を求める「改革派」であり、「改革」の為に「議論の必要がある」わけです。私は「現状維持派」ですが、それは私が問題に気付いていないからであって、問題が存在するなら「改革」するべきだと考えています。「議論に応ずるにやぶさかではない」から「議論を継続したい」のではなく、問題が存在する/しないを確認したいから「議論を継続したい」のです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月15日 (金) 02:25 (UTC)
つまり、御自身の主張の正当性 (この言葉が妥当だとはわたくしには思えませんが、不当という強い言葉をお使いですので、敢て用いました) を確認するために議論の続行を求める、ということですね。--Jms 2010年10月15日 (金) 10:23 (UTC)
はい。文脈の意味から言ってその通りです。つまり「言葉の妥当性とか細かいことを別にすれば」という意味で。厳密には「確認出来なければ改善を行ないたいから」なのですが、それはつまり「確認したいから」の裏の意味でしかありませんので。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月15日 (金) 14:40 (UTC)

仕切り直し 編集

まとめる対象であるはずの議論をなぞることにならない様、議論を進めたいと思います。本件議論に於ける主要な争点は一つしかなく、「碍子は学術用語(専門用語)である」か否か、と仰っていますが、そのことはすなわち、「碍子は学術用語(専門用語)である」か否かさえ決まれば記事名を平仮名とすべきか漢字とすべきかの結論が出る、という御主張かと思います。そういう理解でよろしいですか。--Jms 2010年10月15日 (金) 10:23 (UTC)

いいえ、違います。
それは肯である(故に平仮名にすべし)という主張と、否である(故に他の論点を考慮し平仮名か漢字か決める議論を行なうべし)という主張とに分かれているのです。この議論は二段階に分かれていて、前半は肯vs否の議論であり、後半が肯vs未決の議論です。
さらに全体の議論の中で言うと、
  1. 肯であることを否定出来ない状態での議論
  2. 肯vs否の議論
  3. 肯vs未決の議論
  4. ぐだぐだ
の四段階に分かれています。4.の部分は正確に言うと平仮名vs漢字の議論になるのでしょうが、残念ながら迷走が多いのであえてこのように。
さて、いよいよ本題です。ここからは、私の言った「主要な争点」とは如何なる意味か、を説明しています。※今は必要無いようなら、後で必要になった時にでも読み返して下さい。
肯と決した場合は、1.の議論に初期の頃から出ている通りWikipedia:表記ガイド#学術用語に従い平仮名となり、争点は表記ガイドに逆らうか否かになります。実際、1.は主に表記ガイドに逆らう正当な理由探しでした。否と決した場合は1.に於ける表記ガイドに従い学術用語集の表記に合わせて平仮名、という主張が全て論理的な意味で除去されることになります。すると争点はJms氏が言っていたWikipedia:記事名の付け方が最重視する「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」』はいづれか、でしかなくなります。それにはもはや、表記ガイドに逆らう正当な理由となるほど強固な正当性(確定性?確実性?絶対性?)は必要ありません。
このように、結果によって同じ議論の争点を変えるような強い影響力を持つ(=フレーム上で高い水準にある)争点であることが私の言う「主要な争点」という言葉の意味です。フレーム上で高位にある議論は低位の議論内容に影響を与えますが、低位の議論は高位の議論内容に影響を与えません。理解し易さ争点の結果が何であれ、学術用語争点には一切の影響を及ぼしません。ですが学術用語争点が否の場合、理解し易さ争点が争点(その結果が平仮名漢字を決定する)となります。にも係わらず肯の場合、理解し易さ争点はそれのみでは全ての争点足り得ず、加えてそれが表記ガイドに逆らえる程の正当性(確定性?確実性?絶対性?)を持つか否かも争点となります。このように影響を与える為、学術用語争点は理解し易さ争点に比較してより高位にある争点である、と判断しています。今回の場合はそうではありませんが、学術用語争点の結果が否だった場合にはその影響を受けた1.の議論を見直すことで、1.の議論のみによって「既に結果が出ていた」と結論される場合が有り得るぐらい大きな影響を及ぼす、ということです。
まとめ議論の件で例えると、理解し易さ争点は「まとめの記載が中立的観点に沿っているか否か」に相当し、学術用語争点は「まとめが満たすべき要件は何か」に相当します。要件議論の結果によっては、それ以前に行なわれた中立議論がまとめて無意味になること(中立的観点に沿っているが要件を満たしていないので全除去、等)が有り得るわけです。ちなみに、「まとめとは何か」は「「用語」と「用字」」や「記事名の役割」に相当し、これは既にwikipediaのガイドラインで決められているぐらい高位の議論なので結果がwikipedia全体にまで影響を及ぼす「危険な主張」だと私は表現したことがあります。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月15日 (金) 14:40 (UTC)
「主要な争点」とはその結果によって同じ議論の争点を変えるような強い影響力を持つ争点、とコンパクトに書いて頂く方が助かります。少なくとも「まとめ議論の件で例えると」以下の部分は不要だと思います。議論をコンパクトに保つことに御協力下さい。同じ議論の争点を変えるような強い影響力を持つ争点、というのは、主要な争点というのは議論の推移に関する事柄だ、ということでしょうか。それとも、学術用語争点は理解し易さ争点に比較してより高位にある争点である、といった事でしょうか。後者を意図しているのではないかと思いますが、同じ議論の争点を変えるような強い影響力を持つ争点というだけでは、後者にある様な構造を含意しません。同じ議論の結論を変えるような強い影響力を持つ争点、というのなら後者と同じような意味だと思います。「主要な争点」とは、ある議論の結論を変えるような強い影響力を持つ争点のこと、という理解でよろしいですか? 一つずつ片付けたいのでここまでにします。--Jms 2010年10月15日 (金) 15:24 (UTC)
後者です。私は高位に位置しているか否かを問題にしています。その他のあらゆる表現は、高位に位置しているもの以外を含み得ます。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月15日 (金) 15:54 (UTC)
ある議論の結論を変えるような強い影響力を持つ争点のこと、という理解でよろしいですか? という質問に直接お答えいただければ幸いです。この理解では問題だというのであれば、その旨明記の上、同程度にコンパクトな表現、たとえば、他のどの争点よりも高位にある争点のこと、といった表現に言い換えて回答して頂いても結構です。どこに齟齬があるかわかりませんので、一つ一つ確認させてください。--Jms 2010年10月15日 (金) 16:16 (UTC)
よろしくないです。このまま説明を続けたら上位下位の争点とか部分争点とかの話が必要になり長くなってしまったので表現を変えたいと思います。より一般的汎用的な概念に対する争点と置き換えた争点です、等価な形だけの置き換えではなく。学術用語争点は(表面上はともかく)その内容が碍子(がいし)の他、椅子(いす)ボイラー(ボイラ)等にも影響を与え得る争点です。「まとめ」の例の「ちなみに」で言ったように「危険な主張」なわけです。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月15日 (金) 18:12 (UTC)
「主要な争点」とは「より一般的汎用的な概念に対する争点と置き換えた争点」のことである、では意味がわかりません。「主要な争点」とは○○な争点のこと、という形式でお願いします。ある議論の「主要な争点」とは、当該議論における最も一般的汎用的な概念に関する争点である、ということでしょうか。--Jms 2010年10月15日 (金) 18:22 (UTC)
「主要な争点」とは「特定争点(この場合主題)の下位争点乃至部分争点が【それ以外の該特定争点の下位争点乃至部分争点の議論の【内容を変更することなく】結論に影響を与え得るように】置き換えられたより一般的汎用的な争点」です。括弧【】は、長過ぎる修飾句を囲いました。最初は括弧【】内部を飛ばしてから改めて全てを読むと、認識がし易くなると思います。その後の質問への返答は「違います」です。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月15日 (金) 19:22 (UTC)
争点が置き換えられる、という表現の意味がわかりません。論理的な依存ないし導出関係のことですか? --Jms 2010年10月15日 (金) 20:32 (UTC)
厳密にそうかどうかは明確にはわかりかねますが、多分そうです。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 03:55 (UTC)
ということは、「碍子は学術用語(専門用語)である」か否かこそが本件議論に於ける主要な争点である、というのは、碍子が学術用語 (専門用語) かどうかが決まれば、記事名を平仮名とすべきか漢字とすべきかは大筋決まるし、逆に、碍子が学術用語 (専門用語) かどうかが決まらない限り、記事名を平仮名とすべきか漢字とすべきかは決まらない、ということ意味していることになりますが、それでよろしいですか。--Jms 2010年10月16日 (土) 04:00 (UTC) 脱字補 --Jms 2010年10月16日 (土) 04:05 (UTC)
それは「主要な争点」≒「主題と(ほぼ)等価な争点」であり、何度も言うように違います。「平仮名か漢字か」は『特定争点(この場合主題)』であり、その『下位争点乃至部分争点』である「Wikipedia:表記ガイド#学術用語に従い平仮名にすべきか否か」を置き換えた『より一般的汎用的な争点』が「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」です。また下位争点乃至部分争点でしかないので、その他の下位争点乃至部分争点を論理構造上変更させる(理解し易さ争点→理解し易さ争点+逆らえる正当性争点)ことによって無効化することが可能になります。もしもその「論理構造上変更」された議論が行なわれていたら、私はそれも「主要な争点」(但し先の説明とは異なるものですが)として粗筋で大きく扱ったことでしょう。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 04:36 (UTC)

(インデント戻し) 「Wikipedia:表記ガイド#学術用語に従い平仮名にすべきか否か」という論点より、「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」という論点の方が、より一般的だ、ということですか? なお、争点、というの言葉はわたくしの語彙においてはあまり穏やかな言葉ではないので、論点と表現しました。--Jms 2010年10月16日 (土) 05:05 (UTC)

厳密に言うと異なります。「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」は「Wikipedia:表記ガイド#学術用語に従い平仮名にすべきか否か」のほぼ等価(「原則として」の一言がある所為で完全に等価ではありません)な下位論点であり、「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」の議論がより一般的な論点である高位論点「学術用語の定義」に置き換えられて議論が行なわれています。私は高位論点「学術用語の定義」の結果に基づいて「論理構造上変更」を行い、「碍子は学術用語(専門用語)である」か否かを「碍子は学術用語でないか亦は碍子は学術用語であっても一般用語として扱うべき例外的な学術用語である」か否かに変更しました。つまり下位論点「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」を高位論点「学術用語の定義」によって下位論点「碍子は学術用語であり且つ一般用語として扱うべき例外的な学術用語ではない、か否か」に再定義したわけです。この再定義された「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」は「Wikipedia:表記ガイド#学術用語に従い平仮名にすべきか否か」と完全に等価な論点です。なので、この再定義された「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」とそれ以前(言葉面だけ)の「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」は同じではありません。再定義された「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」は、高位論点「学術用語の定義」を内包しています。「内包している」というのは先の「置き換えられている」の別表現ですが、「置き換えられている」と表現すると文脈的に別の意味になってしまうので言い換えました。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 06:40 (UTC)
もし、「学術用語の定義」について結論が出ていたとしたら、それでもなお「碍子は学術用語(専門用語)であるか否か」というのは「主要な争点」になりますか。--Jms 2010年10月16日 (土) 07:39 (UTC)
はい、なります。と言うか、既に「主要な争点」にするに充分な程度の「結論」が出ていますので、「主要な争点」でなくなることは多分無いと思います。
充分な程度の「結論」とは「『学術用語集に載っている用語が学術用語である』という定義は外延的定義であり、それとは異なる内包的定義が存在する」です。平仮名派はそれまで「内包的定義を認めない」(=原則として、とあれば従うのが原則です)という立場で主張を行なっていました。私は逆に「外延的定義を認めない」(=循環論証であり詭弁である)という立場で主張を行なっていました。そして「それぞれ外延的定義と内包的定義であり、その両方ともが定義である」という議論の「結論」が出たのです。その後、外延的定義に沿うが内包的定義に沿わない用語がガイドラインに於ける「原則外」となる用語である、という前提に基づいて私は先の「再定義」を行いました。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 08:41 (UTC)
もし、「学術用語の定義」についての結論が記事名の決定を直接は左右しないとしたら、それでもなおそれは「主要な争点」たり得ますか。--Jms 2010年10月16日 (土) 08:53 (UTC)
私は足り得ると認識しています。何故ならば「記事名の決定を直接に左右する議論」自体を左右するからです。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 09:03 (UTC)
もし、「学術用語の定義」についての結論が「記事名の決定を直接に左右する議論」を左右する議論に影響しないとしたら、それは「主要な争点」たり得ますか。--Jms 2010年10月16日 (土) 09:13 (UTC)
多分足り得ないと思います。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 09:31 (UTC)
「記事名の決定を直接に左右する議論」とは、この場合、「がいし」と「碍子」のいずれが、Wikipedia:記事名の付け方がその冒頭で最優先としている「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」によりあてはまるか、という議論でしょう。その議論に、「学術用語の定義」についての結論は影響しますか。学術用語であってもなくても、あるいは学術用語の表記に関する原則/例外のいずれで扱うとなっても、結局はこの最優先とされる条件で判断されることになるので、「がいし」と「碍子」の場合に「学術用語の定義」が「記事名の決定を直接に左右する議論」自体を左右するとは考えにくいのですが。--Jms 2010年10月16日 (土) 10:17 (UTC)
「記事名の決定を直接に左右する議論」とは、この場合~~という議論でしょう
厳密に言えば「Wikipedia:表記ガイド#学術用語に従い平仮名にすべきか否か」は、Jms氏の言う「理解し易さ争点」の部分争点(=下位争点)になります。
表記ガイド冒頭の「ウィキペディアの記事における表記方法の慣習を説明します。ウィキペディア全体の表記の一貫性を目指し、コンピュータ上で作られる文書であることに配慮しながら、印刷物の慣行に近づける意図があります」とあります。「一貫性があり印刷物の慣行に近づけられた」用語法は理想的な「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすい」用語法に充分に近い(充分な確度で理想的易理解用語法と推定出来る/高い確率でそうである)と考えられます。しかも「表記ガイド#学術用語」に於いて明確で客観的な基準が明文化されています。それはつまり、平仮名は明確に一貫性用語法であることを前提とし、「その用語法が一貫性用語法以上に理想的易理解用語法に近い用語法である」か否か/「一貫性用語法は易理解用語法ではない」か否かのいづれかが肯でない限り、一貫性用語法は確実且つ現実的な現実的易理解用語法である、ということです。
最初は前者に関して議論が行なわれていました。学術用語争点はその前提となっている「平仮名は一貫性用語法である」を論題とした「平仮名は一貫性用語法である、か否か」という争点です。この結論が肯となると状況は何も変わらない無駄な議論ですが、否となると「その用語法が一貫性用語法以上に理想的易理解用語法に近い用語法であること」を立証する必要は無くなります。平仮名は一貫性用語法ではない、と結論されているのですから。
粗筋に「いづれも支配的ではないことから終結には至らず」と書かれている時期には、大半の平仮名派の心中には「一貫性用語法以上に理想的易理解用語法に近い用語法であることが立証されていない=一貫性用語法こそが現実的易理解用語法である」が前提として存在していたわけです。なので、漢字派が幾ら「易理解争点」を持ち出してきても、それが「一貫性用語法以上に理想的易理解用語法に近い用語法である」ことを立証出来ない以上「平仮名であるべき」という結論を補強する議論でしかなかったわけです。
私が思うには、Jms氏はこの「一貫性用語法は現実的易理解用語法である」という主張を無視して議論を行なおうとして上位論点「理想的易理解争点」と下位論点「易理解争点」を同一扱いしているように思えます。「Wikipedia:表記ガイド#学術用語に従い平仮名にすべきか否か」は、他の多数の下位論点「易理解争点」の一つであり、上位論点「理想的易理解争点=記事名は平仮名と漢字のどちらであるべきか」の部分論点です。下位論点「易理解争点」は以前に私が「理解し易さ争点」と表現したものであり、それをJms氏は上位論点「理想的易理解争点=記事名は~~」と同一だと認識しているように思えます。
そしてその多数の下位論点「易理解争点」に関する議論は、「学術用語の定義」の結論によっては「表記ガイドに逆らう正当な理由となるほど強固な正当性(確定性?確実性?絶対性?)の有無に基づく早期の足切り」を行なわれることなく、易理解の度合いが充分であるか否かを確認出来るまで議論を続けることが出来るようになります。逆に粗筋内での役割としては、想定読者が議論本体を読んでいる最中に該足切りが行なわれている箇所に気付くことが出来ます。
Jms氏に言いたいこととしては、議論参加者の中には(多分)誰一人として「Wikipedia:記事名の付け方がその冒頭で最優先としている「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」というwikipediaの理念に逆らってやろう」と考えている人は居ない、ということです。全員がウィキペディアンであり、皆wikipediaの理念に同意し、敬意を表し、実現したいと希望しているのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 13:22 (UTC)

(インデント戻し) 記事名を決める議論においてはWikipedia:記事名の付け方冒頭文が求めることが最優先である、というのはよろしいですか。最後の二文はまさしくそういう事を述べていらっしゃるのだと思いますが、念のため確認させてください。--Jms 2010年10月16日 (土) 13:45 (UTC)

そうです。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 15:00 (UTC)
それを確認した上で、まとめようとする対象を繰り返さない様、深入りに注意しつつ。表記ガイドについては敷衍しすぎでしょう。表記ガイドの言う一貫性と慣行という意味では、「がいし」か「碍子」か、というのは、どちらかに統一されている方が望ましいし、どちらかを選ぶ際には、印刷物の慣行があるなら、それに従うのが望ましい。ここに「碍子は学術用語 (専門用語) であるか否か」や、学術用語の定義は登場しません。そしてこれは、ウィキペディアにおける表記の話です。一方、Wikipedia:記事名の付け方は、記事名の話です。リンクのしやすさ、という点で表記と関連はしますが。記事名に求められる「最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」は、他の記事との識別がより容易で、記事内容をより想定しやすいもの、という意味です。ここにも「碍子は学術用語 (専門用語) であるか否か」や、学術用語の定義は関わってきません。--Jms 2010年10月16日 (土) 15:39 (UTC)
敢えて書きませんでしたが、やはり書いた方が良かったようですね。
そうです。但し、「~~が求めること」と「~~が求めているとJms氏が考えていること」は異なるかも知れません。
異なるかも知れません、というのはつまり、それが具体的に何であるかは観点の相違によって異なる、という意味です。
表記ガイドの理念(=件の冒頭文)があり、その理念に従って学術用語の場合の規定が明示されているのであり例外規定としてではありません。である以上「学術用語の場合の規定」に従うことは「表記ガイドの理念」に従うことです。そして<観点の相違>この「記事名の理念」は、基本的に「表記ガイドの理念」に従っているが、記事名はwikipedia内の表記の中でも識別性(重複が赦されない)や単一性(一回しか表記されない)=排他性(併記出来ない)を要求される特殊な表記であることから、「表記ガイド」に対する特殊な例外規定に相当する</観点の相違>わけです。すると<争点>「表記ガイドの理念」に従うこと=「学術用語の場合の規定」に従うことが「記事名の理念」の例外規定としての性格に反しないならば、それで充分に「記事名の理念」に従っている。記事名の冒頭に書かれた「記事名の理念」は「表記ガイドの理念」への理解を前提とした文であり、無理解に墨守するものではない</争点>わけです。
対するJms氏は上記観点から見て「充填された語記事名はwikipediaに於ける「表記ガイドの理念」とは無関係(何故? wikipediaに於ける表記の一つだよ?)であるので「表記ガイドの理念」を理解するべきではなく完全に無視して</充填された語>「記事名の理念」を墨守しなければならない」と主張しているように見えるわけです。
どちらが正しいか知りませんが、それは本件改名提案議論でするべきだった議論であって此処でするべき議論ではありません。そして同時に、それは改名提案議論で行なわれた議論ではないので粗筋に書くのはどうかと思います。議論の構造、とか議論の分析、とかいう表題なら書けるかも知れませんが、そんなものを全部書く意欲は少なくとも私にはありませんし、書く意義も感じません。
或いは「各々の主張」の一つとして「碍子(改名賛成)」の最初あたりに「記事名は記事名の付け方に従うべきであり表記ガイドは記事内の表記法の話なので無関係である」とか何とか(←そのつもりなら、気に入る文面を提案して戴ければと思います)と書き加えるのであれば、私からは全く異存の無い範囲なのですが。ですがJms氏はそれこそが「主要な争点であるべきもの」と考えているようなので、それでは不満なのだろうとは思いますがね。何であれ「記事名の付け方の理念に従うべき」というのは全員の主張の根底にあるものなので、それを「いづれか一方が主張した」と表現することはありません。それは「他方が記事名の付け方の理念に逆らうべきと主張した」という特定の観点を推し進める記述になってしまうからです。論争は全て「どのようにして」記事名の付け方の理念に従うか、という方法論なだけです。
話を戻して、さきほど表記ガイドの理念(=件の冒頭文)があり、その理念に従って学術用語の場合の規定が明示されているのであり例外規定としてではありません。である以上「学術用語の場合の規定」に従うことは「表記ガイドの理念」に従うことです。と書きました。逆に言うと、学術用語なのに「学術用語の場合の規定」に従わない場合、及び学術用語ではないのに「学術用語の場合の規定」に従う場合は、「表記ガイドの理念」に従っていない、ということです。もうね、「記事名の理念」以前の問題なわけですよ。なので学術用語であるか否かは主張の根底を為すので「学術用語の定義」が係わってくるわけです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 17:22 (UTC)

記事名の決定について見解の相違があることはわかりました。かかる相違があっては記事名についての議論のまとめがまとまろう筈もありません。粗筋に書くなどと一言も書いていないことについて粗筋に書けないと言われても、対処のしようがありません。議論の追い方、組み立て方も相当違う様です。これもやはりまとめをまとめるのを困難にする点だと思います。また、書いてもいないことを想像で補われ、その枯れ尾花を見るのも我慢してきましたが、詭弁にわざわざわざリンクしてまで書かれる様では議論の継続も無理というものです。議論を打ち切りましょう。--Jms 2010年10月16日 (土) 17:52 (UTC)

誤解があるようですが、詭弁を用いているのは「私」です。私が自分で詭弁を使っていることを明示し、Jms氏の意図が曲解された内容であることを承知の上で書いていることを伝えようとしたものです。ですが、そういった理解を行なわない人だったことを忘れていました。申し訳無い。
Jms氏は、自身の意見を私に理解させる努力がずいぶんと足りないように私には感じられます。常に言葉が足りず、何通りにも解釈が可能な質問をしてきて、その不足している前提を私が想像で補わないと答えられずあらゆる説明を私にさせようとしておきながら、単一の文にしろとかコンパクトにしろとか、説明をするなと言う。で、答えるとまた前提の不明なまま曲解した確認をしてくる。弁論術として言質を取りつつ進めているわけではないことは理解していますが、私の労力も考えて戴きたいです。私は「違います」の一言だけ答えてれば良かったのでしょうか?
まぁ、yesと答えてもnoと答えてもこちらの意図する答えにならない質問にこれからも想像力をフル活用して答え続けなきゃならないことを考えると、こちらとしても打ち切りには賛意を表明したいところですね。不本意ですが、流石に疲れてきました。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月16日 (土) 18:44 (UTC)
詭弁について誤解してはいません。避けて頂ければとお願いした「相手に関する憶測や感想を刺激的な言葉で饒舌に語る」の類だと考えています。前提が不明なのは互いに前提を共有していない、それぞれが自分の前提をあまりにも当然に考えているため他の前提について考えが及ばない (考えの及ぶ範囲から相手の前提が外れてしまっている) からではないかと思います。曲解した確認をしてくる様に思えるのも同様の事情によりましょう。「yesと答えてもnoと答えてもこちらの意図する答えにならない質問」というのは、質問に問題があるのではなく意図に無理があるということかもしれませんし、両方に問題があるのかもしれません。「あらゆる説明を私にさせようとして」というのは事実ではありません、そうお考えになった、というのは事実かもしれませんが。「これからも想像力をフル活用して答え続けなきゃならない」というのは、前提や論理構成が大幅に違うのですから、互いにその通りだと思います。(少なくとも両名の組み合わせでは) 議論の継続は労力に見合わない、という点については合意できた様ですから、打切としましょう。必要な作業は、冒頭 2 行「過去ログ化準備作業中に付…」「作業に関する議論は…」ならびに現在進行テンプレートの除去、冒頭にTemplate:Archivesを追加、ノート:がいし側の過去ログ範囲日付確定、これで全てかしらん。--Jms 2010年10月16日 (土) 22:26 (UTC)
打ち切りに必要な作業に関してはそれで充分かと考えます。が、該合意が出来ているわけではありません。少なくとも私には、議論の継続の為の労力がどの程度か全く見積もりが出来ていませんので。ただ、Jms氏が打ち切りを希望しているのであれば反対はしませんので、打ち切りの作業を続けて戴いて構いません。理由はともかく、打ち切り自体には合意します。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月18日 (月) 08:13 (UTC)
そうですか、「打ち切りには賛意を表明したいところ」であって、打ち切りに合意したわけではない、と。では現時点で特に作業は致しません。--Jms 2010年10月18日 (月) 12:06 (UTC)
打ち切り自体には合意します」と明記した通り、打ち切りに合意しました。「(少なくとも両名の組み合わせでは) 議論の継続は労力に見合わない、という点については合意できた様ですから」と言うので、それは誤解であり合意は出来ていない点を指摘したのみです。繰り返しますが、打ち切りには合意しています。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月18日 (月) 12:24 (UTC)
「Jms氏が打ち切りを希望しているのであれば反対はしません」というのは、前提となるわたくしが打ち切りを希望しているという事実がないと、「打ち切り自体には合意」ではないのだ、と理解したのですが…。議論継続が労力に見合わないと判断している、というのと、打ち切りを希望している、というのは違うと考えています。仮にそれが同じだとしても、議論継続が労力に見合わない、という点について合意が成立していないのならば、打ち切りの前提が成立していないのではないかと思っています。その一方で、「理由はともかく」というのは、希望しているかどうか、という内部状態と、打ち切るかどうか、という行為を分離するという意味とも思えるので、打ち切るのかどうかの判断がつきません。--Jms 2010年10月18日 (月) 16:55 (UTC)
~~がないと、「打ち切り自体には合意」ではないのだ、と理解したのですが…
その表現は厳密ではありません。Jms氏が打ち切りを(理由の如何を問わず希望の有無に係わらず)提案したら、私は(賛意の有無に係わらず)必ず合意します。
~~というのは違うと考えています
私も、希望することと提案することとは厳密には異なると考えています。故に前述の通りです。
議論継続が労力に見合わない、という点について合意が成立
その合意が成立するのは当面無いと考えます。現状で、見合うか見合わないかを判断可能なのはJms氏だけであり、私にはその判断に必要な情報が相変わらず何も無いままだからです。Jms氏が私にその判断が出来ない状態を維持しようとする理由すらわからない(悪意に取ることさえ出来ない)為、この状況がいつまで続きそうなのかすら判断がつきません。
私にわかるのは、今現段階に於いて私がどの程度「消耗」したかのみです。限界が来たら、私から(そうなった経験が無いのでわかりませんが、恐らくは唐突且つ一方的に)打ち切りを宣言することでしょう。そしてその時点に於いて私は限界であることから、恐らくその後はこの頁を見もしないのではないかと想像しています。
~~前提が成立していないのではないか
私にとっては逆です。Jms氏が打ち切りを提案した段階で打ち切りに合意する前提が成立しています。希望したのであろうが、見合わないと判断したのであろうが、単に飽きてきたのであろうが、例え嫌がらせであろうが。
~~という行為を分離するという意味
そうですね。Jms氏がどう考えているのかは知りませんが、私にとっては分離しています。Jms氏にとっては分離していないだろうと「想像」して、問題の指摘を行ないました。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月19日 (火) 01:07 (UTC)
そうですか、「Jms氏が打ち切りを(理由の如何を問わず希望の有無に係わらず)提案したら、私は(賛意の有無に係わらず)必ず合意します」、ということは、わたくしが打ち切りを提案したという事実で十分なのですね。それでしたら、念のため一週間程度の期間をみた上で、作業しようと思います。--Jms 2010年10月19日 (火) 10:30 (UTC)
はい、提案されたら合意します。私に拒否権はありませんので。作業の方を宜しく御願いします。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年10月20日 (水) 12:04 (UTC)
わたしは打ち切りを提案しました。したがって打ち切りに合意 (同意ではないのか?) なさっているのだと思いますが、しかし、参照先は、打ち切りに賛成しない、とわたくしには読め、その部分を参照させているということは打ち切りに同意してはいらっしゃらないのではないかとも思えます。どうにも判断がつきかねますので、打ち切りに同意なさるなら、お手数ですが上記作業をお願いできませんでしょうか。--Jms 2010年10月22日 (金) 20:03 (UTC)
了解しました。私生活が忙しく作業する時間がなかなか取れませんが、取れたときに作業します。少々遅くなるかも知れませんがご容赦を。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年11月9日 (火) 11:06 (UTC)
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